正反対の表裏一体、

杭の章

第13話 おサイフ奪還作戦

「ちょっと……止めた方がいいんじゃない?」
 やや声をひそめた女性の声が聞こえた。
 開放的な店内に入り込む肌寒い微風が、この場所を人知らぬ顔で吹き抜けていった。
 窓からは、まだ持てる力を出し惜しみしている太陽の柔らかな日差しが差し込んでいる。

 カフェを兼ねた、とあるレストランだ。
 ちょっと洒落た民家くらいの家庭的で温かな店内。板張りの壁や床はやや年季が入っていて、この店の時の流れを彷彿とさせる。
 こういう穏やかな天気の時にこそ何処かに出かけてのんびりと一息吐きたいところだ。そんなことを考えた人々は他にもいて、店の中にまばらにある丸いテーブルにはすべてに人がいた。
 人々はある一点を注目していた。
 周囲の和やかな雰囲気とは異なる、なんだか不穏な空気が漂う1つのテーブルを。
「どういうことか説明してもらおーか、少年?」
「せつめいしてもらおーかぁ?」
 テーブルを囲むように立つ二人。竜族と鳥族といった稀な種族だからこそもんのすごく注目を集めるコンビだ。
 一人は、にこやかな竜族の少年。あくまで笑顔ではあるが、その背後のオーラは……何と言うか、果てしなくドス黒い。下からライトアップすれば本心が透けて見えそうだ。
 もう一人の鳥族の少女は、お菓子がたくさん入った紙袋を手に抱いている。顔は混じり気のない満面の笑み。純粋に尋問ごっこが楽しいようだが、こっちはこっちで怖かった。
「ひゃはは……1対2かいな。卑怯やわ……」
 その二人以外の特徴ある声がする。
 二人が見下ろす先。テーブルには一人の少年がついていた。
 これまた背中から白い羽を生やした少年だった。上からの二人の圧迫に縮こまるようにイスに座っている。そしてなぜか彼は、イスの背もたれに縄で縛り付けられていた。
 少年は、二人と変わらない年の頃に見えた。深い紫の眼は、観念したような目付きで二人を見据えている。その頭部を飾るのは不思議な色彩にきらめく銀髪・・。いくら暖かくなってきたとはいえ、まだ肌寒い北国なのに二の腕が覗くシャツを着ていた。ふわふわしていて何処か世俗離れした雰囲気の鳥族の少年だった。
 言うまでもなく彼らは物凄く注目を集めていた。この険悪なムードは当然、トリプルで飛族だということも手伝って。
「せやから、堪忍なって言うてるやろ?あんまコレ続けると悪役はオマエさんらになるで〜?」
 少年は嘆息してから、随分と特徴のある訛りで笑った。言っていることが正論だったから余計に苛立つ。
「店員さん呼ぼうかしら……」
「可哀想……」
 他のテーブルにつく人々の話し声が耳に入る。確かに傍から見れば、二人相手に虐められる少年の図に見えた。
 だが悪役は終始この少年で、二人は被害者だった。


 時は少し遡って……

 キルアは最高に不機嫌だった。
「ううう〜〜〜〜〜……………………………………………………お腹空いた!!!!」
「……ホントにお前、単純にできてんな……」
 ふわりと着地しながら、ゼルスは長い溜めの後の一言に呆れた。腹が減って機嫌が悪くなるなんて動物レベルだ。
 お腹を抱え、土に汚れることも気にせず、ずしゃっと地面に落ちたキルアは「もーダメ……」とうつ伏せに倒れたままだ。
「おいおい……お前と知り合いなんて思われたくねーぞ……」
 幸いにも通りに人気はほぼなかったが、ゼルスは全力で他人のフリをした。
 キルアが寝ている地面は黒い土を均しただけのものだ。馬車の轍がいくつも刻まれているところから、人や物の出入りが活発な町だというのが見てとれる。
「ほんとに風が強い地方だな……うう、さむ……体冷えた……」
 具合悪そうに首を引っ込めて両腕を摩るゼルスの茶髪を、まるで見えない手が掻き乱すように、ばさばさと風がもてあそぶ。
 地上でこの風速なのだ。上空は推して知るべし。
 分厚いコートを着ているゼルスが震えているのに、もっと薄着のキルアは全然そんな素振りはない。もしかしたら彼女は腹の中の熱量でカバーしていて、それで空腹なのかもしれない。

