第16話気晴らしのとばっちり

 轟音とともに、すべてを押し流さんと真正面から迫る水流。  ゼルスは跳躍し、回避。しかし、すぐ目の前から追撃が来る。 「くっらえーーッ!!☆」  発動した水流の上にキルアが現れた。  笑顔で殺人的な鉄拳を放つ。  ゼルスは弓で受け、慣性に従って後退。  宙返りし、三連射する。 「『風の神の加護、レイス』っ!!」  すかさず筆記したキルアが、疾風魔法を唱える。  見えない風の刃は、矢をすべて打ち落とした。  勢いの衰えない風は、同じ直線上のゼルスに向かう。  空中にいたゼルスが、やっと木の幹に足をついた瞬間。  疾風魔法が、まるでおもちゃのように幹を輪切りした。  木の幹だけを。 「隙だらけだぜッ!!」 「へっ?!」  キルアの目の前から声がした。  ゼルスは、風の刃とすれ違うように少女に肉薄していた。  鉄級硬度の弓を握った手で殴りかかる。  キルアが手のひらで受けると、足が地面についた。  好機! 「とぉりゃあーーっ!!」  キルアは彼の手首を掴み、背負い投げにすべての勢いをのせる。  が、ゼルスはさらにそれを利用した。 「っとぉ!」 「ふえっ!?」  ゼルスは、わざと体重を移動させた。  キルアはバランスを崩され、ゼルスを離してしまう。  竜族の少年は、着地すると、背後に回し蹴りを放った。  手応えなし。  すぐ矢を抜き、キルアを見ると、彼女は文字を書いていた。  その文字に赤い光が走ったのを見て、ゼルスは顔を青ざめさせた。 「『深紅のっ……」 「おいちょっ待て!! 火炎魔法それはやばい!!」 「あ、そっか!んじゃ、『怒り狂う……」 「いや雷撃魔法もやべぇよ!! あーったく……もう終わりにしとくか……」  書き直し始めるキルアを注意していたら、一気にやる気が削がれた。  二人の間に漂っていた熱気が霧散する。頭を掻いて、ゼルスは嘆息した。  ここは森の中だ。こんなところで火炎魔法や雷撃魔法なんて使ったら……さすがに逃走するのは心苦しい。  すべての始まりは、キルアの呟きからだった。 「なーんか、暴れ足りないなぁ〜」 「……そーいやなんか物足りないな」  その一言で、ゼルスは、そういえば最近、まともに体を動かしてないということに気付いた。調査の方が忙しくて、戦闘する機会がしばらくなかったのだ。  この調子だと体がなまりそうだ。飛族という戦闘種族であるせいか、気付いた途端、危機感とともに体がうずうずしてきた。  軽い手合わせでもいい、そこそこの実力を持っている相手がいないかと考えて……、 「あ」 「あ!」  二人同時に顔を見合わせていた。  ——そして、現在に至る。  ゼルスは矢を筒に刺し、弓を掛けながら、キルアを見た。  さっきの凛々しい雰囲気はいずこへ、何処からともなく取り出したアメを食べているキルア。  ……つい呆れた顔になった。 「……今更だけど……お前、強ぇな〜……普段そー見えないから最高にタチ悪ぃ……」 「ホントっ?! わーい!でもでもっ、ゼルスも強いよ!速すぎるんだもん!楽しかった〜♪」  確かに前から気付いていたが、純粋な素早さや反応の速さはゼルスの方が上らしい。威力としては、魔法を使うキルアの方がやはり上のようだが。 「速くても、筆記なしの魔法を上手く使えば対処できるんじゃねーか?なんでさっき使わなかったんだ?」 「あっ、忘れてた!」 「……そーゆーこったろーと思った……」  キルアの頭の中には、「魔法=筆記しなきゃいけない」という刷り込みがあるらしい。これはしばらく、なおらないかもしれない。 「じゃ、んとね、多分ゼルスは、接近戦磨いた方がいーよ☆ 速いんだし絶対凄くなるよ!」 「うおっ、お前にアドバイスされる日が来ると思ってなかった……自分でもちょっと思ってたけど……」  仕返しと言わんばかりのアドバイスに、ゼルスは考え込んでしまった。  