→→ Sanctus 10

 両膝の上に置かれた、握り締めた拳。緊張のせいか、まったく力が緩まない。緩んでくれない。


「………………」


 視線を下に向けて座っていた椅遊は、上目遣いで、この狭い空間内、向かい合う形で正面に座る玲哉を見てみた。玲哉は足を組んだ格好で壁に背中を預け、静かに目を閉じていた。
 不意に、下から突き上げるような揺れが襲った。その上に座る自分達も、その影響で少し浮く。このように時折襲う大きな揺れに、初め、椅遊は驚いてばかりだったが、今はもう慣れてきた。

 セーシュ砦から発って、すでに5日は経っている。夜は近くの村や町で過ごし、昼はガタゴトと揺れる馬車の中で、こんなふうに向かいに玲哉がいる状況で過ごす。そんな日々が、5日は続いているのだ。
 自分達の他にいるのは、馬車の御者二人。が、彼らは馬車の外にいるから、実質的には自分達だけのようなものだ。自分は攻撃されないとわかってはいるが、ただでさえ恐ろしいと感じる玲哉がずっと目の前にいるなんて、気が変になりそうだった。


「暇だね」
「!」


 ずっと物音しか聞こえていなかった耳に、突然、玲哉の声が触れた。起きているとはわかっていたが、唐突に発せられた声に動揺する。玲哉を見ると、彼はいつの間にか金と銀の瞳を開いていた。
 さらに身を強張らせた椅遊の様子に気付きながらも、玲哉は溜息を吐いて、小窓の外に目をやった。


「多分、もうすぐだと思うけど。しばらく〈フィアベルク〉に慣れてたから、あの砦に行った時は本当に疲れたよ。地上を行くって疲れるね。椅遊達は、ずっと歩いて旅してたんだろ?平気だった?」


 語尾の辺りでこちらを見て、玲哉はそう聞いてきた。自分が恐怖を覚えたその目は相変わらずだが、不思議と玲哉自身の気配は穏やかだ。

 椅遊の命と引き換えに空界を潰そうとしているはずの玲哉は、たわいのない世間話をよくする。緊張をほどかせるためとか油断させるためとか、そんな理由ではなく、ただ純粋に興味本位で聞いてくる。
 この5日間、椅遊が玲哉と一緒にいて知ったことは、異常な力や野望を除けば、彼があまりにも普通の青年であることだった。

 その穏やかな気配に呑まれているのか、なぜだか話しやすい。椅遊は素直に首を振った。


「……ううん。……たのしかった」
「途中で魔王を召喚したりしたんだろ?それでも?」
「うん。つらいこと、あった……けど……みんな、いたから」


 正直に答えつつも、あくまでも気を許しはしない。言ってよいことと悪いことは、ある程度、区別して話している。特に夕鷹達については完全に避けている。玲哉も突っ込んで聞こうとしないが。
 話をすると、不思議と落ち着く。自分を落ち着けるにはこれが最善だった。とは言っても、自分から声を掛けることはない。玲哉が何かを話してくれるのを待ち、答える、その繰り返しだ。

 玲哉は「ふーん」と相槌を打ち、笑って言う。


「皆がいたから、か。俺にはわかんない理由だな」
「……わかん、ない? ……どういう……こと?」
「俺、今まで一人で生きてきたし、他人がいると安心するとか、そういうの理解できないな。役に立つ奴ならともかく、他人なんて邪魔だし」
「じゃ、ま……?」
「それに、自分ほど信用できないしね。実際、采と楸は裏切ったし。凄く従順だった采はともかく、楸は鎖で繋いでたつもりだったんだけどな」


 「ホント、他人って信用ならないよね」と、玲哉は笑った。完璧な笑顔。その奥底にあるのが憎悪だから、それを読み取っていた椅遊は、いつもその笑顔が怖いと感じていた。しかし——今はなぜか、とても寂しく見えた。
 ——きっとこの青年は、人の温もりを知らない。だから平然と、そんなことを言う。
 そんな彼にとって、世界など取るに足りないのだろう。だから平然と、あんなことを言う。