 カルファード−リギスト間の国境は、エイラ・メイラ山脈という連峰によって引かれている。頂はいつも雪を冠しており、標高の高さを窺わせる。
 その山脈が途切れている場所が一箇所だけあり、カルファードとリギストは、その地方だけを通して繋がっている。それゆえ、そこは「カルファードの玄関口」とも呼ばれている。
 それは人や物の流れはもちろん、風の流れにも言えることだ。山脈という壁にぶつかった風は、上方に上がるか左右に分かれるかを選択させられる。多くは上空に受け流されるだろうが、こぼれた風がその玄関口の地方に集まり、結果強風になるのは必然ではあった。
 リギストの王都イールスを発って数時間。二人はカルファードの東側にある、その地方に来ていた。
(強風で有名な、カルファード帝国カタロス領、ライヴェールね……地名しか聞いたことなかったな)
 通りには、石垣に囲われた民家が並んでいた。各家の背後には防風林と思しき林も立ち並んでいる。
 共通しているのは家の背が一様に低いということ。石垣は風の直撃を和らげ、家の背を低くすることで上方に風を受け流しているのだろう。
 道を歩くのは、荷車を引く人、農耕具を持って移動する人など、用事があって行き交っている者以外はいない。通りは風が強いから、会話する時は石垣の内側に入るようだ。
 すべてが民家かと思っていたが、よく見れば飲食店や宿屋などの店もまぎれ込んでいた。石垣の入り口付近に派手な看板や布を張っていたり、個性的にアピールしているのがそれだ。
 ゼルスは道に寝そべっているキルアを見下ろした。彼女はお腹空いたお腹空いた喚きながら、ゴロゴロ道の上で転がって砂だらけになっていた。
「そうやって転がる気力あんなら立てるだろ、ったく……」
「無理ぃ~~~、うううーー……あッ!? なんかイイニオイ!!!」
 ゼルスの鼻腔には何も触れていないが、キルアはその超感覚で何かを嗅ぎ取ったらしい。がばっと起き上がったキルアは、転がるように目の前の石垣の向こうの民家に突撃した。
「とにかく腹に何か入れたい感じか……」
 いつもはキルア基準の『おいしそうなところ』を選ぶのだが、今は相当空腹のようで選ぶ素振りすらなかった。
 自分も腹が減ってきた頃だし、ちょうどいい。腰のポーチの中のサイフを確認してからキルアを追う。
 レストランと看板にあるが、周囲の民家と変わらない建物だ。木造りの優しい雰囲気を持っているにもかかわらず、強風対策で開口部が閉め切ってあるせいか何処となく素っ気ない。
 そのドアの前まで駆けていき、キルアがその勢いのままドアを開こうとした直後。
 突如そのドアが勝手に勢いよく引かれ、これまた勢いよく誰かが中から飛び出してきた!
「ふえっ!?」
「んっ?!」
 両者の目が一瞬合って、

 ゴチンッッ!!!☆

(……うっわー……)
 両者の頭の高さがちょうどよかったらしく、真正面から頭と頭が衝突した。
 響いた鈍い音がやけに生々しく、その痛みを想像してゼルスは思わず顔をしかめた。
「…………〜〜〜〜あだぁぁあああっっ!!!?!?」
 が、悲鳴を上げたのは店の中から出てきた誰かだけだった。おでこを押さえて絶叫し、そこにうずくまる。
 一方キルアはぽかんとした顔のまま、そこに突っ立っていた。……そういえばコイツは書斎机とぶつけて何も感じない石頭だった。
「ごっ、ごめんね!! ダイジョブ!?」
 状況を理解したキルアが慌てて相手に謝った。相手は地の底から響いてくるようなうめき声を上げていた。
「あ、頭カチ割れるかと思ったで……あー今、一瞬死んだわウチ……」
 相手は具合悪そうに言い、こてんっとその場に座り込んだ。
 ゆったり歩いてきていたゼルスは、改めて相手の容貌を見て目を見開いた。

