→→ Oratorio 3
「ほら、起きた起きたっ!朝だよー!!」
声がする。
毎朝、自分を叩き起こしにやってくる、この声。布団に深くもぐりこんだ自分から布団を引き剥がそうとしながら、声は叫ぶ。
「はーるーかーにーいーってば〜〜!!!」
「はは、春霞の寝起きの悪さは、筋金入りだからね〜」
「枕元であんなに騒がれてるのに、爆睡してるのは、ある意味尊敬しちゃいますね〜」
その他、二人の声を聞いた。その声を聞いて、朝か……と何となく思うが、起きるのが面倒臭い。
「ったくもー、仕方ないなぁ……」
諦めたような声がした、その時!
「食らえっ!」
「っっ!!?」
ばっと布団をめくられたと思ったら、冷たいものが放り込まれてきた。それは自分の首付近にぶつかり、彼は声にならない悲鳴を上げて飛び起きた。
暗い布団の中から飛び出した自分を照らす朝日。目を閉じてから、彼は頭を掻いた。
自分の座っているすぐ近くにある、この冷たいもの。一体何に使っているのかは知らないが、手のひら大のデカイ保冷剤だった。
「春霞兄、おはよ。はぁ、毎朝コレだもんね……」
開いた瞳に真っ先に映ったのは、自分のベッドの傍らに立つ、蜜柑色の髪の少女。彼女は、眠そうな彼の瞳に向かって、笑ってそう言った。
「もー、あんまりこの手段使いたくないんだから、さっさと起きてよね」
「ん……はよ……」
と、真琴春霞は、生返事をした。
寝癖も入っているかもしれないが、アチコチ跳ねた緑青の髪。眠そうな、深い海のような瞳。端正な顔立ちをした、20歳前後の青年。布団の中に閉じこもっていたのは、そんな立派な大人だった。
「ご飯、もうできてるからね。いつものことだけど、冬芽兄と海凪が先に食べてるから」
赤い瞳の少女はそう言うと、踵を返して春霞の傍から離れていった。目を擦りながら彼女を呆然と目で追って、ふと、このこじんまりとした1階建ての家の中央にある食卓で、コチラを見る二人の人物に気付く。
「春霞、おはよう。っと、今日の記録は、3分57秒だね」
「おはよーです、春霞さん。普通、4分も枕元で喚かれたら耐えらんないですってー。でも最短記録ですよ〜」
細かいタイムを言うのは、片手にバターを塗った焼いた食パン、もう片手にストップウォッチを持った、コチラも負けず劣らず整った顔の青年。何処となく目元が春霞に似ている。セルリアンブルーのサラサラな髪に、楽しそうに輝く愛らしい紫色の瞳といった、怜悧さが窺える容貌である。
ほんのり焼けた黄色い卵焼きを箸で挟んだまま、敬語で、しかし面白そうに言うのは、亜麻色の跳ねたショートカットの少女。青い目が、寝ぼけている自分に向いている。
「腹減ったー……」
春霞はあくびをしながら、テーブルの空席についた。目の前にあるメニューは、半熟ベーコンエッグと、狐色に焼けた食パン、青菜のおひたし。
「………………」
春霞はまず、おひたしの上に乗っているカツオブシを箸で摘んだ。春霞は好き嫌いが激しく、青菜は嫌いでカツオブシは普通だ。
その彼の左の方に座っている蜜柑色の髪の少女が、ベーコンエッグの白身の部分を切り分けながら聞いた。
「今日の夕ご飯、何がいい?」
「カレー」
「カレーは昨日食べたでしょ〜、もー……」
「ならドライカレーだ」
「同じでしょ〜」
「違ぇよ。つーか、カレーなら何でもいい」
春霞は、カレーしか好きなものがない。その他は、ほとんど嫌いのようだ。特に朝食は、彼の嫌いなモノの出現率が高い。パン、青菜、卵。彼は全部嫌いである。
春霞の向かいに座る、セルリアンブルーの青年が、クスクス笑う。
「じゃあ、シチューはどう?春霞も、そんなに嫌いじゃなかったよね?」
「……まぁ、妥協してやってもいい」
「あー……シチューですかー。あたしは、チョットニガテなんですよね〜」
「あれ?海凪って、シチュー、ダメだっけ?」
「うーん……あんまり好きじゃないかな」
蜜柑色の髪の少女が初めて知ったように聞くと、亜麻色の髪の秦堂海凪は苦笑いして、残っていた卵焼きを食べた。海凪は目玉焼きの黄身が嫌いなので、彼女だけベーコンエッグではなく砂糖の効いた卵焼きだ。
「海凪は何が食べたい?」
「あたしは、特にないな〜……」
「じゃあ、冬芽兄は?」
「僕は……そうだなぁ。メインは何でもいいけど、スープが食べたいかなぁ」
こんがりな食パンをいったん皿に置いて、標的をベーコンエッグに変えながら、セルリアンブルーの髪の真琴冬芽はそう答えた。
「あっ、じゃあ、メインはスパゲティで、オマケにスープってゆーのはどう?」
「あ、それならあたしも賛成〜」
「……仕方ねーな」
