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Doppelganger01 
青年と少女

 剣術を教えてくれた恩師は、言っていた。  常に上を目指し、決して驕るなと。驕ったその時から、その剣は衰えていくと。  それを座右の銘に、今日まで生きてきた。ほとんどの相手は蹴散らせるようにはなったが、それでもあまり自信がなかった。剣聖だった恩師に勝った時に、ようやく自分は割と強くなったのだと知った。  が、やはり上には上がいる。恩師に勝てたのは運だったようなものだし、今、目の前で鋭い気配を醸している相手には、毛ほどの隙もない。 (おいおい……俺が仕掛けるの待ってんのか?隙なんか全然見せてないクセに、無茶言うなよ……)  内心で溜息を吐くが、一瞬足りとも相手からは注意を逸らさない。相手は、32歳だと聞いていたが、予想以上に若々しい銀の短髪の男。シンプルだが高貴な服に身を包んだ男の紫眼は、自分と同じように、こちらから外れることはない。  現在、フェルシエラのラウマケール第一位に座する、レミエッタ公爵家。剣の一族と称される、その現当主・ラスタ=アラン=レミエッタ。  その彼と対峙する、22歳のヒース=モノルヴィーは、ピリピリした緊張感の中、そんなことを思っていた。  貴族のラスタと違って、庶民的な格好をした男だった。手入れが行き届いているとは言えない短い灰色の髪と言い、黒い服の上に乱雑に着た青緑のロングコートと言い、貴族が住まうこのフェルシエラ……しかも最上階では、非常に浮いていた。  そんな男が、大剣を正眼に構え、剣を引いて同じく構えるラスタと、真正面から対峙している。傍から見れば、妙な光景だった。この状態が、すでに5分は続いている。 (仕方ねぇ……先手必勝とも言うし、お望み通りやってやるかっ……!)  あちらから仕掛ける気は、まったくないようだ。リーチはこちらの方が長い。ヒースは大きく踏み出して勢いをつけ、剣を突き出した。こちらが微動した瞬間に動き出していたラスタは、左半身を反らしてそれを避け、攻撃をかわされ隙が生まれたヒースに向かって、すかさず前へ跳ぶ。  ――速い。内心で焦りながら、ラスタの足が地面から離れると同時に、ヒースは大剣を横薙ぎした。予想外の迫る刃に対し、ラスタは否応無しに剣でそれを受け止めさせられる。  ラスタはその剣を跳ね上げる。相手の大剣の重量も相まって、思ったより上げられなかったが、剣身から刃が引けばそれでいい。  軽くなった剣先を、ヒースの喉元に向けて神速で突き出し、寸止めする。 「………………」  どう足掻いても死ぬだろう状況に、相手を追い込んだ時点で、勝敗は決まる。今、相手は、まさに詰んだところだろう。  ……しかし。それはどうやら、自分も同じようだ。  横目で左側を見ると、頭スレスレのところに、大剣の刃があった。こんなゼロ距離で寸止めしたヒースに、ラスタは内心で感心した。 「……さすがは剣聖、か」 「いや、そんなことは……ラスタ様も、噂通りですね。マジで速すぎて、本気で負けるかと思いました」  ラスタが剣を下ろしてから、ヒースも大剣を引いた。ふぅ、と肩で息を吐く。他人に脅威を感じたのは、久しぶりだった。  剣を収めると、ラスタはヒースに、スッと手を差し出してきた。 「挨拶が遅れたな。私は、ラウマケール第一位レミエッタ公ラスタだ。突然呼びつけてすまない。新しい剣聖が生まれたと聞いて、ぜひ手合わせしたかったのだ」 「俺もですよ。ラスタ様の噂はよく聞いてましたから、気になってたんです。……あ、俺は、一介の庶民のヒース=モノルヴィーです」  拙い敬語でそう答え、ヒースも差し出された手を取り、握手を交わす。自分が貴族と同じ場所に立つことはないと思っていたのに、なんだか変な感じがした。  ――事の始まりは、自分が剣聖になったことだ。  