  『俺がしたいのは、一度、世界を潰すこと』


 ——以前、プロテルシアの前で、初めて玲哉に会った時。彼はそう言っていた。
 しかし、なぜ?
 なぜ、世界を壊したいのか?取るに足りないなら、無視すればいいのに。


「……あなた……なんで、せかい……こわし、たいの?」


 5日間、ずっと受け身だった椅遊が、初めて自分から口を開いた。玲哉は少しだけ驚いたような顔をしてから、すぐに笑って答える。


「俺をこんな境遇になるように運命を紡いだ、神に復讐するためだよ。空界は、それに巻き込まれて壊れるってとこかな。とにかく一番の目的は、神への復讐」
「………………」


 憎悪を還元した完璧な笑顔で、彼はそう言う。恐らく、そこに嘘はないのだろう。
 しかし——
 ほんの些細だが、なぜだか何処か、ズレを感じた。


「……ほんとに?それ、だけ?」
「ん?それだけだよ。はは、神に復讐するっていうこと以上のことがあるって?」
「………………」


 おかしそうに笑って言う玲哉の言葉に、椅遊は内心で頷かされた。確かに「神に復讐する」というだけで、かなり次元の違う話だ。もし自分が感じたズレが、それ以上の事柄なら、それはつまり神より上の事柄についてだ。
 神よりも上位の存在があるならば、それは——


「………………あ」
「あ、見えてきた」


 思わず目を見開いた椅遊の声と、玲哉の声が重なった。椅遊の小さい声は、玲哉の声にあっさり掻き消される。
 彼に言われて小窓の外を見ると、バルディア特有の暗い雲の下に佇む施設が見えてきた。——プロテルシア。
 数週間前、自分はここから夕鷹達と一緒に、戦争の始まったイースルシアへと発った。


(……もどって……きちゃった)


 以前は、フィスセリア島から、采と楸に連れられてやって来た。
 今度は——イースルシアから、イースルシアを守るためにやって来た。

 ちらりと、窓の外を見ている玲哉を盗み見る。と言っても、どうせ自分の視線に彼は気付いているのだろう。
 こんな青年を、自分はこれから、出し抜こうとしている。


「………………」


 そう考えた途端に緊張してきて、さっきまで緩んでいた膝の上の拳に、また力が入る。
 きっと彼は、自分が緊張しているのも気配でわかっている。しかし玲哉の金と銀の瞳は、わざとこちらを向かない。

 ——できるのか?
 夕鷹達でさえも敵わない相手に。

 いや……やってみせる。
 「なんとかする」じゃない。「大丈夫」。



 絶対に。





  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪





 春霞と冬芽の背を追うように、フェルベス兵達の間を縫って駆けて、一体、どれくらい時間が経っただろう。
 音さえも忘れかけた頃に、耳元で声がした。


『前線が近付いてきたわ』


 風に乗って聞こえてくる舞歌の声も、やや疲れを含んでいた。それを聞いて、消耗の激しい六香と梨音の速度に合わせながら走っていた夕鷹は、前を見た。
 鉄と鉄がぶつかる音、風や地がうなる音、悲鳴。さっきまで聞こえてこなかった音達が、一斉に耳に届く。そしてそれは、舞歌の言う通り、すぐ目の前にまで迫っていた。


「六香、梨音、行けるかっ?」
「ちょっと疲れてるけど、行けるわ。ダイジョブ!」
「……ボクも、大丈夫。まだ動けるよ」


 間を置かず返って来た返答に、夕鷹は人知れず笑った。大した勝算もないクセに、なんて頼もしい奴らなんだろう。それは自分も同じだが。


「おい、六香とその連れ!飛空艇と戦車がいるからな、空と遠くには注意しろよ!」
「壊せるなら壊してくれると楽なんだけどね。まぁ無理しないで〜」


 先を行っていた春霞と冬芽が、やや速度を緩めて、後ろの自分たち五人を振り返って言った。ハルバードを担いだ春霞は鋭く、あの重いボウガンを片手で持つ冬芽はいつも通りの口調で。
 フェルベス兵達が途切れている前方、近付いてくる前線の先頭に向き直り、ハルバードを構えながら春霞が叫んだ。


