→→ Octet 4

 二十人ほどが歩き回っていた。全員、赤い軍服を着た者達——バルディア兵だ。


(……マジかよ……)


 夜色の帳が完全に下りた真夜中。寒々とした荒野の大きな岩陰に身をひそめ、楸は額を押さえて溜息を吐いた。
 背中をつけた岩から顔を覗かせると、後方に、照明によって暗闇の世界に浮かび上がっている建物があった。巨大な壁……そう形容するのが一番のように思えた。
 ——15章の護りゲイルアーク。バルディアの国境をくまなく覆っている外壁だ。ところどころに入口と言う名の関所があるが、国外の者を内に通すことは決してない。そしてまた、国内の者が外へ出る検査も厳しい。検査をパスできる者は、参謀直々の証書を持つ密偵くらいだろう。
 それだけ警備が厚い要塞だ。常駐している軍人は数知れない。強行突破なんて言葉が浮かんでこないほどに。なんとか通れるとしても、面倒な上に損害が割り合わないし、第一そうする理由がないから、楸もそんなことはする気はなかった。

 ……が。
 なぜか今、そんなこと、、、、、をするハメになっている。


「……さすがに警備……厚いね」


 自分の横にちょこんと座っていた采が、同じく陰から覗いてみたらしく、そう言った。ココはバルディア−イースルシア間の国境だから、フェルベスの方より数が少ない。バルディアはイースルシアより、フェルベスの方を警戒、監視している。
 それでも、この関所の入口には、三人の警備員が立っていた。加えて、見張りだと思われる者が、2階にも二人。監視にこれだけ人員を割けるのだから、この関所には結構な数の軍人がいる。


「まぁでも、突破できない数じゃないな。顔を見られる前に……気絶させた方がいいか。下手に殺して、追っ手がかかったら面倒だし」


 楸が目を前に向け直すと、自分が隠れている岩の影の及ぶ範囲に座る玲哉がそう言った。彼の手には、鞘に入った刀が握られている。あの固い警備を見てもなお、彼は笑っていた。

 イースルシアに渡ろう。——たったそれだけ。
 何を考えているのかわからない玲哉の言葉がきっかけで、一行はイースルシアへ渡ることになった。そして今夜、一番の難関である15章の護りゲイルアークを攻略する。
 大した策はない。玲哉が上空から、、、、奇襲をかけたら、楸と采は、極力顔を見られないようにしながら真正面から強行突破。そのまま逃走。
 単純明快だが、負担の大きい作戦だった。かなりの技量がある者達の集団でなければ、実現し得ないだろう。その点、彼らは並からかけ離れているので問題ない。

 まず重要なのが、玲哉の上空から、、、、の奇襲。予想外の方向からの圧倒的な奇襲で、緊張した警備態勢を崩すのが目的だ。
 文字通り、この関所の屋上から仕掛けるわけだが……、


「………………」


 楸は無言で、赤瞳を玲哉の横に移動させた。そこに、一昨日まではなかった顔があった。
 影が差す場所にいるからわかりづらいが、常盤色の瞳と目が合う。長い耳と栗色の長髪の、怜悧な美貌を持つ女性がそこにいた。


「……何?」


 黒いスーツ姿のエルフ族の女性は、一言で問うた。無表情と言うより、心が欠落したような変化のない顔。楸は「……いや」と、目を逸らす。
 彼女は、昨日、玲哉が突然連れてきた。「協力してくれるって」と言っていたが、一体、何のために何の目的で、玲哉に協力しているのか謎だ。目的がわからないから、何処まで信用すればいいのかわからない。だがしかし、裏切るようだったら、恐らく玲哉が真っ先に殺すだろうから、しばらくは大丈夫か。


「じゃ、始めようか。天乃、行こう」
「わかった」


 玲哉は軽い口調で、一行に作戦開始を告げると、女性——依居天乃にそう言った。それだけで意味を理解した天乃は、静かに紡ぐ。


「魔界の裁人〈フィアベルク〉を召喚する」


 天乃が口にしたのは、魔界の住人ガリアテイルを喚ぶ召喚術だった。事前にそれを聞いていたとは言え、初めて見る術に、楸は興味を向ける。魔術と同じくらい稀少な召喚術も信じていなかったが、目の前で見ると、不思議な圧倒感があった。