数日してそれが徐々に広まっていったらしく、挑戦してくる者が後を絶たなかった。しばらく経って、ようやくそれが落ち着いてきた頃、1通の手紙が届いた。それが、レミエッタ公ラスタからの挑戦状だった。  ラスタは地位の事情もあって、私的な理由では自由に動けない。申し訳ないが、フェルシエラまで来てほしいとのことだった。  レミエッタ公ラスタと言えば、実力で順列されるフェルシエラのラウマケール第一位にいる、シャルティア軍総帥も務める男。迷うことなく了承の返事を書いた。  そして今、一般庶民の自分は、招待という形で、貴族の街フェルシエラの最上階にいる。 (人生って、どう転ぶかわかんねぇな……)  今更そんなことを思って、手を下ろしたヒースの背後。不意に、小さな気配が生じた。  かすかな殺気。何だ?と思いつつ、肩越しに見てみると、小柄な影が飛びかかって来るのがかろうじて見えた。 「っ……!?」  避けられない速度じゃない。むしろ余裕だ。  前に一歩出て後ろに向き直りざま、一度収めた大剣を抜き放ち、掲げられた相手の剣を横から薙いだ。硬い手応えとともに、存外あっさり、剣は一瞬で吹っ飛んでいく。どうやら、相手の握る力が弱かったらしい。  そうしてから、初めて、相手の姿を見た。  衝撃で痺れたのか、細かく震える手を呆然と見つめるのは、まだ10歳ほどの少年だった。さっきまで自分が対峙していた者とよく似た銀髪と、質の高い服を着せられているようなその姿を見る限り、どうやらラスタの子のようだ。 「……悪ぃ、ちょっと強かったかもな。大丈夫か?」  手加減なしで振ったので、子供の腕にはまずかったかもしれない。ヒースがそう声をかけると、少年は顔を上げ、キッと、ヒースをダークブルーの眼で睨みつけた。 「死ねてめー!!」  ゴ ンッ!!!  少年の声がした直後、それに迫らん勢いの音量で、物凄く硬そうで、それでいて何処か生々しい音が響いた。 (…………おいおい……いいのか?) 「ディアノスト、口の利き方に気をつけろ」  その少年の傍に突如現れたラスタが、手に持った鞘に収められた剣で、少年の頭をぶん殴ったからだった。頭を抱え、その痛みに声もなく悶える少年。見る限り、手加減なしに殴っているように見えた。  少年が、今度は、目付きの悪い目で父を睨みつけると、ラスタは淡々と事実を言う。 「未熟なお前が悪い。私は気配を消し、歩いてきただけだ」 「もう、ラスタ様、あまりディアノストをいじめないで下さい」  ふと、第三者の女性の声が滑り込んだ。横の方から歩いてきた長い金髪の女性は、「痛かったでしょう?」と少年の頭を撫でる。一瞬見えた横顔で、その瞳がダークブルーであったことから、恐らくラスタの妻、少年の母親だろう。 「母上……」 「でも確かに、お客様にその口の利き方はいけませんよ。直らないようでしたら、使用人さんに言って、貴方の嫌いなニンジンを増やしてもらいますからね?」  女性がにこやかに脅し文句を言うと、目付きの悪い少年は、少しだけ顔を強張らせた。どうやら、脅し文句に使っても効果があるくらいのニンジン嫌いのようだ。  参ったように黙り込んだ少年から視線を外した女性は、ヒースを見て微笑んだ。 「初めまして、ヒース様。レミエッタ公ラスタの妻・アリシアと申します。この子は、息子のディアノストです。以後、お見知りおきをお願いいたしますね」 「えーっと……ご丁寧にどうも。こちらこそ、初めまして」  柔らかな物腰で挨拶をするアリシア=レミエッタに、ヒースは頭を掻いてから、無難だと思う返答をした。この屋敷に来て最初に、ラスタに「無理に敬語を使う必要はない」と言われたが、大貴族相手に普段の口調はいくらなんでも無遠慮すぎると思って、なんとも稚拙な敬語を使っている。そんな自分と違って、丁寧な敬語を当然のように使いこなすアリシアを見て、貴族と庶民の違いを思い知った。 