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「颯ちゃん?この花、どうしたの?」 「……文化祭の後片付け」  桜や梅の花がぎっしり詰まったピンク色のゴミ袋を見て目を丸くした母さんに、俺はかなり苦しい言い訳をした。文化祭は先月10月だ。今頃片付けなんて遅すぎる。  しかし顔に『何も聞かないでくれ』とか書いていたらしく、母さんは「ふーん?」と特に追及しないまま、ゴミ袋を片付けてくれた。俺は顔にそういうことが出やすいタイプらしい……。  翌日。土曜日だったから、俺は否応無しに花の片付けをやるはめになった。  昨夜は花に埋もれたベッドの上で寝た。おかげで布団に花の香りが染みついてしまった。男の部屋に濃厚なフローラルの香りって……ちょっと俺は趣味じゃない。  部屋に戻ると、ほのかに、甘い残り香がした。  ドアを開いて正面にある俺の机。傍にイスがあるのに、その上に座って参考書を眺めている、中華風な子供……朱夏。  眉間にしわを寄せて参考書を睨みつけ、朱夏は言った。 「ふむ、ソーマは『じゅけんせい』というヤツか。大変じゃのう……何を書いておるのかさっぱりわからん」 「ったり前だ。見ただけで理解されてたまるか」  自分でも性格悪いなと思いながらそう返答して、俺は机の横のベッドにどんっと座った。  コイツは自分を、夏だと名乗った。どういう意味か考えてみたけど、考えるまでもなくそのままの意味らしい。  つまり……コイツは、夏そのもの・・・・。  漠然としすぎてまだ信じられないけど、そうだとあの蒸し暑さが納得が行く。名前も『朱夏』だしな……花の山がいまいちわからないけど。  朱夏は参考書を閉じて置き、ぴょんと机から飛び降りた。コイツの周囲をゆっくりと巡る2つの虹色のコンペイトウも、一緒に移動する。 「そういや、そのコンペイトウは何なんだ?」 「こやつらのことか?光冠こうかんと言ってな、貴様らが言うところの夏の日差しじゃ」 「は??」 「……ふぅ……大人は頭が固くて嫌じゃのう」  と、朱夏はやれやれと溜息を吐く。  小さいのに見下されている気がして、少しいらっとした。唐突すぎて頭が追いつかなかっただけだってのに……。 「なんとなくわかる。お前が夏そのものだったら、夏のものを従えていてもおかしくない」 「ほう、わかっておるか。ついでじゃ、教えてやろう。今言った通り、この光冠は、夏の季節に貴様ら人間に降り注ぐ太陽の光じゃ。これが私の周囲に多いほど、太陽はより輝きを増す」 「で、今は光冠が2つしかなくて、だから寒くなってきてる……ってことか?」 「そうじゃ。物分りが良いの」  「結構結構」と、朱夏は楽しげに言い、ベッドとは反対側にある窓辺の前に立つ。  確かに……すんなり理解できている俺は、一体何なんだ。まだ現実だと思えてないのかもしれない。  とんっと朱夏が緩く床を蹴ると、その体がふわりと浮き、まるで無重力みたいな優雅さで窓辺に乗る。恐らくそれもその光冠の賜物なんだろう。  窓辺に飾ってあったハイビスカスの鉢の隣に座り、一晩で萎れてしまったハイビスカスを残念そうに撫でる。 「光冠は、夏の陽光であると同時に、私の身を守るものじゃ。元は5つあったのじゃがな……ここまで減ってしまえば、力を振るうのも一苦労じゃ。昨日ので精一杯じゃ……すまんの、『はいびすかす』」  ……5つ? 「……何で減ってるんだ?」 「散ったからじゃ」 「………………」  言いたくないのか、それともただ言い方が遠回しなだけか。その言葉の意味がわからなくて、俺は黙り込んだ。  散ったって、壊れたってことか?それか、壊されたか……多分、後者だろう。  光冠は、身を守るもの。つまり、コイツの身を狙う奴がいるってわけで……とにかく、厄介事には巻き込まれたくないな……。 「っていうかお前……何で俺んちいるんだよ」 「言ったじゃろう。ふゆが来るまで、わたしの相手をせよと」 「いいって言ってない。他当たれよ。俺は遊んでる暇なんてないんだから」  これは本当に思っていたことだった。俺は受験生で、来年の1月にはセンター試験が待ち構えている。コイツと遊んでいる暇なんて、あるわけがない。  言ってしまってから、言い過ぎたかと少し後悔して朱夏をちらりと見ると……なぜか朱夏は、微笑んでいた。 「それでも良い。ここに置いてくれるだけで良いのじゃ」 「……俺が、ずっと勉強していても?」 「良い。ずっと貴様を見ておる」 「いや、それはそれで嫌だけど……暇じゃ、ないのか?」 「暇ではない。思い出を刻むことに大忙しじゃ。わたしには、時間がないのでな」  怒るか悲しむと思ったのに、朱夏はむしろ嬉しそうだった。俺は拍子抜けして……そして、朱夏の言葉の意味に気付く。  朱夏は、夏だ。そして、冬が間近に迫ってきているこの季節……それが意味することは……、 「………………」 「早速、勉強するのか?」 「……うん、まぁ……する」 「見ておいてやる。