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22 信じて待つから

 私が目を覚ました時、辺りはすでに明るくなっていた。……あのまま、泣き疲れて寝ちゃったらしい。
 顔を枕につけていたから、うつ伏せで寝ていた私は、むくっと上半身を起こした。
 息苦しかっただろうに、よく寝返り打たなかったな私……おかげで枕が、涙以外のいろんな意味で濡れてる。うわぁ、き、汚い……洗濯しよう……。
 体を起こした時、布団がぼたっと後ろに落ちた。あれ……私、布団かけないで寝たはずだよね。誰か、かけてくれたのかな……ノストさんかサリカさんしか有り得ないんだけど。

 とにかく、顔を洗いに行こう。泣いたから目腫れてるだろうし……スッキリしたい。
 確か、宿屋さんの前に水桶があったよね……一番近いし、そこでいいや。
 のそのそベッドから下りて、私は部屋から出た。のろのろした足取りで階段を下りる。水桶は、確か玄関から出てすぐ右だった。
 この階段は食堂と直結しているから、下りればすぐそこは食堂、そして目の前には玄関のドアがある。外に出る前に食堂の時計を一瞥すると、5時。私は普段、6時から7時くらいには起きるようにしてるんだけど、今日は早かったらしい。
 目も冴えてるし、二度寝する気にもなれないからいいや……と、私は玄関のドアを開いた。
「………………え」
 開いて……目を見張った。
 この宿屋さんの前には、5段くらいのちょっとした階段がある。その階段の最上段に、こちらに背を向けて座っている人がいた。ちょこんと後ろで結んだ銀髪が、黒い服にはっきりと映える。
「お……お、お、おはようございます……ノスト、さん……」
 当然だけど返事はない。いつもなら別に気にしないけど、なんだか今は物凄く苦痛だった。
 ……私は昨日、ひどいことを言った。顔を合わせられなかった。何を言えばいいのかわからない。沈黙が痛い。
 早朝の街は、やっぱり霧がかっていた。それにプラス、自然が起こした朝靄も重なって、ほとんど目が利かないくらい濃い霧になっていた。手を伸ばしただけで、指先がちょっと霞むくらい。それでもノストさんは、なぜだか凄く存在感があってすぐにわかったけど。
 肌に触れる朝靄が、しっとりとしていて気持ちいい。特に、何を言えばいいのかわからなくて、立ち尽くして緊張している今は。
 そこではっと、私は自分がここに来た理由を思い出した。右の方を見下ろすと、霧にかすんで水桶が見えた。
「す、凄く霧が濃いですね~……全然、遠くが見えないです」
 緊張を紛らわそうとして、適当なことを言いながら私は桶の前にしゃがみ込んで、器を手にとった。水を器に掬いあげてから、そこから両手でぱしゃんっと顔にぶつけた。やっぱり腫れてるらしく、水が目に染みた。
 はぁ、スッキリだ。心まで、とはいかなかったけど……。
「………………」
 ……こんなことしてる場合じゃないでしょ、私。
 ノストさんに言わなきゃいけないこと、あるのに。
 頑張れ私。言わなきゃ、後悔するよ。言わなきゃ……!!

