raison d'etre
64 この先にあるもの
ふと、ルナさんは私の手元のお皿を見て、思い出したようにお腹を押さえた。
「あっ、ご飯できたんだ。そうそう、お腹ペコペコだったんだよ~」
「ちょっと待て、盛ってやる」
イソナさんが仕方なさそうに笑って、新しいお皿にゆであがっていたパスタを盛っていく。
ルナさんは立ち尽くしているノストさんと、唖然としている私をよそに、私の正面の席……さっきまでイソナさんがいたイスに座る。すぐに彼女の前に、イソナさんがスパゲティを差し出した。
「わ~、パスタ久しぶり!やっぱり食べ物の中だと、パスタが一番おいしいよね!」
「……え、あ……そ、そう……ですね」
フォークを握って嬉しそうに笑い、私に同意を求めてきたルナさんに、私はぼんやりしながら頷いた。ルナさんも、パスタ好きなんだ……あれ、もしかしてイソナさんが私の好きなもの当てたのって、ルナさんがパスタ好きだから?
くるくる麺を絡めながら、ルナさんは目をノストさんに向け、そこで彼の右手に握られている物に気が付いた。
「あれ……それ、ジクルド?話に聞いてた特徴が一致するし……ってことは、君がノスト?」
名前を当てられたノストさんが、ジクルドを消しながら少し怖い目でルナさんを振り返る。ルナさんはもぐもぐ食べながら1つ頷き、パスタを飲み込むと。
「じゃあ、初めまして。同じ師匠の弟子だったけど、会ったことなかったよね。よろしくねっ」
「………………」
優しい笑顔で挨拶をするルナさんを、ノストさんは何処か警戒したような目で見返した。もちろん返事もしない。
その様子に、ルナさんは少し不思議そうな顔をしてから、「あー、なるほど」と一人で納得した。
「そっか。君にとっては、ステラの方が『先』なんだもんね。ステラと似た顔がこんなこと言ってたら、そりゃ変な感じするよね~」
「ルナ、生まれたのは……」
「生まれた順番とか、人間だとか人間じゃないとか、そんなの関係ないよ。大事なのは、その人がどっちに先に会って、どんなふうに過ごしてきたかだよ」
後ろからのイソナさんの言葉にきっぱりそう返し、ルナさんはのん気にパスタを食べる。ずっと呆然と彼女を凝視していた私にようやく気付き、ルナさんは私に笑いかけた。
綺麗で、優しい笑顔。……私とは大違いな。
「……ルナ……さんは……」
私とは、大違いすぎて。
「ルナさんは……私が……嫌じゃ、ないんですか……?」
「ん?どうして?」
掠れる声でかろうじて、そう聞くと。ルナさんは目を瞬いて、私を見つめてきた。
まるで、私が、自分と同じ顔をしているってことに、気付いていないみたいに。
「……どうして」
……私は、こんなにも動揺してるのに。
どうして、貴方は……
「———なんで、そんな平然としてるんですかッ!!!」
だんっと乱暴な音がして腕が痺れた。手に持ったままだったフォークがお皿の縁に当たって、高い音が鳴る。
テーブルを叩きつけて立ち上がった私は、驚いた顔をしている正面のルナさんに言いつめる。
「なんでっ、どうしてなんですか!! どうして貴方は、私を見ても、怒らないんですかっ!!」
「ステラ」
「ノストさんは黙ってて下さいッ!!」
横からかけられたノストさんの声を乱暴な言葉で押さえ込み、私はまっすぐルナさんを見据えて……ううん、睨みつけて言う。
「私は、貴方と同じ顔してるんですよっ!? 貴方の記憶も少し受け継いでるんですよ!? なのにっ、どうして……どうして……!」
……どうして、怖がらないの。
こんなに優しい人の複写だなんて。
そんな人と、同じ顔をしてるなんて。
ルナさんは私とは大違いなんだ。眩しすぎて。
それなのに、同じ顔をしてるなんて。
自分が劣ってるって、突きつけられた気がして。
その嘆きをルナさんにぶつけるのはお門違いだって、ちゃんとわかってた。
