rapportⅡ

Pride 03 再認

「ん……」
 ふと、意識が戻ってきた。薄目を開き、狭くてぼやけた視界で、ボーっと映るものを見つめる。
 煌びやかなシャンデリア。花のエンボス加工の白い天井。
 ……ああ、ここはラヴァンの家か。そういえば徹夜だったから、そのままソファで寝たんだっけ。
「ルナ、おはよう」
「あ……ラヴァン。おはよー……結構ぐっすり寝ちゃってたみたいだね……」
 目覚めたルナがソファに座り直すと、変わらずこの応接間にいたラヴァンが声をかける。目を擦りながら辺りを見るが、確認のために探し求めた二人は見当たらない。
「あれ……サリカとミオネちゃんは?」
「屋敷内にいるはずだよ。ちょっと調べ物するために出てる」
「あはは……謹慎って言われた割に、司教がいなかったら好き放題だね」
「言うことを聞く義理なんてないだろ。バレなきゃいいし」
 なんてことをサラっと言うのだから、不良である。表は真面目、裏は不真面目なラヴァンらしいというか。ルナは思わず小さく笑った。
 ラヴァンはなんとなく気に入らなさそうな顔をしてから、何気ない動作でパチンと指を鳴らした。それに応えるように、ルナの背後の方から音がする。
 振り返ると、そこには目立ちにくいが1つのドアがあった。そこを通って隣の部屋からやって来たメイド服姿の若い女性が、キョトンと目を丸くしているルナの横を通り、ラヴァンの隣まで来る。
「ティエリ、昼飯を頼む。来る頃には、サリカ達も帰って来るだろうから4人分で、この部屋まで」
「かしこまりました、お坊ちゃま」
「あ、もちろん、ミオネが来たことや屋敷内を歩き回っていることは、お袋には内密に。みんなにそう言ってくれ。まぁ、あの人のことだから勘付くかもしれないけど」
「ふふ、それもそうですね。承りました、皆に申し伝えます」
 ラヴァンのこともマリティアのこともよく知っているらしい、ティエリと呼ばれたメイドは、ふふっと笑った。そして一礼し、洗練された動作で身を引いて隣の部屋に戻っていった。
 ドアが閉まったのを見届けてから、ラヴァンはふとルナを見て、ぎょっとした。ルナの両目がキラキラ眩しく輝いていたからである。
「ラヴァン、本当に貴族なんだね!すごい、なんか一人前って感じでかっこよかった!!」
「か、かっこよかったって……到っていつも通りだよ」
「だって、指ぱっちんでメイドさん来るなんて思わなかったし!」
「ここは応接間だぞ?隣にメイドの控え室があっても何の不思議もないよ」
「こう、人に偉そうに指示する感じ!ラヴァンのイメージからできそうにないって思ってたけど凄い合ってる!」
「どさくさに紛れて馬鹿にしてるな!?」
「あはは~♪ でも、本当にかっこよかったよ!」
 少しだけ貶されたような気がするのに、あどけない輝く笑顔で締めにそんなことを言われたら、誰だって丸め込まれてしまうだろう。
 これだからコイツには敵わない。ラヴァンは溜息を吐いてうつむいた。
 格好良かったと言われて、もちろん悪い気はしない。相手が相手だし、照れ臭さで頬が紅潮しているのがよくわかる。
 ――例えそこに、深い感情はないのだと知っていても。

「……ルナ」
「ん?」
「サリカって、かっこいいよな」
 ラヴァン自身、本心から思うことだ。顔を上げてラヴァンがルナに同意を求めると、ルナは目を瞬いてから――視線を逸らした。
「……えっと……うん、まぁ、かっこいい……よね?」
「………………だよなぁ……はぁ……」
「へ?? ラヴァン、どうかしたの?」
「ルナのせいで頭痛が……」
「ちょ、どーゆーこと?!」
 同じ言葉なのに、対象が違うだけでこんなにも言葉の重さは変わる。それは自分だって同じだし、誰だってそうだろう。だから仕方ないのはわかっている。頭では。
 額を押さえて、深い深い溜息を吐いた。いっそミオネみたいにオープンになれたらと一瞬思って、いやあれはミオネだから許されることで自分がやったら不審者だと冷静に自分を諭す。
「あ、ところで……ミオネちゃんって、本当に、その……」
「………………」

