正反対の表裏一体、

棘の章

第7話 食事中の幸運

 おいしい物を食べている時は、大体の人は幸せの絶頂にいる。
 ズルズルと麺をすすり、ズズズっとスープを飲み干し、キルアはぷはーっと満足そうに息を吐き出した。満面の笑みできゅっと手の甲で口元を拭いて、そのままシュタッ!と挙手して。
「おじちゃーん、おかわり〜!!」
「……お前、ホントよく食うな〜……」
 ゼルスは彼女の両サイドに積まれているどんぶりを見て、もはや驚きを通り越し呆れた顔で言った。
 見ていると大して食べるスピードが速くはないが、なぜだかいつの間にか1皿完食している。脅威である。
 リギストの王都イールスの郊外まで移動した二人は、近くの小さな町でひとまず腹ごしらえをしていた。
 箸で切り取った焼き魚の身を食べたゼルスが、ふと口を開いた。
「ところでお前、自分のサイフのこと考えてるんだろーな?」
「へ?」
「……まさかお前、考えてなかった〜なんて言わないよな?」
 嫌な予感を禁じえないゼルスが聞くと、麺に食らいついた格好だった彼女はにっこり微笑んで。
「うーんとね、お金間に合わないよ♪」
「結局考えてねぇんじゃねーかよ!!」
「エ?だって、『考えてなかったーなんて言わないだろーな?』って言うから……」
「アホか!こーゆー時だけ無駄に頭使うな!」
 遠回しに言った言葉を真に受けていたキルアに言ってから、ゼルスは大きな溜息を吐いて彼女の皿を見た。ラーメンがいつの間にか半分まで減っている……。
 一般的にこういう庶民の食堂では、所持金が間に合わなかった場合、その料金分その店で働かされる。現時点ですでに、1皿約500円×11皿は払わなければならない。コイツ、そんなに金持っているんだろうか。

 質素な店内はやや年季が入っていたが掃除が行き届いているらしく、埃1つない床が光っていた。1つ不愉快なのは、同じ店内だということを良いことに飛族の自分をジロジロ見てくる奴らがいることくらいか。こればかりはどうにもならない。
 何処の国でも同じだな……と心の中で呆れていると、ふと正面から視線を感じた。
 ゼルスは振り向いて、ぎょっと身を引いた。ラーメンを食べる手を休め、キルアがニコニコこちらを見ていたからである。
「えへへー♪」
「……な、何だよ」
「ボクさー、少し前から思ってたんだけど〜」
「はいはい……何?」
「誰かと一緒に食べると、ご飯っておいしーね☆」
 それは言外で「今まで一人だった」と言っているようなもので、しかもキルアのことを何も知らない自分は何も言えず。ただ沈黙するが、彼女は気にせず続ける。
「ゼルスは家族いるの~?」
「……義理ならいる」
「いーなぁ〜、いい家族なんだろーなぁ〜」
「まだ何も言ってねぇぞ……」
「『家族』って認められるってコトはいい人たちなんデショ??」
 もちろん世話になった義理の家族は『家族』だ。いやに論理的だから言い返せないと同時に、この先の話を大よそ把握してしまう。
 ラーメンの褐色の水面を見下ろし、キルアは言う。店内を満たす喧騒が遠く感じた。
「ボクもね、一応いるんだよ。義理の家族。でもね、『家族』じゃないから」
「………………」
「ボクを拾ってくれたのは、おじさんなんだけど、おじさんいなくなっちゃってね。そしたら……ボクを嫌ってた奥さんが……」
「いい。大体分かったから」
 無理に聞く気も言わせるつもりもなかった。ゼルスが静かに制すと、キルアは「そぉ?」と首を傾げてから羨望の眼差しで溜息を吐く。
 実にあっけらかんとした口調で、しかし笑うこともなく怒ることもなく、ただ真剣な顔で。
「いーなぁ、ゼルスは楽しそうで。竜族と鳥族の差なのかなー?ボクらと違って、竜族は郷がまだあるデショ?」
「………………」
「鳥族はね、みんな竜族キライなんだ。でもゼルス見てると、竜族は鳥族のコト、何とも思ってないみたいー?それってひどいなーって」
 もし彼女の人生が、そのせいで狂ったのならば。
 その補償は誰がする?どう贖罪する?
 なぜなら、たった6年前にできたばかりの大きな溝を、埋めるはずの当事者はすでにいないのだ。

