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53 Ash 01 残像に追われた者

 気が付いたら、朝だった。
「………………」
 無言のまま、板張りの天井を見つめて、その事実をゆっくり受け止める。
 いつもなら寝ている間も少しは意識があって、ぼんやりとだが記憶も残っているのだが、昨夜はまったく何も覚えていない。珍しく深い眠りについていたらしい。
 どうやら一昨日の、オルセスでの力の連発が堪えているようだ。吹っ飛ばし1回と、昏倒を2回も放った。いつもなら総計で1回がいいところだ。1日で完全に回復しきれなかったらしい。
 そんなことを寝起きに考えながら、ノストは体を起こした。深く眠ったからか寝覚めは良い。
 窓の外を見ると、太陽が目に眩しかった。……少し遅めの起床だったらしい。まぁいい。気にしない。
 ベッドを降りてドアを開き、廊下に出て。――その違和感に、思わず周囲を見渡した。
 ……おかしい。遅めの起床だったのだから、他の人間は起きているはずだ。ちょうど朝食を食べていてもよさそうな頃なのに……辺りに、人の気配がない。
 とりあえず誰か探してみようと思って、ステラの様子を見てみることにした。彼女の借りている部屋に足を向けかけ、
 ――ふと、昨日のことを思い出した。

『わたしっ……ど、して……こんな、馬鹿……なんでしょうっ……』

 泣きながら、彼女が口にした言葉。
 今まで、弱音は何度か聞いてきた。しかし、自分のことを本気で「馬鹿」だと言うのは、初めて聞いた。
 それを聞いた直後、なんだか、やけに腹が立ったのを覚えている。気付いたらステラの正面に回って、胸倉を掴み上げていた。
 しかし、言いたい言葉が上手くまとまらなかった。自分にしては珍しいことだと、他人事のように思った。
 考えなしに動いた自分が馬鹿らしくなって、結局、何も言わないまま手を離した。その後も、その苛立ちはついて回り、村まで終始無言だった。
 ……今、思い返せば、かなり誤解を招く態度だったかもしれない。嫌われたとか。ステラの方からも話しかけてこなかったし、可能性大だ。……面倒臭い。
(………………仕方ねぇ……)
 誤解を解こう。面倒だが。もちろん口で言うつもりはない。面倒だ。
 大体、あの馬鹿さ加減にいろいろ救われてきたというのに、それを嘆くなんて許されない。悪いのは、何も気付いていないアイツだ。
 改めて、ステラの部屋に向かう。アイツに限って寝坊しているなんてことはないだろうが、もし寝てたら、いつかみたいにまた鼻を摘んで起こしてやろう。今度は窒息寸前で。無知なことへの罰だ。罪には罰を。
 ステラが借りている部屋の前に来て、躊躇いなくドアを開く。部屋に1つずつあるベッドの上を見ると……いない。
 ……ちょっと残念というかムカつくというか、内心で舌打ちしながら、ベッドに近付いて。
「………………」
 ……少し、眉をひそめた。本日、2度目の違和感だ。
 綺麗に整えられたベッド。確かにステラには、乱れたベッドを直す習慣がある。
 しかし……シワが1つもついていない。
 ―――ステラは昨夜、ここで寝ていない?
 なぜ?どんなことがあったとしても、普通、ベッドで寝ることを拒むとは思えない。床なんかよりもずっと良い。
 なら……
(……何か、あった……か)
 ――そう考えるのが、妥当だ。
 が、まったく見当がつかない。自分は深く寝入っていたから、昨夜のことはまったく知らない。
 わからないことは考えていても無駄だ。とりあえず、誰かいないか探そうと、廊下に出た時。
「ノスト、おはよう。起きたんだね。ちょうどいいや、手伝ってくれない?」
 さっきまでなかった、人の気配。声の方向を見やると、裏口の方から、エメラルドグリーンの髪を結い上げた神官が近付いてくるのが見えた。さっきまで外にいたようだ。
 サリカの、いつもの不敵な笑みが浮かぶ顔以外の顔を、ノストは初めて見た。サリカは、本当に焦ったような、何処となく不安が滲む真剣な表情をしていた。
「その部屋に入ったなら、わかってるだろ?ステラがいないんだ。朝から探してるんだけど、見つからなくて……」
 何事かと思ったら、サリカもステラを探しているようだった。つまらないことだったら断ってやろうと思っていたが、それを聞いて口を閉じる。
「昨夜、飛び出して行ったみたいなんだ。てっきり私は、自分の部屋に入ったと思ってたから……くそ、追いかけるべきだった……!」
「……飛び出した?」
 後悔したように言う、サリカの言葉。その一単語を、思わずそう繰り返していた。
 ステラは、何も言わずにいなくなるようなことはしない。それも夜遅くに。
 いつだったか、アスラで彼女から別れた時だって、わざわざ書き置きを残していったくらいだ。あの頃の自分だったら、アイツがいなくなったところで気に留めなかったのに。
 とにかくそれは、一番長く、近くにいた自分がよく知っている。