でも、目の前にそう思わせた本人がいると、あふれ出した気持ちは収まらなくて。
ルナさんは、思いを吐き出し肩で息をする私を、静かに見据えて……不思議そうに言った。
「うーん……じゃあ、私が怒ればいいのかな?」
「……!!」
……それを聞いて、自分のゴチャゴチャした気持ちの中身を知った。
要するに……私は、非難されたかったんだ。こんな凄い人と同じ顔をしてる自分は、いけない存在なんじゃないかって思って。
だけど、ルナさんのその言葉を聞いて、私はドキっとした。
ルナさんが、フォークを置いて席を立つ。誰も動かない中、テーブルの回りを回ってきて、彼女は私の傍で立ち止まった。
「……あ……」
……ルナさんは、もう笑っていなかった。見上げたワインレッドの双眸が、私をまっすぐ射抜いていた。
体が、震えてた。
……怖い。怒ってほしいって言ったのは、自分だけど……こうして前にすると、怖い。
だって自分の存在が否定されるようなものだから。
声が出ない。足が震えて、立っているのがやっとだ。
ただ、目をぎゅっと瞑ることしかできなかった。
ルナさんの声を、じっと待つ。
ふわっと、温かい風を感じた。
えっ?と目を開くと、視界はオレンジ色に染まっていた。
それから、温かい何かに包まれている感覚に気付く。
……え……?な、なに……どういう……こと……?
「怒らないよ」
何が起きてるのかわかってるから、わけがわからなくて混乱する私の頭の横で、ルナさんの声がした。
突然、私をぎゅっと抱きしめたルナさんは、柔らかい声で言う。
「そんな悲しいこと言わないで。君は君。私は私。どうして怒らなきゃならないの?私と君、違うから、こうして会えたんだよ」
……あったかい。
そういえば私……誰かに抱きしめてもらったの、初めてだ。記憶にあるだけで。
……すごく……安心する……。
「……で、でも……私のこと、嫌じゃ……ないんですか……?」
「嫌じゃないよ。言ったでしょ?私は、ずっと君に会いたかったんだよ。いつか私に会いに来てくれるのかなって、待ってたんだ」
腕を緩めて少し離れたルナさんを、私が不安を隠し切れていない顔で見上げて問うと、ルナさんは当然のように、私と似た顔で微笑んで言った。
大人っぽくて、優しくて、柔らかくて、あたたかな笑顔。
……私を、待ってた。
「私」を。
「ステラ」を。
複写じゃなくて、私を。
……何かが、込み上げてきた。
喉がつかえて、息ができなくなる。
声を出そうとしても、掠れた声しか出なくて。
熱い目の奥から、熱い雫が溢れ出すのがわかった。
「………………、うっ……わぁぁああ———っっ!!!!」
「あれれ、泣かせちゃった」
いきなり自分の腕の中で泣き出した私の頭を、ルナさんは言葉とは反対に困ったふうでもなく、子供をあやすように撫でてくれる。その手が優しくて、また泣きそうになる。
私はお母さんに泣きつく子供みたいに、ルナさんに抱きついて泣いた。
ルナさんに抱きしめられたまま、私は周囲も気にせず、ただずっと、声が嗄れるまで泣きじゃくった。
ただ、ずっと胸の奥に張りつめていた不安が、急激に溶けていくのを感じていた。
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ドアを開いて、硬直した。
どうやら今、入ろうとしたところだったらしく、すぐ目の前にノストさんが立っていた。
ノストさんは、私の顔を見下ろして。
「なな何も言わないで下さいぃいいっっ!!!!」
何か言われる前に、私はばっと飛び退き顔を両手で覆って後ろを向いた。すばらしい反応速度!すっごく恥ずかしくて、顔が真っ赤になるのがわかった。
う、うう……!凄く泣いたから、目が腫れてるんだよ!顔を洗って鏡を見て、うわぁひどい顔……って思って、部屋を出ようとしたらこれだ!
