→→ Oratorio 2
炎が、燃え盛っている。
それは、1つの町を薪にして、空高く黒煙を上げていた。
風に吹かれて火の粉とともに踊る、その火の海を背景にして立つ人影。
そしてそいつは、再び自分の目の前にいけしゃあしゃあと現れた。
カビ臭いこの牢屋の番兵を、持っていた槍で躊躇なく切り殺し、うーんと槍先を見て「柄が長いのって使いにくいなぁ……」と呟きながら。
煌く金の瞳が、薄暗い牢屋の奥にいた自分に向く。
「取引しない?」
と、彼が掲げて見せたのは、錆びた大きな輪に2つぶら下っている鍵。
「君をそこから出してあげる代わり、君には今後、俺の言いなりになってもらう。ちなみに、破ったら殺すから」
彼はそう言って、何処か狂気じみた顔で笑った。
その時自分は、何の変化もない個室の牢獄で精神的に滅入っていて、ひどく意識が朧だった。
——何と答えたかは、覚えていない。
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楸は、自分が玲哉を嫌っている理由がよくわからない。
奪ったものを他人に分ける気なんてカケラもなかったが、楸は昔、猟犬だった。そして、たまたま、とある町に滞在した。
そこは、魔族をいたく嫌っている町だった。町中にいると、一斉に向けられる侮蔑の視線が不愉快で、彼はできる限り町の外にいた。
しかし、そんな町にも、一人くらいは理解者がいて。
『本でよんだんだ!「まぞく」って、くろくてデカくて耳ながくて、つよいシュゾクなんでしょっ!? かぁっこい〜……!!』
『はぁ? ……てめぇ、認識間違ってねえか?』
『町のみんな、「まぞく」は悪い人たちなんだよって言うけどさっ、つよい人たちが悪い人なわけないもんねっ!!』
『だああうっとうしい寄るな触るな近付くな!!』
『あはははっ!「ヒドイコト言って、ごーいんに引きはなそうとかしなかったら、それはテレカクシなんだよ」って、かーちゃんが言ってた!』
何だか物凄く魔族に興味を持っているらしく、しつこく自分の回りをうろついていた小さな少年。
正直なところ、自分も人間はあまり好きじゃなかったが、遠くから嫌そうな目で見てくる町の人間達に比べると、警戒心なんてまるでない少年には、好感を持ったのを覚えている。
『人間って、嫌な種族だよね。人数が多いからって、他種族を貶してさ。こんなに弱いクセにね』
その時、玲哉は突然現れた。そして、その町を潰した。
赤く燃え上がる空を背中に、玲哉は、町に帰ってきた楸にそう言って去っていった。
火は、なかなか消えようとしなかった。それを見かけたらしい人間が炎の町にやって来て、呆然と紅蓮を見上げていた楸を見つけた——。
その後、帝国軍に引き渡されたらしく、気が付けば暗い牢屋に入れられていた。武器も荷物もすべて取り上げられていて、残ったのは身一つ。牢屋には、自分以外、誰もいなくて。
狭苦しい生活の中で、楸はすべての原因である玲哉に対して、激しい憎悪を抱くようになった。
しかし、わかるのはそれだけで、なぜ彼が憎いのか、よくわからなかった。牢屋に入れられたことを憎んでいるのか、町を潰されたことを憎んでいるのか、はたまた、命を物ともしない彼そのものを憎んでいるのか。あるいは、それすべてか。
やがて、その感情がだんだんと精神を蝕んでいき、影響して身体も弱っていた頃。