「ほら、ディアノストもご挨拶なさい」 「やだ」  アリシアに肩を叩かれた少年――ディアノスト=ハーメル=レミエッタは、きっぱり即答すると、ダッと横の方へ駆け出した。それを目で追うと、すでに彼は屋敷の入口の前にいた。思ったよりすばしっこい動きに、ヒースは心の中で感嘆した。 「ディアノスト!もう……本当に、あの子ったら、まったく言うことを聞いてくれません」 「放っておけ、無理に束縛するな」  ふぅと溜息を吐くアリシアに、ラスタはそう言い放つと、ヒースを振り返った。 「ヒース、今日はわざわざ足を運ばせて申し訳ない。急いで帰るなら止めないが、我が邸宅に停泊しないか?歓迎しよう」 「あ、いいんですか?それじゃあ、お言葉に甘えて、泊まっていきます」  確かにそろそろ日が暮れかけているし、自分の住むアルフィン村までは、早くても半日ほどかかる。その申し出は非常に有難かった。  それに、翌日になったら、またラスタと手合わせをするチャンスがあるかもしれないし。もう一度やってみたいと思うヒースであった。   //////////////////  問題は、その後だ。 「…………………………………………………………………………迷…………った……」  眩しいくらいに明かりを反射する床の廊下の端で立ち止まり、認めたくないが、ヒースはげっそりと呟いた。目の前の壁には鏡があり、だらだらと冷や汗をかく自分の顔が映っていた。  あの後、屋敷は自由に歩いていいと言われ、せっかくだからと回っていた……の、だが。宿舎の棟は一本道だからまだ平気だったが、敷地の真ん中に建つ一際大きい棟は、道を覚えるのがめっきりダメな自分にとってはもう大迷宮だった。  何処をどう通ってここまで来たのかわからない。いつもなら人を捕まえて案内を頼むのだが、見渡す限り、今、周りには誰もいない。  ……おいおい……これって、やっべ~んじゃ??  一生、誰も来なくて、餓死とか?剣聖ヒース=モノルヴィー、レミエッタ公爵家奥で衰弱死……はっはは~…………やっべぇ有り得なくもないから笑えねぇええ!! マジでそーなったらマヌケすぎる!無念すぎて化けて出る!! うげっ、そしたらラスタ様に成敗されるの確定だな!二度死ねってか?! 「ああもう知らん!! とりあえず進めばいつかどっかに出るっ!!」  二度死ぬのは勘弁してほしい。わけのわからない妄想を打ち切り、拳を握り締めて、ばーんっと一人で言い切ったヒースは、手始めにすぐ横にあったドアを開けてみた。  すると、ドアの向こうから、ふわりと風が背後へすり抜けていった。驚いてすぐ、ヒースは「おお!?」とドアの向こうへ飛び込んだ。 「よっしゃ、ツイてるな俺!餓死しなくて済んだ!」  ドアの向こうは、外だった。芝生の上に飛び出し、ヒースはホッと息を吐いた。とりあえず外に出ることができたなら、なんとかなるだろう。  そこは、やけに狭い空間だった。というのも、目の前に塀らしい壁がそびえ立っているからだ。建物で言うなら、2階建てほどの高さがありそうだ。どうやら、敷地の端に出たようだ。  屋敷を振り返り、登れそうな場所がないか探すが、さすがレミエッタ公爵家。外部からの襲撃も考慮してか、掴まれるような突起が1つもない。 「しゃーねーか……ま、蹴って壊れるくらいヤワじゃねぇよな?」  あまりスペースがないのが心許ないが。ヒースは塀の壁に背をつけて、深呼吸をした。そして、そこから瞬間的にトップスピードまで上げて駆け出し、1階と2階の境くらいの高さを狙って、屋敷の壁に跳んだ。振り返りざま、その壁を足場に力強くさらに跳び、向かいの塀の縁に向かって跳んだ。  伸ばした片手が、かろうじて、ガッシと縁を掴んだ。重力に引っ張られ、ヒースの体は塀の縁からだらんとぶら下がる。 「……っと……あー、届かねーかと思ったぜ……ういっしょ」  一息吐いてから、ヒースはもう片方の手も伸ばし、塀の上に這い上がった。