『……何も言わないでくれ……わかってるから』

 ――今朝、ミオネが来て去った後。ルナの事情説明を求める声に、自分が返した言葉の本当の意味に、彼女は気付くことはないだろう。
 一抹の寂しさを呑み込んで、でも隠し切れず、ラヴァンは寂しげに微笑んだ。
「……大丈夫だよ。サリカには、もう好きな奴いるから」
「え?え、ええぇっ!? な、何でラヴァンが知ってるの?! 昨日、再会したばっかりでしょ!? も、もしかして、私に隠れてこっそり連絡とってたとか!?」
「ないない」
「ずるい!なら私だってラヴァンと文通でもしてたよ!」
「いや話がずれて来てるって」
 動揺しているのか、随分騒がしいルナを宥めながら。ラヴァンは、同じ境遇にある妹のことを案じていた。

 

 

 

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 ラヴァンが言うには、母がウィガール伯アロシスの肩を持つようになったのは、8年前のことらしい。
 当時、ラヴァンは12歳。だから当時何があったのか、あまり覚えていないという。
 ただ、その頃から「ウィガール伯爵には関わってはいけない」と言われるようになった……と。
「8年前……ミオネは8歳です。なので、まったく覚えてないです」
「……そうか……」
 ニーベルヘック公爵家の屋敷内。とある一室で、ミオネは1枚の紙を片手にサリカに言う。同じくサリカも紙を見つめながら、相槌を打つ。
 ミオネは、その紙を丁寧に紙の束の上に置いてから、うっかりその紙達が飛びそうなくらい大きな息を吐き出した。
「はうう、難しい書類ばかりです……」
「……やっぱり、この山から探すのは、少し無理があったかな?」
 書斎の机の上に重ねられた無数の紙の束。恐らく500は軽いだろう枚数に、サリカは今更苦笑いした。
 磨きぬかれた紫檀の書斎机。広間くらいの規模はありそうな部屋に整然と並ぶ本棚には、びっしり本やファイルが詰め込まれている。
 ニーベルヘック公爵家当主の、書斎の間。司教ではなく、公爵当主としてのマリティアの仕事部屋だ。
「8年前の書類だけ引っ張り出して、この量とはねぇ……」
「母上がいないうちに調べてしまいたいですね……くうう、紙なんかに負けたくないです。もっと頑張るです……!」
「無理しないようにね」
 知恵熱か、フラフラしながら次の書類を手に取るミオネ。結構な激戦らしく、サリカはくすくす笑って、自分の手元の紙に目を落とす。
 すでに何枚もの書類を見ているが、どの貴族とどういうやり取りをしたかや、客人を招いての宴会など、細やかに記されている。教団関連の内容はなく、そちらは聖堂でまとめられているのだろう。結構な枚数を見てきたはずだが、いまだにウィガール伯とのやり取りが記載された書類はない。
 今朝、初めて目にした、ニーベルヘック公マリティア。
 ミオネの言う通り、物凄いカリスマ性を感じた。冷静に諭す姿、叱る姿、処分を言い渡す姿、どれをとっても、神と言われればなんとなく納得できてしまうような威厳。
 イクスキュリア司教と公爵家当主とを兼任する、親友の母親。