み、見られた……い、いやこういうの何度も見られてるんだけど、やっぱり見られたくないよー!!
「ひゃっ!?」
不意に、頬に凄く冷たいものが当たった。びっくりして横を見ると、ご丁寧に手頃な布に包んだ氷を、ノストさんが後ろから差し出していた。
「あ、ありがとうございます……前から思ってたんですけど、ノストさんって気が利きますよね……」
「確かに、馬鹿には考えつかねぇか」
「う……」
振り向かないままそれを受け取って、私が思ったことを言うと、後ろの方からノストさんがそう言ってきた。思わず言葉に詰まる。う、う~ん……確かに私は、あんまり気配り上手ではないかも……自分のことで精一杯だし。
今、ノストさんが私の顔を覗き込んでこないのもまた、彼の気遣いなんだろう……何気なく、冗談とマジメをちゃんと区別してるんだよね。
氷を、熱を持っている瞼に当てる。あー、気持ちいい……。
さっきのことを思い返す。怒ってって喚き散らしてた、さっきのこと。我ながら嫌な奴だったなぁ……と、小さく苦笑いする。
「なんだか……スッキリしました」
「凡人の分際で俺の干渉を跳ね除けてやかましく騒いでたからな」
「あっ、え、えと……あ、あはは…………ごめんなさい……」
そういえば私、声をかけてきたノストさんに黙ってて下さい!って言ったんだ。うわあ……ひどいこと言っちゃったなぁ。ノストさんは、私を心配して声をかけてくれたんだろうに。
いつもみたいに嫌味っぽく言ってきたから、私は声だけで背後の彼に謝った。いつもならそこで終わるけど、今日は続きがあった。
ぽん、と頭の上に何かが置かれた。
「え?」
何だろうと、上を見上げると……手があった。傍には、ノストさんが立っているのが見えた。
ノストさんは、私をただ見下ろしていた。私も、ただ彼を見上げて……はっと、目の腫れのことを思い出してうつむいた。その頃には、頭の上から彼の手は消えていた。
な、なんだろう……頭ポンってされた。というか撫でられた?なんで?
うーん……今までノストさんのわかりづらい言葉とか、頑張って理解してきたけど、今回は何も言わないしお手上げかも……。
「用は済んだのか」
「あ……イソナさんと話すって用ですか。そうですね、大体は……でも、あははっ……私が立ち向かってイソナさんと仲良くなるはずだったのに、私の方がルナさんに諭されちゃいました」
すぐ後ろから聞いてくるノストさん。私は頷いてから、それに気付き、おかしくなって笑った。
私が喚き散らしても、怒らず、抱きしめてくれたルナさん。微笑んで、自然体で私を受け入れてくれるルナさん。そんなこと……きっと、普通はできないよ。
「ルナさんって……本当に、素敵な人です。だから……」
私は、ノストさんを振り返って。それから……微笑った。
「……だから、ノストさんにも、ルナさんのこと、ちゃんと見てほしいです」
「………………」
「私、ずっとノストさんに助けられてきました。みんなが私にルナさんを見る中、貴方だけは、ずっと『私』を見てくれた。ルナさんじゃなくて馬鹿な私を。それに気付いた時、私、凄く嬉しかったんですよ。『私』を、ちゃんと見ていてくれた人がいたことが」
ノストさんは、きっとそんなつもりなかったんだろうけど、それでも、凄く嬉しかったんだ。今も、まだ覚えてる。
ちゃんと言っておきたい。気持ちは言葉に出すと軽くなるけど、でも私は、こんなに感謝してるんだよって。
きっと、ここに私がいるのは、全部、貴方のおかげなんだよって。
「ここまで来るまでに、いろんなことで助けられました。私、すっごく手のかかる奴だったと思います。だから……ノストさんには、ルナさんが『私』に見えるんですね」
「………………」
「他の人は、逆だから……凄く、嬉しいです。だから、ルナさんのことも、ちゃんと見るようにしてほしいです。……あ、別に自分を卑下して言ってるわけじゃないですよ?私は知っての通りのお馬鹿、ルナさんは優しい人って、それだけでいいんです」
そう、それだけでいいんだ。
私を、「ルナさん」じゃなくて、「馬鹿」って見てくれるだけで。
