deja vu

Qualia01 
存在価値

 緋い。  朱い。  紅い。  止め処なく、世界が赤い。 「……っぁ……」  熱い。  寒い。  喘いで、喘いで、それでも空気が足りない。  横倒しの視界に、影が映った。  すでに事切れている少女を跨ぐ、遠のく悪魔の影。 「ぁ……」  待て、と言おうとして――  そこに影がすでにないことを認識するなり、プツンと意識が途絶えた。  ……………………   ////////////////// 「これでよし」  白い包帯の端と端をきゅっと縛りながら言うと、座っている患者の男が、空いている片腕で頭を掻いた。 「いやぁ、すまないね。うっかり足を滑らせて、崖から落ちてしまって。幸い、あまり高さはなかったからよかったがねぇ」 「気を付けて下さいよ。今の時期は雨が多いですし、山や森の土は滑りやすくなっていますから」  患者の男の骨折した足に、添え木と一緒に包帯を巻いた青年が、その傍らにしゃがみ込んだまま柔らかな口調で言った。  暗い青の髪、紫の瞳という落ち着いた外見に加え、その丁寧な話しぶりから、知的な雰囲気の漂う青年だった。すっと彼が立ち上がると、患者の男が手を出してきた。 「いやぁ、申し訳ない。ほい、代金」 「ありがとうございます。……あれ、ジンさん、多いですよ?」  青年が差し出した手に患者がのせたのは、5枚ほどの硬貨だった。それをざっと目で数えた青年が患者のジンに言うと、ジンは楽しげに笑って、杖を片手によろめきながら立ち上がった。 「いっつもお世話になってるからね、受け取ってくれよ。そんじゃ私は、帰るとするよ。いやいや、またしばらく家事担当だなぁ」 「あ、ちょっとジンさん!」  思わず立ち去る背中に呼びかけたが、ジンは片足が使えないというのに、意外と軽快な動きでこの家を出て行った。それもそのはず、ジンは山菜採りという仕事柄、山で足を滑らせたりして骨折することが多い。自他ともに認める「骨折魔」だ。  閉じられたドアを見つめてから、青年は困ったように、手のひらの上の硬貨を見下ろした。 「置いていっちゃったから……受け取っても、いいんじゃないかな……」 「まぁ、仕方ないじゃろ。ありがたくもらっておくとしよう」  青年の後ろから、2種類の声がした。弱々しい声と、ややしゃがれた声だ。振り返ると、イスに座る年配の男性と、その傍に立つ小柄な少女がいた。  60代くらいに見える男性は愉快そうに笑い、着ている白衣でメガネのレンズを拭きながら、こちらに近付いてくる青年に言った。 「ジン君がよく骨折するもんだから、その手の処置はもうお手の物じゃろ?スロウ」 「……確かにそうですが。喜んでいいのかわかりませんね」 「そう……だよね。上手になるの、嬉しいけど……やっぱり、みんなに、ケガしてほしくないし……」  22歳のスロウ=エルセーラは複雑そうに言い、ジンからの代金を男性の机の箱にしまう。それから、同意してくれた少女を向く。  胸の辺りで毛先が揺れる長さの山吹色の髪を、2本の三つ編みに結んでいた。本人曰く、これが一番邪魔にならないからだとか。何よりも、三つ編みが好きだということが大きいだろうが。一応、今年で18歳なのだが、そのせいか実年齢より幼く見える。  穏やか……というよりは、気弱な印象を受ける少女を見ると、薄紅色の瞳と目が合った。 「リズ、お前もそろそろ本物の患者を相手にした方がいいんじゃないのか?」 「む、無理無理っ……!だってボク……兄さんみたいに、人と話すの上手くないもん……」 「はっはっは、まったく、相変わらずリズはお兄ちゃんっ子じゃなぁ。けど、いつまでもお兄ちゃんが一緒にいるとは限らんぞ~?」  有り得ないと言わんばかりにブンブンと首を左右に振って言うリズ=エルセーラは、男性のからかいに、「うう……」と何も言い返せずに泣きそうな顔で黙り込んだ。  この男性は、パーゼス=ローム。このカストー村唯一の医者だ。  両親を亡くしたスロウとリズの兄妹は、この医者に引き取られた。以来、彼の下で助手として働いて、もう10年ほどになる。  