第11話史実の伝承

 静かなところは好きだ。  朝の街とか、森の中とか、図書館とか、今のように教会とか。ホッとするし落ち着く。  だから、そんな場所の静寂を乱す騒音は敵だ。  よって、隣でしつこく話しかけてくるコイツも敵だ。というかラスボス。 「ねぇねぇ、シドゥ追っかけようとした時、邪魔した氷の針さ〜」 「………………」 「スゴかったねー!アレ、知らない魔法!」 「ってお前、魔術師のくせに知らねーのかよ?!」  つい声を張り上げてから、額を押さえてうな垂れた。周囲からいくつか視線を感じる。  静寂を乱す騒音は敵なのに、自ら敵に回ってしまった。ラスボスに触発されて敵になった。  今日は式典の日でもなく、教会の中には、穏やかな落ち着いた時が流れていた。それでも何処となく漂う神聖さは、白亜の壁と、細かな装飾がなされた祭壇に降り注ぐ、まさにそこから天使が下りてきそうな柔らかな陽の階のせいか。  教会奥の正面にある祭壇の脇、木彫の小さな机に年配の牧師と一人の信者らしい二人が向き合って座り、何か話をしている。何かを相談をしに来た迷える子羊に道を示しているのだろう。  その正面に向かって整然と並ぶ長イスの前列で、ゼルスはもう一度顔を上げて、隣に座るキルアを見た。  爆弾発言をした彼女は、不思議そうに首をかしげている。 「……あれも、お前が使ってる魔法と同じ、筆記魔法<エンシェント>だぞ。派生魔法だけど」 「うーん、筆記してたみたいだしー、名唱もしてたしー、同じだと思うんだけど、ボク知らない★」 「知らない魔法は全部非常識みたいな言い方すんな……」  今日も元気に所構わずクッキーを食べていたりするキルアに、ゼルスは嘆息した。  キルアの使う、筆記式精霊魔術——通称<エンシェント>と呼ばれる魔法は、筆記と名唱という2段階から成る。  まず筆記は、キルアが魔法を放つ際に行う、大気中に微量に含まれている魔力を使って空中に古クルナ語の呪文を刻む作業。これで大気中の精霊に干渉をする。そして名唱は、その魔法の引き金となる言葉だ。  ……と。ゼルスは、一応確認も兼ねてキルアに聞いてみた。 「ところでお前、筆記と名唱なしで魔法やるとどーなんの?」 「へ??」 「……お前、三流に格下げな」 「えぇぇえぇっっ!?! ボク超一流だよ!?」 「どの口が言うんだどの口が!!」  教会というのは、音がよく響くように設計されている以上、二人の大声はぐわんぐわんと反響した。とりあえず、キルアにはチョップをかまして黙らせておいた。  筆記と名唱。通常、魔法はこれらの手順を踏むが、実はこの2段階は省略可能だ。  筆記か名唱だけ、はたまた何もなくとも魔法は発動する。魔法は術者の意思によって発動するものだからだ。ただし、その段階を削るごとに威力は半減する。  そして<エンシェント>は、火炎、水流、疾風、雷撃魔法の4つが基本だ。それらから派生した魔法が、爆砕、風巻、落雷、そして例の氷の針の氷結魔法。  しかし、魔法の筆記と名唱は口伝が基本だ。つまり、それらの魔法を知りたければ本物の魔術師を当たるしかないのだ。……魔術師なんて、ほとんどいないこのご時世で。  ……というのを、魔術師でもないゼルスが知っている以上、業界では常識だと思っていたが、ここに非常識がいた。  嘆息して、光が差す四角い窓の下の祭壇、その隣の牧師と信者を見やった。  自分達が待っているのは、あの牧師が手すきになる頃だ。教会内には他に二人ほど信者がいたが、牧師に相談しに来たわけでもない様子なので、今の会話が終われば時間は空きそうだ。   『アタシは、アンタ達が魔王と呼ぶドゥルーグサマの従士の一人、《遠視》のリラ。全部なくして簡単に言うと、アンタらが思うような普通の存在じゃないってコトだね』  脳裏に横切ったセリフを思い出して、ゼルスはつくづく不思議だと思う。  自分は無神論者だ。いまだに信じていないし、胡散臭いと思っている。  しかし、あんな黒い羽を見せられてあんなこと言われたら、知らないわけにはいかない。  リギストのイールスの教会にて。