それと同じように、ルナさんを、「私」じゃなくて、「優しい人」って、見てくれるだけで。
そうやって、区別つけてくれるだけで……私は、嬉しいから。
「………………」
……ノストさんは、何も言わなかった。
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立って見上げる空と、寝転んで見上げる空。不思議だよね、寝転んで見た方が、空は近く見えるんだから。
夜空に煌く光。不意に流れていった星が、本当に掴めそうで。思わず手を伸ばし、そして小さく笑って下ろす。
【真実】もわかったし、ルナさんにも会えたし。心が凄くスッキリしてるからか、気分がいい。最近、ゆっくり星空を見上げてる暇もなかったくらいだもんね。
「あれっ、ステラ?」
「ルナさん?」
それほど高くない教会の平たい屋根の上に寝転んでいた私の耳に、私とよく似た声が聞こえた。体を起こすと、掛かっているはしごからルナさんが上ってきていた。
そう、なんか屋根にはしごが掛かってたから、おっと思って勝手に上がっちゃったんだけど……ルナさんがはしご掛けたのかな?
屋根の上に上ってきたルナさんは、起き上がった私の隣に座り、星空を見上げて聞いてきた。
「随分、遅くまで起きてるね。寝ないの?」
「えへへ……なんか、わくわくして眠れなくて」
「あははっ、まるで明日、冒険に出るみたいな口ぶりだね」
「あ、本当ですね!」
あははっと、似た声を合わせて笑う。不思議と今、彼女と似た声なのが、嬉しかった。
すべてを知って、すべてを受け入れて、今ここにいる私。なんだか明日から、違う日々が待っているような気がして、わくわくするんだ。
星空を見上げて、ユグドラシルの情景を思い出す。
白い光は、無数の魂。
その中にあった、ヒースさんの魂。
……ねぇ、ヒースさん。
私は、「不変」も、確かに1つの幸せだと思いますよ。
私も、【真実】を知りたいと思う反面、心の何処かではそう思ってました。
ずっと、こうしてノストさんと旅できたらいいなって。
でも、私もノストさんと同じで、【真実】を乗り越えたその先にあるものが、幸せだと思いました。
それを信じて、ここまでやって来ました。貴方が描いた想い通りに。
【真実】は……確かに残酷でした。本当に、本当に……残酷でした。
でも私は、みんなのおかげで、それすらも乗り越えて、今、ここにいます。
私は今、この先にあるものが、凄く楽しみです。
貴方には見られなかったものが……見えるかもしれません。
心の中で、遠く遠く、そう語りかけて。私は小さく微笑んだ。
私は……本当に、幸せ者だ。今更だけど、そう思った。
とりあえず一晩ここで過ごしたら、セントラクス方面に戻ろうと思ってる。あとはウォムストラル探しだけだもんね!よっし、気合入れるぞー!
「ところでルナさんは、こんな夜遅くまで何してたんですか?」
「あー、ほら。壁壊しちゃったから、即席で直してたんだ」
「あ……そういえば、何で壁壊しちゃったんですか??」
なんか、結構凄い音だったような……まさか、部屋でトレ~ニング~!とか言って暴れてたとか!?
頭を掻いて苦笑するルナさんに、首を傾げて聞いてみると、彼女はジャケットの右ポケットから何かを取り出した。それが目に入った途端、ぞっと寒気がした。
それは、全長15センチくらいの、全体が紫で染まった短剣だった。や、短剣というか、ナイフというか……柄の先から細くて長いチェーンが伸びていた。
けど、わかった。これ……アルカだ。
「イソナ姉から聞いて、回収してきたアルカなんだ。あ、そういえばステラ達もアルカ回収してくれたんだってね。ありがと、仕事減ったよ」
「ってことは、今、この教会に臨時でいるゲブラーって……」
「そ、私のこと」
その紫の短剣を逆手に持って、ルナさんは頷いた。なるほど、そうだったんだ……。
「このアルカ、こんなナリしてるけど、結構凶悪みたいでさ……」
と言って、ルナさんは短剣の切っ先を、屋根にツンッと突いた。
ガ ンッ !!