弓矢を使う以上、中遠距離からの攻撃が主になるが、さっきみたいに接近戦に持ち込まれたり持ち込んだりすることもある。しかしどう攻撃すれば効果的かいまいち把握していないので、防戦一方になってしまう。 「……お師匠様・・・・、に相手してもらうか……」  わざとらしい呼び方で呟いて、ゼルスが顔を上げると、先ほどの疾風魔法で切断された木の辺りが目に入った。  その根元。切り落とされた上部の幹が倒れている下に……青と黄色のものが……?  ……見間違えでなければ、 「誰か下敷きになってんじゃねーか!」 「へっ?! あーーッ!!」  慌てて飛んで近寄るゼルスを見てから、キルアもそれに気付いたらしい。近付いてみると、やはり人だった。 「キルアそっち持て!」 「おっけー!行くよ!せ〜のっ!!」  キルアと持ち上げるタイミングを合わせて、誰かを潰している太い木の幹をどかす。なぜ、人がいることに気付かなかったのだろう。  木を脇に置くと、キルアがうつ伏せに倒れている人物を揺さ振った。 「ね、キミ!死んでるッ?? ダイジョブ!?」 「……今、さり気なく怖いこと言ったな……気絶してるだけみたいだな」  反対側にしゃがみ込んだゼルスが、その血色のいい肌を見てホッと一息吐いた。 「う……あたた……」  キルアの呼び声が届いたのか、その人物が気が付いた。  うめきながら膝をついてゆっくり起き上がり、頭を振ると、高く結われた金髪も尻尾のように一緒に揺れた。  やがて、エメラルドの瞳がうっすらと開かれた。   ◇◆◇  ルプエナの西海の浮かぶ島。  不思議な力で守られているその未開拓地は、世界のどの国の干渉も受けず孤高を保ち、いつしか「イプラスト樹海」とだけ呼ばれる場所になった。  その中心となる集落ヴェランは、林の中に紛れるようにして存在している。切り出された木材と藁で造られた家々が集う、のどかな場所。規模は、ルプエナのラーダくらいの準都市くらいか。里の中心の広い空間に小さめの石造りの古城があり、恐らくそこが元首の住まうところなのだろうと推測できた。  ヴェランを抜け、獣道が均されただけのような簡素な道を行った先に、この広い敷地はあった。  ゼルスは、あちこちの木の陰から投げられる視線にうんざりしていた。  どうやら爆発音やら木の枝が落ちる音やらを聞きつけた数名が、様子を窺っているらしい。  というのも、イプラストに住むのは人間ではなく、好奇心旺盛な種族・エルフだ。  首都内を通り過ぎた時も、はしゃぎ回る子供たちはともかく、大人のエルフが向ける物珍しそうな視線がひどく不愉快だった。何処の国でも飛族はこんな視線を向けられるが、いくらなんでも無遠慮すぎる。  あちら側が飛族に慣れる方が先か、こちら側がこの環境に慣れる方が先か。  いや、あんなのに慣れちゃ飛族の誇りがズタボロだ。相手が慣れてくれるのを期待したい。  それはそうと。  下敷きにされて気絶していたのは、当然だがエルフだった。  年は、二人より少し下くらいか。癖の強い金の前髪の下で、エメラルドの目がぼんやりキルアを見据えていた。 「キミ、ダイジョブだった?!」 「……あれ?あ、飛族の方ですか。珍しいですね〜。僕、ウェンって言います。よろしくお願いします」 「……え、もしかしてお前……男?」  爽やかな少年の声で、他のエルフとは大違いなセリフをのほほんと言った、その人物。ウェンは、「はい?」と小さく首を傾げた。  空色の衣装はどちらかというと男物かもしれない。しかし、桃色の腰帯が後ろでリボン結びにされていたり、さらさらな金髪のポニーテールとパッチリした瞳に重ねて、その仕草は、女の子のようで可愛らしい。  でも確かに、胸は平たいし女の子にしては少し体格がいい気もして、最初に見た時は少女だと思ったが、改めて見るとやはり少年にも見える。  