refrain

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 悲しいことなんて、世界には溢れ返っている。
 そんなものなければ、みんな笑っていられるのに。
 幸いというか、今までまともにそいつ・・・と出くわしたことはなかった。悲しいことに出会っても、オタオタしている時間もなかったからなのだが。
 その時の世界が、硬直したのを覚えている。

―――おい、訃報だ!前剣聖マラガン=モノルヴィーが病死したらしいぞ!!

 前剣聖マガラン=モノルヴィーは、自分の師匠であり、育ての親でもあった。
 稽古では鬼教官だし、普段も偏屈だし、よく怒鳴られていた。叩かれた回数も数え切れない。うるさいジジィだと、ずっと思っていた。
 そんな養父が……死んだ。
(……そういや……親孝行とか、全然してないんだな……)
 「失ってから気付く」なんてよく言うが、そんなの嘘だと思っていた。しかし今、自分の胸に去来したのは……空虚感だった。
 養父の死を自分の目で見たわけではないからか、現実感が乏しい。ただ事実だけ聞いて、ぼんやりそう思っている自分がいる。
 もしかしたら、以前アルフィン村に帰った時、急に切りかかってきたのは……自分の命が残り少ないことを、知っていたからなのだろうか。
 ――アルフィン村へと続くこの道は……自分が現実を認めるまでにかかる時間なのか。

「…………ース……ヒースっ……ねぇ、ヒース!」
 ふと、近くで名前を呼ばれて、軽く腕をとんとんっと叩かれた。我に返ったヒース=モノルヴィーが目に捉えたのは、地平線。自分は道の真ん中を歩いていることを知る。
 そんな視界の隅から、ひょこっと顔を覗かせているのは、ラベンダー色の長髪の人物。健康的には見えない白い肌をしており、儚い印象を醸す女性だった。
 彼女のアクアマリンの瞳と、自分の黒瞳とが合ってから、さっきまでの状況を思い出した。そこでようやく、彼女に突付かれたことを知る。
「……ん……あぁ……悪ぃ。……何か言ったか?」
「………………」
 まったく聞いていなかったヒースがぼんやり問いかけると、女性は何か言いたげな顔をして黙り込んだ。
 彼女は、エリナ――本名、エルウィヌナーシュ=セラエル。フェルシエラのラウマケール第三位の当主の娘だ。要するに、庶民の自分とは一線も二線も画する大貴族のご令嬢である。
 一方、自分は、ヒース=モノルヴィー。灰色の髪、黒い瞳と言った、お世辞にも身分が高いとは言えない容姿だが、剣聖という肩書きを持つ故に、恐らく威厳はそれなりにある。ただし傭兵業界に限る。
 そして今、自分達は、エリナの故郷フェルシエラから、ヒースの故郷アルフィン村に向かう途中だ。
 偏見も厭わずに物凄く大雑把に概略すれば、自分はエリナを屋敷からさらい出し、連れ回している最中だ。しかし念のために言っておくが、首謀者はエリナ本人だ。自作自演のシナリオに、自分は付き合わされているだけなのだ。

「何かあったの?ヒース、貴方……昨夜から、様子がおかしいわよ」
 心配そうに聞いてくるエリナに、ヒースは「あぁ……」と頭を掻いてから、昨日聞いたことを話し始めた。
「昨日……師匠が死んだらしくてな」
「お師匠様が……?」
「親父……あぁ、師匠、育ての親でもあるんだ。親父は、俺の前の剣聖だから有名なんだよ。……だから昨日、宿屋にいたら、どっかの誰かが慌てて報せに来てくれた」
 ……親父が剣聖だった頃は、よくアルフィン村にまで、挑戦者がやって来たっけ。
 俺はいつも、親父が難なくそいつらを蹴散らしていくのを見ていた。で、その気絶させられた奴らを家の中に運ぶのは、なぜか俺の仕事で。……そういや親父、起きた挑戦者たちと、いつも欠かさず話をしていたな……。
 弟子になりたいと言う奴が、何人もいた。でも俺が見た限り、親父が頷いたことは一度もない。……親父は……俺に全力を注いでくれた、ってことなのか……?
「……ヒース……聞こえてる?」
「ん……悪ぃ、聞いてなかった」
「………………。お師匠様が死んで……悲しい?」
「……どうなんだろうな。なんか……あんまりピンと来てないみたいだ」
 エリナの慎重な問いに、ヒースは、彼女が心配したほど悲しくなさそうな口調で、淡々と答えた。
「でも、貴方……昨夜から、ボーっとしてばかりよ」
「あぁ……そうだっけ?」
「………………」
 自覚がないらしい、頭を掻くヒースの返答を聞いて、エリナは何も言わずに目を伏せた。それから……何かを決意したように顔を上げた。

