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Doppelganger05 
太陽と月

  『庶民と一緒にされたくないって言う、貴族のお高いプライドか?そりゃ残念、庶民の俺にはわかんねぇな』  突き放したような、そんな言葉が、脳裏にこびりついていた。  自分は貴族。彼は庶民。彼は事実を言っただけ。  なのに――何なのだろう、この悲しみは。 (……怒らせてしまった……ようね……)  今まで自分のワガママっぷりに、困った顔をしつつも付き合ってくれたヒース。しかし昨日、ついにそれにも限界が来た。  昨日のヒースの態度を思い出し、相変わらず熱でベッドに横たわっているエリナは、木目の天井を見上げて思った。  ――人を怒らせたことは、幾度もある。今のように、「可哀想なんて言われたくない」と相手の干渉を断固拒否し、自分の殻に閉じこもってしまうと、最終的に相手は怒ってしまう。心配してやったのに、その態度は何だと。そしてそのまま、二度と関わらなくなる。  それこそが、エリナの狙いだ。近付いてくる人間を拒み、だんだんと関わってこようとする人を減らす。その方が、単純に楽だから。  だから、相手を怒らせるなんて、初めてのことではないのに。――なぜだか……ヒースを怒らせたことを、何処かで後悔している自分がいる。彼も他と同じように、そのまま、帰ってこないような気がして。  ……そしていつも、人を怒らせて遠ざける度に、自己嫌悪に襲われる。  なんて嫌な自分なんだろう。人を傷付けて、そのくせしぶとく生きている。このまま死んでしまえばいいのに。  ……………………。 「っ……!!」  行き着いた考えに、エリナははっとして、がばっと身を起こしていた。頭が揺れて痛んだが、それどころではなかった。  畳んだ膝を強く抱きしめて、必死に、違うことに意識を向けようとする。そうでなければ……自分は、何をするかわからない。  死んでしまえばいいなんて思うな。もしそう思ってしまったら、自分の好きなものを眺めるといい――小さい頃から、そう父に言われていた。  死にたいわけじゃないのに、死ねばいいと自己嫌悪が急かす。ヒースがいる時、突拍子に命を放るようなことをしたのも、すべてそれが原因だった。  傷付けるようなことを言う度に、自分が嫌になる。そして自分の想いとは別に、自己嫌悪が勝手に体を動かす。飛び降りたり、ナイフを掴んだり。自分ではない、もう1つの意識が、己の中にあるかのようだった。  ……死にたくない。  生きていたい。 (……イルの花……)  自分の好きなものを想像して、真っ先に思いついたのは、前にこの町で見た、あのピンクの花だった。  葉の少ない細い茎の先に開く、5枚の花びら。自分が一目惚れした、可愛い花。  ゆらりと重い頭を起こし、のそのそと動き出した。ぼんやりした頭のまま、何かに誘われるように、フラフラとベッドから立ち上がる。  頭はくらくらして、足元はふわふわしていて、まるで雲の上を歩いているような感覚だ。おぼつかない足取りで、なんとかドアまでたどり着くと、ガチャリとドアを引く。そして、前に一歩踏み出して……  どたんっ!と、前に倒れた。前に出した足に、体を支えられるほどの力を入れないまま、もう片方の足を出そうとし、足がもつれた結果だった。衝撃が全身を襲い、軽く咳き込む。頭もじんじん痛むから、少しばかり打ったかもしれない。  とにかく、早く起きないといけないと思ったが、ひどい倦怠感がまとわりついて、思うように動けない。病にかかった時特有の、このだるさや痛みは、病弱な自分はいつも経験しているはずなのに、いつまで経っても慣れることはない。  いっそのこと、慣れてしまえば楽なのに。  ……いや、慣れてしまったら、生きているのも死んでいるのも、そう変わらないか。 (……慣れていないのなら……まだ、生きてるって証ね……)  生きるのがどんなにつらいことか、普通の人は知らない。「生きる」ということが当たり前すぎて、気付けていないだけだから、仕方ないのだけど。  生きている限り、苦しみや痛みは続く。死んだ方がマシだと思うことも、何度かあるだろう。  それでも、人は生き続ける。その理由が……自分には、わからない。  でもきっと、気付いていないだけだ。理由は確かにあるはず。  現に自分が、優しい死を受け入れずに、苦しみながらも今日まで生きているように。  ――きっと、人は何か、大事なものを探してる。 「エリナ!? お前、何やって……!まだ寝てねーとダメだろうが!」  廊下にうつ伏せに倒れたまま、そんなことを考えていたら、知っている声がして足音が近付いてきた。体を反転させて自分を抱き起こす相手を見ると、やはり見知った青年だった。  ――屋敷に隔離され、他者に会う機会なんてまったくなかった自分に、突然おかしなところから話しかけてきた青年。自分がどんなに驚いたか、彼は知る由もない。  心配そうな顔と怒った顔がない交ぜになった表情で、こちらを見るヒース。帰ってこないような気がした彼の声に、エリナは少し安心した。 「何か用事あるなら、俺が戻ってから頼めばいいだろ。とにかく、ベッドに……」  ぐったりした自分を抱き上げようとしながら言い、部屋に入ろうとするヒースの服をぐっと掴んだ。訝しげに見下ろしたヒースに、エリナは弱々しい声で言う。 「……イルの花……」 「何?」 「……イルの花……見たいの……連れてって……外……」 「イルの花?だったら俺が摘んで来るから、お前は部屋で……」 「ダメ……!摘んだらだめ……そのまま……お願い……摘んじゃだめ……」  ヒースが何気なく言った言葉にぎょっとして、エリナはふるふる頭を振った。  摘んだ花は嫌いだ。と言うより、花を摘むのが嫌いだ。  彼らだって生きている。摘むということは、彼らの命をとっているのと同じだ。「生きる」ということをよく知っていたから、そんなことできなかった。  観賞用に飾られて、しおれたら捨てられるなんて。食事だって考えてみればそうなのに、花だけはどうしても許せなかった。  喋るのも一苦労だった自分は、そんな想いを口にすることができなかった。しかしヒースは何も聞かず、はぁーっと溜息。そして少しの間があってから、ふわっと体が浮いた。 「ったく、1回だけだからな」  エリナを抱き上げたヒースは、仕方なさそうにそう言って、宿の出口へ歩き出した。  中央広場のイルの花の花壇前に座り込み、エリナはそっと手を伸ばした。ピンクの花弁に触れると、安心したのか、ふっと笑った。  隣にしゃがみ込んだヒースは、その横顔を見て言った。 「……そんなに見たかったんだな」 「ええ……」  いつもなら服が汚れると躊躇しただろうに、エリナは迷わず石畳の地面に座り込んだ。熱で頬が赤いエリナは、ぼんやりとした生返事をする。  ――自分の大好きなイルの花。寒そうなか細い茎1本だけで、こんなに大きな花を支えて、華麗に咲かせている。この花壇に咲くすべてが、そうなのだ。  ……病弱な自分でも、こんなふうに生きていけるだろうか。こんな、情緒不安定な自分でも。 「この花、葉っぱがほとんどないんだな。一人ぼっちみたいで、なんとなく寂しそうだな」 「………………」 「でもこんな花を咲かせるんだから、なんか不思議だよな。やっぱ太陽と水と町の人の世話があってこそか」  しみじみとした口調で、ヒースはイルの花を眺めて感心した。その隣で、エリナはイルの花を見つめたまま、彼の言葉を反芻していた。  ……一人ぼっちみたいで、寂しそう。それは何処となく、自分と重なった。  孤独な自分。友達も知り合いもいない。いつも塔の中に、一人ぼっちだった。  ――なら、私が……こんな花を咲かせるには……? 「そろそろいいだろ。あんまり長く外にいると、体冷えちまうぞ?」 「……ええ…………ありがとう」 「ん?」 「……何でもないわ……」  ヒースが立ち上がって声をかけると、エリナは聞こえないように小さく礼を言った。聞き返されたが、そう言って再び言おうとはしなかった。  ふらっと立って歩こうとしたら、やめとけと言われて、やはりお姫様抱っこさせられる。いろいろ言いたいことはあったが、エリナは黙って身を任せた。  ――てっきり、自分に怒って、もう自分のことなんてどうでもいいと思っていると思っていた。しかしヒースは、当然のように心配してくれて、自分のワガママまで聞いてくれた。こんな相手、初めてだ。 (……ほんと……変な人……)  ……わけがわからない。こちらが遠ざけようとする度に、むしろ近付いてくる気さえする。  もやもやする胸の内。しかし今は、睡魔の誘いに身を委ね、ゆっくり目を閉じた。  ……………………   //////////////////  ――久しく、「時間」というものを気にした。  旅をしながら、剣の腕を上げる。時間と言う概念に縛られない、気ままな一人旅。気にする時間は、夜明けと日暮れと飯の時間。