第06話太陽と影

  『アンタらがあの人・・・を探せないのも無理ないさ。今あの人は、アンタらには探せない・・・・・・・・・・ようになってるから。それだけ力が弱ってるってことさ』  脳内で反芻される言葉は、くつくつとおかしそうな声で響く。   『あれ、何その不満そうな反応。アタシが正直に話すと思った?見かけの寄らず純粋だね?まぁ怒るなよ。今、大ヒント言ったんだけどな〜?』 「………………」  瞳を開くと、眼前には巨大な横長の空隙が横たわっていた。  木々の見える対岸は遥か向こう。とてもじゃないが跳躍などでは越えられる距離ではない。見下ろすと、爪先から先は、底が見通せない闇に包まれている。  大地にぽっかり開いた、南北に走るこの口は、古くから顎(あぎと)という意味でザクスと呼ばれる。竜が口を大きく開いたような形に見えることから、そう名付けられたらしい。  大陸の南側に位置するこのザクスによって、ルプエナとリギストの国境は分けられている。唯一、陸続きになっている北側を通って、二国間のやり取りは行われてきた。自分には甚だ関係ない話だが。  崖から吹き上げてくる風に銀髪を踊らせながら、ゼドは虚空を見つめていた。 (……何処にいる)  自分が追っている人物。一度は捕らえかけたのだが、奴の事故のとばっちりを喰らい逃がしてしまった。どちらにせよ、奴には敏腕のサポーターがいるので一筋縄にはいかないのだが。  ケテルフィール家を去った後、シドゥが言った「情報」という名の言葉の束。それを告げるなり、彼女はペンダントを持って姿を消した。  言われた時は、あまりに既知なことだと思い気に留めなかったが……言葉を逆にとればどうか?  自分達には探せない。探せる者は自分達ではない。では誰か?  渇いた荒野から、ゼドはそこから澄み切った空を見上げた。 「……ノア。見ているんだろう」 ≪………………見てるけど?≫  虚空に放たれた声に返答があった。  空の蒼に染み渡るような響き。元は好青年だろうに、面倒だが答えてやった、そんな気配が見て取れる嫌悪がすべてを台無しにしている。空から降ってきたのはそんな声だった。  ノアと呼ばれた声の主は、刺々しい口調で続ける。 ≪何か用?あんまり声かけてほしくないんだけど。ついでに言うと、お前に気安く名前も呼ばれたくない≫  相手が自分の時、この声は変貌する。それを知っていてなお、ゼドは無関心に問う。 「世界を視るお前なら、すべてわかっているだろう」 ≪視てるだけで、すべてわかるわけないだろ?俺はジークじゃないから、みんなが何を話してるのかまではわからない。こうして一部とは意思伝達できるけど≫ 「視ているだけで、大体わかるはずだ。お前も従士の一人なら」 ≪………………≫  ゼドの的確な指摘に、ノアは黙り込んでしまった。空の向こうで、彼が苛立たしげにこちらを睨んでいる様子が想像できた。  そんなことはどうでもいい。自分が聞きたいのは—— 「答えろ。……お前らの主は、何処にいる」  何処までも無感動な瞳のまま。鏡のように情景のみを映す目には、使命を果たせずにいることへの焦燥も苛立ちも何もない。  ノアは沈黙の後、嘆息とともに呆れ切った口調で言った。 ≪……お前、本当に何も感じないんだな。じゃなけりゃ、俺に声をかけてくる理由が説明できない。俺があの人の逃げ切るフォローしてるって知ってるだろ?お前の邪魔をしてるわけだよ。気に食わないとも思わないの?≫ 「……何の話だ」 ≪だろうさ……どうせお前には理解できない。一度だって、理解しようとしたことがない≫  この二人は、突起のない歯車と、突起の大きな歯車だ。ゼドにはノアの言葉を理解する思考はなく、ノアにはゼドにわざわざ説明する気がない。  空回りし、空虚に軋む一方的な感情。
挿絵
