→→ Fugue 1


 世の中には、善い人もいれば、悪い人もいる。それは言わずとも知れた理である。
 貴族から物を奪って、それを貧しい人々に配布している自分達は、一体どっちの分類なんだろうと、二ノ瀬夕鷹ニノセユタカはぼんやりと考えた。
 深夜、貴族の屋敷に侵入し、赤外線センサーに引っかかって逃げているという、この状況下で。


「我ながら、のん気だよなぁ……」


 人生に疲れた老人のような息を吐き、薄茶色のジャケットのポケットに手を突っ込んでみるが……いつも逃げる時にある手応えが、今日はない。
 ガサガサと切ってある髪が、走る度にフワフワ揺れる。一定間隔にある窓から差し込む月光に一瞬照らされたその色は、闇に紛れるような菫色だ。目だけが猫のように、淡い金色に光って見えた。

 イレーシオン大陸の最も南にある、フェルベス皇国。その首都シーヴァから離れたこの田舎に、夕鷹達はいた。
 岬の端に建っていて海が一望できるこの屋敷には、フェルベスのおエライ貴族が住んでいる。首都には住まず、あえて田舎に住居を建てた変わり者だ。今回は、その貴族の財産狙いで来たわけだが……なぜか、こんなことになっている。


(はぁ、あの部屋のセキュリティシステム、まだ動いてたし……梨音リオンの奴、珍しくつまってんのかな?)


 あの頭の良いアイツが、珍しく解除にてこずっているとは思わなかった。だからいつも通り、屋敷の主の部屋にあった金庫に手を伸ばした途端、コレだ。
 馬鹿デカイこの屋敷の大広間へと続く長い廊下を走りながら、後ろを盗み見た。

 夕鷹を含んで三人いるこのメンバーは、侵入する前に予告状などを送りつけるようなご丁寧なことはしない。しかし、ココの貴族は普段から警備態勢を整えているらしく、警報ベルが鳴るのを聞いた数人の警官が追いかけてきていた。


六香リッカも六香で、足止めの気配がねーし……)


 面倒くさ……と思いながら夕鷹は走る速度を落とし、急に立ち止まった。相手が疲れたのだと思った警官達は、銃を構えてすぐさま夕鷹を包囲する。
 警官は夕鷹の容姿をざっと見て、


「お前は、猟犬ザイルハイドの二ノ瀬夕鷹だな!窃盗により現行犯逮捕する!大人しく武器を捨てろ!」
「あれ……見ただけでわかるなんて、俺って結構有名人だったりするの?しかも、今回はまだ盗ってないって……それに俺、武器なんか持ってないし」


 囲まれてもなお、夕鷹は全部のセリフにコメントしてしまうほど平然としていた。コチラが油断を見せるのを待っている警官達を眺めて、人数を目で数える。
 ——五人。特に支障があるわけでもない。
 なら、面倒くさいけど、とりあえず強行突破。


「捕まったら取り調べとかダルイから、ヤダ」


 一言言うなり、スッと腰を落とし、目の前の警官の足を自分の片足で払った。それから、無様に尻餅をついた警官の握り締める銃を遠くへ蹴り飛ばす。


「き、貴様っ!」
「通るよ〜」


 遅れて銃を構える警官達の間をするりとすり抜け、二人の警官の後ろに立ち、二人の頭を外から挟むように手を伸ばして、


「三人っ!」
「ぐあっ!」
「うっ……!?」


 それぞれ帽子のかぶったハゲ頭と有髪頭とを、ガンッ!と強く打ちつけた。ぶつかりあったところに一瞬火花が散り、脳に振動が響く。二人は立てなくなって、そこに倒れ込んだ。


「う、撃てぇ!」


 その鮮やかな手並みに見入っていた一人の警官が、はっとして銃のトリガーを引いた。もう一人の警官も、その声に押されて発砲する。
 それよりも早くに動いていて弾を受けなかった夕鷹は、二人の警官の間へと走っていた。一人の警官は側頭部を蹴って倒し、もう一人の警官は、そのすぐ横にしゃがみこみ、


「コレで、最後っと……!」
「へ?ぐおは!?」


 下からした声に、警官が目を向けた途端、下からアゴを蹴り上げられた。足が地面を離れ、そのまま頭から落下する。
 両手をパンパンと鳴らして、床に手をついた際についた汚れを払った。