 ……ダークブルーの瞳を、鋭く細めた。
 それから、少しだけ。無意識に、表情が険しくなるのがわかった。
「―――何をした」
 無意識に出た、低い声。たった一言に込められた、問い詰めるような気迫。
 夜、飛び出して、それ以降戻ってこない。そこまで詳しく知っているサリカは、その 何か・ ・の当事者としか思えなかった。
 最初は、ヒースの娘だからという理由で適当に守ってやっていたが、正直どうでもよかった。だが今は、そうでもない。居場所の件もあるが、何よりアイツをいじれなくなるのはつまらない。
 その声の調子で、ノストの考えていることを読み取ったサリカは、一瞬悲しそうな顔をして。顔を上げた頃には、真剣な表情に戻っていた。
「……ごめん。それは後で話す。……大丈夫、必ず話す。約束するよ」
「………………」
 ――その言葉を、何処まで信用できるか。ただでさえ相手は、詐欺師だっていうのに。しかし、今の彼は、不思議と信用できる気がした。腹立たしいことに。
 とりあえず、今はその言葉を信じることにした。ノストが射抜くような視線を外すと、サリカはホッとしたように頬の筋肉を緩めた。
「じゃあ頼んだよ。私は、もう一度、森の辺りを探してくる。ノストは一通り、村を見て回ってみてよ。もしかしたら、何か見落としがあるかもしれないし」
 背を向けてそう言い、サリカは再び廊下を早足で抜け、裏口から出て行った。
 バタンとドアが閉まり、再び、朝の静寂に包まれる廊下。サリカが消えたドアを、ノストは苛立つ思いで見つめていた。
 自分は手伝うなんて一言も言っていない。それなのに、当然のようにああ言って消えた。何だかんだ言って、結局探すということを見抜かれているのが非常に気に食わない。やはりあのムカつく小賢しい性格は地だ。
 とにかく、今、サリカと話して確信した。
 やはり昨夜、何かあったらしい。『飛び出した』ということは、物音もしていたのだろう。……全然、気付かなかったが。なんて最悪なタイミングなのか。
 失踪したのが昨日の夜ならば、かなり遠くへ行けるはずだ。このタミア村周辺にはいないと考えた方が賢明かもしれない。
 だが、まずは、サリカの言う通り、彼が見落としている可能性もないわけじゃないから、村を見て回ろう。アイツの指示というのが少し癪だが。
 しかし、一体、何があったのか。
 ステラが何も考えず、思わず外へ飛び出してしまうくらい、大きなそれは……

【真実】の断章だ―――

「……?」
 踏み出しかけた足を、止めた。そして、寝起きにもかかわらず常時冴え渡る感覚を、さらに鋭く研ぎ澄ませていく。
 しかし……周囲に人の気配は、ない。
 ……気のせい、か?
 今、声が……

【真実】の語り手 ノーディシルは 残酷な一面だけを口にした―――
尋常でない嫌悪は 人を鬼にする―――

「……誰だ」
 気のせいではなかった。静かな廊下、はっきりと耳に届いた声に、ノストは警戒しながら問いかけた。しかし、この辺りには誰も、何もいない。一体、何処から?
 声は、厳格な口調の、男のものだ。若いようにも、老いているようにも聞こえる、不思議な音色。
 男の声は、ノストに言う。

返答は無意味かつ時間の無駄だ―――
我は貴様の力を消費して外界干渉している 長時間話せば衰弱するのは貴様だ―――

「……なら手短に答えろ。誰だ」
 何だこの上から目線の声は。人のことを言えないのは承知済みだ。
 だが、声は答えるつもりがないらしい。面倒だからなのか、無駄だからなのか。発言の基準が自分と似ているといことに、彼は気付かない。

呼んでいる―――

 遠く、誰かを想うような男の声が聞こえると。
 ノストの正面。目の前に、背景から滲み出るように何かが現れた。白銀の光を放ち、天井に切っ先を向けるそれは――ジクルド。
「―――……」
 すぐ手前の宙に浮いて現れた、見慣れたその銀の光を、呆然と見つめた。
 ……どういうことだ。自分は喚んでいない。勝手に、出てきた――?こんなこと初めてだ。
 凝視するノストの前で、ジクルドはさらさらと、柄の方から煌く銀の砂に崩れていく。一度、拡散した銀の粒子は、再び集合し、今度は普通のそれより一回り大きい、白銀の蝶を象った。ひらひら羽をはばたかせる度に、銀の燐が舞う。

