正反対の表裏一体、

棘の章

第8話 理解の不理解

 世の中には、人の数だけ独自の思考や信条がある。それはわかる。
 その中で普遍的な共通認識が常識と呼ばれるもので、誰しもが少しは納得するものだ。
 それをブチ壊した者は、最初は異端だと見なされ、徐々に先駆者と尊敬されるようになるから不思議なものだ。
 しかし今。ゼルスは尊敬など毛ほどもしたくなかった。

「……おかしいだろ……」
 目の前にある何の変哲もない木製のドアを見て、ゼルスは額を押さえた。
 横にいたヘルメアの男をギッと睨むと、男は「は、はい!?」と身を縮こまらせた。傍には首を傾げているキルアがいる。
「盗賊のアジトっていったら、洞窟か山ん中か森ん中にある小屋だろ!何で一軒家持ってんだよ盗賊が!しかも王都の街中だし!」
「あぁ〜!だから変な感じしたんだ!だよね〜、こんなトコにアジトあったらR.A.Tに依頼来て退治されちゃうよね〜!」
「……なんか珍しくまともなこと言ってる……」
「えっへん!」
「威張るとこじゃねぇ!馬鹿にされてんだぞ!? 嘘くせぇ……」
 ゼルスが疑いの眼差しで一軒家を見るのも無理はない。
 周囲の木造の家と何ら変わりない佇まいだった。目撃されたら一発だろうに、窓に目張りさえもない。この自然すぎる格好が、逆に皆の目を出し抜いてきたのかもしれない。こんな大きな街にアジトを構えていたヘルメアは、実は最先端の盗賊なのか。尊敬に値するのか。いや、したくない。断じて。
 他人不信のゼルスがひとまず相手を信じる基準にしているのが常識と理屈というヤツで、つまり常識破りと理屈に合わないことをされると逆に疑ってしまうのだった。

 キルアがふと、うーん?と不思議そうに首を傾げた。
「あれ〜?? ラクスもイールスに住んでたよね?しかもすぐそこだったよねー?」
「……確かに。一本隣の通りくらいの近さだな」
「気付かなかったのかなー??」
「そう……なのかもな……?」
 灯台下暗しで、こんな近くには探していなかったのかもしれない。
 妙な違和感を覚えつつ、ゼルスはドアの前に立って、ざっと家の中の気配を探ってみた。
 ……特に何も感じられない。さっきのレストランには、全員が出払っていたようだ。
 ザインを除いて五人いたヘルメアのメンバーは、今この場にいない。他の連中はザインを運んでいて移動速度が遅く、付き合っていられなかったので、先にこの男一人にアジトに案内してもらったのだった。
「な~んか中、誰もいないね?おじゃましまーっす!」
 キルアの言うようにセルリアの気配もなさそうだったが、とりあえずドアを開いた。
 ドアの向こうに広がった部屋の中は……金品が転がっているわけでもなく、埃まみれでもなく、脱ぎ散らかした服だらけでもなく。最低限の家具のみで、しかも異常に綺麗だ。食器棚はきちんと収納されており、食卓の上も適度に整頓されていて、清掃もされているらしく埃も見当たらない。
 ゼルスは一気に胡散臭そうな顔になった。
「……掃除当番誰だよ」
「当番制はないですよ。掃除好きが勝手にやってるんです。俺ですけど」
「お前かー!!!」
 明らかに盗賊の家じゃない。それ以前に、ここはたくさんの男が住んでるむさい場所のはずだ。爽やかすぎる。
 背後で「あ、ボクもおそーじ好きだよ!楽しいよね♪」「そうそう!いやぁ、掃除こそ美の集大成っすよね!」とか意気投合している二人はさておき、ゼルスは左側の部屋の奥にドアを見つけた。
 向こう側から妙な気配が漂ってくる。さっき玄関ごしには感じ取れなかった、微弱で特徴のある空気だ。
 案内してくれた男は、仲間達を手伝いに戻ると言って立ち去った。玄関のドアが閉まると外の遠い喧騒も遮断され、部屋には静寂が残る。
「……いそうだな」
「うん、なんか不思議な感じするし〜。なんていうか〜……『何もない』?」
「なんだそりゃって思うけど、言いたいことは分かる」
 ゼルスはベルトにくくりつけてある弓に触れ、気を引き締めた。戦うつもりはないが、何かあった場合はやむを得ない。
 ドアを開き……二人同時に目を丸くした。
「なん……だ?」
「へ……??」
 ドアを開いた先には普通なら部屋がある。しかし今、その自信がなかった。
 部屋の中は真っ暗だった。真っ黒と言った方がしっくり来るほどの暗さだ。一瞬、このドアが壁についたダミーで、そこの壁が真っ黒に塗り潰されているのかと思った。念のため手を伸ばしてみるが壁に当たるような感覚はない。