「……そういえば」
「はいっ?」
「ミオネ、君達の父親は?」
「あぁ、父上はすでに亡くなってるです」
 実にあっけらかんとした口調で、ミオネは返答した。言葉に詰まるサリカに構わず、今まで閲覧した資料をトントンとまとめて、まるで他人のことを語るようにミオネは言う。
「ミオネは、父上のことはあまり覚えてないのです。母上も話してくれないです。だから、全然知らないのです」
「…………それって……写真は、見たことないのかい?」
「父上の写真は、1枚もないです。父上は、ミオネが8歳の時に突然亡くなったです。兄上なら、もう少し詳しいと思うですよ?」
「………………」
「はにゃーん、何か考え込んでるサリカ様、素敵です☆」
 黙り込んだサリカの真剣な横顔を見つめて、ミオネがいつもの調子で言うが、彼は反応しない。さすがに不思議に思うと、青年はすっと、手に持っていた書類を紙の束の上に戻した。
 ミオネは首を傾げてから、何気なく時計を見て、はっと目を見開いた。
「いけないです!お昼に一度、母上は家に戻ってくるです!サリカ様、いったん応接間に戻るです!あわわわ、ま、まずは片付けないとっ……!」
 わたわた紙を重ね合わせ、本棚の一部に戻そうと忙しく動くミオネに、小さく声がかかった。
「――ミオネ。国議はいつか、知ってる?」
「ふえ……?」
 キョトンと、ミオネはライトシアンの双眸を瞬いた。

 

 

 

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 1本、2本、3本。
 ラヴァンの眉間に寄るシワの数を数えて、ルナはぷっと噴き出した。
「ラヴァン、ほんっとーに嫌なんだね~」
「他人事だと思って……自分が一番嫌いな奴に、こっちが悪いなんて塵すら思ってないのに謝りに行かされてるんだぞ?そりゃ不機嫌だよ」
 盛大に大きな溜息を吐き、青年は重い足取りで進む。彼の両隣にサリカとルナもいて、三人並んで案内役の執事の後を追い、廊下を歩いていた。
 時たますれ違う、屋敷内を巡回している教団のゲブラー、要するに自分の同僚。これだけ警備が厚いのは、あんな横暴をしていて敵が多いせいだろうか。
 一昨日の夜に不法でお邪魔したウィガール伯爵家を、今度は真正面からお邪魔している。今回は、司教口添えの正式な謝罪という形で。
「まぁ謝罪はいいとして、情報収集には良い機会だねぇ。ニーベルヘック公が口を割らないなら、結局こっちを頼りにするしかないね」
「うんうん、いろいろ言いたいこともあるしねっ」
 サリカの言葉に続き、ルナも言う。眩しいくらいの笑顔で言っているのが逆に意味深すぎて、追及しようとは思えなかった。もしかして、初対面でやらかしたことよりひどいことになるのではないかと、サリカは笑いながら思った。
 謝罪という言葉が気に食わず、ずっと顔をしかめているラヴァン。ひょいっとルナが彼の顔を覗き込んで、何とはなしに、凹凸の激しいその眉間をつんっと突いた。
「わっ!な、何だよルナ……」
「ほらほらー、本当にそんな顔になっちゃうぞ~。ただでさえ不良なんだからさっ」
「う、うるせー……僕は不良じゃないって。ルナの方がよっぽど……」
「はぁ!? 私の何処が不良だって言うの?!」
 ポロっとこぼれた言葉に、ルナが強気に言い返してくる。昔のラヴァンならこの時点で縮こまっていたが、成長した青年はニヤリと不敵に笑んで。
「だってそんな物言いで、聖女の護衛なんて誰がわかるんだよ?」
「………………べ、別にわからなくてもいいしっ」
「その辺の盗賊の首領だって言われても納得するぞ?」
「ひ、ひどくないラヴァン!? ら、ラヴァンだって、さっきの目付き、歩いてるだけで怖がられるよ!」
「例え目付きが悪かろうが、僕は根っからの貴族なのでね。礼儀ならわきまえてるから問題ないさ」
 フッとポーズを決めて言う様は、なるほど確かに貴族らしく優雅だったから、ルナは悔しそうにその姿を睨みつけた。そんなルナに、サリカがつい噴き出してから言う。
「怖いと思ってた人が、実は丁寧で親切だったら、確かに得点高いねぇ?」
「……く、悔しいっ……わ、私だけ不良ってこと!?」
「いい不良だから心配するなって」
「するよ!! 一応、フィアの護衛って自負があるんだから!」
 ルナがこれだけムキになって喧嘩する相手は、恐らくラヴァンくらいのものだろう。一昨日、彼女に、自分はラヴァンと仲がいいと言われたが、彼女だって負けていない。
 執事の男に導かれ、やって来たのは明るい広間だった。ニーベルヘック公爵家なら応接間にあたる部屋だろう。
 形式にとらわれず、自由な配置がなされたソファ。部屋の中央にはビリヤード台があり、応接というより娯楽をするための部屋のようにも見えた。
 その部屋の窓辺、奥の上座にどかんと座る、ウィガール伯爵アロシス。彼は三人を一瞥してから、「まぁ座りたまえ」と傲慢な態度で言ってきた。引き攣った表情のラヴァンが真っ先に、遅れて二人も、近くのソファに腰をかける。
 アロシスはラヴァンを見て、おかしそうに笑う。
「司教からフローテが謝罪に上がると聞いていたが、毛頭そんなつもりはないだろう?」
「それなら話は早いですね」
「私から情報を仕入れようという魂胆だろう?司教は絶対に明かさないだろうからね」
 遊び呆けているだらしない伯爵かと思えば、こちらの行動を見透かしていたかのようにそう言う。聡明なのか愚鈍なのかわからない。
 伯爵は、執事によって運ばれてきたリンカティーの香りを楽しみ、一口飲んで深く味わってから。こちらを焦らせるためとしか思えない悠長さで、しかも腹立たしいほどに絵になる動作でカップを置いて――すっと、その手の人差し指を立てた。
「ただし、1つ条件がある」
「……どうぞ」
 当然こちらも、ただでは喋りはしないとは予測済みだ。ラヴァンが低い声で促すと、アロシスは笑んだ。
 その笑みが、何処か憐れに見えたのは、『自分』だけだろうか。