「……あ、あの、ノストさん!!」
 しゃがんだままだった私は、ばっと立ち上がってノストさんを向いて叫んだ。
「あの……昨日は、本当にすみませんでした!!!」
 背中を向けているノストさんに対して、がばっと頭を下げた。まだ終わっていないのに、つかえていたものを叫んだら、すーっと気持ちが楽になるのを感じた。
 そこで初めて、ノストさんが口を開いた。正面を見たまま、静かに言う。
「別に。……事実だからな」
 私はゆっくり頭を上げて、ノストさんを見た。彼の横顔は、相変わらず表情の変化に乏しい。
「……でも私……知ってました。ノストさんが私に何も言ってくれないのは、言いたくないからなんでしょう?知ってたつもりでしたけど……やっぱり、知りたいとも思います」
「………………」
「昨日の私は、子供でしたよね……って、今もまだまだ子供ですけど。だからもう……私は何も言いません」
 言い切った……と思ったけど、なんか変な文章だった。でもそれ以外、説明のしようがなかったから何も言わなかった。とりあえず、昨日からずっと謝らなきゃ謝らなきゃって思ってたから、謝ったらなんだかモヤモヤした気持ちが晴れた。
 ノストさんは、私の言葉を黙って聞いていた。そして少し間があってから、すっと立ち上がった。
「……馬鹿だ」
「な、何ですか」
 ぼそりと呟いた言葉の意味がわからなかったけど、反射的にそう返した。するとノストさんはこちらを振り返り、ダークブルーの目で私を見据えて言う。
「お前は馬鹿だ。相手が吐かないなら、問いつめればいいだろ」
「だってそれは、その人が言いたくないことでしょうし……」
「だから馬鹿なんだ。甘ぇんだよ。仲間だろうが友人だろうが、裏切る奴は裏切る」
「それは、そうかもしれませんけど……私は、その人が自分で喋ってくれるまで待ちます。それに……」
 確かに、裏切る人は裏切るだろうと思う。でもそれはきっと、その人にもその人なりの事情があるんだ。じゃなかったら……大切な仲間、友達を簡単に裏切ったりできないよ。
 けれど私は、その人が喋ってくれるまで待つ。私が簡単に聞いてはいけない領域だろうし、それに喋れないってことは、まだ彼自身の中で整理がついていないんだろうと思う。
 でも、何より……。
 私は精一杯の笑顔で言った。
「私は、その人を信じてますから!ここまで来るのに、たっっくさん助けてもらいました。その人は、何だかんだ言って、最後にはちゃんと助けてくれますから」
「………………」
「ちゃんと、知ってるんですから。ノストさんが、しっかりした人だって。それだけで……十分じゃないですか?」
 普段は無愛想な毒舌魔人だけど、彼は十分に信じられる人だから。だから私は、彼となら旅をしても大丈夫って思える。
 気が付けば、霧が少し晴れてきていた。空を見ると、東の方から太陽が昇ろうとしているところだった。朝靄が、そろそろ撤退時間なのかもしれない。
 ノストさんは、しばらく私の目を見ていた。私も、おずおずとその目を見返す。迷いなくまっすぐ相手の目を見れるノストさんが、少し羨ましかったりする……。
「……知ったような口利いてんじゃねぇよ」
「えへへ……すみません」
 しばらくしてノストさんが不意に言った言葉に私が謝ると、ノストさんは再び前を向いて段の上に座った。
 私は、少し水分を吸ったらしく、なんだか濡れている気がする髪を1回撫でてから、その横に移動した。
「朝ご飯……までには、まだ時間ありますね。あ、隣、座りますねっ」
 許可をもらう前に、私は階段を1段下りてノストさんの隣に座った。ノストさんはずっと正面を見ていたから何かあるのかなって思って前を見たけど、特に何もない。別に意味があって見ていたわけじゃないらしい。この人、そういうの結構多いんだよね……。
「ノストさん、随分早いですね~……何してたんですか?」
「眠い」
「……え、え?もしかして、また徹夜したんですか!?」
「少しは寝た」
「ちゃんと寝ないとダメですよっ!寝ましょう!」
「馬鹿は朝から寝るのか」
「わ、私じゃないですよっ!いくら私でもさすがに夜行性じゃないです!」
「ならほっとけ」
「な、なんか丸め込まれた気が……と、とにかく寝て下さい!」
 私が抗議するものの、寝る気はないらしい。確かに朝寝るのっておかしいけど……でも、やっぱり睡眠は大事だし!
 にしても寝てないって、寝ずの番兵でもしてたのかな……そうだろうなぁ、やっぱり。まぁ少しは寝たらしいし、従う気もないみたいだし、私は諦めて息を吐いた。
「……言っとくが」
 私が諦めて数秒後、ノストさんが喋り出した。
「素性が知れないのは、お前も同じだ。……お前の場合、自分でもわからないらしいがな」
「私も、ですか……?」
 前を向いたまま言ったノストさんの横顔を見て、私はキョトンと問い返した。
 そういえば……確かに私も、素性が知れない一人だ。ルナさんとは激似だし、カノンさんがお姉ちゃんだって話だし。確実にわかるのは、私が村人Aで、剣豪ヒースの娘だってことくらいか。
 なんだ……結局、私も二人にとっちゃ、素性が知れない奴だったんだ。……えへへ、なんだか、怒り損した気分。
 でも、なんかスッキリした。思ってたことぶっちゃけちゃったし、ちゃんと謝ったし、それに……ノストさんが考えてることも、ちょっとわかったし。

