第03話ケテルフィール侯爵家

 大人三人分くらいの高さがありそうな白塗り壁。それはさながら、身分という境界線にも見えた。  四方を囲む白壁の内側に佇む、赤レンガの美しい屋敷。ここからでもその瀟洒(しょうしゃ)な造りが見て取れる。  もちろん、その入り口となる大門だって手を抜いていない。直線と曲線が融合したデザインの黒柵の向こうには、丁寧に手入れされた噴水や鮮やかな庭園が垣間見えた。 「ねーねー!依頼受けたよ〜〜、誰かいるー?」  その門を、牢屋に閉じ込められた囚人よろしく、ガシャガシャ揺らす少女。 「……あのなぁ」 「なに〜?」 「……やっぱいい。時間の無駄になりそ」 「何それーッ!! 気ーにーなーる〜〜っ!!」 「馬鹿にされてることには突っ込まねぇのかよ……」 「あっ、今バカにしてたんだ!ゼルスのバカーッ!!」 「気付いてなかったのかよ!! つーかお前に馬鹿って言われたくねぇえええ!!!」  切実なゼルスの叫びが、この屋敷以外見当たらないこの辺り一帯の平野に響き渡った。   ◇◆◇  時は少し戻る。  ラクスの依頼は、一人の青年を探し出し、居場所をラクスに伝えることだ。  しかしどう考えたって、大陸規模で人ひとりを探すのは途轍もない時間がかかる。むしろ見つけられたら奇跡に近い。  困り果てたゼルスが当てにしたのは、R.A.Tの世界規模の情報網だった。  妙な鳥族青年と遭遇した後、二人はルプエナとリギストの国境付近にある街・ラーダに来ていた。R.A.Tはリギストにもあるが、情報はルプエナ内の方が豊富だし、伝達も速い。  ラーダのカウンターは、フェリアスと違って空の下ではなく、戸建で商店街の中に並んでいた。木造の広い店内は、建てられてまだ数年しか経っていないのかまだ新しい。  その店内で、ラクスからもらった似顔絵の紙を片手に、ゼルスは珍しく諦めモードで溜息を吐いた。その隣には、不思議そうなキルアが立っている。 「……詰んだ……」 「ねーゼルス、何で聞かなかったの〜?今のヒト、知ってるみたいだったよ?」 「よく聞いとけガキンチョ。世の中にはな、守秘義務ってのがあんだよ」 「しゅひぎむ?なんかの魔法?シュヒギム!!」 「……確かに封印魔法だな」  えいやっと、それっぽくポーズを決めてみせるキルアの言葉にちょっと納得した。  何か知っている情報はないかと、カウンターの受付嬢に紙を見せて真っ向から聞いた。そしたら礼儀正しい営業スマイルでやんわり断られて、ふと守秘義務のことを思い出した。  フェリアスのオヤジはそこんとこが非常に緩く、ぺちゃくちゃ喋る。何処だかの誰がヘマをやらかしたとか、噂のアイツが妻と喧嘩したとか、どうでもいいことばかり。そのせいか守秘義務の感覚が薄れていたようだ。あのオヤジ、よく解雇されないなとふと思った。  でも、何もわからなかったわけではなかった。 「守秘義務で答えられないってことは、コイツはR.A.Tの関係者ってわけだ。所属者か運営側かはわからねーけど、まぁそれだけ絞れればいい方だろ。村人Aとかだったら、マジで投げ出そーかと思ってたんだけど」 「依頼ポイしちゃったら、オジサンに怒られちゃうよ〜?」 「まぁ、オヤジは真面目だからな……」  ゼルスとしては、生計が立てられればなんでもいいので、信用とかは二の次だ。効率が悪すぎるし、別にこの依頼にこだわる理由もない。まぁ、今回は目星がつきそうだから良いだろう。 「『ゆーめーじん』なら、誰かに聞いてみよー♪」 「って、おい!」  ばっとゼルスの手から紙をひったくり、キルアは近くにいた人物にたたっと駆け寄っていく。反応が遅れたゼルスは、ったく……と後を追った。 「ねぇねぇ、このヒト知ってる〜??」 「おわっ、何?コイツ?」  