→→ Fugue 2


 消えていく。消えていく。

 思い出も、記憶も、知識も、すべて。





 まっしろに、きえていく—————



  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪



「……彼女を追っていた五人全員、やられたみたい」


 それは、つややかな栗色の長い髪の、冷たい美貌を持つエルフ族の女性だった。スーツをきっちり着こなしており、彼女の生真面目さが窺える。
 彼女がこの煌びやかな部屋の主に言うと、窓に背中を向けたソファに座って足を組んでいた男の人影が、


「ふーん……やっぱり、そうなっちゃったか。予想はしてたけど、随分発動が早かったね。ま、いっか」
「見てきたけど、彼女の姿はそこになかった」
「消えていた……?」


 男性というには若すぎ、少年というには大人びた青年だった。ストレートな臙脂色の髪を、少し先の尖った、若干褐色の耳にかけながら、問う。


「どういうこと?アレを使った後は、しばらくの間、気絶して身動きがとれないはずだろ?」
「誰かが介抱したみたい。今、ヒサギと数名が彼女を探してる」


 それを聞いて青年は小さく溜息を吐き、背もたれに背中を預け、少し考えるように間を空けてから口を開いた。


「……あの子についてたペットは?」
「追ってるけど、まだ捕まえてない」
「んじゃ、あの子のところには近付けるなよ?何かと厄介だし」
「わかってる」


 そう言い、報告を終えた女性はドアを無音で開いて部屋を去っていった。部屋に残された青年は、しばらくそのドアを見つめていたが、


「……サイ、いるだろ?」
「うん、いる……」


 青年が一言呼ぶと、彼のソファの後ろから幼さの残る声が返ってきた。
 そこに、小さな少年が床に座ってソファに背を預けていた。彼は特にすることがなく、ずっとそこにいたのだ。女性も気付いていたようだったが。

 少年は、大げさなほど大きな刃をつけた大鎌を傍らに置いていた。服装も、黒などの暗めの色で統一されており、まさに死神を具現化させたようだった。
 青年はそうやって少年の存在を確認してから、少年を振り返りもしないまま、


「どのくらいまでわかった?」
「……構成まで……」


 暗黙の了解で問いかけると、少年はぽつりと囁くような声で答えて立ち上がった。服が黒だからか、妙に目立つサラサラした金髪。その長い前髪の間から、蒼の左眼と翠の右眼が覗いた。


「……やろうと思えば、多分できる、けど……それまでが難しい……」
「ふーん……例えば?」
「……展開してから、発動まで、時間がかかる……その間、標的を逃がすことがないかどうか……その前に、捕らえられるかどうか」
「はは、そこから心配するんだ。不安だったら、お前が捕まえればいいだろ?」


 青年はおかしそうに笑いながら、ソファから立って少年の前に歩いてくると、


「大丈夫だよ、お前に敵う奴なんていないから」


 自分の胸くらい背丈の少年の髪をわしゃわしゃ撫で、最後のポンと手を置き、足元から天井まである大きな窓の前に立った。
 イースルシア王国首都パセラの郊外にある、この豪邸。ココから見下ろすと一望できる華麗な庭園は、彼にとってはどうでもいいものだ。なぜなら、彼はこの屋敷の主ではない。


「さてと……俺らも、そろそろ移らないとな」



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 焦土の上に倒れていた少女は、昼になっても目を覚まさなかった。まるで死んでいるようにも見えたが、ちゃんと息はあるし、まだ肌は肌色を宿したままだ。
 少し傷んだベッドに横たわる少女の横顔を見つめて、六香は「うーん……」とうなり声を上げた。


「可愛い子よねぇ……」


 桜色の髪に、淡い浅葱色の礼服らしき服。広い袖口の端には、小さな鈴がついていた。六香の偏見かもしれないが、少女の服は、何かの儀式を行う際に着るように感じた。

 見知らぬ少女を介抱するなんて、お人好しもいいところだろう。しかし彼らには、なんともか弱そうな少女を見てみぬフリをする勇気がなかった。それでこんなことになっている。


「面倒ゴトに巻き込まれなきゃいーけど……」


 あの焦土の上にいながら、無傷だったこの少女。おまけに、少女が倒れていたところは、まさに円状の焦土の中央だった。
 となると——、この少女があの焦土を作り上げたのだと考えるのが普通だろう。少女が何者でどんな能力を持っているのかはわからないが、六香は、嫌な予感を感じざるを得なかった。