牢獄の一番奥にいた自分の前に玲哉は再びやって来て、そして、取引をしようと言ってきた。自分の返答は覚えていないが……現状を察するに、過去の自分はそれをのんだのだろう。
それが、すべてを狂わす第一歩になろうとは考えもせずに。
「……怖いんなら逃げてもいいぞ」
足元に転がっていた銃を空いていた手で拾い上げ、弾かれたように自分と距離を置いた六香の震える肩を見て、楸が言った。実際、自分としてはそっちの方が楽だ。
その感情を否定していた六香は、彼に言われて、それを抑え切れていないのだと知った。六香は両手に一丁ずつ持った銃を楸に向けたまま、意地を張って言い返した。
「お、お断りよっ。夕鷹の方に行ったら困るから!」
「行くかよ……大体、あの野郎が紫相手に暴れ始めんだ。死にに行くと同じだろうが」
そう言い、楸は面倒くさそうに、片手に引っ下げていた大剣を持ち上げる。一見、何気ない動作。しかし六香は、それが彼の戦闘態勢なのだと気付いた。
「ちょ、ちょっと待って」
「あァ?」
「アンタ、椅遊の居場所、知ってる?」
いつ切りかかってくるかわからない楸に、六香は慌てて制止をかけて聞いてみた。楸は「椅遊の居場所?」と繰り返して眉をひそめる。
「……まぁ知ってるが……」
「ど、何処!?」
「忘れた。覚えてられるかよ、こんな建物の中」
楸のぶっきらぼうなその返答に、六香は銃を構えたまま黙り込んだ。
「……つ、使えないわねアンタ……頭の容量少ないの?」
「………………てめぇ、自殺願望でもあんのか?俺は戦闘専門なんだっつの。誰が頭の容量少ねえだ」
憐れみにも似た六香の嘆くような口調に、楸は怒鳴りたいのを、青筋を浮かべる程度に抑えて静かに言った。それから六香の、自分と同じ色で、しかし自分とは違って光のある瞳を睨み据えた。
「来るんなら来いよ。特別に相手してやる」
「偉そうにっ……」
恐怖を押し隠して強気に言い返し、六香は構えていた片方の銃のトリガーを引いた。それに応えて銃口から弾が飛び出し、楸に向かって飛んでいく。
普通なら速すぎて見えないはずなのに、楸は見えているのか、銃声とほぼ同時に、持っていた大剣の刃で正確に銃弾を防いだ。カァン、という虚しい音が響いて弾は呆気なく弾かれ、それが床に落ちるより少し早く、楸が大剣を引き連れ六香に向かって迫り来る。
いつ撃たれるかもまるで気にしない大胆な行動に、六香は逆にぞくっとして、気が付いたら無意識のうちに二丁の銃を発砲していた。六香がはっとした時には、彼女の前に楸の姿はなく。
スッと、すぐ真横を、緩やかな風が通った気がした。
「面倒臭ぇな……」
「くっ……!」
後ろへ移動していく楸の声。背後へ回るつもりだと気付いてすぐ、六香は後ろを振り返りざま、大きく一歩後退して。
楸の姿も確認しないまま、六香が銃を向けるより早く。
「っ……!?」
「遅ぇんだよ」
真正面からまっすぐ伸びている、首に突きつけられた剣を目にして、六香は反射的にピタリと動きを止めた。
言葉にはしないが、「動けば殺す」と言っているのが気配でわかった。途中で動作が止まったせいで、銃口は、意味もなく楸の足元付近に向いている。
「マジで何で俺がコイツ相手なんだよ。残り物は残り物相手かよ……つまんねぇな……」
と、楸は、その他の戦力を削いだ天乃と玲哉に対して小さく溜息を吐いた。そして、停止している六香を見る。
「つーかてめぇ、戦力外だろ?論外だろ、この呆気なさ」
(……戦、力……外……?)