歩いていた男性の服をガシッと掴んで引き止めながら、キルアは片手に持った紙を見せてそう聞く。なんというか、妙にキルアらしい強引なやり方である。  追いついたゼルスが、しかし他人のフリができる距離を置いて男性の返答を待っていると、男性は「あぁ!」と思い出したように声を上げた。 「知ってる知ってる。コイツだろ?」 「ホントっ!? 何処にいるか知ってる?」 「確かケテルフィール侯爵家の護衛の一人だったと思うよ。R.A.Tに所属してるわけじゃないけど、若くて強いって有名で、腕試しをしたい連中が行ったけど、全員返り討ちに遭ったって話だ。大分前の話だから、今もいるかどうかはわからないけど……」 「うん、わかった!おにーさん、ありがと!」  「おにーさん」だか「おじさん」だか際どい年齢の男性にお礼を言い、手を振って別れた後、キルアは得意げにゼルスを振り返った。 「どぉーだ☆ んで、『けてるふぃーるこーしゃくけ』ってナニ??」 「わかってねーじゃねーか!?」 「だって知らないよ〜」 「いや常識だっつーの……!」  まさか知らない奴がいるとは思わなかった。  ケテルフィール侯爵家は、数十年前までは無名の貴族だったらしいが、先見の目を持っていた前当主が、あるひとつの事業を起こした。それこそが、まさにリクエセシス=アンダーティア——R.A.Tである。  R.A.Tは瞬く間に世界に広がり、ケテルフィール侯爵家は、物凄い年収を得て大貴族へと成長していった。今ではその名を知らない者はいない。……はずだった。ここにいた。  ケテルフィール家の説明が終わると、キルアは「へぇ〜!じゃあスゴイヒトなんだ!」と言ったから、こりゃ全然理解していないなとゼルスは思った。 「で、そこにこの探し人がいるってわけだ。ほら、フェリアスの外れにデカイ屋敷あるだろ。あそこがケテルフィール侯爵家」 「あっ、アレかぁ!んじゃあ早く行こっ!」 「ってお前、何も考えてねぇな……相手は大貴族だぞ?門前払いされるだけだろ」 「飛んでけばダイジョーブッ☆」 「要するに不法侵入かよ!捕まるだろーが!」 「バレなきゃダイジョーブっ♪」 「……お前、意外と……いや、やっぱり黒いな……まぁそーなんだけど。屋敷は多分、カルファード製の防犯システム完備、ボディガードわんさかだぞ?大貴族だし」  なんて、ちょっと問題のある会話をする二人。  起業した前当主は武術を心得ている人物で、腕も確かだったらしいが、後継者の現当主はその気がなく温厚な人らしい。それが唯一の救い……だろうか。 「あ、いたいた。そこの飛族のお二人さん」  ゼルスが顎に手をかけて策をこねくり回していると、声をかけられた。  二人が振り向くと、先ほどキルアが声をかけた男性だった。 「そういや俺が並んだ時、ケテルフィール侯爵家の依頼があったんだよ」 「へっ?ホント!?」 「ケテルフィール侯爵家の依頼?どーせ、もうとられてるだろ」  ケテルフィール侯爵家の依頼となれば報酬も高額だろうし、他の所属者が見逃すはずがない。  大して期待せずにそう返すゼルスに、男性はふっと勝ち誇ったような笑みを浮かべた。 「それはどうかな?報酬は弾むかもしれないが、相手は大貴族だ。チェックしてみたらどうだい?」 「むむ?」 「どーゆーことだよ?」 「あっはっは、その意気なら問題ないか。それじゃあ頑張れ」  男が言っていることが理解できない。首を傾げるキルアと、眉間にしわを寄せるゼルスに男性は愉快そうに笑い、立ち去った。 「うーん、どんな依頼かなぁ〜?パーティの依頼だったらいーなぁ♪ ホラホラゼルスっ、早く並ばなきゃっ!」 「……お前、目的忘れんなよ?」  すっかりパーティの依頼だと思っているキルアに、ゼルスは仕方なさそうに釘を刺しておいた。  