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rapport Ⅱ

Pride04 
再誕

 母は、自分達に目一杯の愛情を注いでくれた。  他の母親の実態を知らないから比較のしようがないが、時には優しく、時には厳しい、良い母だった。  さらには、たくさんの神官を束ねる司教という立場にいる。いつも、無数の羨望と尊敬を一身に受けていた。  そんな母に、自分だって憧れ、尊敬し、誇らしく思っていた。それは今も同じ。  ――だから、敵に回ったのだ。  目に見えぬモノに縛られている母を救うために。  激しい音とともに、突き破らん勢いで扉が開け放たれる。元々聖堂は音が反響するように作られているから、その音は何倍にも増幅されて響き渡った。  聖堂内の神官、信者達が何事かと、一斉にこちらを振り返る。数多の視線を全身に受けながら、肩を上下させるラヴァンは、しかしそれらにはまったく気付かず。ただ、真正面だけを睨み据えていた。  祭壇の前に佇む黒いマント。イクスキュリア司教マリティア=エルザ=ニーベルヘックは、息子の様子を見て、危惧していた通りになったと察した。  聖堂奥の祭壇と入り口。声を張り上げねば聞こえぬだろう遠い距離を置いて、母子は対峙する。  嵐の前の静けさのような、不気味な静寂に満たされた聖堂内。 「――わたくしは、イクスキュリア司教である以前に、一人の母親です」  水面を揺らし、そのまま溶けて行く雫のように。  頭の中がごちゃごちゃして言葉が出ず、ただ呼吸を整えることしかできないラヴァンが言うより先に、マリティアの声が聖堂内に染みる。普通の声量なのに、不思議なくらいその声はよく通った。  神の如き、落ち着いた威厳ある立ち姿。  背後の輝かしいステンドグラスを背負う、自分が憧れ尊敬した姿。 「この街では、誇りは死活問題。わたくしが失墜したら、あなた達も路頭に迷うでしょう。それだけは避けねばならないの」 「………………」 「だからわたくしは、どんな手を使ってでも、あなた達を守る。例えラヴァン、あなたが異を唱えようとも」  腹の奥底から決め切っていた、揺るぎない決意。それは、庇護する対象である息子に知られても、ぶれることはなかった。  ラヴァンの中で、唯一の希望が消えていく。――いや、そんなもの、最初から幻だったか。  まるで神に裏切られた信者のように、彼は愕然と声を搾り出す。 「……なら……本当、なのか……?親父を殺すように仕向けたのは……お袋だ、って……!」  ―― 一拍の後、ざわっと、聖堂内に波が駆け抜けた。盲信していた司教の最悪の醜聞に、神官や信者達が一斉に動揺する。 「どういうことだ……?!」「殺した……!?」 「う、嘘だろ……?」「夫だって!」 「嘘に決まってる!」「そんなわけない!」  まるで賑やかな街中で遠くの喧騒を聞いているような、距離感の掴めない空間。押し殺した声さえも聖堂の効果を得て大きく反響し、静寂に満ちていた聖堂内が混沌の音の渦を巻く。 「司教……!」  爆発的に膨れ上がった音は、やがて、本人の返答へと意識が向けられることで緩やかに収束する。  終始そこに、慌てることもなく佇んでいるマリティアは、さっきの騒ぎが嘘のように静まり返った、疑惑の空気を吸い込んだ。  口を開く。 「……あの人は……ミオネを売ろうとした。あの子を、金になるものとしか見てなかったのよ。……わたくしは、あの子とラヴァン、あなたを守るために……ウィガール伯に、夫を殺してもらうよう頼んだの」 「……お袋……!!」 「先ほど言った通りよ。わたくしは、どんな手を使ってでも、あなた達を守ると」  ギリっと、ラヴァンは拳を強く握り締めた。  神官と信者達が混乱の絶頂に達しているのが、表情を見ればわかった。だが、二人の間に渦巻く濃厚な気配に気圧されて、誰も声を上げられなかった。  ……と。ずっとラヴァンを見据えていたマリティアの視線が、彼の後方へズレる。いくらか頭が冷えてきたラヴァンが振り返ると、いつの間にか追いついていたらしいルナとサリカ、真ん中に立ち尽くすミオネがいた。  大きく見開かれたライトシアンの瞳に、遠くマリティアの姿が映り込む。――やがて、その双眸から、大粒の涙がこぼれ始めた。 