→→ Madrigal 1

 遥か昔、聖魔闘争が始まった頃。
 聖魔闘争に乗じて、現在のイースルシアとバルディアの領土を占有していたダグス帝国が、後のフェルベスであるフィルテリア王国に侵略を開始した。

 当時、フィルテリアは現在の半分くらいの領土しかなかった。ダグスは、そんな小国を侵略することなどとても容易いと高をくくっていた。
 しかし、ダグス帝国は負けた。何百万人もの人々から構成される、軍の約4分の3を犠牲に払って惨敗した。
 フィルテリア軍の最高指揮官であり、フィルテリア王国最強の魔術師。その2つの肩書きを持つ、たった一人の異種族によって。





 その人物は、弱冠22歳の青年だった。気高きその名は、サレス・オーディン。彼は、当時、その力を恐れられ差別されていたイーゲルセーマ族だった。
 イーゲルセーマ族、通称セーマ族というのは、フィルテリアの地下に住んでいたとされる種族だ。地下で生活していたために肌や髪の色が薄いのが特徴で、人間を遥かに超えて魔術面でとても秀でていたという。彼らは体の奥底にとてつもない量の魔力を持っているが、普段はその一部しか引き出せないそうだ。現在は、すでに絶えた種族である。

 ダグスの密偵が国内で何人も見つかり、後にフィルテリア動乱と呼ばれるその出来事が起きることを予感した時、フィルテリアは魔術に頼るしかないと悟った。なぜなら、経済力の強いダグスの装備はほとんどが鋼鉄でできていて、とてもじゃないが武器で叩き割るのは不可能だったからだ。

 その頃、魔術はまだ生きていた。魔術とは、一種の学問である。魔術というものは、その根底にある基礎知識を理解して初めて扱えるようになる。それにさらにたくさんの知識を吸収し応用して、魔術を自分なりにどんどん改良していき、性能を良くしていく。要するに、魔術師とは孤独な学者なのだ。
 しかし、その基礎知識というもの自体が複雑で、まずそれを理解できる者が少なかった。それに比例し、魔術師の数も少なかった。
 そこでフィルテリアは、自国の地下に住んでいた、種族自体が魔術師であるイーゲルセーマ族に救いを求めた。同じ国の者として、ともに戦ってくれないだろうか、と。

 なんとも虫が良い話だった。人間からひどい差別を受けていた彼らは、当然それを拒否した。  しかし、その種族の中でたった一人、毛色の変わった者がいた。己を極限まで上げ、人生に飽きさえ感じていた一人の青年。


 『外が知りたい』


 その一言を理由に、彼は単身、地上へと旅立ったのだった。





 サレスは、イーゲルセーマ族随一の魔術師だった。さまざまな術を操り、この世の者とは思えないほどの力を奮ったという。
 地上に出た彼を出迎えていたのは、軍の最高指揮官という名の称号だった。彼は約1週間で、人間の魔術師や少数のクランネからなる部隊へと軍を編成した。そして、その少数部隊とともに自身も前線に赴き、攻めてきたダグス軍を長く足止めしたという。
 そして、どういうわけか、彼は一人で、一度にダグス帝国軍の過半数を消し去っている——。



 その真実は、誰にも語られず、静かに闇に葬られている。



  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪



 潮風に髪を揺らせながら、夕鷹はそれほど大きいわけでもない白い客船の甲板にある手すりに寄りかかり、大きく溜息を吐いた。
 シーヴァから港町デュリスまで、やはり〈ガルム〉とフルーラに乗ってやってきた。夕方に着いたので、当然の如く船はもうすべて出てしまっていた。朝を迎えて、朝一の船の上だ。


  『き、金眼よ!呪われた瞳よぉ!!』


「………………」


 昨日の、恐怖一色に染まった女性の顔が脳裏から、離れない。


「……別に、毒とか持ってるわけじゃないのにな」


 ぽつりと一人呟いた言い訳じみた言葉は、誰の耳にも届くことなく、すぐに波の音に呑まれて消えていく。
 いつだって自分は、あんな扱いを受けてきた。金眼。たったそれがあるだけで、まるで同じ種族ではないかのように扱われるのだ。
 まるで、同じ種族ではないかのように。


