fragment

48 呼び起こされるもの

 ……あ……今日も、バイオリン弾いてる。
 昨日より、少しだけ早いテンポ。高い音が、よく響き渡っていた。
 というか……知ってる。この、幻想的な曲。
「『祈りの夜』……」
 レネさんの家に向かう途中の森の中、ぽつりと、私はその曲名を口にした。
 遠い過去のように、私が曲調だけ憶えていた曲。フェルシエラのレミエッタ公爵家で、メチャクチャヘッタクソに弾いた、あの曲だ。
 後でノストさんから聞いたけど、『祈りの夜』は、普通に生活していれば聴くことのない曲らしい。私みたいな庶民なら尚更。ノストさんやレネさんみたいに音楽をやっている人なら知っているけど、普通なら知らないそうだ。……何で私、知ってたんだろ。
「上手く働けよ下僕」
「げ、下僕って……う、うう……もういいですよ!下僕なんでも!」
 後ろからかかったノストさんの言葉に、私はもう訂正するのも疲れて、泣く泣くそれを認めた。何回訂正しても、この人はきっと直さないだろうし……そういう嫌がらせには、妙にこまめだから。そのこまめさを、他にも生かしてもらいたいね……本当に!
 昨日、レネさんにお昼ご飯までご馳走になって、私達は彼女の家を去った。タミア村まで距離もあるし、どうせまたレネさんの家に来なきゃならないってことで、昨夜はあの湖付近で越した。だから、あのズタボロな神官服のまま……き、着替えたい……!どうでもいいけど、野宿って久しぶり。
 で、今。朝を迎えて、またレネさん宅に向かってる途中。森に踏み込んだら、『祈りの夜』が聞こえてきた。
「っていうか、上手く働けって何のことですか?」
 ふと、さっきのノストさんの言葉を思い出して、私が振り返って聞いてみる。やっぱり私と違って汚れ1つないノストさんは、当然のように。
「今日でアルカを探せ」
「えっ、そ、それってできるんですかっ?しかもその言い方!ノストさんは探さないんですか~っ!?」
「はぁ?ハナからお前の仕事だろうが。俺は慈悲で付き合ってやってるだけだ」
「うっ……!そ、そうですけど……そのお慈悲で探す手伝いもするとか~!」
 慈悲って、あんたは神様かッ!お慈悲を~とか言ってる私も私だけど!
 とにかく、一人でアルカ探しなんて難しい!大体、レネさんの家の中を見ないとわからない。会ったばかりの人に家の中を見せる人なんてそうそういないと思うから、今日で探せって無理じゃ!?
 私が助けを求めてノストさんにそう言うと、ノストさんは思いついたように一言。
「ならバイオリン調達して来い」
「そ、そこでバイオリンに繋がるんですかッ!! ノストさんっ、無理難題って知ってますか?知ってるでしょう!どういう意味か知ってますかっ!?」
「嫌がらせ」
「………………」
 ……た、確かに、それって嫌がらせでもある……って、私、納得しちゃダメだ!でもでも、否定しきれない~!
 とか話している間に、森を抜けて、レネさんの家がある広場に出る。昨日と同じ、手すりに腰をかけた格好で、レネさんがバイオリンを弾いているのが見えた。
 バイオリンの音色になって響く『祈りの夜』に耳を傾けながら、演奏を邪魔しないように、静かに家の方に歩み寄る。昨日のテーブルに近付くまでになった頃に、レネさんの演奏が伸びやかに終わった。
「こんにちは、レネさんっ!」
「あら~、昨日のお嬢ちゃんと坊やじゃなぁい。また来てくれたの~?」
「はい!」
 弓とバイオリンを下ろしながら、レネさんは嬉しそうに微笑んだ。アルカのためなんだけども、私自身、レネさんとまた話したいって思ってたから、私は元気良く返事をした。
 レネさんはバイオリンを、テーブルの上の開きっ放しだったケースの中に置いて。