「六香!死ぬんじゃねーぞ!死んだら打ち上げは、お前の嫌いなナスづくしメニューだ!!」
「それ死んだら関係ないけどなぁ、さすが春霞、気付いてないんだね〜。でも六香、無事でね!」
「へ……?あ……う、うん!兄達もね!」


 ……という、自分の返答は聞こえただろうか。六香がはっとして答えた頃には、二人の姿はフェルベス兵達の奥へと消えていた。
 ——1年前、自分は二人に守られていたのに。今、二人は、自分を守らずに行ってしまった。死ぬなと、それだけ言って。
 1年前と違い、自分の身は自分で守れるだろうと、信じられている。驚きつつも、純粋にそれが嬉しかった。


「飛空艇と戦車か。確かに厄介だな」
「そんなにやばいモンなの?」
「やばいも何も、威力を数で言うなら、1対100……いえ、それ以上よ?」


 隣の詩嵐の一言に、どちらも見たことがない夕鷹が首を傾げつつ問うと、地上に下りてきた舞歌が答えてくれた。その数字に、夕鷹は「あー……やばいかもね」と、あんまり実感していないらしく、ぼんやりそう言った。
 その2つの兵器がどんなものか大体知っていた梨音が、詩嵐と舞歌に問う。


「……お二人の力で、なんとかできませんか?」
「わたしは無理ね。風は速いけれど、一撃自体の威力は低いから。鉄鋼の兵器を断つのは、少し骨が折れると思うわ」
「俺は恐らく、炎で数撃で沈めることはできるだろうが……風と違って、範囲が狭い。アレの懐に入らなければ届かない」


 自分の属性の特性を熟知している二人が、それぞれに言う。どうやら、二人の属性である《炎》と《風》の間をとったような力が望ましいらしい。
 ということに気が付いた夕鷹が、ふと思い出して聞いてみた。


「あれは?なんだっけ……ダイブ……あれ、パイプだっけ?ライフだっけ?」
「……属性干渉タイプリレイスね。確かに、それで《風》に干渉して飛ばすことはできないんですか?」
「できるが、他の属性に干渉している時点で、《炎》の力が削がれる分、潰すのに時間がかかるな。その間に砲撃されたら一溜まりもない」
「……そうですね……戦術的には、相手がコチラの攻撃に気付いて対応し始める前に、できるだけ迅速に確実に潰したいところです。ボクの魔術も、懐に入らないと難しいですし……」


 詩嵐の意見ももっともだ。相手に気取られずに迅速に確実に潰すためには、攻撃は最低限である必要がある。となると、一撃一撃に威力が求められる。攻撃範囲は広がるが、威力が削がれる属性干渉タイプリレイスは考えない方が利口のようだ。


「じゃあ、アタシと夕鷹……舞歌も、かな?三人で詩嵐とイオンの消耗が少なくなるように道を開いて、戦車に近付く……って言うのでいーんじゃない?あ、でも飛空艇は届かないから……」
「それなら任せてちょうだい。飛空艇を墜とすなんて一瞬よ」
「それが得策だろうな。だが、万一、途中で砲撃されたら……」
「……最悪の事態ですね。砲撃させないのが一番理想的ですが……舞歌さんが風で、可能な限り進路を上空に反らさせたらどうでしょう。それからボクが……魔術は射程が長くないので、正直あまり自信ありませんが、『煌然の軌跡』辺りで爆破させます。直撃よりはマシです。当ててみせます」


 事情を呑み込んだ六香が提案した作戦に、舞歌が妖艶に微笑んで頷く。続けて、詩嵐が危惧したことに対し、梨音がさらに提案し、放たれた砲弾に攻撃を当ててみせると前向きに見積もった。