「……そりゃ、そーだよなぁ……」


 自分の手のひらを見下ろし、椅遊の召喚した魔王の攻撃に対抗した時のことをぼんやり思い出した。そのまま後ろを振り返り、今まで背を向けていた、水平線を遠くに望む広大な海を眺める。
 世界は、一生のうちでは歩き尽くせないほど広くできている。しかし、同じ種族でありながら、、、、、、、、、、彼らと違う者、、、、、、なんて、この世に自分以外いるだろうか。


(いるわけ、ないか……)


 一瞬だけのくだらない想像から最終的に突き当たった現実に、夕鷹は諦めたように正面に目を戻した。
 この船を下りた時、夕鷹達はイースルシア王国の土を踏む。国外に出ることは、とても久しぶりだった。


「……夕鷹」
「ん、梨音」


 そんな後ろ向きのことを考えていたからか、すぐ傍まで梨音が近付いてきていたことに気付かなかった。名前を呼ばれ、初めてその存在に気付く。
 梨音は夕鷹の隣に立ち、横風に煽られて顔にかかる萌黄色の髪をうるさそうに払いながら言った。


「……久しぶりに、フレイに乗ることになるよ」
「ってことは、さっきまでフルーラと経路相談してたの?」
「……うん、そう。プライルからパセラに行って、飛空艇でジェノスに飛ぶ」
「飛空艇?そんなの、イースルシアにあるの?」
「……王家しか所持してないらしいけど。それでジェノスに行って、フレイで海峡を越えてセルシラグに行くことになったんだ」


 フレイというのは、グランに生息する巨大な飛鳥だ。淡泊な橙色と純白の羽を持つ鳥で、大きいものだと全長2.5メートルはある。ただし、過去の乱獲から数が極度に減っていて、毎年だんだん絶滅へと向かっている。万が一、フレイがいなかったら、時間はかかるが大陸を回っていくと梨音は言った。


「あれ?じゃあ、その飛空挺でセルシラグに直接行けばいーんじゃないの?」
「……セルシラグには、結界が張ってるんだ。エルフ族じゃないと解除できない、面倒臭いヤツ……外からの訪問者が多いからって、族長とかが施したみたい」
「あ、そーなんだ……」


 だからフレイで行くのか、と夕鷹は納得した。同時に、楽できなかったと少し残念がる。


「セルシラグか〜……何年ぶりだろ」


 夕鷹は寄りかかっていた手すりを向いて肘をつき、懐かしそうに言った。


「梨音は、何年ぶりになるの?」
「……3年ぶり、かな」
「梨音なんて、全然帰ってないもんなぁ〜。あれ、確か梨音って……」


 夕鷹がそう聞こうとした瞬間。



 ド ク ン 、



「……!!」


 妙に大きく、鼓動が耳の奥に響いた。


「かはっ……!!」


 突然、胸が圧迫され、肺の空気をすべて吐き出した。それが合図だったように、頭も割れそうなほど、ひどく痛み出す。


「!? 梨音!おい梨音っ、大丈夫か!?」
「だい、じょぶ……っ」


 夕鷹はすぐにしゃがみ込んで、激しく上下する梨音の肩を揺さ振り、切れ切れになる意識を手放させないようにする。梨音は咳をしながら何度も頷き、短い息の中に言葉を交えて言った。

 なんとか、梨音がそう言い切った直後。
 ふわっと、一瞬、意識が遠のく。



      …    …
                  シ  …  テ



 苦しい。
 胸が容赦なく締めつけられ、息が細くなっていく。
 声が遠い。
 死とは、こんなものなのだろうか。
 痛みが麻痺して、世界が遠くなるのだけが空しく感じ取れる。
 ひどい閉塞感と自由の利かない体。垣間見える闇。静かに、そして確かに忍び寄る死の影。

 そんな中で、声がする。



      カ                  テ
           エ      シ



(まだ……まだ、ボクは……!!)