「……誰だ?」

 闇が鎮座する部屋の奥から声がした。若い男の声だ。
 二人は顔を見合わせてから、辺りに気をつけながら部屋の中に入った。ドアを閉めると部屋の中はさらに黒さを増した。
 気配は……確かにする。だが、ある程度暗がりに慣れてきた目でもその姿が見つけられなかった。
 とりあえず正面を見てゼルスは聞いた。
「あんたがセルリアか?」
「……そうだ。男達を脅してきたか」
「何で真っ暗なのー?お日様入れよーよ〜」
「まだ僕の問いに答えていない。お前たちは何者だ?」
「うわっ!」
「ひゃ!」
 男の声がそう言った途端、真っ暗な世界が白く塗り潰された。闇に慣れかけた目には痛すぎる光量に、二人が顔を背ける。
 目の痛みが引いてからもう一度振り返ると、正面の窓のカーテンを押さえている人影が見えた。
 青空のように蒼い髪に、何処となく警戒した紫の双眸。
 ラクスからもらった似顔絵そっくりの、綺麗な顔立ちの青年がそこにいた。

 ごくりと、ゼルスは唾を呑んだ。
 いつの間にか体は弓に手を添えていた。青年の瞳がそんなゼルスを見据えている。
(……こいつは)
 なんというか……無だ。その存在感は闇のように奥深い。さっきキルアが何気なく言った「何もない」というのが、よく理解できるほどに。
 真昼なのに、カーテンだけで外の光を遮り切れるわけがない。この男の放つ妙な空気がすべてを暗く見せていたのだ。
 蒼の青年の、腰に下げた剣の柄に触れる左手。その立ち姿だけで想像以上の強者だとわかった。
「飛族が何の用だ?なぜここにいる?」
 セルリアは警戒心も露な鋭い声で言った。ちょっとでも妙なことをしたら切り捨てると、言外に殺気とともに含んで。
 長い経験上、殺気を感じたら反射的に臨戦態勢になるようになっている。だからゼルスは一度だけ、ゆっくり深呼吸して体を落ち着かせた。
 今は戦いに来たわけではない。人間関係を断っているセルリアが、訪ねてくる者を警戒するのは当然だ。
 身の警戒を解き、なるべくこの空気には不釣合いな、いつもの声音で言った。
「……そんな警戒しなくても、こっちから仕掛ける気はねぇよ。引きこもってるとこ悪いけど、話をしに来た。あんたが話の通じる相手だと助かるんだけど?」
「今後のために忠告しておこう。無自覚の毒舌は敵を多く作るぞ」
「……性分なんだ、ほっとけ。人付き合い断ってるとこ悪いけど、話がしたい……で、いーかよ」
 ゼルスが言い直すと、セルリアは意外だったのか、ふっと笑んだ。
「いいだろう、座れ。僕と部屋を一緒にする度胸があるのならな」
「ありありだから座るぞ」
「ええ〜〜っ、ボクはないよぉ〜!」
「なら立ってれば?」
「うん、そうする〜」
「って、あのなぁ……」
「……なくてもいいから座れ」
 冗談混じりで言ったゼルスの言葉を鵜呑みしたキルアに、セルリアさえも呆れた様子で言った。
 キルアのおかげで青年の肩からやや力が抜けたので、ゼルスは少し感謝した。自分とセルリアだけだったら、終始、最初のような雰囲気だっただろう。

 全員が思い思いの体勢で床に座ったところで、あぐらで座るセルリアに、正座のキルアがはーいっと手を上げた。
「ボク、キルア!コッチのぷんすか君がゼルスだよ!キミをブン殴りに来ましたッ!」
「ぶん……?」
「キルア、ちょっと黙ってろ。……つーかぷんすか君ってなんだよ!」
「ホラホラ!すぐ怒るもん!ぷんすか君じゃん!」
「……いいから進めろ……」
 早速脱線し始める二人に、セルリアは溜息を吐くしかなかった。
 しかしこれでこちらのペースに引き込めた。ちょっとラッキーと思ったゼルスは、世間話をするような軽い口調で言った。

「お前、レナって知ってるよな?」

 ――直後。
 セルリアのまとう空気ががらりと変わった。
 張り詰める空気。今度こそ、こちらが微動した瞬間、切り捨てられると感じた。
 キルアがぎょっと硬直し、ゼルスも気負けしないように奥歯を噛む。嘘のような険悪な空気になってしまって後悔した。
 こんな雰囲気ではケテルフィール侯爵家に戻ってくれなんて言えない。仕方なくゼルスは別の話題を振った。
「……レナが持ってるペンダント、あるだろ。あれについて、何か盗られるような心当たりないか?」
「……奪われたのか」
「あぁ。で、理由探して三千里ってとこだ」
 できるだけ刺激しないような悠長な口調でゼルスが問うと、セルリアは低く、押し殺したような声で答えた。
 隣では、キルアが目を大きく開いて二人を見比べていた。違う話題を振ったことを訝しがっているのだろう。しかし、この空気が怖くて何も喋れないらしい。
 セルリアは憂えるように目を伏せ、ややあって口を開いた。
「……あれはもともと、僕の主人のものだ」
「妙な言い方だな。その主人は、オスティノのじーさんじゃないな?お前には主人が二人いたわけか」
「……そういうことだ」
 喋ることで少し落ち着いてきたのか、セルリアの気配がいくらか和らいだ。
 そこをさらに、一緒に話を聞いていたムードメーカーのキルアがやってくれた。
 難しい顔をして首を傾げて。
「オスティノのおじちゃんが二人ってコト?」
「………………」
「馬鹿は無視しとけ」
「そうしよう」
「ええぇえーー!? ちゃんと説明してよぉ〜!」
 キルアが殺人的な音量で、悲鳴のように聞こえる大声を上げた。ゼルスは慣れた動作で、セルリアは驚きつつもしっかり耳を塞いでいた。