ラーダ支部は、フェリアス本部に比べればまだ待ち人数が少ないので、並んでから数分ですぐに順番が回ってきた。さっきの受付嬢……ではなく、男性に交代していた。  キルアがぴょんとカウンター前に身を乗り出し、相手が飛族だと目を見開いている受付の男性に尋ねた。 「えっとね、ケテルフィールこーしゃくけの依頼があるって聞いたんだけど〜」 「あ、あぁ……確かにあるよ。けどなぁ、みんなさすがにやりたがらないんだ。……にしても、飛族の二人組か。あのゼルス・ウォインドに会う日が来るとはねぇ、びっくりだよ」 「……そりゃどーも」  カウンターの後ろの棚をあさりながら言う男性に、適当に答えるゼルス。慣れたものだ。  男性は、ファイルから引っ張り出した依頼書を差し出した。先に取ろうとしたキルアより早く、ゼルスはそれを手にとって目を通してみた。
依頼主
オスティノ・ケテルフィール
職業
貴族
内容
私には12歳になる孫娘がいるのですが、私はこの1週間、仕事で国内のさまざまなところへ行くことになりました。
無理をさせたくないので、孫は家に置いていくつもりです。その間、孫の遊び相手、話し相手になってほしいのです。
人付き合いが苦手であまり喋らない子ですが、どうかよろしくお願いします。
詳しいことは、私の屋敷にてご説明します。
追記
恐らくお一人では大変だと思うので、2、3人でも構いません。
「期日がもう明後日で、こっちも困ってるんだよ。そうなったら多分別の方面から雇うんだと思うけど……みんな恐縮して受けたがらないんだよ。相手は大貴族、それもR.A.T社長だからなあ」 「……それ、どーゆー意味で?」 「『今日しゅく』??」  さっきの男も似たようなことを言っていた。解せない二人が本当に不思議そうに問うと、男性は豆鉄砲を食った鳩のように目を瞬いた。  その次に発せられた一言に、ゼルスは途端に頭が冷えていくのを感じた。 「……飛族って、礼儀作法とかないのかい?」 「そんな堅苦しいモン持ってるのはお高く留まってる人間様だけじゃねーの?」  先ほどの男の言葉で気が立っていたのか、ただの質問だったのに、つい皮肉が口を突いた。  言ってしまってから額を押さえる。落ち着け。感情的になるなんて子供じゃないか。  何度もそんなやりとりをしてきた。飛族ってだけで偏見、差別する人間はたくさんいる。良い意味でも悪い意味でも。 「……悪い。作法らしい作法はねぇよ」 「あ……いや、僕こそ済まなかったよ。依頼の話に戻るけど、相手はR.A.T社長で、大貴族だろう?だから、お孫さんの相手とは言え、社長の前で恥を掻いて、最悪解雇されるかもしれないってみんな敬遠するんだ。社長は温厚な人だし、そんなことはないって言ってるんだけどねぇ」 「あぁ……なるほど」  ゼルスに不快感を与えてしまったと気付いたらしい男性は、簡単に謝って説明してくれた。大人な対応と切り替えの早さに、ゼルスは内心で感謝した。  確かに、12歳の子供の相手なんて、大人はやりたくないかもしれない。しかも相手は、知らぬ者はいない大貴族の孫娘。無礼な言動は許されない。  さらに、孫娘はあまり喋らないと来ている。いつも忙しい大人は暇に感じるだろうし、どうすればいいかわからないだろう。  が、ゼルスは違った。大貴族相手と聞いて敬遠される理由がわからなかったくらいには、そのへんは昔から肝が据わっているので動じない。  そして肝心のお相手はあまり喋らない性格らしいが、むしろゼルスは好ましい。馬鹿とうるさい奴は嫌いだ。 「むー、よくわかんないけど女のコと遊べばいーんだよねっ?オトモダチになろー♪ パーティしないのかなっ!?」  とか礼儀作法うんぬんをまず理解していないキルアも気にしなさそうだし、あまり喋らない子も気にしなさそうだから大丈夫だろう。  