→→ Sanctus 4
テンガロンハットが、落ちていた。
そのことに気付いたのは、突き飛ばされ尻餅をついて、数分経ってからだった。
海凪は、目の前で行われる、文字通り目にも留まらぬ速さで繰り広げられる剣戟を、呆然と見ていた。
昴と、バルディアの儀煉という名の男。その初老の外見からは想像もつかない俊敏な動きで、昴の剣を牽制している。
昴が強いとは知識として知っていたが、実際に目の当たりにする彼の剣技は、本当に凄まじかった。これほどまでに剣を手足のように使う人間を、海凪は他に見たことがない。
その攻防に見入っていたから、海凪は、すぐ傍に人がやって来たことに気付けなかった。
「海凪、無事か」
「鈴桜さん……あ、はい、あたしは大丈夫です。すみません、ちょっとボーっとしてました」
上から声をかけられて、海凪は鈴桜の存在を知った。それからすぐに立ち上がると、鈴桜が昴に向かって言った。
「祐羽!忙しいところ悪いが、バルディア軍が近付いてきているぞ!」
「ココで応戦しろ!細かい指示はお前に任せる!」
コチラに目も向けないまま、昴がそう叫ぶ。鈴桜は短い沈黙の後、「……わかった」と小声で言った。そして、昴の後ろの方に待機していた兵士全体に聞こえるように、声を張り上げる。
「お前達も聞いたな!祐羽は手が離せない。知りもしない奴に指示されるのは癪かもしれないが、統率をとるためにも協力してくれ!」
そんな言葉に、兵士達はお互いに顔を見合わせて、戸惑った様子を見せた。——無理もない。鈴桜も、追行庇護の幹部とは言え、こんなに大勢の、しかも所属も違う集団の指揮をとるのは初めてだ。しかしこの状況では、そうも言っていられない。
「……お……おーーッ!!!」
鈴桜がプレッシャーを感じていると、不意に、真ん中辺りにいた一人の兵士が、腕を突き上げて叫び出した。鈴桜と海凪が驚いて見ると、その隣の一人、離れたところの一人と、また一人、また一人、賛成するように声を上げ始める。そうして全員が腕を上げるのに、そう時間はかからなかった。
気付かぬうちに、笑みがこぼれていた。しかしすぐに顔を引き締めると、鈴桜は手を掲げた。
「バルディア軍を迎え撃つ!! バルディアはいくつか兵器を持っているが、落ち着いて対処すれば問題ない! ……ところで、副指揮官はいないのか?」
「はい、私ですが……」
整列した軍の先頭にいた、30代くらいの男性が手を上げた。鈴桜が彼を見ると、男性は言葉を続けた。
「将軍は、私ではなく、貴方に指揮を託した。それが将軍の判断です。ですから、私も貴方の指揮に従います」
「いや、全面的に信用されても困るんだが……とにかく、そっちが嫌でなければ、私の指揮を支えてほしい。戦場での状況判断は、やはり専門家の方が詳しいだろう」
「なるほど……そうですね、了解しました」
「指揮官!前方にバルディア軍です!!」
快く頷いてくれた副指揮官に鈴桜がホッとした時、一人の兵士が声を上げた。ばっと振り返ると、前方の小高い丘の上に大勢の人間が現れていた。そして雄叫びを上げながら、バルディア軍が進軍してくる!
