第10話縦に広い世界

 自分が飛族だから、疑ったことはなかった。  しかし、今改めて思う。  飛族とは、なんだろう。  今まさに空を飛翔しながら、ゼルスは頭をかきむしった。 「あー、スッキリしねぇ……」 「ン?じゃあゼルスも辛いお菓子食べる?クワッ!!って目が覚めるよ〜☆」 「怖ぇよ……」  隣のキルアが確かに辛そうな赤いスナックらしきものを差し出してきたが、取らなかった。辛いものはあんまり好きじゃない。パッケージに書いてある激辛という文字が怖いし。そんなお菓子を平気な顔でパクパク食べているキルアが怖いし。 「最近、飛族とやけに会うなって思ってさ」 「そーだね!ボク、今まで1回しか会ったことなかったのになぁ〜!あ、ゼルスは2回目!」 「俺なんかお前が初めてだぞ……」  それだけ、飛族は人前に姿を現さない。それでも二人が、人間達に紛れて過ごしているのは、「訳あり」だからだが……、 「ゼドとラクスのことな。あいつらも訳ありなのはわかるけど、それ以上に、なんかこう……俺たちと何か違うような気配がする」 「ん〜〜たしかにー、なんかヘンな感じだなーって思ったけど、ヘンなのはゼルスもだし〜」 「お前に言われたくねぇわ……気配と性格を同じレベルで比べんなよ……」  お菓子をポリポリ食べながら、むーんと悩んだ表情で思考するキルア。かと思えば、数秒後に「ま、いっか☆」と早くもリタイアした。コイツはもっと忍耐力をつけるべきだ。  足元に視線を下ろすと、大きな谷が見えた。ザクスの真上である。  ようやく、ザクスの対岸が見えてきたところだった。ルプエナの領土がすぐ目の前だ。  ゼルスは目を疑った。  谷底から吹き上げてくる風。それに煽られながら、真っ暗な谷底に呑まれるように見えた人影があった。  自分たちと同じように、ザクスの上を飛ぶ人影だった。   ◇◆◇  真っ向勝負など、押し負けるに決まってるからするつもりはなかった。  上手いこと撹乱し、追手は振り切った。が、こちらはあのペンダントが発信機と化しているから早いところ処理しなければまずい。  そんなことを考えながら、シドゥは『ザクスの上』にいた。 (まずはアイツを迎えに行くか……どういう風の吹き回しだか)  つい浮かんだ笑みを口元に刻みつつ、先に進む。  羽を広げて、空を飛ぶ。  その背に開くのは、鳥でも竜でもない羽。墨を落としたかのような漆黒の光の羽は、鳥の骨格のような姿をしていた。  ふわりと対岸に着地すると同時に、漆黒の骨羽は幻だったかのように霧散した。  直後に気が付いた、背後の気配。シドゥは肩を竦め、自嘲気味に嘆息した。 「気付かなかったなんて、アタシもよっぽど弱ってるんだねぇ……」  振り返ると、下り立った黒髪の少女が真っ先に駆け寄って……こようとしたその襟首を、一緒にいた茶髪の少年が引っ掴んだ。 「むうううーー!!! 進めなーい!ゼルス〜!?! 何すんのぉー!!」 「得体の知れない相手に無用心に近づく奴があるか!」 「へ?? 『えたいのしれ』ってなに?それがないと、どーなるの??」  さっきの勢いは何処へやら、キョトンと首を傾げる馬鹿は放っておいて、竜族の少年はシドゥを見た。  その青い瞳に、今までにない警戒の色を滲ませて。  ゼルスが口を開く前に、シドゥが「あ〜あぁ」とわざとらしく声を上げた。頭の後ろで手を組んで、にやにや笑いながら言う。 「見られちまったのはしょうがないねぇ……ああ、見られたからには死んでもらうとか言うつもりはないから安心しなよ。ほれ、頭のいいゼルス君。アンタはアタシをどう考える?」 「……その呼び方やめろ、気持ち悪ぃな」  ぞぞっと腕に走った寒気を摩って黙らせ、ゼルスは低く返答した。  ゼドといい、シドゥといい、ザクスにはやけに縁がある。しかし、探すのが困難だった彼女を偶然発見できた自分の幸運に、ゼルスは感謝した。 (さっきの黒い羽……)  思考を巡らせるゼルスの目の前で、シドゥの背中に黒い粒子が渦巻いた。  