「お姉さん嬉しいわぁ。2日も連続で、若い恋人さん達が遊びに来てくれるなんて~」

 頬に手を当て、にこやかに、とんでもないことを口にした!!
「………………………ん、なッ!!! まま、まさかっ!いや私の聞き間違いです何でもないです!!」
 こ、こ、恋人だぁ~!? 勘違いも甚だしいってヤツですよ!!
 初めてだよそんなふうに言われたの!! やっぱり何処かで、ノストさんと私の格差をみんな感じてたんだと思う!「コイツら釣り合わなさすぎて笑えるぜケケケッ」って!な、なのになのに、レネさん……!!
 慌てすぎて焦りすぎて、一人で何か口走ってうろたえる私とは反対に、隣からは冷静なセリフが飛び出した!
「はぁ?連れ以上連れ未満だ」
「え、ぇえっ!? そ、それって、当てはまるところないじゃないですかッ!私って圏外ですか?!」
「馬鹿でも、以上と未満の違いがわかるなら上等だな」
「そ、それは褒めてると見せかけて馬鹿にしてますねっ!? バレてますよ!」
「これでわからなかったら真の馬鹿だ」
「残念でした~!私は真の馬鹿には程遠いみたいです!」
「……目指してんのか?」
「い、いや目指してませんよ!」
 な、何だこのノリ!自分で言ってて、なんだかよくわからなくなってきた!私なんかこーんな感じでわたわたしてるのに、この人、憎たらしいほど平然としてる……うう、なんか私、馬鹿みたいじゃんっ!い、いや馬鹿だけど!
 一方、言った張本人のレネさんは、私とノストさんの会話にクスクス笑っている。こ、この人もこの人で、いろんなことに気付いてないよ……!
「じゃあ、お茶用意しなくちゃねぇ~。今日はリンカティーにしましょう~♪」
「あっ、私も手伝います!」
「あら、いいのぉ?じゃ、お願いしちゃおうかしらぁ」
 バイオリンを置いただけで、ケースのフタを閉めずに家の中に入ろうとしたレネさんに、私がそう言いながら歩み寄ると、レネさんは嬉しそうに頷いてくれた。こ、これは家の中に入れるチャンス!頑張れ私!
 レネさんの後について木のドアを通り家の中に入ると、家の中は、宿屋さんの一部屋を一回り大きくしたような規模だった。外から見た感じより、意外と大きい。
 キッチンは、入ってすぐ右側だった。私がぶしつけにも部屋を見ている間に、レネさんが熱そうなポットを片手に、お茶の葉を通してティーポットにお湯を注いでいた。
「昨日は先にできてたから~、すぐ出せたんだけど、今日は全然だから~。あ、そこの戸棚から、カップ3つ出してくれる~?」
「あ、はいっ。いろいろありますけど、どれでもいいんですか?」
「うん、何でもいいわよぉ」
 キッチンの一番端にあった食器棚を指差され、私がひょいっと覗き込むと、昨日の白いカップを始め、淡い黄色や水色のカップ、とにかくさまざまあった。しかも、全部4つずつ揃えてある。レネさん、お客さんを丁重にもてなしてるみたい……お客さんが来てくれるのが嬉しいんだろうなぁ。こんな場所に住んでれば、特に。
 何でもいいって言うから、縁の絵が綺麗な、ちょっと上品そうなカップを選んでみる私。なんとなくエレガントに!ノストさんにとっちゃ、むしろこういう上品なカップが普通なんだろうけども!
 ふと……戸棚の横に立てられている写真立てが目に入った。それには、二人の人が映っていた。
 手前の、マゼンタの髪の女の子は……少し幼い顔をした、レネさんだ。手にバイオリンを持って、幸せような笑顔を浮かべている。その後ろで、紺青色の珍しいバイオリンを持って穏やかに笑う、藍緑色アクアマリンの髪の男の人は……、
「これ……お兄さんですか?」
「あ、そうよぉ。ほら、ユーリ兄さん、イルの花の冠かぶってるでしょう?これ、コンクールで優勝した時の写真なのよぉ」
 私が男の人を指差して聞いてみると、レネさんは微笑んで、誇らしげにそう語ってくれた。お兄さん……ユーリさん、って言うのかな。やっぱり、お兄さんが大好きだったんだろうな……ユーリさん、とっても優しそうだし。