二人は伝承について、宗教国家として名高いリギスト王国で神官に直接話を聞こうとしていた。  ふと、教会の扉が開かれる音がした。  二人が振り返ると、つかつかと入ってくる一人の若い男。  また客かよ……と、ゼルスは面倒臭そうに何気なく目で追って、途中で違和感を覚えた。  牧師と話していた信者が、穏やかな顔で仰々しく礼をして立ち去る。入れ替わるように、その若い男が牧師に近付いていく。  その歩き方。随分と早足で、力強い。敬虔な信者は、もっと穏やかに歩くのではないか?特にこの教会では。  老いた牧師が、近付いてきた男を笑顔で出迎える。  その顔に恐怖が走ったのが見えた。 「動くな!!」  思わずゼルスが腰を浮かせた瞬間、空気を震わせた男の大声。  教会内にいた皆が硬直してそちらを見ると、男が、羽交い絞めにした牧師の背後から首筋にナイフを突きつけていた。  教会内に、ピンと緊張した空気が張る。息をするのも躊躇われるような緊迫感。誰もが動きを止めた中、恐れに染まった牧師に男が苛立った口調で問う。 「牧師さんよ……あんた、財宝隠したな!?」 「な、な、何のことだか……」 「あんた以外に考えられねぇんだよ!! アノーセル湖に金品が沈んでたってのに、朝来てみたらなくなってるじゃねぇか?あの湖はあんたらの管轄だろ?! おい、そこのてめぇ動くな!!」  気付かれないように弓に矢をつがえようとするゼルスだが、どうしても弓と矢をとる動作は大きくなる。当然すぐに男に知れ、ゼルスは内心で舌打ちをして手を止めた。  首筋のナイフを目だけで見て、老牧師が震える声で言った。 「ま、またその話か……いろんな者に言われるが、アノーセル湖はわしらの管轄でもなければ、そんな財宝なども眠っておらん……!」 「嘘吐くな!! 俺は昨日の夜、確かにこの目で……」 「———くだらない」  興奮気味の男の語気の荒い声を遮ったのは、決して大きいとは言えない高音の声だった。  声は、同じ教会内からした。ゼルスが振り返ると、離れたところの隅で長イスに座る信者が一人いた。  不思議な威圧感を内包した声の主は、すっと立ち上がった。勢いを殺されて胡散臭そうにこちらを見る男を、その人物が振り向くと、顔が見えた。  冷ややかな双眸だった。  琥珀色の長髪といい、落ち着いた色合いのロングスカートといい、清楚に見えるそんな若い少女が、露骨な軽蔑の視線を男に向けている。まるで、冷酷な指令を下しに来た天使のようだった。 「はぁ……?おいそこの女、今何て言った?」 「リギストでは、ちゃんと教わるそうね。アノーセル湖は、魔力が湧く現界の泉。魔力は、虹色に煌きながら大気中に溶けていくって」  あからさまに不機嫌そうな男の問いに、『頭の左右から伸びる長い耳』に髪をかけ、少女は溜息混じりに答えた。その一言で、ゼルスは彼女の言わんとしていることを理解した。  しかし、男と、ついでにキルアも理解していないらしい。男は苛々した様子で先を促す。 「だから何だ?」 「まだわからないの?貴方が見たものは幻よ。夜に見たのなら、見間違えても仕方ないかもしれないけれど」 「そうか、お前もコイツとグルだな?! コイツをぶっ殺し」  それは一瞬だった。  話を聞こうともしない男の頬に、唐突に地面と水平に切り傷ができ、一滴の赤い雫が流れたのだ。 「……な……?」  呆然と頬に手を当てる男。そしてその手のひらについた血を見て、顔を強張らせる。  男の頬の横を抜け、その背後の白亜の壁に突き立ったのは……小さな氷の針だった。 「あ、氷の針……!?」 (今の、誰が……)  さっきまで噂していた氷結魔法が突然現れて、キルアが目を見開いた。ゼルスはすぐに魔術師を探そうとしたが、それは無用だった。 「引きなさい。次は当てるわ」  少女が冷淡な声音でそう告げた。
挿絵