 無関心な奴に感情的になっても仕方ないとは知っていても、つい食らいついてしまう。ノアは少し自分を落ち着かせてから、口を開いた。 ≪……今、俺は呆れてるんだよ。敵対してる相手に素直に教える奴がいると思う?お前でもしないだろ≫ 「主の元から去ったお前には、何が起ころうがどうでもいいことだろう」 ≪……うるさいな……≫  痛いところを突かれた声は、途端に覇気を失った。 ≪……あの人・・・は、大陸を巡ってる≫  怒りを吐き出すように溜息を吐いてから、ノアは先ほどの問いに答え始めた。 ≪あの人・・・の気配は今、とても弱い。現界の者達に紛れてる。俺だって探すの大変なんだ。あっちから声をかけられなきゃ気付けない。お前らが探すことはまず不可能。諦めたら?≫ 「……大陸を巡ってどうするつもりだ」 ≪観光みたいなもんだよ。千年ぶりの現界だから。お前の主人だってそうだろ?≫ 「人を嫌っている奴が何を見る」 ≪あの人・・・に直接聞いたら?お前も思っている通り、あの人・・・は最後は必ずあの場所・・・・に行く。俺だって消えたくないし、それ以上は教えたくない。俺だってあの人・・・の眷属には変わりないから≫  不機嫌そうに言い切ると、声はフッと掻き消えた。空を見上げていたゼドは、視線をザクスの空隙に落とす。  探すのは不可能。大陸を巡っていれば、再びと運良く鉢合わせるかもしれないが……確率はあまり低い。かと言って、奴があの場所・・・・に着いた頃では遅すぎるのだ。   ◇◆◇  花も凍てつく真っ白な雪原が、日光で少しだけ和らいだような。  自分たちの存在によって、レナの心はそれほどに落ち着いていたのだと……ゼルスとキルアは、氷のように動かなくなったレナを目の当たりにして、思ったのだ。 「れーちゃん……すっごいショックだったんだねー」  空を飛ぶキルアはアメを口にくわえたまま、いくら話しかけても反応しなかった少女を思い出す。  ペンダントを奪われたレナは、抜け殻のようだった。彼女の今までの、かすかな心の機微は、あのペンダントがあってこそだったのだろう。 「そりゃ……セルリアのと思い出の品だしな。唯一だったから、余計にだろ……」  鳥族の少女の隣を飛翔するゼルスも、少し重い口調で言葉を重ねる。  帰ってきたオスティノに、すべてを打ち明けた。ケテルフィール侯爵家に来た本当の理由、シドゥ達の奇襲による結果、何もかも。  彼は何も言わず、二人に向かって頭を下げた。   『わたくしからもお願いいたします。ぜひ、セルリアを探し出していただけないでしょうか。……それから、わたくしの今の依頼を引き継いでペンダントも取り返していただけないでしょうか。報酬は上乗せします』  まさか大貴族に頭を下げられるとは思ってもおらず、さすがのゼルスも驚いた。 (……あのペンダント)  鮮烈な赤色が、まぶたの裏に焼きついている。  レナと面識もないシドゥは、なぜ外部から奪いに来たのか。  逆に、レナと親密だったセルリアは、なぜ何も言わずに消えたのか。 「もうルプエナにいないのかなぁ?」  お菓子を片付けて、キルアが聞いてきた。主語がないので、ゼルスは倍にして返す。 「セルリアはそーかもな。世界の情報を一手に握ってるはずのオスティノのじーさんが、探してほしいって言うくらいだぞ?国外って考えた方が自然だ。距離がある分、どうしても国外の情報はこぼれがちだからな。シドゥは……会ったら万々歳だ」  シドゥの行く先に見当がつかないゼルスは、今の自分に対する呆れも含め、深く溜息を吐いた。 (……どうしてこうなったかな)  人に干渉されたくないし、人にも干渉したくない。  常に一線を引いておきたい。信用することも、されることも避けたい。裏切られる可能性も、裏切る可能性も否定はできないから。  自分は自分、他人は他人。  それでも、オスティノの頼みを受けてしまったのは、なぜなのか。 「……セルリアには、面貸してもらわねーとな」 「ん?? ボッコボコにしちゃうの?」 「あぁ、レナの前から消えたのが自分勝手な理由ならボッコボコだな。……どんな理由でも殴る気はするけど」 「いえーいボッコボコ〜!☆」  楽しそうに同調するキルア。 「そしたら、セルリアはボクらの言うこと聞いてれーちゃんのトコに帰るかも!」 「お前なぁ……」  自分は心理的に殴っておきたいだけなのだが、キルアはそういう浅はかな思惑があるようだ。……もしかしたら、こいつの方が奥底では冷静かもしれない。 (……でも確かに、説得を受け入れる程度なら、こんなことにはなってねーよな……結局、武力行使は必要か)  セルリアは、所属しているわけでもないR.A.Tでも名が知れていた。