「行くぞ、応戦しろ!!」
銃を構えて鈴桜が言い放つと、背後の兵士達も声を上げ、戦い続ける二人の左右を行き過ぎ、バルディア軍に突進していく。テキトウに照準が合った敵兵のももを撃ちながら、鈴桜が聞いた。
「海凪、まだ行けるか?」
「とーぜんです。ココで退いたら、追行庇護としても秦堂家としても名折れです」
鈴桜の問いに、海凪は銃を構え、不敵に笑って言った。
昴とは正反対の気遣いをする鈴桜の言葉は、心地良かった。これだからこの人の下にいてよかったと思う。昴が悪いわけではないが、自分はコッチの気遣いの方が性にあっているらしい。
「この中に理術師はいるのか?」
「はい、後部に数名ですが」
「その距離からでも攻撃できるのか?」
「もちろんです。最近、フェルベスは理術の発達が目覚ましいですから」
「そうか、なら……」
そんな鈴桜と副指揮官の会話が、どんどんと遠ざかっていく。それを聞きながら、昴は儀煉の剣を牽制していた。
鉄と鉄が擦れる音。完全にぶつかり合う寸前で刃が引かれるから、鉄が擦れ、震える音しかしない。そんな攻防が、鈴桜達がやり取りをしている間も続いていた。
自分の剣速に難なくついてきた人間も、初めてだ。昴は刃を重ねながら、軍人ではすでに老体であろう儀煉に内心で感心していた。
だが——それ故に、コチラの方が有利だ。
自分の左眼の動体視力が、儀煉の剣のかすかな遅れを捉えた。それを見逃さず、昴は黒剣を突き出した。数瞬遅れをとった儀煉は、懐に入り込んできて自分の軍服をかすかに裂いた剣をとっさに弾き上げ、後退する。
追撃をかける。一足で近付き、再び突こうと剣を大きく引く昴に、儀煉がニヤリと笑って言った。
「癪だが、年ゆえにスタミナは貴殿には追いつかぬな!しかし!!」
「っ……!?」
突然、右の方から何かの気配を感じた。まったく気付かなかった謎の存在を、昴は慣性に逆らって無理やり飛び退いてかわした。
ギリギリでかわされた剣の生み出した風が、昴の長い前髪を荒々しく下から吹き上げ、なびいた毛先が切られて散った。——その下に垣間見えた、閉じられた右眼には、大きな傷痕が縦に走っていた。
「貴殿は右眼が見えぬようだ。よって、右側に死角ができる。左眼である程度、補っているようだから狭い死角だが、あるだけで十分。左利きではないからな、あまり素早い攻撃はできんが」
思わず左手で前髪の下の右眼に触れる昴に、彼が気付かぬうちに後ろで剣を左手に持ち替えていた儀煉が言う。
——この男。自分が追撃をかけた時に剣を左手に移し、自分の視界に映らない場所から切りかかってきたというのか。
この瞼の下には、眼球はない。昔、軍に入る前、猟犬総帥だった榊 遼に切られた。あの頃は、単に己が弱かっただけだ。
あの時に以来だ。久しぶりに、気持ちが高揚するのがわかった。
悲鳴が響いた。
二人のすぐ傍で爆発が起き、その周囲にいた兵達を紅が飲み込んだのが、視界の隅で見えた。
「将軍ッ!! 上です!!」
「「!?」」
何事かと目だけで辺りを見た昴に、誰かが叫んだ。その声を頼りに後方に跳ぶと、儀煉も同時に大きく後ろへ飛びのいた。
そして、二人が退いた場所に、人一人抱きつけそうな大きな砲弾が襲来した。先端が地面にぶつかったと思った直後、轟音とともにまばゆい真紅が目を焼く。目を細めて視界を焼かれるのを防いだ昴が、爆風に髪をもてあそばれながら上空を仰ぐと、黒い影が浮いていた。
——アルテスの力で動く、バルディアの飛空艇。軽量化のために弾数は限られるが、カノン砲を搭載する。
また、砲弾が放たれる。近くに誰もいないのを確認してから、さらに後ろへ跳んだ。早く理術で撃ち落さなければ、厄介だ。
しかし、離れた地面に着地した時、昴は信じられないものを見た。
さっき自分がいた場所に、何者かが現れ、
「うぉおおおおおおっっっ!!!!」
落ちてきた砲弾に向かって、持っていた武器——ハルバードを力一杯振り上げた。ガキンッ、と鉄の固い音がし、先端を突き上げられた砲弾は、縦に回転しながら、放たれた飛空艇へと逆戻りに吹っ飛んでいく。