「『何処かへ消えたものを取り戻すため』」


 何か聞こえたのか。天乃が何かに答えるようにそう言うと、彼女の真横に紫黒の召喚陣が展開し、そこから黒いカタマリのようなものが盛り上がる。現れたのは、自分の倍はありそうなサイズの、漆黒の鱗を持つ飛竜だった。
 立つように現れた黒飛竜——〈フィアベルク〉に、天乃が「できるだけ屈んで」と言う。〈フィアベルク〉は、≪しゃァねェな〜……≫と、しぶしぶ姿勢を低くし、なんとか岩の影の中に収まった。
 爬虫類のように縦に割れているその銀色の目が向いたのは、ちょうど目の前にいた玲哉だった。


≪いよォ、オマエ……悪ィ、何つったっけ≫
「玲哉だよ」
≪ソレだ、レイヤな。他にも新顔がいるなァ≫
「新顔はてめぇらだろ」


 前屈のような姿勢で、顔だけ動かして自分と采を見る〈フィアベルク〉に、楸が思ったことを言うと、『彼』は≪そうだなァ!≫と笑った。


「〈フィアベルク〉、できるだけ気付かれないように、関所の上に近付いて」


 この調子だと楸達と自己紹介を始めるだろうと読んだ天乃が、〈フィアベルク〉の言葉を遮るように手早く指示し、ひらりとその背に乗る。それに続いて、彼女の後ろに玲哉も飛び乗った。
 天乃の言葉に、明かりを放つまぶしい関所を見上げて、〈フィアベルク〉は少し困ったように言った。


≪あんな光ってちゃ、いくらなんでも、気付かれずに近付くってのは無理だなァ。一瞬で近付くってんなら別だけどよォ≫
「「それでいい」よ」


 一寸の間もなく返ってきた二人のハモった返答に、〈フィアベルク〉は大声で笑い出した。


≪ヒャッハハ!! 面白ェ奴らだ!行くぜ、振り落とされんなよォ!!≫


 高らかに笑い声を上げると、〈フィアベルク〉は、畳んでいた漆黒の羽を広げた。その双翼が大きく一度、力強く羽ばたき、巻き起こった強風に、楸と采が腕で顔を覆う。次の瞬間には、黒飛竜はすでに関所の上を翔けていた。
 屋上を通りすがった時、〈フィアベルク〉の背中から玲哉が飛び降りたのが見えた。昼の偵察だと、屋上にも警備員はいたらしいから、恐らく今、そいつらを一掃中だろう。

 それからほどなく、関所から緊急事態のサイレンが鳴った。それを聞きつけ、入口を張っていた警備員たちが数人、中の様子を見に行き、人数が減った。残りの警備員たちも、何が起きたのかと中を覗き込んでいる。
 その、全員の注意が関所内に向いている時。
 合わせたわけでもなく、楸と采は、同時に岩陰から飛び出した。

 ピンと張っていた緊張に石を投じられ、揺らぐ警備態勢。その一瞬に付け入り、一気に突破する。
 うろたえていた警備員に近付き、寸前で気付かれて振り返られる前に大剣の腹を薙いだ。ちょうど範囲内にいた二人も巻き込み、楸は、三人をボールのように吹っ飛ばす。三人は、壁に激突して綺麗に昏倒した。


「『緋き光、緋き力。弾け、センカ』」


 横を目だけで見ると、采が妙な詠唱とともに大鎌を振っていた。ほんのりと赤くなった先端が、警備員の頭上を通り過ぎると、まるで魂を狩り取られたかのように、次々に相手が倒れていく。なぜか采が、空いている手で小さくガッツポーズを取っているのが見えた。


「な、何だっ!?」

「———伏せて」


 背後で起きている、ただならぬ音に、先に中に入っていた警備員たちが顧みるより早く。楸と采の耳に、静かな女性の声がよく通って聞こえた。


≪ヒャハハッ!! どきやがれこのムシケラどもがァッ!!!≫


 すぐさま姿勢を低くした直後、ゴォウッ!!と、髪がちぎれそうな凄まじい突風が二人の間を通り抜けた。猪の如く、空中から突進してきた〈フィアベルク〉は、奥の警備員たちをその強烈な体当たりで跳ね飛ばす。気絶し損ねた者達も、〈フィアベルク〉の背に乗る天乃の針によって四肢の何処かを射抜かれ、あまりの痛みに気を失った。
 あれだけたくさんいた軍人達が、瞬く間に数を減らしていく。楸、采、天乃。玲哉を欠いたメンバーでも、それはあまりに圧倒的だった。

 ほぼ全員の軍人を片付けた三人は、互いに確認するまでもなく、関所のさらに奥——イースルシア側へと抜ける方へと駆け出した。元々、それが目的だ。
 前をちゃんと見て、ふと楸は、ふとまっすぐ奥へと伸びているその通路の途中に、自分達以外に立っている影を認めた。