不安げな顔で、助けを求めるようにこちらを見てきた妹に、スロウは小さく笑った。 「僕がお前を置いていなくなるわけないだろう?」 「ほ、ほんとっ……!?」 「やれやれまったく、スロウも甘やかしすぎじゃぞ?」  ぱっと顔を輝かすリズとは反対に、呆れた様子のパーゼス。しかしスロウは、何処か意地悪そうな笑いを浮かべて言葉を続けた。 「というわけで、明日からはリズが問診すること」 「え、ええぇッ!?」 「傍で見ててやるから、問診だけでもこなすんだ。でないとお前、一人で生きていないぞ」 「うう……う~……!!」  一応、自分でもまずいとは思っているリズは、言い返す言葉もなく、長いスカートをぐっと握り締めてただ唸った。パーゼスとスロウは顔を見合わせて、忍び笑いをこぼした。  ――リズは、かなりのお兄ちゃんっ子だ。ブラコンだ。ブラザーコンプレックス。  8歳で両親を亡くしたリズにとって、家族は兄だけだった。もちろん、パーゼスも義理ではあるが家族だ。しかし、血が繋がっている者といない者とでは、よほど悪い仕打ちを受けていない限り、大概が繋がっている者に懐くだろう。リズも例外ではなかった。  そんなわけで、リズは、小さい頃からスロウにくっついて歩いてきた。昔から引っ込み思案で、いつも兄の後ろに隠れていた。だから口調も、合わせたわけではないが似ている。  だが、そんなリズも18歳である。そろそろ一人立ちしてもらわないと困ると思っていたが、本人もそのことを自覚しているようだ。 「……う、うん……ボク、頑張るから……兄さん、急にいなくなったりしないでね!?」 「わかったわかった」 「二度返事……怪しい……!」 「わかったから、早く支度しろ」  じーっと見てくるリズの視線を受け流し、スロウは近くの木イスの上に置いていたカバンを持った。背負うタイプの、大きなカバンだ。  何のことかわからずに、リズはキョトンと目を瞬いてから、あっと手を打った。   //////////////////  水の都オルセスがあるルブル湾に流れ込む、ロウラ川の支流・メーヴェ川。  水の近くに、人は自然と集まる。この川の傍には古くから、いくつもの村が連なり、こじんまりと栄えている。カストー村も、そのうちの1つだ。  その中でも、多くの村人を抱え、町になるほど発展した村もある。今、自分達が訪れているケルンは、まさにそれだった。  膨らんだカバンを背負うスロウを一瞥してから、リズはキョロキョロ辺りを見渡した。 「包帯とガーゼと、ユーグの葉は買ったから……あとは、イザミ草とシエクレム……」 「包帯や薬草とは言え、大量に買うとやっぱり重いな……」  双肩にのしかかる重みに、スロウはつい溜息を吐く。一応、村で自給自足の生活をしているが、それほど筋肉や力がある方ではないと自覚している。村一番の筋肉馬鹿に持たせたら、余裕そうに上げ下げして見せたりするのだろうか。  月に1度、メーヴェ川対岸にあるこのケルンに、医療品と薬草の買出しに来る。医療品は、まずその辺の村では扱っていない。そして薬草は、村の周辺に生えているものもあるが、生えていないものの方が圧倒的に多い。地方にしか生えない薬草を取り扱う店が、ここケルンには存在する。  町に何度も一緒に来ていて、何処で何を取り扱っているか覚えているリズが、先を歩いていく。来たことのない場所では、自分の横にいてちっとも動こうとしないが、慣れた町ではこうして一人で歩けるらしい。本人は無意識のようだが。  スロウも後を追って、まばらにいる露天商たちの前を通り過ぎていく。歩くたび、背中の大きな荷物がゆさゆさ揺れる。  人が良さそうなおじさんの野菜露天商の前を、リズが通りかかると、おじさんが彼女に声をかけた。 「そこのお嬢さん、ネレスの実はいらんかね?」 「えっ……!あ……そ、その……」 「このツヤを見てごらんよ。キラキラしてるだろう?」 「あ、う……」  案の定、リズはぎょっとした様子で、困った顔をした。その間におじさんは、ネレスの実を片手に、どんどんと語っていく。  「またにします」などと断ればいいものを、リズは答えられない。