→→ Tarantella 1
引き金を引いた。
手が振動すると同時に、パン!!と大きな音を出して、銃口から飛び出していく弾丸。それは、自分が狙った、赤縁の黒い軍服を着た男のももに命中する。
機動力を断たれた男が、撃たれた部分を押さえて悲鳴を上げ、そこにくずおれるのも見届ず。建物と建物に挟まれた細い路地から男を撃った秦堂海凪は、ばっと角の陰に身を隠し、壁に張り付く。
「はぁ、はぁ、はあ……っ」
男を撃った安堵からか、上がり切った息が、思わず無防備に口からこぼれた。慌てて口を塞ぐと、通りの奥の方で声が響いた。
「いたか?!」
「コッチにはいないぞ!」
「私はアッチを見てくる!お前はそっちだ!」
二人の男の声がして、早足の音がする。片方の足音がコッチに向かってきて体を緊張させたが、さっき自分が通り過ぎた曲がり角を曲がったらしく、遠ざかっていった。
しばらくしてから海凪はホッと息を吐き、蒼い瞳を伏せて、建物の壁に寄りかかった。ふーっと息を吐き出すと、亜麻色の前髪が浮いた。
呼吸がうるさくないように鼻で息をするが、明らかに酸素が足りなくて苦しい。仕方なく、できるだけ静かに口で息をする。
(くそっ……思ってたより、数が多い……)
駆け回った疲労で体が重い。思うように動かない腕を上げ、右手に握る銃の弾倉を開けてみる。——あと1発。6発セットのストックは全部使い切ったから、本当にこれが最後の弾だ。
——バルディア帝国から放たれたスパイ。それが今、このフェルベス皇国での自分達の身分だ。
親友とその兄達と、自分。フェルベス国民に紛れつつ、四人で暮らして2年。ついに、恐れていたことがやって来た。
『俺は、フェルベス軍将軍・昴 祐羽。お前達、バルディアの犬どもを駆逐しに来た』
フェルベス軍部に見つかった。しかも、将軍自ら出向いてきて。
逃げ切れないと感じた親友の兄達に、海凪は親友を任された。二人に言われるまま、親友とともに逃げてきたシーヴァの街。それから親友を逃がし、自分は残って、追ってきたフェルベス兵の相手をしている。が、予想以上に追ってきた兵が多く、鬼ごっことかくれんぼを混ぜたようなやり取りが続いている。このシーヴァの街が入り組んだつくりをしているのが幸いだった。
(さて……どうしようか)
息を整えながら、思う。いくら親友の兄達の一撃をお見舞いされたとは言え、相手は訓練された兵だ。スタミナは馬鹿じゃない。このままだと、追いつめられるのは自分だ。
しかし、相手はライフル。コチラは拳銃。構えて発砲するまでは自分の方が早い。命中率は……せめて同等だと思いたい。
だが、コチラは残り1発。下手に撃てば、今度は丸腰で追いかけられる。コレをどう使おう。
あの場にいたのは、将軍・昴 祐羽と、小隊くらいありそうな数のフェルベス兵。大きな意味では昴が率いてきたのだろうが、少なくとも、彼とは別に隊長、もしくは副隊長がいるだろう。
その隊長または副隊長が、今、自分達を追いかける指揮をとっているとしたら?
(……いや)
その指揮官を残り1発で狙ってやろうかと考えたが、指揮官を失っても、恐らく現状は変わらないだろうと推測する。スパイを捕まえるのは、万国共通の当然の仕事だろう。一人で逃げたスパイを追っていいのかどうか、指示を仰ぐまでもない。何処の国だって、スパイなんて野放しにはしない。
となると……、
(ココはやっぱり、ひたすら逃げる……しか、ないか……)
最後の1発は、本当の本当に、命の危険を感じた時に使おう。そう決めて、ある程度、息が整ってきた海凪は、開きっ放しだった弾倉を銃を軽く振って戻した。
武装した軍人が来て海凪に向かって発砲したことで、銃撃戦になると知ったこの街の人々は、慌てて自分たちの家に引っ込んでしまった。その方が、コチラとしてもやりやすいし、巻き込まなくて済む。静まり返っている通りを、角から覗き込
「———お前か、この銃撃戦の原因は」
「ッッ!!?」
真後ろ。
しばらく風の音しか聞こえていなかった耳に触れた、男の声。額を狙おうと思ったが、下げていた手を上げる動作は、疲れた腕では遅すぎる。後ろを振り返りざま、海凪は瞬間的に照準を男のももに絞り、トリガーを引いた。
パパンッ!!