ゼルスは、カウンター横に置いてあったペンに手を伸ばした。ペンを手に取ったゼルスに、カウンターの男性は感激した目で言ってくる。 「受けてくれるのかい!? ありがとう!! よかったー、期日も近付いてたし、社長の依頼だし、受けてくれる人を探してたんだ!支部長に怒られなくて済むよ!」 「本音出やがったな……」   ◇◆◇  そういえばおかしい。  馬鹿とうるさいのは嫌いだ。だからさっさとこの馬鹿鳥族と別れたかったのに、どうしてまた一緒に依頼をしてるんだろう。  ラクスの依頼を、どうしてコイツと受ける気になったんだっけ。  がしゃがしゃと揺れる黒い柵を見ながら、ゼルスがぼんやり思っていると。 ≪申し訳ございませんが、危険ですので門よりお離れ下さい≫ 「へ??」 「離れろだってよ」  何処からともかく声がかかった。目を瞬くキルアの首根っこを、ゼルスが引っ掴んで引いた。  すると、キルアが揺らしていた黒い柵が、手も触れていないのに屋敷側にゆっくりと開いていく。  門が開き終わると、キルアはきょろきょろ辺りを見渡した。門の両脇の地面に埋め込まれている、丸いものを見つけて駆け寄る。  半円型で、ガラスの内側がほんのり緑色に光っている。よく見れば平たい面に細かく字が書かれていた。  装飾的に細工されたオーナメントのように見えるが、これは…… 「おお、やっぱりーっ!魔導具だ!」 「わかるのか?」 「んとね、さっきの声、なんか精霊さんが忙しかったしー、響きもおかしーなーって思って〜」 「……全然、説明になってねーよ……」  多分感覚的すぎて、彼女も説明できないのだろう。魔法に関しては天才らしい。  魔導具は、あらかじめ書いてある指示を精霊に飛ばし、動かす魔術的な道具のことを言うらしい。指示で精霊を従える、という魔法と似た原理で動くが、厳密には魔法学ではなく精霊学の分野らしい。  しゃがみ込んでいるキルアの後ろから、しげしげとゼルスも覗き込む。知識としてしか知らないので、本物は初めて見た。 「魔導具なんて、もうないと思ってたぞ?職人限られてるんだろ?」  ゼルスが屋敷に投げかけるように問うと、声が返ってきた。 「そちらは、風ノ伝カゼノツタエと申します。ケテルフィール侯爵家に伝わる魔導具でございます」  いつの間にか、黒スーツを完璧に着込んだ壮年の男性が、屋敷を背に佇んでいた。気配で察していたとはいえ、最初からそこに立っていたかのように、いい姿勢だった。  柔和に微笑むと、彼は胸に手を添えて一礼した。 「ようこそ、おいでいただきました。わたくしは、この家の執事を務めております、ファーネルと申します。以後お見知りおきを。依頼を受けて下さった方々だとお聞きいたしましたが」 「あぁ。これが依頼書」  飛族の二人を見ても動じることのない執事。年もさることながら、大貴族の執事という地位上、いろいろなものを見てきたのだろう。  ゼルスが依頼書を彼に向けて差し出すと、執事は「失礼いたします」と白い手袋で受け取ってチェックした。ひとつ頷くと、依頼書をゼルスに返し、 「オスティノ様がお待ちです。どうぞ、こちらへ」  執事は、二人を誘うように屋敷を片手を指し示し、先頭を切って歩き出した。二人も彼の後に続いて歩いていく。速すぎもせず、遅すぎもしない、適度な速度だ。  長い道を進んでいき、飛沫の舞う噴水の真ん中に屹立きつりつする女性天使の像や、花々が色鮮やかに咲き誇る中庭の横を通り。シックなつくりの扉から屋敷の中に入ると、まず高い天井にぶらさがる巨大なシャンデリアが目に入った。 