 長い間、他人の命を喰らって苦しみながらも、ずっと自分の傍にいてくれた梨音。
 日は浅くも、出会った頃から自分を信じてくれて、自身も大きく成長した六香。
 自分達がバルディアのスパイではないと信用して、手を貸してくれている舞歌と詩嵐。
 ——気が遠くなるほどの時の中、ずっと孤独だった自分は、今一瞬、なんて恵まれているんだろう。


「ははっ……ホント、みんな頼りになるなぁ〜」
「あら、おかしなことを言うのね。一番頼られているのはアナタよ?」
「……へ??」


 夕鷹の一言に、舞歌がおかしそうにクスクス笑って言った。言っている意味がわからず、ぱちくりと目を瞬く夕鷹を、他の三人が振り返る。


「俺があまり消耗しないためには、お前の働きが重要だ」
「アタシもその役だけど、アンタほど動き速くないし、多分一番アンタが重要よ!」
「……ボクも、援護なしには魔術は使えないから。夕鷹の行動が重要だよ」


 詩嵐は淡く笑って、六香は勝気な笑みで、梨音はやはり眠そうな表情で。口を揃えて「お前が重要だ」と、わざとプレッシャーをかけた。
 皆が作戦を立ててくれたり、対処法を各自に割り当てたりしていたから、自分は重要じゃないと思っていた夕鷹は、驚いて金の瞳を見開いていた。

 そのうち、五人はフェルベス兵達の先頭を越え、最前線へ飛び出ていた。


「ねぇ、隊長さん。頼むわよ?」


 そんな夕鷹に、舞歌が笑って言った。





  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪





Burnバーン >> Blazeブレイズ#」


 前へ跳躍と同時に呪文を詠唱すると、刀身を炎が包み込んだ。その灼熱の刃をもって、詩嵐は、自分の2倍ほどありそうな目の前の戦車に切り込む。
 炎の刃は、鉄でできているはずの戦車のボディに、抵抗なく滑り込んだ。刀をもぐり込ませたまま、その上を跳び、後ろへと抜ける。
 やがて、すたんと地面に着地した彼の背後で、真ん中から2つに分かれた戦車が、回りの兵士を巻き込みながら倒れていった。

 戦車が真っ二つになるなんて、誰も予想していなかった。混戦の中、狼狽するバルディア兵達は、勢いづいたフェルベス軍に押されていく。
 その中に紛れていた六香が、驚いた顔で詩嵐を振り返った。


「ウソ!? 詩嵐って、あんな強かったの?!」
「あら、今更どうしたの?お兄様は、とっても強いわよ……」


 横から得意げに舞歌にそう言われて、六香は何気なく彼女の方を見た。……と、その横から放たれる殺気を感じて、血相を変えた。


「舞歌、危ないッ!!」
「っ……?!」


 鋭い声とともに踏み込んだ六香は、はっとした顔をした舞歌を体当たりで突き飛ばした。すかさずザっと足をつき、その方向へ向けていた銃の引き金を引く。バァン!!と銃が振動した直後、左腕に熱が弾けた。
 自分が撃った銃弾は、襲いかかってきたバルディア兵の肩の付け根付近に命中した。肩を押さえてよろめいたバルディア兵を、いつの間にかその背後に迫っていた詩嵐が切り伏せた。


「! そのケガ……平気か?」
「動けるから大丈夫。痛いけど大したことないわ」


 赤く染まっている自分の左腕を見て目を見張る詩嵐に、六香はなんでもないような口調で答えた。
 舞歌に切りかかろうとしていたバルディア兵の前に飛び出したのだ。その剣の刃が左腕に掠っていた。深くはないから、まだ動ける。

 突き飛ばされて座り込んでいた舞歌は、血を滴らせる六香を呆然と見上げていた。やがて、不意に口を開く。


「……アナタ……変わってるわね。私達、今は協力しているけれど、仲間でもないのよ……?そんな相手を、普通、自分が身代わりになってまで助けるかしら?」


 本当に不思議そうな問い。純粋な疑問。
 それに対し、六香は血が薄く流れる左腕を押さえ、馬鹿らしそうに言った。


「体が勝手に動いたんだから仕方ないでしょ?それに、アンタも大分来てるんだから、意地張ってないで助けてもらいなさいよね」
「あら……気付いていたの」


 ふらりと立ち上がる舞歌の顔を見て、六香は思わず呆れた顔になった。気付いていたも何も、顔が真っ青だ。
 クランネの力は、血を消耗して発動する。ココまで休みなしに力を振るってきた反動が、貧血となって今表れたのだろう。後ろに倒れかける舞歌を、詩嵐が支えた。
 ポーチからハンカチを引っ張り出し、それを傷口に簡単に巻いて止血し、六香は言う。