……銃声にしては変な音。引き金を引いたまま、海凪は愕然と、この細い路地の奥から現れた男を見返していた。
その男は、20代後半に見えた。後ろで1つに束ねられた、落ち着いた色合いの藍色の髪とは反対に、瞳は目を引く緋色。フェルベスの軍服ではなく、薄茶色のロングコートを着ていた。
精悍な顔立ちのその男は、ももを押さえることもなく、そこにたたずんだまま、右手を前方ナナメ下にまっすぐ伸ばしていた。その手に握られているのは——拳銃。
自分の銃口が向いている直線上と、男の銃口が向いている直線上の交点付近に、石に紛れて黒く小さいものが落ちていた。
「…………な……」
大分、時間が経ってから、海凪が信じられないという表情をして、やっと声をもらした。
自分が放った銃弾。それを——この男は、自分の銃で撃ち落とした。
銃弾を、銃弾で。
だからさっき、銃声が2つ重なって聞こえた。
「肌が白いな……バルディア人か。なるほど、スパイで追われているわけか」
その格好のまま、離れ技をやってのけた男は、海凪の外見を見て彼女の正体を見破った。呆然としていた海凪は、その言葉を聞いて、ようやく自分が不利に立たされていることを理解した。
——恐らく、この男には勝てない。
さっき見せた離れ技ももちろんだが、疲れていたとは言え、彼が近付くのを察知できなかった。自分では……逃げ切れない。
この男が、もしかしたら先ほど考えた隊長か?あの昴 祐羽の率いてきた軍隊だ、こんな曲芸じみたことができても不思議じゃないかもしれない。軍服は着ていないが、それだけで彼が軍人ではないという証明にはならない。
「ははっ、どなたさんですかね?フェルベス軍の方ですか?だったら、軍服ちゃんと着ててくれると助かるんですけど」
焦る本心を隠すように、海凪はいつもの陽気な口調で問いかけた。さっきの男の言葉を、肯定も否定もしない返答。とは言え、否定したところで、街の人々が閉じこもる中、軍人以外で外にいる自分は、すでにその時点でそれを肯定しているようなものだが。
「私は軍属ではない。警護組織機動班・追行庇護に所属する者だ」
「警護組織……って言うと、フェルベスとイースルシアの共同国家組織だって言う、アレですか?」
「そうだ」
追行庇護の方は知らなかったが、警護組織——その名は、バルディアでも聞いたことがあった。同盟を結んだ二国が、それを深めるために組織した国家組織。軍部では手の届かないところを補佐する、人々の生活を守る機関。
——ということは、ほとんど軍と変わらない。軍が小さくなって、身近になっただけだ。人々の生活を脅かす存在——他国のスパイなんて見逃してくれないだろう。
「じゃ、どっちにしろ、アタシの敵ですね」
「敵……か。まぁ、立場上、そうなるんだろうな」
銃口を向け合ったまま、言葉をかわす二人。
「なら、ココで殺されても文句は言えないな」
「はは、そうですね。こちとら最初から、そういう覚悟で来てるもんですから」
「覚悟?お前のような子供がか?バルディアは、子供もスパイとして使うのか」
「子供だと思って馬鹿にしてると、痛い目見ますよ?結構、バルディアでは名の知れた一族の出なんで」
子供だと思って油断しているところを突く。そういう心理作戦も考えられたから、自分は今回、密偵として選ばれたのかもしれない。そう頭の隅でぼんやり思った。
男は、勝気だが冷静に自分の隙を窺っている海凪の態度に感心しながら、言った。
「撃たれた奴らを見ればわかる。ももの動脈を的確に撃つ腕は、うちの部下に欲しいくらいだ」
「お褒めに預かり光栄ですよ。追いかけられたら面倒なんで、足を撃って動けなくしました。ってことで、アタシら密偵は、見つかったら逃げるのが当たり前です。そちらこそ、ココで逃げられても文句は言えませんよね?」
「逃げられるのか?私から」
男の鋭い目を見る。——恐らく、無理だ。しかし、逃げなければ。親友を一人にするわけにはいかない。
コチラは、さっき撃った弾丸で最後。だが、それは外からはわからない。このカラの銃を向けているだけでも、牽制の効果は十分ある。
となると——、自分がとるべき行動は決まった。
「逃げたいところですけど、逃げるのは、ちょーっと無理そうですね。ってことで、捕まることにしようかと思うんですけど」