 ゼルスには、動いた瞬間は見えなかった。ゼルスがキルアを見ると、彼女も小さく首を振って、しかし小声で言ってきた。 「見えなかったけど……あのヒト、多分魔法使ったよ。精霊ちゃん集まってるもん」 「……有り得ねぇ……筆記と名唱なしか……」  ぼそりと呟きながら状況を見ると、膠着状態だった。少女は男が牧師から離れるのを待っている。  男はさすがに腰が引き気味だが、譲る気配はない。牧師は不安そうな顔でされるがまま。  ——やがて、痺れを切らした少女が、一歩踏み出した。 「うわぁぁああああ!!!!」  男がやけを起こして叫び、ナイフを引いた。  その切っ先が牧師の喉を突く一瞬前。  光が爆ぜる音とともに男の体が大きく痙攣し、そのままふらりと背後にその体が傾いた。倒れこんだ男の手からナイフが滑り、硬い音を立てて壁にぶつかる。  急に解放された牧師は、呆然とした表情でその場に座り込んだ。  ……同じように、ゼルスとキルアも状況を理解できず。倒れた男とその傍に座り込む牧師、その向かいに屹立する少女という光景を、ポカンと見つめていた。 「……な、何が起きた……?」 「今の……雷の魔法だった!雷撃魔法とちょっと違う!」  何が起こったのかゼルスにはまったくわからなかったが、さすがと言うべきか、キルアはあれだけの演出でどの魔法でどの程度か見切ったらしい。  ということは雷撃魔法の上位、落雷魔法だろう。以前、ゼドが置き土産に放っていった魔法だ。  キルアは見たことのない魔法に興奮し、ゼルスは一瞬の出来事に唖然としていた。 「……刺激が強すぎたかしら」  やがて、少女の呟く声がした。  少しだけ困った様子であごに手を当て、倒れ込んだ男を眺める少女。それからヒールの音を響かせ、唖然とした様子で座り込んでいる牧師の傍にしゃがみ込んだ。  先ほどまでの態度が嘘のように、優しげな笑顔、口調で。 「大丈夫ですか?お怪我は……」 「え……?あ、あぁ……大丈夫です。ありがとうございます……」  魔法自体を認知していない牧師にとって、たった今、少女に助けられたという実感は薄いだろう。牧師は首を傾げながら立ち上がり、おずおずと小さくお辞儀をする。  いそいそと祭壇の方へ戻っていく牧師を見てから、少女はすっと背を向け……、 「ねぇねぇねぇねぇ!!!」  ——きっと、突然視界に入り込んできた黒髪の少女に驚いたことだろう。  少し驚いた顔をした少女にアタックをしたキルアは、少女の瞳を覗き込み、キラキラ目を輝かせて言う。 「ねねね、魔法教えて!! さっきの針とか、雷の魔法とか!ボクも使いたーい!!」  初対面で唐突に言われたら、誰だって困惑するだろう。呆然としている少女を見ながらゼルスはキルアの後ろに近寄り、助け舟を出した。 「おいキルア、初対面で言うセリフじゃねーだろ、それ。大分引くぞ」 「うー……そっか。ゴメンね!」 「いえ、大丈夫です」  ぱんっと手を合わせて潔く謝るキルアに対し、余裕が持てた少女は少しほっとしたように微笑んだ。  目を輝かせているキルアを押さえ、その横に並んだゼルスは改めて少女を見た。  年齢は、自分達よりやや上に見える。お姉さんと言ったところだ。  琥珀色のつややかな長髪と焦茶色の双眸から、落ち着きの漂う容貌。淡い色のワンピースと臙脂色のハイヒール姿は、清楚でいて上品な雰囲気だった。  目の前の少女と、先ほどあの男を撃退した勇ましい少女とがすぐに一致しない。とても戦闘員には見えなかった。  それと……彼女の長い両耳。 「……珍しいな。エルフか」 「ふふ、私も本物の飛族を見たのは初めてです」  ゼルスがそのことに触れると、少女もこちらの種族に触れて返してきた。その際にふわりと浮かんだ笑みは、大人っぽくて優しい。  ——エルフ。飛族と同じように長い耳を持ち、しかし翼を持たない種族。  彼らは、世界の元素を支える不可視の存在「精霊」とともに生きている。成人後は成長がゆっくりになり、長命としても有名だ。  エルフは、ほとんどがルプエナ西海に浮かぶ島イプラストに住んでいる。しかし一方で、知的好奇心が強いため、魔法学や精霊学、考古学など研究者が多く、そういう者たちは大陸に渡ってくることが多いそうだ。それでも、人里を避けて過ごしているので普通で、そう見ることはない。