「とにかく、アンタは飛空艇落としとかまだあるんだから、少し休みなさいよ。イオンの『拒絶の守護』に入れてもらえばいいわ」
「……そうね……わたしが足を引っ張るわけには行かないわ。お兄様、わたしはもう大丈夫……」

「——今、呼びましたか?」


 数え切れない音が渦巻く洪水の中、その声はやけによく通って聞こえた。近くのフェルベス兵の間から顔を覗かせたのは、緑の半透明な壁に囲まれている梨音だ。
 彼は舞歌の顔色を見て、大体の用件を悟ったらしい。『拒絶の守護』を張った梨音が動くと、フェルベス兵達がその壁に押し退けられる。『拒絶の守護』は、攻撃だけでなく、すべてのものを『拒絶』する。それを知っていた六香が、詩嵐にも声をかけて少し下がった。
 おぼつかない足で立つ舞歌から、2、3歩の距離を置いて、梨音が手を差し伸べた。外部からのものは『拒絶』する壁は、内部からのものは『拒絶』しない。半透明の壁を、梨音の手は静かにすり抜けた。


「……ボクの手をとって下さい。そうすれば、もう内部のものと認識されるので、『拒絶』されずに入れます」


 言われるまま、舞歌がその手をとると、梨音は彼女との距離を詰めた。舞歌に迫った『拒絶の守護』は、彼女を『拒絶』することなく、彼女をも包み込む。


「ありがとう、梨音君……お世話になってばかりね」
「……無理はしないで下さい。と言っても、人のことは言えませんが……」


 正直なところ、梨音も疲労が激しかった。『拒絶の守護』は、それほどの量ではないが、展開中はずっと魔力を使う。最初から長期戦を想定していたから、消耗の激しい高位の魔術は使っていないが、並の魔術でも、やはり使えば使うほど力を消費する。

 自分を援護していた夕鷹を探して、梨音が周囲を見渡した時。突如、背後で大地が震えた。
 足元を伝う振動に、四人が振り返ると、少し離れた場所で、曇天を裂くような赤い閃光が見えた。その付近の上空を、黒い影が飛んでいた。


「飛空艇の砲撃……?」
「そーなんだよ!来なきゃいーのに今度コッチ来る!さっさと落とさないとやばい!」


 その影から予想のついた六香が呆然と紡ぐと、正面から、兵達の間を縫って、夕鷹が飛び出してきた。致命打は受けていないようだが、長時間の疲労が重なり、さすがの彼もアチコチに切り傷をつくっていた。
 飛空艇の様子を見て、舞歌にそれを落としてもらおうと思ってやって来た夕鷹は、梨音の結界の中にいる蒼ざめた顔の彼女を見て、開きかけた口を思わず閉じた。代わりに、梨音に目線を移して言う。


「梨音、魔術で落とせたりしない?」
「……ごめん……的が遠すぎる。今のボクが使う魔術じゃ……」


 本来、魔術は遠距離からの攻撃方法だが、梨音が現在使っている魔術は、主に接近戦型だ。よく使うだろう魔術だけをアレンジしたということが、このような弊害になってしまった。
 梨音が申し訳なく思いながら、その近付きつつある飛空艇を見上げると。ぱらぱらと、その下の方……フェルベス兵達から、飛空艇に向かって、何かがたくさん飛び始めた。


