deus ex machina

AgnusDei 02 死にたがりの遺物

 クルセはあのメリハリの効いた体型な上、すらっと背も高く、顔も美人だ。
 出会って数日だが、どうやら学者肌らしく見識も深く聡明で、それはグレイヴ教団大司教という地位が証明している。
 冴えるような銀色の瞳とミントグリーンの髪の容貌も相まって、普段はクールで格好良い。同性のアルトミセアさえも憧れるほどには。
 しかし、今。
「ああんもうレスターったら何度言っても無茶ばっかしてぇ!もうバランス掴んだのぉ?さすが鉄の男☆」
「あぁ、慣れればなんてことはないが……右側にあるものがとっさに掴めないのは不便だな」
「だったらクルセが右側にいるから何でも言って♪レスターの言うことならなんでも聞いてあ・げ・る♪」
「それは助かるが戦闘時は無理そうだな……」
「もぉー、冷静に返しちゃうレスター大好き♪」
「ああ、俺も好きだ」
「きゃーーー♡」
 普段の落ち着いた声音などまるで面影のない甲高い猫撫で声が、まさか同じ喉から発せられているなんて一体誰が予想し得るか。
 温かなスープが入った器を前に、ぼんやりとアルトミセアは目の前の光景を眺めていた。テーブルの向かいにはレスターとクルセがいる。クルセはレスターの右側から、彼の右腕がないのをいいことに彼にベッタリくっついている。そのクルセを放置で、レスターは空になった器を置いた。
 クルセを慣れた様子で体から引き離して席を立ち上がり、おもむろに歩き出したと思ったら、次の瞬間にはその大きな手のひらはアルトミセアの額に当てられていた。
「っ……」
 理解した途端、身体が強張った。呼吸のように自然な動きすぎて、反応が遅れた。額から伝わる手のぬくもりは、あたたかいのに、急激に冷えていくような幻覚を覚える。
 戦闘は、技量もだが、感情の強さによっても大きく左右されるところがある。そういうものを主とするレスターには、武道をかじってもいないアルトミセアの心境は手に取るようにわかるのだろう。血の通った無愛想な顔を変えぬまま、彼は口を開いた。
「……アル、お前は随分、人を怖がるな。俺という個人より前に、人が怖いのか」
「ふむ、そうか気付かなかった。人に恐怖を覚えるというより、かつてリュオスアランがあった範囲に命あるものが存在することの方に恐怖を覚えるのだと推察するわ」
「なるほどな、教皇の証であり絶対の盾と言われていた例のアルカか。……熱は下がったようだな」
 手を離し、用は済んだとばかりにレスターは大きな背を向ける。
 その後ろ姿がドアのないこの室内から出て、壁の陰に消えていくのを見届け、アルトミセアはやっと肩の力を抜いた。スプーンでひとすくい、温かいスープを飲んでから、嘆息とともに吐き出す。
「……あの人、よくわからないわ」
「初対面で理解できたらあたしが聖書の角で殴っているよ」
「………………」
「冗談よ。君がややこしく思うほど、レスターを理解するのは難しくない。彼は思考した通りのことしか喋っていないよ。それ以上でも以下でもないことは思ってすらいないから」
 レスターが置いていった器を持って席から立ちながら、途端に普段通りに戻ったクルセは言う。それでも、納得のいかないアルトミセアの表情は晴れない。
「……クルセとレスターは、恋人同士なのね」
「ふむ、君の感想は客観的には間違いではないが本質的には間違いだね」
「……どういうこと?」
 学者口調の時のクルセは、物言いが遠回しだったりして会話する相手としてはやや話しづらい。アルトミセアが眉をひそめると、クルセはこちらに背を向けた。タルに張ってある水を別の器で掬い、それでスープが入っていた器をすすぎながら、あっけらかんと言う。
「恋人同士ではないよ。あたしはレスターが好きだけど」
「……でも、レスターも好きだって」
「彼は何でも好きよ。むしろ好きなものしか存在しない。誰にでも好きって言うから」
「……そう、なの……?」
 参ったように微笑を浮かべるクルセの横顔には、愛するがゆえの甘さの中にほのかな諦観が映る。諦めたわけではないけれど、本気にされないと肩を落としているような。
 クリーム色のスープの見下ろし、アルトミセアはぽつりと口にした。
「……なら、どうしてかしら」
「え?」
「私、大嫌いだって言われたわ」
 先日の礼拝堂での出来事は、いやに記憶に引っかかっていた。自分が泣き出した途端、レスターは手のひらを返したように態度を変えた。泣き虫は嫌いということか。
 ゴン!と音がして現実に返る。見ると、クルセの手に器はなく、どうやら手を滑らせたらしい。
 彼女は、愕然とした顔でこちらを見つめていた。ただごとではない様子の彼女に、アルトミセアもつられて緊張する。
「……本当?」
「え、ええ……」
「……え?いやいや、嘘でしょう?」
「……? 嘘を吐く理由がないわ……」
「いえ、否定しないと君は大悪党になってしまうんだよ!!!」
「………………え?」