機械学の魅力に取り憑かれた研究者は、よりよい環境を求めてカルファードの都市に住んでいるらしい噂は聞くが、ここはリギストだ。 「何でエルフがこんな人里にいる?」 「では、なぜ飛族が人の街にいるのでしょう?飛族は、エルフに負けないくらい人前には出ないと聞きましたが?」  少女は動揺することも機嫌を悪くすることもなく、淡く微笑んだまま間髪入れずにオウム返ししてきた。  想定外の対応だったことに加え、その答えに渋ったゼルスは口を閉ざさざるを得なかった。少女は、試すような笑みを浮かべてこちらの様子を窺っている。  少女は、質問に答えなかった。つまり相手には、それを言えない事情がある。  そして、それはこちらも然り。キルアに視線をやると、彼女も眉間にシワを寄せて悩み込んでいた。 「…………エルフでも、神を信仰するもんなのか?」  一本とられたのがちょっと悔しかったので、今のやり取りはなかったことにした。  大して興味もないが、教会にいたという連想からテキトウに話題を振ると、少女も深入りすることなく、少し考え込んでから返答した。 「そうですね……信じています」 「神の存在を?」 「いえ、そのものを」 「……?」  妙な言い回しに眉をひそめたゼルスの様子が見えているのか、見えていないのか。  少女はすっと佇まいを正し、小さく一礼した。 「申し遅れました。私はフィンと申します」 「あ、ボクはキルアだよー!こっちはゼルス!」 「お前、勝手に……まぁいーか……」  さっきの沈黙が嘘のように口を挟んでくるキルア。迂闊に名乗るのは軽率なような気がしたが、もう手遅れだし、ゼルスは諦めて嘆息した。  エルフの少女フィンは、鳥族のキルアを見て微笑んだ。 「魔法を教えてほしい、とのことでしたね?」 「うん!ボクも魔法使うんだけど、キミが使ってる魔法、ボク初めて見たから教えて!!!」 「いいですよ、私でお役に立てるなら」 「ホントっ!?! やったー!!」  自身は裏があるくせに嬉しそうなキルアと違い、あっさり親切そうに頷いてみせたフィンの言葉にゼルスは裏を探した。  初対面の相手にそこまでする義理はないだろうに、なぜ? 「ただし、条件があります」 「……当然だな。何だ?」  だから、その言葉が続けられて少し安心した。同時に、常に相手を疑って見ている自分が少し嫌になった。性分だから仕方ない。  バンザイをした格好のままで首を傾げるキルアと、肩の力を抜いたゼルスとを見て。  フィンは、二人にとってあまりにタイムリーな話題に触れた。 「お二人は、アスフィロスとドゥルーグを信じていますか?」   ◇◆◇  やっぱり静かなところは好きだ。  朝の街とか、森の中とか、教会とか、今のように図書館とか。ホッとするし落ち着く。  そして落ち着くからこそ眠くなるし、むしろポカポカと暖かい日を受けるこの場所で眠くならない方がどうかしている。 「……眠……」  ぱたんと本を閉じて、サイドテーブルに積み上がっている本の上に置いた。今ので7冊目だ。  大窓から差し込むうららかな春の日差しを浴びながら、ゼルスはソファの背もたれに寄りかかり、うとうとと目を閉じる。  リギスト王国が誇る、膨大な蔵書を抱える王立図書館。冊数に比例して施設の規模も大きい。人の2倍は優にある高さの本棚群には、びっしり本の背表紙が並んでいる。  その馬鹿でかい図書館の片隅にある、ソファ群の1つにゼルスはいた。  これだけ大きければ話し声くらい聞こえてもよさそうなものを、図書館内は外からの小鳥のさえずりくらいしか聞こえないほど静かだ。そもそも人気があまりない。こんな天気のいい日は外出の方が多いのだろう。  ぼんやりする意識の狭間で、先刻の記憶が思い返される。 「お二人は、アスフィロスとドゥルーグを信じていますか?」  聖なる教会の空気は、なんとなく冷ややかで穏やかだが、この瞬間は完全に凍りついたような気がした。  二人の言葉を失わせるには十分な一言だった。  つい最近、実在する(らしい)と判明した存在。しかし迂闊に口に出せず、結果、二人は即答できず、ただ動揺を噛み殺していた。  