アスナの中性的な雰囲気とはまた違った、自然に愛らしい少年だった。  彼は後頭部に手を当て、不思議そうに呟いた。 「なんででしょう……頭が痛いです」 「あ、えっとね、キミの頭の上に枝落っことしちゃったんだ!気配に気付かなくて……ごめんね!」 「そういえば、本を読んでたら突然視界が揺れて……」  ぼんやり呟くウェンの言葉通り、彼の傍らに開かれて伏せられた本があった。  手のひらの倍ほどの大きさがあり、表紙に鮮やかな色彩で絵が描かれている、それは……、 「……絵本?」 「あ、興味ありますか?それはディズ・イラースっていう本なんですよ。面白くてつい読み込んじゃいました」 「あぁーーーっ!! ディズ・イラース知ってるよー!空と海の龍神サマの伝説だよねっ!」 「知ってるんですか?! イプラストの伝説ですけど、よく知ってますね!」 「えへへ〜♪ かーさんがいろんな国の話、教えてくれたんだ〜!」  大して興味もないゼルスは、絵本を一瞥して聞き流したが、キルアの方はウェンの両手を掴んで喋るくらいには食いついた。驚きもせず、されるがままになっているウェンは、意外とキルアと相性がいいかもしれない。 「伝説が絵本になってんのか?ガキの読むモンかよ……」 「えっと……逆ですね。伝説自体が絵本なんです。イプラストでは、伝説や伝承などはすべて童話形式で伝えられるんです。童話に一番合うのはやはり絵本だろうということで、絵本の形をとっています。それから、エルフの子供は人間の子供より脳の発達が早いので、こういう本は平気で読みますよ」 「んーよくわかんないけど面白いんだよね!」 「お前ちょっとは考えろよ!?」  ウェンが言い切った直後に言い放つ辺り、考える気はゼロだ。  ゼルスは、ふと眉をひそめた。 「ん?ってことは、神と魔王……あー、光と闇の支配者って言った方がいいか?その伝承も絵本だってことか?」 「あ、はいそうですね。アスターディアとルグラグの伝承ですね」 「……へ?? あす……?」 「あ、えっと、両支配者の呼び名が、イプラストと大陸とでは違うみたいなんですよね。他にも差異があるので、実際に読んでもらうのが一番ですけど……詳しく書いてる原本は、エルフ語なんですよ。読めますか?大陸では、俗に古クルナ語って呼ばれてますけど」 「おいキルア、出番だぞ」 「ほいほーい!なになに??」  予想もしなかったところで古の言語が出てきた。やはり勉強しておけばよかったかなんて、ちらっとでも思ってしまった自分が悔しい。ここはプロに任せよう。  古クルナ語は、もともとエルフの言語だ。それが海を渡り大陸に広まり、一時期は世界共通語となっていた。現在は、エルフ達も現代語を話すし、古クルナ語は古い書物や魔法学でしか扱わない。 「伝承に興味あるんですか?各国によって違いますもんね」 「……あぁ、まぁそーゆーとこだ」 「でも、わざわざ各国を巡って調べてるんですか?考古学者……じゃないですよね?」 「んとね……ナイショ☆」  人差し指を口の前に立てて笑うキルアを見て、上手いかわし方だとゼルスは内心で感心した。キルアならそういうことを言っても、自然体に見えるから不思議だ。  そのキルアの自然体と同じくらい自然に、息をするように。  ウェンは微笑みを浮かべたまま、尋ねてきた。 「もしかして、従士に会ったとか?」  ——世界が氷結した。  気を許した一瞬、とんっと懐に踏み込んできたような距離感。  ゼルスは驚きを悟られないよう、ウェンを睨む目つきで見返したが、隣のコイツにそんな芸当はできるはずがなく。  目を真ん丸に見開いたキルアを見て、ウェンはきょとんと目を瞬いた。 「あれ?当たりですか?」  それは、「従士が実在する」という事実を踏まえての言葉。  カルファードの伝承でも従士の名が載っているだけで、実在するとは何処にも書かれていなかった。  