あとの時間は、見知らぬ相手と戦ったり、剣の鍛錬をしていたり、とにかく集中していれば、あっという間に過ぎていくものばかりだった。  ……そんな生活を、5年間続けてきたせいか、何処かで忘れていた。1日という時間が、こんなに長いものだと言うことを。 「………………」 「………………」  ジャハル街道を歩く、ヒースとエリナ。会話はない。話すことがない。  あれから数日間、バレンでエリナの養生をした。今のように、大した会話もないまま。1日がひどく長く感じた。  彼女の熱が下がると、1日の休息を置いてから、バレンを発った。ヒースの案内のもと、海を目指してジャハル街道を歩いている。なんとなく潮の香りがするから、もうすぐそこまで来ているはずだ。  ヒースは正面の茜色の空を見て、ようやく今日が終わるんだなと思った。今日もまた、長い1日だった。  無言の時間が長ければ長いほど、時間が遅く感じる。エリナは今どう思っているのかとか、こんなこと思ってるの自分だけかとか、いろいろと気が散漫して落ち着かない。集中していれば時間は一瞬なのに、そうでなければこんなにも長い。  ……エリナと行動をともにするようになって、すでに1週間は経っている。ふとそのことに気が付き、同時に違和感を覚えた。一瞬の逡巡の後、ヒースはエリナに小さく声をかけた。 「……なぁエリナ」 「……何?」 「ラウマケール勢がまだ追ってこねぇが……何でだ?さすがに、お前が家にいないことに親父殿も気付いてるはずだろ?」  エリナは、ラウマケール第三位当主の娘だ。あの時、彼女の父である当主が、アスラの武闘大会の審査員として参加するために留守していたとしても、もうその大会も終わっているだろう。家に帰ってきて、エリナがいないことに気付いていても良さそうだ。  しかも自分達は、フェルシエラが目と鼻の先にあるバレンに、数日間滞在していたのだ。真っ先に探しに来そうなところだが、それもない。それが逆に不気味に思えた。  もしかして、すでにこちらの居場所がバレていて、遠くから監視されているのか?と思ったが、それなら自分が視線に気付くだろう。……あ、でも、それがラスタ様だったら微妙かもしれない。  内心で心配するヒースがエリナに問いかけると、彼女は前を向いたまま、大したことじゃないような口調で答えた。 「家を出る時に、書き置きをしておいたの。『イクスキュリアに行く』って」 「……反対方向じゃねぇか」 「追っ手がかかるのは面倒だったから。……お父様も、それ以外に手がかりがない以上、それを信じるしかないはずよ」  髪をかき上げ、淡々と語るエリナ。相変わらずのその頭脳で、父親さえも出し抜いたと言うのか。  そこまでして、彼女が海に行きたい理由――到底、ヒースには想像がつかなかった。  それから会話は途絶え、黙々と歩く。やがて、街道に生える木々が減ってきて、視界が開けてきた。そこで初めて、水平線から少し浮かぶ夕日が見えた。  海岸に着くと、広い海は夕日を反射してオレンジ色に染まっていた。ゆらゆら、優雅に光が揺れる水面。その橙色の海原を、赤い日に煌く砂浜に立ち尽くして、エリナは見入っていた。 「……綺麗……」  何の飾りもない、だからこそ素直に伝わってくる感動が、ぽつりとエリナの口からこぼれた。  夕日が沈もうとしている海に、言葉もなく見惚れているエリナの隣で、ヒースもその景色を眺めてみた。美しい風景に、わざわざコメントするほど野暮でもない。何よりも、感動は、最終的に沈黙に終着する。  こうやって自然を眺めるなんて、何年もしていなかった。――不思議と、さっきまで苦痛だった時の遅さが、穏やかで落ち着いたものへと変わっていた。 「……海って……大きい。知ってはいたけど……空と同じように広いのね」 「広いだけじゃなく、深さもあるぞ」 「そうね……」  何気なく言った自分の言葉。それは、人の心にも言えることだなと、ヒースは頭の隅で思った。  広くて深い、人の心。喜怒哀楽と広くて割とわかりやすいように見えて、実は深くて奥までは見渡せない。結局、親友でも家族でも、自分と相手が分かたれている以上、完璧に相手の心を知るなんて無理なのだろう。  しかし……それでも、言葉を交わし、少しずつ理解しあって、歩み寄ることはできると――そう思う。 「――エリナ。お前……前に、同情は差別って言ったよな」 「……ええ」  二人で海を眺めている格好で、ヒースが静かに隣のエリナに言った。