→→ Pastoral 3
今、自分には生きる意味がなくて。
天裁者として。——かろうじて自分を支えていたモノが壊された今、自分はカラッポで。
何でもいいから、存在理由がほしかった。そんな想いが手に入れたのは、戦場という名の舞台。
自分が戦えるなんて、思わなかった。ただ、何かの役に立ちたくて。何ができるかなんて、行ってみなきゃわからないから。
——さあ、この広い舞台で、私は何を見せれるの?
♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪
赤い飛沫が、舞う。
また一人、人が倒れていく。
「……あ……」
目を見開いて、そう発するのが精一杯だった。
自分のすぐ横を駆け抜けて、自分の目の前に広がる敵軍に突っ込んで行く、味方の兵士達。
幾度か剣を交えた後、どちらかが倒れると、また別の兵士が屍を踏み越えてその兵士と戦い、また、どちらかが敗れる。
戦っている最中に、遠くから放たれてきた魔術に巻き込まれ、どちらとも倒れる兵士達。
………………私は……何処にいるの?
「リリアっ!!」
名を呼ばれて、ぐいっと腕を引っ張られた。
「第15章、発動!」
耳のすぐ上で、そう叫ぶ声がした。その瞬間、目に映る景色を、蒼色の半透明な壁が遮った。『拒絶の守護』。その壁は、何処からか放たれてきた白い魔術を見事に弾く。
——ようやく、目を離すことができた。呆然と、自分を引っ張った人物を見上げる。
「……サ、レス……」
「大丈夫?顔……白いけど」
『拒絶の守護』内で、真っ青なリリアに、サレスが本当に心配そうな顔で聞いてきた。
「僕から離れないで。すぐ、終わらせるから。……ラス!!」
強がる気力すらもないのか、黙り込んだリリアの手を掴んだまま、サレスは、蒼い壁のすぐ向こうで、たくさんの敵軍相手に奮闘する黒い背中に叫んだ。
先端についている、えらくデカイ上に変な形の白銀の刃が次々と描く、綺麗な弧。まるで曲芸師だ。研ぎ澄まされた一閃一閃を放ちながら、死神が答える。
「何だ」
「道つくるの、手伝ってくれないかな。魔戦艦をさっさと潰す」
彼らの前に立ちはだかる敵軍の、ずっと奥。大きな影が見えた。
白塗りの、中規模の建物程度の大きさはあるボディ。砲台から、弾の代わりに魔術を放つ、陸上を駆る戦艦——魔戦艦。
群がってくる敵軍の兵士を淡々と切り伏せながら、ラシルカは遠目にそれを見た。
「いいだろう」
そう答え、ラシルカは、槍を左に持ち替える。
「第8章、発動」
サレスの魔導名に応えて、ダグス軍の真上に、それこそ太陽のような、ほのかな黄金色を宿した大きな光球が出現した。第8章、『日輪の裁き』。
何だと皆がそれを見上げた次の瞬間、世界が真っ白になる。その擬似太陽から線がのび、周囲すべてに無数の光の雨が降り注ぐ。フィルテリア兵達は、自軍の魔術師達が『拒絶の守護』を張って防いでいるので無事だ。
「っ……!」
身の毛のよだつような、たくさんの悲しい悲鳴。続いて、鼻を掠める嫌な臭い。
びくりと身を震わせたリリアをよそに、擬似太陽の消え去った下を、黒い衣服と鋭い一閃が翻る。
『日輪の裁き』が展開した広範囲の敵は、あらかた倒した。ラシルカは、そのさらに奥へと走り、ダグス軍に向かって槍を振り回して巨大な円を描く。その軌道上にいたダグスの兵士達は、彼の圧倒的な槍術に腹や胸を切り裂かれて地に倒れた。
血を吸った黒い大地が、どんどん領土を拡大していく。
「よし、みんな、僕に続け!リリア、行くよ!」
「う、うんっ……」
呆然としがちなリリアをサレスが腕を引っ張って気付かせ、『拒絶の守護』を解除し、一人で突っ込んでどんどん道をつくっているラシルカの後を追う。ラシルカの方に兵士が群がっているが、彼は複数への攻撃が得意中の得意なのできっと大丈夫だろう。
襲ってきた兵士をテキトウに退けつつ、もはや兵士の姿に埋もれてよく見えないラシルカのところへ、先頭を切って走る。彼らの後ろに続くフィルテリア軍が、サレスに襲いかかろうとした兵士を剣で切り伏せ、ラシルカの周囲のたくさんの兵士を魔術で攻撃して援護してくれる。
サレスが、ようやく回りの兵士を片付けたラシルカのもとに辿りついた時。
「し、指揮官!魔戦艦が……!!」
サレスのすぐ横にいた兵士が、恐怖の色が滲んだ声で叫んだ。言われて、さっきより大分近くなった魔戦艦を見上げる。
