正反対の表裏一体、

棘の章

第6話 太陽と影

 ゼドたちがケテルフィール侯爵家を去った後、シドゥはペンダントを見せて言った。

  『これ何なのか気になる?もちろん秘密。ああ、
ディアス
のアンタは触らない方がいいよ?』

 あまりに強い闇の気配なので『本人』かもしれないと思ったが、正体は小さなペンダントだった。
 何かしらの魔法がかかっているのは感じられたが、自分は近付けないのでそれ以上のことは分からなかった。
 訳知りのシドゥを追うしかないが、それも先ほど見失ったところだ。
「………………」
 ゼドは空の上から街を見下ろしていたが、諦めて目を離した。普段から無表情だが、何の当てもなくなった今は輪をかけて空虚に見えた。
 ――振り出しに戻った。
 ゼドは
ラグナ
の気配を探している。しかしシドゥをはじめ、闇の眷属たちは弱体化しており気配がまったく掴めない。
 だから異様に強い波動を放つあのペンダントはますます奇妙なのだが、今はその気配も途切れていて、所持しているはずのシドゥを追うことは不可能。
 少女だけなら捕まえることは容易いはずなのに、『もう一人』いると途端にすり抜ける。
 近付こうとすれば不可視の壁に突き当たり、その間に雨や雷の幕が引かれ、上がった頃には向こうには誰もいない。
 天から盤上を俯瞰し、一手を打つような采配。
 ゼドはぼんやりと、澄み切った空を見上げた。
「……ノア。見ているんだろう」

≪……見てるけど?≫

 虚空に放たれた声に返答があった。
 空の蒼に染み渡るような響き。元は好青年だろうに、言葉の節々から滲む嫌悪がすべてを台無しにしている。空から降ってきたのはそんな声だった。
 ノアと呼ばれた声の主は、刺々しい口調で続ける。
≪あんまり声かけてほしくないんだけど。お前に気安く名前も呼ばれたくない。俺はお前と話すことなんかない≫
 相手がゼドの時、この声は変貌する。それを知っていてなお、ゼドは無関心に問う。
「世界を視るお前なら、すべて見えているだろう」
≪見失ったから俺の視界を頼ろうって?は、図々しいな。敵同士なのわかってる?≫
「主の元から去ったお前が手を貸す理由があるのか」
≪それとこれとは違うだろ≫
 ゼドの的確な指摘にノアは忌々しそうに吐き捨てた。空の向こうで、彼が睨んでいる様子が想像できた。
 そんなことはどうでもいい。自分が聞きたいのは——
「答えろ。……お前らの主は何処にいる」
 何処までも無感動な瞳のまま。鏡のように情景のみを映す目には、使命を果たせずにいることへの焦燥も苛立ちも何もない。
 ノアは沈黙の後、嘆息とともに呆れ切った口調で言った。
≪……お前、本当に何も感じないんだな。じゃなきゃ俺に声をかけてくる理由が説明できない。お前があの人を取り逃がしたのも、たった今リラを捕まえ損ねたのも、どっちも俺がフォローしたからだ。俺はことごとくお前の邪魔をしてるわけだよ。気に食わないとも思わないの?しかも、俺がなんで手を貸しているのかも分からない?俺だってあの人の眷属には変わりないのに?≫
「……何の話だ」
≪だろうさ……どうせお前には理解できない。一度だって理解しようとしたことがない≫
 この二人は、突起のない歯車と突起の大きな歯車だ。ゼドにはノアの言葉を理解する思考はなく、ノアにはゼドにわざわざ説明する気がない。
 空回りし、空虚に軋む一方的な感情。
 無関心な奴に感情的になるのは無駄とは分かっていても、嫌悪が強すぎて無視ができない。ノアは少し自分を落ち着かせた。
 こいつは無感情だから、こちらが何かしらの答えを提示するまで愚直に問い続ける。怒りを吐き出すように深呼吸をしてから、ノアは口を開いた。
≪……あの人は今、大陸を巡ってる。気配が弱すぎて現界の者に紛れてる。あっちから声をかけられないと俺でも何処にいるかは分からない。お前が探すことは無理。諦めたら?≫
「……大陸を巡ってどうするつもりだ」
≪観光だよ。千年ぶりの現界だから。お前の主人だってそうだろ?≫
「主は違う」
≪どうでもいいよ≫
 不機嫌そうに言い切ると声は掻き消えた。ゼドは視線を前に戻す。
 探すのは不可能。大陸を巡っていれば、再びと運良く鉢合わせるかもしれないが……確率はあまり低い。かと言って、奴があの場所・・・・に着いた頃では遅すぎるのだ。