「……へ??」
……今、変な音しなかった?しかも、なんか今、振動が……誰かが床を殴ったみたいな。あれ、もしかしてこれの音じゃ、ない?
呆然と目を瞬いてから、首を傾げて辺りを見渡す私に、ルナさんは短剣を持ち上げて言う。
「コイツ、働いた力を何百倍とかに増幅するみたいなんだよね。今も、ちょっと突いただけなのに、ぶん殴ったみたいな振動したでしょ?」
「え、えと……?」
「……うーん、そうだなぁ……あ、あれなんかいいかな。つまりね……」
軽く説明してくれたけど、よくわかんなかった。その様子を察してくれたルナさんは、キョロキョロ周囲を見渡して、この近くに生える一本の太い樹に目を留めた。
それに向かって短剣を放つ。ダーツをするような、そんな軽い手つき。銀のチェーンがその木に向かってまっすぐ伸びていったと思うと、
ドゴォッ!!と、力強い幹が陥没した。しかも、樹はそのせいで上の方を支えきれなくなって、先端の方が真ん中から前に倒れてしまう。多分、寝ていたんだろう鳥達が慌ただしく飛び去っていった。
「………………」
「あちゃー……そうだよね、鳥達も寝てたんだよね。結構大きい音出しちゃったし、悪いことしちゃったなぁ……とにかく、こういうわけ」
声もなく、目を見開いたまま固まる私に、チェーンを引っ張って短剣を回収するルナさんが『やっちゃった』と言わんばかりに言った。
……な……な、何あれ!? ルナさん、力一杯投げたわけじゃないのに、でっかい岩をぶん投げたみたいな感じだったよ?! な、なるほどね……力が何百倍にも増幅される、か……!
「あっぶなかしいよね~、さっさとフィアのとこに持っていかなきゃ」
「じゃあ、ミディアに行くんですか?」
「うーん……私は行けない、かな。行きたいけどね。ちょうどいいし、サリカに持ってってもらおうかな……」
「行けない……?どうしてですか?」
困った顔で言うルナさんの横顔に、私は問い掛けた。道がわからないってわけじゃないだろうし、どうしてだろ?
短剣をポケットにしまい直し、ルナさんはぴっと人差し指を立てて言った。
「ほら私、指名手配されてるでしょ?」
「あっ……」
「……っていうかステラ!君、ルナだ~捕まえろー!って間違えられなかった?! 大丈夫!?」
「あ、あはは……日常茶飯事でした……」
ルナさんが、はっと気が付いて心配してくれる。私は過去のいろんなことを思い出しながら苦笑した。
「あちゃー……ごめんね、私のせいで」
「いいえっ、全然そんなことないです。そのおかげでルナさんのことも知ったんですし、ノストさんやみんなにも会えたんですから」
申し訳なさそうな顔で謝るルナさんに、私は自然と笑って、そう言っていた。
いろいろ大変だったり、つらかったこともあったけど……でも、そういうことも欠けちゃいけない。そういう悲しいことやつらいこと、楽しいことや嬉しいこと、全部あって、私はここにいる。
与えられた記憶じゃなく、私自身が歩いてきた道。
「とにかく……下手に出歩いて目撃されて、スロウに知られたら面倒だからね。指名手配されてからはずっと、この村に隠れて住んでるから、見つかるわけにはいかないんだ。この屋根の上とか、はしご倒しちゃえば絶好の隠れ家なんだよ」
話を少し戻してから、ルナさんはイタズラっぽく笑ってそう言った。
ルナさんは、ずっとタミア村にいたんだ……だからこの半年間、誰にも見つからなかったんだ。隠れて住んでるってことは、村人さん達にも気付かれてないんだろう。ルナさんだし、なんとなくそれくらいやっちゃいそう。
……あれ?? そういえば……、
「そういえば……ルナさんって、どうして指名手配されてるんですか?」
よく考えてみれば……知らない。知っていたのは、スロウさんがルナさんを探してるってことだけだ。
半年前に指名手配にされたルナさん。どうしてスロウさんは、ルナさんを探してたんだろう……?
