うろのはなし

realistic

 こういうものには、手をつけない方が賢い。  目の前に置かれた、自分の好きなジャーロンの紅茶。その赤い水面を見つめてから、フィレイアは視線を正面に上げた。  自分のいるところからまっすぐ細く伸びる、白いテーブルクロス。その左右には、それぞれ三人ずつ並んで座っており、紅茶のカップの数も合計6個。自分と、テーブルの反対側、自分の正面の分とを合わせると、全部で8個だ。  自分と向かい合わせになっているのは、暗めの青い髪の見知った青年。  ――新参謀スロウ=エルセーラ。 「おやフィレイア様、飲まれないのですか?」 「……ええ、喉は渇いていませんから」 「あら、ジャーロンティーはお嫌いなのかしら?」 「ええ、残念ながら」  自分に一番近いところに座る、左右の男女。少し嫌味な印象を受ける左側の赤髪の男性と、綺麗に着飾った右側の金髪の若い女性の問いかけを、フィレイアは愛想笑いで受け流す。 「それは残念ねぇ、こんなにおいしいのに」 「今度は、フィレイア様がお好みのような飲み物にしませんとね」 「いえ、お気遣いなく」  艶っぽく笑って手に持った自分の紅茶を傾ける女性と、ソーサーに持っていたカップを戻す男性。自分に負けず劣らず世渡り上手な微笑を浮かべているが、そのセリフから裏の思惑が透けて窺える。  ヒース達が、フェルシエラから発った頃。フィレイアは、イクスキュリア城で応接間の役割を果たす広間にいた。急遽開かれることになった国議に参加するためだ。  この国議には、国の参謀、教団の聖女、軍の元帥、そしてイクスキュリアに住む地位の高い貴族達、合計八人が招かれる。討論される内容は回によってさまざまだが、よく貴族達に利己的な横槍を入れられることが多い。それを参謀や元帥、聖女が抑制しつつ、意見をまとめて結論を出す。  それ故、いくら対等な立場が築かれたと言っても、教団のセフィスという存在を煙たがっている貴族どもは、ごまんといる。  軍の元帥には、反感を持ちながらも彼らは逆らおうとしない。元帥自身が貴族の出であり、貴族達は、元帥と自分達の天と地の違いをよく理解しているからだ。  フィレイアは、リュオスアランの加護のおかげで外傷こそは受けないが、それ以外のことに関しては普通の人間と変わらない。  例えば……今、目の前に置かれているジャーロンティー。これに毒が入っていようものなら、数時間後にはもがき苦しんで死んでいるだろう。  貴族達も、フィレイアのリュオスアランのことは知っている。自分を煙たがっているのなら、食事に毒を盛っていてもおかしくない。  だからフィレイアは、ミディア以外の地で出される食事は、基本的に口に入れない。テキトウな理由をつけて席を外し、後でルナやイルミナに作ってもらって済ませている。 「リアミズ公、ゲルフ公、会議の最中だ。私語は慎まれよ」 「これは失礼」 「ごめんなさいねぇ」  スロウのすぐ脇に座っている男性が、金髪女性のリアミズ公、赤髪男性のゲルフ公をたしなめた。リアミズ公とゲルフ公は、しゃあしゃあとした軽い口調で謝罪する。  短い銀髪と鋭い紫紺の瞳を持つ、厳格な雰囲気を漂わせる初老の男性だった。正装らしい、黒が基調の服を着ているが、不思議とゲルフ公のような嫌味な印象はない。シャルティア軍の元帥であり、ラウマケール第一位のレミエッタ公ラスタ=アラン=レミエッタだ。 「……話を逸らして申し訳ない。私が指揮する軍を3分の1ほど、自分の配属にしたいと仰ったか」 「難しいようでしたら、その半分でも構いませんが」  反省の色が見られない二人をその双眸で一瞥してから、ラスタはスロウを向いて確認をとった。それにスロウはそう言い、譲歩の意を示す。  今回の会議の内容は、ラスタが統率する軍の3分の1ほどを、スロウに譲渡することについてだ。