塀の厚さは思ったよりあったので、そこに座り、景色を眺めながら少し休憩する。  塀の向こうには、公爵家の隣家だろう敷地が広がっていた。少し左の方に屋敷、目の前には噴水を中心とした庭園があった。どうやらこのフェルシエラでは珍しく、園芸が趣味の貴族らしい。 「よっし、行くか……」  塀伝いに歩いていけば、恐らく入口方面に繋がっているだろう。ヒースは、猫のように塀の上を歩いていくことにした。  塀の上では、少し強い風が吹いていた。それに気をつけつつ、歩いていくと、隣家の屋敷に差し掛かった。 「……ん?」  何気なくその屋敷に目をやった時、2階のバルコニーに誰かがいることに気が付いた。少し足を止めて、よくよく見てみると……その人物は、手すりに座っていた。  前方になびく、ラベンダー色の長い髪。風を受けていたそれが、ふわりと落ち着くと、その横顔が見えた。淡いローズのワンピースを着込んだ体つきを見る限り、女性だ。  服装と言い、体つきと言い、鍛えているようには見えなかった。いやそれ以前に、随分と痩せていて、肌も白く、あまり健康的じゃないような……。  その姿は、空の夕焼けも相まって、ひどく儚いものに見えた。 「おい、そんなとこに座ってると危ないぞ?」  塀の上に座り込み、声をかけてみると、女性がこちらを振り向いた。思っていたよりずっと若く、彼女は20歳前後に見えた。まさかこんなところに人がいるとは思わなかったのだろう、澄んだ淡青緑アクアマリンの瞳が、驚いたようにこちらを見つめてくる。  自分だって場所的には人のことを言えないが、万が一落ちても、自分は受け身などで対応し切れる。が、彼女は、どう見ても素人だし、落ちたら危険だ。それに、バルコニーは風通しがいいし、突風が吹けば危ない。  そんなことを思っていると、少し落ち着いたのか、女性は静かに問うた。 「……誰?盗賊?賞金稼ぎ?」 「真っ先にそー来るのかよ……まぁ今んとこ、賞金で生計立ててんのは確かだ」  女性の冷ややかな問いに、ヒースはそう答えた。確かに今、自分は俗に言う賞金稼ぎだ。剣の修行で忙しかったし、ロクな仕事も持っていない。そのうち教団のゲブラーにでも入ろうかと思っているが、大っ嫌いな「勉強させられる」ということが非常に引っかかっていて、なかなか踏ん切りがつかない。  女性は流れる髪を押さえて、無表情のまま、刺々しい口調で言う。 「そんな身分で、よくここまで入ってこられたわね。貴方、自分が何処にいるのかわかってる?」 「フェルシエラの最上階だろ?確かに普通じゃ入れねぇな。けど俺は、今回ラスタ様に招待受けたから例外だ」 「ラスタ様の……?! 貴方……何者?」 「まぁ、ちょっと剣の腕が立つ賞金稼ぎだな」  ラスタの名前を出した途端、彼女が目を見開いたところを見ると、当然だが彼女も貴族のようだ。それも、この階にいることから察するに、ラウマケールに名を連ねる大貴族のご令嬢だろう。 「それはいーから、早いとこ、そっから下りろよ」 「貴方こそ、危ないところにいるじゃない」 「俺は落ちても対処できるからいいんだよ。いいから下りろって。下手すりゃ死ぬぞ?」 「いいわよ、別に」 「…………へ?」  ……一瞬の間も置かずに返って来た一言は、さすがに予想外で。ヒースは目を見張って、正面に向き直った女性を見た。冷えてきた風に煽られながら、横顔の彼女は言う。 「死ぬんだったら死ねばいい。それが運命なんでしょ?」 「……お前、運命なんて、そんなわけねぇだろ。人の死なんて、全部、不注意から起きるモンだぞ」 「ふーん、そうなの。なら、病も不注意から起きるの?」 「そりゃもちろん……うわっ!」 「!」  冷え切った女性の声に返答しかけた時、急に強い風が吹いた。塀に手をついて体を安定させるヒースの見る前で、女性の体がふわりと宙に浮いた。 「おいっ……!?」  落ちる。