ついて来い コルドシル―――

 契約者コルドシル。その呼び名を聞いて、この声の正体を悟った。自分をそう呼ぶのは、恐らく二人(?)しかいない。
 銀の蝶は、ノストを誘うように飛んでいく。廊下をひらひら飛翔し、突き当たった裏口のドアに、スゥっと溶けるように消えていった。
「……何をさせたい」

何度も言わせるな 無駄な問答は貴様の力の浪費だ―――

「………………」
 声の正体がわかった今だから、その言葉の意味がわかる。
 ジクルドの力を使う時、ノストは自分の力を引き換えとする。それと同じで、ジクルドが話しているのも、自分の力を使っているのだろう。勝手に。つまり、ジクルドが長く話せば、その分が自分に跳ね返ってきてバテる。
 ……物凄く面倒だ。こっちは聞きたいことがたくさんあるのに、ジクルドは「無駄な~」とか「浪費が~」とかの一点張り。確かに力を浪費して疲れるのは嫌だが、何も知らされないまま動かされるのも癪だ。
 ウォムストラルと同じで、心が読めたらしい。なかなか動こうとしないノストに、ジクルドが仕方なさそうに一言付け加えた。

案内する 片割れが呼ぶ 我らがアテルト=ステラのところまで―――

 ……アテルト=ステラ?
 初めて聞く言葉に、訝しんだのは一瞬。
 片割れウォムストラルが呼んでいるのなら、十中八苦ステラも一緒だ。

 

 

 

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 外に出た瞬間感じた、鋭い嫌な予感は謎のまま。

『お前は、何も知らない。ヒースが死んだ出来事がすべてだと思ったら大間違いだ』

 以前ミディアで、スロウに言われた言葉が、ふと思い返された。
 ……そうだ。自分は何も知らない。ヒースが話さなかったことを、自分は知らない。そして、自分が知らないそれを、スロウは知っている。

 頭の天辺に落ちてくる冷たい感覚。瞬く間に、前髪が濡れて重くなっていく。
 空を覆う灰色の雲が泣いていた。地面が大分緩んでいるところを見ると、どうやら昨夜からずっと降っているようだ。

 降りしきる雨の中を、銀の蝶は気にすることなく、ひらひらと飛んでいく。それを、足元に気をつけながら追う自分。
 自分が案内されているというのも気に食わないが、大体、何で案内人の形が蝶なんだ。蝶を追いかける子供じゃあるまいし。舐められてるのか?愛剣に。信頼関係ゼロ?別にそんなの最初から求めちゃいないが。
 そんでもって、自分が考えているこういうことは全部筒抜けなんだろう。やはり心を覗かれるというのは、いい気分じゃない。

コルドシル 1つ問う―――

 今までずっと、雨音だけが聞こえていた耳に、遅すぎもせず早すぎもしない、ちょうどいい速度で飛ぶ銀の蝶……もといジクルドの声が入った。なんとなく銀の蝶に目を向ける。

ウォムストラルが完成した暁 貴様はそれをどうする?―――

「…………さぁな」
 正直に、そのことは考えていなかった。
 確かに、ウォムストラルが完成して……それからどうする?下手にジクルドと合体させてグレイヴ=ジクルドにしたら、スロウの思惑通りだ。
 自分の推測が正しければ、3年前に奪われたウォムストラルの半分は、現在、スロウの手元に無い。フィレイアが4分の1クオーターのカケラを持っていたのが証拠だ。その辺りは詳しくわからないが、何かあったのだろう。
 あの後、フィレイアに石を持っていた理由と、それが半分になっている理由を聞いたが、さすがというか上手く受け流された。いつもなら相手が誰であれ、脅しをかけるところだが、あの聖女はリュオスアランの守護もあって肝が据わっているし、恐らく効果はないだろうからやめておいた。
 故に今、奴が何もしてこないのは、恐らく、自分達がなくなったウォムストラルのカケラを見つけて、神剣を完成させるのを待っているから。
 グレイヴ=ジクルドを完成させてしまえば、自分はまた、スロウから追われることになる。そうなると、自分が負けた時点で、剣は奴の手に渡る。
 かといって完成させないままだと、ステラの手元に完成したウォムストラルが残り、今度は彼女がスロウに狙われる。ハンデがつく分、まだ2つに分離している状態だから、もし石を奪われても、自分がジクルドをどうにかすればいい。……どうにかなるのかわからないが。
 大体、ラミアスト=レギオルドの力さえなければ、あんなに遅れはとらないのに。使う暇を与えなければいいとはわかっているのだが、純粋な剣術の戦いだとスロウは自分と同等だし、思うように上手く行かない。よくもまぁヒースは、あのデカイ大剣+生闇の精神侵食3分の1の状態でスロウと渡り合ったものだ。