——その言葉は、自分の無力さを、ごまかすことなく射抜いていた。
一言だけでこんなに動揺したのは、それがきっと、事実だからだろう。
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「何で泣いてるの?」
森の中、せせらぐ川のすぐ傍。
誰もいないと思っていたのに、切り株に座って泣いていた自分にかけられた声。
「迷子?って、この森、迷うとこないか……」
そう言って、自分の前にしゃがみこんでいる人物は、ニコリと微笑んだ。
その綺麗な笑顔はとても印象的で、今でも覚えている。
「で、何で泣いてるの?あ、家から追い出されたとか?」
「……誰?」
「ん?ん〜……通行人A?いや、Yかな?」
「……何ソレ」
「え、やっぱ自分の頭文字を使うべきかな〜って」
「……そーじゃなくて……」
頭文字を使うくらいなら名乗れよと、内心で突っ込む。そういえばあの時、結局彼は名乗らなかった。
彼は、菫色の髪を揺らしながら空を仰ぐ。真っ赤に燃える西の空とは反対に、すでに東の空は群青色に染まっていた。
「あのさ、もーすぐ夜になるし、そろそろ帰った方がいいんじゃない?」
「……やだ。……帰りたくない」
「何で?腹減るよ?」
「………………でも、やだ」
「ふーん……」
彼はそれ以上何も言わず、すっとそこに立ち上がった。目で追って顔を上げた自分を見返し、彼は言った。
「俺さ、ちょっと迷子になっちゃったっぽいんだよね」
「……アナタ、何歳?」
「えっと……うーん、忘れた。何歳に見える?」
「17、8歳くらい……?」
「はは、じゃあそれでいーや」
「……それくらいの年で迷子って……」
「で、今、お迎えを待ってるんだけど……もう遅いし、多分今日中には来ないなぁ。ってことで、一緒にご飯でも食べる?」
アツアツの焼き魚。一度かぶりついたのだが、熱くて食べられなかった。
息を吹きかけて冷まして、もう一度。
……空腹だったからだろうか。
「……おいしい」
「家のグリルで焼くのとは、また違うっしょ?」
「うん。……でも、素手で魚とるなんて思んなかった」
「うん、俺もビックリ。やってみるもんだなぁ〜」
ぱくっと魚を食べながら、ちらりと彼を見やる。同じく焼き魚を食べる彼の金の瞳に、焚き火の炎がゆらゆら燃えている。
この男、何のつもりなんだろう。突然現れたと思ったら、なぜか一緒に夕食を食べている。何処か抜けているし、変な奴だ。でも、悪人のような印象は受けない。ますます訳がわからない。
「明日にはちゃんと家に帰んなきゃ、家族が心配するよ?」
家族……心配?
「……ない……」
「ん?」
「あの二人がっ……心配なんてするわけないっ!! コッチに来てから、ずっと喧嘩ばっかしてっ……!」
環境が変われば、人も変わるとでもいうのか。仲の良かった兄達は、気が付けば喧嘩ばかりしていて。
ただ、自分は、いつも通りに、みんなで仲良く暮らしたかっただけなのに。
こぼれた涙を気にも留めず、ガブリと大きな口で魚にかぶりつく。
「……そっか。その二人に、仲良くしてほしいんだ」
頷く。
すると、彼は安心させるように笑った。
「じゃ、大丈夫だよ。二人とも今頃、二人で一生懸命、君を探してるよ」
初めての野宿をした翌朝。
目覚めた自分に、先に起きていた彼は笑いかけてくれた。
「おはよ。で、俺、連れが来たから……ココでお別れ」
と、彼が隣を指差す。その隣には、何処からか現れた、見知らぬ萌黄色の髪の少年が立っていた。
その少年が、無言で踵を返す。それを見て、彼も立ち上がった。
「じゃあ、またどっかで会えたらいいね」
そう言って、彼はあの綺麗な笑顔で笑った。
何も言わないまま、遠ざかる二人を見つめていた。
……不思議な人だった。抜けているように見えて、かけてほしい言葉はしっかりくれる。まるでコチラの心を見透かしているようだ。
だから、信じたくなった。彼の言葉を。
自分の家の、ドアの前に立つ。
勇気を出してドアを開いた時、驚いた顔でコチラを見る二人の青年。そして、二人同時に駆け寄ってくる。
「何処行ってたんだよ、ったく!その辺、探し回ったぞ!」
「すごく心配したんだよ!夕飯食べてないだろ?何か作ろうか?」
その言葉だけで、十分だった。
二人がいつも通りに戻ったことが、凄く嬉しかった。
3年前見た彼の笑顔に助けられたことを、今でも覚えている。
—————その2年後。
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(……どうして……)
上下に揺れる視界。振動する世界。
(どうしてっ……こんなことになっちゃったの?)
心の中を支配するのは、悔い一色。
一喝された時の勢いのまま、走る。走る。
遠ざかっていく平穏。
近付いているのは孤独?
(春霞兄、冬芽兄……っ!!)
六香は、ひたすら逃げていた。
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