「うっひゃ〜っ、きっれーい♪ もしかしてアレも魔導具だったりしてー☆」 「ご期待に添えず申し訳ございませんが、あちらは一般的なシャンデリアでございます」 「一般的と来たか……」  どう見たってあの大きさは一般的ではないだろうとツッコミを入れる。本当に魔導具だと言われても納得しそうである。  シャンデリアを堪能した後、キルアは執事の背をばっと振り返って聞いた。 「ねね、さっきの魔導具って、何をするのっ?風の属性をすっごく感じたけど!」 「ええ、その通りでございます。風ノ伝は、周囲の音を伝えるものです。これ以上の情報は、侯爵家の機密ですのでご容赦ください。……どうぞ、応接間はこちらです」  広い玄関から伸びる廊下は、左右と正面に3つあった。そのうち、執事は左の廊下へ入る。  まるで鏡のような床の上を歩いていくと、玄関脇にも門先と同じ緑の球体があった。キルアは駆け寄って、興味深そうに観察する。オーナメントらしいものを四方八方から眺めたり覗き込んだりしている様は、傍から見ると不審者である。  その首根っこを掴んで引っ剥がし、ゼルスは執事を追って先を歩き始める。 「置いていかれるから後だ」 「むー!気になるんだもーん!なんかアレ、回りの音をみんなで伝え合うみたい?きっと他の場所にもあるよー!」 「ふーん」  なるほど伝声管みたいなものか、とゼルスは心の中で納得していた。  玄関の風ノ伝が、自分たちの声を屋敷の中の風ノ伝に届け、それを聞いた執事が迎えに現れたのだろう。侯爵家にとっては防犯アイテムでもあるだろうし、だからこそ機密にしておきたいようだ。……ここであっさり看破されたが。  やがて、玄関傍の一室の前で立ち止まっていた執事に追いついた。  執事が「こちらでございます」と、扉を2度ノックする。高い木材からできているのか、心地良い音が鳴った。 「依頼を受けて下さった、R.A.Tの方々をお連れいたしました」 「ああ、どうぞ、お入りなさい」  初老くらいの丁寧な男性の声が、室内から許可を下した。執事は一言断り、上品なつくりの扉を開いた。  執事が横に退く。部屋の向こうに、綺麗に磨かれた低いガラスのテーブルと、その周りにある柔らかそうなソファー、大きな窓が見えた。  その窓際に、紺の上品な服をまとった男性が立っていた。彼が依頼主のオスティノ・ケテルフィールだろう。孫娘の存在から年の行った老人かと思っていたが、想像以上に若々しい容貌だ。  暗めの蒼の髪の彼は二人を見て、にっこり微笑んだ。 「飛族のお二人だと聞いていましたが……この年で飛族が見られるなんて光栄です。さあ、どうぞこちらにお座り下さい」 「……そーだな。全体的に引きこもりだからな、飛族って」  飛族だということに触れ、しかしさらっと流して話を進める。不思議と好感が持てたゼルスは、そう答えた。  その質の高い服からも、その言動からも、嫌味な印象をまったく受けない。真の貴族とは、こういう人物のことを言うのだろう。  長いソファーに二人を案内してから、オスティノは向かいの一人がけのソファーに腰を下ろした。そこに、見計らったかのように、ゼルスの前にいい香りを放つ紅茶が淹れられた白いティーカップが置かれた。  何処からともなく現れたメイド服の女性は、続けてソーサーにティースプーンを静かに置く。次に彼女は、カップの載ったお盆を片手にキルアの横へと移動する。  ゼルスは中央に置かれた角砂糖が収められたシュガーポットから、好みの量を自分の紅茶に入れて少し飲んでみた。味わったことのない上品な味が口の中を満たす。 「うぉ、何だこれ……うめぇ」 「お口に合ったようで何よりです」  紅茶にはうるさい方のゼルスが思わず声を漏らすと、オスティノは微笑んだ。オスティノの後ろには、先ほど自分達を案内してくれた執事が立っていた。  ……と、そこで、隣から、どぽどぽという、水に何かがたくさん入る音がして、ゼルスは横を見て言葉を失った。  