「うん、それでいいよ。にしても六香には、お世話になりっぱなしだなぁ……」
「えっ、そ、そんなことないよっ」
「参ったなー」と頭を掻く冬芽の言葉に、蜜柑色の髪の真琴六香は、照れ臭そうにぱたぱた両手を振った。
春霞と冬芽は、今月で22歳。六香は、昨月で15歳。
春霞と冬芽は、双子の兄弟。そして六香は、二人の、年の離れた妹だ。
「ん、ごちそーサマ〜」
「ごちそうさま。……って春霞、ちゃんと食べてる?」
先に食べ終わった海凪と冬芽が、一緒に席を立った。自分の皿を自分で片付けるのは、暗黙のルールだ。
積み重ねた皿を持って、冬芽が何気なく春霞の皿を見てみると、全部ほとんど手をつけていない状態だった。冬芽がびっくりして問いかけると、春霞は何か言いたげに、立っている冬芽を見上げた。
冬芽がその視線の意味を理解すると同時に、春霞同様、まだテーブルについている六香が言った。
「全部食べないと、夕ご飯抜くからね」
「……六香。俺に恨みでもあんのか?」
「あるよ。いっつもご飯残されてる恨み」
「………………」
「あはは、六香は春霞さんの扱いが上手いね〜」
「モノか、俺は……」
海凪の面白そうな笑い声に、春霞は、自分が六香に敵わないことを改めて思い知った。
仕方なく春霞がベーコンエッグに慎重に箸を伸ばしている頃、冬芽は自分のベッドに戻っていた。
この家は狭いので、4つのベッドがスペースをほとんど占めている。それほど家内に物はないので、今のところ困ったことはないが。
枕元に置いてあったボウガンの矢の本数に、まだ余裕があるのを確認して、彼はそれを持って食卓に帰ってきた。
自分のベッドに座って、腰のベルトの左側に銃のホルスターをつけている海凪の前を通りすぎ、嫌そうな顔をしながら頑張ってベーコンエッグを食べている春霞に近付く。
「ほらほら、早くしないと置いていくよ?」
「冬芽、てめぇ……待つってこと知らねーのか!」
「あれれ〜?じゃあ春霞は、我慢するってことを知らないのかな〜?」
「知るかそんなの!」
「出た出た、春霞さん必殺・開き直り♪」
「海凪、てめぇもてめぇだ!」
少し遅れて近付いてきた海凪を、行儀悪く箸でびしっと差して言う春霞に、六香がニコニコ笑顔で言った。
「じゃあ春霞兄、悔しいんだったら早く食べちゃってよ」
「………………」
やはり、自分は六香には敵わないらしい。
「終わった……」
最後、一口サイズ残っていたパンを飲み下して、春霞は力尽きたように、片付いていたテーブルの上に倒れ込んだ。「凄い凄い」とわざとらしく拍手をする冬芽は、とりあえず相手にしないでおいた。
「よくできましたっ」
テーブルの上の皿は、春霞が単品を完食するごとに六香が片付けてくれていたので、パンの皿以外は何も置いていなかった。その皿を取りながら、六香は春霞に向かって微笑んでそう言った。もはや立場が逆だ。
「春霞さん、遅いですよ〜」
「ほらほら春霞、君は僕達を待たせてるんだぞー?」
「はいはい……」
海凪と冬芽に言われ、春霞はゆらりとイスから立ち上がると、家の壁に立てかけてあった矛槍——ハルバードを掴んだ。気だるげにそれを担ぎ上げ、玄関付近の冬芽と海凪のもとへ歩く。
それぞれに武器を持つ三人。その彼らを見て、六香は少し寂しげな表情をした。
その中の、六香と同い年の海凪が、食卓についたままの六香に言った。
「それじゃ六香、行ってくるよ」
「行ってきます。六香、いろいろ気をつけてね」
「メシ頼んだ」
「あ……うん。行ってらっしゃーい」
一言ずつ言って、ドアの向こうへ消えていく三人。パタンとドアが閉まると、六香は振っていた手を静かに下ろした。
母国バルディアの密偵として、ここフェルベスに移住してから、2年。
……いや、正しくは六香は密偵ではない。密偵として選ばれたのは、兄二人と、親友の海凪。しかし真琴家には両親がおらず、よって、兄二人がいなくなれば六香は一人になる。
そのことで兄達が、六香も一緒に移住させてもらえるよう、軍上部に抗議したそうだ。海凪の両親がその軍上部の人間だったので、割とあっさり許可してもらえたようだが。
正式な密偵ではない六香は、彼らのように武装することは許されていない。一応、銃はある程度使えるが、海凪ほどではないし、逆に三人の足手まといになるのは目に見えていた。頭ではそう思っていても、なぜだか何処か寂しさを覚える。
そんな六香の役割は、家事全般。バルディアにいた時は、ほとんど家事なんてやったことがなかったが、この2年間でかなり手慣れてきていた。
(……そーいえば兄達の職業って、何なんだろ?武器持っていってるけど、用心棒とかかな?)