バルディア特有の暗い空を、鮮紅の閃光が裂いた。空中で派手に爆発した飛空艇を、バルディアの兵士達が愕然と見上げ、事を知らないフェルベスの兵士達は歓喜の声を上げる。
——それが、たった一人の人間によって成されたことだということを目の当たりにした昴は、呆然としていた。
その彼の視線の先で、砲弾を跳ね返すという荒技をやってのけた人物がコチラを振り返る。ハルバードを肩に担ぎ、彼は言った。
「てめぇ将軍だろ。さっさと片付けろよな」
「お前は……」
コチラを睨み据えて言う青年は、知っている顔だった。
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芽吹未亜。
玲哉に昏倒させられ、今、バルディアのビアルドで眠っているであろう彼女なら、どうしただろう。
世界か、玲哉か。
ずっと最初から——恐らく会った時から、知っていた。
玲哉が、世界を、神の夢を憎んでいて、それを壊そうとしていること。
この空界を壊し、神をも消しさろうとしていること。
そうすれば、神の夢も消えると。
我ながら、難儀な相手に、難儀な感情を抱いてしまったものだ。
神の夢は、いつだって残酷にできている。
まるで、自分達には、夢を見ることを許さないように。
世界を壊すなんて、賛成できない。
だってこの世界には、たった一人の肉親と、彼がいる。
しかし彼は、自分のことなんてどうでもいいと言う。ただ、世界を壊せれば、それでいいと。
それが、彼が望む結果。
——どちらを取ればいいのか。
この世界と、
彼の望みと。
少なくとも——自分には、選べなかった。
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聖王と魔王は、空界を瞬滅できるほどの力を持っている。しかし今日、空界が無事なように、彼らには空界を壊せないわけがある。
空界には、神がいる。彼らよりずっと先に人々の思想から生まれ落ちた、すべての神の夢を紡ぎ、すべての未来を予見するとされる存在が、空界を守っているからだ。その存在は、空界に自分の意志で下りてきた聖王と魔王の力を牽制し、削ぎ落とす。だから、聖王や魔王の意志による『外』からの攻撃はまるで効かない。——そう、外からは。
たった1つ、抜け道がある。それが、イースルシア王家の誓継者だ。
誓継者を通じて、自分の意志ではなく誓継者に呼ばれて召喚された魔王は、神の牽制を受けない。よってそれは『内』からの攻撃となり、神は完全に防ぐことができない。そうなると、世界規模の攻撃を受けたら、神も消えるだろう。
——それが、玲哉が、生まれ故郷のイースルシアで知り、そして立てた仮説だ。
運命を紡ぐ神、ただ一人に、復讐するために。
空中から急降下してきた〈フィアベルク〉を、二人はそこから退いてかわした。すかさず、わざとあまり距離を開けなかった楸が、土ぼこりが立つそこへ大剣を振り下ろす。
すると、ガギンッと強い手応えがした。剣風で土ぼこりが霧散し、そこに見えたのは、コチラの刃を片手の爪で受け止め、もう片方の爪を引いて攻撃態勢に入っている〈フィアベルク〉。
≪死ねェヒサギッ!!≫
「させないっ……!」
楸へと突き出されようとする〈フィアベルク〉の腕を、横から入り込んできた、魔の属性をまとった大鎌の曲刃が跳ね上げた。その瞬間に大剣を宙へ浮かせていた楸が、右目付近の戦慄を感じつつ、〈フィアベルク〉の左肩付近に向かって再び剣を振るう。
「〈フィアベルク〉!!」
≪チィッ!!≫
腕を落とされる。危機を感じ取った〈フィアベルク〉が、背の天乃の声に押されるように、荒々しく空へ舞った。楸を狙っていた天乃の黒い針も放たれることなく、戦慄は消える。
「『白き闇、白き力。絡め、聖』」