二人は実際に従士に会ったから実在すると知ったのであって、普通の者は知らないはず。  この少年は、なぜそれを。  緊張する二人をよそに、ウェンはのほほんと言った。 「僕、旅してて、いろんな伝説、伝承、物語、そのほかも、聞いて回ってるんです」 「……で、従士のことも?」 「はい、まぁ、そんなところです。かまをかけたみたいになっちゃって、すみません……」  心身ともに緊張させていたゼルスは、その言葉を聞いて萎えながら、自分の不覚さに呆れた。ウェンが申し訳なさそうに苦笑する。 「従士か……僕も会いたいですね」 「……普通の人間だったぞ。見かけは」 「へぇ、そうなんですね?」  すっと立ち上がり、ウェンは言った。 「さてと、伝承の原本は図書館……とはまた違いますけど、たくさんの本が所蔵されている場所に置いてます。僕もちょうど本を返すところでしたし、案内しますよ?」 「あぁ、それなら頼むわ」 「絵本かぁ〜!どんなのあるかな?ディズ・イラースはあったから、ザクスの伝説とかあるかなっ?」 「あ、それならあると思いますよ。ザクスと言ったら、ルプエナとリギストの間にある巨大な谷ですし、やっぱり伝説もたくさんあるみたいです」 「そっかー!楽しみ〜♪」 「………………」  にっこり笑顔ですらすら答えるウェンもウェンだが、ディズ・イラースのことといい、今といい、キルアが意外と伝説に詳しいのには驚きだ。「伝説」と言うより「物語」として見ているのかもしれない。 「それじゃ、こっちです」  と、笑顔でウェンが指し示した方向は……やはりというか、ヴェランの方角。  またあの無遠慮な視線の中を歩くのかと、ゼルスは重々しい溜息を吐いた。   ◇◆◇  ずっと頭の片隅で、棘のように引っかかっていることがある。  そもそも、なぜ伝承は各国に散りばめられているのか?   『国によって違うのは、各国の伝承が少しずつ事実を織り交ぜているから……という説があります』  真実が少しずつ分散するなんて偶然・・・・・・・・・・・・・・・・が、あるだろうか。  ――明らかに人為的だ。故意でなければ、そんな偶然は発生しない。  本当の伝承を分散させ、そのように伝えるようにさせた張本人がいるはずだ。  しかしおかしなことに、その「事実が少しずつ分散しているという事実」を知っている者、知り得た者は今までこの世界に誰一人いなかった。  なぜなら、もし誰かがすでに知っていたなら、自分たちより前に各国の伝承を集め、完成させている者がいても不思議ではないはずだからだ。  そもそも、フィンの言うことが噂に過ぎない?  否、ルプエナ、リギスト、カルファードの伝承を見てきたが、確かにそこには少しずつ、従士の口から語られたような真実が織り交ぜられていた。恐らくその説は本当だ。  予想は大きめに見積もっていた方が行動がしやすい。  問題は、その大きく見積もった予想を遥かに超越した場合だ。  事の大小はまったく違うが、現状のように。 「……おい、ウェン」 「何ですか?」  高い壁を覆い尽くす馬鹿デカイ本棚の前に立ち、絵本を物色するウェンに、突っ立ったままのゼルスが声をかけた。  ウェンの言う、図書館の代わりともいえる場所に案内されたはいい。キルアなんかは楽しそうに本棚の上部の方を、飛んで・・・見に行っている。  しかし—— 「何で元首邸にこんだけ絵本あんだよ!? この規模、図書館だろ!」  元首は絵本コレクターなのか?いや民衆の声を聞いたらこうなったのか?とかゼルスが思っていると、本から目を離したウェンが笑って振り返った。 「これ、全部元首が集めたんですよ。外国のもありますから、絵本ばかりでもないですよ」 「は!? マジで元首は絵本コレクターなのかよ?!」 「あはは……いろんな伝承が知りたくて世界中から集めた人なんですよ」 「つーかお前は元首と知り合いなのか!?」 