 木造の、それほど高くない普通の宿屋に不法侵入して夜を越した夕鷹達は、少女が起きてから行動することにした。ちなみに、すでに宿の主人に代金は払ってある。

 夕鷹と梨音は、昼食の調達へ向かっていて、ココにはいない。六香は、少女の看病係として残された。
 六香としては、立場が逆の方がよかった。こういう大人しいことは好きじゃないのだ。六香は暇そうに溜息を吐いた。


「あれ……?」


 何気なく少女の顔を見て、ふとその白く細い首で煌く金の首飾りの紋様に気がついた。
 その首飾りには、逆五角形の内に十字の光が描かれたマークが彫ってあった。なぜだか見覚えがあるその紋章を見て、六香は首を傾げ、


「この紋章……えっと、確か……」


 しかし、それを思い出すのは後回しになってしまった。ガチャリとドアが開き、夕鷹と梨音が帰ってきた。片手に平たい正方形の箱を持った夕鷹が、


「おかえりー、ピザ買ってきた」
「アンタは『ただいま』の立場でしょ……それから、ノックくらいしなさいよ」
「あーゴメン、今、両手塞がってたから」
「……左手、空いてるけど?」


 六香が呆れつつ指摘すると、夕鷹は今気付いたように左手のひらを見て、その手で頭を掻いて苦笑いした。


「ゴメン、気付かなかった」
「何で気付かないのよ……イオン、アンタも注意とかできなかったわけ?」


 梨音に助けを求めるように聞いたが、梨音は無反応だった。まるで心ココにあらずな梨音を六香が訝しげに見ると、夕鷹が何処か呆れたように溜息を吐いた。いつもは呆れられている側だというのに、どうしたのだろう。


「朝からこんな調子なんだ。何か考えてるみたいだけど、教えてくれないしさ」
「……そなの?」
「うん。おーい梨音、ピザ食うぞ〜」


 夕鷹が声をかけながら梨音の肩を揺さぶると、梨音はようやく気付いたようで、まだボーっとしたまま——というか、よく考えてみれば、この顔が彼の地なので、いつも通りに戻っていたかもしれないが、とにかく夕鷹を見た。


「……ゴメン、考え事してた……」
「ホラ。まぁいーや、ピザ食おー」


 夕鷹は、部屋内のテーブルの上にピザの箱を置いて開けると、我に返った梨音に6分の1のピザを手渡した。梨音は流されるままに受け取り、テーブルの席について、アツアツのピザにふーふー息を吹きかけてから、ぱくっと一口かぶりついた。


「イオン、何考えてたの?」


 梨音の正面の席に座り、ピザを手に取って六香が聞いた。梨音は口の中のものを噛みながら返答を考えて、ごくっと呑み込むと、


「…………ただの杞憂ですよ」
「……ふーん、そっか」
「杞憂……ねぇ。ほれはらろほほほは?」


 あえて内容は言わずに、そう言ってぼかした。
 六香が追及せずに相槌を打つと、空いていた二つの席の片方に座った夕鷹がピザのチーズを伸ばしながら聞く。が、食べながら言っているせいで、何と言っているかわからない。


「夕鷹……食べてから喋ろうよ」
「ん」


 夕鷹は頷いて、伸びたチーズもろとも口に入れて咀嚼し、ある程度小さくなったところでもう一度、さっきの言葉を言った。


「これからのこととか?って」
「……それもあるけど、別のこと。……あまり気にしないで」
「ふーん……」


 詳しく聞いてみたかったが、もうそれ以上は話してくれなさそうだった。夕鷹はテキトウに答えて、ピザの耳を食べ始める。彼が一番大好きなところだ。
 半分くらいまでピザを食べた梨音は、ベッドの上で眠る少女を見た。


「……この人、まだ起きないんですね」
「うん、そーなのよ。……やっぱり、ちょっと寝すぎよね?」
「……何か、肉体に対して強い負担でもあったのかもしれません。起きるまで、待った方がいいでしょう」
「待つしかないかぁ……」


 もぐもぐピザを食べながら、六香は残念そうに溜息を吐いた。どうやら、あの少女と話してみたいようだ。
 自分の分のピザを食べ切って、喉が渇いてきた。そういえば飲み物類を買ってきてなかったことを思い出し、