間を置かず追撃する。采が、近くに倒れていた兵士が持っていたらしい剣を拾い上げ、軽く回転して勢いをつけながら、聖の神創術を詠唱、完了すると同時に、空中を滑って後退する〈フィアベルク〉へとそれを放つ。向かう途中、何本もの白い紐のようなものが剣の刀身に現れ、巻きついていく。間髪入れずにされたその攻撃は、避け切れないと誰もが感じた。
〈フィアベルク〉が、何処となく焦ったように見えた。それもそのはず、聖は魔と対を成す属性。すなわち、魔の側にいる魔界の住人には聖は毒であり、また逆も然り。
だから〈フィアベルク〉は、
≪ナメんなァァアアアアッッ!!!!≫
まるでその剣が見えていないかのように、迷わず突進してきた。
「「——!?」」
「〈フィアベルク〉!?」
予想もしていなかったその行動に、采と楸が、天乃さえも目を見張った。
白い剣が〈フィアベルク〉の腹部に突き立ち、金切り声の悲鳴が上がる。しかしそれでも、采がはっとした時、〈フィアベルク〉はすぐ彼の目の前に迫っていた。
防ごうと、地面についていた大鎌を持ち上げようとするが、何かに引っかかったように右腕が上がらない。瞬間的に目を走らせると、二の腕の袖と胴体の服を、いつの間にか黒い針が縫い止めていた。
≪死ねェェエエエ!!!≫
「くっ……!」
とっさに体を反らす。左胸へとまっすぐ向いていた爪は、やや狙いを外し、左の肩口に突き刺さった。鋭い爪が食い込む痛みに顔をしかめつつ、大鎌を振ろうとするが、〈フィアベルク〉の勢いに押され、そのまま押し倒される。爪がさらに深く刺さり、堪え切れなかったうめき声が采の口から漏れた。
激痛に知らぬ間に瞑っていた目を薄く開くと、組み伏せる形になった〈フィアベルク〉も、荒い呼吸をしながら、腹に生える剣を左手で引き抜く。剣の刀身からはすでに聖は消えていたが、〈フィアベルク〉の腹部の傷にはまだ、白い燐のようなものが舞っていた。
「っく……う……どう、してっ……」
「〈フィアベルク〉、死ぬつもり!? どうして……!」
≪グウゥッ……オレは……負けられンねェ……≫
〈フィアベルク〉は苦しそうな唸り声で、采と天乃の問いに答えるわけでもなく、ただそう呟いた。
世界と玲哉。葛藤の中、彼女が出した1つの答え。
迷いを断ち切るために。二人と戦うと、彼女は決めた。
しかし同時に、自分を止めてほしいと思っている。
その時点で、彼女は「世界」を選んでいた。
それでも、彼の望みを、「玲哉」を見過ごすこともできず、彼女は、二人に裁定を求めたのだ。
——それは、彼女は知らなかったが、かつての紅の将軍と同じ立ち位置だった。
アマノ、オマエが「世界」寄りなら、オレが「玲哉」寄りでバランスを取ってやる。
≪アマノが、コイツら殺しづれェんなら……オレがブッ殺す!!!≫
強い意志を込め、〈フィアベルク〉が吼えた直後、采の肩口にまっすぐ伸びていた『彼』の右腕に、風が横切った。
ガクンと視界がずれ、〈フィアベルク〉は一瞬、何が起こったかわからなかった。が、右腕の痛みによって、腕を切断されたことだけは把握した。
「『白き闇、白き力。絡め、聖』」
采が神創術を唱えるのが聞こえた。
とにかく距離を置こうと後退するが、相手は一足でそれを詰め、勢いと重量ののった、しかもいつの間にか聖をまとわせた大剣を振り下ろしてくる。残った左腕で受けようとしたが、少しの差で間に合わなかった。左の脇腹に、大剣がめり込む。
≪ガァァァアアァァアアアアッッッ!!!!≫
「〈フィアベルク〉っ!!」
金属が擦れるような耳障りな悲鳴が、広い天に響き渡った。
——やがて、聖に体を侵食された〈フィアベルク〉は、土埃を上げながら、ついに、ズゥゥン……と、ゆっくり前へと倒れ込んだ。
「……負けられねぇのは、コッチも同じだ」
最後、動きの鈍くなった〈フィアベルク〉に畳み掛けるように攻撃した楸が、眼前で倒れた黒い飛竜を見下ろして小さく言った。