「お前の妹、ミオネ=リンリ=ニーベルヘックをこの場に連れて来い」

 

 

 

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「失礼いたします」
 すたすたと広間に戻ってきたラヴァンの後ろで、藤色の髪の少女がスカートを摘み上げて会釈した。
 すっと顔を上げ、ラヴァンに呼び出されてやってきたミオネは、正面のウィガール伯アロシスを気丈に見据える。その背後で、案内役の執事によって扉が閉められる。
 ラヴァンがミオネを呼んでくるまで、今度はマドレーヌを食べていたアロシスは、リンカティーでそれらを飲み下す。彼は、四人を客人扱いする気は毛頭ないらしく、彼らにはお茶を出さずに一人でのんびりしており、ルナが少しだけ羨ましそうに見ている。
「なぜ見ず知らずの私に呼び出されたか、わからないだろうね」
 困惑しているライトシアンの瞳を見つめて、アロシスはおかしそうにくすくす笑う。不快な視線を、ミオネは臆することなく受け止め、毅然と立つ。
「だが、ミオネ=リンリ=ニーベルヘック……すべての原因はお前なのだよ。司教が私をかばうのも、父親が死んだのも」
「……、…………では、ウィガール伯爵様。教えていただけませんか、その根拠を」
 一瞬息を呑み、すぐ問い返すミオネ。しかしその声音は、かすかに震えていた。
 サリカ達が見た、16歳相応の恋する乙女は、そこにはいなかった。気高き心を持つ、一人の貴族としての少女。このイクスキュリアでは、珍しいまでの誇り。
 アロシスは面白いものを見るように彼女を見てから、その横に立つラヴァンに目を向けた。
「フローテよ。父親の死について、何か違和感を覚えたことはないのか?」
「……あの騒動の中で、父は、暗殺者に殺されたと耳にしました。父が恨まれるようなことをしていたのか、当時の僕にはわかりませんでしたが……」
「原因なくして結果は有り得ないだろう」
「ウィガール伯、貴方は何をご存知なのですか?」
 ラヴァンのいつもの気さくな口調も雰囲気も、今はすっかり影を潜めていた。ミオネと同じく、年相応の青年の顔と、貴族としての顔とを持つ青年レセル――ただし詐欺――は、丁寧な言葉遣いで尋ねる。よく似ていて、よくできた兄妹だ。
 ラヴァンの気が急いているのが、サリカとルナとミオネ、彼をよく知る三人には手にとるようにわかった。そしてそれぞれも、同じ気持ちで。
 伯爵は、ミオネに視線を戻して、今朝の朝食でも教えてあげるような軽々しさで。