「梨音っ!!!」


 思い切りガクンと夕鷹に肩を揺さ振られて、梨音ははっと我に返った。いつの間にか目を固く閉じていたせいで、真っ暗だった世界に夕鷹が映り込む。冷や汗が頬を流れ落ち、呼吸が少しずつ規則正しいものへ戻っていく。頭痛と動悸が静かに収まっていくのがわかった。
 呆然とコチラを見返す梨音を見て、痛みが引いてきているのだとわかると、夕鷹は緊張していた頬を和らげてホッとしたように微笑んだ。


「……収まった?」
「…………うん……もう、大丈夫……ありがと、夕鷹」


 手すりに掴まりながらゆっくり立ち上がり、梨音はコチラに引き戻してくれた夕鷹にそう言った。

 ——梨音は、突発的に起きる発作を持っている。1年近く起こらなかったり、1日置きに頻繁に起こったり、頻度に一定がない。持病でもなければ、病を患っているわけではない。やはり多く話そうとはしないが、体の構成上の問題だと梨音は言っている。


「歩ける?」
「……なんとか、ね」


 夕鷹は、船の客室に戻ろうと背を向けた梨音についてゆっくり歩きながら、聞いてみた。梨音はそう答えたが、倒れないように手すりをしっかり掴んで、おぼつかない足取りで歩くさまは、どう見たって大丈夫じゃない。
 背負ってやろうかと思ったが、絶対怒られる。梨音は、背負われることを嫌うのだ。よくわからないが、彼のプライドのようなものが許さないらしい。

 今はそんなこと言っていられないが、後で怒られるのも嫌だった。どうすればいいか少し考え、夕鷹はいいアイデアを思いついた。


「ちょっといい?」
「……? うわっ……っ!」


 夕鷹は、歩くのが辛そうな梨音の前に回り込んでしゃがみこみ、ひょいと梨音を肩に担ぎ上げた。さすがの梨音も、予想外の夕鷹の行動に少なからず慌てる。


「よいしょ。あー、お前が軽くてよかった〜。こんなことできるの、梨音くらいだ」


 夕鷹は楽しそうにそう言って、そのまま客室の方へ歩いていく。すれ違った他の乗客が不思議そうな目で振り返るのがわかり、注目を集めていることに気付いた梨音が言う。


「ちょっと……夕鷹、下ろしてほしいんだけど」
「うん、梨音が背負われるの嫌いなのわかってるから、担いだ」
「……ボクは物じゃないよ」
「まーま、堅いこと言うなって。何号室だっけ?」


 周りから妙な視線で見られているのに、あっけらかんとしている夕鷹に呆れたのか、梨音は諦めたように答えた。


「……103号室だよ」
「って、通り過ぎてんじゃん……そーゆーのは早く言えって」
「……聞かれなかったからね」
「うわ、相変わらずムカつく性格してるなぁ……着いた、っと。そんじゃオープン〜」


 夕鷹は仕方なく来た道を戻って、「103」と書かれたナンバープレートの張ってある部屋のドアを開け、中に入った。簡単なベッドの近くに梨音を下ろし、ベッドを指差して言う。


「気分良くなるまで寝てろよ。着きそうになったら来るからさ」
「……うん、わかった。……あ、夕鷹」
「んんー?」


 梨音が頷いたのを見て立ち去ろうとした夕鷹を、梨音は思い出したように呼び止めた。夕鷹が足を止めて首だけで振り返ると、梨音は少し思案するように黙り込んでから、口を開いた。