 少し年下に見える少年だった。紫の瞳はまだ頭が痛むのか半眼にされている。半袖とくるぶしが覗く丈のズボンといった、やや寒そうなくらいで取り立てて目立った格好でもない。
 驚いた点は、2つある。
 まず、銀髪というのがそもそも珍しい色合いではあるが、日が当たると少し水色っぽく見えたり、やや紫がかって見えたりする、絹のように柔らかそうなものはさらに稀だろう。いや彼以外いないのではないか。一度見たら忘れない色彩だ。
 もう1つは、その背中に。
 やっと回復したらしい少年は赤くなったおでこから手を離し、そこでようやくぶつかった相手を見たようだ。キルアを見て目を瞬いた。
「お?なんや、同族やないか」
「へ? ……あ、ホントだ!キミも鳥族っ?」
「おうや、見ての通りやで。そっちのあんさんは竜族かいな。いやぁ〜自分以外の飛族、初めて会ったで〜」
 キルアは言われるまで気付かなかった鈍感ぶりだが、彼は背にあるのは紛うことなく純白の鳥の羽だ。——鳥族。
 ひどい攻撃を受けた割に、すでにケロっとした様子の少年は立ち上がりながら笑った。すぐに打ち解けられそうな人懐こい笑顔だ。
「ほんなら、ウチもう行くわ」
「へっ?もう行っちゃうの??」
「おう、急いどるんや。そんや〜、また会えたらえーな!」
「うんっ、またねー!」
 別れの挨拶もそこそこに、少年は軽く地面を蹴り風の強い空中へと舞い上がる。キルアも手を振り返すと、彼は北の方角に向けて飛翔し、防風林の陰に隠れて消えた。
「なんか最近、飛族よく見かけるね〜。嬉しいな〜♪」
「………………」
「ン?どしたの?ゼルス」
 少年が消えた木々を見つめたまま動かないゼルスを見て、キルアは首を傾げた。
 ゼルスは顎に手を当ててから、人差し指を立てた。
「抜き打ちテスト。ゼドが探してるのは?」
「へ?んーと……、……あっ!?!」
「お、それだけでわかったか」
「む〜、ちゃんと覚えてるよ!!」
 今の少年。——淡い極彩色の、銀髪の鳥族・・・・・・
 ゼドが探している「銀髪の鳥族」という条件に当てはまる。飛族は基本的に人里にはいないから、今の少年こそゼドが探している人物で間違いないだろう。
 しかし……、
「うーん、悪いヒトには見えなかったけどなぁ〜」
「……確かにな」
 眉を寄せて腕を組むキルアの不可解そうな声に呼応して、ゼルスの脳裏にもさっきの笑顔が掠める。
 しかし、人は両面的な生き物だ。自分だってそうだし、キルアの腹黒だってそうだし、あの少年も人懐こい笑顔の裏は何を考えているか見透かせない。
 あの笑顔を信用する気など毛頭ないゼルスは、あの少年の顔を記憶することに忙しかった。
「まぁいーや!何か食べよ〜♪」
「……そうだな。アイツ、行っちまったし」
 少年はすでに行ってしまったし、今回ばかりはゼルスもお手上げでキルアの提案に乗った。ゼドに言われたのは『見かけたら教えろ』ということだけで、『追え』とは言われていないし。

 ゼルスは民家レストランの前に立つキルアに歩み寄りながら、戸を引く彼女の背に念を押した。
「ところでお前、ちゃんと金あるんだろーな?」
「ムッ、そーやってコドモ扱いするー!ちゃーんとあるもんねーだっ!待って、えーっとね……」
「そういうとこがガキなんだっつの……」
 ムキになってハーフパンツのポケットに手を突っ込むキルアに、ゼルスは嘆息した。
 キルアは金銭感覚がかなり欠乏しているらしく、所持金以上に食べてたりすることがある。定期的に確認をとっておいた方が本人のためになりそうだ。……何で俺がコイツの経理担当しなきゃならないんだ。
 がさごそとポケットの中身をあさっていたキルアの表情が、怪訝そうに変わった。
「……ン?あれ?はれれ??」
 キルアは両ポケットの内側の布を掴んで、ぐいっと外に引っ張り出す。間抜けな動作だけを見て、ゼルスは悟りたくなかったが悟ってしまった。
 予想通りキルアは泣きそうな顔でゼルスを見て。
「おサイフなぁい……」
「……つくづくお前ってホント馬鹿だよな……」
「じゃあゼルスはどーなのっ!」
「お前と一緒にすんなよ……俺はちゃんとあるっての」
 意地になって返されたが、自分はキルアと違ってサイフを落としたりしない。面倒臭そうに、腰につけているポーチを触れた。
「あれ、ボタン留め忘れたっけ……へ?」
「おっ?」
 ポーチの中に突っ込んだ手が返す、空虚な手応えに変な声が出た。キルアがなぜか嬉しそうな顔で見てくる。
 それを無視し、がさごそあさって……、
「……嘘だろ!? ない!!」
「ほーらね!ゼルスもおんなじだよ〜!」
「突っ込むとこはそこじゃねぇ!二人同時にサイフだけなくなるなんか有り得ねぇだろ!」
「ココに有り得てるよ?」
「こんな時だけ小賢しく返答すんな!!」
 ついさっき、レストランに駆け寄る前までは確かにあった。この目で確認したから間違いない。
 ということは、その後に盗られた。容疑者は一人しかいない。
「アイツ……真正面からお前の石頭食らったのに、サイフ盗る余裕あったのかよ……侮れねぇ……」
「うーん……でもホントに、悪いヒトには見えなかったんだけどなぁ〜」
「どうりでボタン外れてたわけだ……」
 自分のポーチを軽く叩きながら、ゼルスが言う。
(しかし……全然気づかなかったのはなんでだ?)
 釈然としない思いを持て余すゼルスの髪を、突風がばさりと煽る。
 ポーチのボタンを外して、中のサイフをとる。結構な動作だから途中で気付いてもよさそうなのに。
「とにかく探すぞ。じゃないとご飯お預けだからな」
「ええええぇぇーーー!!! ボクお腹すいたーー!! ゼルスなんで気付かなかったのー!?」
「俺のせいかよ!いーから探して取り返すぞ!」
 空腹の絶頂にいる二人は、死ぬ気で捜索を始めた。