「先にそれ、外に持っていっててくれる~?もうすぐできるからぁ」
「はい!」
 そのカップと、セットのソーサーを3つ出して、レネさんがすでに用意していたオレンジ色のお盆に置く。レネさんにそう言われたから、私はカップを落とさないようにお盆を両手に持った。
 それが始まったのは、その時だった。
「あれ……?」
 ……ドア1枚を挟んだ外から聴こえてくる、高い、伸びやかな音。
 そのバイオリンの音色が紡ぐのは、速いテンポの、神秘的で……何処か悲しくて、切ない曲。
 思わず、レネさんを見た。見るまでもなかったけど、レネさんはここにいる。ってことは、弾いているのは……、
「ノストさん……?」
「あら……『ロアゼ=ラシュファ』だわぁ。あの坊や、随分難しい曲弾けるのねぇ~」
 お盆を持ってドアを見つめた私の耳に、ティーポットを両手で持ったレネさんが、感心したように言うのが聞こえた。
 『ロアゼ=ラシュファ』……<破壊と再生>。それって……まるで、グレイヴ=ジクルドみたいだ。言われてみれば、この曲の神秘さは、「綺麗」っていうよりも「神々しい」って方かも……。
 お盆を持ってドアを開くと、ドアで押さえられていた分の音量が上がった。ノストさんは、テーブルの横に立って、案の定バイオリンを弾いていた。
 ケースの中のバイオリンがないから、さっきまでレネさんが使っていたバイオリンらしかった。いくらバイオリン弾きたいからって、人の物を勝手に……ま、いっか。こんなに綺麗な演奏なんだし。
 私は演奏を邪魔しないように、静かにお盆をテーブルの置いて、イスに座った。すぐ目の前には、演奏中のノストさん。いつもの鋭いダークブルーの瞳が少し伏せられていて、気のせいかもしれないけど、表情もいつもより穏やかに見えた。
「やだぁ、私も弾きたくなってきちゃったわぁ。ちょっと待ってて~」
 レネさんはうずうずした様子でそう言うと、口から湯気の立つティーポットをテーブルに置いて、また家の中に戻っていった。
 それを見届けてから、私はノストさんを見る。無表情ながら、何処か穏やかな顔。
 ……ノストさんは……本当に、音楽が好きなんだなぁ。フェルシエラでピアノ弾いてる時も、こんな顔してた。
 ノストさんのこの表情……私、好きだなぁ。なんだか人間らしくて、ホッとするっていうか、微笑みたくなる。……あ、い、いや、普段が「人間らしくない」って言ってるわけじゃないよ!うん!確かに人間らしくないっちゃ、人間らしくないかもだけど!
 と、そこで、レネさんが家の中から出てきた。手には、家の中にしまっていたらしい二つ目の黒いバイオリンケース。レネさんは早く早くっというふうに、それをテーブルの上に置き、手早くロックを解除してケースを開く。そして、中にあったバイオリンを手に取った。
 紺青色の、バイオリンだった。珍しいっていうか……茶色以外のバイオリンは、初めて見る。でも、何処かで見たような気もする……。
 私がうーんと思って凝視していると、レネさんはそのバイオリンと、同じ色の弓を持って微笑んだ。
「お兄さんの形見なのよぉ」
「あ……!なるほど!」
 その一言で、すべてが氷解した!そういえば、さっき見た写真。ユーリさんが持っていたバイオリンも紺青色だった!見たような気がしたのはそれだ!
 『ロアゼ=ラシュファ』を演奏中のノストさんと向かい合うように立ち、レネさんが弓を弦に置いて……静かに、ノストさんの音色より低いパートを奏で始めた。それはノストさんのバイオリンの音色に重なって、2つの音色が森に響き渡る。
 私は目を閉じて、その絶妙なハーモニーに耳を傾けていた。二人の腕が良いのもあるけど、すべての音符が生きていて、心に響いてくる。ずっと聴いていても飽きなさそう。