波音に溶けるように響くその声に、エリナは少し間を置いて頷く。  ――確かに、エリナの言うように、同情は一種の差別だ。心に余裕がある者が抱く、恵まれた者が抱く、そんな感情。  だが、それはきっと……必要だからあるはずの感情だ。  ヒースは、エリナを見た。横顔だった彼女も、その視線に気が付いてこちらを向く。何処か自分の視線を拒んでいるアクアマリンの瞳をまっすぐ見つめて、彼は口を開いた。 「確かに、差別かもしれないがな。俺はこう思う。きっと同情なしに、相手の気持ちなんかわからない」 「………………」 「お前、可哀想って言われるの嫌だ、他人に自分を理解できるはずがないって言ってるよな。それって当たり前じゃねぇか?相手に同情してもらわずに、自分を理解してもらえるわけねーだろ?」 「………………」 「相手は、お前の話を聞いて、お前に同情して、お前の気持ちをできる限り想像して……頑張ってお前のことを理解しようとしてるんだよ」 「……なら……理解されなくていい。『可哀想』って言葉は……もう聞きたくないもの……」  ヒースが率直に言ってくる意見に、力なくそう答え、エリナは視線を彼の目から外して脇にやる。寂しげにうつむいたエリナに、ヒースは小さく笑って、さらに言った。 「どうだかな。本当のところは、理解されたいんだろ?」 「……どうして、そう思うの?」 「お前、可哀想って言われたくないって言ってる割に、自分の境遇はちゃんと話してるんだよ。ま、人間誰しも理解されたいって思ってるだろうしな、当然だろ」 「あ……」  ……今まで、自分がヒースに話してきた出来事。境遇。それを思い出して、顔を上げたエリナは少しだけ目を見張った。  呆然と自分を凝視する彼女に言い聞かせるように、ヒースははっきり口にした。 「だから、お前が思ってることも全部話せよ。俺は、お前を理解してやりたい。お前が何考えてるのか、知りたいんだよ」 「……!」  迷いなど微塵もなく、心の奥底まで決め込んだ強い口調。真っ向から見つめてくる黒瞳を、エリナは目を見開いて見つめ返していた。  ――そのまま、時が流れた。一瞬だったのか永遠だったのかわからない。不意にエリナが泣きそうな顔になったかと思うと、彼女はくるりと、長い髪の流れる背を向けた。 「……、………………貴方……本当に……変な人だわ……」 「……そうか?」  しばらく黙してから、小さく、掠れた声が、波の音に掻き消されながらそう言ってきた。気のせいか、その細い肩も、かすかに震えているように思えた。彼女の背中は、いつもの高飛車な雰囲気とは正反対に、ひどく儚く弱々しく見えた。  やがて……背を向けたままのエリナは、意を決して、喉を震わせながら口を開いた。  誰にも言ったことのない、己の想い。それを言葉にする日が来るなんて……思ってもいなかった。 「……貴族で病弱ってだけで、人は私を敬遠するわ……病気を重くしたらまずい、だから会わない。会ったこともない人達が、私の知らないところで可哀想って言う……」 「………………」 「……ねぇ、それって何なの?みんな、私を馬鹿にしているの?いくら同情されても、会ったこともない人に私を理解できるはずない。みんな、私のことを見下してるとしか思えなかった。……だからもう……可哀想なんて、言われたくなかった……」  ――幼い頃から、いつもそうだった。  公の場にこそはあまり出席しなかったが、貴族達の間で、自分が「可哀想」だと言われているのはよく知っていた。  どうして自分は、体が弱いのだろう。  どうして自分でなければならなかったのか。  そう思うと、父と医者以外の他者は、すべて敵に見えた。見下しているようにしか見えなかった。そんな奴らに、同情なんてされたくなかった。  ――だからあの日。驚くと同時に、動揺した。 「そんな中……貴方は、普通に話しかけてきた。……びっくりした。ラウマケールに名を連ねる当主の娘だって知っても、貴方は怯むこともなくて……」 「あぁ、まぁ……」 「貴方、身分なんて全然気にしないんだもの。どうしたらいいかわからなかったのよ……貴方は私を一人の人として扱ってくれたのに、私はそれを拒否するようなことばかり言って……ごめんなさい……」  ――海に行きたいと思ったのは、嘘じゃない。しかしそれよりも、外の世界を見てみたかった。  どうせ遅かれ早かれ、命尽き果てる身。それなら、その前に一度でいいから、外に出たかった。外に出て病にかかってそのまま死ぬなら、それでもいいと思った。  