一筋縄には行かなそうだと、ゼルスは嘆息した。  アメを食べ終えたキルアが、地平線に黒色が現れたのを見て、「あ!」と先を指差した。 「ザクスだ!ってことはー、もうすぐリギストかぁ〜……むー」 「なんか珍しく乗り気じゃねーな」 「へ?んと…………知り合いがいるから?」 「あぁ……わかる」  いつもわくわく元気いっぱいなキルアが、少しだけ嫌そうにしたのが意外だった。その返答は、何やら曖昧な上、自身さえ納得し切れていないらしい妙なものだったが、ゼルスは突っ込まずにそう返しておいた。  二人は、隣国リギストに向けて移動していた。  ゼルスが地上を見下ろすと、真っ黒な闇がこちらを見ている。ルプエナとリギストを分ける、ザクスという巨大な谷。その付近は土地も痩せており、草木も谷を避けるように離れたところで自生している。無論、そんなところに人が近付く理由もなく、ザクス周辺は死んでいるように人気がない。  だから、その谷の近くに立つ人影を見つけ、まず不審に思った。そしてその特徴的な羽を視認するなり、ゼルスは声を上げていた。 「おい、あれ……!」 「なになに? ……あっ!?」  短くやりとりするなり、二人はその人影の元へ飛来した。  その背後に着地すると、確かに見たことのある大きな白い羽があった。 「やっほー!☆ ひっさしぶり〜♪」 「……お前……ゼドって言ったっけ。この間はどーも」  第一声、キルアは相変わらずのテンションで、ゼルスは片手を上げて言った。ゼルスの声には恨めしそうな響きがあった。  なんたって、ケテルフィール邸では手加減されたのだ。自分がすることはあっても、されることなんて、すんごい久しぶりだ。いらつくというか悔しいというか。  恨めしそうな目つきでゼルスが青年鳥族の背中を睨みつけていたら、その隣でキルアが「おおっ、そーだ!!」と手をポンと打った。 「ねぇねぇゼド!シドゥが何処に行ったか知らない〜?ボクら探してるんだー!」 「おお、珍しく役に立った」  今そんな発想はできなかったゼルスは、キルアのまともな一言に大いに感動した。  しかし、羽から返って来た言葉は冷ややかだった。 「シドゥとは、たまたま行動をともにしただけだ」 「ふえ?? 何処に行ったのかもわかんないー?オトモダチじゃないってコト?」 「そうらしいな。そーいや、なんか利用されたっぽいこと喋ってたっけ」 「………………」 「なんつーか、意外と」  ゼルスが何とはなしにそこまで紡いだ直後。  ビュッ!と、耳元で風が勢いよく裂けた。  理解が追いつかず、呼吸とともに体が硬直した。  目だけで横を見ると、自分の横顔が映る銀の刃。  前に目を移すと、無機質な翠玉の瞳に、随分と間抜けな顔をした自分が映っていた。  手が届くほどの距離で見ると、余計に際立つ端正な顔立ちが静かに口を開く。 「……『意外と』……何だ?」 「…………い、意外と……寛大な奴なんだなーって……」 「………………」 「………………」  ……自分で言って、意味がわからなかった。一体、これの何処が寛大なんだか。しかも寛大なんていう普段は使わない言葉が飛び出た。  頭の真横に、目視できない速度で、持っていたらしい大剣を突かれたっていうのに。脅し以外の何にも見えない。 (どうなってやがる……)  もう一度、銀の刃を横目で見て、ゼルスは久しく感じたことのない戦慄を覚えた。今更のように冷や汗が噴き出る。  微動するのも、こちらを振り返るのも、大剣で突かれる瞬間も、何ひとつ見えなかった。彼がその気であったなら、自分は死んだということにも気付かないまま死んでいただろう。  ちらっとキルアを見ると、彼女も唖然と、大剣を引くゼドを見つめていた。どうやら自分の視認ミスではない。  解放されたゼルスは、やっと息を吸い込んだ。 「……んじゃ……シドゥとは、何かワケアリでタッグ組んだわけな?」  ゼルスは意識的に体の緊張を解きながら、無意識に半歩あとずさって問いかけた。  この青装束の、人知を超えた能力を身をもって実感した今だからこそ、さらに謎は深まる。  ゼドはシドゥに利用されたようだった。