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 レスターとクルセは、同じ故郷で生まれ育った古くからの幼馴染らしい。
 クルセがグレイヴ教団レセル、実質教団を取り仕切る大司教という立場にある一方、レスターは何の肩書きも持たぬ、しかし名の知れた腕利きの剣士。
 その知名度と昔馴染みだということも手伝って、ゲブラーでもないのに大司教クルセの護衛を引き受けているそうだ。
 今回も、「初代教皇アルトミセアが生きている」というクルセの推察のもと、教団で秘密裏に展開していた捜索活動から目撃情報等の手がかりを集め、目星をつけたこの地に二人は訪れたらしい。クルセが単独で向かおうとしたが、事故でもあったら大変と神官たち全員に止められてしまった。結局、レスターを連れていくことを条件にやっと反発を抑えこみ、今に至る。クルセ自身は大喜びのようだが。
 しかし、肩書きもなく、腕が立つだけではここまで有名にはなり得ない。場合によってはただの荒くれ者のイメージともなるだろう。
 剣術の腕はあくまでおまけで、知れ渡っているのはそれよりも、彼自身のその変わり者っぷりの方だ。
「レスターの世界にはね、基本的には2つしかないんだよ」
 すっと立てられた細い二本の指。人差し指と中指の間の向こうに見えるクルセは、アルトミセアにそう語った。
 ここ連日の土砂降りで、教会の外はいまだにそこはかとなく湿っぽい。窓の向こうの空は、雨こそは降っていないが重そうな雲で埋め尽くされている。
 多くの書物が収められた、教会の一室に移動した二人。女性では背の高い部類だろう長身のクルセ並の高さの本棚が並ぶ部屋で、クルセは机のイスに腰をかけていた。向かいには、アルトミセアが背を伸ばして座っている。
 机に肘を立てているクルセは、もう片方の手の指を1本折りたたみ、続ける。
「”好き”か、”どうでもいい”か。自分の知り合い等は”好き”、そのほかは”どうでもいい”。レスターの世界は単純にできている」
「……なら、クルセは、”好き”?」
「そう」
 なるほど、どうりでレスターがその言葉を口にするとやけに軽いわけだ。恋愛感情としての”好き”ではなく、親愛の”好き”。彼の中では、それ以上もそれ以下も存在しないのだろう。

「———でも、一人だけ、いるんだよ」

 遠い目をして、クルセは語る。
「”ラミエル”……ああ、200年間、俗世を離れていた君は知らずして当然かな。ここ5年前くらいの話だし」
「……創生神語?<悪魔>?」
「そう、創生神語の発音で<悪魔、悪霊>……通称ラミエルと呼ばれていた者のことだ。稀に現れ、無差別に人を殺害し徘徊する、どうしようもない外道だ。無感動に淡々と殺していく、まさに”悪魔”だと言われていた」
「……レスターは、その人が」
「ええ、大嫌いだった。そいつはもう……いないんだがね。レスターは今でも許せないようだ」
「………………」
 ——すなわち、レスターに「大嫌い」だと言われた自分も、そのラミエルと同等ということになる。
 だが、片や悪魔の殺戮者、片や不老の初代教皇。自分をどれだけ卑しく過小評価しても、まったく共通点が浮かび上がらない。
 目線が下がっていたアルトミセアの視界には、手前に置いた分厚い本を持つクルセの綺麗な手が見える。その長い指先がすっと本の角を撫でたと思うと、ふと翻った。
「そういえばアルちゃんに、あたしが君を捜していた理由、話していなかったね?」
「え、ええ……」
 おもむろに話題が変えられる。すぐについていけず当惑しながら頷くアルトミセア。
 知的な気配が収束する。ふっと口元に笑みを浮かべたクルセの顔は、すでに学者のものだった。
「グレイヴ教団 初代教皇セフィス アルトミセア=イデア=ルオフシル。グレイヴ教団 第4代目 大司教ナグ=レセルとして、あなたにご教授いただきたく、あなたを捜していた」
 格式張った一言とともに、クルセはその手元の本をアルトミセアに差し出した。
 色褪せ風化した記憶に、ふわりと色彩が灯った。