自分達が今まで「黒」として認識していたどんな色よりも、深く、重い、黒。明るい太陽の下、その粒子達はとても不釣合いだった。  その光の粒が、根元から構成していくのは、自分達と同じくらいの大きさの闇の骨の羽。 「ひとつ、ヒントをあげようか。アタシの真名……本名って言った方がいい?本名はリラ」 「んーと……シドゥはシドゥじゃないの?」 「……らしいな」  困った顔をするキルア。ゼルスもその名に心当たりがなかった。  赤髪の少女は嘆かわしいとばかりに片手で顔を覆った。 「はぁ……そっか。本当にそうなんだね。時の流れを感じるよ。人はホントにすぐ忘れちまうね」 「……何の話だよ?」 「『千年前』の話さ。アンタ達が忘れた、ずっとずっと昔の話だ。宣伝を兼ねて教えてあげようか」  漆黒の骨羽を持つ少女は、演劇者のように手を広げて、大仰な素振りで告げた。 「アタシは、アンタ達が魔王と呼ぶドゥルーグサマの従士の一人、《遠視》のリラ。全部なくして簡単に言うと、アンタらが思うような普通の存在じゃないってコトだね」
挿絵
 そんな突拍子のない言葉を、すんなり受け入れられるはずがない。  しかしこちらの感情をまるっきり無視して、彼女の黒羽は雄弁に語っていた。  空気が停止していたゼルスとシドゥの間に、声が転がった。 「魔王ドゥルーグサマジューシーな人?えっ!? 魔王サマってジューシーなの?!」 「………………」 「………………」 「……若いって意味でいいのかい?」 「いやスルーだスルー」  キルアはキルアで混乱しているらしい。そのおかしな一言のおかげで、ゼルスは逆に冷静に認められた。 「……ドゥルーグね」  思い出すのは、ポーチの中に入りっぱなしの本。裏の世界が云々ってことしか今は思い出せない。  間を置かず受け入れた様子のゼルスに、シドゥは少し驚いた顔をした。 「へぇ、びっくりしないんだねぇ。つまんないの」 「いや、十分驚いてる」 「アンタ変だよ?魔王なんて存在を、すんなりいるって受けとめてさぁ」 「ひとまず仮定でいるとして、だ」  無神論者のゼルスは、神も魔王も存在を信じていない。急にそんなこと言われても、そのスタンスは変わらない。だからあまり驚いていないのもあるのかもしれない。  シドゥは魔王の従士で、本名はリラ。ならば主である魔王も存在するのだろう。  いや、それよりも……、 「……従士なんて初めて聞いたぞ。何だ?」 「ジューシー?んとね、おいしそうってことだよ♪」 「水分が多いとか、みずみずしいことだっつの!つーかお前じゃねぇ!いい加減、話を呑みこめ!……で、従士って?」  「ジューシー」から思考が進んでいないキルアを叱咤し、ゼルスは頭を切り替えた。  シドゥは問いには答えなかった。ただ、失望したような口調で紡ぐ。 「だから言っただろ、人はホントにすぐ忘れちまうって。今、アタシらのコトを知ってる人間はいるのかねぇ?」 「………………」 「ほんと、現界の者って薄情だよな。その調子じゃ、知ってるのは神話伝承の中だけで、アスフィロスサマのコトも忘れてるんだろ?ドゥルーグサマが嫌う理由もよくわかるわ」  嘲笑気味に言うシドゥは、こちらを見ているが、『自分達は見ていない』。  彼女が見ているのは、ゼルスとキルアという人ではない。  彼女が言うところの、「現界の者」として見ている。  同胞が犯した罪を責める瞳。  ……同じだ。  竜族を嫌う鳥族。  現界の者を嫌う魔王とその眷属。  彼らが見ているのは、「種族」という大きな括り。  そこには、個人の事情など介在しない。 「ドゥルーグサマだって、ずっと信じてたよ。けど、現界の者達が最終的にあの人に叩きつけた答えは、コレだ」  シドゥがコートのポケットから引っ張り出したのは、見覚えのあるものだった。  以前、レナの胸元で見た、赤い石のペンダント。 「お二人がまだこの現界にいた頃、魔法は全盛期だったねぇ。