 花も凍てつく真っ白な雪原が、日光で少しだけ和らいだような。
 自分たちの存在によって、レナの心はそれほどに落ち着いていたのだと……ゼルスとキルアは氷のように動かなくなったレナを目の当たりにして、思ったのだ。
「れーちゃん……すっごいショックだったんだねー」
 いくら話しかけても反応しなかった少女を思い出して、空を飛ぶキルアはアメを口にくわえた。
 ペンダントを奪われたレナは抜け殻のようだった。彼女の今までのかすかな心の機微は、あのペンダントがあってこそだったのだろう。
「そりゃ……セルリアのと思い出の品だしな。唯一だったから余計にだろ」
 鳥族の少女の隣を飛翔するゼルスも、少し重い口調で言葉を重ねる。
 帰ってきたオスティノにすべてを打ち明けた。ケテルフィール侯爵家に来た本当の理由、シドゥ達の奇襲による結果、何もかも。
 彼は何も言わず、二人に向かって頭を下げた。

  『私からもお願いいたします。ぜひ、セルリアを探し出していただけないでしょうか。……それから、私の今の依頼を引き継いでペンダントも取り返していただけないでしょうか。報酬は上乗せします』

 まさか大貴族に頭を下げられるとは思ってもおらず、さすがのゼルスも驚いた。
(……あのペンダント)
 鮮烈な赤色がまぶたの裏に焼きついている。
 レナと面識もないシドゥは、なぜ外部から奪いに来たのか。
 逆に、レナと親密だったセルリアは、なぜ何も言わずに消えたのか。
「もうルプエナにいないのかなぁ?」
 お菓子を片付けてキルアが聞いてきた。主語がないので、ゼルスは倍にして返す。
「セルリアはそうかもな。世界の情報を一手に握ってるはずのオスティノのじーさんが探してほしいって言うくらいだぞ?国外って考えた方が自然だ。距離がある分、どうしても国外の情報はこぼれがちだからな。シドゥは……会ったら万々歳だ」
 シドゥの行く先に見当がつかないゼルスは、今の自分に対する呆れも含め深く溜息を吐いた。
(……どうしてこうなったかな)
 人に干渉されたくないし、人にも干渉したくない。
 常に一線を引いておきたい。信用することも、されることも避けたい。裏切られる可能性も、裏切る可能性も否定はできないから。
 自分は自分、他人は他人。
 それでもオスティノの頼みを受けてしまったのは、なぜなのか。
「……セルリアには面貸してもらわねーとな」
「ん?? ボッコボコにしちゃうの?」
「あぁ、レナの前から消えたのが自分勝手な理由ならボッコボコだな。……どんな理由でも殴る気はするけど」
「いえーいボッコボコ〜!☆ そしたら、セルリアはボクらの言うこと聞いてれーちゃんのトコに帰るかも!」
「お前なぁ……」
 自分は心理的に殴っておきたいだけなのだが、キルアはそういう浅はかな思惑があるようだ。もしかしたら、こいつの方が奥底では冷静かもしれない。
(……でも確かに、説得を受け入れる程度ならこんなことにはなってねーよな。結局、武力行使は必要か)
 セルリアは所属しているわけでもないR.A.Tでも名が知れていた。一筋縄には行かなそうだとゼルスは嘆息した。

 ケテルフィール侯爵家を去った二人は、オスティノがセルリアを探せないのなら恐らく国外だろうと踏んで、ひとまずリギストに向かっていた。
 国境の町ラーダが見えてきたし、そろそろリギストに入る頃だ。
 ふと、空中に見慣れない人影を見つけた。その特徴的な大きな羽を視認するなり、ゼルスは声を上げていた。
「おい、あれ……!」
「なになに? ……あっ!?」
 短くやりとりするなり、二人はその人影の元へ急いで近付いた。
「やっほー!☆ ひっさしぶり〜♪」
「……お前……ゼドって言ったっけ。この間はどーも」
 第一声、キルアは相変わらずのテンションで、ゼルスは何処か恨めしそうに言った。
 ケテルフィール邸で本気を出されていたら敵わなかったが、それでも手加減された悔しさが否めないのだった。
 ゼルスがそんな気持ちだったからか、代わりにキルアが「あ、そーだ!」と手を打った。
「ゼド、シドゥと一緒だったよね?ボクら、探してるんだ~!」
 しかし、羽から返って来た言葉は冷ややかだった。
「さっき立ち去った」
「何処に行ったのかもわかんないー?オトモダチじゃないってコト?」
「……そういや、利用されたっぽいこと喋ってたっけ。なんか主人のためとか」
 やっと落ち着いてきたゼルスが、何とはなしにそこまで紡いだ直後。

 ビュッ!と耳元で風が勢いよく裂けた。

 理解が追いつかず体が硬直した。
 目だけで横を見ると、自分の横顔が映る銀の刃があった。
 前に目を移すと、無機質な翠玉の瞳に間抜けな顔をした自分が映っていた。
「……な……何だよ?」
 大剣を頭の真横に突かれたらしい。理由が分からず、それしか言えなかった。
(どうなってやがる……)
 ゼルスは久しく感じたことのない戦慄を覚えた。今更のように冷や汗が噴き出る。
 微動するのも、こちらを振り返るのも、大剣で突かれる瞬間も、何ひとつ見えなかった。彼がその気であったなら自分は死んだということにも気付かないまま死んでいただろう。
 キルアを見ると、彼女も唖然とゼドを見つめていた。どうやら自分の視認ミスではない。