「えっと、まぁ、はい」 「お前何者だよ?!」 「え?えっと……ウェンです?」 「………………」  テンポよく突っ込んでいったが、最後の回答は、なんというか突っ込みどころが多すぎて、逆に何も言えなかった。  エルフの住まう地して知られているイプラストは、国家ではないため王はいない。  その代わり、皆の意見を取りまとめる者が存在し、その地位を簡潔に元首と呼ぶ。その元首が意見を反映させ、エルフたちを仕切っている。意味合いは違えども、元首は、他の国家で言うところの「王」に相当する立場だ。  そして恐らく、ヴェランの中央にあった、木々が柱に絡みついていたり表面をコケが覆っていたり自然と一体化している遺跡のような建物は、元首の住まうところなのだろうというのは来た時から想像はついていた。  しかしまさか、その中がこんな絵本図書館と化しているなんて想像はつくはずがなく。キルアが飛んで見に行っているほどに高い天井までびっしり並んだ本棚群に、1つずつこれまた本たちがびっしり収納されている。  ゼルスがどういう顔をすればいいのかわからないでいると、上の方の本棚を飛んで見てきたキルアが、「む〜」と難しい顔をしながら下りて来た。 「なんかよくわかんなかったよぉ〜」 「あはは、そうでしたか。上の方は外国の本棚ですから、絵本は少ないですしね。下段の方がイプラストのものですよ」 「そーなのっ?? じゃあこの辺見よーっと♪」  笑顔で説明してくれたウェンの隣に並んで、キルアはにこにこしながら本の背表紙を眺める。絵本とは言え、図書館でグースカ寝ていたコイツが、楽しそうに本棚を見るなんてことがあると思わなかった。 「ここにある本全部を読了するのが、ささやかですが僕の夢です」 「まぁ……こんだけの量、全部読んだら確かに凄いけどな……」  ゼルスもつられて高い高い本棚を見上げた。読書は好きだが、それよりも自分の頭で何かを考える方が好きなゼルスには、この本棚が苦難の道のりに見える。 「イプラストの本棚は全部読みました。読み始めて、まだ1週間くらいなんですけどね」 「コレ全部読んだの〜!? すごいすごい!」 「あ、そうだ、ゼルスさん、キルアさん。これがイプラストの伝承の原本です」  キルアのパチパチと拍手する音を聞きながら、ウェンはおもむろに本棚から一冊の本を抜き出し、差し出してきた。  それを受け取りながら、ゼルスはさっきのウェンの言葉を思い出した。 (……イプラストの本棚、かなり数あるけど、これを全部読んだのか。まぁ絵本なら妥当か……)  渡された伝承の絵本を何気なく開いてみて、ゼルスは思わず沈黙した。  ……何だこの詐欺は。  表紙には、色彩鮮やかな絵が描かれている。絵本だと一目でわかる。  しかし、両面開いた中身は……表紙と同じ絵柄の挿絵が描かれた右側のページ、そしてびっしりと文字が羅列した左側のページ。軽くざっと斜め読みしてみるが、古クルナ語で書いてあるとはいえ、この情報量、どう考えたって絵本というより完全な文献だ。  絶対キルアになんて読めるわけがない。これをエルフの子供たちは読んでいるというのか。  こんな絵本が、目の前の本棚を埋め尽くすほどたくさんある。  そして、このすべてを1週間で読了したというウェン。 「……お前……すげぇな、ウェン」 「え?そんなことないですよ?」  賞賛なのか呆れなのか自分でもわからないまま、思わずポンっとウェンの肩に手を置いて言うと、彼はにっこり事も無げに言った。なんだかとんでもない読書家に出会ったらしい。
挿絵