スロウとラスタで話し合えばいいように思えるが、軍人、特に佐官は、ココに参列している貴族の出の者が多く、なかなかそうもいかない。だから急に、国議という面目の軍議を開くことになったのだろう。  だから今回、フィレイアは参加してもしなくてもよかった。それにあえて参加したのは……スロウの動向を監視するためだ。 「私は反対です。慣れない人のもとで指揮を受けることほど、不安なものはありません。軍全体に波が走るでしょう」 「しかし、それも一時。すぐに慣れるはずです。どんな者の下についても、同じ力を発揮するように訓練されたのが軍人でしょう」 「……そうですが……」  ラスタと向かい合う男性の意見に、スロウは同じ笑みを浮かべたまま、やんわりと彼の口を封じた。男性は、自分の言った言葉の穴を指摘され、口ごもってしまう。  淡紫色の、ロングのストレートヘア。年は20代後半だろうか。線の細い体に、飾りの少ない白い服を着込んでいる。ここに参列する貴族の中では一番まともな若公爵、マディオス公だ。彼はいつも、フィレイアやラスタ側に立って貴族達と意見を交わす。 「私も困りますな。ラスタ殿以外の指揮官に任せるなど……息子が軍に所属しているものでな」 「ワシもじゃ。息子の命を預けられるのは、ラスタ殿のみ。失礼じゃが、新参者の貴殿には任せることはできん。軍部の人間には、貴族の出の者も多数おるからのう。他の者も、我らと同じことを思っているじゃろう」  向かい合わせの男性二人。ラスタの隣、褪せた青髪の50代前後の男性と、マディオス公の隣、薄くなった薄緑の髪の老年の男性が、頷き合うように言葉を重ねた。  青髪の男性がオルクドール公、薄緑髪の男性がユーフリス公だ。どちらも息子が軍部に所属しており、軍の統率者であるラスタには、畏怖と信頼の念を抱いている。 「それに、スロウ殿。貴殿は、元は神官だったと聞き及んでおりますぞ。そして、ほんの数日前に教団を破門されたということも」  オルクドール公は、息子が情報部に所属しており、耳が一番早い。彼の言葉は、ほとんどが真実だ。  だからこそ、その言葉に、その場の貴族達全員が動揺した。一斉に視線が自分に集まる中、スロウは平然とした様子で言う。 「ええ、事実ですよ。フィレイア様が証人です」 「……ええ。確かに数日前、私は彼に破門宣告をしました。ですから今は、私と彼の間には何の関係もありません」  スロウの声につられて、今度はこちらを振り向く貴族達に聞かれる前に、フィレイアはそう言った。自分とスロウが無関係だということを、克明にさせながら。 「ですので、何をしでかしたのかはともかく……そんな経歴の者に息子の命は預けられませんな」 「同感じゃ」 「私も……失礼ですが、一部といえど、軍は預けられないと思います」  破門されたということを聞いて言葉に力をつけた、オルクドール公、ユーフリス公、マディオス公の意見に、スロウは彼らを説き伏せることを諦めた。視線を、フィレイアの手前左右の二人に向ける。 「リアミズ公、ゲルフ公はどう思われます?」 「どちらでも構いませんよ。自分とは関係ないようですしね」 「私も、どっちでもいいわ」  討論する気のない二人の言葉に、他の貴族達から一瞬黒い気配が滲んだが、すぐに引っ込んだ。この二人は、いつもこんな感じだ。  つまらなさそうにそう答えた二人は、とりあえず賛成派に分けておく。そして反対派は、マディアス公、オルクドール公、ユーフリス公。意見が出揃ったと思えば……まだ一人、答えを聞いていない者がいる。 「レミエッタ公ご自身は、どう思っておられるのですか?」  自分のすぐ近くの席につくレミエッタ公ラスタに、スロウが再び声をかけた。今まで沈黙を保ってきたラスタは、スロウの言葉に少し間を置いてから、口を開いた。 「……スロウ殿。貴殿は、元は教団のゲブラーに所属していた。