「何だあれ……?」
「……矢、か……?」


 夕鷹が目を凝らして見る横で、信じられないと言わんばかりに詩嵐が紡いだ。
 ——彼が見た通り、それは矢だった。鉄でできている飛空艇に向けて、敵うはずがない無数の矢が放たれている。しかも矢にしては妙なことに、空を目指して駆け上がる矢達は、その途中で勢いを失って落下していく。
 一行が解せずにいると、ようやく一本の矢が突き刺さった、、、、、、。どうやら軽い木製ではなく、かなり硬い素材でできている矢のようだ。重さも比例しているらしく、だからなかなか勢いが出ないのだと悟る。
 だが、そんなものが、やっと1発当たったから何だというのか。


「「「『唸れ、風威』——レト・シルフィ」」」


 意図がわからずにいる五人の前、フェルベス兵達の方から、風の理術の詠唱が聞こえて。
 刹那。まるで羽のように、飛空艇が、空中で切り刻まれて散った。


「「「「「———?!」」」」」


 全員が息を呑んだ。電気が漏れたのかアルテスの誤作動なのか、宙で炎上する飛空艇は、何が起こったかわからずに唖然と見上げる五人に向かって、フラフラと落ちてくる!


「こ、コッチ来るわよ?!」
「う……嘘っ……!」
「ま、マジか〜っ!?」
「まずい、このままじゃ……!」
「くっ……!」


 悲鳴を上げながら周囲の兵達が逃げていくのに紛れ、五人も逃げようとするが、今からでは、どう考えても爆発の範囲外には出られない。
 せめてはと、梨音が『拒絶の守護』を拡大して張るが、この魔術は体積が小さいほど強度を増す。五人分以上の体積になった結界は、ひどく頼りなく見えた。

 眼前にまで迫った、炎上する飛空艇。
 巻き込まれる——!


SeaLシール >> SoiLソイル#」


 ……声が響いたかと思うと、突如、目の前が何も見えなくなった。
 事が一気に起こりすぎて呆然としていると、なぜか、飛空艇が爆発する音がこもって聞こえた。その音で、まだ戦場にいるのだと思い出す。
 そうして我に返った時、目の前に、土の壁が立っていることにようやく気が付いた。それは、まるで塔のように四面を以ってそびえ立っていた。


「夕鷹さんッ!!」
「へ??」


 土の塔を見上げると、何処からともなく、少女の声が上がった。名前を呼ばれ、キョロキョロと見渡す夕鷹の隣に、ザッと誰かが下り立った。


≪久しぶりだな、お前達≫
「フルーラ!? アンタ、傷はもう……」


 頭に直接響いた知っている声は、途中、離脱した銀の狼のものだった。六香が顔を向けて言いかけ、『彼女』の方を見て言葉を呑んだ。
 五人が目を向けた、そこに立っていたのは、もちろん銀色の毛並を持つ狼と……その背にまたがる、小さな少女だった。


「お久しぶりっ、夕鷹さん、梨音君っ、六香さん!」


 朝日色のショートカットの彼女は、大きな金眼で皆を見て、ニッコリ笑って言った。


「明燈……さん……?」
「あ、明燈っ?! お前、何でこんなとこにいんの!?」
「ど、どーして明燈が!?」


 見間違えるはずがない。見知った少女の笑顔に、三人とも目を見開いて、フルーラの上に乗る彼女を見つめた。
 己が聖力で構成されているから、そして内にバルストを宿しているから金眼である夕鷹と違い、生粋の金眼者バルシーラ——樹生明燈。グラン共和国で出会った、料理が大得意な少女だ。住まう国と言い、性格と言い、戦争とは無縁のはずの彼女が、どうしてこんなところに?