「めんどくさいの終了〜っと。ってか、最初からこーすれば早かったよなぁ……そんじゃ、ゆっくり金庫あさってこよーかな〜」


 そろそろセキュリティシステムも解除した頃だろうし。と、夕鷹がくるりと踵を返して、来た道を戻ろうとした時、


「……動くな!!」
「んんー?」


 するはずのない声を聞いて、夕鷹は怪訝そうに振り返った。
 無駄にデカイ窓から差し込む月の光が、銃を構えて立っている警官を青白く照らしていた。どうやら、一番最初に銃を蹴り飛ばした警官のようだ。
 アイツも再起不能にしとけばよかったと、夕鷹は今更後悔した。


「そこを動くな!動けば撃つぞ!」


 そのありがちなセリフに、夕鷹は、さっきとは大違いなほど緊張感のない声で、


「……警護組織リグガーストの奴らって、理屈っぽくて嫌だなぁ……言っとくけどオッサン、そっから撃たれても俺、避けれるよ。多分だけど」
「ハッタリなら無駄だ!大人しく捕まれ!」
「信じてくれなくてもいーけどさ……あ、俺、めんどいから捕まる予定ないから」
「すぐそこに、鈴桜レイオウ刑事が来ている!お前に勝ち目はない!」


 やたらと自信満々な警官のセリフを聞いて、夕鷹は「げ」と顔をしかめた。
 鈴桜烙獅レイオウラクシ
 一般に警察と呼ばれる警護組織リグガーストでは刑事と呼ばれているらしいが、彼は、夕鷹達のような盗賊組織・猟犬ザイルハイドの破却を担当する、対猟犬追撃隊・追行庇護バルジアーの幹部だ。彼とは、何かと腐れ縁だったりする。


「レイオーサン来んの〜?でも、アノ人の行動範囲は、首都から10キロ以内のはずだし……ハッタリっしょ?」
「残念だが……今回、鈴桜刑事は、たまたまコチラの地方の様子を見にいらっしゃったのだ。この時期に盗みを働いたのが、お前の運の尽きだ!」


 びしぃ!と、警官のセリフが決まった。が、それにも動じず、夕鷹はのん気にはぁーっと長い溜息を吐き、


「……好き勝手言っちゃって……ハッタリかもしんないけど、とりあえず用心しておこっかな。じゃ、さっさと引き上げよっと……」


 仕方なく金庫あさりを断念した。残念だが、鈴桜に会うよりは遥かにマシだ。


「待て!! この私がココにいる以上っ……」
「あーうるさいなぁ……もーちょい大人しい方が、カッコイイぞ〜?それこそ、レイオーサンみたいにさ。それに今は、俺の方が味方多いし。ほらほら、後ろ〜」
「何? ……ぐわっ!」


 夕鷹の言葉に警官が眉をひそめた瞬間、いつの間にか警官の背後にいた人影が、彼の後頭部を固い物で殴って昏倒させた。
 警官が目を回していることを確認して、警官を殴った凶器——随分使い込んである愛銃を腰のホルスターに戻し、


「ね、夕鷹。背後のアタシにも気付かないよーな奴と、何か話すことでもあったわけ?」


 同い年くらいの少女が夕鷹に言った。
 明るいピンクのキャミソールの上に、真っ黒なパーカー。普段は中のキャミソール姿なのだが、その色だと隠密行動には不向きなので、こういう時だけこのパーカーを着ている。
 月明かりでやや分かりにくいが、蜜柑色の髪。月光の青白い光を寄せつけない印象的な赤い瞳が、呆れたように細められていた。
 見知ったその少女の言葉に、夕鷹は「んー……」と悩んで、


「……うん、確かに、大したこと話さなかったな」
「話してる暇があったら、さっさとはっ倒して逃げなさいよ、もー」
「はっ倒してって、ブッソウなこと言うよなぁ……」


 相変わらずな彼女に、苦笑いしながら言った。夕鷹は歩いて少女との距離を詰めながら、


「あのさぁ六香リッカ、俺、まだ盗ってきてないんだけど」
「そんなの知ってるわよ、まったくもー……システム解除する前に、手出しちゃうんだから。大体、見当つかないの?」
「うん、つかない。俺、機械系、全部わかんないから」