 彼は上機嫌だった。
「やー、意外とチョロイもんやなぁ〜」
 弾む心を体現するように、軽快にステップを踏む足。均しただけの土の道を行く後ろ姿には白い羽がくっついている。
 飛族の二人からサイフを盗み、彼らの前からさっさと姿を消した鳥族の少年は口元を緩ませた。
「遠くに行ったと思っとるやろな〜、カンペキやな」
 少年は遠くに飛び去ったように見せかけて、同じライヴェール内にいた。防風林があちこちに生えている町だし、身を隠す場所はいくらでもある。
 風の強い町だから人通りは他の町より少ないが、道行く人がいないわけではない。通り過ぎる人々が物珍しげに視線を送るが、鳥族の彼——セウルは浮かれていてまったく気付けていなかった。彼の周囲は、彼自身から溢れ出るキラキラ輝くわくわくエネルギーにすっかり覆われていた。

「おっ、ココやココ」
 るんたったと進んでいた両足が、とある家の石垣の前で止まった。そこの石垣に立つ看板には、写実的な絵が貼ってあった。白黒写真を元に着色された絵だ。
 機械学が振興しつつある大国カルファードでは、写真という技術が少しずつ確立してきている。まだ影を焼き付ける程度で白黒でしか表現できないが、将来的には色さえも表現したいと技術者たちは考えているようだ。
 なんていう深いことは知らず、少年は民宿のようなカフェの店頭でその写真に見入った。
 グラスの底に敷かれた小麦色のサクサクした生地の上に、冷たいだろう白いソフトクリームがのっている。そしてその天辺を飾る真っ赤なチェリーが、白と赤のコントラストを強調する。
 キラキラ輝いている大きなパフェを見て、彼はにんまりと笑った。
(ま、コレ食ってからサイフ返せばえーやろ♪)
 絶対そういう問題じゃないのだが、セウルは能天気にそう思った。
 自分は諸事情で通貨を持っていない。働いて稼ぐのが常套手段だが、あまり長期間、同じ場所には滞在したくなかった。というわけで、盗った方が一番手っ取り早かった。盗られたことに気付けなかった方が悪い、うん。我ながら初めてにしては素晴らしい手並み。
 さぁ、至福のひとときを。
「ちょーーっといい〜〜??」
 いざカフェへと踏み出しそうとしたら、不意にがしっと右肩を掴まれた。
 かと思えば、その手のひらは物凄い力で少年の肩を鷲掴みにした。痛くてびっくりして右肩越しに相手を見ると、そこに満面の笑顔があった。
 黒髪の少女が、無邪気にニコニコしながらギリギリと強い力で肩を掴んでいた。
 何処かで見かけた顔だ。……と思ったら彼女の後ろに白い羽が見えて。すぐに、さっき自分がサイフをスった一人だと理解した。
「腹減って機嫌悪いっぽいから抵抗しない方がいーぞ」
 その後ろで竜族の少年が、忠告なのか脅しなのかそう言ってきた。こちらもまた険悪なオーラを出しているから多分脅しだろう。
 さっき自分がサイフを盗んだ相手二人を前に、セウルは悪びれる様子もなく、ただ目を瞬いた。


   *


 あの後、生活の糧が詰まっていると言っても過言ではないサイフを盗られたゼルスとキルアは、血眼で白い羽を探した。
 いや正しくは、探そうとして高く飛び立とうとしたら、防風林越しに一本向こうの通りが見えて、そこにたまたま見つけたのだ。