同じ村の人間ならまだマシだが、今回は見知らぬ男だ。だから余計言いづらそうに、リズは縮こまってしまう。  放っておいたら、リズは延々と相手の話を……聞き流しているかもしれないが聞いているので、追いついた頃にスロウは助け舟を出した。 「すみません、おじさん。ネレスはうちでも育てているんです。でも不作の時は頼みますね」 「おお、そうだったかい。んじゃあ、その時は言ってくれよ。サービスしてやるから」 「ありがとうございます。リズ、行くぞ」 「あ、う、うん……」  スロウが一言リズに声をかけて歩き出すと、解放されたリズも慌ててついてきた。スロウの隣に並行して、うつむいて言う。 「……ごめんね、兄さん……ボク……」 「気にするな。今に始まったことじゃないだろう」 「……断ったら、おじさん……ガッカリ、するんじゃないかって……怖くて」 「……お前はいつもそうだな。優しすぎるのも困りもの、か」 「……ごめん……」 「………………」  引っ込み思案な自分に、リズがコンプレックスを持っているのは知っている。  家族のスロウやパーゼス相手の時のように、ほどほどに自己主張したいと思っても、他人相手ではそれができない。しかしそれは、優しい心が引き起こしているものだ。  リズは、スロウやパーゼスのことは、長い付き合いでよく知っている。それぞれが何を考えているかも、大体わかる。だから自分の意見を言っても大丈夫だと、安心している。  だが、よく知らない相手は、何を考えているか見当もつかない。もしかしたら自分の言葉で傷付けてしまうかもしれないと、彼女は慎重に、慎重に、慎重になりすぎて、結局何も言えないのだ。  その優しい心にさえも、劣等感を抱いているような横顔。  スロウはおもむろに手を上げると、落ち込んでいるリズの頬をぎゅうっとつねった。 「ふぁっ!? ひ、ひたひ!にいはんっ、何ひゅるの!?」 「そんなに落ち込むな。褒めているんだぞ」 「へ……?」  すぐに、ぱっと手を離したスロウが言った言葉を聞いて、リズは頬を摩りながら、彼を見上げる。大きなカバンを背負うスロウは、不思議そうな桜の瞳を一瞥して言った。 「逆に僕は、相手の気持ちはあまり考えたことがない。自分の意見の方が優先だ」 「……そ、そうなの……?」 「ある程度は考慮しているがな。さっきも、やんわりと断った」 「あ……そっか……」  先ほどの野菜露天商に言った時、確かにスロウは物腰柔らかに断っていた。しかし納得していないらしく、リズは何処となく不満そうな顔だ。  やがて、二人が立ち止まったのは、花屋だった。……正確には、花屋にしか見えない薬草屋だった。奥の方にいるのか、店番の人間が見当たらない。  リズは、さまざま置いてある花の中、店先に生けてあるボール状の黄色い花の前に、しゃがみ込んだ。  ……かと思うと、その横顔に。花の蕾が開くように、ふわりと笑みが広がった。 「えへへ……ボク、ユーティ、好きなんだ……」 「へぇ……初耳だな」 「あれ……そうだっけ?こんな可愛いのに、鎮痛作用あるなんて、凄い花だよねっ……!」  山吹色のたくさん小さな花が球状を象っている花、ユーティ。花を摘み取り、煎じて茶にすると、痛みを鎮める作用がある。その性質ゆえに、よくお世話になる薬草だ。  その花を、嬉しそうに見つめる妹。彼女のこんなに嬉しそうな笑顔は、そうめったに見ない。  リズの隣にスロウが立ち尽くしていると、店の奥から若い女性が出てきた。  女性は、店先に屈み込んでいるリズを見ると、くすりと笑って声をかけてきた。 「あら、リズちゃん、こんにちは。またユーティ見に来たの?」 「あ……ユノさん。はい……あ、買い物も……」 「ありがと~♪ 今日は何かしら?」 「えっと……シエクレムと、イザミ草です……」  女性――ユノの呼びかけに、リズは怯える様子もなく立ち上がると、微笑んで答えた。思いもしない光景にスロウが唖然としているうちに、リズはユノにそう言っていた。  ユノは、スロウも何度か見たことのある女性だったが、名前までは知らなかった。