 嘆かわしいと言わんばかりの真琴六香マコトリッカに、夕鷹はケロリとそう言って笑った。「ちょっとは勉強しようとか思いなさいよ……」と、六香は額を押さえた。


「あ、ところで、何で今回、解除が遅くなったわけ?」
「セキュリティシステムの制御コンピュータを操作する時に、5個もパスワードが必要だったの。厳重すぎよねぇ〜……それを調べるので、ちょっと遅れちゃった」


 六香は雑作もないような表情で言ったが、そう簡単には調べられないはずだ。しかも、5つも。夕鷹が「へぇ〜」と驚いたような表情で言い、


「そんなの、調べられたの?」
「まさかぁ。屋敷の警官全員に拷問して調べたわよ」
「……元密偵とは思えないくらい、大胆だなぁ」
「う、うるさいわね、一言多いッ!」


 夕鷹の率直な感想に、六香は顔を赤くして叫んだ。
 六香は、猟犬ザイルハイドの者ではない。縁があって、たまたま一緒にいるだけだ。


「もうセキュリティシステム解除したはずだから、さっさと盗って逃げるよっ!」
「へーい。脱出口は?」


 再び金庫のある部屋へと走り始めながら、夕鷹は六香に先に聞いておこうと思ってそう聞いた。六香は、逆に驚いた顔をしてから、


「正面玄関に決まってるでしょ!」
「……俺達って、ホントに盗賊?」


 正面からズラかる盗賊がいるものかと、夕鷹は自分の職業に疑問を抱いた。



  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪



(……そろそろ、帰ってくるかな)


 屋敷の外。正面玄関門の草むらに隠れていた少年が、そう呟いて行動を起こした。
 しゃがみこんだまま、顔の前に人差し指と中指を揃えて立て、すっと目を閉じる。そして、小声ではあるが、歌うようにその言葉を紡ぎ出した。
 魔導唄グレスノーグ——そう呼ばれる、魔術詠唱のコトバを。
 最後の詞まで言い切り、少年は、その指先をすぐ下の地面に突きつけた。


「——第5章、『静寂の陣』発動」


 魔導唄グレスノーグを解放する詞である魔導名グレスメラを引き金に、指先を中心にして、円の連なった紫色の魔方陣が急速に広範囲に展開していく。それはすぐに、屋敷の玄関を警備していた警官二人の足元にまで届いた。
 目の前の景色がぐにゃりと歪み、片方の警官は首を傾げた。


「ん……?何だ……え、あ……うぁああ!!?」
「おい、どうし……な、何だコレは……く、来るな!!」


 二人は何かに怯え切った表情で、一心不乱に銃を連射し始めた。そして、突然倒れ込む。二人がこの幻術の術中にはまったことを確認して、少年は草むらから出た。
 この術は、かけて少しすると、倒れ込んで眠りに落ちるようになっている。見たことないのでよく知らないが、夢の中で、先ほど見た幻影と格闘しているらしい。

 少年が門の前に近付くと、玄関先の灯りが彼を照らし出した。
 何処かボーっとした印象を受ける少年だった。明るい光の下では萌黄色の髪が、月下の今は青く見える。サイズが若干大きめの黄緑のトレーナーを着ており、袖口からは指先しか出ていない。下は茶色の七分丈ズボン。トレーナーといいズボンといい、どちらも質素な作りをしている。


「……少しの間、眠っていて下さい」


 眠り込んだ警官の横を通りすぎざま言って、少年は閉じた門の前で立ち止まった。自分の身長の2.5倍ほどある黒い鉄柵を見上げ、一定間隔で空けてある鉄棒の一本を掴み、目を閉じた。


「……『唸れ、風威』——レト・シルフィ」


 ぼそりと呟いたそれは、理導唄アシーノーグ。魔術とは異なる、地水火風の理を動かす術だ。
 少年が念じた通りに風は動き、カマイタチのごとく鋭く尖る。四方八方から刃が襲いかかり、あの高い鉄柵をどんどん切断していく。風が動きを止めたと同時に、鉄柵はガラガラと崩れ落ちた。風の刃は切れ味抜群である。
 土埃が収まるのを待ってから、少年は崩れた鉄柵をまたいで、屋敷の玄関へと近付いた。それと同時に、バァン!と屋敷の扉が荒々しく開け放たれ、誰かが飛び出してきた。
 その人物達は、慌てた様子だった。二人は、月下で少年の姿を認めると、