 キルアに肩を掴まれた少年は、ズボンのポケットに手を突っ込んで、なぜか不思議そうな顔をしている。
 かと思うと、鳥族の少年セウルは楽しそうに笑った。
「ははは♪ 人違いやで?」
 自覚しているのかしていないのか、白々しい嘘を満面の笑みで言い、セウルは無造作に右手を振った。
 右半身を半分こちらに向けながら、手を上げて挨拶するような何気ない動作。
 それだけで。あんなに彼の肩をがっしり掴んでいたキルアの手が、いつの間にか空気を掴んでいた。
「へっ……!?」
「鬼さんコチラやでっ!」
 キルアがびっくりして目を見開く。そうしている間にセウルは楽しげな声で言い捨て、地を蹴って空へ飛び上がった。風の強い空に白い羽が踊る。
 獲物を逃がしたとやっと理解したキルアは、キッと上空の羽を見上げた。
「待てぇええ〜〜っ!!! ボクのおサイフーーッ!!」
「あ、おいキルア!そーやって相手の言葉にのると……って……あー、行っちまった……」
 ゼルスがとっさに声をかけたが、聞こえていないらしいキルアは空へ舞い上がっていった。
 あっという間に遠ざかっていく白の双翼を見上げて、遅れてゼルスも地面から浮き上がった。

 一方、強い風の吹き渡る空中では。
「ボクのおサイフ〜〜!!」
「とれるモンならとってみぃ〜!」
 笑いながら逃げ回るおサイフをキルアが追いかけていた。
 何だかんだキルアは実力者で、きっとR.A.T屈指と呼ばれるのも時間の問題だ。それなのに、彼女とセウルとの距離は一向に縮まらない。その違和感に、本人は空腹で単純思考の短気になっていて気付かない。
 追いかけるのをやめたキルアは、おもむろに目の前の虚空に筆記しはじめた。
「んも〜〜怒ったッ!! 行くよっ!『天空龍の渦……」
「お!オマエ、魔法使うんか!風巻魔法はスッキリするでぇ♪」
 キルアが文字を書き始めたのを肩越しに見て、セウルは逃げるのをやめ、唐突にくるんっと彼女の方を向いた。
「ほんならうちも……『風の神の加護……」
 少年は左手を差し出し、指揮棒を振るように人差し指を踊らせた。その先端に収束した魔力が、瞬く間に虹色の軌跡を描いていく。書かれたのはキルアが書くのと同じ言語。
 まるで鏡同士のように手を動かす鳥族二人が、最後の文字を書き終わったのは同時だった。
 だが、発動はキルアの方が若干早い。
「セフィーナ』ッ!!」
 彼女の前に浮かぶ文字が黄緑色に変化して消え失せる。不可視の風の精霊達がセウルを中心に渦を巻き始める。
 しかし彼は慌てることなく、ただニヤリと口元に笑みを浮かべた。
 セウルはそのまま魔法を展開させる。
「レイス』っ!!」
 名唱の頭を聞いた時からわかっていたが、キルアの発動した風巻魔法と同じ属性の、疾風魔法だった。
 同じく緑色に切り替わった文字が消え、今にも竜巻に呑み込まれそうなセウルの周囲に幾重にも風の刃が生まれる。
 その刃はキルアではなく、四方八方あらぬ方向に解き放たれた。
 セウルを縛ろうとしていた風巻魔法の帯に、疾風魔法が食らいつく。
 轟々と流れる激流に器に掬った水をかけるような些細な抵抗。
 ——だと思われたそれは、予想外の事態を引き起こした。

 パァンッ!!!