二人が仲が良いということも知らなかった。――何より、リズが、自分の知らないところで他人と親しくなっていたということが信じられず。  ユノが袋を片手に、注文された薬草を取りに歩いているのを見ながら、やや冷静になったスロウは聞いてみた。 「……お前に友人がいたなんて知らなかったぞ」 「友達……なのかな……?兄さんが別のお店行ってる時、いっつもここでユーティ見てたら……話しかけられて。薬草の話、いろいろして……」  ……なるほど、リズの方からではないらしい。当たり前か。  だが、きっかけなんて些細だ。人当たりの良さそうなユノが、たまたま引っ込み思案なリズと噛み合う性格だったのだろう。  それでも、リズが自分で見つけた友人だ。いつも自分の傍から離れなかった彼女の小さな成長ぶりに、スロウは、つい笑みをこぼした。 「……そうか。よかったな」 「わっ……」  頭を撫でるつもりでおもむろに頭に手を置いたら、くしゃっと山吹色の髪が乱れたる。リズはむーっと頬を膨らませてから、やがて嬉しそうに微笑して頷いた。  ユノから買った薬草を受け取って、帰途につこうと、足を町の外に向ける。  ユノを肩越しに一瞥してから、スロウは前に向き直って言った。 「この調子で、いろんな人と仲良くなればいいな」 「うう……それ、難しい……ユノさんは、ちゃんとボクの話、聞いてくれるけど……」 「……まぁ、それはそうかもしれないな。商売人は攻めが基本だからな。あの人の方が珍しいんだろう」 「ボク……応戦できないよ……」  困り果てた顔で、吐息をこぼすリズ。自己主張が苦手な彼女は、確かに畳み掛けられたら、あっという間に流されてしまうだろう。  自分を犠牲にしてまで相手を考えられるリズは、確かに世渡りは下手かもしれないが、スロウは凄いと思っている。  自分は――そんなこと、できるのだろうか。  自分の身を犠牲にして、相手のことを考え続けられるのか。  ……仮にそれが、リズのためだったとしても、できるのだろうか。 「………………」  ――急に歩を進める気が失せてきて、気が付けば足は止まっていた。歩みを止めた兄を、リズが振り向く。  その彼女の背後で、悲鳴が響いた。 「あ、あ、あんたはっ……!」 「よぉ、ばーさん。客に向かってその態度はご挨拶じゃねぇか」 「なに……?」  気だるげな男の声。二人が注目すると、騒ぎに気付いた者達は皆、通りの先を見ていた。  ここの突き当たりにある、タバコを扱っている一軒家の店の前に。到底町の者には見えない、武装した男の後姿があった。 「あ、アイツ……アグナス=ジェンテじゃないか……?!」 「う、嘘でしょう!? どうしてこんな辺境に……!」 「あの〈赤髪〉のアグナス……だって……!?」  誰かの一言を聞き、周囲の人々がざわめき始める。それほどに広く知れ渡っているその名を、スロウももちろん知っていた。  名前を呼ばれたからか、男がゆっくりとした動作で振り向く。それだけで、人々の会話が怯えたようにピタっと止んだ。 「ほほー。こんな田舎でも俺様の噂は届いてんのか」  28歳だと言われている白髪・・の青年は、ニヤリと笑った。腰に下げた曲刀が揺れ、傍にいた者達がびくっと震える。その人々の背後の壁に、彼らが見ている男の写真が載った紙が貼ってあった。  ――〈赤髪〉アグナス=ジェンテ。  ここ最近、グレイヴ教団のブラックリストに載るほど騒がれている、凶悪な賞金稼ぎだ。今では自身の首にも賞金がかけられているので、賞金稼ぎであると同時に賞金首でもある。  見た通り、アグナスは赤髪ではなく、色素を持たぬ白髪だ。〈赤髪〉の由来は、人を殺し、その返り血で白髪を真っ赤に染め上げる姿から来ている。 「神官様、こっちです!!」  やがて、ばたばたと数人が走ってくる足音が届いた。  いつの間にか静まり返っていた現場の空気を裂いたのは、三人の神官だった。うち二人は、緑のジャケットと神官服を着ており、残りの一人は動きやすそうなラフな格好をしていた。三人とも思い思いの部分に、教団の証のメダルをつけている。