 ……ガタッ。

「……?」
 私がそんなことを思った、ちょうどその時。バイオリンの音色しか聞こえなかった耳に物音が聞こえて、片方のバイオリンの音色が途絶えた。残った音色も、相方が消え、戸惑ったように遅れて消える。何だろうと、瞼を上げてみて……私は、思わずぎょっと目を剥いた。
 バイオリンを下ろしていたのはノストさんだった。そのノストさんが……片手でイスの背もたれを引っ掴んで、なぜだか青ざめた顔をしていた。
「ノストさんっ!? ど、どうしたんですかっ?! 大丈夫ですか!?」
 私はイスからばっと立ち上がり、頭を押さえてフラフラしているノストさんの傍に慌てて近寄った。釣られるように演奏をやめたレネさんも、心配そうに見る。
 ど、どうしたんだろ!具合でも悪いのかな!? 演奏中にまさかの頭痛?!
 私がそう思っていると……ゴトン、と。
「……え……?」
 ノストさんは、両手に持っていたバイオリンと弓を、当然のように手放した。当たり所が悪かったのか、プチンと弦が1本切れた。
 ……うそ。あのノストさんが、好きなバイオリンをこんな手荒く放るなんて。
 信じられなくて、顔を上げ、ノストさんを見た瞬間。
 ノストさんが荒々しく、片腕を外側に振った。
 ……隣に立っていた私に向かって。
「あうっ!?」
 軽々しく殴り飛ばされた私は、家全体を囲う手すりに叩きつけられた。ちょうど腰の辺りを強打して、私はドサッとその場に崩れ落ちる。思わずうずくまった。
 ……私は知ってる。ノストさんは性格悪くて毒舌で偉そうだけど、弱い人に手を上げたり、無駄な暴力はしないって。……だから余計……わからなくて。
「っ……離れ、ろ……!!」
 呆然とノストさんを見ると、彼は片手で頭を押さえ、もう片手でジクルドを喚び出そうとしていた。だけどなぜか、ジクルドはすぐにその姿を象らず、モヤモヤと輪郭をはっきりさせたりぼかしたりしている。彼の横顔は……見たことないくらい、本気でつらそうで。
 ジクルドの輪郭をはっきりする頻度が、だんだん短くなってきていて。ようやく器に入ったジクルドが、ノストさんの右手に握られた。
 その標的は……目の前のレネさんだ!!
「……そんなのっ……!!」
 思ったより強く打ったらしく、腰が痛くて立ち上がれない。レネさんは状況を理解しきれてないのか、呆然とノストさんを見ているだけ。
 ノストさんのジクルドが、掲げられる。レネさんは、それを呆けたように見上げる。

 ……うそだ。こんな、こんなことって……っ!!

 立ち上がれなかったはずなのに、いつの間にか私は、板張りの床を蹴って駆け出していた。腰に一瞬、鋭い痛みが走った。けど、そんなのどうでもよくて。
 嫌だった。仲良くなったレネさんが殺されてしまうのも、目の前でそんなものを見たくないのも。
 でも、何よりも……ノストさんが人を殺すところなんて、見たくなかった。
「やめて下さいっ、ノストさぁん!!!」
「ッ……!!」
 ジクルドが、振り下ろされた瞬間。
 無我夢中で、飛び出した。ノストさんの前へ、レネさんの前へ。……二人の間に。
 見間違えかもしれない。ノストさんの顔に、濃い動揺が走ったように見えた。
 ノストさんは毒舌魔人で性格悪くて自分至高主義者で、いっつも振り回されてばっかりだけど……でも、まっすぐな人なんだ。まっすぐだから、私は彼を信用した。彼の信念を信用した。
 だから、だから……っ、私が信じたノストさんの信念が傷つくなんて、穢れるなんて、

 そんなの、嫌だ―――――ッ!!!!

 

 

 頭の中で、何かが弾けるような感覚がした。
 切られる痛みより早く、全身をもわっと熱が襲って。
 そして、ダン!!と何かがぶつかる音がした。
「…………………………?」
 …………痛く……ない?それに、さっきの音は何?
 反射的に目を瞑っていた私は、そーっと片目だけ開いてみて、飛び込んできた光景にはっと息を呑んだ。
 目の前に立っていたはずのノストさんが、なぜか、少し離れた手すりのところに座り込んでいた。情景から見るに、さっきのぶつかる音はノストさんが手すりにぶつかった音だったらしい!
「の、ノストさんッ!!? だ、大丈夫ですか!?」
 何が起きたのかよくわからなかったけど、とにかく駆け寄った。……そういえば初めて見るかもしれない。ノストさんは、呆然としていた。
 私がホッとして息を吐いたら、今度はまた別の方向から、どだんっと音がした。振り返ると、腰が抜けたのか、レネさんがその場に座り込んでしまっていた。

 ……何が起きたのか、わからなかった。
 私だけじゃない。レネさんも、ノストさんさえも。みんな理解できなくて、ぼんやりとした沈黙がこの場に居座った。
 雲が、空を覆い始めた。森を彩っていた音色も途絶えた今、木々はざわざわと不気味に騒ぎ出す。
 レネさんの腕の中。彼女の持つ、形見の紺青色のバイオリンだけが、妙に印象に残った。