「……ミオネは……母上に、愛されてるって……ちゃんと、わかってたです……」 「………………」 「ミオネは、母上が、大好きです……。かっこよくて……優しくて……憧れでッ……」  母が大好きだ。自慢の母だ。自分は愛されて育てられたと、知っている。  それなのに―― 「でも……でも……っ、喜べない、です……ミオネを守るために、母上が、してくれたことなのに……全然、喜べないのです……っ」  ――むしろ、悲しくて。  格好良くて憧れていた存在が、自分のために犯した不正。  知った今、信じていた存在が、途端に薄汚れて見えてしまう。  そんな姿が、悲しくて。  自分が憧れていた以前の姿は、もうないのだ。  そして――これは、自分のせいでもあるのだ。  顔を覆って座り込んでしまうミオネの肩に、しゃがみ込んだサリカが手を置く。ルナは心配そうな顔で少女を見てから、キッとラヴァンに目を向けた。  何を言わんとしているのか、それだけでわかった。自分も、同じことを考えていたから。  ……一度、目を閉じて。ラヴァンは母を振り向き、胸に手を当てた。 「……お袋……何でミオネが泣いてるか、わからないだろ」 「………………」 「僕達のためだろうが、何だろうが……不正で得たものなんて嬉しくない。僕達は……裏切られた気分なんだよ」  何かに追い詰められているようだった母を、助けたかった。母は被害者だと信じていた。  ――なのに、まさか母を裁くことになるなんて。 「……誇りなんか、なくたって生きていける」  ギリギリと、胸に当てた拳を握り締め、ラヴァンは言う。 「教団内では、身分なんて関係なかった。僕はティセドの間、そこでたくさんのものを学んだ。誇りなんかより、信頼の方がずっと大事だって知ったよ。お袋は……一体、何を見てきたんだよ!?」  悲痛な叫びは、マリティアに突き刺さる。それでも、彼女の表情は揺らぐことはない。途端に母が遠い存在に見え始めた。  優しい母は、そこにはいない。手段を選ばない、無慈悲な神。  ――もしくは、愛ゆえに狂ってしまった神。 「では、私の出番ですね」  悲哀と驚愕を筆頭に、さまざまな想いがない交ぜになった聖堂内。そんな空気を浄化するような、清らかなまでの声が響いた。  自然なまでに、ラヴァンの横からスッと歩み出てきたのは、見慣れない少女。淡い赤の髪を揺らしながら、ラヴァンの少し手前まで進む。  小柄な後姿。ミオネくらいの背丈の少女は、くるりとこちらを振り返った。  無表情のマリティアと比べると、慈母と言われれば納得してしまいそうな、優しい微笑だった。 「初めまして。途中から話を聞かせてもらいました。立ち聞きしてごめんなさい」  申し訳なさそうに、少女は小さく頭を下げる。ミオネと同い年くらいに見えるのに、やけに大人びた言動。貴族の優雅なそれとは違い、洗練された丁寧なものだった。  よく見れば、彼女は神官服を着ていた。ただし、一般の服とはまるで作りが違う。その細い首からかかる二重の金環のペンダントが胸元で揺れていた。  そのペンダントは間接的に知っていた。教団内では有名すぎるアルカ。 「二重の金の環……特級指定アルカのリュオスアラン……!? なら貴方は……!」 「ちょ、ちょ、待ってよ!フィアが何でここに!?」  息を呑んだラヴァンの疑問を、背後のルナの声が解いた。少女――グレイヴ教団現聖女は、ラヴァンから視線を外してくすくす笑う。 「ふふ、サリカ、これは貴方の独断だったのですね」 「ラヴァンの家で、司教が夫殺しかもしれないっていう推測をした際に、フィレイア様に報せておいたんだよ。国議がちょうどこの頃だったからね」 「ってことは、知らなかったのは私だけ!? 何で教えてくれないの~?!」  忙しく目を瞬かせるルナに、サリカとフィレイア=ロルカ=ルオフシルはおかしそうに笑う。そうしてから聖女は、マリティアの方に向き直った。  司教は、逃げもせず、そこに立ち尽くしていた。厳しかった表情はやや緩み、その顔は、罪人が責任に苛まれるものと似ていて。  フィレイアがこの場に来ただけで、空気が神聖なるものに変わったように思えた。彼女が聖女だと知った聖堂内の神官、信者たちも、その姿に向けて頭を垂れる。  烏合の衆と化していた者達を、存在だけでまとめ上げ。その中で、フィレイアは、マリティアに一礼する。 「私は、フィレイア=ロルカ=ルオフシルと申します。