 鼓膜をつんざいた破裂音。
 細かな魔力の光の残滓とともに。風船が割れるように風の帯が弾けた。
「ひゃああっ!?」
「……は?」
 反動で吹き荒れた突風。とっさに腕で顔を防いでから、術者のキルアも彼女の後ろに追いついたゼルスも目を見開いていた。
 ただ一人、この事態を引き起こしたセウルだけが楽しそうに笑う。
「やっぱ知らんのな!同属性で同程度の魔法がぶつかり合うと、精霊同士がぶつかって、びっくりして散るっちゅーこと」
「へ!? そ、そんなの知らないよぉ〜!」
「初耳だ……」
 ブンブン首を振るキルアと、目を丸くするゼルス。
 ——つまり。
 キルアが従えた風の精霊たちと、セウルが従えた同じ風属性の精霊たちがぶつかりあった。
 同属性だったからお互いに戸惑って統制を乱してしまい、魔法を構成しきれず、四方八方に散った……わけだ。
 魔法は、精霊たちの統制がなっていなければ成立しない。その大前提を理解してこそ起こせる芸当ではあった。
「そらそーやろな!属性の相剋はハッキリしとるし、わざわざ同属性使おーと思わへんやろ。けど使いどころによっちゃ、コッチの方が楽だったりするんやで!」
 キルアの驚き具合が気に入ったのか、空中を滑って近付いてきて嬉しそうに解説してくる銀髪の鳥族。
 屈託ない笑顔が嘘くさくて、でも本心からのようで、不思議な矛盾を内包している少年だ。
「オマエ、結構な使い手やなぁ。ほんなら今度はコッチから行こか?」
 ぽかんとしているキルアを見て、セウルは陽気な口調で言うと、さささっと文字を書いて笑った。
「お返しや☆ 『天空龍の渦、セフィーナ』!」
 先ほどキルアによって起こされた風巻魔法が、今度は少年の手によって引き起こされた。
 キルアを拘束するように風がとぐろを巻き始める。頭が少し冷えた様子のキルアも慌てて筆記し、応戦した。
「『風の神の加護、レイス』!!」
 先刻のセウルの対応をまねて、同属性の魔法を発動させる。さっきと立場が逆だ。
 風の精霊が不可視の鋭い刃を形成。キルアの回りから放たれたそれらは、彼女を捕らえようとしている竜巻に爪を立てる。
 風の刃を受けた竜巻がぐらりと揺れるが——それだけだ。
 天空龍の渦はやや勢いを削がれたくらいで、先刻のように弾けることなく風を唸らせている。
「えぇえええなんでーーー!?!」
「ひゃっひゃー♪ ほれほれ〜風に呑まれてしまうで〜!」
「うそつきー!!! こーなったらぁ〜!『爆砕猛火、エストール』!!」
 さっきの数倍の速度で筆記したキルアが発動させたのは、火炎魔法の上級派生、爆砕魔法だった。
 四大属性には相克関係がある。水は雷に弱く火に強い、雷は風に弱く水に強いなどだ。基本的に精霊を使役する者や魔術師は、この相克関係を念頭に据えて使用する術を選ぶ。
 風は火に弱い。猛り狂う風の煽りを受け、さらに燃え上がる紅蓮の業火が大気を灼くのだ。
 キルアの手前に生まれた紅の光球は、全方向に熱線を放出、キルアをも呑み込むほどの大きさに膨張した。魔法は術者の意思が反映されたものである以上、術者を傷つけることはない。
(術者が指定したところに熱を凝縮、小規模の爆発を起こす火と雷の魔法……爆発の規模は、術者の能力と、意思を掛け合わせて弾き出されるんだっけな。こいつめちゃめちゃ怒ってるな……)
 人一人くらいありそうな白球を目を細めながら見上げて、ゼルスは思った。
 灼熱の白球が風巻魔法を喰い荒らす。表面を叩く風さえ自分の味方にして、さらに火を噴く。
 地上から見たら、二つ目の太陽が現れたかと思われるくらいの熱量だった。

「ふんふん、相克で対消滅な。それがえーとこやな」
 火花を散らしながらしぼんで行った太陽を見ながら、セウルは頷いた。悪びれる様子もなく、空中で座るポーズを器用にとってからからと笑う。
 一方、大変な目に遭ったキルアは肩を怒らせ、セウルにすかさず喰らいついた。
「ねぇねぇ!どーしてボクがやったら精霊さん散らなかったの!? なんでキミがやった時はできたのッ!?!」
「ひゃははっ、さっきちゃんと・・・・言うたでぇ?」
「へ?」
「しかしオマエ、爆砕魔法も知っとるんか。粗が目立つからまだ覚えたてやろ。ちゅーことは派生魔法教えられるよーな魔術師が他におったんか。そらアイサツせんとな!何処で会ったんや?」
「え?えと、リギストのイールスで、エルフの女の子に教えてもらったよ!」
「ほほーう、あの伝承大好き国家やな。ほんならウチはリギストに行こかな〜♪」
 無防備に答えてしまったキルアに片手を上げて挨拶するなり、セウルはくるっと方向転換して彼女に背を向け、飛び立……とうとした。
 凍てつくような怒気を秘めた青の双眸が、彼を凍らせていた。
「動くな盗っ人。キルア、お前もあっさりペースに巻き込まれてんじゃねぇよ」
 二人が魔法で争っている間に背後に回り込んだゼルスが、弓に矢を構えて立ちはだかっていた。機嫌が悪いらしく、何処となく眉の角度が急だ。
 ゼルスに言われたキルアがキリッと表情を引き締めて、いつでも放てるように魔法の筆記に入る。
 正面には、類稀なる弓のエキスパート。
 背後には、一流の天才魔術師(自称)。
「……はははは〜……♪」
 今度こそ、セウルは渇いた笑いをしてゆっくり両手を上げた。——無抵抗の意。
 ランチを邪魔し、二人を引っ掻き回したサイフ泥棒はようやく御用となった。