「あ、それは……」
≪明燈!! 上だ!≫


 驚くのも当然だろう三人に、明燈が穏やかな口調で答えかけた時。その先を、フルーラとよく似た独特な響き方をする、緊迫した男の声が掻き消した。
 皆が上を見上げると、もう1機いたらしい飛空艇が空を旋回していた。その砲口から、砲弾が放たれるのが見えた。


「んなっ……!!」
「う、ウソっ!?」


 気付くのが遅すぎた。今から逃げても、あの砲弾の攻撃範囲からは逃れられない。
 思わず顔を蒼ざめさせた五人とは反対に、明燈はこの場に不釣合いな笑顔で「大丈夫!」と言ってから、その砲弾を見据えて口を開いた。


pieRceピアース >> gRoundグラウンド#」


 その口が当然のように発したのは、クランネの呪文だった。その直後、正面の荒れた地面から、勢いよく鋭い先端が持ち上がり、空中にあった砲弾を刺し貫く。
 衝撃を受け爆ぜる砲弾が、カッと天を真紅に染め上げる。その爆発に巻き込まれたのか、砲撃した飛空艇は後部を燃え上がらせながら、離れるように飛んで行った。
 それを、呆然と最後まで見送ってから、夕鷹はさっきの情景を反芻した。それが物語るのは、たった1つ。


「ちょ……え、明燈って、クランネだったの??」
「あれ?ワタシ、言ってなかったっけ?」
≪夕鷹、お前、知らなかったのか?≫


 恐らく、皆気付いているだろう。夕鷹が驚いて本人に確認をとると、明燈は逆に不思議そうに首を傾げた。唖然とする一行の中で、梨音がかろうじて首を左右に振り、彼女に問う。


「……聞いて、ません……見たところ、《地》のクランネのようですが……」
「あ……そ、そうなのっ。こ、この……腕につけてるのが、媒体で……」


 梨音に声をかけられた明燈は、途端に少しぎこちない話し方になった。梨音は内心で訝しみ、ふと、別れ際のことを思い出した。
 ……どうやら彼女は、自分に好意を抱いてしまっているらしい。悪い気はしないが、自分は……


「舞歌っ!!」


 その思考を断つように、後ろから詩嵐の声が上がった。同時に、バチンッ!!と弾かれる音。
 振り返ると、立っていられなくなったのか舞歌が倒れていて、それを少し離れたところで手を押さえて見ている詩嵐がいた。


「舞歌さんっ……!」
「梨音、その結界、悪いが解除してくれ」
「はい……第15章、解除リリース


 詩嵐の有無を言わさぬ強い口調に、梨音もすぐに『拒絶の守護』を解除した。不可視の壁が消えるなり、詩嵐は刀を収め、顔色の悪い舞歌を抱き上げる。


「お兄様……ごめんなさい……」
「気にするな。……前線突破を手伝ってやると言ったが、舞歌がこんな状態では、これ以上、俺達は助けになれない。約束を違えてすまない。ちょうど敵軍が引いたし、俺達は下がらせてもらう。〈銀狼〉とともにいれば、十分、身分証明になるだろう」


 動けない舞歌を置いていくわけにも行かないし、かと言って自分達が動かないでいるわけにはいかない。足手まといは退くしかない。
 泣き出しそうな顔で謝る舞歌を、詩嵐は一言でなだめ、夕鷹達にフルーラを目で示しながら言った。それに対し、真っ先に六香が笑顔で言った。


「そんなことないわよ!凄く助かった!二人とも、ありがとね!」
「……わかりました。ココまで、ありがとうございました。後方でゆっくり休んで下さい。舞歌さん、お大事に……」
「おお、なるほど!フルーラって、イースルシア王家に仕えてるしなぁ〜。二人とも、ココまでさんきゅー!マジで助かった!」


 身分証明もない自分達が、ココまで来られたのは、自分達を信じて手伝ってくれた二人のおかげだ。


「アナタ達の、無事を祈ってるわ……」
「死ぬなよ、お前達」


 三人が口を揃えて礼を言うと、舞歌と詩嵐は、それぞれに小さく笑って答えた。そして詩嵐は背を向け、来た道を引き返し始める。
 後方は、無数の死体が転がる中、救護兵や負傷兵がまばらにいる。前線で堰き止められているバルディア兵も、恐らくココまでは来られない。

 その遠ざかる背を少し見送ってから、三人は一斉に、フルーラと明燈に向き直った。


「で、明燈、フルーラ。ひっさしぶりぃ〜。まさか戦場で再会するなんてなぁ」
「そうだね、お久しぶりっ」
「フルーラ、傷はもうダイジョブなの?」
≪全快とは言い切れないがな。ひとまず、動くのには問題ない≫
「……それで、フルーラさん。なぜ貴方が、明燈さんを連れているんですか?」