「お茶買ってくるの忘れてた。いるだろ?」
「あ、うん、ほしいな。アタシのは絶対夢茶だからね」
「やっぱりソレかぁ……梨音は?」
「……じゃあ、ボクも。……何でもいいよ」
「3本ね。そーだ、梨音。部屋の鍵、頼むわ」


 ジャケットのポケットから、透明な棒に『9』と部屋番号が書かれたものが一緒についている部屋の鍵を梨音に渡し、夕鷹は席を立った。


「そんじゃ、いってきまーす」


 ドアへと歩きながら後ろに手を振って、夕鷹は部屋を出た。この部屋は1階なので、階段などを使う必要はない。しばらく歩いて受付の前を通りすぎ、宿から出て街を歩き始めた。
 歩きやすいようにならしただけの道を歩いて、宿から少し離れたところにある、駄菓子チェーン店へ向かう。六香の好きな『夢茶』は、その店限定なのだ。


(……にしても)


 しばらく歩いて、少し気になったことがあった。
 人が多いとはあまり言えないこの町を歩く人々の中に、時折、武装した黒い服の男達が見えるのだ。それも、見たところ4、5人はいる。こんな田舎町に、あんな連中がいるなんて明らかに不自然だ。

 注意して一人の黒服の行動を観察してみると、何か小さな機械で何処かと連絡を取りながら歩いている。別の黒服は、目立たない素振りで建物の様子を窺っている。二人の行動をまとめてみると……どうやら、何かを探しているようだった。

 昨日もこの町に寄ったが、昨日はこんなことはなかった。昨日と今日、変わったことと言えば、あの少女が増えたことだ。
 まさか、彼らが探しているのは——


(はぁ、俺ってお人よしすぎ……)


 なんだか放っておけなくて、夕鷹は内心で自分の性格に溜息をつきながら、わざと道を反れて路地裏に入った。すると都合よく、建物の壁に向かってやはり怪しげな行動をしている一人の黒服を見つけた。
 夕鷹がココに来たことで警戒し始めた黒服の後ろを、夕鷹はすまし顔で通りすぎかけ、


「もっしもーし、ちょっといい?」


 軽く声をかけてみた途端、いきなり黒服は逆手に持ったナイフで夕鷹に切りかかった。どうやら、夕鷹が声をかけなくても襲うつもりだったらしい。
 それを予測していたように、夕鷹はナイフの描く銀閃をかわしてから、振られてきた黒服の手首を掴み、普通は曲がれない方向に腕をねじる。うめき声を上げた黒服の手から、あっさりナイフが転げ落ちた。

 その瞬間、夕鷹は相手の額を右手で捕らえ、黒服の背後のレンガの壁にガッ!と強く打ちつけた。


「よし、拷問態勢のできあがり〜っと。さてと……お前、その辺にお仲間がいるだろ?この街に、何しに来た?」
「……何のことか、わからないが……?」


 ミシ、と骨が小さく鳴った。夕鷹が人差し指と親指にさらに力を加えたからだ。
 ふと、男の左耳に、マイクつきの黒い小型機がついているのが見えた。


「トボけるのもホドホドにしろって……アヤシイ行動しといて、言えるセリフ?」
「くぅ……!」


 頭から走る激痛に堪えながら、男が足を動かして夕鷹に蹴りを見舞おうとした。夕鷹がとっさに手を離して後退した隙に、男は左耳を押さえながら表通りの方へと走っていった。
 その後姿が見えなくなると、しゃがみこんでいた夕鷹は立ち上がり、


「逃がしちゃったなぁ……はぁ。やっぱ俺、あーゆーの向いてないなぁ……ま、コイツだけでも奪えたからいっか」


 残念そうにそう言いながら、夕鷹が持ち上げたのは、先ほどあの男が耳につけていた無線機らしきものだった。飛び退く時に、マイクを引っ掴んで強引に奪い取っていた。
 夕鷹は、六香や梨音ほど機械に詳しくない。どれが何だかわからなかったが、とりあえず男がやっていたように、マイクが生えている根元の機械の方を耳に近付けた時、向こうから男の声がした。


『例の小娘を見つけた。オマケもいるようだが、抵抗すれば排除しても構わんだろう。リーダーがすでに向かっている。全員、この街の入り口付近にある宿屋の10号室へ向かえ』


 例の小娘?オマケ?リーダー?
 ……宿屋の10号室?
 ——!!


「やば……っ!!」


 夕鷹は黒い機械を投げ捨て、迷わず宿屋に駆け出した。





 10号室は、六香と少女がとっている部屋だった。





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