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38 Recurrence 02 最後の約束

 自信なんてなかった。

 代々セフィスは、自分の死期間近になると、次代のセフィスについて神から啓示を受ける。その選ばれた者の名、住んでいる場所など、探すための情報を与えてくれるとされる。
 その他にも、神は大災害などを予知し、セフィスに語りかける。そのおかげで、シャルティア内の多くの災害は、少ない犠牲で済んできた。
 だが――このリュオスアランを手にしてから、はや5年。自分は一度でも、神の声を聞いたことなんてなかった。
 この5年間、大災害は何度か起きていた。5年前にアルトミセア領を襲った直下地震や、2年前のオルセスの大洪水。しかし、どちらとも、神からの啓示は来なかった。
 だから、現セフィスである自分が批判されていることは知っている。現セフィスは偽者だ、神の声を聞けぬ聖女など聖女ではない――と。それでも、このリュオスアランに認められているのは確かで、自分はそれだけを信じて、その批判を受け流してきたつもりだった。
「………………」
 そんな自分が、神の声を聞けるなんて、思えない。

 礼拝堂の、ステンドグラスの窓を突き抜けてきた色鮮やかな日が照らす、青い絨毯の上。そこに膝をついたフィレイアは、自分の手のひらを見つめた。しばらく凝視した後……すっと両手を組んで祈りの体勢をとり、ゆっくり目を閉じる。
 静かに無に葬られた、神剣のある場所。
 それを知るのは――グレイヴ=ジクルドの正当な所有者でもある、神しかいない。

 自信なんてなかった。
 だけど、やるしかない。
 賭けるしか、ない。

 だから……、
「……神よ……どうか……」
 どうか……

 どうか、その御声をお聞かせ下さい。
 どうか、私の声に――お応え下さい。

 

 

 

