→→ Tarantella 2
「私が幹部になったのは、1年前だ」
暗がりの中、首都シーヴァの郊外に建つ貴族の屋敷の奥。子供の身長くらいの高さはある、デカイ黒い金庫の前に立っている鈴桜が、隣にいる海凪に言う。二人とも、手に銃を持っている。
自分達の他に、鈴桜の配属の追行庇護の警官が、ぐるりと金庫を背に囲むように立っている。その円の、廊下に続く扉が正面に見える位置に、二人は立っていた。
「入りたての頃は、お前より下の一般官だった」
「あれ、そーなんですか?」
「それからすぐに補佐官になったがな。その幹部が引退して、そのまま幹部になった。補佐官には、少なくとも私の足手まといにならない奴が欲しかったんだが、あまり特出した奴がいなくてな。補佐官をつけずにいたら、つけろと上から通達が来た」
「それを1年間、無視し続けたと?」
「そうだ。そのことで前、警護組織のお偉いさんの使者が訪ねて来たが、妥協して選んだ奴のせいで仕事が妨害されるんだったら、いない方がいいと言って追い返してやった」
「あはは!何てゆーか、鈴桜さん、問題児じゃないですかっ!」
「そうだな。すっかり問題児扱いだ」
この年で問題児というのも、おかしな話だ。鈴桜は口の端に笑みを浮かべる。
「……それで、少し話が逸れたが、そいつとは、俺が幹部になってからの付き合いだ。もう顔なじみと言ってもいい」
「あぁ、さっきの……二ノ瀬夕鷹、でしたっけ?猟犬の……」
「そうだ。貴族の屋敷から金品を盗って、それを庶民に分け与えている、いわゆる義賊だ」
「え、それってイイ奴じゃないですか?」
二ノ瀬夕鷹。自分たち追行庇護が追う盗賊組織・猟犬所属の青年らしい。彼と言い、彼の相方と言い、この辺の猟犬の中では、抜きん出た強さを持っていると言う。そいつが今夜、この貴族の屋敷に来るだろうと鈴桜は予測した。
1年も付き合いがあれば、大体、相手のことはわかる。鈴桜が知っている限り、夕鷹は、1度忍び込んだ屋敷には、絶対に行かない。と言っても、鈴桜自身、毎回夕鷹と鉢合わせているわけではない。
しかし、夕鷹は金眼者らしいので、その光る瞳は、特に夜は嫌でも目立つそうだ。盗賊に入られた屋敷の警備員に事情を聞いて、「金眼者」という言葉が出れば、ほぼそれは夕鷹の仕業だ。もはや彼のトレードマークになっている。
以上のことから、首都シーヴァ付近の貴族の屋敷を、証言が聞けたところと鈴桜が鉢合わせたところを消していくと……、消去法で、ココになると言う。数日前から見張っているそうだ。だから今夜来るとは限らないが。
しかし、ただの盗賊だと思っていたら、「義賊」だと言う。海凪が不思議そうに聞くと、鈴桜は言った。
「そうかもしれんがな。世間的には、人の物を盗む奴の方が悪いだろう?奴が盗んだ物をどう使っていようが、盗んでいる事実に変わりはない。そういう線引きも必要になる。特に、私達のような国家組織にはな」
「……鈴桜さん、柔軟な人だと思ってましたけど、結構厳しいですね」
「柔軟と寛容は違うぞ」
「あぁ……それもそうですね」
なるほど、と海凪は納得して、自分の手に握られている銃を持ち直す。さっきとは違って、ずしりと少し重い。今度はしっかり銃弾が入っている。
「性格はふざけた奴だが、奴は強いぞ。昏倒されないように気を付けろ」
「ってことは、体術タイプってことですか?あー……まぁ、頑張ります」
「懐に入れなければコッチの方が有利だ」
