→→ Oratorio 4


「はい、1抜け〜」


 笑顔でそう言うと、冬芽は手に持っていた1枚のカードを、食卓の真ん中にある、表を向いて置かれたカードの山の上に置いた。その正面で、春霞がチッとイラついたように舌打ちする。


「あらら、先越されちゃったなぁ。やっぱ、冬芽さんは強いなー……2抜け〜」
「海凪もかよ……」
「また、アタシと春霞兄かぁ……」


 海凪もそう言ってカードを山の上にのせると、自分の横に置いてあったミルクティーのカップを手に取った。春霞と六香は、同じようにはぁと溜息を吐いた。

 次の日の、和やかな昼。今日は兄達も仕事はお休みらしいので、全員で息抜きにカードゲームをしている。
 バルディアでポピュラーなこのカードゲームは、人数が多ければ多いほど楽しいのだが、このメンバーでやると、あまりその面白みがない。必ず、頭脳派の冬芽が一番に、海凪が二番に上がる。いつも残るのは、春霞と六香だ。ごく稀に、運が良くて冬芽より早く上がったりもするが。

 春霞と六香の戦いは、大体は春霞が負ける。武闘派の彼は普段から、あまり頭を使うことが少ないからだろう。だから冬芽が「頭の体操」と称して、たまにこうして頭を使わせている。これでも、最初やり始めた時よりは、大分マシに遊べるようになっている。


「あーくそ、頭痛ぇ」
「はは、イイコトだよ。ない脳をフル稼動させて頑張れ〜」
「あはははっ、冬芽さん、ない脳って!」
「事実、事実♪」
「だああうるせえ!!」
「一番、春霞兄がうるさいと思うよ〜?」
「………………」
「はい、春霞兄の番」


 手持ちのカードから目を離さずに言う六香に、春霞は何も言い返せず、山の上のカードを一瞥した。

 このゲームは、山の上のカードのナンバーと同じ、もしくは前後のカードか、同じ属性のカードを、一人が、出せるところまで出して進める。最低1枚は出さなければ、自分のターンは終わらない。ちなみに、イジワルもアリである。
 手持ちにそれらが1枚もない場合は、のせる山の隣にある、裏返しのカードの山から、それに該当するカードが1枚出るまでカードを引くことになる。よって手持ちが増えていき、どんどんクリアから遠ざかっていくわけである。

 今、その対象カードは、火のアクラシエル。ナンバーは5だ。だから、出すのは同属性の火のカードか、ナンバー4、6のカードを出さなければならない。
 簡単そうに見えて、結構難しい。このカード、総数がたったの24枚。基本12カードと、その属性を逆転させた12カードのみである。
 さらに言うと、基本12カードは表、逆転12カードは裏で、表カードなら表カードを、裏カードなら裏カードを出さなければいけない。唯一、同じナンバーのカードで表裏が逆転する。

 続いて春霞は、自分の手に持った、束になりかけているカード達を見た。これほどになると、イチイチ探すのも嫌になってくる。面倒臭そうな目で探して、幸いにも同属性のカードを見つけた。
 火のNo.9ラツィエル。手札を眺めながらそれを出しかけ、しかし、いったんそれを引っ込めた。別の道で、もっと多く出せるカードを見つけたのだ。


「へぇー、春霞もちょっと考えるようになったね〜」
「てめぇの戦法盗んだんだよ」
「うんうん、イイコトだ♪」


 横からいろいろ言ってくる冬芽をテキトウに相手しながら、見つけた別のカードを出す。
 地のNo.4ウリエルを出し、風のNo.3ラファエルを出す。それから、No.7レミエルに属性でとび、地のNo.8サリエル、さっき引っ込めた火のNo.9ラツィエル、水のNo.10ハミエルと数を追った。


「コレで終わり」
「おぉっ?春霞さん、随分出しましたね〜」
「無駄に手持ちは多いからね〜」
「黙ってろてめぇら!」


 これくらいしないと、手札が減らない。さっきので激減して7枚になったカードを持ったまま、春霞は六香を見た。
 六香は「うーん……」と、手持ちの5枚のカードを見つめて、困ったような声を上げた。
 確かに、表カードはほとんど春霞が所持しているので、ないのも当然かもしれない。ないのであれば、またカードが増えることになる。勝てそうな予感がした時、六香が突然笑い出した。