兄達と海凪がその職業に就いてから、やはり2年経っているはずだが、教えてもらったことがない。謎だ。
今日の夕ご飯の材料、あるかな。そう思って、六香はイスから立った。冷蔵庫を開いて材料を確認すると、野菜類は全部揃っていた。続いて隣の戸棚を開けた時、あると思っていたものがなかった。
(あちゃ、肝心の麺がない……前に、使い切っちゃったんだっけ。買い物行かなきゃなぁ……)
と、六香は肩で溜息を吐いた。
六香達の住むこの家は、街から離れたところに建つ一軒家だ。街と距離があるのも、密偵と悟られないためである。自分達の状況からすれば当然だとも思うが、買い出しに行く時はやはり不便だ。
とりあえず、お皿洗んなきゃ。そう思って、六香はイスから立った。流しの前に立ち、汚れた皿を手に取る。
家の掃除して、今日の夕ご飯の材料を買いに行って……と、皿を洗いながら、今日のやるべきことを頭の中に思い浮かべていく。三人は夜まで帰ってこないので、昼食の心配はいらない。
(買い物ついでに、街の探索でもしよっかな……多分、時間余るだろーし)
いつもなら、買い物の日は海凪が家に残って、六香と一緒に買い物していた。しかし今日は、三人が去った後で気付いたので海凪がいない。
たまには一人で行くのもいっかと、六香はそう思った。
♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪
……倍率を高く設定しすぎたらしい。
頭の上のゴーグルを下ろして装着し、右側についているボタンを押した途端、いきなり視界が灰色一色になった。左側のネジを回していくと、灰色……の壁が離れていく。最終的に映し出されたのは、灰色の壁をした屋敷だった。
全体が見れるようになってから、一通り見てみると……正門にはもちろん、ベランダや庭にも警備員が立っている。
「うひゃー、思ってたより警備が厚いですね〜……やっぱ好き放題に振舞ってるから、敵が多いんでしょうかねー、アリンコ侯爵。あれ、カリンコ侯爵でしたっけ?」
「違ぇよ、ガリンコ侯爵だ」
「あはは、パリンコ侯爵だって、パリンコ」
自宅より街の方から離れた、森の端。
木の根元で、広い土地の真ん中に立つその建物を見る海凪に、その木の枝の上で暇そうに寝そべっている春霞が訂正を入れるが、結局、海凪の反対側の根元にいる冬芽に直された。
まさか肉眼で見えるのか、春霞は屋敷を一瞥し。
「何とかなるだろ。強行突破だ」
「ご勝手にどうぞ〜、あたしは遠慮します♪」
「僕も遠慮します♪」
「てめぇらやる気あんのか!!」
当時、六香は知らなかったが、三人の職業というのは、実は猟犬だった。ということは、つまり……一種の泥棒。
真夜中——つまり、ちょうど六香がぐっすり寝ている時間帯に、三人は家を抜け出し、昼間に計画した屋敷に潜入する……という生活を2年ほど送っている。別に六香にバレて悪いわけではないが、何だか言う機会がなくて、このままになっている。
そして今、三人は、今夜のターゲットの下見をしに来た。ガリンコ侯爵——否、パリンコ侯爵の屋敷を。
フェルベス首都シーヴァの郊外、西の地域を治めている領主だ。国王も手を焼いている、横柄かつ自分勝手な貴族を絵に描いたような侯爵だ。だから財産を盗まれても文句は言えないだろうと、三人は思う。
「で、マジメに言いますけど、警備をくぐり抜けるのはキツそうですよ。最悪、春霞さんの大好きな強行突破ですね」
「大好きなって、海凪……お前な……」
「え?やだなー、事実じゃないですかぁ。今までの自分を思い出してみたらどうですか〜?」
海凪がゴーグルを頭の上に押し上げて言うと、上から春霞が呆れ声でそう言ってきた。そんな彼を見上げ、海凪は本当に楽しそうな顔で言う。
事実、海凪が少しでも「難しい」発言をすると、すぐに春霞は「なら強行突破だ」と言う。まぁ、それだけ行動派というわけだが。