確かに接近されなければ、射程が長いコチラが断然有利だ。動く標的を撃てない狙撃手は、現場にはいない。が、相手の動きが速すぎる場合は別だ。その場合、恐らくすぐに懐に入られる。
懐に入られたら、接近型の相手の方が一気に優勢する。比較的動きの鈍い狙撃手では、体術のエキスパートの動作にはついていけない。オマケに、コチラは銃を取り落とされたら終わりだ。
(どんな奴なんだろ)
自分より上手の腕を持つ鈴桜が強いと言うのだから、並大抵の者ではないことは確かだ。自分も並大抵ではないつもりだが、はたして太刀打ちできるのだろうか。海凪は、銃を持つ手を改めて握り締めた。
——と、その時。
『うわ、うわああぁ?!』
『な、なんだこれは!?』
「!?」
鈴桜のベルトに釣り下がっていたトランシーバーから、数人の男の悲鳴が上がった。驚いて海凪が思わず鈴桜を振り返ると、鈴桜はすでに銃を頭の横に構えていた。
「セキュリティシステムを警備させていた奴らだ。梨音の仕業だな」
主語が抜けまくっている文だが、大よそ理解できた。さっきの悲鳴は警備させていた者達のもので、それが「梨音」——夕鷹の相方だという、依居梨音という者の仕業。
つまり、噂の御仁が来た。
そう思った瞬間、視界が赤に染まった。天井を見上げると、ヴオー、ヴオーというサイレンを鳴らしながら、天井につけられた赤いランプが回転していた。防犯システムに、侵入者が引っかかったことを知らせる警報だ。
同時に、扉の向こう——廊下の方が、騒がしくなってきた。悲鳴と、銃声。……どうやら、追行庇護の警官と真正面からやりあっているらしい。
てっきりこの部屋にスタッと窓や天井から現れるものだと思っていた海凪は、知らぬ間に呆れ顔になっていた。
「……なんかもう……すっごい大胆な盗賊ですね……」
「一応身をひそめて忍び込んだんだろうが、警報に引っかかって開き直ったんだろう。もう顔も知られてるからな」
「わざわざ夜に来る必要あるんでしょうかね……」
と、話しているうちに、扉の向こうが静かになった。海凪が身構える目の前で、扉がガチャっと開く。細く開かれた扉の間から、猫のように輝く双眸が覗いたと思うと、ひょいっとその人物が中に入り込んできた。
「とーちゃ〜っく……って……げっ、レイオーサン?」
「そこまでだ夕鷹。動くなよ」
鈴桜の声を合図に、同じ部屋にいた警官達がその人影をすかさず包囲し、ガシャンとライフルを構える。同時に、パッとこの部屋の明かりがついた。
煌びやかな明かりに照らされたのは、クセの強い菫色の髪の青年だった。話に聞いた通り、金眼者の証である金の瞳。それを眩しげに細めてから、キョロキョロを周りを見渡し、彼は「ありゃ〜……」と悠長に頭を掻いた。……ココまでの動作だけで、すでに7秒は経っている。
これだけの人数に包囲されてなお、緊張感のカケラもない青年——二ノ瀬夕鷹は、困った顔をしてから、鈴桜を見て片手を上げた。
「やっ、こんばんわ、レイオーサン。いい夜だね〜」
「そうだな。お前との腐れ縁がようやく終わりそうな、いい夜だ」
「えーっと〜……この警備体制、もしかして、最初からバレてた?レイオーサンって予知能力者だっけ?」
なぜ先回りされていたのか本気でわからないらしく、首をひねって問う夕鷹。……確かに……馬鹿にしてるとしか思えない。が、どうやら本心からの言葉らしい。それに気付いて、海凪は大きな溜息を吐きたくなった。
同じく鈴桜も、物凄く呆れた顔をして、答えた。
「……自分のわかりやすい性格がわかってないな、相変わらず……梨音に何か言われたんじゃないのか?」