グレイヴ教団現聖女です。初めまして、イクスキュリア司教」 「……お目にかかれて光栄です、フィレイア様。マリティア=エルザ=ニーベルヘックと申します」  互いに頭を下げる、二人の女性。太陽のような、神々しいまでの輝きで人を魅せるフィレイアと、月のような、神秘的な光で人を惹きつけるマリティア。  ――教団を実質取り仕切っている大司教は、レセル、ゲブラー、ティセドを階級ごとに総括する。昇格、降格、任命などは大司教が行う。  そして、シャルティアに抑止力としてはたらく聖女は、教団の神官全員を取り締まる。掟を破った者に対し、処分を言い渡す――それこそ、裁きを下す神のような役割だ。  「神官は、故意に人を殺めてはならない」。単純明快な、掟の1つ。  神官ならば、誰もが知っている掟が頭を過ぎる。ただラヴァンは、聖女の後姿を見つめるだけで。 「……サリカから、事のあらましは聞きました。ラヴァンさん、ミオネさん……私は、これから『役割』をこなします。もし、この決定に納得できないのなら、私を恨んで下さって構いませんから」  人を裁くが故の責任と覚悟。小さな聖女は振り向かずに言うと、すぅっと息を吸い。毅然とした態度で、自分よりずっと年上のマリティアに言い放つ。  厳格な口調で、裁きが下る。 「イクスキュリア司教、マリティア=エルザ=ニーベルヘック。人を殺めるように仕向けたことは、掟を破ったということもありますが、何より、神官として……いえ、人としてあるまじき行為です。よって……貴方を、教団から永久に破門します」  ――静寂。  異を唱える者はいなかった。マリティアに失望したためではなく、皆、フィレイアに魅せられていたからだった。  明らかに、現人神あらひとがみの格は、フィレイアの方が上だ。  ……やがて、破門された神官は、ふわりと微笑んだ。  ラヴァンとミオネの記憶からさえ、掠れかけていた母の微笑だった。 「―――ありがとう、ラヴァン」   //////////////////  世界が燃えているかのような、紅色の景色。  イクスキュリアの街並みは、一様に赤に染め上げられていた。まるで燃え立つようにも見える美しい夕景。すべてが茜色に染まっている。  それが一望できるこの屋敷のバルコニーは、恐らく元々、景色を臨むために作られたものなのだろう。 「お母さん、嬉しそうだったね」  西日で赤い髪をしたルナが、微笑むように言う。輝くばかりの景色と、そんなルナとは、とても相性が良かった。  その光を拒むように、彼女の隣で、夕景に背を向け手すりに寄りかかるラヴァンは、逡巡の後、口を開く。うつむいた横顔は、後悔さえ、かすかに滲んでいた。 「……何でお礼を言われたか、わからないんだ。……僕は、お袋を助けたかった。そしたら……こうなった。逆に、お袋を陥れた……」  母を助けるために、敵に回った。結果、母は、破門された。それなのに……礼を言われて。  ――ただ、以前のように、三人で暮らせればよかったのに。 「マリティアさんは、誰かに……ラヴァンに、自分のしたことを裁いてほしかったんだって、私は思うよ」 「……詭弁だ」 「そうかもね。でもこれで、マリティアさんは1つ、憂いが消えたはずだから。ね?新しいイクスキュリア司教さん」  イタズラっぽく笑って、ルナは、相変わらずレセルの黒いマントを着ている青年に言う。これが詐欺じゃなくなる日も遠くない。ラヴァンは、照れ臭そうに「うるせー」と返した。 「大体、まだ決まったわけじゃないだろ。それに僕は経験なんて全然ないし」 「でも時間の問題でしょ~?ラヴァン、元々レセル志望者並に頭も良かったしね!」  マリティアが神官として破門された時点で、イクスキュリア司教の座は空席となった。  その座にラヴァンをと推したのは、実はこのイクスキュリアの神官達と信者達だった。前々から街を巡回して歩いていたのが評価されたらしい。  サリカとルナも賛成して、フィレイアに、大司教アノセルスに口添えしてもらうように進言した。だが本人の言う通り、彼には実務経験がないので、恐らくセントラクスからベテランの者が派遣され、しばらくはその者の下で働くことになるだろうとフィレイアは語る。  マリティアは教団を追放され、イクスキュリアの聖堂に近寄ることさえ禁じられた。