フィンは意味深な笑みを浮かべたまま、返答のない二人に続ける。 「世間一般ではリギストの伝承が正確と言われていますが、実は違うんです」 「……んん??」 「…………は?え、ちょ……どういうことだ?」  早速、なんだか平穏に凄い爆弾を投下された。  途端にうろたえる二人。自分たちは伝承を調べに、今このリギストの教会にやってきたのに。 「各国に伝わる伝承は、光と闇が現れるのは同じですが、少しずつ内容が違うんですよ」 「そーいえば、ボクとゼルスの伝承、違ったねー?」 「つーか国ごとに違うのかよ……それ、お国柄とかで変化しただけじゃねーの?」  方言や、地域柄で生まれた童話みたいなものではないのか。ゼルスが言うと、フィンは答えた。 「世間でリギストの伝承が真実とされているなら、なぜ他国はそれに統一しないのでしょうか?」 「……確かに。……童話として存続させたかっただけとか?」 「変えるのめんどくさかったー!とか?」 「どちらの説もありますね。もうひとつ……国によって違うのは、各国の伝承が少しずつ事実を織り交ぜているから……という説があります」  なんとなくフィンの言う「条件」を理解してきたゼルスの前で、フィンはすっと手を上げ、順に指を立てながら言った。 「リギスト、ルプエナ、カルファード、イプラスト。この4ヵ国の伝承を集めて事実を抜き出し、≪史実≫を伝えてほしいんです」  あのエルフの少女は、神を信じていると言った。信者の一人として、真実が気になるのだろうか。  それらを調べてきてほしいという頼みの代わりに、キルアは魔法を教えてもらうことになった。  ということで、まずは手始めにリギストの伝承を調べている最中である。 (あーやべー……このまま寝そう……)  たいへん名残惜しい浮遊感をなんとか振り払い、ゼルスは仕方なく身を起こした。  彼のいるソファが固まっている箇所の隣には、簡易的なテーブルがあり、4つあるイスの1つに座って机に突っ伏している黒頭がいた。背中の白い羽もだらーっと床に伸びている。  キルアに伝承の本を授けて、「この辺全部書いとけ」と指示を出していたのだが……どうやら、この静けさに耐え切れなくなって寝てしまったらしい。いつもなら怒鳴りたいところだが、図書館内で声を荒げるのはさすがに気が引けた。  ゼルスは緩慢な動きでソファから立ち上がり、キルアに近付いた。  幸せそうな寝顔。食べ物の夢でも見ているらしく、見開いた本によだれが…… (うわ、おいおい……知らねーぞ、俺は……)  面倒事はパスだ。他人のフリでもして逃げよう。  キルアの右手が、ペンを持ったまま紙の上にあった。その紙には、本に書かれた伝承が5行目の途中まで書かれていた。  どうやら最初はちゃんと仕事をしていたらしい。5行目の途中まで頑張った意欲には、それなりの評価が必要だと思うが……、 「…………おい……」  ……それを見て、ゼルスは、イライラと怒りのボルテージが急上昇していくのを感じた。  自分はムカムカして全身から炎が立ち上りそうなくらい立腹してるのに、その張本人は幸せそうに夢なんか見ている。不公平だ。不平等だ。  だから、 (俺には粛正の権利がある!)  相当怒りにやられていたらしく、おかしな根拠でゼルスはそう思うなり、すやすや眠るキルアの黒頭に、グーの拳を真上から落とした!  ゴ ンッ!! 「……………………〜〜〜〜っっ」  ……そして負けた。  声もなく、拳を押さえてしゃがみ込むゼルス。骨が、腕が、痺れて痛かったこともあるが、何よりも、自分がこの石頭を殴って力負けしたという事実が彼をヘコませていた。 (か、カッコ悪っ、俺……これじゃただのアホじゃねーか!)  竜族で、R.A.Tで屈指の実力者で、結構名前が知れてて……とか、そんな自分がこの鳥族の石頭に負けたなんて。いろいろ複雑なプライドがある分、自分のアホさが悲しかった。  一方、キルアは、殴られて10秒後に目を覚ました。「んむぅ〜……?」と、目を擦りながら頭を起こし、殴られた頭に不思議そうに手を当てる。 「あれれ……?