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「……イルミナ、それ、マジもんか?」
 聖書を広げ、机に頬杖をついてそれを眺めていたヒースは、彼が読んでいるものとは別の聖書を手に、隣のイスに座った青年に嫌そうな顔でそう聞いた。
 白いコック服姿のその青年は、やや長めの紫色の髪をしていた。前髪だけアップさせて、それをたくさんの妙に可愛らしいヘアピンでバシバシ留めている。
 一応ゲブラー所属だが、普段はこのミディアで料理を作っており、そのせいで、誰の目にもコック服姿が定着しつつある。昨日、スロウにのされたフィレイアの実兄、イルミナ=ロルカその人だ。
「イクスキュリアの司教が直々に鳩飛ばしてきたんですから、間違いないと思いますよ」
「シャルティア参謀ね……そう来たか……アイツも考えたな」
 イルミナは、穏やかな茶色の瞳を、自分の持ってきた聖書に向けたままヒースの問いに答えた。ヒースは面倒臭そうに重い溜息を吐いて、聖書のページをめくる。
 ミディアの、礼拝棟2階、資料室にて。グレイヴ=ジクルドの場所に見当もつかないヒース達は、とりあえずもう一度、最初から聖書を見返してみようということになった。そこにイルミナが手伝うと言ってやってきて、その予想外の事態を伝えた。
 スロウが、シャルティア参謀になった――ということを。
 教団から破門されて、次の日に国の参謀となるなんて、誰が予測しただろう。一体どうやってなったのか……いや、あるいは、国王か国の権力者辺りを脅したのかもしれない。ヒースの剣舞を見て編み出した自分の剣術とラミアスト=レギオルドがある以上、今の彼に怖いものなどない。
「それって、厄介じゃない?参謀って言ったら、ほとんど国を操れる地位じゃないっけ?」
「ほぉ、ルナ、お前意外と知ってるな」
 ヒースと向かい合う位置に座って聖書を黙読していたルナが、ふと顔を上げてそう言った。ヒースがルナに目を向け、珍しそうに褒めると、ルナは呆れた様子で肩を落とした。
「もー、師匠はそればっかり……馬鹿にしないでよね。私だって、いつまでも何も知らない子供じゃないんだから」
「まぁそうだけどな……弟子になりたての時、イクスキュリアって名前を知らなかったのは誰だ?」
「そ、それは……だ、だって私、超田舎から来たんだよ!あの辺で都会って言えば、セントラクスくらいだったんだから!」
「自分の村の教会にいたのが、司祭なのに司教だと思い込んでたり……」
「……だ、だって、司祭と司教って区別つかなかったし」
「さらには、一般に出回ってる聖書すら知らねぇと来た……」
「う、うう~……だって聖書なんて、興味なかったし……あぁもー、師匠の馬鹿っ!! 全部これから覚えていけばいいのーっ!!」
 過去の話をいろいろ掘り返すヒースに、ルナは昔の自分が恥ずかしくなってきて、赤い顔で、我ながら言い訳にしか聞こえない言葉を言い返していき……最後には、さばき切れなくなくなって、ヤケになってそう叫んだ。いつもは冷静なルナの、年相応の一面を見て、ヒースとイルミナは二人でおかしそうに笑う。
 ルナは、シャルティアの南東部に広がる、ナシア=パントという樹海の中にある、タミア村というところの生まれだ。
 ナシア=パントは、「聖域」と称されるほど神秘的なところだ。その中にあるせいか、他の村よりは多少自然に恵まれた生活はしているものの、到って普通の村と変わりないはずのタミア村の知名度は、なぜか意外と高い。教団の教会があるくらいだ。
 ちなみに「ナシア=パント」は、元はもう少し長い言葉から成っていたとされている。しかし、その言葉は混沌神語ではないらしく、混沌神語を修めた高位の神官でさえも訳せなかった。
 文字に表せたところを抜き取って、暫定的にその名がつけられたが、結局、元の言葉を誰も訳すことができず、その仮の名のまま今日まで呼ばれ続けている。だから、その意味さえもわからないままだ。その2語の間に、文字に訳せなかった言葉が略されていると言われている。
「で、話を戻すが……アイツが参謀になったのは、確かに厄介だ。国の軍が、ほとんどアイツの手の内に入ったようなもんだからな。妨害は当然、こっちの諜報もしてくるもんだと考えた方がいい」
「スロウ、頭良いしね~……敵には回したくなかったかも」
 と、ルナが聖書に目を落としたまま、はぁと溜息を吐いて言う。
 確かにスロウは聡明で、剣術は元より、知略にも優れていた。師であるヒースも、彼の意見には一目置いていた。
 そんな相手が、国をほとんど操れる参謀という地位についた。これほどに最高で最悪な、彼にピッタリな地位はない。
「ま、そりゃな……過ぎたことを言っても仕方ねぇ。今の一番の課題は、グレイヴ=ジクルドがある場所を探すこと。あと、余裕があったらスロウ対策……だな」
「そのスロウ対策、レミエッタ公に頼んでみないか?」
「おぉ、そりゃいーな」
 ヒースが一応読み終わった聖書の表紙をパタンと閉じ、うーんと伸びをしながら言った言葉に、ルナでもイルミナでもない、第三者の声が答えた。二人が驚いてドアを振り返る中、ヒースはそのよく知った声の案にそう返した。
 いつの間にかドアの横の壁に、タバコを片手に持った、適度に刈られた濃緑の髪の男性が寄りかかっていた。年は、今より少し若返って、ヒースと同じくらい。
 青い縁の神官服の上に、ゲブラーの証である青緑の上着を肩に羽織っている姿は、サリカと同じだ。腰に回されたベルトには、1本の剣が差してある。
 剣聖ヒースの戦友であり、好敵手であり、知る人ぞ知る剣の使い手。つかず離れず彼とともにいる、影武者と呼ばれる人物だ。
「元帥のレミエッタ公なら、まだ軍部に権力がある。さすがに参謀のスロウよりは弱いだろうが……例えスロウに及ばなくても、ある程度は奴の手駒を削げるだろう。後は……フィレイア様が抗議なされば、また削げる。残りの、削ぎ切れなかった分は……こっちで処理するしかないな」
「フィレイア様は当然、レミエッタ公も信頼できるぜ、カルマ。だからまぁ、なんとかなるな。……って……まさかお前、その取り次ぎ役は俺か?っていうか俺だろ?」
 と、伸び終わったヒースが、こちらに歩いてくる30歳のカルマ=レングレイを恨めしそうな目で見て言うと、その反応を予想していたカルマは、勝ち誇ったような笑みで言う。
「仕方ないだろう、公爵と割と親しいのはお前だけなんだから」
「あぁ、まぁわかってんだけどな……ったく、お前もスロウに負けず劣らず頭良いよ」
 ハメられたのに、ヒースは小さく口元に笑みを浮かべていた。
 スロウは聡明だ。だが、この唯一無二の友人だって負けないくらい聡明だ。いや、もしかしたら、スロウより年上な分、年の功ってヤツでカルマの方が上かもしれない。
 ……なんだか、スロウにも対抗できるような気がしてきた。
 スロウ対策は、彼らが主フィレイアと、レミエッタ公ラスタに頼み、削げなかった分のスロウの手の者は自分達でなんとかする。
 残る問題は、最大の問題でもある、グレイヴ=ジクルドの場所だが――
「あれっ、師匠、何処行くの?」
「グレイヴ=ジクルドの場所、探さなくていいんですか?」
 閉じた聖書をそのままに席から立ち上がったヒースに、ルナとイルミナが驚いたように問いかける。すると、大した理由じゃないのに、彼はそれを妙に説得力のある口調で言った。
「見込みのない捜索はするもんじゃねぇな。だから先に、フェルシエラに行ってくる」
「とか言って、ただ大人しく本読むのが嫌だからでしょう~?って、頭ポンポンしないで下さいよ……子供じゃないんですし」
「ん?あぁ、悪ぃ。癖で」
 イルミナに指摘されて、いつもの癖で、自分が彼の頭に手を置いていたことを知る。呆れ声でそう言うが、イルミナはヒースの手を払わない。彼は、それほど嫌いじゃないらしい。例の公爵の息子辺りは、剣をブッ刺そうとしてくるが。
「えっ、じゃあ師匠!私も行くよ!」
「いや、お前は残れ。大体お前、やることがあるだろうが」
「で、でもっ……!」
 カルマとともに部屋から出ていこうとするヒースを、ガタン!とイスを倒さん勢いで立ち上がったルナが慌てて止める。駆け寄ってきたルナに、ヒースは、彼女の気持ちをわかっている上で、あえてそう言った。
 ルナには、姉がいる。血の繋がりのない上、姓も違うままの義理の姉だが、本当の姉妹以上の関係であると胸を張れる。
 その義姉も教団の人間で、階級はルナの1つ下、ティセド。ルナの故郷、タミア村の教会の司祭は数年前に亡くなっており、その座が空席となっていた。
 司教は、総本山セントラクスから、選び抜かれた優秀なレセルが派遣されるが、基本的に司祭は、その土地の人間がなる。ルナの姉はそれを目指していて、最近まで、セントラクスでレセルへ昇格するため修行中だった。
 しかし一昨日、その努力が実ったらしく、教団が十分に資質があると認め、姉がレセルの司祭候補となったと連絡を受けた。その状態でタミア村の教会を訪れた時点で、彼女は司祭となる。
 昔、ルナは姉と約束した。

