→→ Oratorio 1


「……あ、未亜。……はぁ………………聞こえているの、芽吹未亜!!」
「は、はいぃッ!!!」


 遠くで声がすると感じたその後。大声で、しかもかなり近距離で。突然名前を叫ばれ、未亜は電撃が走ったように飛び上がった。
 我に返った未亜の目の前には、つやのある長い黒髪の女性がいた。優雅に細められた藍色の瞳。手には束ねられた数枚の書類を持っていて、さっきまで読んでいたのか、それの3枚目が開きっぱなしだった。


「まったく……これで6回目よ。大丈夫?」
「あ、えと……すみません、朱羽アゲハ教官……ぼんやりしてて……」
「その言い訳も、6回目」
「あう……ご、ごめんなさいぃ……」


 こめかみに手を当てて溜息を吐く20代半ばくらいの女性に、未亜は本当に申し訳なさそうに言った。
 この女性は、陽城朱羽ヒシロ アゲハ。バルディア帝国軍少佐で、未亜の教官だった人だ。その時のクセで、未亜は中尉になった今でも彼女を「教官」と呼んでいる。

 今、未亜と朱羽がいるのは、軍人養成学院。前に、玲哉が軍入隊テストらしいものを受けていたところだ。あの時は校庭だったが、二人がいるのはその学院の寮。玲哉に割り当てられていた部屋だ。
 通常、上級の軍人は軍の基地ベースに自室を持つ。玲哉の中佐という階級も、一応上級の分類だが、彼はベースには招かれなかった。それは紫昏が、玲哉が他の軍人に対して強い影響を与えてしまうと判断したからだ。

 玲哉の軍入りを許可した参謀・紫昏は、どうやら彼を飼う、、つもりだったらしい。放していれば、とんでもないことを引き起こしかねないと思ったのだろう。賢明だが、紫昏は監視役の選び方を誤った。
 紫昏は、情報部所属の未亜に、玲哉の監視を任せた。彼女は確かに、諜報員としては優秀だ。しかし紫昏は、彼女の性格を考慮していなかった。


「それにしても、どうしたの?さっきから」
「え、え〜?ちゅ……中佐から目を離すなってちょっと難しいなーって思ってただけですよ〜」
「……ちゃんと話を聞いていたのは褒めてあげるけど、未亜、棒読みよ」
「うっ」


 朱羽にずばり指摘されて、未亜は言葉に詰まってしまった。そのわかりやすい反応を見て、朱羽はもう一度だけ嘆息した。


「相変わらず、未亜は嘘をつくのが下手ね……学院生の時、嘘を見抜かれても平静にしていなさいと貴方に教えたはずよ」
「そ、それは!私が嘘をつけない正直者だからですもんっ!」
「よく言うわよ……それで、何か隠しているの?」
「え……えっと……か、隠してるっていうか……」


 朱羽は、細かな情報も見逃さない。軍に関係のあることなら尚更だ。その可能性を考えて、彼女は問い詰めてきたのだろう。
 長い付き合いでそれがすぐにわかった未亜は、とりあえず朱羽を納得させようとした。


「ホントに、教官達はどうでもいいことですよ!軍がどーのって話じゃないから、安心して下さいっ!」
「あら、そう。私事が頭から離れなくて、私の話が聞けないわけね」
「えっ、あ、えと……、…………ご、ごめんなさい、教官……」
「……まぁいいわ。コレあげるから、後で読んで全部理解しなさい。あと、そろそろ貴方、報告書出さなきゃならないんじゃなかったかしら。忘れないようにね」
「……はーい」