現界の者どもは、魔法でドゥルーグサマをコレに封印しようとしたのさ。ま、所詮は現界の者の魔法だから、完全とは行かなかったんだけどね」 「……それは、読んだな」  伝道者が告げる内容は、ゼルスが読んだ神話伝承と符合する。  人々はドゥルーグを恐れ、封印しようとしたが、かの者の力が強大でできなかったと。  しかし、その横で、キルアが首を傾げた。 「魔王サマって……神サマに追い払われたんじゃないの?」 「……は?」  振り向くと、キルアは難しい顔をして続ける。 「ボクが知ってる伝承、封印とかそんなの書いてなかったよ?? ホントだよ!」 「俺は、シドゥが言う内容で読んだぞ。表と裏の世界がそれぞれなんとかって」 「んん?? ボクが知ってるのは、現界と天界と冥界って3つあったよ?」 「おや、そこはキルアの方が正しいね。確かにその三界は存在する。表と裏ってのは知らないねぇ」  シドゥも少し驚いた様子で、評価を添えた。混乱してきた二人は、顔を見合わせた。 「どっちが合ってるの??」 「つーか、何で俺とお前が知ってる伝承が全然違うんだ?」  しかし、ここでその理由を解明するには、時間も調査も足りない。  魔王の従士は、鼻で笑った。 「歴史や史実ってのは、人が都合よく作り変えるもんだろ?伝承と呼ばれてるけど、それだって史実だからね」  出しっぱなしだったペンダントをしまい、困惑している二人に、シドゥは黒骨羽の背を向ける。 「そういうコトだから、コイツにはもともと、ドゥルーグサマのモノが入ってるんだよ。コレを取り返したいんだろうけど、返す義理はないね」 「お、おい待てよ!」 「ええと、ドゥルーグサマのモノかもしれないけどっ、れーちゃんのペンダント返せーッ!!」  はっとして追う体勢に入る二人を肩越しに見てから、シドゥは笑んだ。 「悪いけど、アタシはコイツを届けるまで捕まるわけにはいかないんでね」  このペンダントには、ドゥルーグの力の大部分が封印されている。よって今、魔王は弱体化しており、比例して、眷属である自分達も弱っている。これが本人の手に届くまでは、自分はひ弱な現界の者同然だ。  シドゥは前を向き、空を仰いだ。 「さって……ノア。ドゥルーグサマに力が戻らないと、アンタも困るんだからさ。逃げる援護、頼んだよ?」 「むううっ、待てぇーっ!!」  晴れた虚空に話しかけるなり、従士の少女は地を蹴り上げ、ルプエナ方面の空へ飛び立った。その寸前になびいた長い髪の房をキルアが掴もうとしたが、するりと髪は手の内をすり抜ける。 ≪仕方ないな≫ 「「……?!」」  突如、果てしなく木霊するように、天空からはっきりと響いてきたのは青年の声だ。  何者?何処から?状況が読めずに警戒する二人をよそに、声の主は悠長に紡ぐ。 ≪筆記なんて今までやったことあったっけ……名唱も必要かな……『氷結の刹那、イレイズ』≫  紡がれたのは、名唱――魔法だ。  澄んだ高音とともに、二人の目の前が突如陰った。  ゼルスは直前で動きを殺して無理やり失速させ、キルアは腕をブンブン振り回して衝突する寸前で止まった。  飛翔するシドゥは、後ろを一瞥して口笛を吹いた。 「さっすがノア、ナイスフォロー☆ タイミングがニクいねぇ」 ≪もともと遠隔だから威力がないのに、筆記と名唱でやっと現界の者程度だよ。俺だってお前と一緒で、あまり大きい力は使えないんだから≫ 「ダイジョーブだって、足止めくらい楽勝だろ?」 ≪お前にはいいように使われてる気がするよ、リラ≫ 「ははっ、駆け引き上手って言ってほしいね」  シドゥはゆったりと地平線の彼方へ飛んでいった。  一方、ゼルスとキルアは、目の前のものを見上げていた。  二人の前に立ちふさがったのは、彼らより一回り大きい高さの氷だ。向こうの景色がはっきりと見えるほどの透明度には驚くが、触れてみると予想通りの冷たさが手のひらにしみる。  それが3本並んで、彼らの前にそびえ立っていた。 