 人間達のあずかり知らぬところで、彼らの社会は続いている。
 6年前、竜族が鳥族の集落を滅ぼした。
 鳥族は散り散りになって逃げ、今では消息不明となっている。
 その後、頭が冷えたらしい竜族は、自分達の犯した過ちに恥じ当事者の同族たちを粛清した。
 そのせいか竜族では、あの事件は解決したと思っている気がある。特にゼルスはまだ子供だったし、戦場に駆り出されてもいないから他人事のように感じていた。
 しかし鳥族は、目の前の彼女のように決して忘れてはいない。許してはいない。
 この胸の軋みは、今後ずっとついて回るのだろう。
 たとえ自分が直接関わっていなくとも、彼らにとっては大差ないのだ。この翼がある限り、自分もそういう目を向けられる一人なのだろう。
 当事者はさっさと逝ってしまった。
 残されたのは、決して軽くはない残滓だけ。
「別にゼルスは悪くないけど!今さらどーしようもないしね~」
 いつの間にか黙りこんでいたゼルスに、鳥族の少女はこざっぱりと言い切った。

 どうも棘のようなものが引っかかる。
 ゼルスが答えずにいると、キルアは再びズルズルとラーメンを吸い込んでいく。ゼルスは逆流する黄色い滝をぼんやり見つめる。
「——そういやさ、フェリアスを中心に荒らし回ってる〈ヘルメア〉っていう盗賊団がいるだろう?」
「あぁ、盗賊団にしちゃ血の気の多い奴らっていう」
「ちょっと噂で聞いたんだけど、そのヘルメアのリーダー、団員の男達より若い超強い凄腕剣士なんだってさ」
 自分の手元に視線を移すと、冷めかけのご飯が少し残っていた。それを何気なく口に運ぶ。正面からは、ガッチャンと固いものがぶつかり合う音がして「おじちゃーん、もっかいおかわりー!」とか元気な声がする。
「え、ヘルメアのリーダーって、あのザインだろ?」
「それがさ、一月くらい前にその剣士に代わったんだと。ザインは団員になっちまったって」
「あのザインを越える若い剣士ねぇ」
「体つきのいいザインと違って見た目から強そうな戦士ってわけでもないんだよ。なんていうか、気迫が圧力的で強そうなんだ」
 食後の紅茶に角砂糖を加えて、スプーンで静かにかき混ぜる。
「気迫で強そうって、お前本人見たのか?」
「たまたま遠くから見えたんだ。巨漢のザインと並べて見ると小さく見えるが、背は高い。蒼い髪だったな。何つったかな……あ、そう、セルリアだ!セルリアって言ってたな!」

「——その話」
 コツンと、テーブルに響く小さな音。
 会話していた二人の男が振り向くと、いつの間にか傍に立っている竜族がいた。
 隣席だった男達のテーブルに、飲み干した紅茶のカップを置いたゼルスだった。
「詳しく話してもらおーか」

 ――さっきのキルアの話を聞いて。
 もう何年も、過去から目を逸らしてきたことを思い出してしまった。
 その奥にあった大事な記憶さえ封じ込めていたことも。
 思い出したから、納得した。
 人に関わりたくないのに、どうしてオスティノの依頼継続を引き受けてしまったのか。
(……俺が、諦めたくないんだ)
 飛族間の事件とか、キルアの家族事情とか、自分が一族から去った事情とか。どうにもならなくて現状を受け入れるしかないものは多い。
 でも、セルリアとレナの事情は、きっとまだ行き詰まっていない。取り返せるかもしれないのだ。
 二人のためじゃない。これは自分のエゴだ。

 二人の男は真っ先にゼルスの背中の竜の翼が目に入ったらしく、驚いた顔をした。彼の後ろで、相変わらずズルズル元気に12杯目のラーメンを食べているキルアも見て目を丸くする。
「ヘルメアっつったな?何処に行けば会える?」
「……あんた、ヘルメアを狩るつもりかい?飛族たって限度があるだろう。無理だって、やめとけよ」
「いいから答えろ」
 刈り上げ頭の男の呆れた声に苛立ったゼルスが低音で言うと、男は怯えて口を閉ざした。代わりに、もう一人の短髪の男が意外と親切な口調で語る。
「ヘルメアはこの辺を荒らし回ってるから、きっとそのうち会えるよ」
「狙われやすそうな場所とかは?」
「ヘルメアは食料目当てで襲ってくる場合が多いんだ。例えばこういう食事処は、絶好の的……」
「お、おい!」
「なんだよ、うるせ……」
 先ほど口を閉ざした刈り上げ男が割り込んできて、ゼルスが文句を言いかけた瞬間。

 ドガァ!!