 

 

 

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「すみませんでしたっ!!!」
「あぁ大丈夫大丈夫、別に気にしてないから」
 本日2回目。私はばっと頭を下げて大声で謝った。頭を下げられたサリカさんは、随分と軽い口調で笑った。
「それより、私がまだ何か隠してるってよくわかったね?」
 私が頭を上げると、サリカさんは「どうしてバレたのかな」と不思議そうに聞いてきた。
 え……?何て言うか、それは……やっぱり……、
「勘、でしょうか……?」
「あはは、勘か。さすがだね」
「馬鹿は冴えてて当然だ」
「ど、どういう意味ですか!?」
「愚問だな」
「うっ……!」
 途中で割り込んできた、サリカさんの隣に立つノストさんの言葉に思わず食らいついたんだけど、一言そう言われて言葉に詰まった自分が悲しかった……。
「ま、私が隠してるのは、私のことじゃないけどねぇ」
 そう言いながら、サリカさんは前に立っていた私の横を通りすぎざま言った。私とノストさんは、先頭を歩き出したサリカさんの後に続く。っていっても、そんなに距離があるわけでもなく、ほとんど横1列だった。
「え?ってことは……ルナさんについてですか?」
「ん……まぁ、そういうことにしとこうかな?」
 振り返らないまま、サリカさんは楽しそうに笑いながら言った。……何なんだ、その曖昧な返答!気になる~っ!!

 今、サリカさんが見つけたっていう、カノンさんの家に向かってる途中。
 今日は、サリカさんが朝ご飯を作ってくれた。宿屋さんで朝ご飯を食べて、私がお願いして枕を洗濯してから、出発してきた。
 サリカさんにも謝ろうと思ってたんだけど、なんだかチャンスを逃してばっかりだった。サリカさん、いつも通りだったから切り出しづらかった。でもやっぱり謝りたかったから、今、歩いている途中で、先頭のサリカさんの前に回り込んで謝った。邪魔だったと思うけど。
「さてノスト、どうしようか?カノンは強いよ?」
「うるせぇ黙れ詐欺師」
「や、やっぱり……カノンさん、やっつけちゃうんですか?」
 街角を曲がると、霧が張っててやっぱり弱い太陽の光が当たる路に出た。作戦会議らしい会話をする二人に、私は怖々聞いてみた。サリカさんは「うーん」と困った顔をして、
「自分を倒さないと街は元に戻らないって、カノンは言ってたけど……あまり気は進まないね」
「なんとか説得できないでしょうか?」
「てめぇの話になんざ耳貸すかよ」
「……聞いてくれないと思います」
 多分ノストさんはいつもの毒舌のつもりだったんだろうけど、確かに実際聞いてくれなさそうだ。はぁ、と溜息を吐いてカノンさんを思い出す。あの頑固な感じ……やっぱただじゃ聞いてくれそうにないなぁ。
「どっちにしろ、カノンには勝てない。なら、説得してみるしかないんじゃないかな。それか土下座でお願いしよう♪」
「ど、土下座ですかっ!?」
「はぁ?一人でやれ」
「ノストが土下座って想像つかないなぁ~」
 た、確かに……!いっつも偉そうだから!デカイ態度でイスに座って足組んでるイメージしか出てこない!
 でもでも、私もさすがに土下座はなんか嫌だ。負けましたって感じがしてなんか嫌だ。軽々しく「土下座しよう」って言うサリカさん……プライドってモンがないんですか!人のこと言えないけど!