「賢明な判断だな」
「あ、言っときますけど、アナタが撃った瞬間、どっかの急所に撃ち込みますよ?相打ちになっちゃいますが。アナタが撃たなければ、アタシも撃ちません。仕方ないですし、大人しく捕まりますよ」
はったりだった。銃弾はやっぱりゼロだし、撃てるはずがない。あったとしても、男が撃った瞬間にこの重い腕を上げて、急所——額や胸を狙える気もしなかった。
男がコレを信じてくれて、銃口を下ろした瞬間に、角から飛び出る。男の追撃をなんとかかわしながら、シーヴァから出るしかない。完全に賭けだった。
——しかし、計算外のことが起きた。
「くそっ……見当たらないな……!」
「そっちはどうだった?」
「いなかった」
「裏路地をくまなく探すしかないな……」
「っ……!」
通りに、男達の話し声。やけに人数が多い。彼らが発する言葉だけで、フェルベス兵だとすぐわかった。
まずい。この男から逃げるためには、自分の背後にある通りに出るしかない。しかし、その通りには今、フェルベス兵がいる。——つまり今、自分は、挟み撃ちに遭っている。
(最悪だ……)
……ココまでか。通りに出てこの男の銃撃を逃れても、今度はフェルベス兵の銃撃を受ける。かと言って、ココでぐずぐずしていたら、本当に捕まってしまう。どっちに転んでも、自分は死ぬ。
その諦観が顔にも出ていたのか、男が言った。
「フェルベス兵の声を聞いた途端、目付きが弱々しくなったな。逃げる算段が崩れたか?」
「うるさいな、もう……そーですよ」
ズバリ言い当てられ、海凪はふて腐れたように答えた。——ということは、最初からバレていたらしい。
「大方、私がそのはったりを信じて銃を引いた時に、通りに出て逃げるつもりだったんだろう。ついでに言うなら、その銃、銃弾はゼロだ。違うか?」
「なんだ……全部お見通しってわけですか。何でわかったんですか?」
「私が撃ったらどっかの急所に撃ち込むと言っている割に、構えが甘いからな」
「あぁ、確かに……それは盲点でした」
本当にすべて最初からバレていたと知って、馬鹿らしくなった。海凪が溜息を吐きながら、カラの銃を下ろして聞いてみると、男も銃を下ろし、コートの内側にしまいながら答えてくれた。
そして、もう抗う気もなく、そこに佇立している海凪に近付いてくる。——と思ったら、その横を通り過ぎた。
「……え?」
「見つけたぞ!!」
わけがわからず、海凪が思わず男を振り返ると、通りの方から三人のフェルベス兵達が姿を現した。そして、海凪の少し前に立っている男に目を向け、問う。
「なんだ、貴様もバルディアの犬か!?」
「私は追行庇護の者だ」
と、男はコートのポケットから手帳を取り出し、三人に見せつけた。その手帳の表紙についている紋章を見て、三人が顔を見合わせる。
「そ、その手帳は……確かに」
「お前達は、この娘を追っていたのか?」
「そうです」
「なら、帰っていいぞ。コイツを追行庇護に引き入れることにした」
「「「「へ!?」」」」
三人の声と、海凪の声が綺麗にハモった。全然予想もしていなかった言葉に、海凪が男の背中を、目を見開いて見つめる。
一方、軍の三人は、バラバラの反応を示した。一人は何処か納得した様子、一人はうろたえ、一人は悩み込んだ。
「いえ、しかし、私達は貴方の配下だというわけではありませんので、その指示は……」
「お前、追行庇護のルール知らないのか?! しかも相手は幹部だぞ!」
「そ、それはそうだが……だが、将軍の命に反するぞ?」
「将軍が来ているのか?」
三人の会話から聞き取れたその階級名に、男が初めて驚いたような様子になった。それから、それを利用して、さらに言う。
「なら、将軍に言っておけ。スパイの娘は追行庇護に採用した。文句があるなら、警護組織本部の私の執務室まで来い、と。まぁ、追行庇護のルールを知っている以上、ないと思うが」
「は、はぁ……」
「とにかく下がれ」
「し、失礼します……」
なんだか丸め込まれたような気がする三人は、軽く一礼して、男の目の前から立ち去った。フェルベス兵相手に、随分偉そうな態度だった男の背中を凝視していた海凪を、男が振り返る。
「ただのスパイ狩りに、将軍がわざわざ出向いてきているのか。お前達、よほどの強豪集団だな」