「氷結魔法……シドゥを逃がすことしか考えてねーな」 「ゼルス、シドゥ逃げちゃうよ!」 「あーそうだな……追わねー方がいい。お前のとばっちり食らうのはゴメンだぞ」 「へ?? お前のとバッチリ☆食らうのはゴメン?何を?」 「……あのなぁー」  ゼルスは氷の針の陰から顔を出し、シドゥの小さくなっていく背中を見た。  この距離でも、二人はすぐに彼女に追いつけるだろう。速度自体はそれほど速くない。 「ねぇねぇ、何で追いかけないのっ?追いつけるじゃん!シドゥにもう会えないかもよ〜?」 「確かに、シドゥだけなら大したことねぇ。けど、援護してる奴との連携が厄介だ。どっから来るかもわかんねーし。お前と俺のボロボロな連携じゃ崩せない」  追いかけたそうなキルアを手で制止しながら、ゼルスは言った。やれそうだとしても、労力に見合わなそうだ。 (あの空の声の奴……あいつも魔王の従士ってことか……)  従士二人にとって、あのペンダントは主人のための重要アイテムなのだろう。  レナが、セルリアと見つけた赤い石のペンダント。
  『……あれはもともと、僕の主人のものだ』   『妙な言い方だな。その主人は、オスティノのじーさんじゃないな?』
「…………そーゆーことかよ……」  ゼルスは奥歯を噛んで、低い声でうなった。  ペンダントも、セルリアも、同じところへ終着する。  魔王ドゥルーグ。見果てぬ闇の支配者。  笑えるほどスケールがデカイくせに、幻影のように姿がはっきりしない。  ——どうやら、何か不満があるのならそいつに直談判しないとダメらしい。   ◇◆◇  駆ける。駆ける。  障害物のない平坦な地面では、明らかに今の自分の方が不利だ。だからあえて道を選ばす、木々の生い茂る中を駆ける。  相手は『飛族』だ。枝ばかりある森の中では、思うように飛べない。 「待てぇええコラーッ!!! はーなーしーきーけーーーっての〜!!!」 「………………」  背後から響く、あまりにも幼稚な言葉に、走りながら器用に呆れた息を吐く。  待てと言われて待つ馬鹿はいない。なんて単純な。 (……一応、子供だから当然か)  頭の片隅で淡くそう思いながら、セルリアは大地を走っていた。 「ったくー!しょーがねーッ!! 最終手段っ!どぉりゃぁあーーっ!!!」  そんな気合の入った少年の声がすると、視界の隅を何かが飛び過ぎて、手前の巨木の根元にぶつかった。  大砲の玉が当たったかのような轟音が、大気を揺るがせた。  飛んできたのは……見たこともないくらい、大きすぎる巨剣。  信じられない威力だった。それだけで巨木に大きなクレーターが穿たれ、自分を支えきれなくなった木は、近くの木をいくつも巻き込みながら自分の前方に倒れ込む。 「っ……!」  重なり合った木々達と舞い上がる土埃を前に、セルリアがほんの一瞬、足を渋らせると。 「ちぇえっくめいとーーッ!!!」  王手チェックメイト。楽しそうな声とともに、真後ろから迫る風!  が。  セルリアは、冷静にその場にしゃがみ込んだ。寸前でかわされた風——回転して飛んできた大剣は、彼の前の倒れた木に、どごぉん!!と大きな穴を穿つ。 「えぇええーーッ!!? か、かわされたっ?オレの、必殺☆竜巻大剣ブーメランアターック!が!?」 「………………」  ……いろいろ突っ込みたいところはたくさんあったが、とりあえず、そのセンスのないネーミングをどうにかしろと思っておいた。  蒼い青年は、ゆっくり立ち上がった。  馬鹿をやっているように見えるが、相手は『今の』自分より強い。一度、立ち止まった敵を逃がすはずがない。今のは手加減された一撃だったのだ。……と、思う。 「まぁいーや、よーやく止まったし。うーん、でも追いかけるのだけでこんな時間かかるって、やっぱ相手が悪いかなぁ……?」  目の前で、木に突き刺さっていた大剣が透け、ふわりと消えていく。  セルリアは、手に持っていた鞘に入る剣を一瞥してから、興味なさげに横に放り捨てた。