 

 

 

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 アルフィン村まで、あと数日だ。
 エリナのことを考えて、極力野宿は避けている。さらには、彼女は貴族だからという以上に病弱なため、長距離を移動できない。だから必然的に、1日に進める距離はそれほど多くなかった。
 早いところ、フェルシエラから距離を置きたいとは思う。あの街の周辺に長い間滞在していれば、エリナがいないことに気付いたラウマケール側が追いついてくるかもしれない。そうは思ってはいたが、前ほど危機感を覚えなくなった。
 いや、覚えられなくなった……と言う方が正しいかもしれない。ヒースは、ぼんやりすることがさらに多くなった。とにかく、すべてのことが他人事のようだった。
「ヒース、お願いがあるの」
 そして今日も、まだ明るい時間だが、すでに宿屋にいる。もう相部屋に慣れた様子のエリナは、ベッドから降りて立ち上がった。
 イスに座って頬杖をついていたヒースは、緩慢な動きで振り返る。見ると、エリナは胸に手を当て、やけに真剣な顔をしていた。
「やりたいことがあるの。すぐに終わるわ。この宿でできると思うから、少し待っててくれる?」
「おう、わかった」
 本当に話を聞いているのかさえも判別しにくい、平坦な返答。理解はしたが、何も考えていなかった。
 その声を聞いて不安を覚えつつも、エリナは部屋を出て行った。