 剥き出しの水路の上にかかっている橋を渡って少し歩いたら、霧でよく見えないけど、前方にうっすらと大きな建物が見えてきた。もう少し近付くと、三角屋根の下にぶら下った鐘のシルエット。ってことは、ここは……、
「教会……ですか?」
「そう。オルセスは司教がいる街だから、教会っていうより聖堂だね。町や村にある、司祭が仕切っているのが教会。聖堂より、少し規模が小さいだろ?」
「あ、そういうふうに分けられてるんですか?なるほど~……」
 グレイヴ教団総本山のセントラクスは大聖堂、司教がいる街は聖堂、司祭が仕切る町や村は教会。ってことは、アスラのは教会……ってことか。なるほどなるほど。
 私達は、教会……じゃないや、聖堂の前で立ち止まって、見上げてみた。近くからだから、霧がかかっていても大体見ることができた。セントラクスの大聖堂より控えめで、アスラの教会より凝った装飾が綺麗。でもなんとなく漂ってくる神聖さは、大聖堂・聖堂・教会、どれも変わらない。
 ……あれ?ってことは……サリカさん、何も言わないから気付かなかった!何か言ってくれればいいのに……!
「もしかして、カノンさんの家ってここですか?」
「うん、そう。何か思い入れがあるのかなぁ、やっぱり・・・・。さて二人とも、心の準備はいい?」
「あ……ちょ、ちょっと待って下さいっ」
 聖堂の両開きの扉の、縦に長い取っ手を両手で掴んで聞いてくるサリカさんに、反射的にそう答えた。サリカさんは、「そう?」と手を下ろした。

 ここに来て、私は少し迷っていた。
 私は……カノンさんと、いろいろお話してみたい。仲良くなりたい。
 でも、カノンさんは……よくわからないけど、私を嫌っているみたいだった。私に向けられる彼女の目は、決まって嫌悪一色だから。
 そんな私の言葉が……カノンさんに、届くのかな……。
「待つんだろ」
「え?」
 いつの間にかうつむいていたらしく、私はその声にはっと顔を上げた。隣を見上げると、ノストさんは金の装飾のなされたドアを見たまま言葉を続ける。
「相手から喋ってくるのを」
「……あ」
 ……今朝の自分の言葉が蘇った。どんなに怪しくても、自分は問いつめないから、相手から喋ってくれるのを待つ、って……。
 今も、状況は違うけど……カノンさんが何か話してくれるのを待てば、もしかしたら少しは理解しあえるかもしれない……。
「……そうですね……はい!ありがとうございますっ!」
「馬鹿は忘れやすいな」
「ふふっ、そうみたいです!」
 笑うとこじゃないのに笑う私。なんだか嬉しかった。ノストさん、本当にありがとうございます!
 するとサリカさんが、私とノストさんを交互に見て「おやおや~?」とニヤニヤしながら言う。
「フフフ、なんだかいい雰囲気だねー?」
「ど、どういう意味ですか。サリカさん、準備できたので開けて下さい!」
「オーケイ、開けるよー」
 サリカさんは扉を押し開いた。少し古いのか、ギィ……と小さく蝶番が鳴った。
 聖堂の真正面の奥。真ん中より少し上の位置に、色鮮やかな大きなステンドグラス。大聖堂は一面の壁にステンドグラスがあったのに、ここは奥の壁だけだ。やっぱり少し違うらしい。
 真ん中に伸びる青い細長い絨毯。その左右に並ぶ礼拝用の長イス。絨毯は奥にある、三又の燭台が両端に置いてある祭壇の前まで続いていた。燭台には火はついてない。

 その祭壇の前に、彼女は立っていた。
 ……こちらを向いて。