 レストランの木製ドアが、派手な音を立ててぶち破られた。
 外にいた人々が悲鳴が上げて走り去り、店内にいた客達も声を上げて身を縮める。
「うるせえ!! 静かにしねぇと殺すぞ!!」
 野太い叫び声が響き、しんと場が静まった。
 ドアを破ってきたのは筋肉隆々の大柄の男だった。手に持った斧を近くのテーブルの客達に突きつけながら、彼は後ろに控えていた数人の仲間達を呼び寄せる。
 客たちは食事の手を止め、声もなく恐怖に身を硬直させていた。男達は厨房の方へと向かう。
 息をするのも恐ろしいような沈黙の中、ゼルスはつまらなさそうな目で男達を見てから、さっきまで話していた男に小声で聞いた。
「アイツらか?」
「あ……う、うん。先頭のデカイ男がザイン」
「いろいろサンキュー」
 あの男がザインなら話は早そうだ。アイツを一瞬で伸せば、他の男達は戦意喪失するだろう。一人ひとり相手するのもめんどいし、一網打尽にするならそれだ。
 誰も微動だにしない中、のん気に自分の席に戻るゼルスはいたく目立つ。しかしそれより目立っていた奴がいたので因縁をつけられることはなかった。
 ゼルスがのんびり座った正面からする、ズズズーッと麺をすする音。
「おい、そこの鳥族のガキ!! 何のん気にラーメン食ってやがる!!」
 片手に斧を持った男——ザインが、ラーメンをすすっているキルアを指差して叫んだ。その大きな声でようやく気付いたらしく、キルアはふと顔を上げて首を傾げる。
「あれれ、なんか静かになってない〜?」
「状況見ろよ……客だ」
「あ、ホントだ。ねぇねぇゼルス、このラーメンおいしーよ!何杯も行けちゃうよ☆」
「ってお前、俺がちょっと目を離した隙に2杯食いやがったな!? あれで終わりっつったろ!」
「えー、あともーちょっと〜」
「とか言って2杯食う気だろ!それで終わりだ!おいおっさん、もうラーメンいらねぇぞ!」
「ええ〜〜!? そんなぁ〜!」
「おいてめぇらぁああ!! 無視してんじゃねえぞ!!」
 ゼルスが厨房に向かって声を張り上げ、キルアがこの世の終わりみたいなショックな表情をし、それより大きなザインの怒号が噴火したような勢いで響き渡った。
 ビリビリと空気が振動する大音声に、二人ではなく周囲の客たちが身を縮み上がらせる。
 ザインは斧で二人を差し、団員達に声を張り上げた。
「我慢ならねぇ!! 野郎ども、アイツらを潰すぞ!!」
「「「おう!!」」」
 同じく怒りを覚えていた団員達は、ザインの怒りに呼応して二人に迫ってきた!
「おい、お前とラーメンの責任だぞ」
「えーゼルスがなんとかしてよ〜!ボクはラーメン食べるのに忙しいっ☆」
「なんでお前の始末を俺がするんだよ!?」
「死ねェ!!」
 先頭を切ってやってきた男が剣を振り上げる。随分と古びた剣を相手に、ゼルスはテーブルの上にあったフォークで受け止めた。
 どうやら、フォークの方がずっと強度が高かったらしい。もしくは錆びた剣の方が当たりどころが良すぎたか。剣はフォークにぶつかった直後、そこから上が吹っ飛んだ。
「んなーーー!!?」
「おいおい、やけにボロそうな剣だとは思ったけど、フォークに押し負けて折れる剣なんて聞いたことねーぞ……商売道具ならちゃんと手入れしろよ」
「た、確かに脅すだけだし、剣って商売道具か……」
「って、お前ら口だけの盗賊かよ?殺しはしないって?」
 何気なく話しかけたら、ぽろりと本音が出た。半ば呆れてゼルスが問うと、切りかかってきた男と後ろにいた二人がブンブンと首を振る。
「い、いやその俺は……」
「こ……殺すなんてできない、無理無理」
「お、俺も俺も」
「……俺は好感を持つべきなのか、憐れむべきなのか……」
 プロの泥棒は殺しはしないと言うが、コイツらはどう見たって素人だ。ゼルスは何とも言えない気持ちで額を押さえた。

 ふと、男の一人が思いついたように声を上げた。
「あ、でもザインさんは……」
「おい、このクソガキ!いつまでラーメン食ってやがる!!」
 その声は本人の大声に押し潰された。
 全員がそちらを振り返ると、キルアの頭スレスレに斧を突きつけているザインと、味噌ラーメンの汁をごっくごっくと飲んでいるキルア。
 空になった器をとんっと置いて、幸せそうな笑顔で少女は言う。
「ぷはー、おいしかったー♪」
 ザインの頭から小さな音が聞こえて、風が唸り甲高い音が響いた。
 寸前で手を引っ込めたキルアの目の前で、斧の重量と勢いでラーメンの器が粉々に砕け散ったのだ。
 キルアは、眼前で粉砕された器の亡骸を呆然と見つめた。
 やっと彼女の動作を止めたことに満足したザインが、小さく嘲笑し……