艦の左右に5つずつつけられた、砲台。そのすべての発射口のところに、紫色の魔方陣が展開しているのが見えた。
「まずいっ……!!」
サレスが、明らかに血相を変えた。周囲を見渡すために目を離した彼の視界の外で、魔戦艦の、合計10台ある砲台から、一斉に、不可視の何かが放たれた。自分達フィルテリア軍の真上に発射された何かを基準として、空中に、街1つくらいの規模の紫の円が描かれる。
——魔戦艦特有の、大規模魔術。普通ならば詠唱する魔導唄を、魔方陣に刻み込むことで魔術を発動させる。発動に若干時間がかかるのが欠点だ。
先ほど一瞬だけ見えた、魔方陣の円に沿うように刻まれた魔導唄。見間違えなどではなければ、恐らく——第12章、『煌然の軌跡』の、魔導唄のついた強化版。
「魔導隊、上を防げっ!!」
サレスが声を張り上げると、指示された魔術師達が、状況を理解する前に、サレスを倣って一斉に手を天へとかざし。
「第15章、『拒絶の守護』発動ッ!!」
サレスの声に、複数の声が重なって響き渡った直後、広範囲に渡ってフィルテリア軍の頭上に蒼き天井が構成される。そして、真っ白な光が天を焼いた。
円から放たれてきたのは、無数の、純白の光の針。鋭く風を切る音を発し、弾丸のような速さで、それは次々と蒼い天井にぶつかってくる。
「くっ……!」
魔戦艦は、複数の魔術師によって動かされているので、その分、凄まじい攻撃力を誇る。真っ白な視界の中、サレスは苦悶に表情を歪めながらそれに耐える。
攻撃が止んで、世界に色が戻ってきた。状況確認のために、チカチカする目を辺りに走らせると、未だに戦闘を続けるダグス兵とフィルテリア兵に紛れて、アチコチに、自分と同じく肩で息をしている魔術師と、倒れている魔術師とが見えた。どちらかというと、後者の方が若干多い。防ぎ切れなかった魔術師の辺りにいたフィルテリア兵達は、誰一人立っていない。
それを見て表情を歪めながら、掴んだままのリリアの手を引いて、サレスは魔戦艦の方に目を向けた。と、そこで、すぐ横でドサッと誰かが倒れ、リリアの口から短い悲鳴が発せられた。
目が眩んで周りが見えていなかったサレスに切りかかった兵士を、造作なく槍で一突きしたラシルカは、振り向いたサレスに言う。
「視力の回復は遅いのか?」
「……はは……野生児は、やっぱり、早いね……」
「さっさと、あのデカブツを潰して来い。厄介だ」
少し上がった息でサレスが言うと、ラシルカは魔戦艦を一瞥してから、コチラに背を向けて槍を構え、ダグス軍のところへ突っ込んでいく。蒼き死神の舞に、ダグス兵達はなす術もなく薙ぎ倒されていく。
放心状態のリリアを引き連れ、サレスは先頭を行くラシルカを追った。それに気付いたフィルテリア兵達も、彼らが通った敵兵が倒れている道を続く。
荒れ果てた大地に広がる、血の痕。臭い。それを呆然と眺めながら、リリアはサレスに引っ張られていく。
その光景は、自分のいた世界とは、まるで違っていて。
夢でも見ているような気分。物語でも見ているような感覚。
それほど……自分の現実とは、かけ離れた世界。
「第3章、発動!!」
サレスの大声が、すぐ横で聞こえた。ふと前を見てみると、魔戦艦はすぐ目の前だった。
第3章、『五神聖霊の舞』。背後の魔導兵達からも、同じ術を唱える声が重なる。発動された術達は、最初のサレスの術を基準にして、大きく強大になり、巨大な魔戦艦の周囲に5つの光の球が浮く。それを星座のように繋ぐ線が走り、増幅された術は魔戦艦を丸々囲むくらいの白い五角形を構成した。
さらに、その5つの光は、魔戦艦の真上に光の線をのばし、五角錐へと姿を変えた。対抗しようと思ったのか、魔戦艦の砲台が発射されたが、もう遅い。
その白い檻に、聖気が凝縮されていく。高密度の聖気に、檻内が真っ白に染まった——すぐ後。
バキン。そんな音がした。
木材か何かがへし折られるような、軽い音。
「……!!」
『五神聖霊の舞』が消え去った、その場所。白き魔戦艦は、アチコチが大きくへこみ、折れ、見るも無残な姿へと変貌していた。
はっと口を覆ったリリアとは裏腹に、後ろの軍から歓声とどよめきが響き渡った。
魔戦艦は、ダグス軍の戦力の大部分を占めている。それが潰された今、残るは歩兵のみ。
「じゃあ、ラス……あと、頼んだよ」