「なんてね☆」


 そう言って、彼女は一番右端のカードを山にのせた。火のNo.10ハミエル。裏カードだ。これによって、もう一度、同じナンバーカードが2枚重ならない限り、裏カードを出さなければならない。
 続けざま、地のNo.11サラクエル、風のNo.12ルシファー。そして、地のNo.12ルシファーでまた表に戻り、最後の1枚、火のNo.1ミカエルを出した。


「うぉッ!」
「おお〜っ、六香やるねぇ」
「使えるカードがたまたま出揃ってただけ!」


 手ぶらになった片手を振り、六香はカードの片付けに入った。溜息を吐く春霞をよそに、海凪は、出す山の一番上のカード、火のNo.1ミカエルを見て言った。


「ポーカーの最強カードで終わりなんていいなぁ。完膚なきまで潰したって感じで♪」
「それに比べて、春霞君はまだまだですねぇ〜」
「てめぇが裏のラファエル出さねえからだろうが!」
「あれ、バレてたの?」


 序盤の方で、冬芽がイジワルして、出せるカードをわざと出していないことには気付いていた。そのカードは山からめくったカードなので、彼が持っていることはすぐわかった。そのせいで春霞は、なかなかカードが出せずにいたのだ。
 「そういうことには敏感だよねぇ」と、冬芽はクスクス笑った。


「海凪も海凪で、表のメタトロン出さねぇし……てめぇらグルか!」
「あらら〜、あたしもバレちゃってたんですか。まぁ、春霞さんの脳トレのための愛のムチってことで♪」
「グルだなんて人聞き悪いね〜。僕と海凪君が、たまたま気が合うだけさ☆」
「……はぁ……」


 何と言うか、この二人のペースにはついていけない。春霞は額を押さえて、横によけていた、コーヒーの入ったカップを手に持った。春霞は極度の甘党で、そのコーヒーも、色はブラックだが糖度はかなりやばい代物だ。


「アタシも、メタトロン出してもらいたかったな〜」
「あれ、六香も出せなかったの?あはは、ごめんごめん」
「もういーけどさぁ……」


 春霞の手に残っていたカードもすべて集めて、カードの容器に入れる。自分の飲んでいたミルクティーのカップを一瞥すると、まだ少し残っていたので、冷たくなった残りを飲み干した。


「あ、そーだ。夕ご飯のリクエスト、受けつけるよ?」
「カレー」
「あたしは焼き魚が食べたいかなぁ」
「僕は何でもいいよ〜」
「じゃあ焼き魚ね♪」
「……俺の意見は完全スルーかよ……」


 カラになったカップを持って、六香は席を立った。流しへ向かう六香を見てから、春霞はコーヒーカップの縁を口に近付けた。


「………………」


 ——その動作が、寸前で止まった。
 流しで、水が流れる音がする。


「……六香。最近、一人で外に出たか?」
「え?う、うん……昨日。兄達が行った後に、麺がないって気付いて、街に……」


 そういえば、そのことを話すのを忘れていた。なのに、カップを顔の前に持ったまま停止した春霞に、まるで昨日のことを知っているかのようにそう聞かれ、六香は肩越しに恐る恐る肯定した。
 ……春霞は、コーヒーを飲まず、静かにカップを食卓に置いた。
 コトン、とカップの底が鳴った瞬間。

 バァン!!

 破らんばかりの音を立てて、ドアが乱暴に開かれた。


「「「!?」」」


 春霞以外の全員が想像しなかった状況に、ドアの方を見た。開け放たれたドアから、すぐに複数の黒い影が侵入してきて左右に分かれ、四人を包囲してガシャンとライフルを構える。


「殺しはするな。捕虜にする」


 最後にドアの前に立った人物が、ライフルを構えた影達にそう言った。

 赤い縁取りのなされた、黒い軍服。片目を覆い隠すほど長い金の前髪。コチラを見据える左眼の、鋭い紫の眼光が圧力的な男性だった。
 腰には、片刃の剣が引っ下げられている。雰囲気からもわかるように、数え切れない戦場を切り抜けてきたのだろう、この男は……手強い。

 そして、自分達を包囲する、同じ軍服を着た集団。——見間違えようもない、フェルベス軍の軍服だ。


「……噂で聞いた」


 いつの間にか、自分のハルバードを手に三人の前に立っていた春霞が、正面に立つ金髪の男を睨み据えるように見て、静かに言った。


「フェルベスの<隻眼の獅子>……お前のことか」
「えっ……それって、軍に入隊してから5年で、軍二番手の権力者になった若将軍っていう、あの……?」


 状況を自分で理解した冬芽が、自分の武器であるボウガンを片手に春霞の横に並んで言った。海凪は六香の傍で彼女を守るように立ち、ホルスターに差さったままだった銃を構える。