 誰も踏み入ったことがない雪山の頂で輝くチェリー。
 その輝きに見惚れていると、視界の外から白い手が割り込んでそれをひょいと摘み上げる。
 つられるまま視線を動かしていくと、赤く熟した実は暗い空洞の中にぱくっと消えた。
「ああぁ〜〜っ……!! ウチの木の実……」
 なぜかイスにぐるぐると縄で縛りつけられているセウルが、名残惜しそうな声を出す。
 さくらんぼを食べた犯人が困った顔をして隣のゼルスに聞いた。
「うーん……ね、食べさせちゃダメ?」
 キルアが食しているのは、セウルが狙っていたあのパフェだった。それをこれ見よがしに本人の真正面で食べている。キルアが食べたかったのもあるが大半がわざとだ。キルアの右手側にはまだ手をつけていないパフェが3つ並んでいる。全部キルア用だ。
 ゼルスは紅茶のカップを片手に「ダメ」と即答した。
「餌付けしたら付きまとわれるぞ」
「それも困るけど〜……なんかカワイソウだよぉ〜」
「なら残したら?」
「む……うーん」
 ゼルスが言うとキルアは黙り込んだ。態度は正直で、瞬く間にパフェが減っていく。残す気はさらさらないようだ。

 三人がいるのは、セウルが行こうとしていた喫茶店だ。
 ゼルスとキルアはそこで悠々と彼の前で昼食をとり、その食後に現在ゼルスは紅茶、キルアはパフェを食べている。
 紅茶を一口飲んでからゼルスは顔を上げた。
「……で。お前はこのパフェが食いたくて、サイフをスったと」
「おっ、やっとウチの話になったなぁ〜。いやぁ、相手を間違ったわ。気付かれてしもーた。スマンスマン」
「そういう問題じゃねぇだろ……セウルっつったっけ。お前、何か前科でもあんのか?」
「前科?せやなぁ、オマエらからサイフスったことやな」
「……へぇ」
「うっわ冷た!ウチはそんな悪人面に見えるんか〜?さっきのオマエらの方がよっぽどやで?いたいけな少年イジメるなんてヒドイで〜」
「誰がいたいけな少年だって……?」
 さり気なく喧嘩を売ってくるセウルをゼルスは半眼で見た
(せっかくだから、なんでゼドに追われてるのか探ろうと思ったけど、こんな遠回しの問いを拾うわけねぇか……)
 少し気になったから聞いてみた。そもそもゼドから今まで逃げ切れているという事実が不可思議でならない。見たところ、身体能力などは自分達と大差ないのに。
 不可解なことは気になる性分のゼルスは何か聞き出せないかとしばし考え込んだが、すぐに諦めた。自分たちが関わるべき領域ではない。
 すべきことは別にある。

「……おいセウル。お前、カルファードの伝承知ってるか?」
 カルファードに来た理由を思い出したゼルスは、あてになるのかわからないが目の前の少年に聞いてみた。
 何気ない口調で聞いた途端、これまで笑顔の絶えなかったセウルがきょとんと目を丸くした。
 やがて突然噴き出すと、大層おかしそうに大声で笑い出した。周囲の目がこちらに向くのがわかった。
「なんやオマエら、伝承なんか調べとるんか?物好きやなぁ〜!知っとるには知っとるけど、やっぱこーゆーのは自分で調べた方がえーで?」
「……ムカつくほど正論だ……」
「お楽しみは後やな!先言っとくと、ココはリギストに近いやろ?せやからココはリギストのモンが主やで。やっぱ正規の情報がほしいなら、中央に行かな〜」
「……つーことは帝都に行くしかないと?」
「そゆこと♪」
 縄で縛られつつも笑顔で言うセウルとは反対に、ゼルスは自分の顔がげっそりしているのがわかった。
 ここライヴェールから帝都レイゼークまで、たかが伝承1つのために長い道のりを行けと?
「ぷはぁ〜っ、パフェおいしかった!ン?ゼルス、どーかしたの??」
「……幸せだなーお前……」
「うぉあっ!ぱ、パフェ消えたぁぁ……」
 パフェを食べることに忙しくて話を聞いていなかったキルアは、完食し幸せそうな笑みで首を傾げる。4つあったグラスは食べ残しなく綺麗にすべて空になっていた。
「仕方ねぇ、レイゼークに行くか……旅行だと思えばいーか……」
「ふえ?レイゼークに行くのっ?やった〜☆ レイゼークに美味しいお菓子屋さんがあるんだよ!」
「ホントにそーゆーことしか頭にねぇんだな、お前……」
 鉛のように重い呆れた息を吐き出したが、しかしこの空飛ぶグルメマップが実際に役に立っているから腹立たしい。
 向かった先々で食事をする際、キルアが真っ先にどこどこのご飯がおいしいと言ってきて仕方なく行ってみると本当においしかったりする。ただしその情報も各国の都と周辺くしか網羅していないらしく、こういう小さな町は範疇外だ。これから脳内マップに書き加えられていくのだろう。