「んんー?あ、そーいや、そこはやめた方がいいと思うってちょっと言われたなぁ……なーるほど、こーゆーことか。うん、今度は気を付けよ」
「『今度』……か。来ると思ってるのか?」
「来るよ」
ぽん、と手を打って納得したように頷く夕鷹に、鈴桜が挑発するように言うと、夕鷹は笑顔で当然のように即答した。
銃を構えながら、海凪は、綺麗な笑顔だと——そう思った。
「俺が逃げ切れたら問題ないっしょ?」
その笑顔で、そう言うなり。夕鷹の姿がその場から掻き消えた。
「!」
「ぐわぁッ!?」
——疾い。想像より、ずっと。
海凪がはっとした時、まず、左の方にいた警官が悲鳴を上げて倒れた。目を向けるが、紫色の残像が見えるだけで姿は見えない。自分が目を向けたと同時に、一斉にライフルがそちらに向けられ発砲されるが、まったく彼の動きについていけていない。次々と警官達がのされていく。
それが、
「ほいっ!どりゃ!よいっと!」
とかいう、気の抜ける掛け声でやられてるのだから参ってしまう。
確かに、夕鷹は速い。しかし、動きを予測すれば恐らく追いつける。
海凪も、銃口を向ける。狙いはもも。蹴りのために振り上がっていた足が、床に戻される位置。その場所から足が何処につくか予測すると、すでにももに向けていた照準を微調整、引き金を引いた。
「おっ?」
ほとんどの弾が夕鷹の残像を掻っ切る中、海凪の弾は、確かに彼の足に向かっていった。しかし、夕鷹は少し驚いた顔をしながら、流れるように体重をその足に移動させると、そのまま横に倒れ込むようにしてギリギリで回避する。
「凄い人がいるなぁ〜」
目を見張る海凪の見る前で、側転して体勢を立て直した夕鷹がのほほんとそう言った。そして、すぐに手近の警官達を倒しに行こうと、無駄のない動作で動き始めようとした時。
パンッ!!
「おおわっ!?」
足元に放たれた1発の銃弾が、彼の動きを一気に崩した。無理やり足を止めた反動で、勢い余って前に倒れかけるが、寸前で体勢を変えて横転する。その後を追うように、3発連続して銃声が弾けた。
「わわわッ!?」
まだ銃声は追ってくる。自分の動きをあらかた見切っているのは、この中では鈴桜ただ一人。ボーっとしていれば、本当に銃弾に当たる。
がばちょと起き上がった夕鷹は、すかさず立ち上がって飛び退く。バクテンしてさらに距離を置くが、距離が開けば開くほど彼の方が不利だ。それが鈴桜の狙いだと夕鷹もわかっていたが、自分が前進できないような位置に発砲してくるから逆らいようがない。
——となると、前進したかったら、完全に避け切りながら待つしかない。
そして、存外それは早く訪れた。
銃声ではなく、カチッと言う空しい音が響いた。
「ちっ……!」
「ラッキー弾切れっ!」
鈴桜が舌打ちをしてコートのポケットからストックを取り出すのと、夕鷹が床を蹴り上げて迫ってくるのは同時。
ストックを装着しようとした手に衝撃が走る。あっと言う間に自分の目の前に迫っていた夕鷹が、銃を天井に向かって蹴り上げていた。銃を吹っ飛ばされて丸腰になった鈴桜に、夕鷹の蹴り上げた足が、そのまま振り下ろされてくる!
「くっ……!」
鈴桜は、とっさに片腕でガードした。骨に響き渡る不快な振動に表情をゆがめつつも、ストックを取り落とした時にコートのポケットに突っ込んでいたもう片手を引き抜く。その手には——拳銃!
「ええぇぇえちょ待ったぁああっ!!?」
まさかもう一丁持っているとは思わなかった。が、片足は上がっていて、後退はできない。向けられる銃口から、身を反らし切れない!