「8年前、お前は父親に売られるところだったのさ、リンリよ」

 ―――時を止めて、拒絶が襲った。
 四人ともが声を失って硬直する空気の中、アロシスの声だけが悠然と流れていく。
「父親は、どうやらさほどお前を愛していなかったようだ。ある貴族が買いたいと申し出たら、快諾してくれたのだよ」
「……!」
「母親は……ああ、司教のことだな。当時から司教だったが、お前の母親はそれを知って制止をかけたが、自分の子なのだから自分に権利があると父は聞かなかった。すでに、妻への愛も失われて久しかったのだろうさ」
「………………………………」
「だから司教は、父親を殺した。別の貴族に暗殺者を送り込ませ、外部の者が殺したと装ってな」
 淡々と、気楽な口調で紡がれる、言葉。
 理解が追いついていないミオネに、おぞましいほど優しい微笑みを向け――アロシスは言う。
「わかったろう?父親を殺したのはお前なのだよ、リンリ」

 ――次の瞬間、ソファに腰掛けていたアロシスの体が、大きく横に動いた。
 突然、頬に走った衝撃。わけがわからないまま床に倒れ伏した伯爵の胸倉を掴み上げ、ラヴァンが叫ぶ。
「てめぇ、ふざけんな!!! お袋を侮辱して、ミオネを追い詰めて、好き放題言いやがって!!」
 アロシスは昔話をするような気軽さで語っていたが、その内容がミオネにどれほどの衝撃を、傷を与えるものだったか。
 表情をゆがめたアロシスは頬を押さえ、恨めしげに彼を睨みつけて低い声音で返答する。
「フローテよ……私を殴ったこと、覚えておけ……私は、知っていることを言っただけだ」
「何処にそんな根拠がある!! 何でお前がそんなこと知ってる!?」
「ラヴァン……!」
 喰らいつかん勢いで激昂するラヴァン。また殴るのではないかと、はっと我に返ったルナが慌てて制止をかけようとして。
「単純さ。お前の妹を買おうとした貴族も、暗殺者を送り込んだ貴族も、私だからさ」
「……っ!!」
 アロシスの口から放たれた一言は、まるで氷の吐息。
 踏み出したルナの足が凍りつく。立ち尽くしたままのミオネ、至近距離のラヴァンも、皆同様に。
「私と司教との取引は、こうだ。『お前の夫を殺してやる代わりに、私には一切関与するな。さもなくば、お前が夫を殺すように仕向けたことを公にする』」
 恐怖も反省の色もないアロシスは、ただくだらなさそうに、真実を語る。
 彼の声以外に、物音はしない。――と思ったら、不意に別の声がした。
「単純だけど、私達と同じ神官である司教には効果抜群だね。人殺しがフィレイア様に知れれば、破門は間違いなし。さらには、今はカリスマ性で体裁を保っているかもしれないけど、これが周知のことになったら……信頼はすべて消える」
 終始、事を静かに見守っていたサリカだった。皆が席を立つ中、一人だけソファに座ったままだ。まるで知っていたかのように、彼は落ち着いた様子でアロシスの言葉に補足を加える。
「サリカ……知ってたの……?」
「何も知らなかったよ。ただ……ラヴァンとミオネの父親を、マリティア様が殺したかもしれない。伯爵はそれを目撃したか、1枚噛んでいて、司教と取引をしている……っていう推測までなら」