剣が指先から離れた直後に、黒い粒子がその手に収束し、別の黒塗りの剣を構成する。  彼が背後を振り返ると、そこに立っていたのは、少しツンツンした赤毛の髪を持つ、10歳前後の竜族の少年——ラクスだった。  彼は、有り得ないことに、先ほど投げた大剣を軽々と肩に担いで立っていた。剣の長さは彼の身長くらいあるし、太さも胴体くらいありそうだ。重力やら腕力やら、通常の視点で見るとねじ曲がって見える奇妙な光景だった。 「……何の用だ?」  黒剣を右手の先にぶら下げたまま、すでに見当はついているセルリアが聞くと、ラクスはむっとした顔をした。 「戦うつもりないから、そんなコワイ顔すんなよ〜!」 「……戦う戦わないの問題以前に、敵同士なら仕方ないだろう」 「そーぉ?あ、そっか!そっちはオレらと違って弱ってるから、警戒しなきゃやっていけないかぁ〜」 「………………」  ……このガキンチョは、他人の神経を逆撫でするのが大得意だ。しかも本人は無自覚と来た。一番タチが悪い。 「ちょっと聞きたいコトあるんだー」 「断る」  その先は容易に想像できた。セルリアが即答すると、赤毛の少年はぷーっと頬を膨らませた。 「つまんねーやっ。わかってんの?」 「それ以外に何がある?」 「ふーん。でも、いちおー聞くよ」  少年が、担いでいた大剣の先を地面に下ろす。  大きすぎるそれを片手一本で構え、ラクスは地を蹴った。 「おまえのご主人サマの居場所、教えてくんないッ!!?」  その姿が掻き消え、一瞬でセルリアの目の前に現れた。  セルリアが防御に掲げた黒剣が、巨人の剣の如き刃を噛む。  が、その猛力に圧倒されて、決して小柄ではない青年の体が面白いくらい吹っ飛んだ。  その彼をラクスは追撃する。 「全っ然、オレの《心界》でも探せないんだよねっ!おまえが全部、痕跡消してるんだろー?! どうりでおまえ、オレの監視網に引っかからないなって思った!同じ街の中にいたのに!!」 「っ……!!」  セルリアの背に黒い羽が生え、空中で体勢を立て直す。  セルリアは木の幹に着地し、さらに上方に跳躍。  ラクスの斬撃をかわす。  真一文字に走った荒々しい銀閃は、樹齢数百年だろう太い木を一撃で切断した。  鮮やかな切り口が重力に従ってズレていき、上半分が落下する。  派手な音と土埃が舞った。 「いやー、とんでもないねぇ!!」 「ん!?」  ラクスがセルリアを追って空を見上げたら、後ろから声がした。  戦意をまとった気配を、振り返りざまに大剣で受け止める。  交点の向こうに見えたのは、セルリアと同じく、黒い羽を持った赤髪の少女だった。  シドゥは、あっさりラクスから離れると、声を張り上げた。 「ほいよ、ノア!!」 ≪人遣いが荒いなぁ……『天からの断罪、ギア』≫  苦笑気味の青年の声が何処からか聞こえてきて、天が黒く渦を巻いた。  雷が閃き、気が付いたら目の前が真っ白になった。 「うぐぐぅ……」  全身に痛みを覚えながら、どさっと地面に落ちたラクスは、チカチカする視界を瞬きして落ち着かせようとする。  うつ伏せのまま上を見るが、すでに二人の姿はなかった。 「…………あ〜あぁ……ちくしょー。逃げられたーー」  むくりと起き上がってあぐらをかき、少年は肩で溜息を吐いた。背中の竜の翼も比例して力なく垂れる。  ノアの落雷魔法をもろに浴びたが、大した痛みじゃなかった。ノアの魔法がこんな弱いわけがない。やはり『向こう』は、弱体化している。 「三人がかりでフルボッコなんてひでーや!どう思う!?」 「そうでなければ逃げられもしないようだな」 「ええ、弱ってる向こうにとっては三人がかりが当然でしょうね」 「えぇええーー!!? オレかわいそー!とかないの!?」  ラクスの大きな独り言に答えたのは、彼の後ろに現れた、ふたつの影だった。それぞれ青年、少女の声で返されて、ラクスはばっと彼らを振り返る。  焦茶の瞳を呆れされた少女が、肩口の琥珀色の髪を払って答えた。 「大げさなんだから。大したケガなんてしてないでしょう?我慢しなさい」 「だって痛いモンは痛いじゃんっ!ほら、オレ子供こども!」 「仮に15歳以下を子供とする場合、お前はそれには当てはまらない」 「……ぶー」  平坦な青年の声が堅苦しい事実を突きつける。長身の銀髪の青年を見上げ、ラクスは膨れっ面をした。