それと比例し、彼女のニーベルヘック公爵家当主としての信頼も消滅した。いずれニーベルヘック家は、貴族として存続するのが難しくなっていくだろう。 「……今回のことで、ニーベルヘック公爵家の権威は地に堕ちた。誇りなんてなくても生きていけるから、気にしてないけど」 「さっすが不良♪」 「うるせー。まずは、お袋が僕らのために敷いた法を、1つ1つ直していく。それが僕の仕事だ」  はっきりと今後の自分を語ると、やっとラヴァンは夕焼けを振り返った。眩しい赤い世界を見据えて、小さく笑む。 「これから僕は、貴族じゃなく、一神官……ラヴァン=フローテとして生きていくよ。お袋もミオネも、僕がなんとかする」 「そっか。背負いすぎないようにね。それでも、私にとってのラヴァンは全然変わらないから、安心してよ」 「……ルナは、例え僕が王になったとしても、空気を読まずに普通に接してきそうだからなぁ」 「何それ?馬鹿にしてない?」 「褒めてるよ。図太い神経をね」  隣で当然のように言ってきた、夕日色の髪の少女。「ほんとかなぁ……」と疑わしげな彼女の様子に、ラヴァンは笑う。  誇りなんてなくても、生きていける。  誇りは、人生の指針だ。貴族という誇り、神官という誇り、男という誇り、己という誇り。  安定を司る思想。その一方で、安定は己を不自由にする。  その全部がなくなったら、人は不安定で、自由なのだろう。  もし、真に伝えたいことがあったら――誇りなんて、かなぐり捨ててしまえ。  ……息を吸う。  安定していないものは、制御が効かない。だから、『こう』なってしまったものは仕方ない。  人間らしさとも言える、心を持つが故の不完全なもの。  だから―― 「……ルナ」 「ん?」 「ちょっと……言っておきたいことがあるんだ」   ////////////////// 「……兄上が、母上の不正を暴いて、よかったって思うです」  ベッドに浅く腰掛けたミオネが、独白のように紡ぐ。 「それによって、母上はやっと、元の道に戻ることができたのです。きっとミオネは……もっともっと、母上に憧れてしまうです」 「母親が破門されて、落ち込んでるかと思ったけど……もう落ち着いたんだ」 「お、落ち込んでないです。ショックを受けただけですっ」  傍に立つサリカが笑って言うと、ミオネは怒ったフリをしてプイッとそっぽを向いた。とは言うものの、少し落ち込んでいたのも事実である。  二人はニーベルヘック公爵家の中で、可愛らしく、それでいて高貴な部屋にいた。他の誰でもないミオネの部屋である。あの後、放心状態だったミオネをちょうど自室に送ったところだ。  全体的に、装飾は派手すぎない美しい縁取りなどに収まっている。配色はパステルカラーが多めだ。ところどころにあるぬいぐるみや可愛い模様が、ミオネの雰囲気をそのまま表現しているかのようだった。 「司教が兄上になったからって、神官たちが兄上にすぐに従ってくれるとは思えないです……母上はカリスマ性で束ねてたですから。兄上の場合は……地道に、信頼関係を築くしかないと思うです」 「だろうね。でもそれが、本来の在り方だと思うよ。上の人間がダメなら、抗議するくらいじゃないとさ。……それに元々、グレイヴ教団で、神官が絶対信頼を置くべき相手は、司教でも、聖女でもない。神だろ?」  信仰心のカケラも感じさせない軽快な口調で、サリカは面白そうに言う。その違和感のない慇懃無礼な態度は、むしろ似合ってさえもいて、ミオネはキョトンと目を瞬く。 「……あの。不敵なサリカ様、すっごく素敵ですが……神官様なのに、神を信じてないですか?」 「いや。でも神の存在は認めてるよ。世界を創ったっていうのも」 「……?? よくわからないです……少しは信じてる、ですか?」 「私は、神を信じてるわけじゃない。ただ事実として、『いる』と知っているだけさ。存在するか否かと、信じるか否かとは違うよ」  ちょうど、マリティアと同じだ。  司教という、確固たる存在がいる。正体もよくわからない、圧倒的なカリスマ性を放つ相手を、信じるか否か。  神も然り。 「身近に知るはずもない神を、私は信じてない。信じてないというより、信じるきっかけがない。言わば、信頼を築く前の状態さ」 「………………」 「道ですれ違っただけの、赤の他人みたいなものだ。そんな相手を、手放しに信じられるかい?」  ――なぜ、こんなことを話しているのだろう。それも、出会って数日の少女相手に。  頭の片隅でそう思いながら、難しい顔をして黙り込んだミオネに、サリカは試すように問う。  この少女を信じるきっかけは、あったのだろうか?  あったなら……いつ? 「―――ミオネは……信じるです」 「………………」  すっと立ち上がり、淑女は毅然とした態度で、彼の目を見据えて言った。  問いかけたサリカも、なんとなく、そんな気がした。彼女ならそう言うと。 「神が信仰されてるのは、それまでの行いが評価されてるからです。同じように、母上がカリスマ性を持つのは、それ相応の行いをしてきたからです」 「………………」 「その人のことを身近に知らなくても……そういうところで、その人のことを評価するです。……だって……だって、ミオネは……!」  少女の視界に映るサリカの目が、驚きに見開かれた。と思ったら、すぐにぼやけて見えなくなった。  溢れる涙をそのままに、ミオネは叫ぶ。 「ミオネはっ……!サリカ様のこと、全然知らなかったですもん!それでも……兄上からたくさんお話を聞いて……好きになっちゃったですもん!!」  たっと駆け出し、ミオネはサリカに抱きついた。戸惑う青年に構わず、堰を切ったように泣きながら、少女は想いを吐き出す。 「もしかしたらッ……ミオネも、神官たちみたいに……盲目的になってるだけ、かもしれないです……っ。でも、好きになっちゃったのは……どうしようもないですもんっ……!」 「……ミオネ……」  ――実際のところ、マリティアに心酔しながらも、その実態に疑問を抱いていた神官もいたのではないだろうか。  自分が盲目的になっているとわかっていながら、それでも気持ちは止められない。人間という、不完全な生き物ゆえの暴走だったのではないか。  子供のように泣きながら訴える少女の言葉から、サリカは頭の片隅でそう考えた。  ミオネの涙声がゼロ距離で紡ぐ。 「……サリカ様……本当に、大好きです。…………だから……返事を、下さい」  ――泣いているのは、答えを知っているからだ。  兄が語る青年の姿は、いつも、ひたむきに一点・・を見ていた。  自分が惹かれた一途さは、そこにしかない。 「………………」  嗚咽で震えるミオネの肩に手を置いて、サリカは納得していた。  ――ああ、そうか。  この少女を信じるきっかけなんて、なかった。  最初から……彼女は、会ったこともない自分に好意を持って、信じてくれていたから。  最初から……信じられたんだ。  少女の肩の震えが収まってきてから。サリカは、彼女の細い肩に手をかけ、自分からやんわり引き離した。  心苦しそうな表情で告げた青年に、ミオネは、安堵したように優しく微笑んだ。  キラキラ光る涙が、硬い床に砕けて落ちた。   ////////////////// (下剋上……かぁ)  とっぷり日は暮れ、窓の外には夜の帳が下りている。今晩は公爵家で越し、明日には発つことになった。再び巡礼の旅に戻るのだ。  その公爵家の客室で、ルナはベッドの上に座り、枕を抱き締めて息を吐いた。  それから、同じ部屋にいるサリカに目をやった。元々ここは、サリカに当てられた部屋だ。ルナの部屋は隣である。  ソファに座って紅茶を飲んでいるサリカに、ルナはちょっと聞きにくそうに目を泳がせてから、口を開いた。 「……あのさ、サリカ……」 「ん?」 「…………………………こ、恋って、何なのかな?」 「……、え?」  思わずルナを二度見したほど、サリカは心底驚いた。普段のルナからは想像もつかない一言に唖然としてから、すぐに合点する。 「……あぁ……ラヴァンに何か言われたってところかな?」 「な、何が?!」 「返事したの?」 「って、ど、どーゆーこと!? さ、サリカ、知ってたってこと!?」 「ラヴァンがルナのこと好きなんて、見てればわかるよ」 「……~~~っ」  ぎゅーっと枕を抱き締めて、ルナは真っ赤な顔で沈黙する。サリカが余裕そうに喋るから尚更だ。処理が追いついていない彼女の様子に、つい笑みがこぼれた。 「おやおや、ルナ真っ赤だよ。青春だね~♪」 「……だ、だって……そんなの、言われたことなかったし……」 「で、ラヴァンには何て?