「……アナタ、何者ですか?追行庇護って、軍の兵士に命令できちゃうほど権力あるんですか?っていうか、『追行庇護に引き入れる』って、どーゆー意味ですかね?なんかもー、わけわかんないんですけど……」
状況が目まぐるしく変わって、理解がついていけていない。さっき捕まると思ったのに、今、なぜだか見逃されている。と言うか追行庇護に採用するなんて、いきなり話が飛びすぎだ。
海凪がさっき感じた疑問を一挙にぶつけると、男はフッと笑って答えた。
「私は、フェルベス側の追行庇護幹部だ。軍の一兵士に命令できる権力もある。軍で言うなら、中隊長くらいはあるな。と言っても、あくまでも軍属ではないからな、無茶苦茶な注文は通らないが」
「さっきの、無茶苦茶じゃないんですか?バルディアのスパイを捕まえるはずのアナタが、追行庇護に採用するとかなんとかって……」
「追行庇護には、国籍は関係ない。実力がある者なら誰でも採用する。待遇はいいから、辞めたいと思う奴はほぼいない。他の国籍の者は、ある程度、単独行動は制約されるが。まぁ、追行庇護に入ってくる他国の人間は、訳ありの連中ばかりだから、ほとんどその心配はないがな。国を追われたとか、行くところがないとか、そういう奴らの掃き溜めだ」
——なるほど。疑問が解け、ようやく落ち着いてきた海凪は、頭の中でそれらを軽く整理した。
追行庇護が、国家組織の割に、随分と型破りな組織であることはわかった。だが、しかし……、
「……別にアタシ、入りたいわけじゃないですし。勝手に採用なんて言われても」
「どうだかな。軍に見つかった以上、フェルベスでは自由に動き回れないだろう」
「………………」
——男の言う通りだ。ココで逃げ切ったとしても、軍に怯えながら隠れて生活するしかない。とても暗く、息苦しい毎日が待っている。
それよりなら、その追行庇護に入って、堂々と表舞台を歩けた方がいいんじゃないのか?
追行庇護に入れば、身分は保証される。その点では、もう軍には追いかけられる心配はない。
「……そうですねぇ……それも、アリかもしれないですね」
海凪が初めて、迷ったような様子になった。腕組みをして、考え込む。
将軍が出向いた犬狩りだ。母国バルディアの耳に届いていないはずがない。となると、バルディアには死んだものだと思われているだろう。——と言うことは、自分はバルディアから解放されたということになる。
なら……、
「……アタシ、逃がした親友を探さなきゃなんないんですよね」
「なら好都合だな。追行庇護は、仕事柄、フェルベス内はアチコチ行く」
「ははっ、なら問題ないですね。じゃ、お望み通り、入っちゃいましょう」
「そうか。なら突然だが、私の補佐官に任命する」
とか男がサラリと言うもんだから、海凪は一瞬、ポカンとして。それから、盛大に噴き出した。
「ぷははっ!! アナタの言動、ほんっっと予測つかないですね!初めてですよ、アナタみたいな柔軟すぎる人!」
「褒め言葉だろうな?」
「褒めてます褒めてます!あ〜、面白い。いーですよ、アナタの補佐官だったら面白そうだし。謹んでお受けいたします」
「何処か謹んでるんだか」
海凪が笑いながら、胸に手を当てて冗談っぽく言うと、男も釣られて小さく笑った。それからすっと右手を差し出し。
「国家組織警護組織機動班・追行庇護フェルベス幹部の鈴桜烙獅だ」
「うわ、長ったらしい肩書きですね〜」
「コレに『補佐』がつくから、お前の方が長くなるぞ?」
「あはは、そりゃいーですね!アタシは秦堂海凪です。よろしくお願いします、鈴桜さん」
海凪も右手を出し、男——鈴桜と握手を交わした。勝気な青い視線と、冷静な緋の視線が交わる。互いの手が離れると、鈴桜がくるりと背を向けた。
「海凪か。早速だが、今夜から仕事だ」
「あはは!いきなりですか!そーですか! ……あれ、ところで、警護組織の活動内容は大体知ってますけど、追行庇護は何するんですか?」
「……仕事内容も知らずに加入したのか」
「……まぁ、アタシとしては、身分保証の方が最優先でしたしね〜」
呆れた顔で振り返る鈴桜に、海凪は自分でも少し軽率だったと思い、苦笑いして頭を掻いた。
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