なんだろ、ちょっとジンジンする……寝違えたかなぁ……」 「………………」  ……結構、渾身の力を込めて殴ったつもりだったのだが。「ちょっとジンジンする」程度らしい。悔しいが完敗だ。  とにかく、ゼルスはキルアに文句があって、起こすのも兼ねて鉄拳を落とした。  起きたキルアに、ゼルスはまだ痛む拳ではないと手で、伝承が5行書かれた紙をびしぃ!と指差し。 「お前、やる気あんのか!? 何でわざわざ古クルナ語で書くんだよ!」  確かに、キルアの綴った紙と本の文は文字が違った。キルアが書いていたのは、彼女が魔法を使う時に書く文字だ。  遥か昔はこれが共通語だったようだが、今では魔法くらいにしか使わない。当然、ゼルスはかじってもいないので全然わからない。 「古クルナ語のおベンキョー!どーせ読めるでしょっ?」 「読めるか!普通に現代語で書け!」 「うっそぉー!? ゼルスって古クルナ語読めないんだ!」  とか意外そうに言われた辺り、どうやら読めるものだと思っていたらしい。  別に悔しくもないゼルスは、面倒臭そうに聞いてみた。 「じゃあ聞くけど、読めたらお得だったりするわけ?」 「んとね、魔法の『こうせいりろん』がわかるよ♪ けっこーおもしろいよ!」 「は?? ……お前、その構成理論、理解してんの?」 「とーぜんっ☆ まずソレわかんなきゃ、魔法使えないんだよぉ?」 「……マジで?うわ、超意外……」  こんな奴でも、ちょっとくらいは何かを勉強しているものなのだと知って、人は外見に寄らないなと、ゼルスはしみじみ思った。  と、そこで、すぐ真後ろから、ゴホンとえらく大きな咳払いが聞こえた。二人が振り返ると、少し頭が寂しいおじさんが立っていた。  どうやら図書館の係員らしい恰幅のいいおじさんは、引き攣った笑みを浮かべ、二人に言う。 「すみませぬが、静かにして頂けますかな。ここは図書館ですぞ」 「そっか、ごめんなさーい!」 「わ、悪い……」  単純に、叱られてバツが悪そうな顔をするキルアと、キルアと一緒に叱られたのがなんだか悲しいゼルスがそれぞれ謝ると、おじさんは「頼みますよ」と言って立ち去った。  その遠ざかる背中を眺めて、ゼルスは嘆息混じりに言った。 「……お前と一緒に怒られたとか認めたくねぇ……」 「えっへへー、仲良しってコトだね♪」 「何処がだよ……」 「んとね、一緒に怒られたトコロ?」 「だからそれ認めたくねーんだっつの!!」  広い図書館にゼルスの声がまんべんなく響き渡り、去りかけていたおじさんがギロリとこちらを振り返った……。   ◇◆◇ 「ふふ、それはそれは」 「笑い事じゃねーよ……」  図書館から追い出されたいきさつをフィンに簡単に説明したら、おかしそうに笑った。  ゼルスは邪魔な木の枝を手で避けて嘆息する。まるで自分のせいみたいで癪だ。  イールスから少し離れた森の中、道なき道を行く。森の中を歩くような格好ではないのに、先頭のフィンは迷うことなく、不思議とさくさくと進んでいく。  図書館から出たら、少し人に会う用事があると言って姿を消していたフィンと再会した。約束通り、フィンに魔法を教えてもらうことになり、彼女にちょうどいい場所を知っているからと導かれて、現在に至る。  木の枝などにぶつかっているせいで、羽や髪に葉をつけているキルアが、痺れを切らして問いかけてきた。 「ねーーっ、まだ着かないの〜?」 「ちょうど着きましたよ」  そう言ってこちらを振り返るフィンが薄く陰る。ずっと木々が続いていた正面から光が差したからだ。  光の下に出ると、思ったより眩しくて目を細めた。目が光に慣れてから、ゼルスは目の前をよく見て、一瞬目がおかしくなったのかと思った。  ここは、木が生えぬ開けた草原だった。その先で、視界を埋め尽くす光。  眩しすぎるくらい光を反射するのは、水面だった。視界いっぱいが水面だった。  水平線の向こうには、西に傾いてきた陽の下で鳥が飛んでおり、ここと同じように青々とした森が広がっていて、そしてどうやら、ちらほらと人がいる。 「おおおー!!?! 海だ〜!!」 「向こうの森と人間の存在無視すんな。