「ハハハ!! その数の兵を、たった三人でのしたか!なかなかやるな!」


 3、40代くらいに見える男だった。褪せた青髪を持つ男は、愉快そうに大声で笑った。バルディアの赤い軍服を着ているところを見ると、やはりバルディア軍部の者だろう。
 ココまでは恐らく、顔を見られる前に倒してきた。……が、どうやら、この男には完璧に見られてしまったようだ。奇襲よりも手間はかかるが、どちらにせよ、昏倒させて進むのみ。

 一番に男に迫っていた楸が、真っ先に大剣を振るった。飛び退いてかわした男に、楸と寸での差で、采が追撃する。頭上を狙った横薙ぎがどんな効果をもたらすのか、今まで見ていた男は、その大鎌の曲刃を、抜き放った剣で上に弾いた。
 驚いた顔をして、弾き上げられた鎌に引っ張られて数歩引いた采の真横スレスレを、黒い針が掠めた。狙いは、剣を持った男の右手。男はまるで、その素早い針が見えているかのように、腕を動かして回避したかと思うと、真正面から突っ込んできていた〈フィアベルク〉の爪を、焦ることなく刃で受け止めた!


≪おおゥ、ジーサンやるじゃねェか!≫
「ふん、貴様らのような小童に引けをとる剣は持っておらん!」
≪しかもオレ見てビックリしねェぞ?!≫
「……む。言われてみれば、貴殿は人間ではないな。ほう……」


 刃を交えたまま、男は至近距離の〈フィアベルク〉を興味深そうにまじまじと見た。やがて、自ら剣と身を引くと、奇妙な三人と一匹を橙色の眼で見据えた。


「貴様ら、このセーシュ砦に何の用だ?小規模なこの砦を、国内の者が陥落させる利益はないように思えるがな」


 ——セーシュ砦。この関所は、そういう名前らしい。
 この男は、強い。恐らく、将校階級の者だろう。と言っても、自分達も負けていないから、単純な足し算で言えばコチラの方が有利だ。
 しかし、ココで騒ぎを起こすのは面倒だ。自分達は今、国境を渡るためだけに来た。それだけなのに、この男を倒したことで追っ手をかけられたりしたら負担が増える。この男を倒して進むリスクを冒し、得られるものは何もない。

 そう考え付いて、楸は、大剣の剣先を静かに下ろした。攻撃しないという意思表示。どうやら采と天乃も同じことを考えていたらしく、楸に続いて武器を下ろす。
 それを見て剣を鞘に収める男に、少しの沈黙を置いてから、采が小さな声で答えた。


「……ボクらは……イースルシアに渡りたいだけ」
「この砦自体に用はない」
「だから、そこどけ」


 その言葉の流れは、目的が単純明快だったというのもあるが、意図したわけでもなく綺麗に繋がった。
 男はふんとつまらなさそうに鼻を鳴らすと、くるりと背を返した。


「そんなことか。ならば、さっさとね。わしは、そんなものにはこだわらぬ。行くがいい」
「……は?」
「わしが追い返したことにしておく。さっさと去ね」


 男は何処か投げやりに言い捨てると、すぐ近くにあった部屋に入っていった。わけがわからず唖然とする三人と、楽しげに笑う一匹が動かずにいると、横の方でコツンと足音がした。


「へぇ、1階も結構いたんだな。2、3階は全部のしてきたよ」
≪おゥ、レイヤ≫


 この砦で動いているのは、自分達だけ。その足音は、考えるまでもなく、屋上から奇襲を仕掛けた玲哉だった。汚れ1つついていない彼は、恐らく鞘に収めたまま振り回したであろう刀を担いで、階段を降りて来る。


「……どうかした?三人とも」
「……なんでも、ない……」


 階段を下り切ってから、三人の反応がないことに気が付いて、玲哉は訝しげに問うた。すると傍に立っていた采が、やっと小さく首を横に振った。
 わけがわからない男の行動。呆気にとられていた楸も天乃も、采の「見なかったことにしよう」という言葉に同調し、ようやく動き出した。楸は大剣をしまい、天乃は〈フィアベルク〉を還す。


「ふーん?」


 玲哉は不思議そうに三人を見ただけで、単に興味がなかっただけだろうが、追及はしなかった。イースルシアの方角へ歩き出し、足元に倒れている軍服をまたいでから、玲哉は三人を肩越しに振り返って笑った。


「じゃ、さっさとイースルシアに渡ろっか」


 ——数日後、鉄壁の15章の護りゲイルアークが、たった四人によって突破されたという過去最大の過失は、即刻、闇に葬られる。





  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪





 二十人ほどが歩き回っていた。全員、自分が引き連れてきた軍の者達だ。


(……おかしい)