 忘れかけていた仕事を朱羽に突きつけられ、未亜はふてくされた顔で朱羽から書類を受け取った。あまり厚くないそれを渡すと、朱羽は部屋から出ていった。


「あーぁ……報告書、かぁ……」


 一人、部屋に残された未亜は、誰にともなく呟いてボンッと部屋のベッドに座った。そのままバタンと仰向けに倒れ込み、目を伏せて溜息を吐く。


「やりたくないなぁ……」


 未亜は、デスクワークが大嫌いだ。書類を読むのはともかく、自分で筆をとるなんて考えただけでもげっそりしてくる。

 一体、何の報告書か。――玲哉に関しての、である。
 玲哉と、初めて会った日。彼と会う前に、紫昏に言われたのだ。


 『5日後に、その間の彼の行動・様子、不審な点など……とにかく、挙げられるものすべてを報告書にまとめて下さい』


 ……あれから、4日。明日までには、報告書を提出しなければならない。
 ヤだなぁ……と思うと同時に、未亜は、何て書けばいいんだろうと悩んでしまった。

 玲哉から目を離すな。彼を学院から出すな。耳ダコになるくらい言われた2つの命令。
 しかし今、この部屋に、いなければならないはずの玲哉の姿はない。


(ああぁ、どうしよう……!「命令破っちゃいました。てへ☆」なんて書いた日には……いやあぁッ、どーしよう〜〜!!!)










「未亜、頼みがあるんだけど」


 彼がそう言い出したのは、2日前くらいだっただろうか。
 監視するといったら、普通は部屋の外で番兵をするのだが、相手が相手だからか、今回は少し違った。
 目を離すな。……その言葉通り、ずっと彼を自分の目で見張っていろと。そう言われた。

 同じ部屋にいた未亜は、「は、はいぃっ!」と思わず背筋を伸ばして敬礼し、裏返った声で答えた。開いた窓から外を見ていた玲哉は、おかしそうに小さく笑う。


「俺さ、今、やらなきゃいけないことが山積みなんだよね」
「そ、そうなんですか?」
「うん。だから本当は、こんなとこでだらだらしてる暇なんてないんだ」
「で……でも、参謀の命令ですし……」


 確かに、こんなところに押し込められている彼は、とても不自由で、未亜はどうにかしてあげたいと思っていた。しかし、上官である紫昏の命令に逆らうなんてことができるはずがなく、未亜は弱々しくそう言った。
 「あぁ、知ってるよ」と玲哉は窓の枠から体を起こし、居場所なさげに部屋の隅に立っていた未亜を見た。人を惹きつける金色の瞳に見つめられ、未亜は緊張してゴクリと唾をのんだ。


「すぐ戻ってくるから、少しだけ外出したいんだ。その間、俺がいないことをごまかしててほしい」
「え……ええぇッ!!? そ、そんな、無茶ですよ!バレちゃったら、アタシ、じゃなくて、私が……それに、貴方だってっ……!」
「命令無視ってことで即行剥奪だろうね、中佐の地位。ただでさえ警戒されてるんだし。君も、俺を止めなかったってことになって、やばいと思うよ」
「そうですよ!本気ですか!?」
「本気だよ」


 自分がどういう処分にあうかまで悟っておきながら、玲哉は臆することなく、思わずズンズンと近寄ってきた未亜の問いに答えた。未亜は、信じられないというふうな目で玲哉を凝視する。


「もしバレたら、『脅された』って俺のせいにすればいいよ。そしたら、君の処分は多分軽くなる」
「……!!」
「紫昏は、俺を危険と判断してるしね。俺ならそういうこと、やりかねないって思ってるだろうし」
「そ、そんなこと言ったら、貴方の処分が……」
「普通なら重くなる。でも、それ言わなくても俺は地位剥奪だし、それ以上、重い処分なんてないよ。……頼まれてくれないかな?」


 と、玲哉は未亜の焦茶色の瞳を見据えた。この視線に弱い未亜は、うっと思わず縦に首を振りそうになり、慌てて横に振った。


「だ、ダメですよっ。参謀の命令は絶対です!何て言っても、絶っっっ対、ダメですっ!!」


 何とかきっぱり言い切り、未亜は少しホッと胸を撫で下ろした。
 ココまで完璧に拒否されたら、もう説得は無理だろう。玲哉は、アゴに手を当てて考える仕草をして……仕方ないなと嘆息して、未亜を見た。


「未亜」
「な、何ですか。ダメですよ」
「未亜はさ、俺のことどう思ってる?」
「…………へは……ッ!!!!?」


 どどどういう意味でしょうか。

 その途端、未亜は耳まで真っ赤になって硬直した。耳から、やかんのように勢いよく白い湯気が出ていても良さそうなくらいだ。
 面白いくらい赤くなった未亜の反応に、玲哉が逆に驚いていた。その驚いた視線で、未亜は自分が何だか物凄く誤解を招く態度をしたことに気付き、慌てて言う。