だから、ヒースがやって来た時は、奇跡だと思った。これを利用すれば、外に出られると。  もちろん、最初はそれだけだった。他者と馴れ合うつもりはなかった。  しかし彼は、いつの間にか、自然なほど自然に、自分の内に踏み込んできていて…… 「…………ねぇ……ヒース」  顔を上げたエリナは、そこでくるりとヒースを振り返った。陽に煌く大粒の涙をこぼしながら、それでも彼女は……綺麗に微笑んだ。  初めてヒースに向けられた、そして、恐らく生まれて初めてエリナがした――満面の微笑みだった。 「私に……同情してくれる?こんな私のこと……理解してくれる……?」  ……同情してほしい。理解してほしい。  不安定で、不器用な自分。強がっていても、本当はただの臆病で。  こんな自分を、誰かに理解されることに怯えていた。  でも、彼なら……  ヒースはふっと笑って、当たり前のように笑って答えた。 「って、さっきから言ってるだろ。計算高くて高飛車で無愛想で、でも実は寂しがり屋で物凄く繊細……ってとこか?」 「……だから……一言余計なのよっ……」  それを聞いたエリナは、泣きながら少しムッとした顔をした。しかし、それ以上何も言い返せなくなってヒースの胸に抱きついた。ヒースが反射的に抱いた肩は、少しでも力を加えれば折れてしまいそうなほど、とてもか細かった。 「ほんと、貴方、無骨で無神経でデリカシーのカケラもないのにっ……!」 「おいおい、好き勝手言ってるな……ま、お前らしいか。な、エルウィヌナーシュさんよ」  エリナのラベンダー色の頭を撫でながら、ヒースは苦笑して言った。思いもしなかった名前で呼ばれ、エリナが驚いた顔でヒースを見上げると、彼女の本名をちゃんと覚えたヒースは得意げに笑った。  <秘める温かな心>。――エリナは、荒んでいた自分の心が温かくなるのを感じていた。  名前の通りの温かな心は、まだ持っていない。しかし、これから……少しずつ、ヒースみたいに、温かな人になれたら…… 「…………決めた」 「ん?」  しばらくしてから落ち着いたエリナが、ヒースの胸に顔を埋めたまま言った。エリナはヒースから離れ、薄く残った涙の痕を拭いてから、訝しげな彼にきっぱり言った。 「私、もう帰らないから」 「はぁ?お前、それはさすがにまずいんじゃねーのか?親父殿に嘘吐きっ放しってことになるぞ?」 「お父様には、そのうち折を見て謝るからいいの。とにかく、私、もう帰らない」 「いや、帰らないっつってもな……お前、どうするつもりだよ?」  まるでこれ以上の問答は無用だと言わんばかりに言い切り、プイっとそっぽを向いたエリナに。ヒースは困った顔をして、頬を掻きながら聞いてみた。すると彼女はこちらに視線を戻し、真剣な瞳でトンでもないことを言ってきた。 「貴方の家に連れて行って」 「……はぁっ!? ちょ、お前の帰る場所まで面倒見ろってか!?」 「いーから言うこと聞きなさい下僕っ!他に居場所がないんだもの!しょうがないでしょ!」 「しょうがないって、お前なぁ……俺の苦労、考えたことねーだろ?」  ヒースが盛大にふっかーい溜息を吐きながら、腰に両手を当てて言うエリナに問うと、エリナは不意に少し申し訳なさそうな顔をした。  うつむいて考え込んだ後、上げられた顔は、何処か寂しげで。開いた口が紡いだ言葉も、何処か縋るようだった。 「……どうしても無理なら、断ってもいいわよ。でも……できれば…………だって、ヒース……私、貴方のことが……」 「って待て待てそれ以上言うな!!! な、何だこの展開!?」 「ひ、冷やかさないでよ!私は真剣に言ってるの!! 無神経な貴方にしては、察しただけいいけど!」  頭に掠めた思考に、ヒースはとっさに制止をかけていた。ふざけてるとしか思えない彼の言葉に、エリナは夕日に照らされて赤い顔で言い返す。 「う……悪かったなっ!! とにかく、先に俺に言わせろ!俺だってカッコつけたいんだよ!!」 「えっ?」  ヒースの口から飛び出した言葉に、エリナはキョトンと彼を凝視した。不思議そうな双眸を真正面から見つめ返して、ヒースは……自分で思った以上に、ごく自然に、想いを口にしていた。 「好きだ、エリナ」  それを言い切るのと、エリナが動くのは同時だった気がする。  彼女の幸せそうなその声が、笑みが、腕の内で染み入るように聞こえた。 「ねぇヒース……私、今とっても幸せよ」  ―――自分の探していたものは、こんなところにあった。