貴殿の剣の冴えは、息子を通してよく見ている」 「それは光栄ですね」 「私は、国の剣を担う者ゆえ、軍を束ねるのは仕方のないことだが……貴殿は、国の方向を決める者だ。貴殿は、十分強いだろう」 「まさか。貴方に比べれば、まだ……」 「そんなことは聞いていない」  ラスタの鋭く強い声が、謙遜するスロウの声を掻き消した。スロウが言葉を止めると、ラスタは紫の瞳でスロウを見て言う。 「貴殿は、十分強いだろう。それなのに、なぜ軍などを欲する?どんな理由があろうとも、それは、ただの欲でしかない」  さすが、国の剣を総括するだけはある。そこに着目したのは、ラスタだけだ。  ……だから、特別だ。  厳しい態度で理由を聞いてくるラスタに……スロウは、妖しい笑いを口元に浮かべて答えた。 「ええ、そうですよ。欲です。自分の野望を達成したいがために、軍を欲しているのです」 「「「「「!!」」」」」  とんでもないことをサラリと言ってのけたスロウを、貴族達五人が目を見開いて凝視した。  その野望の内容を知っているフィレイアは、凍りついた空気の中、平静とした瞳で、皆と同じように正面のスロウを見つめる。そして、一人だけ動揺しなかったラスタが、一息置いて告げた。 「ならば、交渉には応じられない」 「いいえ、貴方に選択の余地はありませんよ」 「……何だと」  この時、初めてラスタに動揺が浮かんだ。何もかも知っているような冷静さを失わなかったこの公爵を揺るがしたことに、スロウは内心でしてやったりと笑った。  会議を始めた時から、伏せて手元に置いていた1枚の紙を表にし、スロウはそれをラスタに向けて置き直した。それにラスタの目が向くなり、  ダンッ!!  ……彼は、テーブルを叩いて立ち上がった。  スロウを除いた全員、貴族達とフィレイアが驚いてラスタを見上げる。ラスタの紫の瞳は、ただ一人、スロウに、強い怒りをこめて向けられていた。 「……貴様……最初から、このつもりで」 「ええ、そうですよ」  地の底から響いてきそうな低い声に、スロウは楽しそうな様子で答えた。  スロウが見せた紙。それは、王の書状だった。  ……軍の3分の1の勢力を、参謀スロウに譲渡するように書かれた。  王の命令ならば、ラスタや貴族達が議論したところで、それは無意味だ。議論で出た結論よりも、王の命令の方が優先されるのだから。  つまり、この書状が出された時点で、軍の譲渡はすでに決まっていたわけだ。それにもかかわらず、スロウは会議を開き、元帥のラスタに意見を求めた。  会議を開いたのは、恐らく、自分の存在をアピールするため。結論を知っているスロウが、無意味な意見をかわす自分達を見下ろしていたのだと思うと、腹立たしかった。 「新参者が、私を侮るか」 「それは、こちらのセリフですね。あまり私を舐められない方が賢明ですよ」 「ほざけ、成り上がりが。アルカを手にした程度でおごるな」 「よくご存知ですね。ですが、それに対抗する術がないのも事実だと思いますが?」  ラスタの口から出た一言に、スロウは素直に驚いた。アルカに関する情報は、教団の機密事項だろう。一体、何処でその情報を手にしたのか。  スロウが感嘆して、それから嫌味っぽくそう言うと……それを聞いて頭が冷えたのか、ラスタは失望したような目でスロウを見下ろしてから、ぽつりと言った。 「……くだらん。貴様と話していると、馬鹿がうつる」 「……どういう意味でしょうか?」 「貴様は力に目が眩んで、何も見えていない」  子供でもわかるくらい、あっさりしたその罵声。単純だからこそ、スロウの気に触れた。  さっきより低くなった気のする声でスロウが問うと、ラスタは馬鹿らしいと言わんばかりに言い捨て、広間を出て行った。  そして今もなお、スロウは、その言葉の意味を理解できずにいる。