と言っても、特段何か守りたいものがあるわけでもないし、世界に未練があるわけでもない。ただ、勝手に世界を壊されたら困るし、大体、世界をどうにかしようという考えが気に食わない。あと、椅遊達がいなくなるのもつまらない。自身が思っている以上に、自分が世界に執着しているということに楸は気付かない。
「……刃が目の前に来たから……とっさに、聖かけたけど……楸……狙ってたよね?」
「んなわけねぇだろうが。てめぇが勝手にやったんだろ」
「うん、やっぱり……」
〈フィアベルク〉の腕を切断した時、楸の大剣が目の前に来たから、勢いを殺さぬよう、采がそっと触れて神創術をかけたのだが、よく考えてみれば普通は不可能だ。
だから、裂かれた左肩を、血を吸って変色した服の上から押さえながら起き上がった采がそう問うと、楸は肩の向こうからくだらなさそうにそう言った。その返答を聞いて、采は確信を持って頷いた。楸は、コチラが当てるとはぐらかすが、コチラが外すと事実を言うというアベコベの受け答えをするから、どうやらそうらしい。
「で……」
大剣を片手に持ったまま、楸は正面を見た。その瞬間、右耳のすぐ横を風を切る音が横切った。振り返って確認するまでもない、黒い針だ。
最初から狙って放たれたわけではない、威嚇の攻撃。前を見た楸の眼前には、横たわる〈フィアベルク〉の上で、右手に黒い針を構えてコチラを睨みつける天乃の姿があった。
確固たる意志を秘めた常盤色の瞳は、迷うことなく楸を捉えていた。
「……近付かないで。〈フィアベルク〉にトドメを刺すつもりなら、次は私が相手になる」
≪ッグ……ウ……アマノ……バカ、ヤロウが……≫
「馬鹿はどっち?」
飛んでいた意識が戻ってきたのか、自分の下の〈フィアベルク〉が低い声で言う言葉に、天乃は強い声で言い返した。その声がいつもより感情的だったことに気付いたのは、恐らく楸と采だけだ。
「……天乃……僕らは」
「天乃」
言いかけた采の声を、はっきりした楸の声が覆った。遮られた采は、楸の大きな背中に心配そうな視線を送る。
警戒した目で自分を見据える天乃に、右手の先に大剣を引っ提げたまま、楸は——ただ、言う。
「……天乃。てめぇが何で戦おうとしたのかは知らねぇが、俺らの前に立ったっつーことは、玲哉側ってわけだ。……が、今、お前は、〈フィアベルク〉を守ろうとしてる。つまりお前は、玲哉の目的より、〈フィアベルク〉を選んだわけだ」
「………………」
……それを聞いて、〈フィアベルク〉の上の天乃は、静かに凍りついた。ただ、楸の目付きの悪い赤瞳を、呆然と見返す。
——何も、知らないはずなのに。まるでコチラの心を読んだようなその言葉。
『つまりお前は、玲哉の目的より、〈フィアベルク〉を選んだわけだ』
その言葉に衝撃を受けると同時に、それは心地良く、心へと染み込んでいった。
——上げていた右腕が、いつの間にか静かに下りていた。見据えていた二人の顔に驚きが走ったのが見えてすぐ、その顔は滲んでいく。
そして、零れ落ちた。
「……ちゃんと、わかっていた」
彼女の瞳からあふれた一筋の涙が、頬を伝い、〈フィアベルク〉の黒い皮膚に落ちて砕けた。
——最初から。わかっていた。
世界を守ることは、彼を守ることにもなると。
それを理由に、二人のように、彼に反旗を翻すこともできると。
「けれど、そうしたら……玲哉は、一人になってしまう」
世界を敵に回した彼は、完全に一人になってしまう。
今までずっと一人で生きてきた彼が、再び一人になってしまう——。
「一人にしたくなかった……そんな暗いところに、一人にさせたくなかった……」
目を閉じると、また透明な雫が零れ落ちる。
——きっと彼は、自分が歩いてきた道が「暗い」ということすら知らないのだろう。ずっと、そういう道を歩いてきたのだから。
そんな中に一人にしたくなくて、だから自分だけでも傍にいようと思ったのに。
しかし——やはり本心には、嘘はつけなかった。
「すまない……玲哉……私は……———」
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