 その二つ名は、冬芽も聞いたことがあった。母国バルディアでも、「<隻眼の獅子>には気を付けろ」——そう散々言われてきた。それだけ危険で強力な存在であるとしか認知していなかったが、こうして対峙してみると、その圧倒的な存在感が身に染みて感じられる。
 一般的に、この将軍は二つ名の方で呼ばれているようだし、名前の方はまったくと言っていいほど聞かない。しかし、一度だけ、その本名を耳にしたことがあった。
 確か——


「俺は、フェルベス軍将軍・スバル 祐羽ユウ。お前達、バルディアの犬どもを駆逐しに来た」
「やっぱりかよ……六香を尾けたな?」
「えっ……!?」
「うん、確かに、六香じゃ尾行されてるって気付けないでしょうしね〜……にしても、将軍さんがわざわざ出向いてくるなんて、城の警備が手薄になっちゃうんじゃないですかね〜?」


 春霞の言葉に息を呑んだ六香をよそに、海凪も頷いてそれに同感してから、わざとらしい口調で昴にそう聞いた。
 一方、昴は、紫色の瞳で春霞と冬芽、そしてその後ろの海凪と六香を見据えたまま、何も握らず、腕は自然に下ろしている。それが、逆に不気味にも思えた。

 今まで街へ行く時に、必ず海凪がついてきてくれた理由が、わかった。
 うっかり忘れがちだが、自分達は、バルディアの密偵という身分。しかし、バルディア人というのは肌が白く、一際目を引く人種だ。フェルベスに移住して2年で、ある程度焼けてきたとはいえ、やはり本来の肌の色は濃い。
 よって、一目でバレる可能性がある。人の多い街へ行って尾行された場合、それに気付かないで帰宅すると、自分達の家を教えてしまうことになる。そうならないように、鈍感な六香に代わって、尾行に感付ける人が必要だったのだ。

 ——気付くのが、遅すぎた。六香は、無意識に顔を青ざめさせた。


「お前達の腕を高く評価してだ」
「あはは、だって春霞。なんかちょっと嬉しいな〜」
「あのな、空気読めよ……」


 囲まれてもなお、いつもの様子を崩さない冬芽に、春霞は呆れつつもホッとしていた。集中した方が全力を発揮できる自分とは反対に、冬芽は、普段通りで全力を発揮するからだ。
 二人の間にある不可視の信頼関係を見取ったのか、昴は言う。


「だが、どうやら……過大評価ではなかったらしいな」
「逆に過小評価だ。てめぇはともかく、その程度の兵で俺に勝てると思うなよ」
「春霞は、学院の武術の帝王だったもんね〜」


 「主席だったもんね」と、クスクス冬芽は笑った。
 冬芽の言う通り、春霞は学院を主席で卒業している。……武術の面だけ。学術での主席は当然、冬芽である。


「冬芽」
「どうかした?」
「無理すんなよ」
「それは、コッチのセリフだなぁ」
「お前の方が弱いだろ」
「うわ、何この人。失礼だなぁ……」
「援護頼んだ」
「言われなくても、そのつもり」


 作戦会議なのか、冬芽と短く会話した後、春霞は後ろの六香と海凪に言った。


「六香、海凪。俺らがおとりになってる間に、とっとと逃げろ」
「や、やだよっ!! なんでっ……!」
「……大丈夫ですか?兵士はともかく、将軍は……」
「大丈夫だよ、無理はしないから。海凪君、六香、頼んだよ」


 振り返らずに言う春霞と、コチラに微笑みかける冬芽。二人の大事な妹を任された海凪は深く頷き、その場から動こうとしない六香の腕を引っ張り、少しでも家の奥へと逃げる。


「逃がすな」
「行かせるかよ」


 昴の一言に従い、兵士達が一斉に、二人を逃がさんと動き出す。それに春霞が、ただでさえ長いハルバードの柄の端を掴んでリーチを長く取り、振り回した。狭い家の中で振り回されたハルバードは、食卓や天井をも巻き込んで、兵士達を一気に薙ぎ倒す。


「……やはり、兵では相手にならないか」


 兵士達が倒れ、開けた視界。春霞の見つめる先で、玄関のところに立ったままの昴が、片刃の剣を抜き放った。研ぎ澄まされた刃が、まだ昼間の太陽を反射する。


「行くぞ、犬ども」


 昴の金髪がふわっと宙に浮かんだ直後、彼の姿が霞んだ。
 神速の踏み込みで正面から振り下ろされた剣に対し、春霞は持ち前の反射能力でそれに反応して、ハルバードを盾にして防ぐ。