「……発作のこと……椅遊さんとフルーラさんには、黙っててほしいんだ」


 ——あの二人は、優しすぎる。会ってそれほど経っていない人の心配を当然のようにする。追われている立場の二人に、これ以上、無駄な心配をかけたくなかった。


「うん、わかってるって。そんじゃ俺、六香達の方見てくる」


 梨音の言葉に、夕鷹はすでにわかっていたように笑って頷き、そう言い残して部屋を出て行った。
 ……途端に、波紋が過ぎ去った後のような静けさが室内を支配した。部屋に残された梨音は、ごろんとベッドに横たわって疲れた息を長く吐き出した。

 この発作は、己の罪に対する罰だ。コレに今まで堪えてきた自分が、我ながら凄いと思う。


(———ボクの居場所は……地獄にしか、ないんだろうな)


 この罪が、それで浄化されると言うのなら、喜んで向かおう。



  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪



 笑顔には、不思議な力があるんだよ
 君が笑う度に、僕らは少しずつ癒されてく


 だから君は、僕らのために笑うんだ





「………………」


 何で、今頃。


「りっか?」
≪どうした?≫


 話の途中で、窓の外を見て、突然ぱたりと動作を止めた六香に、同室にいた椅遊とフルーラが不思議そうに声をかけた。


「……何でもないよ」


 部屋の窓から見える青い海に、無意識に幻影を重ねてしまったのだろうか。確かに、窓の外の煌く海は、何処となく"彼"と似ている。なんとなく気分が悪くなり、六香はそう答えながら海から目を逸らした。


「だい……ぞぶ?」
「うん、ダイジョブ。ちょっと、嫌なコト思い出しただけ」


 拙い言葉で「大丈夫?」と心配そうに聞いてくる椅遊に六香は笑い返して、飲んでいた夢茶のペットボトルを持ち上げる。ふと、その透き通る淡緑色の液体が目に入った。



 ずっと笑ってろ
 俺達のこと忘れるくらい、たくさんだ



「…………っ」


 どうして、また。
 海に重ねてしまったのがきっかけだったのだろうか。普段、目にしているものにさえ敏感になってしまう。夢茶のキャップをしめて、六香は夢茶をベッドに雑に放り投げた。


「りっか……?」
≪大丈夫か?顔色が悪いぞ≫


 思い出したくなかった。自分の非を。彼らの死を。


「……何でもない。何でもないの」


 どうやって処理すればいいのか、わからない。
 逃げていると言われれば、それで終わりだった。それは、自分でも気付いている事実だったから。
 でも、認めるのが怖くて、正面から向き合うことができない。どうすればちゃんと向き合えるのかが、わからない。


「ちょっと、外出てくる」


 六香は溜息混じりに言い捨てると、部屋のドアの前に立った。ドアノブに手をかけようとした時、まだ触れていないのに勝手にドアノブが回り、ドアが開いた。
 ドアの向こうに見えたのは、夕鷹だった。夕鷹は、ドアを開いて目の前に立っていた六香に少しびっくりして、


「もしかして、今出るとこ?」
「うん。通してくれる?」
「ん……?うん」


 いつもと違って、妙に丁寧な印象を受けた。夕鷹は首を傾げながら、六香が通れるようにドアの前から退く。六香は「ありがと」と一言言って、甲板の方へ歩いていった。
 夕鷹は部屋の中を見て、椅遊とフルーラがいるのを確認して部屋に入りながら、


「……なーんか六香、暗くなかった?」
≪あぁ。海と夢茶を見た途端、ああなってな≫
「海と夢茶? ……あぁ。なるほど。そりゃ、そーかもなぁ……」
≪? 夕鷹、何か知っているのか?≫


 『海と夢茶』というキーワードを聞いただけで、夕鷹は納得したように一人頷いた。フルーラが問いかけると、夕鷹は「まぁ、ちょっと心当たりがね」と肯定した。


「でもま、俺が言うべきことじゃないってゆーか。プライバシーの問題ってゆーか。とりあえず、アドバイスできるのは……それについて聞かない方、いーよ」
≪……そうか≫


 誰しも、他人に踏み入ってほしくない領域がある。知られたくない領域がある。
 それを知っていたフルーラは、それ以上、追及しなかった。





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