「……主人は、あのペンダントをなくした。僕はそれを探しに出て……ケテルフィール侯爵家の領地内にあると突き止めた」
「ふーん……主人がケテルフィールの領地に入った理由と、場所がわかる理由が謎だけど」
「それは……まぁいいだろう。領地内に勝手に入って回収してもよかったが、万一、防犯システムに引っかかったりしたら面倒になる。厄介事は避けたかった。……それで僕は、ケテルフィール侯爵家のボディガードになることを思いついた」
 その家の所属になれば、土地を胸を張って歩ける。広い領内をゆっくり見て探せる。そう考えて、セルリアはケテルフィール侯爵家の屋敷の門を叩いた。
 しかし、ボディガードの中で最年少であった彼が回されたのはオスティノの孫娘の傍だった。
 その少女との出会いが、すべてを狂わせた。
 ペンダントのために侯爵家にもぐり込んだセルリアにとって、他のことはどうでもよかった。
 そんな彼だからこそ、可哀想な子だと腫れ物扱いされてきたレナにとっては居心地が良かったのだろう。
 ありのままの自分に接してくれる青年に少女は次第に心を開き、忘れかけていた笑顔を浮かべるようになった。
「……それからだ。僕は、自分のすべきことを忘れ始めた」
 最初の頃はペンダントを探しによく歩き回ったが、いつの間にかレナの傍で日々を終えることが増えた。
 それは剣を捧げた主人を忘れるのと同義だった。
 漠然とした不安を抱きながらも、レナとともにいる感覚は拭い去りがたくて……
 しかし、ついにその日は来てしまった。
「レナ様と庭を歩いている時……僕はついに見つけてしまった。あのペンダントを」
「………………」
「屋敷からずっと離れたところ、まだオスティノ様が手もつけていないような未開の場所だった。誰も寄りつかないような森の中。……そこに、半分土に埋もれるようにしてあった」
 先に、レナがそれを拾い上げた。セルリアは愕然として動けなかった。
 探していたものが見つかった以上、自分は主人のもとへ、それを届けなければならなかった。
 二ヶ月を過ごしたこの屋敷を後にしなければならなかった。
 ついに見つけた主人のペンダント。
 レナと過ごした短くて楽しい日々。
 片方だけを選ぶなんてできなくて……

「———僕は……どちらも捨てた」

 主人の元へ帰ることも、レナの隣にいることも、拒否した。
 早い話が逃げたのだ。二人から見えなくなる場所まで。
「……それで今、盗賊の頭っていう楽な位置にいるわけか」
「アイツらが襲ってきたのを返り討ちにしたら勝手に担がれただけだが、身を潜むにはちょうどいい場所だった。……質問には答えた。用事が済んだなら帰れ」
 セルリアはもはや語ることは何もないとばかりに素っ気なく締めくくり、口を閉ざした。
 話を聞き終えたゼルスは額を押さえた。
(……そうかよ)
 彼の事情、懐いてくれた幼い少女を裏切りたかったわけではないことはわかった。
 でも……答えが足りてない・・・・・・・・・

「どーして、れーちゃんのところに帰らないの?」

 喉まで言葉が出かけたゼルスより先に、キルアが声を出していた。
「ご主人サマより、れーちゃんの方が大事になっちゃったんでしょ?なのに何で帰らないの?」
 正座していた状態から前に乗り出し、両手を板張りの床に叩きつけ、キルアは続ける。
「そのご主人サマのトコ、辞めればよかったじゃんっ!どーして何もしようとしないの!? れーちゃんはキミを待ってるのに!!」

 ――ドゴォ!!

 凄まじい衝撃音が床を震わせた。
 驚く二人の目の前で、固く、固く握られた青年の拳が床を穿っていた。
「……お前に何がわかる」
 その拳に込められた感情の束は、二人には伝わらない。
 ただ、ずっと静謐だったセルリアの紫の瞳にひどい怒りが渦巻いているのだけは分かった。

「『あの人』と『僕達』が、どれくらい絶対的な関係なのか。お前らにわかるものか!!」

 金で雇われたような関係じゃない。
 王に忠誠を誓った騎士ともまた違う。

 自ら繋いだわけじゃない。
 自ら繋がれているわけでもない。
 空気のように、なくてはならず。
 影のように、切っても切り離せない絶対的な存在。
 そんなもの、彼ら・・に理解できるはずがない。



 声を失っていた二人がはっとした時、いつの間にかセルリアの姿は目の前から消えていた。
 悲鳴のような叫声が耳の奥に焼きついていた。