我は 我らをもう一度 結合させることを推奨する―――

「……お前の希望か?」
 なんて聞かなくても、そんなつもりはないだろうというのはわかっていた。が、思わず冗談のようなことを聞かずにはいられなかった。
 自分の目的は、グレイヴ=ジクルドを完成させないこと、そしてスロウの手に渡さないこと。それなのに、完成させろ?グレイヴ=ジクルドに、元に戻りたいのか?死ねと言っているのか?
 ジクルドは、その冗談には答えなかった。恐らく無駄かつ面倒だから。
 代わりに、ノストの頭の中で広がる考えに対し、淡々と。

我らを何だと思っている? 遺物は雑魚以下だ―――

 創世の剣グレイヴ=ジクルド。望むものを消滅させる、常識の通用しない存在。
 グレイヴ=ジクルドなら、ラミアスト=レギオルドなんて敵ではない。……そう言っていた。
 が、グレイヴ=ジクルドは元々、神と同調し、神と力を振るった剣。神でしかその力を十分に引き出すことはできない。
 だから、例え不老でも人間でしかない自分に、グレイヴ=ジクルドの力を扱える保証はない。そう考えると、ジクルドのままの方が良い気もする。
 どうしようかと考え込んだノストの前にあった崖を、銀の蝶がふわりと下っていく。
 見たところ、結構な高さがある。ノストは、いったん、地面が途切れている手前で足を止めた。雨も降って土も緩んでいるし、あまり行き過ぎると足を滑らせそうだ。
 村の外れ。途切れた地面の代わり、目の前に広がるのは、もやのようなオースが漂う樹海。
 晴れている時はもやが日を反射して煌き、樹海全体が明るく見えていたが、太陽の出ていない今、樹海は薄暗く、そのもやも逆に不気味だ。
 高さはあったが、降りられないほどではなかった。軽く崖を飛び降りる。着地の時に滑るかと警戒していたが、崖の下はそれほど土はぬかるんでいなかった。
 辺りを見渡すと、銀の蝶はすぐ右手で、見覚えのある色合いの傍に浮いていた。

アテルト=ステラを頼む―――

 そう言うなり、銀の蝶はサラリと崩れていき、銀の砂も地面に落ちる前に消えていった。
 それを見届けて。途端、目に映る景色が二重にブレた。……めまい。
 どうやらジクルドは、話すことだけでなく、姿を現すことにも自分の力を使っていたらしい。恐らくこれは、その反動だ。
 ふらついたのは少しだけで、すぐに平衡感覚を取り戻すと、踏み出した。崖の下、倒れているステラに近付く。
 仰向けのステラ。どうやら崖を落ちたらしく、あちこちが汚れていた。ちょうど倒れているのが木の下で、全体的にあまり雨に濡れていなかった。
 とりあえず起こそうと、ステラの肩に手を伸ばして。
「……―――――」
 ……彼女の顔を見た直後、その手が止まっていた。
 まるでそれは、寒気にも似た予感。
 水滴が光るまつげと、静かに閉ざされた瞼。雨に濡れた頬。いつもの寝顔。
 ステラの寝顔は見慣れている。というのも、自分が彼女より遅く寝て、彼女より早く起きるから。
 だが……1つだけ、普段通りじゃなかった。

 おかしい。
 何か、おかしい。
 ……足りない。
 何かが、足りない。
 本能的にしか感じ取れない、大事な何かが、欠けている。
 ステラは目の前にいるのに。
 それ・・は、抜け殻か何かにしか見えなくて。
 考えてみたら、妙だ。昨夜飛び出して帰ってこないのなら、ここに落ちたのも昨夜と考えるべきだ。落ちた衝撃で気絶したのだとしても、ずっと雨の中、しかも夜なら、寒さで目覚めるだろう。
「…………おい」
 絡みつく、不快で何処か焦らせる感覚。それを振り払うように、ステラの肩を少し強く揺さぶってみた。
 しかし、閉ざされた瞼は、微動だにしない。雨粒が煌く、セミロングの淡い茶の髪が揺れただけ。
 いつもの、馬鹿なくらい純粋に景色を映す瞳が、見えない―――
 ざわりと、ずっと奥底にある心がざわめくのが感じられた。
「おい……!!」
 気が付いたら、さっきより強く、彼女の肩を揺さぶっていた。それでもやはり、ステラは目覚めない。
 自分が焦っているのが、まるで他人事のようにわかった。……珍しいこともあるものだ。
 それは、動けないまま、ヒースの背中を見ていたあの時の気持ちと、よく似ていた。

 目の前にいたのに。
 自分は何もできないまま、ヒースは死んでいった。
 それが……また。
 目の前にいるのに。
 自分は……また、何もできない?