ルナさんは「あ~、それね」と言ってから、今度はジャケットの左ポケットに手を突っ込んだ。何が出てくるのかなって見ていたら、そのポケットから何処かで見た光があふれた。
「これのせい」
親指と人差し指で持って、ルナさんが見せてくるそれは、周囲に虹色の環を描いていた。
……4分の1の、透明な石。ウォムストラルだ!
慌てて私もスカートのポケットから、4分の3のウォムストラルを取り出す。2つの石が出揃った瞬間、ラルさんの歌が響いた。
壊れし我が身 祝福されし希望よ どうか再構築を 再生の歌を
歌に呼応するように、私とルナさん、それぞれが持つウォムストラルが輝き出した。ふわりと私の手のひらから浮かび上がった石に、ルナさんの石がふわふわ近付いてきて、2つの光が重なっていく。
……そして。光を失い、私の手の上に落下してきたのは、完全に六角形の形を取り戻したウォムストラルだった。
「ウォムストラルが……」
「やっぱり、残りは君が持ってたんだね。よかった」
「あの……どうしてルナさんが、ウォムストラルを持ってるんですか?それに、これのせいで指名手配されてるって……」
3年前の話では、ウォムストラルはカルマさんによって半分にされて、半分をカルマさん、もう半分をスロウさんが持っていったはず。だけど今、最初、半分は私が持っていて、それからフィアちゃんとルナさんが4分の1をひとつずつ持っていた。どうなってるんだろ?
わけわかんないって顔をしてるだろう私を見て、ルナさんは小さく笑って。さらっと、とんでもないことを明かし始めた。
「私、半年前にお城からウォムストラルを盗んだんだ。スロウが持っていったヤツをね」
「……え、えええッ?! だ、大丈夫だったんですか!?」
「あはは、そりゃもう超警備頑丈で、さすがに諦めそうになったけどね。ばっちりスロウに見つかっちゃったから、あんなふうに指名手配されちゃったわけ。見つかるのも時間の問題かな~って思って、それで万が一、見つかった時に備えて、その半分をさらに割ったの」
「わ、割っちゃったんですか……」
「うーん、まぁちょっと可哀想だったけどね……それで半分をフィアに預けた。あの子に預けたら、もう心配いらないよね。フィアはほら、リュオスアランで誰も近付けないから」
「な、なるほど……」
ルナさんの陽気な口調だと大したことじゃないように聞こえるけど、話の内容は凄すぎる……!だってお城に忍び込んだなんて、普通できるはずないよ!っていうか普通は考えないか!