「食器になんてコトするんだぁあああーーーッッ!!!!!」

 ……ようとした直後。キルアの拳が、真下からザインの顎にクリーンヒットした。
 食べ物と友人関係でもある食器をもてあそばれて、食べ物親善大使が黙っているはずがなかった。
 ザインはそのまま中空を舞い、頭から落下。遠目に見ても、大男は完全に目を回していた。
「ザインさんが!? 嘘だろ!?」
「お、おい撤収するぞ!!」
 リーダーを少女に一撃で倒された男達はどよめき、我先にと逃げ出そうとする。
 だが、いつの間にか彼らの後ろには竜族の少年が回り込んでいた。震え上がる男たちに、ゼルスは腕組みをして言う。
「おいお前ら、ヘルメアって連中だな?親分はセルリアか?」
「ひい……そ、そうっす。ザインさんより強くて……へへ、セルリアさんの剣術は綺麗なんすよ」
「お頭になることを拒否しなかったのに、欲っていう欲もない凄くいい頭なんです。なっ?」
「「おう!」」
 セルリアの名前を出しただけで、勝手に誇らしげに語り始めた二人の男。どうやらセルリアの方が好感を持たれているらしい。
「じゃあじゃあ、ボクらもそのセルリアってヒトに会いたいな~!連れてってよ!」
 さっきまでラーメンの器に黙祷をしていたキルアが、思い出したように割り込んできた。
 男達は困った顔をした。
「せ、セルリアさんにっすか?う、うーん……」
「前に何かあったみたいで、あんまりアジトの奥から出ようとしないんですよ」
「もし訪ねてきた人がいたら、追い返せって言われてて……なぁ?」
 聞く限り、セルリアは現在は人との関わりを断っているようだ。
 しかし自分達は彼に会い、レナの屋敷へ帰るように説得しなくてはならないのだ。
 それに——

「……キルア」
「んー?」
 倒れているザインをぼんやり瞳に映したまま、竜族の少年は相方を呼んだ。
 自分はいずれ、キルアと……ひいては過去と向き合う必要があるだろう。
 しかし、どうやって向き合えばいいのか、まったく見当がつかないから……
「……少し、時間がほしい。俺なりに整理したいから」
「んと……むむ?ボクは時間持ってないからあげれないよー?」
「あー……ちょっと考えるから、待ってろってことだ」
 なんとなく空振りしたような無念さを抱きつつ、ゼルスはふっと笑みをこぼした。
(そんな根詰めて考えるなんて、らしくないか)
 キルアも実に淡白に語っていたし、それくらいがちょうどいいのだろう。

 ゼルスは少し楽になった胸に空気を取り込んで、それから、話が見えずにきょとんとしている男達に視線を移し笑った。……何処かニヤリと。
「で、セルリアが人付き合い断ってるって?なら強行突破だな。お前ら戦る気はあんのか?」
「えぇぇ!?」
「い、いやいやいや!!」
「貴方がたの不戦勝でどうぞ!!」
 三人揃って身を引いた。予想通りの従順な態度に、よしっとゼルスは満足げに頷いた。
「ってことで、お前らは今俺らに負けた。そんじゃ、とっととセルリアのところに案内しろ」
「へい!こっちです!」
「ゼルス、悪党っぽいー!」
「嬉しくねぇ……」
 ゼルスは嘆息して、先行する小柄な男の後に続きかけ、ふと思い出して足を止めた。
「あ、メシの代金払ってねぇな。キルアが払うのは金じゃなくて労働力だけど」
「そうだったー!! 二人で頑張んなきゃ!」
「何で俺まで手伝うことになってんだよ……一人でやれ」
「ええー!? やだ~~!置いてかないでよぉ〜!!」
「……あー、わかったわかった。待ってるから元気に働いてこい」
 こういう時のキルアは丸っきり子供
ガキ
だ。本当にお守りしているような気分になってきて、ゼルスは面倒臭そうに言った。
「いやいやいや!!!」
 ヘルメアの男達に待ってもらおうとしたゼルスを遮ったのは、厨房から飛び出してきたおじさんだった。給仕スタッフと服装が違うところを見ると店のオーナーらしい。
 鼻息の荒いオーナーはキルアの手を両手で握り締め、熱の入った声で言う。
「あの男達を追い払って下さって、感謝してもしきれません!すばらしいアッパーでした!お金はいりません!」
「へっ!? おじさん、いーの??」
「マジか、助かった……あのバカ食いだし、どんだけ待つんだと思ってた」
 キルアはぐっと拳を突き上げて。
「じゃー、気を取り直してー!れっつご〜!」
「「「おおー!!」」」
 いつの間にかキルアに意気投合している男三人の声が重なった。