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 自分たちは今、混沌神語——レスターとクルセは、その後期の言語を話している。
 創生神語は、混沌神語と似てはいるが、言葉の意味そのものが違ったり、細かな差異が厄介だ。
 そもそも創生神語は神の言語なので、人の耳では聞こえないものも存在する。また、創生神語に文字は存在しない。
 これは、その言語を書き記した・・・・・文献だ。
(……予想以上の大仕事だったわ……)
 その文献を眺め、立っているアルトミセアはほうっと溜息を吐いた。
 手のひらサイズの一冊の薄い本なのだが、その表紙や紙には変色やシミが滲んでおり、随分と年季が入っている。ところどころ掠れて読めなくなっている箇所もある。
「術式というのは実に興味深いね。おとぎ話の魔法のようだ」
 ふと、弾んだ声がかけられる。座って食い入るように手書きの文献を見ているクルセに、アルトミセアはそっと訂正を入れる。
「魔法は言い過ぎよ。制限はあるし、構築には基本的に時間がかかるわ。それに、神の力オースを導く素養と、引き起こしたい事象にどの属性がどの程度必要かを把握しなければならないけれど、どちらにも人間には不可能よ」
「現実的に、人間に術式を使うことは不可能ということか。ふーむ、実に残念」
 好奇心旺盛なクルセのことだ、実際に使ってみて確かめたかったのだろう。クルセは苦笑いして首を傾げた。見かけに寄らないおちゃめな面があることをこの付き合いで知ったアルトミセアは、小さく口元に微笑を浮かべた。

 ——いつの間にか、半年が経っていた。
 とめどない時間の流れに慣れてしまった自分には、レスターやクルセに会ったのが1週間前、そんな感覚だ。恐らくラミアスト=レギオルドの二人にとっても。一方、レスターとクルセにとっては、大事な半年だっただろう。
 半年いっしゅうかん前、アルトミセアは、クルセにある仕事を頼まれていた。
 反芻しながら、手元の古い本を見やる。かつてこれは鮮やかな赤い表紙だったのだが、すっかり退色してくすんでしまっている。
 これは、アルトミセアが教団にいた頃、アルトミセア自身が書き込んでいた、いわば手記だ。
 教皇のみが知り得る真実の断片が、そこには綴られていた。