でも、無茶やってるようなのに、ちゃんと考えてるところは考えてる。やっぱりしっかり者なんだなぁ、ルナさん……。
一通り説明し終えると、ルナさんはうーんと伸びて、大の字に寝転がった。視界いっぱいに広がった星空を見つめて、柔らかく微笑んだ。
「君がちゃんと、ここまで来てくれてよかった。師匠にも見せたかったなぁ……」
「……ヒースさん……ですか」
その名前を唇に乗せると……なんだか切ない。記憶上では、私のお父さんである人なのに……『お父さん』じゃないってことが。
もし、彼が生きていたら。【真実】を知った私は……彼をどう見たんだろう。今まで通り、「お父さん」って見れるのかな。……ううん、絶対、「他人」って見ちゃうと思う。
だから少し申し訳ないけど……彼が生きていない現実は、少しだけ気が楽。あぁ、本当のお父さんじゃなかったんだって……それだけだから。
「『お父さん』って呼んでよ」
「え……?」
「師匠は君のこと、ホントに可愛がってたから。君は眠ったままだったけど……それでも、エリナさんと一緒に自分の娘みたいに可愛がってたんだ。君が目覚めるのを……誰よりも、楽しみしてたはずだから」
「………………」
ルナさんの優しい声が、耳朶に触れる。だけど私は……その言葉に答えられず、膝を抱いて正面を見つめた。
……ヒースさん。写真と記憶でしか見たことのない顔。
本当の親子じゃないし、それに私には、あんな凄い人を「お父さん」なんて呼べない。
ルナさんは、私は私でいいって、そう言ってくれた。だけど……自分が人間じゃないって、知ってるから。ヒースさんやルナさんは……私には、眩しいんだ。
でも、いつかもう一度……「お父さん」って、当然のように彼を呼べる日が来たら……いいな。
ノストさんは、遠回しな言葉で背中を押してくれる。そしてルナさんは、優しくて直接的な言葉で包み込んでくれる。
私は隣で寝転がるルナさんを見て、笑って言った。
「ルナさんって、なんだかお姉さんみたいです」
「あははっ、実は私も、妹みたいだって思った」
よく似た顔を見合わせて、二人で笑い合う。初めてルナさんの写真を見た時は、寒気すら感じたのに、今、彼女といるのは凄く心地がよかった。
ルナさんがお姉さんだったら、凄く素敵だ。絶対、憧れで自慢のお姉さんになると思う。
ずっと握っていたウォムストラルを見て、私は微笑んだ。
「あとは……ジクルドとくっつければ、グレイヴ=ジクルドに」
「ならねぇよ」
「……え?」
断ち切るような鋭さのその言葉は、もちろんルナさんの声じゃない。でも……知っている声だ。
その声が聞こえた瞬間、跳ね起きて背後を向き、構えていたルナさんにかなり遅れて、私も後ろを振り返った。
……普通、暗いところに黒いものがあったら、すぐに見失ってしまうはず。
だけどそれはむしろその逆で、不思議と周囲の闇から浮き上がって見えた。
黒の中、目立つ黒は。
「……セル君?」
「……よ。久しぶりだな」
「あ……うん、久しぶり……」
屋根の頂点に立つ黒はセル君だった。私が呼ぶと、静かにそう返してくれたけど……なんだかいつもと違って、冷ややかな印象を受けた。自然と私の声も弱々しくなる。
セル君……何処となく様子がおかしいような……それに、いつの間にいたんだろう。ルナさんも気付かなかったみたいだし。
「君達は……!」
「……うん。ルナ君、あの時以来だね」
「えっ?」
ルナさんがはっと上げた声に、また知っている声がした。セル君の隣からだ。思わず見てみると、いつからそこにいたのか、セル君の隣にはミカちゃんが浮いていた。だけど……その姿は、妙におぼろげで。
ミカちゃんは、セル君とは逆だ。黒いセル君は、この黒の中なのによく目立つ。でも普通なら、黒の中でよく目立つはずの白いミカちゃんは、不思議と周りの暗さに溶けていた。「そこにいる」って意識していないと、すぐに見失ってしまいそうで。
ルナさんが、ズボンのポケットからはみ出ていたものを抜いて、二人に向かって突きつけた。暗くてよく見えなかったけど、不意にそれが金色の光を灯しその明かりで輪郭が見えた。琥珀色の石みたいなものが埋め込まれた銃だ。
ルナさんは、さっきとは別人のような厳しい目で二人を見つめて言う。
「……そっか、迂闊だったよ。君達には、わかるんだもんね」
「あれ……ルナさん、二人のこと知ってるんですか?」
ミカちゃんも「あの時以来」とか言ってるし、やっぱり昔に会ったことがあるんだろう。だけど……ルナさんのその声は、全然フレンドリーじゃなくて、むしろ警戒してるような響きだ。
私が立ち上がりながら聞いてみると、セル君が「まぁ、ちょっとな」と曖昧に答えた。
……これ、どういう状況?セル君とミカちゃんが現れて、ルナさんが二人に銃口を向けてて……一体、どういうこと?