「さてと……」
 ゼルスのカップも空になったところだった。満足げな顔で席を立つキルアに続き、ゼルスも立ち上がる。セウルは……縄で縛りつけてあるから立てない。
 セウルから奪い返したサイフを取り出しつつ、そろそろ縄を解いてやろうかと囚われの少年を一瞥した。
 何処かおかしそうに笑う暗紫色の光と目が合った。
「オマエら、魔王ってどう思う?」
「……いきなりかよ?」
「伝承調べとるっちゅーから、ついでに質問や。何個見たか知らへんけど、何処の伝承も魔王は悪者扱いや。何でやと思う?」
「へ?だって…………あれ?」
 キルアは何を今更とテンポ良く返答しかけ、ふと首をひねった。
 ——彼女も気付いたようだ。『魔王は悪者ではない』ことに。

 両手が後ろに回っている状態のセウルは、そのまま背もたれに寄りかかり、束縛されているとは思えないほどくつろいだ態度で語る。
「魔王は、ルプエナやと人、リギストやと神に追われとる。けど、どっちも魔王自身が何かしたワケやない。っちゅーことは魔王は、少なくともみんなが思とる悪の大王みたいな奴やない」
「いつか征服してやるーふはははは!ってヒトだったんじゃないの〜?」
「なんやねんそれ!さてなぁ、どーやろね。まず『魔王』っちゅー呼び方が間違ってるんやろ。モロ悪役って感じで先入観ミスりそーやないか?正しくは『闇の支配者』や。あ、コレはカルファードの伝承な」
「………………」
「何もしてへん奴追い回して、人も神もどっちが『魔王』だか」
 ……なるほど。
 思い返せば伝承には、魔王が魔王たる所以がないのだ。すっかり「魔王」という呼称に慣れていたから気付けなかった側面だった。
 その呼称を難なく受け入れてしまったのは、ドゥルーグが司る「闇」というものに関係があるのだろう。
 生物は基本的に闇を恐れる。その黒に閉ざされてしまうことが、見えないもの、未知なるものが怖いのだ。
 理解が及ばぬ「闇」を人間は本能的に拒絶する。だからこそ、伝承上でも「闇」は除け者にされる。

 ……それはともかく。
「……セウル。お前それ、自分で考えた結果?」
「ん、せやけど?」
 納得させられるものだったが、それと同時に覚えていた不可解な、疑問とも言えぬ疑問がついて回る。
 自分が知る世間では、一般的に神が崇められている。
 皆が神の立場を尊重する。皆が神を擁護し、魔王の立場に立って考えることをしない。
 世の中には、魔王の視点が欠けている。
「なんか……まるで」
「『魔王の立場みたいだ』?」
 もやもやと頭の中で像を結ばなかった思いに、その言葉がはっきりと形を与えた。
 目の前の少年から発せられた一言。思考を読まれたような不快な感覚に、ぞっとした。
 ——彼は笑っていた。伏せ目の笑顔。……嘲笑?

「……せやろなぁ。光ある世界が当然やと思とるようなヤツらには、絶対に見えへん部分なんやろな。同じように、闇側のヤツらには光側の気持ちはわからへん。……境界ははっきりしとる。絶対に、交わることはあらへんのや」

 鼓膜を這うような陰鬱な声。
 さっきまでの飄々とした雰囲気は微塵も残っていなかった。
 彼から放たれる息苦しいほどの存在感。
 深淵の闇を覗き込み、逆に、そこに鎮座する闇に見据えられたようなこの感覚は——畏怖だ。

「ま、しゃーないコトやけどな!世の中には、こーんなヘンなこと言うヤツもおるんやで〜」
 破顔一笑。
 セウルが満面の笑みでそう言った途端、空気から質量が消え失せた。
 無意識に緊張していた体から負荷が消え、今までの反動で脱力する。体が前に傾ぎそうになるのをテーブルを押さえて止め、ゼルスは努めて平静に言った。
「さ……さんきゅ。面白い意見だった……」
「イイってコトや♪ キルアもどやった?」
 同じく固まっていたキルアにセウルが明るく話しかける。まだ硬直したままの彼女は、びくっと肩を震わせてから泣きそうな顔で小さく頷いた。それが精一杯のようだった。
 二人のその様子に気付いているのかいないのか。セウルは悠長に『伸びをして』、無邪気な笑顔のまま立ち上がった。
「ほな、ウチもう行くわ。久々に楽しかったで!」
 おもむろに直立したセウルの体から、ぱらっと何かが落ちた。
 つられて目線を向けると、少年の足元に輪を作ったのは彼を縛りつけていたはずの縄だった。
「そんやーな〜!」
 絶句する二人を置いて、セウルはくるんっと背を向けて店を飛び出し、手を振る余裕さえ見せて空へ羽ばたいていった。