教会に行って事を知らせてきたらしい男性が、邪魔にならないように後ろへ下がった。 「お前が、アグナス=ジェンテか……」 「こりゃお早いお着きで。仕事熱心で暑苦しいね」 「貴様は見つけ次第、捕縛せよと指示を受けている!」 「俺様も、名誉のブラックリスト入りしてるからな。そりゃそうだろう」 「ふざけやがって!早々に捕縛するっ!」  ラフな格好をした、この中では一番若く見える青年神官が、威勢良く言い放って拳を握り締めた。同じように、二人の神官も剣と槍を構える。  対してアグナスは、剣の柄に手もかけず……ひどく愉快そうに、邪悪に笑った。 「やれるもんならやってみなぁ?」  若い神官が飛び出した。  素早い動きで相手に一気に迫ると、まだ剣を抜かないアグナスのアゴに向けて拳を突き上げる。それを嘲笑うように、アグナスはかすかに身を反らして回避、目の前にいる青年神官の胸倉を掴み上げ、くるっと背を向けると、 「そらよっと!」 「なっ……!?」  一瞬のことで反応できずにいた青年神官を、軽々背負い投げした。一種のボールのように吹っ飛んだ神官は、驚いた顔のまま、野次馬の中に突っ込む。  青年神官を投げ飛ばしてすぐ。時差を挟んで襲いかかってきた、残りの二人を相手するために、アグナスはスッと腰を低くした。……かと思うと、二人はぐらりとよろめき倒れ込んだ。腹や肩から血を噴き出して倒れた二人を見て、悲鳴が上がる。 「……剣を、抜いた……のか……?全然見えなかった……」  アグナスの手に、いつの間にか幅の狭い曲刀が握られているのを見て、スロウは呆然と呟いた。  アグナスが切り裂いた二人は、苦しそうに険しい表情をしていた。特に、腹を切られた剣士神官は傷が深く、どんどんと血溜まりが広がっていく。このままでは失血死してしまう。  せめてのもの慈悲なのか、アグナスも、彼を先に殺そうと、立ち上がって見下ろして…… 「……ん?」  眉をひそめた。  血溜まりに倒れている剣士神官の傍に、誰かが膝をついていた。包帯を手に持ち、神官の傷を応急処置しようとしているのは……、 「リズっ……!?」  山吹色の後ろ頭。スロウがはっとして隣を見ると、いつの間にか彼女の姿がない。背負っているカバンを開けられた形跡もある。さっき買ったばかりの包帯を抜き取っていったらしい。  傷ついた人を見ると、後先考えずに駆け寄ってしまうほどに、優しすぎる少女。  引っ込み思案のはずのリズは、神官の血にまみれながらも、必死な形相で手当てしながら神官に呼びかける。 「し、神官様、しっかりして下さいっ……!」 「うぐ……君、危ない……」 「貴方の方が危ないです……!まずは止血するのでっ……」 「何だ?この小娘」 「お嬢ちゃん危ないッ!!!」  周囲の何処かから飛んできた警告と、アグナスが曲刀を緩慢に振り下ろすのと、見上げたリズの視界が真っ暗になるのは同時だった。  ドサッと、リズは倒れた。それだけでなく、ゴロゴロと転がっていく。わけがわからずにいると、自分を突き飛ばした人物がむくりと体を起こした。 「に、兄さんっ……?!」 「……くっ……」  カバンを捨て去り、寸前にリズに飛びついて、ここまで転がってきた兄スロウは、不意に表情をゆがませた。見ると、二の腕が血に塗れている。どうやら、自分をかばった時に、わずかに避け切れなかったらしい。  それを呑み込んだリズが、つい怒った口調でスロウに言い詰めた。 「な、何やって……!」 「それはこっちのセリフだ!! 殺人鬼の前に出て行く馬鹿があるかっ!!」 「……!」  言いかけた自分の声の何十倍にもなる怒りと声量に、リズは思わず声を失っていた。スロウはリズを厳しい目で睨みつけ、強い声で言う。 「己を顧みないにも程がある!! 早死にしたいのか!?」 「…………ご……ごめん、なさい……」  兄がここまで怒った姿を、リズは知らなかった。いつもは物静かなスロウの怒号が怖くて、リズはうつむいて反射的に謝っていた。  そこまで言うと、スロウは顔をしかめて二の腕を押さえた。それに気付いたリズが慌てて、ひとまず包帯を巻きつけて止血する。 