 鉄がぶつかり合い、高い音が奏でられた時。あらかた一掃された兵士達の間をすり抜け、奥に追いつめられていた二人のところへと行っていた冬芽も、バリンッ!と家の壁を破壊していた。
 ボウガンを1回振り下ろしたしただけで呆気なく空いた、人ひとり余裕でくぐれるくらいの穴から外の景色が覗く。冬芽のボウガンは、通常より5倍近く重いシロモノだったりする。なので腕力は意外と強い。


「ココから逃げるんだ。僕らも、余裕ができたら追うから」


 冬芽がそう言った途端。背後で、食器が割れる音と、壁に何かがぶつかった音がした。振り返ると、憔悴した春霞が壁に持たれかかりながら、ゆらりと立ち上がるのが見えた。
 冬芽は、穴から外に出ていた二人を背にし、ボウガンから矢を放って昴を牽制してから、彼女達に叫んだ。


「走るんだっ!! ずっと、ずっと遠くに!!」


 後姿。
 顔が見えないからか、いつも和やかな冬芽の声が完全に焦燥に染まっていたからか。途端に不安が押し寄せた。


「六香、行くよっ!」
「嫌ぁッ!! 兄達も……!!」


 手を引いて走り出そうとする海凪に逆らって、六香は冬芽に向かって手を伸ばした。それに対して冬芽は、肩越しに、何処か寂しげに、小さく微笑むだけだった。
 それとほぼ同時に。


「早くしろッ、このボケ!! お前なんか大っ嫌いだ!!」
「ッ……」


 離れたところからの、春霞の掠れた怒号。思わず、びくっと手を引っ込めた。
 抵抗の力が弱まったその一瞬に、海凪にぐいっと腕を引っ張られ、六香は彼女とともに走り出した。

 「大嫌い」——それが、自分を走らせるための言葉であると、気付いていた。
 力なく伸ばしたままの手から、遠ざかっていく家。兄達。
 追ってくる、おぼつかない足取りの、数名の兵士達。


(……きっと……きっと、生きてるよね?死なないよね……?)


「六香、前を見て!春霞さんは確かに強いけど、国の兵士だって打たれ強いんだ!ずっと遠くに逃げるよ!」
「う、うんっ……」


 海凪に鋭く一喝され、六香は名残惜しそうに背後を見てから、小さく頷いて前を向き、海凪の速度に合わせて走り出した。










 ——それから、どれくらい走っただろうか。
 海凪に腕を引かれて、会話もなく、ただひたすら、前へ進んだ。
 その時間が、不意に終わりを告げた。

 二人は、街の中に入っていた。海凪はチラリと背後を一瞥して、近くにあった建物を曲がった。驚いた六香も手を引かれて、その建物の陰に身をひそめた海凪の隣に落ち着いた。
 永遠にも思えた時間だったが、そうでもないらしい。辺りを見渡してみると、ココは、よく買い出しに来るシーヴァの街であることに気付いた。


「ったく、しつこいなっ……嫌だな、スタミナ馬鹿相手って……」


 銃を胸の前に構えて、海凪は切れた息でそう言った。ということは、まだ追ってきているのだと、肩を上下させながら六香は察した。
 海凪は、弾倉に弾丸が入っているのを確認してから、片手で振ってそれを戻し、六香に言った。


「あたしが、あいつらの気を引くから……六香は逃げて」
「……!? み、海凪まで……」
「大丈夫……憔悴した兵士相手に負けたら、秦堂家の名折れだし……」


 春霞と冬芽に、彼らの妹を任されたのだ。六香だけでも逃がさなければ、二人の想いを無視したことになる。
 二人なら、大丈夫——そう思うのだが、妙な不安がつきまとって離れない。それは、六香も同じだった。


「同時に出て、あんたは先を進む。あたしは、そこで足止めする……いいね?」


 六香が頷くのを待たずに、海凪は六香の手を引っ張って、再び表通りに踊り出た。今まで自分達が走ってきた道をやって来る兵士達を見据え、自分の後ろの方へ、六香をどんっと突き飛ばす。


「ほら、早くっ……」
「海凪……信じてるからね?死なないでよね!?」
「わかってるよ……六香こそ、事故るなよ?」
「っ!」


 振り返らずに、皮肉げな言葉を投げかける海凪。六香は泣き出しそうな顔で何かを振り切るように前を向き、まっすぐ駆け出した。





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