言いたくないならいいけどさ」 「……その……ごめんなさい、って」  白い枕に顔を埋めて、耳まで真っ赤になったルナは、どうやら頭がクラクラして吐き気がするらしく、うう……と気持ち悪そうにうめく。かと思えば、がばっと顔を上げて、キッとサリカを睨みつけた。 「そ、そういうサリカこそ、ミオネちゃんに返事したの!? あんなはっきり好きだって言われてるんだから!」 「うん、ごめんって」 「……あ、あっさり言うね」 「これでもその時は凄く困ったんだ。あの子もわかってたみたいで泣いてるし、言いづらかったからさ」  温かいミルクティーを飲んで、サリカは済まなさそうに苦笑した。他人から見れば困っているふうには見えないが、長い付き合いのルナには、彼が相当困ったというのが、その珍しい苦笑を見ればすぐわかった。  相手を嵐のような強引さで巻き込む一方で、心の中では静かに物事の本質を見つめている少女。まるで台風だ。  サリカは目を閉じて、小さく微笑む。 「でもあの子には……いろいろ学ばされたな。聡明な子だよ」 「そ、そうなの……?そんなふうには見えなかったけど……」 「ルナは見てないだけだよ。ラヴァンと似て、頭の良い子だ」  ルナは恐らく、年相応のミオネの表情しか見ていないのだろう。下手すれば、ルナと同等もしくはそれ以上に賢い子だと、サリカは思う。  ルナは枕を横に置き、ベッドの上で膝を抱えて座って、静かに呟く。 「ラヴァン……お母さんを助けるために、敵になっちゃうなんてさ。凄いよね」 「逆にも言えるよ。敵になるしか、助ける方法がなかった……」 「あ、なるほど!ふーん……ラヴァン、凄いなぁ……」  紅茶のカップを置くサリカの指摘に、ルナはぽんっと納得して手を打った。それから、何処となくぼんやりと、感慨深そうに頷く。その様子に、サリカは少しだけ引っかかりを覚える。  ルナは枕を元の位置に戻して、ぴょんっとベッドから降りた。サリカに背を向け、何かを悟ってスッキリしたかのように、うーんと伸びとする。 「うーん、それじゃ、私も負けてらんないなぁ~……!よし……じゃ私、寝るねっ!」  急に勇ましくなったルナは、腰に手を当てて1つ頷くと、ひらっと手を振って部屋を出て行こうとする。  縦に長い取っ手を掴んだその手に、別の手がそっと重なった。 (え……?) 「……ルナ……今、何考えた?」  振り返ろうとするより前に、頭のすぐ傍で声がして体が固まる。目だけで横を見ると、すぐそこにあった双眸と目が合って反射的に目を逸らした。 (近ッ!!) 「…………な、な、何、って……ね、寝ようかな……って……」 「………………」  やんわりと押さえられている手。隣の彼を直視できず、ただその手を凝視して、かろうじてそれだけ答えた。  頭の中がぐるぐるしてパニック状態で、さっきよりもずっと顔を紅潮させたルナには、それが精一杯だった。  すぐ傍にいるから、サリカにもその心境はよく伝わってきた。  さっきの彼女の様子が、何処か妙な気がしたのだが――彼は追及せず、手を離した。 「そっか。引き止めてごめん」 「……う、うん。お、おやすみ!」  解放されるなり、ルナはドアを押し開き、慌てて廊下に出ようとして。見事にドアにジャケットの裾を挟み込んで、再びドアを開くハメになった。   //////////////////  ……あの時、もっとちゃんと問い詰めていればよかったと、翌朝になって思った。  だてに5年付き合っているわけじゃない。少しでも妙だと思ったら、気にかけるべきだった。 (……アイツ、どうでもいいところで秘密主義になんだよねぇ……)  今朝、ラヴァンが慌てた様子で持ってきた紙を眺めて、サリカは嘆息した。  公爵家を後にし、イクスキュリアを出ようと街を歩く青年。本来なら、巡礼ルートに沿って次はセントラクスに向かう予定だったが、そんな場合じゃなくなった。 (で、後始末は私がしてくれるって計算済み。信頼してるんだか、してないんだか……ラヴァンに負けてられないって、こういうことか……)  紙をくしゃくしゃに丸めて、ちょうどあったゴミ箱に放り捨てる。その傍の壁に、サリカが捨てた紙と同じものが何枚も貼ってあった。  一夜で至るところに貼り出された、賞金額1000万パフィのルナの指名手配書だった。
「声かけてくれればいいのにさ……仕方ないねぇ、付き合いますか」  人知れず微笑んで、サリカはミディアへと足を向けた。