 三人が共通で思っていることを、梨音が代表してフルーラに問いかけた。当然、聞かれるものだと読んでいたフルーラは、待ち構えていたようにすぐに答えた。


≪明燈は、やはり宮廷料理人になろうと思ってイースルシアにやって来たらしい。私は最初から前線に目指していたのだが、その途中で会った。コイツに捕まってな、しぶしぶ事情を話したらついてきた≫
「だって、夕鷹さん達を助けに行くって言うから!他人事じゃないって思って……」
「でも、その……明燈、ダイジョブ?つらくない?」


 六香が気遣うように、優しく明燈に問いかけた。戦場になんて、誰も好きこのんで来ない。さっきのような混戦状態だと、四方八方に気を配らなければいけないし、精神的にも肉体的にも疲労を伴う。実際、六香はすでに、心身ともに満身創痍だった。
 そう問われた明燈の顔から、笑みが静かに引いた。悲しそうな顔をして、彼女は胸に手を当てる。


「……本当は、つらい。人が争ってるところなんて、見たくないよ。でも……あんな兵器で、一度にたくさんの人が死ぬのは、もっと見たくないから。ワタシ、グランに住んでて、戦争にはあんまり関係ないけど……みんな、死んでほしくないから。ワタシは《地》だから、きっとみんなを守ることはできると思って」


 まっすぐで、一途な想い。明燈は、年の割にしっかりしているが、それでもやはり、12歳の少女だ。本当の戦場を知らない彼女を、今までフルーラと……その隣に並ぶ、『彼』が援護してきたのだろう。
 ——いつの間にか、そこには金色の虎が立っていた。恐らく、明燈に鋭い注意を投げかけた頃には、すでに傍にいた。
 フィスセリア島で見かけて以来の〈金虎〉ルーディンは、夕鷹、六香、梨音を、その澄んだ翠色の眼で見た。


≪足を止める寸暇など皆無だ。早く進むがいい。ここより、我らがお主らを支援しよう。戦車と飛空艇の砲撃なら、明燈が防御してくれる≫
「砲撃は任せて!ちゃんと防ぐから!」
≪明燈は、私とルーディンで守るから気にするな。お前達は、早くバルディアを目指せ!≫
「お、おおっ?お前ら、俺らの事情わかってんの?」
「ルーディンは未来を視るんだから、知っててとーぜんでしょ!それより、先を急ぐわよ!」


 ぱちくりと瞬きをして驚く夕鷹に、ぴしゃりと六香は言い、前を指差した。先を行くフェルベス軍の後に続いて、夕鷹と六香、明燈を乗せたフルーラが駆け出す。

 それを肩越しに見てから、梨音は、ルーディンに目を向けた。ルーディンもまた、梨音をまっすぐ見つめていた。
 ——数百年前と、まったく変わらぬ姿。ただ違うのは……いつも諦めが映っていたあの瞳に、何か強い意志が宿っていることだった。


「……びっくりしたよ。傍観者だったはずの君が、こうして戦ってるなんて」
≪お主が長い時を生きるうち、呪咒アバルゲの調整役から、バルストの監視役に心が変化したように……我にもまた、変化があっただけのことだ≫


 ルーディンに、フルーラのように心を読む力はない。しかし、まるでコチラの心を見透かしたように、当然の如く放たれる言葉に、梨音は内心で苦笑した。
 ……きっと『彼』は、ずっと、ずっと遥か昔から、知っていたのだ。
 フィルテリアが勝ち、自分が禁術で長き時を生きて、やがて心が変わっていくことも。いずれまた、こうして再会するだろうということも。そう思うと、なんだかおかしかった。

 前線の方を見据え、自分の隣に進み出てきたルーディンが言う。


≪さて、我らも行こうではないか。古の大賢者よ≫
「……そうだね。〈金虎〉ルーディン、頼りにしてるよ」






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