『司祭になって、村に帰る時は、一緒に帰ろうねっ!』

 他愛無い約束。でもそれは、ルナにとっては大切なことで。
 だが、スロウの目を覚まさせるのも、彼女にとっては大事なことで。
「あ、あと2日くらいならっ……2日あれば、フェルシエラまで十分に行けるしっ……」
「スロウは俺らがぶん殴って引きずってくっから、お前は自分の姉貴のとこに行けよ」
「……で、でも……」
「なんだ、反抗的だな。先生の言うことは聞くモンだぞ?」
「…………う、うん……わか……った」
 どちらも切り捨てられなくて戸惑っていたルナに、ヒースが安心させるように、うつむき気味な彼女の頭をわしゃわしゃ撫でて言うと、ルナはようやく首を縦にぎこちなく振った。
「……師匠……約束して」
 いつもならイルミナと似たようなことを言って手を払い除けるルナが、大人しく撫でられていたと思ったら、ぽつりとそう言って顔を上げた。手を下ろしたヒースのコートをガシッと掴み、強い目で、迫る勢いで言った。
「絶対絶対っ、スロウより早く、グレイヴ=ジクルドを手に入れて!! 手に入れて……スロウを、呼び戻してッ!!」
 あの日々を、もう一度、呼び戻して。
「……あぁ、わかってる。それが無理でも、アイツの手には渡さねぇよ。約束する」
 力強い声が、耳朶に触れて染み入っていく。しばらく、迷いないヒースの漆黒の目と睨み合ってから、ルナはするりとコートを掴んでいた手を緩め……安心したように微笑んだ。
「約束、破らないでよね」
「おう、当然だ」
 ルナが上げた右手に、ヒースも右手を上げ、右手同士がパンッと鳴る。お互いに信用して事を任せる時によくする、軽い儀式。
 そして二人は同時に背中を向け、それぞれ自分がすべきことを目指して歩き出した。

 ―――それが、ルナが見た、最後のヒースの姿だった。

 

 

 