 絵本の中身がそんなものだとはつゆ知らず、キルアは読書家を振り返った。 「じゃあじゃあ、ウェン君、上の方の本読むんだよねっ?取ってこよっか??」 「あ、大丈夫ですよ。自分で取れますから」 「自分で取れるって……」  今度は上の本棚の本を読むんだろうと思って気を利かせたキルアに、ウェンは微笑んで言う。反射的に呆然と復唱してから、ゼルスは上を仰いだ。  目の前のイプラスト本棚は、自分達の身長よりも頭2つ分くらい大きい。その上に乗っかる本棚もまた、同じサイズだ。上の本棚の最上段まで、自分達の身長より2倍以上も高さがある。どう考えたって、飛族じゃないウェンが届くような高さではなかった。  何か仕掛けでもあるのか?と、上の本棚を見つめていると。  上の本棚に収まっていた一冊の本が、ひとりでに抜け出てきた。 「———……は……?」  ……チョット待て。  本は平たい形をしている。中に何枚もの羽らしき紙を有しているとしても、それは情報を載せるためのもので飛ぶために発達したものじゃない。  だから本が飛ぶわけないのだ。なのに今、一冊の本が、羽(かみ)も広げないで宙に浮いている。  唖然と本を見上げていると、それは流れるように舞い、ウェンの手元に下りて来た。  その計算し尽くされたような滑らかな動きを見て、常識がブッ壊れそうになっていたゼルスは、本が飛んだ理由を理解した。  その考えを、キルアの羨ましそうな声が確信へと導く。 「すっごーい!! ウェン君、精霊ちゃんと仲良しなんだ!いいな〜!」 「もしかしてキルアさん、精霊が視えるんですか?」 「んとね、ぼんやりだけど視えるよ☆ 今、風の精霊ちゃん達、喜んでキミの指示聞いたよね!ボクも仲良くなりた〜い!」  少し驚いた顔をしたウェンに、キルアは楽しげにサ言う。「ぼんやり」とは言っているが、そこまで視えているなら十分魔術師としては一流だ。 「ウェン……お前、精霊干渉できるんだな。初めて見たけど……」 「あ、はい。僕のは先天的なもの、というか」  ゼルスが知る言葉で表すと、あまり自覚がないのか何処か困ったような照れくさいような、そんな表情で頬を掻くウェン。しかしそうなると、彼はとても稀有な存在だ。  精霊干渉。自然とともに生きるエルフ族が得た、一種の魔法だ。魔法も精霊への干渉で行われる。  しかし彼らの術は、魔法よりももっと幅が広い。魔法は一定の型にはめて精霊を動かすので、ある程度用途が限られるが、精霊干渉は術者の指示によってさまざまなことを行う。  この技術は、さしてエルフでは珍しいことではないが、修得者はほとんど、人間でいうところの年配の人々である。だからウェンのような若い少年が使えるというのは、非常に珍しい——いや恐らく、誰一人として先例はいないだろう。 「…………まぁいーか。おいキルア、この本の中身、現代語訳するの頼むわ。ただし内容は考えるな。一文一文をただ現代語に訳す勉強をしろ。じゃないとお前死ぬぞ」 「なにそれーー!!? そんな危ないのやりたくないよー!!」 「後で1回だけメシ奢ってやる」 「ホントっ!?! じゃあやるやるー!!」 「命より一度のメシの方が大事なのかよっ!?」  ご飯で多分釣れるとは思ったが、こんな息をするような気軽さでひっくり返ると思っていなかった。  ゼルスがキルアに絵本を渡すと、ウェンが気を利かせて口を挟んだ。 「あ、その辺のイス、好きに使っても大丈夫ですよ」 「お前はこの家の主かよ……」  笑顔のウェンに突っ込みながら、ゼルスは部屋の隅にあった、細い木の枝で編まれたイスに座る。意外としなるイスで、座り心地がよかった。  キルアは紙とペンを探して室内をきょろきょろ見渡して歩いていたが、それもウェンが教えて近くのイスに落ち着いた。 「さって〜!古クルナ語を現代語に直すおベンキョーするよ〜♪」 「おー頼んだ」  ニコニコ笑顔で、ゼルスには読めない古クルナ語の本を開くキルア。  この付き合いで知ったが、キルアは魔法に関するものの勉強は好きらしい。やはり自分が知識あるものを学ぶのは楽しいようだ。こと魔法に関してはやはり天才だ。  ゼルスはイスの背にもたれ、そこから、自分たち以外はいないこの広間をぼんやり見つめた。  