「あ、イオンッ!た、頼みたいことがあるんだけど〜!」
梨音リオン!アイツらの足止め、テキトーによろしく!あ、それから、レイオーサン来るかもしんないってさ!」


 夕鷹は自分の後ろを親指で差しながら、六香と一緒に少年の横を走り抜けた。少年——依居梨音イオリリオンは意味がわからず、首を傾げた。
 が、それは見れば一目瞭然だった。夕鷹が指差した扉の向こう側を見てみると、廊下を走ってくる10人前後の警官達が見えた。すべてを理解した梨音は、呆れたように肩で溜息をつき、


「……まったく……」


 仕方なさそうに、梨音はしゃがみこんで地面に手を軽くあてがい、


「『蠢け、地脈』——ザース・グラール」


 地面が重々しい響きを上げながら、ゆっくり変動し出した。梨音の目の前の地面が小さく盛り上がり、ぎゅりん!という耳障りな音を立てて、警官達が見える方に土の針が生えた。警官達は、突然現れた剣山に慌てて足を止める。
 それをもう一度確認して、梨音も、壊された鉄柵の上を飛び越えて、あらかじめ約束していた集合場所へと急いだ。



  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪



「いや、ホント。ゴメンッ!」


 数分後。屋敷を後にした三人は、集合場所の、森の大樹のところにいた。屋敷からはそんなに離れていないが、崖の上にある森なので恐らく追っては来れないだろう。
 力強い幹に寄りかかりながら黙って怒りを抑え込んでいる六香に、夕鷹はパンッと両手を合わせた。梨音がやって来た時には、すでにその光景だった。
 どうやら六香は、夕鷹が赤外線センサーに引っかかって、自分達が無駄に動くハメになったことを怒っているらしい。ちょうど月光が降り注ぐ二人のところに行き、梨音は夕鷹を見た。


「……夕鷹、ボクがシステム解除してないこと、気付かなかったの?」
「だって俺、機械系はお前に任せっぱなしだから。全然わかんないんだよなー、あはは〜♪」
「『あはは〜♪』で逃げようったって、そーは行かないんだからね!」


 不思議そうな梨音の問いに、笑ってごまかそうとした夕鷹に、六香がいきなり口を開いて叫んだ。声音から、怒っていることが嘘ではないことがわかる。
 そういう六香に、夕鷹は逆に納得が行かない顔で、


「つーか、見ただけで、『あ、解除されてない!』とかわかるもんなの?」
「直感よ!」
「……説得力ねーなぁ……」
「う、うるさいわね!」
「それとも、何。俺に罪を着せたいだけ?」
「何でそーなるのよ!実際、アンタが赤外線センサーに……」
「いや、解除してないんだったら、教えてくれればよかったのになぁって」
「できるわけないでしょ!イオンは解除、アタシは足止め、アンタは突撃って役割が決まっている以上、行こーにも行けないの!文句つけないでくれる?!」


 早口で夕鷹にまくし立てる六香。夕鷹は困ったように頭を掻いて、梨音に視線を送って助けを求めた。
 それに応じて、肩で息をしている六香に、梨音が声をかけた。


「……六香さん、もう、いいでしょう。夕鷹は、悪くないです。……パスワードが5つがあったのは、さすがに予想外でしたから。ただ、トラップが多かっただけですよ」
「イオン……」


 「イオン」とは、六香が梨音につけたあだ名だ。「依居梨音」の、最初と最後の文字をとって「イオン」だ。
 一番働かされたのは彼なのに、そう言う梨音に、六香はなんだか馬鹿らしくなってきて、途端に怒りが冷めていった。


「はぁ……確かに、イオンの言う通りね。責めたりしてゴメン、夕鷹」
「全然、気にしてないって〜。……慣れてるし」


 一瞬、夕鷹の金色の瞳が陰った。しかし、再び輝きを取り戻すと、うーんと伸びをした。


「とりあえず俺、寝たいな。疲れたし」
「うん、そうね。じゃあ、町の方に行って宿とろっか」
「夜中だけど……まだやってるかな?」
「あ……うーん。それは、ちょっと自信ないかも……もし閉まってたら、どーする?」
「宿に侵入して勝手に寝て、翌朝に金払うしかないっしょ」
「おっ、ソレ採用!いーんじゃないっ?」