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 それは、血のようにも見えた。

 夕刻。すでに灯りがついている礼拝堂内。その奥には聖堂や教会ならば祭壇などがあるが、このミディアにはそれがない。
 そのステンドグラスの下。そこに、赤というには若干色素が薄い色と、目に映えるほどの深紅が折り重なっていた。
 それが何なのか――イルミナでさえ、一瞬わからなかった。
「……フィレイアっ!!? フィレイアッ!!」
「あっ、イルミナ!ダメだよっ!!」
 それがフィレイアであると理解した刹那、感情に任せて駆け出したイルミナに、隣に立っていたルナが声を張り上げた。それさえも耳に入らず、イルミナが倒れているフィレイアの傍に駆け寄り、手を伸ばそうとした瞬間、
「ごめんッ!!」
「っ!!?」
 ドンッ!!と、真横から物凄い力で突き飛ばされた。完全に不意打ちで、イルミナは長イスに背中を強く打ちつける。わけがわからず呆然とする彼の背中を、遅れて痛みがじわじわと襲った。
「ご、ゴメン、イルミナ……ちょっと強かったかも。大丈夫?」
 イルミナの視線の先で、さっきまで自分がいた辺りに膝をついたルナが、苦笑いして手を振った。それからすっと真剣な顔になり、少しずつ頭の冷えてきたイルミナに言う。
「イルミナ、フィアが心配なのはわかるけど、慌てて駆け寄ったらダメだよ。リュオスアランがあるんだから。勢いついてる分、強く弾かれちゃうよ」
「……あ……そう、だった……」
 そうだ、フィレイアには盾があった。――そこまで、頭が回らなかった。
 ルナは、そんな自分になんとか追いついて、ほとんど手加減なしでタックルをかましたらしい。あのままだったら、恐らくさっきの何十倍も強い力で弾き飛ばされて、この程度じゃ済まなかっただろう。
「…………なん、で……」
 イルミナは、ぼんやりと、自分の両手を見た。
 フィレイアがセフィスになる前までは、触れることのできた両手。他の兄弟達と川で釣りをしたり、森で果実を採ったりして、それで夕飯が決まる。
 楽しくて幸せだった。それ以上、望むものはなかった。自分は兄弟達と、この大好きな村で幸せに生きて、幸せに死んでいくのだと思っていた。
 ――5年前のあの日、教団の者が村にやって来るまでは。
「何で、フィレイアなんだよ……!!」
 俺の手は……もう、届かないの?
 今、目の前で妹が倒れているのに、それを抱き上げてやることもできない。無力な自分を嘆くと同時に、世の不公平さが悔しかった。その両手で顔を覆ったイルミナを、ルナはやるせない表情で見つめるしかできなかった。
 フィレイアの親友であるルナには、彼の気持ちが痛いほどわかった。確かに親友ではあるが、それは教団に入ってからの話で、ルナは一度もフィレイアに触れたことはない。髪を梳かしてあげたこともない。それが自分にとっても、フィレイアにとっても、どんなに寂しいか……よくわかる。
 しかし、フィレイアはセフィスだ。自分達がどんなに寂しがっても、それは変わらない。変わらない以上、フィレイアはリュオスアランに縛られ続ける。――だから、この関係も、ずっと変わらない。

「…………、ス……は……」
 ――しばらくして、消えそうなか細い声が、二人の間を通った。一瞬の間を置いてから、二人同時に、倒れているフィレイアを振り向く。
「フィレ、イアっ……!?」
「フィア、大丈夫なの!?」
 リュオスアランの範囲内に入らない距離を置いて、二人がフィレイアに近寄ると、淡い赤い髪を床に散らしたフィレイアは、淡い青の瞳を薄く開いていた。それから、うつ伏せになろうとしてゆっくり行動を起こす。
「無理に動かなくていい!」
「私……より、も…………ヒー、スは……ヒースは……何処に……?」
「師匠は、お昼頃にフェルシエラに行っちゃったけど……」
「早く……伝え、なく……ちゃ」
 仰向けからうつ伏せになったフィレイアは、ルナの答えを聞き、やけに疲れ切った様子で呟いて、さらに腕に力を入れて体を起こす。その危なっかしい様に、ルナは一瞬手を伸ばしかけ、すぐにリュオスアランのことを思い出して、悔しそうに手を下ろした。
「……伝えなきゃって……何を?私が代わりに鳩飛ばしてみるから、聞かせて」
「は、い……お願い、します……」
 なんとか座った状態になったフィレイアは、前屈みの体を両手をついた支えたまま、ルナの申し出に素直に頷き……言った。

「神、から……聞けま、した……グレイ、ヴ=ジクルドの、場所を……」