『ミオネは、父上のことはあまり覚えてないのです。母上も話してくれないです。だから、全然知らないのです』

『父上の写真は、1枚もないです。父上は、ミオネが8歳の時に突然亡くなったです』

 父親のことを話さない母。写真にも残っていない父。
 ――亡くなった夫のことを、子供に一切話さない母親が、いるだろうか。
 有り得ることもあるだろう。その夫を、忘れてしまいたいほどに、心底嫌悪していたなら。

「…………僕は……信じない……!!!」

 ギリギリと拳を握り締め、震える声で拒むように吐き出し。ラヴァンはばっと身を翻し、体当たりする勢いでドアを開け放って、部屋を飛び出していった。
「ラヴァン!? ちょ、ちょっと待って!!」
 心配したルナもとっさに後を追い、駆け出す。バタバタとした慌ただしい音が遠ざかっていく。
 ――部屋に残された三人。室内は、相変わらず氷のように凍てついていた。その中で、凍らせた本人が悠長に起き上がる。
 ラヴァンに殴られた頬を摩り、嘆息する。
「……ふぅ……ひどい目に遭った。さて……僕が知っていることは、これですべてだ。あとは好きにするといいさ」
「……ウィガール伯。今回のことに決着がついたら、貴方もただでは済みませんよ」
「フン……だが私は、信頼を失う程度だろう。元より信頼など、誰の間にも持っていないから問題ないさ」
 サリカが、柔らかな物言いだが冷め切った眼差しを向けて言うと、アロシスは薄く冷笑してから立ち上がった。
 そして、そこだけ時が切り離されたかのように、ずっとそこに突っ立っているミオネの横を通る。
「真実を突きつけられてなお、息子に信頼されている司教は……羨ましいほどだ」
 ――通り過ぎざま彼が囁いた言葉は、ミオネの耳に届いて、他には届かなかった。

 ラヴァンとルナが飛び出していった際に、開けっ放しになっていた扉を、アロシスが退出して閉める。……と同時に、脱力したように、ミオネはぺたんと絨毯の上に座り込んだ。
「―――――信じ……られ、ない……です……」
 放心状態から、緩やかに回復しているのか。彼女の唇から言葉がこぼれた。
「母上は……ミオネにも、兄上にも……たくさんの愛情を、注いでくれたです……。確かに……ウィガール伯爵のことは、あったけど……とても優しくて……」
「………………」
「母上が……父上を、殺した……なんて……そんなわけ……、それが、ミオネのせい……なんて……」
「……だから、じゃないかな」
 ソファから立ち、その正面に膝をついて座る。いまだ驚愕から立ち直っていない、何を信じればいいのかと揺れている双眸を見つめて、サリカは微笑んだ。
「司教は、ラヴァンも、ミオネも愛していた。だから、ミオネを売ると言い出した君の父親を殺した。……君を守るために」
「………………」
「親って、そうなんだよね。子供を守るためなら、どんな手段でも使う。子供を守るために、子供と敵対することだってある。おかしなことにね」
「…………ミオネには、わからない、です……子供を守るために、敵になるのですか?それ、おかしいです……」
 立ち上がるサリカを見上げ、ミオネは、泣き出しそうな顔でかぶりを振る。戸惑う彼女に、サリカは手を差し出した。
「なら、本人に聞きに行けばいい」
 ――ラヴァンは、司教のところへ向かったはずだ。