精進せよ、ソーマ」  自分の未来を知っておきながら……何でコイツは、こんなに平然としているのか。  それが解せなくて、なんだかモヤモヤした気持ちのまま机のイスに座る。さっきまで朱夏が開いていた参考書を手に取り、ふと思い出して、卓上の時計を見た。午前8時半だ。 「俺、10時になったら友達と遊びに行くから」 「勉強はいいのか?」 「今日は遊ぶ」 「そうか。ならば、わたしも遊びに行くとしよう」 「……まさか、ついてくるつもり?」  なんとなく嫌な予感がして聞いてみると、朱夏は窓に張りついて外を見つめながら答えた。 「そんなわけなかろう。わたしとて、人目は避けたいのじゃ」 「………………」  ……そんな服装しといて、言えるセリフか?と思いつつ、参考書の上に張ってある付箋を引く。   *  ※  * 「颯馬?今日お前、何かいい匂いするぞ?」  やっぱり匂ってるのか……と内心で思う。  一緒に街のゲームセンターで遊んでいて、たまたま隣り合った時に、その鋭い嗅覚で嗅ぎつけた沖澤がそう言った。ゲーセンだから周囲の音が大きく、結構張り上げた声で話している。  俺が答えるより先に、ずいっと無遠慮に俺の服に顔を近付けて、沖澤はクンクンと鼻を引きつかせた。沖澤の嗅覚は、俺は人間を超えていると思っている。きっと的確に当てるだろう。  匂いの正体が判明すると、沖澤は顔を離し、妙ににやついた顔で言った。 「おいお前〜、彼女とか作ったんじゃねーの?花のいい香りがするぞ!どんな子だっ?」 「なわけないだろ……」  確かに当てたには当てたけど、何でそうなるのか……。  勝手に話を進める沖澤に正面からどんっと肩を押され、俺は転ばないように踏みとどまる。相手にするのも面倒で嘆息した。  どうやら、服や髪に花の匂いが染みついているらしい。くそ、アイツめ……。
挿絵
「花の山に埋もれて寝たんだよ」 「へ??」  沖澤は納得行かないような顔をしたが、俺はそれ以上は何も言わなかった。『聞かないでくれ』と切実に俺の顔が物語っていたらしく、沖澤はしばらく訝しんでいたが、すぐに『まぁいいか』と俺から視線を外した。  余ったコインでテキトウに遊んで、俺達はゲームセンターを出た。  真っ先に外に出た俺を出迎えたのは、3時半なのにもうオレンジ色の空だった。昼の短さに、冬が着実に近付いていると実感する。空を見上げる俺の髪とマフラーを、木枯らしが強く揺らした。 「………………」  その拍子に、ふと思い出した、少女の姿をした夏。  朱夏は……どうしているんだろう。なんだか気になった。  家を出て、すでに5時間は経過している。俺が外出している間、アイツも遊びに行くと言っていた。一体……何処で、何をして?   『ふゆが来るまで、私の相手をせよ』 「……冬が、来るまで……」 「よっし、後はテキトウに街ぶらついて帰るか!」  俺の呟きは、沖澤の明るい声に掻き消された。  うーんと伸びをした沖澤は、その上げていた手をばっと下ろして、右手の奥の方に見えているコンビニを指差す。 「俺、ちょっと腹減ってきたからさ、そこのコンビニちょっと寄ろうぜ!で、食い歩きながらブラブラする!」 「食うの、ホントに好きだよな……いいよ、わかった」  俺が賛成する前に歩き出している沖澤に、俺は遅いけど一応頷いて、沖澤の後を追った。   *  ※  *  街の駅で沖澤と別れ、自宅の最寄りの駅で降り、下校時と同じように帰路を歩く。ちなみに沖澤は、学校付近に住んでいる。  暗い住宅街を歩いていくと、いつも通りかかる公園がある。視界の隅に、何やらそこで光るモノを捉えて、まさかと振り向くと……ブランコを小さく揺らしている朱夏がいた。  俺は内心で呆れながら公園に踏み込み、朱夏に近付いていくと、朱夏もこちらに気付いた。 「ソーマ。おかえりじゃ」 「お前……人目につきたくないんじゃないの?もしかして、ここでずっと遊んでたの?」 「そんなわけなかろう。皆が去ってからじゃ。夜は人目につかんじゃろう?」 「いや……十分つくから」  というかコイツの場合、むしろ夜の方が人目につく。何せ、朱夏自身と光冠はなぜか光を発する。周囲が暗ければ暗いほど目立つ。普通、光っているものを見逃すはずがないし……コイツ、さては案外抜けてるな?  慣れていないのか、朱夏は少し危なげにブランコから降り、俺の方に歩いてきた。 「ソーマも来たことじゃし、帰ろうかのう」 「……なんか、俺んちに帰るのが当然みたいな言い方だな」 「そういう約束じゃからのう」 「いいって言った覚えないんだけど」 「少しくらい良いではないか。どうせふゆが来るまでなのじゃ」  …………出た。冬が来るまで。  俺の横を通りすぎ、その狭い歩幅で歩きながら、何処か投げやりな口調で言う朱夏。  俺は少し逡巡した後、ゆっくり朱夏を振り返った。 「なぁ……『が来るまで』って、どういう……」  意味なんだ——という言葉は、続かなかった。  言葉通り、声を失った。  振り返った俺の視界は、すべて真っ白だった。