 ゼドが剣を引く。解放されたゼルスは、やっと息を吸い込んだ。
「……とにかく……シドゥとは何か訳ありでタッグ組んだわけな?」
 ゼルスは意識的に体の緊張を解きながら、無意識に身を引いて問いかけた。
 この青装束の人知を超えた能力を身をもって実感した今だからこそ、さらに謎は深まる。
 確かにゼドは、シドゥに利用されたようだった。しかしシドゥは自分達と同等レベルだったし、彼が万一にも遅れを取る相手ではない。それがなぜ?
 得体の知れない鳥族は、口を開いた。
「銀髪の鳥族を見なかったか」
「……完璧に無視かよ……」
 答える義理も理由もないと判断したらしい。いっそ華麗なまでに聞き流された。
 ゼドの問いに答えたのは、不思議そうに首をかしげるキルアだった。
「へ……?銀髪の、鳥族?? キミのコトじゃないの?」
「……?」
 ゼドの能面がかすかに訝しげな色を含んだ。おもむろに自分の髪を摘み上げ、その一房を一瞥し納得した様子で手を下ろす。
「ってお前、自分の髪知らなかったのかよ!!」
「興味がない」
「いや最低限、自分の見た目くらい知っとけよ?!」
 思わず突っ込みがましく言ってしまったが、そんなスタンスでやっていけるなんて有り得ない。
 人は自分の容貌、身体能力、性格など、すべてとは言わずとも大体理解した上で、是非の判断をして行動しているのが普通だ。それを把握してないなんて、一体こいつは何を基準に行動しているのか。

「銀髪の鳥族って、じゃあキミの他にも鳥族いるの!?」
「……ああ」
「ほんとっ?! ボクもね、同族探してるんだ!ゼドもそのヒト、探してるの〜?」
「追っている」
「……もしかしてタックル野郎か?」
 リギストのイールス上空で、二人は何かを追っていたゼドと初めて出会った。あの時、キルアにタックルして消えた奴のことだと考えるのが妥当だろう。
 ゼルスが聞いてみると、ゼドは背を向けた。
「見かけたら言え」
「ってスルーかよ!」
「お前達には無意味だろう」
「なんか基準おかしいだろ……もういいけど……」
 ここまで無駄だと切り捨てる奴は珍しいというか変というか。もはや呆れて、ゼルスは諦めた。どうせそうなんだろうし。
「うんっ、わかった!見かけたら教えるね☆」
 大きな羽にキルアが手を上げて言った頃には、鳥族の青年は遥か遠くの空へと飛翔していた。
 それをかろうじて視認して、目が点になっていたゼルスは、数秒してやっと溜め息を吐いた。


 ……………………


 「自分」はずっと常闇にいたのだ。

 それが苦だったわけでもなく、最初からそういうものだと知っていたし、何より自分の存在を肯定する唯一のものだったから。
 だから――そこから出るべきではなかったのだ。

 瞼の裏に焼きついた少女の笑顔は、眩しかった。
 自分の闇を、太陽は無慈悲なまでに照らし尽くした。
 自分を肯定してくれる新たな存在は、あたたかくて。
 ――そして気付いてしまった。
 背後に伸びる影は、永遠に自分について回るということに。


「羨ましいご身分だねぇ?」
 閉ざした瞼の裏の暗い世界に浸っていると、くつくつと笑い声が聞こえてきた。
 目を開くと、真っ暗闇の部屋の中、背後から光が入っていた。外部の光で切り取られた自分のシルエットが壁に映っている。
 若い少女の声が、その年に似つかわしくない険悪な色を含んで響く。
「のんびり現界の者として下町暮らしなんて、そりゃ大層満足してるだろうね?いや、アタシはアンタが羨ましいなんて全っ然思わないけど。自分の使命と存在理由から逃げて、いっつも自責の念に駆られてるなんてさ?」
 ゆらりと現れた少女の影が、ドア枠に寄りかかって嘲るように続ける。
「あーあ、闇の眷属はみんなバラバラだな。まさか真面目なアンタが、音沙汰なくいなくなるとは思わなかったけど」
「………………」
「あの人もアタシも優しいから止めないけど、何処まで行ってもアタシたちは異端者ってコトは忘れるなよ。そういう馬鹿な『先例』を知ってるはずだよ?」
「……お前は」
「ん?」
「お前には……迷いはないのか」
 当然のように言い放つ少女の声に対し、自分は低い声で言い返していた。
 少女は一瞬の逡巡もなく。迷いなど塵すら存在し得ない返しで。
 掠れるほど小さな問いに、仰々しい口調で答えた。
「もちろん、アタシは主のお望みのままに」