一人、状況に置いていかれている私に、ルナさんが銃を構えたまま言った。
「ごめんステラ……さすがにこの二人相手じゃ、あんまり長くは持たせられないよ……とにかくっ、逃げて!!」
「えっ?!」
そう言うなり、ルナさんは、突っ立っていた私に横から体当たりしてきた!完全に不意を突かれた私は、横にたたらを踏んで、そして最後に屋根の外へ大きく跳び出るっ!
「きゃぁああーーッ!!?」
重力に引かれて落ちる!地面に叩きつけられると思って、私がとっさに頭をかばうと、がさがさと音が耳元を掠めた。
閉じていた目を開くと、目の前にあったのは……木の枝だ。もしかしてルナさん、さっき倒した木をクッション代わりにしたっ?枝が擦れてちょっと痛かったけど、叩きつけられるよりはずっとマシだ。
よ、よくわかんないけど、逃げなきゃ!なんだか嫌な予感がする……!
半ば木の枝に埋もれるようにして受け止められていた私は、なんとかそこから這い出て走り出した。ひとまずは、ナシア=パント内に向かって。
後ろの方から発砲音がして、ドキッとしながらも私は必死で駆ける。
真夜中の閑静な村の中を、闇に紛れて急ぐ。
自分の足音と鼓動、息づかいだけが私の耳に届く。
土を踏む足音を、暗闇が吸っていく。
耳の奥を、自分の大きな心拍音だけが支配する。
喉を通る空気が、異常なほど冷たくて。
……なんだろう。悪寒がする。
凄く、凄く、嫌な予感。
ガッと、手首を掴まれた。
「ッッ……!!」
強制的に止められた私は、緊張で息が止まった。振り向かされたそこにいたのは、黒の中でもやけに目立つ、セル君。
「悪いが、逃がさねぇよ」
ぞっとした。
私を見据える紺色の眼が、いつもと違って冷酷な光を宿していて。私は、背筋を凍らせた。
……怖い。
セル君が、怖い。
なんで。
この人は、誰?
怖いっ———!!!
キンッ———
見開いていた視界の中に、周囲の大気が凍てついたのが映った。……私の中にあるカノンフィリカが、発動する直前に発する、冷気。
あふれんばかりの恐怖が引き金を引き、カノンフィリカの冷気が、私の手を掴んでいるセル君の腕に絡まるようにまとわりつき、
四散した。
「……え……?!」
普段なら慌てていたはずの力の発動をぼんやり見つめていた私は、思いもしなかった結果に思わず声を上げた。
いつか、マオ山道で山賊のおっさんの手首を凍らせたように、セル君の手首が凍ると思った。だけどカノンフィリカは、なぜか寸前でするりと退いた。どうして……!?
自分の腕にまとわりついて消えた冷気を一瞥して、セル君は確かめるように呟いた。
「……今の、アルカか。途中で結合したのか。で、お前自身の力と連携して、気持ち次第で発動するわけか」
「でも……アルカは、アルカを支配できないから」
ミカちゃんの声とともに、セル君の後ろの方に白い少女が現れる。目を逸らせば見えなくなると思うのに、愕然と開かれた目はミカちゃんの水色の眼を向いて動かない。
闇に溶ける長い白髪が揺れ、ミカちゃんはほんの少しだけ、悲しそうな顔をした。
「……ごめん、ステラ君。友達、なのに……ボクらは、裏切り者だ……」
そう言って瞼を閉ざしたと思うと、その周囲に細かな光の粒が浮かび始める。青白いそれは、私とセル君も囲い込む。
これって、確か……ヴィエルっていうワープっ……!
とっさに抵抗した私の前に、ふわりと近付いてきたミカちゃんが、すっと手を上げた。
「ごめん……」
すとん、と。その手刀が、軽い動作で私の首筋を叩いて……
そこまでだった。
……………………