どぽどぽんと音を立てていたのは、ティーカップに入った紅茶。その褐色の水面を揺らしていたのは、キルアの手がポンポンと突っ込む角砂糖。しかも、溢れ返った角砂糖ですでに紅茶の水面が見えない。それをスプーンで混ぜようとするのだが……角砂糖が邪魔で、スプーンをティーカップの中に差し込めない。 「うー、混ぜれないぃ〜」 「……し、信じらんねぇ……どんだけ甘党なんだよ!しかも紅茶、もう砂糖溶け切らなくなってるし!とにかくもう終わり!!」  懲りずに角砂糖のポットに再び手を伸ばしたキルアの手を叩いて払いのけ、ゼルスがポットのフタを強制的に閉めると、キルアは悲鳴にも似た声を上げた。 「えぇっ、そんなぁー!あと18個入れなきゃ、いつもの味にならないよぉ〜!」 「知るか!他人の家なんだから我慢しろ我慢!」 「ゼルスのバカぁ〜〜っ!! どーしてイジワルするのー!? ボク悪いコトした〜!?」 「そー思うんなら、ストレス溜まるその性格なんとかしろ!! ……ああもう疲れてきた……」  はぁと溜息を吐き、ゼルスは叱咤で渇いた喉を紅茶で潤した。もちろん片手はポットの上だ。  二人のやり取りに唖然としていたオスティノと執事、そしてメイドは、一拍おいてからくすくす笑い出した。 「ははは、面白い方々ですね。砂糖は好きなだけどうぞ」 「いや、こっちは楽しくも何ともないんだけど」 「ホラゼルスッ、いーって!やったー!オジサン、ありがと〜!」 「マジかよ……あーはいはい……」  家の主から許可が下りたのなら仕方ない。ゼルスがポットを塞いでいた手を離すと、すかさずキルアがポットのフタを開け、再びぼとぼとと角砂糖をさらに入れる。もはや紅茶はドロドロだ。大貴族を前に、まったく遠慮がない二人だった。  呆れた横目で見てから、ゼルスはオスティノに視線を戻した。 「で……話逸れたけど。依頼って、あんたの孫娘の相手だよな?」 「ええ、そうです。依頼書でお読みになったと思いますが、私はこの1週間、仕事で家を留守にします。その間、孫のレナの話し相手になっていただきたいのです」 「あー、その前に聞きたいんだけど。何で孫は連れていかないんだ?無理させたくないって書いてたけど、そんな重労働でもねーだろ?」  紅茶を飲みながら聞いていたゼルスは、ふと思い出したようにそう聞いた。  するとオスティノは悲しげに表情を歪め、自分の紅茶を見つめた。 「……ええ、その通りです。私がレナを連れて行かない理由……真意は、別にあります。本当は、私の外出に合わせる必要もないのですが、期限を設けないと誰も引き受けませんので、建前として」  紡がれた声は、静かに部屋に浸透する。 「レナは、可哀想な子なのです。小さい頃に目の前で両親を一気に失って、それ以来、心を閉ざしてしまって……」  応接室に、何とも言いがたい空気がわだかまった。  両親がいない少女。ここ数十年で減ってきたが、それでも戦争や盗賊がはびこるこの世界では大して珍しくもない。  しかし、どんなにたくさんいようと、悲しみは軽くはならない。同じような境遇の人々が一体いくらいるだろうか。  無意識の内に押し黙った、この二人とか。  何も言えずにいる二人より先に、その空気を破るようにオスティノは再び口を開いた。 「ですが、1年前に、セルリアという者がやって来たのです。仕事をしたいと。年が近かったせいか、レナはその者と打ち解け、見違えるほど明るい少女になったのです。私は、あの時のような奇跡を待っているのです」 「せるりあ……?誰〜?」 「年は聞いたことはありませんが……貴方がたより、少し年上くらいでしょうか。それくらいの年の頃の男子です」 「まさかコイツ?」  