 彼らは、昼間に寝て夜に備えているわけではない。眠そうに目を擦った夕鷹に六香が同意したところで、話は決まった。梨音も、口を開かないところから異議なしのようだ。


「そんじゃー、さっさと行って寝よ寝よ」
「アタシも、今回はさすがに疲れたなぁ〜」


 町は、ココから南の方角に歩いてすぐのところだ。夕鷹があくびしながら街の方へと足を向け、六香も少し疲れた顔をして歩き始める。その二人の後ろに梨音がついて歩いていると、


「あ、そーだ。梨音」
「……?」


 突然、夕鷹が思い出したように、歩きながら梨音を振り返り、


「さっきは助かったわ、マジで。サンキュー」


 疲れを感じさせないくらい、満面の笑顔で言った。
 夕鷹の笑顔には、不思議な力があると梨音は思っている。気のせいかもしれないが、何処となく心が晴れる。
 夕鷹の言葉を聞いて思い出した六香も、頷いて同意した。


「うん、そーね。鈴桜サンが来る前に逃げられたし。今日の功労者は、イオンね!」
「……フォローなら、慣れてますから」
「あ、んじゃ……よっ、フォローの達人!」


 夕鷹が調子に乗って梨音を褒め上げると、梨音はじーっと夕鷹を見つめた。


「……フォローが得意になったのは、キミのせいだよ」
「あれ……ソレ、初耳だ」
「……自覚くらい、ちゃんと持ってほしいな……」


 夕鷹が失敗するのは、今回が例外ではない。今まで、幾度となくあった。だから、梨音がフォローするしかなかったのだ。そのせいで、妙なフォロー術を自分で見つけてしまった。緊急時には役に立つから、よかったとは思うが。
 が、しかし、夕鷹はその自覚がなかったらしい。梨音が呆れて、首を振った時だった。
 視界の隅の左側に、緑以外の色を見つけた。ココは草木の生い茂る、人の手が入っていないところなのに。色の正体を追って見て——、


「……!! 夕鷹、六香さん!」
「んん〜?」
「イオン、どーしたの?」


 梨音は、普段から冷静だ。というより、感情があまり揺らぐことがないらしく、いつもボーっとした表情をしている。その梨音の、いつになく慌てた声は、それがただ事ではないということを物語っていた。
 夕鷹と六香が振り返った時、梨音は一行の左側の方へと、木々の幹の間をすり抜けて行ってしまっていた。


「あ、おい!」
「どーしたんだろ……?」


 二人が梨音の背中を追って数歩走った途端、いきなり目の前の視界が開けた。
 立ち尽くす梨音の背後で、二人は足を止めざるを得なかった。

 ——この、光景に。


「な……なに、コレ……」


 この辺りは、森が広がっている。だから街に向かうのにも、この森をしばらく歩くことになる。
 それなのに、今、三人の眼前に広がる地面には、木がまったくなかった。
 草や花すらない、黒く焼けた地面。そこだけ、広範囲の円状で、焦土と化していた。


「何で、ココだけ……」


 焦土の広さは、先ほど侵入した屋敷の土地くらいあるだろう。夕鷹はキョロキョロと辺りを見渡し、ふと、この焦土とは異なる色合いを見つけて走り寄った。
 夕鷹が走っていった横で、梨音が黒い地面に触れて、


「こんなの……魔術でも、不可能です。何か……魔術よりも、強力な、何かが……」
「魔術より、強力……って、現代じゃ魔術すら扱えてないのに、それよりも強い力があるってゆーの!?」


 梨音の独白に、六香が動転した様子で問うと、梨音は「……わかりません」と答えた。

 今の時代、魔術など誰も使えない。歴史上にある聖王と魔王の戦乱・聖魔闘争で魔術の理が崩れてしまったからだと言われている。だからその理を前提にした魔術も使えなくなり、魔術は息絶えてしまったのだ。
 それなのに梨音が魔術が使える理由は、本人曰く、自分で理を構築し、ある程度使えるようにアレンジしたからだそうだ。それでも昔ほどの威力はない。聖魔闘争で、魔術の理の土台となった『何か』が壊れたからだろうと言っていた。そういうところからも、彼が物凄い知識の持ち主だとわかる。

 一方、数十秒して、ようやく気になったところへ着いた夕鷹は、


「んぇ?」


 思わず、目を見開いて変な声を上げてしまった。





 そこには、無傷、、の少女が倒れていた。





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