『この本に綴られていることすべてを、あたしに解説してほしい。そこに記されているものだけではあまりに情報不足だったわ』
『あたしは、すべてを知りたいだけだよ』

 言われてみれば、ユグドラシルやエオス、オース、アルカ、術式、グレイヴ=ジクルド、そして神について。その他すべての事象を理解・使役しているのは、アルトミセアだけなのだ。
 そしてその初代教皇は、そのすべてを一人胸に秘めたまま、教団を立ち去ってしまった。今、教団に、それらを知る者は誰一人として存在しない。
(神がわざわざ、次代の教皇にすべてを教えるとは思えないし……)
 200年という時は、人間には長すぎる時間だが、人ならざる者にとっては大した時間ではない。そのせいか、神は次代の教皇を選んでいないそうだ。自分が姿を消してから、教皇の座はずっと空席らしい。
 どちらにせよ、神が親切に次代の教皇に教えてくれるとは思えない。そもそも、自分のこの知識たちは、どれも実際に観測または実体験したものばかりなのだから。
 この手記のメモを頼りに、知っていることすべてをクルセに教授する。それが第4代目 大司教ナグ=レセルの依頼だった。
 自分が教団を立ち去った200年後に、まさか再び教皇としての自分を求められることになると、一体誰が予想し得えただろう。
 しかし……、
(……情報量があまりにも膨大だったわ……術式の構築の理解については感覚的だったし、伝わった気がしないもの……)
 その依頼を受けて半年経つのに、まだすべてを伝達し終えていない。自分でも全容が見えているわけではないから、やっと半分かもしれない。何より、人に何かを教えるという行為がなんと難しいことか。
「壊死、創生、破壊、再生の四属性のバランスか……そもそも一つ一つの要素について熟知していなければ、なぜその属性が必要かも見当がつかないね。次はその属性一つ一つについて聞こうかな。……さて、名残惜しいけど、今回はこの辺で切り上げよう」
 手記にさらさらとメモを書き、最後の一筆を書き切ると、クルセは流れるような動作で席から立った。無言でアルトミセアの顔が陰る。
「あら……もうそんな時間?」
「大司教の仕事もあるから致し方ないわ。あたしももっと話を聞いていたいけれど……次は5日後かな」
「わかったわ、それまでにまとめておくわね」
 事務的な言葉の間に本音を挟み、クルセは残念そうに肩で嘆息した。すでに顔に陰もないアルトミセアは頷く。
 クルセは大司教の業務の傍ら、空いた日にこの地を訪れてアルトミセアに話を聞きに来ている。ここからグレイヴ教団総本山のセントラクスは、一刻ほどで移動できる距離だ。
 と。部屋のドアがおもむろに開いた。当然のように現れたのは、いつもここまで大司教の護衛をしている夕焼け色の髪の男。
「クルセ、そろそろ時間だ」
「きゃあレスターってばさっすがね!今行こうとしたところよ♡」
「……貴方の豹変ぶり、今でも慣れないわ……」
 レスターの前だと即座に変貌するクルセに、アルトミセアは苦笑いした。
 すっと、レスターの隻眼が少女に向けられる。まるで蛇に睨まれた蛙のように、アルトミセアは身を緊張させる。自然と空っぽの右腕に目が行く。
「アルもたまには息抜きしないのか。ここに閉じこもってばかりだと息が詰まるぞ」
「…………私が……不用意に出歩いたら、騒動になるでしょう?」
「あぁ……それもそうか」
 ふっと笑んで、少女は静かな声音で言った。
 いつもこの男には、不器用な笑みを返している自覚はある。無論それがレスターに伝わっているのも重々承知。
 ごまかしきれない困惑。半年経っても、レスターにとって自分は”大嫌い”なままだ。それなのに、彼は初めて会った時から何一つ接し方を変えない。
「レスター、先に外に行ってて!荷物をまとめたらすぐに行くわ♪」
「あぁ、わかった。正面にいるぞ」
 まるで若い少女のような声でクルセに言われ、レスターは部屋を出て行った。彼の存在が遠ざかるのを感じて、アルトミセアはやっと体の緊張を解いた。ふう、と吐息をこぼす。
 それを横目に、クルセは手記や文献を四角い茶色の鞄に押し込み、ダンスのステップのような軽やかさで持ち手を掴んでドアに近付く。
 コツ、とヒールの音が止まった。
「そうだ、アルちゃん。……君に、ずっと尋ねたいことがあったんだ」
 名前を呼ばれ、アルトミセアが意識を外界に向ける。女性は、背を向けたままだった。
「初めて会った時のことだよ」
「……何?」
「森には人喰い狼が出ると巷では有名だった。私達は君を捜索してここまで来たのだけど、レスターはその危険な大狼もついでに狩ってしまおうと森へ入った。まさか君が森の中にいるなんて予想だにせずに」
「………………」
「私達は、初代教皇アルトミセアがこの周辺にいると予測した上で訪れただけで、君がその大狼の噂を見聞済みかどうかまでは知らない。しかし、レスターから伝え聞いた限りでは知っていたと推測する。以上の前提の上で尋ねたい」
 静かな部屋に、厳かな大司教の声が反響する。黒い背中が、やっとこちらを振り返った。
 さまざまな感情が複雑に渦巻き、最終的に何も映せなかった表情だった。