「…………だが……あの神官は、助かっただろうな。確かに……あのままでは死んでいた。お前のおかげだぞ」 「え……?」  一息吐き、自分を少し落ち着かせてから、スロウは最後にそう付け加えた。怒られた直後に今度は褒められて、包帯を巻き終えたリズは目を瞬いた。  一方、スロウは、自分自身に少しだけ安心していた。  リズが危ないと見た瞬間、勝手に体が動いていた。後先考えないのは、自分も同じだ。  妹のために飛び出せた自分は、血の通った人間だ。  さっきリズに攻撃したのを最後に、そこから動いていないアグナスは、楽しそうに笑った。 「おー、すげぇな~。俺の前にのこのこ出てきた素人と言い、かばってそこまで下がったやっぱり素人と言い。素人に攻撃かわされるなんて屈辱だぜ。やっぱ殺すしかないな」 「……!!」  買い物でもするような気楽な口調で言った殺人鬼が、口元を釣り上げるのが見えた。  瞬間、視界が赤く染まった。 「………………」 「きゃあぁあーーッッ!!?!」 「ひいぃいっ……!!!」  状況を理解していない自分の耳に、人々の悲鳴が聞こえた。  左側だけ赤い世界。何気なく左目を擦ってみると、色が戻ってきた。  頬と手に触れる生温かさ。腕を伝っていったものを何気なく見ようとして、視界の端に隣の妹の姿が映った。 「―――ッ……!!!」 「うん、やっぱ女は柔らかいな」  気付かぬうちに、自分達のところまで近寄ってきていたアグナスが、リズを見下ろして、しみじみと言った。  ――肩からもぐりこんだ曲刀を胸から生やした彼女を見下ろして。  鮮血に塗れたリズは呆然と、アグナスと刃を見上げていた。  殺人鬼がヒュッと刀を引き抜くと、リズは糸の切れた人形のように、無抵抗に仰向けに倒れる。 「リズッ……!!?」  反射的に傍に寄ると、リズはぼんやりとした顔のまま、唇を動かした。 「…………ボ、ク…………どう……して……?」  ――どうして、死ななければならないのか。  不思議そうな双眸が、そう訴えていた。  ……答えられなかった。  自分も、どうしてこうなっているのか理解できなくて。  光を失い、虚ろになっていく目が、瞼に隠されていく。 「…………にい……さん…………にげ……て…………」  ……嘘だ。これは夢だ。夢なんだ。  こんな理不尽な死が、呆気ない死が、あってたまるか。  彼女は、何もしていない。気が弱い、ただの村娘だ。  それなのに、どうして、殺されなければならなかったのか。  世界が望んだとでも?運が悪かったとでも?  ……だから、死んだって?  ―――そんなの、 「認められるかっ――!!!」  湧き上がる激情を吐き捨てるように吼えたスロウの行動は早かった。  素早く横転し、何かに導かれるように、先ほどリズが手当てした剣士の近くまで行くと。その傍らに落ちていた剣を手に取り、正眼に構えた。アグナスが短く口笛を鳴らす。 「ほぉ、思ったよりいい動きするじゃねーか。実戦経験でもあるのか?」  殺人鬼の声など、届きもしない。聞く価値もない。  世界が望んだ?運が悪かった?  馬鹿を言うな。  世界が、運が、殺したんじゃない。  リズを殺したのは、  目の前の、  コイツだ。  殺すべきだ。  殺せ。  殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ!!! 「ああぁあぁぁあああッッッ―――――!!!!!」  剣を握った手を肩口に引き、スロウは悠然と立つアグナス目掛けて駆け出す。アグナスが、面倒臭そうに小さく息を吐くのが見えた。  横薙ぎされた剣の先が、アグナスの喉元まで近付いて……それだけだった。  不意に、衝撃が脳内を揺さ振った。 「……え……?」  頭が熱くなって、急に四肢から力が抜ける。足をもつれさせて転んだ拍子に、頭が揺れてひどく痛んだ。  ……痛い?  そのことに気が付いて、後頭部に激痛が宿っていることを知る。横に倒れ込んだ視界は、そこから流れるおびただしい自分の血で、痛いくらいに真っ赤だった。  痛い。苦しい。  