「うーん、それじゃあ、警備員たちの気を引いて、その隙に……!作戦の方が、今回は有効かなぁ」
「あ、春霞さんが正面から飛び込んで、その隙に、あたしと冬芽さんが侵入すればいいんじゃないですか?」
「おぉ、春霞いじめにはもってこいだね♪」
「お前ら、マジメに計画立てろよ……」
と、春霞が言うと。
「到ってマジメですよ?」
「うんうん、マジメだよ?」
……とか返ってくるから、本当にタチが悪い二人だ。
「まぁ……それでもいい。あの数の警備員くらい15秒で全部のしてやる」
「よっ、大将、心強いねぇ〜。じゃあ僕らは……」
下からの冬芽のわざとらしい褒め言葉を無視し、春霞が何気なく周囲に視線を走らせた時。
かすかに感じた気配。
「っ!」
春霞が反射的に、葉が生い茂っている枝に移動した。それを見て、冬芽と海凪の顔にも緊張が走り、二人もそれぞれ手近の木の幹に身を隠す。
しばらくして、人の声が近付いてきた。
「……今日も見当たらないな」
「くそっ、この辺だってわかってるのに、なかなか見つからないな……」
「早いうちに捕まえないとまずいぞ」
「次はあっちだ」
ガサガサと草を掻き分ける音がして、話し声は遠ざかっていく。気配が完全に遠のいてから、春霞はとんっと地面に飛び降りた。
「またアイツらかよ……だんだん俺らの行動範囲、バレてきてるな」
「うーん、確かに最近、動きづらいですよね〜」
「ふふ、それだけ僕達も有名になったってことなんだよ」
溜息を吐いて言う春霞と、困った顔で言う海凪、そして一人だけ呑気なセリフを吐く冬芽。
姿は見ていないが、恐らくさっきのは、フェルベスの軍の人間。最近、よくこうして巡回している。
最近になって、シーヴァで、バルディア人を見たという証言がいくつも出ているからだ。2年もこの国に住んでいるのだから、仕方ないと言えば仕方ない。
何処の国だって、敵国のスパイを生かしておくほどの余裕はないだろう。
だから恐らく、見つかったら……殺される。
「……六香、大丈夫でしょうかね……」
ぽつりと、海凪がらしくなく、心配そうにこぼした。
自分達は、気配に敏感な春霞がいるから、恐らく見つかることはない。万が一、見つかっても、相手をのして逃走できるくらいの能力はある。しかし、六香はそうは行かない。
自分達の家は、シーヴァからずっと離れた辺境の地にある。恐らくノーマークの地域だろう。
そうは思うが、もし見つかったら……と思うと、家に一人残してきた親友のことが気にかかる。それに、昔から自分が彼女を守ってきたから、やはり不安だ。
「大丈夫だろ。六香は頭良いし」
「思えば……六香には、寂しい思いばっかりさせてるよね」
海凪の不安を読み取った春霞がハルバードを担ぎ直して言い、冬芽が六香のことを思い出して困った顔で笑った。
「今度、みんなで何処か行こっか。六香の行きたいところにさ」
「あっ、いいですね〜、それ!」
「おいおい、お前ら……自分の立場、忘れてるだろ?」
スパイが敵国で観光なんかできるはずがないだろうに、そう言う二人に呆れ声で言う春霞。そんな彼を、二人はにっこりと振り返り。
「でも、春霞さんも協力してくれますよね〜?」
「大事な妹のためだもんねー?」
「………………」
……ほんの一瞬の沈黙があってから。春霞は参ったように溜息を吐いて。
「ったく……仕方ねぇな……俺が無傷で蹴散らせるのは隊長クラスまでだからな。軍団長はパスだ」
「おおっ、頼りにしてますよー、大将!コレで安心ですね〜♪」
「帰ったら、六香に行きたい場所、聞かなきゃね」
いつも世話になっている少女。彼女をねぎらおうと、三人は今夜の作戦もそっちのけで、そんな会話を交わしていた。
そんな日は、決して訪れることがないと、まだ知らずに。
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