魔戦艦を破壊したことを確認し、ふーっと肩の力を抜きながらサレスがラシルカに言った。ラシルカは「あぁ」と短く答え、動揺の色の濃いダグス軍に向かっていく。
額の汗を拭ってから、ふとサレスは、歓喜に浸っている自軍に気付いた。確かに脅威のものが倒されたら嬉しいものだが、まだ戦いは終わっちゃいない。
サレスは、仕方なさそうに息を吸い。
「……みんな、喜ぶのはまだ早いぞ!油断するな!!」
といっても、ほとんど勝ったも同然だった。残りを片付けるために、サレスは魔導唄を唱え始めた。
♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪
(………………どうして)
痛い。
静まり返った戦場。ただ沈黙だけが横たわっていた。
自軍の兵達の大半は、マルド砦に撤収した後で、先ほどまで悲鳴や怒号が響いていた地とは思えないほど、静かだった。
戦いが終わったこの場に残っているのは、傷ついて歩けない兵達や、その兵に応急処置をしている救護兵達など。それから、この戦場の状況を見渡している指揮官サレスと、将軍ラシルカ——そして、リリア。
敵軍、自軍問わず、視界いっぱいに転がる、幾多の骸。血を吸って重たい黒い大地。空までもが、まるで惨劇を嘆くように曇天だった。
(どうして、こんなことになっちゃうの……?)
それは、天裁者の仕事を終えた後の気持ちとよく似ていた。
生前、人が人を裁くのは、誰かが誰かを制さなければいけないからだと、父が言っていた。しかし自分は、未だにそれに完全に納得が行かない。だからいつも、そんなモヤモヤした気持ちで、他の天裁者に流されるまま人を裁く。その後は、いつも、胸が締めつけられるように、とても悲しかった。
人が、人の命を奪う権利なんてないのに。
これも、誰かが誰かを制さなければならないからで、済まされてしまうの?
「っ……」
そう思うと、悲しかった。
何もできなかった——しかし、それ以上に、戦場というものは、悲しすぎて。
「リリア……」
後ろから、サレスの気遣った声がした。リリアは振り返らないまま、濡れた頬を隠すように顔を覆った。
「……どうして……どうして、こんな……悲しいことが、なくちゃダメなの?どうして、みんな……楽しく暮らせないの?私……わかんないよっ……」
「……本当だよ」
顔を覆ったリリアの隣に並んだサレスは、リリアの言葉にそう答えた。それから顔を上げて、黒い戦場を眺めて言う。
「争いは、誰だって避けたいんだ。でも、相手も自分も譲れないものがあるから、引き下がれない。お互いが相容れなくて、結局ぶつかり合うことしかできない……悲しいものだよね。どうして人って、こんなに不器用なんだろう。もっと話し合って認め合えば、きっと、こんなことは起きないのに……」
自分の、手のひらを見る。若干白さが残る色なのに、その手は、真っ黒に見えた。
——戦いは嫌いだ。それから、人を殺すのにさえ慣れてしまっている自分がもっと嫌いだ。
だから、こうして、この悲しい光景に素直に涙を流せるリリアが、なんだか懐かしくて、羨ましかった。
頬を流れ落ちた涙をそのままに、リリアは、その両手を自然な動作で広げた。
「inTeRfeRe >> TeRRiToRy# 《wind》 paraLLeL# soLace >> bubbLe#」
属性干渉。
リリアの広げられた両手の間に現れた、たくさんのシャボン玉。それは、ふわりと優しく吹いた風に乗り、戦場を広く広く飛ぶ。
残っていた兵士達が、目の前に飛んできたシャボン玉を見る。それから、シャボン玉の密集率が高い付近に目をやる。そこに垣間見えるのは、泣きながらシャボン玉を操る女性。
たくさんのシャボン玉が、たくさんの骸を慰めるように骸の上を飛んで、空高く舞って、やがて、1つずつパチンと弾けていく。
(おやすみなさい……どうか、安らかに)
私にできるのは、きっとこれくらいで、そしてコレは、私にしかできないだろうから。
私がこの舞台で見せれるのは、自己満足の鎮魂歌。
たくさんの悲しい人達。幸せなことだけを考えて。そうすれば、きっと、悲しいことなんて何一つないから。
貴方達の悲しみは、私が受け取って、代わりに泣いてあげるから。
たくさん……たくさん。
……………………
♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪
「お帰り、サレス。それから……初めまして、リリアさん」
そう言って、事務机に座っていた男性は、リリアに微笑んだ。
肩口で1つに軽くまとめられた、長い金髪。コチラまでなんだかほんわかしてくる微笑を浮かべるその顔には、赤縁のメガネ。まるでエメラルドのように綺麗な緑色の瞳を持つ、エルフ族の男性だった。
その足元に伏せて座るのは、一匹の獣。金色の毛並を持つ、美しい虎だった。隣の男性と同じく、その瞳は澄翠色だ。
「え?どうして私の名前……」
マルド砦から軍基地に戻ってきて、再び訪れた会議室に、初めて会う人物がいた。
サレスの隣に並んだリリアが驚いたように彼に聞くと、返答をくれたのは、目の前のエルフ族の男性ではなかった。
≪我が伝えたのだ≫
「………………えっ?」
頭に直接聞こえてきた、男の声。エルフの男性の声でもないし、当然サレスの声でもない。リリアがキョロキョロ辺りを見渡すが、三人の他にいるのは、エルフの足元の金色の虎だけ。
そのリリアの困惑した様子に、サレスがおかしそうに笑って言った。
「挨拶もなしに、いきなり話しかけるのはどうかと思うよ?ルーディン」
「ルー……ディン?」
≪怠惰を貪る主よりは良い≫
「フフ、ルーディン、比べる物の価値が釣り合ってませんよ」
サレスとエルフ族の男性が笑いながら、その声に対してそう言う。
なんとなく二人の意識が、金色の虎に向けられているような気がして、リリアがその虎を見ると、虎はコチラを向いた。目があった——と思ったら、何処となく呆れたように目が細められた。
≪獣が言語を操るのが、それほど異様か?≫
「……やっぱり……貴方がルーディンさんなんですか?」
≪いかにも。我が名は、〈金虎〉ルーディン。神獣の一体で、最も無駄に力を持つ者だ≫
「神獣っ……!?」
「ルーディンの名前なんて、まだ知られてないからね。びっくりだろ?」
≪一言余計だぞ、サレス≫
予想もしなかったその言葉に息を呑んだリリアに、サレスがそう言って笑うと、ルーディンがむっとした様子で言った。事実、神獣は存在しか知られておらず、名前までは、〈翠竜〉ウィジアンくらいしか知られていないのだ。
エルフ族の男性が、手元にあった3枚くらいの白い紙を持って、端を揃えながら言う。
「ルーディンは未来を視る力を持っていて、それで、貴方が来ることも予測していたのです」
「そうだったんですか……」
「あ……っと、自己紹介が遅れましたね。私は、エルフのシェイ・グレイスと申します。よろしくお願いしますね、リリアさん」
「ええ、よろしくお願いします、シェイさん。それから、ルーディンさんも」
紙を持ったままイスから立って、リリアの前まで歩いてきたシェイは、右手を差し出して微笑んだ。その手を自然にとって握手を交わしながら、リリアも微笑む。
「それで、サレス。できたよ」
「え? ……あぁ。ご飯の時にでも見とくよ」
何のことかわからないまま、シェイが差し出してきた紙を受け取ったサレスは、その紙を見下ろして納得した。今日、サボった軍議の内容が簡単にまとめられた紙だ。
シェイは、くすりと微笑んで。
「今度、軍議サボったら、もう知りませんよ?」
「はははは、何のこと?」
「何のことでしょうね?」
ふふふふふと、にこやかに笑うシェイに、ふふふふふと笑い返すサレス。シェイがカンカンだと言っていたナタの言葉が蘇った。確かにコレはカンカンだ。
会議室の壁にかけられた時計を見上げると、すでに夕方だった。もうすぐ夕食の時間だ。
ルーディンは、サレスが受け取った紙が会議内容のものだとわかると、呆れたように言った。
≪まったく、主は指揮官としての自覚が不足気味だ。軍会議を怠けるような指揮官では不安だ……下の兵士達が見たら、何と言うか≫
「それじゃリリア、シェイ、ご飯食べに行こう」
≪待たんかサレス、人の話を聞けっ!!≫
「あはは、人じゃないクセに。二人とも、行こう!」
サレスには、少しだけ子供っぽいところがある。説教は嫌いなのだ。説教のつもりはないが、その注意の仕方が説教っぽいルーディンとは、いつもこんなやり取りだ。
ドアのところでコチラを振り返り、そう言って急かすサレスを見て、リリアとシェイは顔を見合わせてクスクス笑った。
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