「あああの、ここっ、これは、そ、そ、そんなんじゃないですよ!!! た、ただ、玲哉さんって、や、優しいし美形だし、要素揃いすぎでっ!!」


 はっと我に返った未亜が、必死に弁解し始めた。予想外に効果絶大だった一言は、ただのきっかけづくりだったのだが、コレならすぐ終わる。
 玲哉は凄い勢いで動揺している未亜に近付き、すっと手で未亜の前髪をよけると……静かに、彼女の額に口付けた。そこがスイッチだったように、ピタリと未亜も停止する。

 ――しばらく、無言の時間が過ぎた。


「どうしても外せない用事なんだ。行ってもいいよね?」
「もも、もちろんですッ!!」


 離れてすぐ玲哉がそう聞くと、心の中で舞い上がっていた未亜は、玲哉の狙い通り、勢い余ってそれを許可してしまった。
 未亜の口から出た一言に、玲哉はにっこり笑って「じゃあよろしくね」と言うなり、ひょいと身軽に窓の外へと体を踊らせた。その行動を見て、未亜はようやく自分がはめられたことに気付いた。


「れっ、玲哉さんっ!! ハメましたねー!?」


 上へと遠ざかる部屋の窓から響く未亜の声に、玲哉は小さく笑った。彼の部屋は3階にあるのだが、玲哉は着地の際に膝を折って衝撃を逃がし、難なく歩を進めた。
 その後、彼は途中で天乃に〈フィアベルク〉で拾われて、プロテルシアへ行き……あのように、雷を放電するわけだ。










「はぁ……」


 違う意味合いで、息が出た。仰向けで、自然に露になった自分の額に触れる。


(……多分、アタシを頷かせるためだけで、深い意味なんてないんだと思うけど……)


 こう、1日に何度もココを気にしてしまう自分は、やっぱり彼の言う通り、彼に気があるんだろうか。……どうだろう。格好良くて優しくて気になるのは確かなんだけども。自分がよくわからない。
 そのことはとりあえず置いておいて、今は報告書だ。本当に、何を書けばいいのかわからない。どう書けば、紫昏は納得してくれるだろうか。
 体を起こして、未亜はベッドの上にペタンと座り込んで、うーむと考え込んだ。


「とりあえず、この5日間、不審な動きはなかったって……あ、外出しただけでも不審な動きになっちゃうか……ってなると、やっぱり監視役のアタシに被害が……あうう……」


 嘘を書いて後でバレれば、自分が危うい。というか、バレる可能性大だ。
 「ずっと部屋にいた」なんて書けば、朱羽という証人が出てきて、「私が行った時、彼は部屋にいなかった」なんて否定されてすぐバレる。朱羽は、未亜がそれほど厳しい監視役を任されていると知らないので、さっき玲哉が部屋にいないのを見てもあまり気に留めなかったのだ。
 できるだけ真実に近くて、真実に触れ過ぎない程度の文を書けば……、


「……って、アタシにそんな能力ある〜!?」


 学院生の時から文学が苦手だった未亜は、今更自分の情けなさが身に染みた。はぁ……と溜息を吐いて、ふと目を落とすと、朱羽からもらった書類が目に入った。
 一番最初のページの、半分より少し上の辺りに、黒い活字で1行、書かれているのは……「フェルベス皇国侵略計画概要」。


「っ……!? うそッ……?!」


 予想だにしなかったタイトル名に、未亜はバッと破かんばかりの勢いで、次の紙をめくった。そこに書かれていたのは、玲哉が潰したルセイン要塞の惨劇を口実に、フェルベス皇国へ攻め込むという文章だった。


(……また……戦争が、始まるんだ……)


 思い出された記憶に、未亜は悲しげに眉を寄せた。

 ――6年前にも、バルディアと、バルディアとフェルベスの国境付近にあった小さな国とで、戦争があった。これもバルディアの侵略から起きた。結果は、言うまでもなくバルディアの勝利に終わった。
 未亜は、その戦争で、軍人だった両親を亡くしていた。親戚もおらず、他に頼れる人がいなかった当時11歳の彼女を引き取ったのは、母親の部下であった朱羽だった。だから朱羽は、未亜にとって教官である以上に育ての親なのだ。
 それなのに戦争を憎んでいた未亜が軍に入ったのは、聞いたこともないが、きっと両親と同じ理由。――この国が、この国の人々が、朱羽が、亡き両親が……大好きだからだ。