ここは……」 「ええ、アノーセル湖です」  ゼルスの頭を掠めた単語をフィンが先に口にする。そういえば昼間、男がお宝がどうのとか騒いでいたっけ。  アノーセル湖はリギストでも屈指の観光名所だが、国家の管理下にある。神がいると言われている神聖な湖ゆえだ。  しかし、関係者以外の立ち入りが禁止されているわけではなく、しかも国の管理者は現場にはいない。国が提示した厳格な規制を遵守することを前提に、管理は民間団体に任されている。  国の規制とは、例えば、団体の管理者以外は昼しか訪れることができなかったり、観光ルートが決まっていたり、撮影は禁止だったり。だからアノーセル湖自体の写真は表向き出回っていないのだが、噂を聞きつけた者や裏取引で出回っている写真などで観光客は絶えることがない。  実際、アノーセル湖はその噂に違わぬ美しさだった。そこまで美しいものを愛でる趣味でもないゼルスでも、つい見とれるほどに。  確かに、海原のように広い水面。淵を彩る新緑の木々は燃えるように輝き、かすかに風に揺れる水面は、一様に淡いオレンジ色に染め上げられていた。その水底は不思議と、なんとなくほんのり白みがかっていて神々しい……というか……、 「なんかキラキラしてるー?? む〜なんとなく見たコトある? ……はっ!もしかしてお宝!?」 「そーやって見間違えて牧師に詰め寄ったのがあの馬鹿男なんだろ……てゆーか、俺らルート完全無視してねぇか」 「ええ、本来ならば通ってはいけない場所のようですね。ですが、この周辺の方が都合がよかったので」 「……何のだ?」  キラキラ目を輝かせるキルアはよそに、「都合がよかった」という一言にゼルスはつい低い声で問い返していた。  フィンは動じることなく微笑み、すっと湖を指す。ちょうどキルアが釘付けになっている、なんとなく白い光が見える辺りを。 「アノーセル湖の周辺は、魔力の濃度が高いんです。湖の底から魔力があふれているので」 「あー!! あのキラ☆キラ、ボクが魔法で文字書いた時の光だ〜!なるほどぉ!」 「あぁ、そーいや……」 「夕方以降はアノーセル湖への道は閉鎖されますし、もう少しすれば人気は完全になくなります。思う存分、練習できると思いますよ」 「………………」  自分の他人不信アンテナがビンビンしている。  フィンは、自分達が視認できない速度で魔法を発動させる技量を持っている。つまり自分達に勝ち目はない。  しかしフィンが自分達を攻撃する理由など見当たらない以上、今のところ大丈夫だと割り切っても問題ない……か。 「ふふ、そんなに怪しいですか?私」  そんなことを考えていてつい口数が減ると、フィンのおかしそうな笑いが聞こえてきた。  なんでもお見通しなご様子の彼女に、ゼルスは参ったように溜息を吐き、顔を上げた。 「……いや。信じる理由もねーけど、疑う理由もない」 「そこまで考えが至っているなら、私が言うことはありませんね。それで十分ですよ」  エルフの少女は怒りもせず、穏やかにそう言った。もしかしたらフィンも、ゼルスと似たタイプかもしれない。 「もう少しして人気が少なくなったら、キルアさん、魔法を教えてあげますね」 「え!? ココ、灯りないよ?? 夜になっちゃったら真っ暗だよ!? おっ、オバケ出るよーー!!」  最後の一言はともかく、キルアの心配はもっともだ。もう少しすれば夕方だし、それから日が暮れるのはあっという間だ。  夜の森は真っ暗闇だろうし、一般的に、獰猛な獣が徘徊する時間帯で危険だと言われている。これだけ深い森は特に。  魔法の練習以前に、その獣相手に朝が明けそうだ。大抵は、向こうの数の多さに音を上げることになる。 (……まさか、俺が蹴散らす係とか言わないだろうな)  途端に青ざめた顔になったキルアと、嫌な想像をして嫌そうな顔をしているゼルスに、フィンは笑って。 「ふふふ、それはキルアさんの呑み込みの早さ次第です」 「オバケに会うか否かはお前にかかってるってよ」 「ボクがんばる!!!!」  キルアは、見たこともない真剣な顔で、ぐっと拳を握り締めた。