やばい。夕鷹が本気でそう思いながらも、上がっている足を動かして、背後に無理やり体重移動した時。離れたところから、パンッ!!と銃声が上がった。同時に、目の前の鈴桜の手から、彼の銃が弾け飛んだ。
「「!?」」
「なーにやってんのよ!盗るの無理そーなら、とっとと逃げるんでしょ!」
「おお〜っ!サンキュー!」
鈴桜と海凪が目を見張った直後、廊下の方から勝気な少女の声がした。片足が床についた夕鷹が感動したように礼を言う。二人がそちらを見やると、蜜柑色のショートカットの少女が銃を構えて立っていた。
その彼女の赤い瞳と、海凪の青い瞳がバッチリ合って。——二人同時に、驚いた顔をした。
「六香っ!?」「海凪ッ?!」
「何?」
「へ??」
互いに名前を呼び合った少女——真琴六香と、海凪の声に、向かい合うように立っていた夕鷹と鈴桜も驚いた。目を大きく見開いた少女二人は、忙しく目を瞬かせて問い合う。
「な、何で六香がココに?」
「それはコッチのセリフよ!な、何で?何で海凪がいるの??」
わけがわからず動揺する二人。なぜ、今日、別れたばかりの親友が、こんな場所に?二人ともが、同じ想いを抱いていた。
その六香の背後の廊下には、結構な数の警官が倒れていた。足を銃で撃たれている奴もいる。ということは——、
……と、六香の後ろから、何かが飛んできた。それは鈴桜と海凪、二人の影がある部分に突き立つ。
海凪が目を走らせると、それは黒い針だった。それが、足元に生えている。なぜ飛んできたのかと思ったが、その理由はすぐ判明した。
「……あ、あれ?体が動かないっ……」
「くっ、やられたか……」
「……夕鷹、時間かかりすぎ」
何が起きたのかわからず混乱する海凪と、わかっている鈴桜の耳に、第三者の静かな声が触れた。
驚いて突っ立っていた六香の後ろから、すっと萌黄色の髪の少年が現れた。耳が尖っているから、エルフ族のようだ。
「おっ、梨音!ちょうどいーや、鍵は?」
「……夕鷹、時間かかりそうだったら引いてって言ったよね?」
「いやぁ〜、ちょっとレイオーサンは予想外でさ〜」
「……だから言ったのに……ほら」
「さんきゅ〜」
鈴桜の前にいた夕鷹が、少年——依居梨音に声をかけると、彼は少し呆れた様子でそう言った。それから、手に持っていた鍵を、先ほどの針を射出するように夕鷹に向かって放つ。それを2本の指で挟んで当然のように受け取り、金庫に近寄る夕鷹を見てから、その眠そうなダークブラウンの瞳が鈴桜を向く。
「……やはり、張ってましたね。鈴桜さん」
「……ということは、お前はわかっていたんだな」
「……はい。でも夕鷹が聞かなかったので」
鈴桜の問いに、梨音は、その幼い外見とは裏腹に、大人びた受け答えを溜息混じりにした。それから、金庫を開いて大量の金貨を袋に突っ込んでいる夕鷹を見て言う。
「……夕鷹、鈴桜さんがココにいる以上、これ以上の増援はないと思うけど、早いとこ帰るよ」
「だなっ。うん、よっし、まぁこんなんでいーや。六香、ズラかるぞ!」
「えっ?! あ、う、うん!」
ジャラジャラと金の音が鳴る袋を担いで、まだ中に大量の金貨が残る金庫の分厚いドアを閉めた夕鷹は、横を通り過ぎざま、六香の肩を叩いた。それではっと我に返った六香も、夕鷹と梨音の後を追おうとして。その前に、一度、海凪を振り返った。
だんだんと状況を理解してきた海凪に、彼女は——笑った。
「じゃ、海凪!またね!」
明るい笑顔で軽く手を振ると、六香も身を翻して駆けて行った。
「……またね、かよ」
遠ざかる背中を見つめて、海凪は苦笑いした。
海凪も、恐らく六香も、状況を呑み込んだ。
海凪は、追行庇護側にいるということ。そして六香は、猟犬側にいるということ。
対極を成す、2つの組織。
まさか、こんなに早く、別れた親友に会えるとは思わなかった。それは六香も同じ想いだろう。
しかし、また別れてしまった。探し出さなければならないはずの親友と、別れてしまった。
だが、追行庇護。猟犬。この2つの組織は、嫌でも関わり合う関係にある。
だから——何度別れても、また、会える。
「またな、六香」
もう見えなくなった親友に向かって、海凪は微笑んで言った。
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