頭の後ろに心臓があるかのように、はっきりと心音が聞こえる。 「……っぁ……」  熱い。  寒い。  喘いで、喘いで、それでも空気が足りない。  実戦経験なんて皆無だった。剣など持ったこともない。  返り討ちにされるのは目に見えていた。それでも、焼けつくような憎悪は、自分に剣をとらせた。  たった一人の肉親を奪われて、自分がどんなに無力なのか知った。  頭から止め処なく流れ出ていく血。  意識が朦朧としてきて霞んできた世界で、赤髪の殺人鬼はくだらなさそうに言った。 「でもやっぱ素人か。素質はありそうだがな」  そして、くるりと背を向け、妹の亡骸を跨いで立ち去ろうとする。 「ぁ……」  おぼろげな意識の中、待て、と言おうとして――  しかし、すでにその後姿は見えなくなっていた。残るのは、眼前に倒れ伏す妹と、真っ赤な海に沈む自分のみ。  それを最後に瞳に映して……何も考えられなくなった。  ……………………   //////////////////  ――力が、あれば。  妹を守れたかもしれない。  力が、欲しい。  他人に脅威を持たぬように。  欲しい。  欲しい。  欲しい。  絶対的な、大きな力が、欲しい……   //////////////////  ……………………   //////////////////  意識が浮上する。  目を開くと、天井が見えた。民家などでは一般的な、木造の天井。  ボーっとしたまま、何気なく身を起こす。見下ろすと、自分は白いベッドの上にいた。  ……ふと、何処からか物音がした。ガタン、と。  見渡してみると、イスから立ち上がって、驚いた顔で近付いてくる年配の男性がいた。 「す……スロウ……!! 起きたんじゃな……」  ……スロウ?  そうだ。それは、自分の名前だ。スロウ=エルセーラ。22歳。  感極まった表情で近寄ってきた白衣の男性は、ベッドの傍らで、静かに語る。 「覚えておるか……?お前さんは、アグナスに切られて、頭から致命的な量の出血をしていたんじゃ……」 「………………」 「ケルンのヴェック医師が迅速に処置してくださってな……昨日、ようやくお前さんの容態も安定して、ここカストー村に移送したんじゃ」 「………………」 「もう、1週間は眠っていたんじゃよ……わしはもう、お前さんまで一生このままなのかと……よかった、よかった……」  ぼんやりとした意識でそれらを聞いてから、ゆっくりと頭に触れた。頭にケガを負ったと言っていた通り、包帯が巻いてあるのが手触りと感覚でわかる。  どうやら自分は、頭にケガを負って死にかけていたらしい。そしてここ数日、生死をさまよい、やっと目を覚ましたようだ。確かに、なんとなく体がだるい。 「………………」  ……………………いいのか?  だんだんとはっきりし始めた脳が、不意に囁き出した。  こんなことをしていていいのか?  こんなことをしている場合か?  お前は、強くならなければならない。  大きな力を手にしなければならない。  さあ、動け。  強くなるために。 「なっ……!? す、スロウ!まだ安静にしていないとダメじゃ!!」  ベッドから降りようと、のっそり動き出した自分を、慌てて男性が両肩を掴んで押し留める。それを横目で見下ろし、呟く。 「……邪魔だ……」  邪魔者は消せ。  強くなるために。  ごっと、拳を男性の鳩尾に突き出した。男性は腹を押さえ、うめき声を上げて座り込む。  ……威力不足だ。まずは、1週間動かなかった分、衰えた体を鍛え直す必要がある。  ゆらりと両足で立ち上がり、歩き出した。歩行するだけでも、少しふらつく。思うように歩けないもどかしさに苛まれながら、ドアに行き着くと、後ろから声がした。 「ど、何処に……行くんじゃっ……!この村に眠る、リズを置いて……何処に、行くつもりじゃ……!? 何を、するつもりじゃ……!」 「………………」  ……特に、行く先は決まっていない。  しかし自分は、男性を振り返り……たった1つ、確実にわかることを口にした。 「強い力を手に入れるために」  ……………………