「アルちゃんは……なぜ、あの森にいたの?」

 フラッシュバックしたのは、真っ赤な水面に打ち付ける雨の音。
 滝のような雨さえも震わす、脳を貫く重低音の咆哮。
 萎縮した大気が冷え切った体を締めつける。
 震えが止まらない。

 そっと、ぬくもりが触れた。
 我に返ると、固く握りしめて震えていた拳に、女性の綺麗な手が重なっていた。揃えられた指からほんのりと体温が伝わってくる。
 いつの間にかアルトミセアの前にしゃがみ込んでいたクルセは、少女がこちらに気付いたのを見て、ふっと頬を緩めた。
「大丈夫?」
「…………え、ええ……」
「あのことがトラウマになっているのは理解していたのに。つらいことを思い出させてすまなかったね」
 音もなく立ち上がり、クルセはくるっと踵を返した。何の弁解もせず、何事もなかったように、立ち去ろうとドアを開く。
 質問に答えられなかったわだかまりに突き動かされ、アルトミセアは踏み出してその黒い背に呼びかけていた。
「クルセ、私は……!」
「いいわ、喋らなくて。いくつかある推測をしたけれど、私はそのうちの1つが解に近いと感じているよ。レスターが君を嫌った理由にも辻褄が合う」
「……え?」
 思いも寄らぬ一言に目を丸くするアルトミセア。しかし、肩越しにこちらを見た大司教は、くすりと何処か淋しげに微笑んだだけで言葉にはしなかった。




  //////////////////


 ずっと自分は、「この世界」で生きていたのだ。
 眠りについていたような時。白昼夢のような現実。そんな自分を囲う、白き神聖な箱庭。
 遥か昔のことは忘れても、感覚は色褪せない。ほんのり赤みがかった七色のステンドグラスの光を浴びながら、アルトミセアは深く息を吸い込んだ。
 ざっと100年ほどは大聖堂などで過ごしていたせいで、体の芯に空気が染み込んでいるのか、教会にいると皮肉にも落ち着く。
 開放時間が夕方前に終わり、人気がなくなった教会の礼拝堂。自分の似姿は石像等で伝わっているので念のため人目を避けているが、それ以上に生身の人間と話すのはまだ恐怖が拭えない。
 ——だから。
 深呼吸してふと目を開いた時、正面に人影があったら誰だって心臓が凍るだろう。
「……………………………………………………」
 しかもこちらは、200年、人との関わりを断っていた身だ。ぞっと胸の奥が冷え込んで、とっさの一言も出ず、ただ強張った表情で相手を見返すことしかできなかった。
 こちらの心を見透かしたような、透明な優しい色の双眸。こちらからは読めないその瞳を睨みつけ、アルトミセアは暴れる心臓を宥めながら、やっとのことで言葉を吐き出した。
「………………い、 イロウ ……心臓に悪いわ……」
 人形のような少女がそこにいた。すべてが真っ白な彼女は、色の印象だけは強烈だが、こちらの意識に主張してくるような尖った印象は不思議とない。まったく気配を感じないのもそのせいだ。
 イロウイクウの二人は、半年間、自分の護衛を兼ねてここに居着いている。それでも、いまだにその気配の薄さ、無機質さに慣れることはない。ちなみに、以前 イクウ を使っていたレスターは、今は別の武器を代用している。
 アルトミセアは、あの時が来るまで彼らが人の形になれることは知らなかったが、彼らが言うには2本揃うことが最低条件らしい。