「……って、感傷してる場合じゃない!大体っ、4つに分かれてる情報部の一番最下位の班隊長のアタシは、ほとんど関わらないだろうし!それより報告書だよ!ホントっ、どうしよう〜〜!!」


 一人で泣き喚きながら未亜は頭を抱えて、玲哉が早く帰ってきてくれることをひたすら祈っていた。





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 追行庇護バルジアー幹部の一人、鈴桜烙獅は、ホットコーヒーを手に持ったまま、停止した。
 しばらく固まっていたが、不意にゆっくりと動き出し、湯気の立つマグカップを口元に近づける。熱いコーヒーを一口飲んで、鈴桜は、机の向こう側に立つ、自分の補佐官・秦堂海凪を見た。


「……どういうことだ?それよりも、それは確かなのか?」
「あれれ、鈴桜さん。このあたしの情報を疑うんですか〜?」


 相変わらずガンマンのような格好をしている海凪は、心外だというふうにわざと肩を竦めて言った。

 フェルベスのシーヴァにある、警護組織リグガースト本部。夢風車亭より少し大きな規模の建物の中には、フェルベスの猟犬ザイルハイドを監視する追行庇護バルジアー幹部二人の執務室が個々にある。そのうち片方は、言うまでもなく鈴桜に割り当てられていて、今、彼らが話している場所はその執務室だ。
 鈴桜は黒い水面を揺らしながらマグカップを机に一度置き、同じく表面が黒い革でつくられているイスに背中を預けた。


「いや……お前の情報が信じられないわけじゃないが……本当なのか?」
「当ったり前じゃないですか。なんなら、何度も言ってあげましょか?猟犬ザイルハイド現総帥・五宮玲哉が、バルディア帝国軍中佐の地位に就きました。猟犬ザイルハイド現……」
「一度言えばわかる。逆にくどいぞ、海凪」
「わざとですもん」
「……上司イジメか?」
「ははっ、わかりました?」
「それで、それはいつの話だ?」
「え、スルーしちゃうんですか」
「キリがないからな」


 つまらなさそうに唇を尖らせた海凪に、鈴桜は溜息混じりにそう言った。鈴桜の反応を面白がっていた海凪は「仕方ないですねぇ……」と言って、ちゃんと報告し出した。


「1週間くらい前の話みたいですよ。その少し前に、フェルベスとバルディアの国境にあるルセイン要塞、あるじゃないですか。あそこの兵士全員切り殺してるみたいです」
「1週間前……か。……遅いな」
「ケチつけないで下さいよー。あの18章の護りゲイルアークに囲まれたバルディアの、ましてや軍部の人事異動の情報ですよ?それが1週間でわかれば超最高ですよ。それだけあたしが優秀ってわけです」
「嘘つけ。奴がバルディア中佐に就いたということは、前中佐のお前の母親は解任されなきゃならない。親に電話でもして聞いたんだろう?」
「あらら、バレちゃいました?近況報告って言って電話してきたのは、アッチですけどね。たまたまですよ。母さんも突然の解任で、この1週間、いろいろと忙しかったみたいです」


 「鈴桜さんには敵わないなぁ」と、海凪は飄々とした様子で笑ってから、顔の前の濃い茶色のテンガロンハットのつばを掴んで少し下に引いた。いつの間にか、その顔から笑みは消えている。


「でも、できるのはココまでです。……追いかけるとなると、難しいですよ、鈴桜さん」
「あぁ。バルディアには入れないからな……ルセイン要塞が潰されたと言ったな。奴は強行突破したのか」
「母から聞いた話じゃ、ルセイン要塞を仕切ってた小隊長の副官を……多分脅したんだと思いますけど、その人に軍部に取り次いでもらったみたいです。それ以外は、全員殺したそうです」
「そうか。しばらく、手出しはできないな……」
「……それから……あたし達には関係ないんですが、少し、気になる話を聞いちゃって」
「?」


 不意に、海凪の声が不安げに揺れた。マグカップをあおって、半分残っていたコーヒー飲み干していた鈴桜は、海凪らしくないその口調に思わず彼女を見た。


「母との電話のバックに聞こえた話し声で……近いうちに、バルディアがフェルベスを攻めるとか、なんとかって……」





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