もしかしてと思って、ゼルスはラクスにもらった似顔絵をポーチから出し、オスティノに見えるようにテーブルに置いた。  すると彼がハッと息を呑んだので、ゼルスは確信した。 「今、コイツを探してほしいって、もう1つ平行して依頼受けてるんだけど、コイツ、ここにいたのか?」 「へ?? ゼルスっ……」 「いーから黙ってろ」  「この似顔絵の主が、ここにいると知ってもぐりこんできた」というのは、伏せておいた方が無難だろう。初めて知ったような口ぶりのゼルスにキルアが首を傾げて声を上げるが、ゼルスはそう言ってその先の言葉を封じた。 「セルリア……つったっけ?髪が蒼で、目が紫とかって」 「ええ、その通りです。彼を探しているのですか?」 「うん、そーなのっ!」 「ですが、彼は今、ここにはいませんよ」 「へ?」 「………………………………は?」  はて。聞き間違いだろうか。  ゼルスとキルアが唖然とした顔でオスティノを見返すと、彼は残念そうに顔を歪めた。 「セルリアは、半年前、何も言わずに突然姿を消してしまったのです」 「ええーッ!!? なんでなんで〜!?」 「わかりません……レナも、彼が来る以前のような無口な子に逆戻りしてしまって……」 「何処行ったかとか心当たりは?」 「……残念ですが……」 「うそぉ〜……」 「マジかよ……」  申し訳なさそうなオスティノの前に、二人は無遠慮にも、物凄く落胆した様子で同時に溜息を吐いた。  ケテルフィール家にいると聞いてやってきたのに、何処かへ消えたなんて。これでまた、振り出しの「大陸規模から探す」に戻ったことになる。何処を探せばいいのか見当もつかない。 「……話をそらして悪かった。だから、またセルリアの時と同じように、新しい相手との関係で、もしかしたら……ってところか」 「ええ。セルリアが帰ってきてくれるのが一番良いのですが……私もずっとセルリアを探しているのですが、なかなかそれらしい情報を手に入れられず……」 (R.A.Tですでに探していた?それでも見つからないのか?)  何処か釈然としない気持ちを抱えながら、ゼルスは言った。 「とりあえず……依頼はちゃんとやるから。いつ出かける?」 「明日の朝の予定です。今日はもう遅いことですし、これで終わりましょう」  言われてみれば、大窓の外は日が傾き始めていた。キルアは慌てて、残っていた紅茶を一気飲みにかかる。すでに飲み終わっていたゼルスはそれを横目に、ソファーから立ち上がった。 「じゃあ、明日の朝……」 「ああ、もしよろしければ、今晩、拙宅にお泊まりになってはいかがでしょうか?わたくしが留守中、貴方がたはこの屋敷でお過ごしになりますし、今晩からでも構いません」 「は?マジ?」 「えーっ、ホントぉ〜!? だってー、ゼルス!! やったね☆」 「どーせメシ目当てだろ……じーさん、いーのかよ?」 「ええ、もちろんです。使用人は連れて行きませんから、わたくしの留守中の食事も心配無用です」  思いもかけない申し出にゼルスは驚いた。報酬以上の金を出されるなんて思ってもいなかった。大貴族は思考が根本から違うかもしれない。 「連れて行くのは、護衛の男達なのですが……彼らは普段、屋敷の警備に当たっていた者たちで……」  言いにくそうに語尾を濁したオスティノの言わんとしていることを察し、ゼルスは納得した。 「わかった。レナの相手しつつ、盗賊が入らねーように見張っとけってことだな?」 「ええ……お察しの通りです。お願いできますか?」 「うん、ダイジョブぅ〜〜♪ まっかせといてー!」  溶け切らなかったドロドロの砂糖が底にどっぷり溜まっているティーカップをソーサーの上に置き、キルアはうきうき張り切った様子で答えた。  ……それにしても、このティーカップを処理するメイドが哀れだ。