光を反射する白い石畳の床。蔵書量に目を奪われて気付きにくかった違和感が、ここからだとよく映えた。 (……そういえば、おかしい)  元首が住まうというのに、警備兵の一人もいない。警備兵どころか、使用人らしい人影もない。  さらに言えば、城全体に人の気配がないのだ。それなら廃墟同然かと言えばそうでもなく、部屋の中は埃っぽくもなく綺麗に掃除されている。  明らかに人がいる痕跡はあるのに、気配はまるでなく、生活感は皆無。気持ち悪い矛盾。 「……なぁ、ここ、本当に人住んでんのか?」 「住んでますよ。元首は強い人なので、警備兵もいらないんです」 「へぇ……強いのか」  貴族や王族なんて、ただ人を顎で使う存在だと思っていた。元首(おう)が強いと聞いて、少しだけ興味を持った。  イプラスト元首・ノアについては、ほとんど知られていない。イプラスト自体がまだ未知のベールに包まれているから、至極当然ではあった。  その元首と、目の前のこの少年は知り合いだというのだ。世の中はわからない。 (……エルフねぇ……)  ゼルスは頭を過ぎる疑心暗鬼に溜息を吐きながら、ふと記憶を巡らせた。  これから先の、自分たちの未来について。   ◇◆◇   ◇◆◇  結論から言えば、答えはノーだ。   『きみ達は、お二人と邂逅し、とても危険な目に遭うのだと思う。未来は変わるから……お二人に関係することに何か心当たりがあったら、すぐに手を引いた方がいい』  時は遡り。  カルファード帝国、レイゼーク城下町の北区。  王立図書館から出てきたゼルスは、空を見上げた拍子に、昨日のアスナの言葉を思い出した。  今日も今日とて、カルファード帝都祭。人がゴミのように無節操に歩き回っている。 (魔王とやらに会ってみたいってのもあるけどな……あ、闇の支配者だっけ?)  あらかたの書物は読みあさったが、それでも世の中にはわからないものが無数にある。  知的好奇心は衰えないなと思いつつ、頭の中の呟きをゼルスは訂正した。今しがた読んできたカルファードの伝承が原因だ。  カルファード伝承は、不思議だった。  まず、アスフィロスとドゥルーグのことを、神、魔王ではなく、光の支配者、闇の支配者と呼ぶ。  そして、二人の支配者によって、この世界が創造されたというのだ。今まで見てきた伝承とは、ドゥルーグの扱いが真逆だ。そういえば昨夜アスナも、「ドゥルーグ様」「お二人」とドゥルーグにも敬称を使っていた。  確かにリギストの伝承曰く、現界は光と闇の融合世界だが、神と魔王は相反するものだ。彼らが手を取り合って創造したとは考えがたい。  一体、何を根拠にそうなっているのか。そこまでは書いていなかった。 「あっ、ゼルス〜!! 終わったのー?」  通りの方からキルアの声がして見ると、リンゴアメとわたあめを持ったキルアが手を振っていた。……リンゴアメを持った手を。今にもリンゴがすっぽ抜けそうで、隣のアスナがあわあわと焦った顔をしている。 「無事に従士のことは調べられた?」 「ジューシー!? 食べ物のコト調べてたの?! ずるーいゼルス〜!!」 「……はいはい。あぁ、1冊で足りた」  変な横槍を入れてくるキルアを受け流して、ゼルスはアスナの問いに頷いた。  ——従士。それは、アスフィロスとドゥルーグにそれぞれ仕える三人、計六人のことをそう呼ぶのだそうだ。  否、仕えるというより、どちらかというと体の一部のようなものらしい。その存在は、それぞれの主たちにとても近い。  アスフィロスには、ジーク、ウェルニア、ゼティス。ドゥルーグには、リラ、ルシス、ノアと、名前まではっきり明記されていた。  ドゥルーグ従士を名乗るシドゥは、確か「リラ」と名乗っていた。それからあの空からの声は、「ノア」と呼ばれていたような。 (……セルリア……)  顛末はどうであれ、セルリアは、ケテルフィール公爵家にはペンダントを探しに来たと言っていた。彼がドゥルーグ従士、ルシスで間違いないだろう。  事実の伝承を知るためには、あとは…… 「……イプラスト……か」  エルフの国イプラスト。海を挟んでいるので、あまり他国とは関わりを持たないが、唯一、海を隔てた隣国のルプエナとは友好関係にある。ルプエナの西側の地域では、エルフを見かけることも珍しくない。 「イプラストに行くの?」 「あぁ」  アスナの興味本位の問いに、ゼルスは短く答えた。その二人の前に、キルアがぴょこんと飛び出て自慢げに言う。 「あのねあのねっ、イプラストには迷いの森っていう不思議な森があるんだよ!入っても、気が付いたら入口に戻ってるんだよ♪ すごいよねー!! ボク、昔、一人で世界一周しててねっ……」 「はぁ?」 「迷いの森……?」  一人で楽しそうに語り出そうとしたキルアに、ゼルスが面倒臭そうな顔をし、アスナが首を傾げて繰り返す。  イプラストにある、旅人を惑わす森。不可思議な存在で有名だ。  その中には…… 「……うッ!!」  アスナがそう考えた途端、突き刺すような鋭い痛みが頭を縦断した。 「へっ?あっちゃん!?」 「どうした?!」  突然、アスナが額を押さえてしゃがみ込んだ。  急なことで、二人も驚いて屈み込む。何事かと、周囲にいた人々も振り返るのがわかった。  脳裏を、何かが灼いた。  これは…… 「………………だ、大丈夫……」  二人が問いかけてから、しばらく経った後。アスナが、掠れた小声でかろうじてそう返答した。  彼女はゆっくり額から手を離し、ゆっくり立ち上がる。しかし、その言葉とは裏腹に、その表情は固く強張っていた。 「ホントにダイジョブっ?もう痛くないっ?!」 「うん、大丈夫。もう痛くないよ」 「……さっきの、何だったんだ?」  心配して聞いてくるキルアに、固い表情をなんとかほぐし笑って答えるアスナ。それでも顔色がよくない。  ゼルスが聞くと、アスナは深刻な顔で少し沈黙した。 「……予見だよ。こんなふうに、ぼくの予見は何かをきっかけにして、突然来るんだよね」 「神サマが教えてくれてるの?」 「昨夜も言ったけど、ぼくの場合は精霊だね。けれども、純粋な四大元素の予見なら痛みはないんだ」 「なら今のは、光と闇に関わる予見……か」 「……そういうこと」  ゼルスが先読みして言った一言に、アスナは重い頷きをひとつ落とした。 「さっき、話に出た森だよ。正確には、その中にある場所……洞窟のようなものが視えた。風景なら、四大精霊で視えるはずなんだけれど……視れなかった。つまり、その場所は光か闇の力が強いということになる」 「なるほど」 「その洞窟に何があるのかはわからないけれど……そこには近付かない方が」 「む〜〜〜……ごめん、あっちゃん!!」 「……え?」  アスナの声を遮るように、キルアがパンっと両手を合わせて突然頭を下げた。  いきなり謝られて呆然としているアスナに、顔を上げたキルアは申し訳なさそうな顔で言う。 「ボクら、きっと、そこに行かなきゃいけないんだ。オトモダチの宝モノが悪いヒトに盗られちゃったから!そこ行かなきゃ、取り返せないと思うんだっ!だから、ごめんね!」 「……まぁ、超大雑把に概略するとそんな感じだ。だから行くことになると思う」  説明が抜けすぎなキルアの言葉に、いろいろ付け加えて事がこじれても面倒臭い。とりあえずゼルスはそれで頷いた。  光か闇の力が強いなら、そこは、光と闇の王に関係のある場所のはずだ。闇であったらペンダントを探す手間が省けるが、一体どちらか。  ペンダントを返してもらえなかったら、どうしようか。  セルリアを呼び戻すことができなかったら、どうしようか。  依頼失敗は嫌だな。  ——要するに。  自分達は、魔王に喧嘩をふっかけようとしているのだ。