しかし、シドゥは自分達と同等レベルだったし、彼が万一にも遅れを取る相手ではない。それがなぜ?  得体の知れない鳥族は、口を開いた。 「銀髪の鳥族を見なかったか?」 「……完璧に無視かよ……」  答える義理も理由もないと判断したらしい。いっそ華麗なまでに聞き流された。  ゼドの問いに答えたのは、不思議そうに首をかしげるキルアだった。 「へ……?ぎんぱつの、とりぞく?? キミのコトじゃないの?」 「……?」  ゼドの能面が、かすかに訝しげな色を含んだ。おもむろに自分の髪を摘み上げ、その一房を一瞥し納得した様子で手を下ろす。  ゼルスは間髪入れずに声を上げていた。 「ってお前、自分の髪知らなかったのかよ!!」 「興味がない」 「いや最低限、自分のスペックくらい知っとけよ?!」 「じゃあじゃあ、ゼルスは〜?」 「あー髪は茶髪、目は青、趣味は読書で嫌いなものはうるさい馬鹿だ!!」 「じゃあよかったね♪ ボクの趣味は騒ぐコトで、キライなモノは竜族だよー!ゼルスの天敵はボクってコトだね☆」 「天敵とタッグ組んでるってことかよ!?」  ……とにかく。ゼドがそんなスタンスでやっていけているのが有り得ない。  人は自分の容貌、身体能力、性格など、すべてとは言わずとも大体理解した上で、是非の判断をして行動しているのが普通だ。  れすら知らないなんて、一体コイツは、何を基準に行動しているのか。 「銀髪の鳥族って、じゃあじゃあ、キミの他にも鳥族いるの!?」 「……あぁ」 「ほんとっ?! ボクもね、同族探してるんだ!ゼドもそのヒト、探してるの〜?」 「追っている」 「……もしかしてタックル野郎か?」  リギストのイールス上空で、二人は、何かを追っていたゼドと初めて出会った。あの時、キルアにタックルして消えた奴のことだと考えるのが妥当だろう。  ゼルスが聞いてみると、ゼドは背を向けた。 「見かけたら言え」 「ってスルーかよ?!」 「お前達には無意味だろう」 「なんか基準おかしいだろ……まぁいーけど……」  ここまで無駄だと切り捨てる奴は、珍しいというか変というか。もはや呆れて、ゼルスは諦めた。どうせそうなんだろうし。 「うんっ、わかった!見かけたら教えるね☆」  大きな羽にキルアが手を上げて言った頃には、鳥族の青年は、ザクスを飛び越えて遥か遠くへと飛翔していた。  それをかろうじて視認して、目が点になっていたゼルスは、数秒してやっと溜め息を吐いた。   ◇◆◇  ……………………   ◇◆◇  「自分」はずっと、常闇にいたのだ。  それが苦だったわけでもなく、最初からそういうものだと知っていたし、何より自分の存在を肯定する、唯一のものだったから。  だから――そこから出るべきではなかったのだ。  瞼の裏に焼きついた笑顔は、眩しかった。  自分の闇を、太陽は無慈悲なまでに照らし尽くした。  自分を肯定してくれる新たな存在は、あたたかくて。  そして、気付いてしまった。  背後に伸びる影は、永遠に自分について回るということに。 「羨ましいご身分だねぇ?」  閉ざした瞼の裏の暗い世界に浸っていると、くつくつと笑い声が聞こえてきた。  振り返るまでもない。目を開くと、部屋の中の闇を裂き、背中から差し込む外部の光で切り取られた自分のシルエットが壁にあった。 「部下までいて、尊敬されながらのんびり平民暮らし。そりゃ大層満足してるだろうね?」 「………………」 「いや、アタシはアンタが羨ましいなんて全っ然思わないけどねぇ?自分の使命と生まれから逃げて、いっつも自責の念に駆られてるなんてさ?」  若い少女の声が、その年に似つかわしくない険悪な色を含んで響く。  壁に投影された自分のシルエットに重なる少女の影が、嘲るように続ける。 「『影』は、ずっとアンタについて回る。ま、アタシは止めはしないけど、『先例』を知ってるはずだよ?」 「……お前は」 「ん?」  当然のように言い放つ少女の声に対し、自分は低い声で言い返していた。 「お前には……迷いはないのか」  一瞬の逡巡もなく。迷いなど、塵すら存在し得ない返しで。  掠れるほど小さな問いに、少女は仰々しい口調で答えた。 「もちろん、あの人・・・のお望みままに」