 かれこれ、この光景をすでに10分は見ている。確かに広い建物ではあったが、この人数で手分けをしているのだ。探し尽くせないわけがない。

 イースルシア王国中央部。かつて聖樹ラトナという、妖精を生む大樹が生えていたと伝えられる聖地に立つこの古代神殿、カルバニス神殿。
 石造りを基本としたこの神殿の入口広間で、その左右に伸びる通路の真ん中に立っていた氷室篝は、思いがけない事態に、アゴに手を当てた。



 古の遺跡には宝が付き物だから、盗賊がこぞって集まる。このカルバニス神殿も、その餌食となって荒らし尽くされたところだ。今はほとんど人気がない。しかし、誰も寄り付かなくなったからこそ、この廃墟に住まう者がいた。
 五体いる神獣の一人、未来を視る〈金虎〉ルーディン。黄金の毛を持つ『彼』は、足掻いても変わらぬ未来を視る。だからこそ傍観者として、この地にひっそりと住まい、世界を見守っている——はずだった。

 進展のない状況に業を煮やした篝は、不意に青紫色のマントをなびかせて歩き出した。その背中で、束ねたターコイズブルーの長髪も翻る。コバルトグリーンの目は、左右に伸びる通路のうち、右の通路から、ちょうど今戻ってきた一人に向けられた。


「見つかったか?」
「いえ。皆であらかた回ったはずですが、何処にも……」
「そうか……」
「どういたしますか?これだけ探してもいないということは、これ以上続けても結果は同じだと思うのですが……」
「そうだな……ジルヴィーン、相変わらず、気は感じられないか?」


 青い軍服に身を包んだ団員の一人から目を離し、篝が言った言葉は、この広間の奥にある祭壇のような台の前にいる者に向けてだった。
 人ひとり乗せられそうな大きさの、銀色の背中。その背中が反応した。


≪……やはり、ココにはいないらしい。しかし……ルーディンがココからいなくなるなど、信じられないな≫


 顔だけコチラを向けて、〈銀狼〉ジルヴィーンは、頭に直接響く、気が強そうな女性の声で返した。その言葉は、篝の対する返事と言うより、独白のようだった。
 神獣の一人、〈銀狼〉ジルヴィーン。イースルシア王家に好きこのんで付いている変わり者だ。何百年も前からいるらしいので、王族達は親しみを込めて、『彼女』を「フルーラ」という愛称で呼んでいる。
 同じ神獣同士だと、互いの気配を感知できる。しかし、この場所に来てから、フルーラはルーディンの気配を見つけられずにいた。

 篝達は、ルーディンに大事な用があって来た。それこそ、小規模ではあるが軍部の隊が出向かうほど、重要な用事が。


「ジルヴィーンが気を感じないということは、もうこの一帯にはいないということか……仕方ない。一度、城に戻るぞ。他の者にも、捜索を切り上げてこの場に集まるよう伝えてくれ」
「はっ!」


 篝が吐息を混じらせながら先ほどの兵に指示すると、指示を受けた兵は敬礼して通路を戻っていった。


≪……そうだな。残念だが……急いても仕方ないな≫


 その背中を見届けてから、フルーラは口惜しそうにそう言い、少し離れたところで壁画を見ながら歩いている少女を見た。
 いつもはドレスを着ている少女は、この旅の中では、浅葱色の儀礼服を着ていた。最初は丈がどうのとか言っていたが、歩きやすいと言って今ではすっかりお気に入りらしい。
 ちょうどこの広間の壁を一周して、壁画を見終わったらしい彼女に、フルーラは声をかけた。


≪椅遊、帰るぞ。ルーディンがいないらしい≫


 名前を呼ばれた少女は、くるりと二人を振り向いた。優しい桜色の髪が、その勢いでふわりと舞う。
 壁画を見ながら二人の会話も聞いていた少女は、二人のところに歩み寄りながら言った。


「うん。仕方ないよね」
「申し訳ありません、姫。せっかくご足労頂いたと言うのに」
「ううん!確かにちょっと残念だったけど、気にしないで。とっても楽しかったから」
≪城では見られないものばかりだったからな≫
「うんっ。篝、フルーラ、ココまで連れてきてくれてありがとう」


 楽しそうに輝く、空色の瞳で。イースルシア王国王女・朔司椅遊は、信頼に置ける二人に向かって優しく微笑んだ。





  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪





 ———やがて、8つの音は、重なり、繋がり、1つの曲を紡いでいく。






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