 ………………………………。

 ……それから、何時間過ぎただろう。
 周囲がやや薄暗いことに気が付いて、ボーっとしていたヒースは、ようやく我に返った。
「……エリナ?」
 部屋の中を見渡してみるが、エリナの姿はない。すぐに終わると言っていたのに、帰りがあまりに遅すぎる。
 もしかして、前の山賊達のように、彼女の身分の高さに気付いた連中が誘拐していったのだろうか。……どちらにせよ、そこまで気の回らなかった自分が悪い。
 とにかく、探しに行こう。そう思って立ち上がった時、ガチャっと部屋のドアが開いた。
 見ると、廊下の明かりに照らされ逆光で見えづらいが、少し申し訳なさそうな顔をしたエリナが立っていた。
「エリナ……遅かったじゃねぇか」
「……ごめんなさい、思ったより手間取って」
「……手間取った?」
 一体、彼女は何をしていたのか。やりたいこと、と言っていたが……手間取るほどのことなのか。
 そこを問い返すと、エリナは少し頬を膨らませて、視線を外して言った。
「とにかく、ついて来て」
「は……?」
「いいから」
 問いには答えず、エリナはただ手招きをする。誘われるまま、ヒースが廊下に出ると、彼女は宿屋の奥の方へと歩いていく。
 首を傾げつつその後についていくと、宿屋の厨房にやって来た。そこに、厨房を担当しているらしい、エプロンを着たおばさんが立っていた。
「そいつかい?」
「ええ」
 おばさんの妙な問いに、エリナは頷く。
 そのおばさんの手前の作業台には、肉の分量が多い野菜炒めの皿が置いてあった。おばさんはそれを持って、厨房の隅のテーブルに持っていく。
 それを置くと、くるりとヒースを振り返って言った。
「はい、どうぞ。召し上がれ」
「……は?俺が?」
「あら?エリナったら、何も言ってないのかい?」
 いきなりのことで、ヒースが思わず自分を指差して問うと、おばさんも不思議そうな顔でエリナを振り返る。ヒースもなんとなくエリナを見ると、目が合った。彼女は慌てて視線を逸らす。
 フォークを片手に持ったおばさんが、呆れたように嘆息した。
「まったく、仕方ないねぇ。いいかい、アンタ。この野菜炒めは、ただの野菜炒めじゃないんだ」
「……確かに、野菜炒めってより、肉炒めっつーか……」
「身もフタもないねぇ、アンタ。でもまぁ、そうだね。何でだと思う?」
「何でって……野菜が足りなかった?」
「アタシの厨房は材料不足だって言いたいのかい!」
「い、いやそういうわけじゃ……」
 思ったことを言っただけなのだが、おばさんに怒られた。頭に浮かんだことをそのまま言ってしまうところが無神経だと言われていることに、彼は気付かない。
 ヒースが困って頭を掻くと、おばさんは「こりゃ強敵だねぇ……」と溜息を吐きながら腕を組んで言った。
「これはエリナが作ったんだよ。アンタのために」
「エリナが……?」
 予想外だった。エリナを見るが、彼女は相変わらずそっぽを向いたままだ。
 おばさんは頬に手を当て、呆れ果てたような口調で語る。
「あんまり詳しいことは聞けなかったけど、どういう生活してたんだか、肉すら焼いたこともないなんて子は初めてだったよ。包丁さばきも、見ていて危なっかしいったらなくて、ほんともう……」
「……ご、ごめんなさいおば様……」
「まぁ、最後の辺りは、それなりに使えてたからよかったけどね。練習しないと上手くならないから、怖がらずにやるんだよ」
「ええ、わかってる。手伝ってくれてありがとう」
 おばさんの優しい言葉に、エリナは彼女を見て微笑んだ。「それじゃあね」と、おばさんはフォークを置いて二人の前から立ち去り、厨房の奥で夕食の下ごしらえを始める。
 それを見てから、エリナはポカンとしているヒースを振り返った。料理に手をつけようとしないヒースに、少しムッとして、
「……しょっぱいかもしれないけど、食べられないこともないから、そんなに警戒しなくて大丈夫よ」
「いや、そうじゃなくてな……お前がやりたかったことって、これか?何でいきなり……」
「……好きなもの、確か剣とご飯、特にお肉って言ってたから」
「……は?」
 囁くような声で返って来た言葉。理解できずにキョトンとした顔をする青年を見て、エリナは短い沈黙を置いた。それから、言葉を考えながら喋るように、ゆっくり喋りだす。
「……貴方、最近ずっとボーっとしてばかりよ」
「………………」
「前みたいに笑わないし、騒がないし……張り合いがないじゃない。お父様のこと……悲しんでるのは、よくわかるわ。村に着いたら、私も、葬儀の準備手伝うから。……だから……ちゃんと話して。一人で悲しんでちゃ……つらいだけだもの。私がそうだったんだから……」
「……エリナ……」
 照れ臭いのか、すぐにプイっと横を向いたエリナの頬は、少し紅潮していた。
 あの無愛想で高飛車なエリナが、ぼんやりしてばかりの自分を心配して、料理を作ってくれた。護衛は自分のはずなのに、自分がエリナに心配をかけているという事実に今更ながら気付き、ヒースは苦笑した。
「……悪ぃな。心配かけたみたいで」
「……まったくよ」
「はは、そうだよな……一人で考え込んでちゃ、心配かけるだけだな。しかしまっさか、エリナに心配されるとはなぁ」
「それ、どういう意味?」
 エリナがヒースを睨みつけると、彼はおかしそうに笑った。その久しぶりのヒースの笑顔につられて、エリナも思わず小さく笑みをほころばせる。
 と、ヒースはその笑顔を意地悪っぽいものに変えると、野菜炒めの肉をフォークで突き刺して言った。
「けどエリナ、俺が好きなのが肉でよかったな。焼くだけだったから、お前でもできたろ」
「……一言多いわよ!仕方ないでしょ、料理なんてやったことないんだから!」
「だが、それならあのおばさんに全部任せればよかっただろ?何であえて自分でやろうとしたんだよ?」
「どうだっていいでしょっ!貴方には関係……あるけど、ないんだから!」
「ははっ、何だそりゃ?ま、ありがとな、エリナ」
「あ、貴方……勘違いしてる!絶対勘違いしてるわ!」
「そーかぁ?そうでもいいけどな~」
 言葉が支離滅裂なエリナの動揺っぷりに、ヒースはニヤニヤ笑いながら野菜炒めを食べる。確かにちょっとしょっぱかったが、生まれて初めての料理で数時間かけてこれなら、彼女はもっと上手くなれるだろう。
 自分でもよくわからないことを言っているのはわかっていたが、思うように言葉がまとまらないエリナは、その恥ずかしさと、何かを察した様子のヒースに対する悔しさとで、顔が赤くなっていた。かと思えば、急にぺたんとその場に座り込んでしまう。
「おい、どうした?数日前の熱がぶり返したか?」
「……頭に血が上って立ちくらみを起こしただけ……ああもう貴方のせいよ!」
 まるで子供のような様子で、びしぃっ!と、エリナは悔しげに食事中のヒースを指差した。あながち間違ってもいないその言葉に、しかしヒースは笑っていた。