 ——沈黙。

 そう、この二人は、本当に人形なのだ。こちらからアクションを起こさないと、何もせずにそこに無言で佇立している。本物の人形と相対した時、自分がまだ人間であることを実感するだなんて皮肉だ。
 向かい合っているのに何の会話もないことと、正面から直視されていることから来る居心地の悪さ。どうにかこの状況を打破したいと考えて、ふと、先ほどクルセと半年前の話をしたことを思い出した。
「…… イロウ ……そういえば、半年前、貴方たちが私とレスターを助けたと言っていたわね。……でも、」
 なぜ?
 この二人に、それぞれの持ち主を助ける理由があるのだろうか。
 内心戸惑い、言葉が出ないアルトミセアに、白い少女は水鏡のような瞳のまま。
 この付き合いの中、クルセさえも口にしなかったその先を、まっすぐに貫いた。
「キミは……どうして、死にたいの」
「……………………………………」
「今までずっと……生きてきたのに。終わらせてしまうの……」
 ——そう。半年前、あの瞬間まで生きてきた。神の後始末をこなす、ただそれだけのために。
「ボク達は……アルカだから、死ぬことはできないのに……キミは、死んでしまうの……」
 口をつぐんだアルトミセアに、か細い声は平坦な声音で紡ぐ。
 きっと、 イロウ にとってはそれ以上でもそれ以下でもなかったのだろう。
 ……でも。白い少女の瞳に映る自分を見返して、アルトミセアはそっと口を開いた。
「……嫉妬?」
「……?」
「自分たちは死ねないのに……貴方だけずるいって。……私には、そう言ってるように聞こえたわ」
「……『ずるい』……?」
  イロウ はことりと首を傾げ、ゆっくり目を瞬いた。それでも呑み込めないらしく、また反対側に首を傾ける。
 そういえば、彼らの人格は周囲の記憶や思念によって形成されており、感情は恐らくまだ未完成という結論が下されていたような気がする。 イロウ がその感情を自分で理解するのは、まだまだ先のことなのだろう。その嫉妬から、死ぬことは許さないと、 イクウイロウ は自分を助けたのかもしれない。
  イロウ は無表情のまま、また首を傾げて、こちらを見た。……正しくは、それよりやや上を。
「…… イクウ は、そう思うの……」
「俺はレスターを助けたまで」
「ひっ!?」
 すぐ真後ろから無機質な声が唐突に発せられ、アルトミセアはその場で文字通り跳ね上がった。そのままぺたんと座り込んでしまった彼女が、ばっと背後を振り返ると、黒い少年がいつの間にかそこにいた。
「……あ、貴方たち……い、いきなり現れないで……」
「俺は イロウ より気配は強い。気付けないあんたが呆けているだけだ」
 胸を押さえて泣きそうな声で言う少女に、 イクウ は慈悲もなく返す。確かに彼の存在感は、意識にちらつくくらいには強い。しかし今は、 イロウ との会話に気を取られていて気付かなかった。
 アルトミセアは驚きを宥めてから、座ったまま肩越しに イクウ に問うた。
「……あ、貴方…… イクウ は……私じゃなく、レスターを助けただけ……」
「そうだ」
「……そういえば、貴方、レスターと付き合いは長いの?」
「レスターがお前くらいの外見の頃から。俺にとっては大した時間じゃないが、レスターにとってはどうかは知らない」
 はっきりとした主観的な物言いはせず、 イクウ は淡々と事実を答える。
 それはきっと、レスターにとっては”長い時間”だ。推測するに10年くらいか。人間にとっての10年は、長い。
 自分にとっての10年は……恐らく、この二人のアルカと同じ。

 いつの間にか、アルトミセアは前に顔を向けていた。
 頭に過ぎるのは、以前ここでレスターに言われたこと。衝撃が強すぎていまだに焼き付いている光景。
「…… イクウ 、貴方はわかる?レスターは……どうして私が嫌いなのかしら。いえ、嫌いになったのかしら……が、正しいかもしれない」
「前に面と向かって言われていたことか」
「ええ……、…………?」
「上で見ていた」
 まるでその現場を知っているような物言いだ。アルトミセアが彼を振り向くと、黒い少年はすっと上を指差した。つられて見上げると、この礼拝堂の上の方には、2階に相当する高さで張り出した通路があった。そういえば、あの時、レスターは何処からか着地してきたような。
 好かれたいわけではなく、嫌われたくないわけでもなく。なぜ嫌われたのかと、純粋な疑問を抱く少女に、 イクウ は続ける。
「レスターがお前を嫌ったのは、お前が死にたがりだからだろ」
「………………」
「レスターも死にたがりだった。同族嫌悪ってやつじゃないのか」
「……え……?」
 片腕を犠牲にしてまで自分を助けた、あのレスターが?死にたがりだった?
 視線で話の続きを促された黒い刀の少年は、やはり淡白な口調で告げた。

「レスターは、死にたがりをこじらせて壊れた」