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「とにかくー!アッチがだいぶ弱ってるってことはー、おやびんを探すのも大変だよ!」 「そうね……手の打ちようがないわ」 「……いや」  大きな鳥族の羽を持つ青年が、静かに否定する。少女とラクスが怪訝そうに見ると、彼の翡翠の瞳はただ前を見据えていた。  シドゥの手の内には、あのペンダントがある。彼女がそれを回収しに来た理由は、ただひとつだろう。 「探せるのはこれからだ」   ◇◆◇ 「いやいや、こりゃたまげたね?」  現場から距離を置いた街の傍。  すたんっと地面に着地し、黒い羽を消したシドゥはニヤニヤしながら、隣に下り立ったセルリアを見る。街のすぐ傍だから目につかぬようにと、彼も羽を消した。 「アンタ、協力する気なかったんじゃなかったっけ?どういう風の吹き回しかねぇ?」 「……アイツに見つかって追われていただけだ」 「ふふん、でも聞いたよ?ドゥルーグサマの痕跡、消してたんだって?地味に仕事してたんだねぇ、《詠眼》のルシスさん?」 「………………」  従士名で改めて呼ばれ、何とも言いがたい責任感、束縛感を覚える。今まで忘れていた重力が、再び自分の足を地面につける。  主に一番忠実なシドゥは、嘆かわしいと言わんばかりに言う。 「さすが、マジメなルシスさんはお役目完璧放棄なノアと違うねぇ。にしても、アタシらってまとわり悪いよな。アンタら二人、やる気なしだし」 ≪俺は自分の好きなようにしてるだけだよ≫ 「だから自分勝手だって言ってるのさ。まぁ、今更まとまっても気持ち悪いんだけど?つーかノア、お前話しかけられるまで喋らないねぇ」 ≪今は弱ってるから、あんまり一気に聞けないんだよ。話しかけられてからじゃないと、連結(リンク)できない≫  ノアはもともと、何かしらあれば話しかけてくるお喋りなのだが、そもそも受信ができていないらしい。  シドゥは「えー、コホン」とわざとらしく咳払いをして、目の前のセルリアと、この場所にはいないノアに向けて言い放った。 「改めて言っておこうか?アタシらは、闇の支配者ドゥルーグサマの従士だ。あの人とアタシらは一蓮托生。あの人が消えればアタシらも消える。ノアはそれで参加してるってコトでいいね?」 ≪……俺だって消えたくないしね。本当は関わりたくないけど≫ 「アンタはそれくらいでいいよ。……で、ルシス。アンタはどうすんの?」  もともとペンダントを回収する役はセルリアだったが、途中でそれを放棄した彼に代わり、シドゥが送り込まれてきたのだった。  同胞に問われ、セルリアも、今一度、自分自身に問うていた。  主人が嫌いなどとは思っていない。むしろ肯定的な感情を持っているのは確かだ。  自分の存在理由。自分が剣を捧げた相手。最終的に自分が行き着く場所。  主人なしなど考えられない。主人なしに、自分は存在し得ない。  ——でも。  空洞だった自分に、別の生きる意味を教えてくれた少女の残像が消えないのだ。  彼女は、逃げた自分をどう思っているだろう? 「ドゥルーグサマのトコに戻るか、それとも何もしないか。それとも……あの子のトコに戻る?ルシスさん?」  くつくつ笑うシドゥの声は、何処となく、くだらなさそうだった。  選択の余地などないと、シドゥにもノアにもわかっていたのだ。もちろん、セルリア本人にも。  悩む理由は何処にある?  なぜなら自分たちは、この現界では異端——人あらざる存在なのだから。