そう思った瞬間に、ヒースはぶら下げていた足で塀の壁を蹴り上げ、飛び出していた。縦に回転し、体勢を立て直して、スライディングしながら手を伸ばす。バルコニーまでさほど距離はなかったが、間に合わない気がした。 (間に合えッ……!!!)  ローズ色の残像に必死に伸ばした手が、何かに触れた直後。  腹部を衝撃が貫いた。 「ごふぁっ!!?」  大きな釘でもぶち込まれたような感覚だった。まったく身構えていなかったから、モロに食らった。一瞬死んだ。 「……っ痛ぅ~……」  ちょうど胃付近に入ったので、びっくりした胃が中身を逆流させようとする。それをこらえながら、顔をしかめて前をちゃんと見ると、案の定、自分の上に女性がうつ伏せに乗っていた。一応差し出していた両手は、あまり役に立っていなかった。  彼女自身は、ひどく軽かった。そのやせ気味な外見よりも軽く思えた。衝撃に負けたヒースは、キョトンとした様子の女性に、絞り出した声をかけた。 「おい、大丈夫か……?」  呆然としていた女性は、その声にはっとした。上半身を起こし、その至近距離からキッとヒースを睨みつけ、ぐいっと彼の襟首を掴みあげて言った。 「どうして助けたの?! 死ねたかもしれないのに……!!」 「はぁあ??」  冗談としか聞こえないことを真顔で言ってくる女性に、ヒースは思わず呆れ顔になった。 「お前、自殺願望でもあんのか?まぁとりあえず助かったんだから、喜んどけよ」  人を助けて、こんなふうに怒られたのは初めてだ。真に受けて相手にするのも面倒だったから、溜息を吐きながらそう言って、彼女のラベンダー色の頭をポンポンと撫でた。 「……っ!? な、何するのよ?! 無礼者っ!私を誰だと……!」  一瞬遅れて、その手を女性が振り払った。なぜ払われたのかわからず不思議そうな顔のヒースに、女性は動揺した様子で言って、途中で口を閉ざした。混乱が見て取れるその表情が、何処か泣きそうに見えた。 「……おい、大丈夫か?泣きそうな顔してるぞ」 「っそんな顔してない!さっさといなくなってよ!!」  指摘された女性は、今までの冷淡な態度とは一変して、急に感情的になった。立ち上がってヒースの上からどき、そう言い捨てると、女性は足早に屋敷の中に引っ込んだ。   ////////////////// 「……かわいくねぇ……」  昼間の出来事を思い出し、ヒースは小さく呟いた。  思い返してみても、ひどい態度だ。助けたのに、礼の1つもなし。まぁ、あちらさんには、ありがた迷惑だったのようだから、礼を言う義理なんざないかもしれないが。  夕食の席。ひっじょーに慣れないナイフ&フォークの食事だが、ヒースはフォーク1つで食べている。テーブルマナーの「テ」の字すらかじっていないヒースが、この食事を見て思わず青ざめたら、「テーブルマナーなど気にしなくていい」という、ラスタのありがたい一言がかかった。  まぁ、それ以上に、正面から容赦なく放たれてくるナイフ&フォークの存在が大きいのだが。 (なんか、すげぇ敵対心燃やされてるな……)  それらを首を傾けたりするだけで回避したり、自分のフォークで横に弾いたりするヒースは、えらく悪い目つきで睨んでくるご子息を見て思った。彼の手元には、束のナイフ達。何処からそんな数を集めたのかと思ったが、どうやら厨房から盗み出したらしい。  ふと突然、横の方から、銀の一線がノストの前を通過した。ピタリと動きを止めた彼の鼻先を掠め、そのまま壁に突き立ったのは……やはりナイフ。 「ディアノスト、いい加減にしろ。さっさと食え」 「ヒース様に遊んでもらいたかったら、夕食を食べてからにするのよ」  それを放ったラスタが厳格な口調で言うのに合わせ、動じることなく食事していたアリシアも微笑んで言う。新しいナイフを持ってきたメイドから、それを受け取るラスタを見て、ヒースは苦笑いした。  貴族は優雅に食事するものだと思っていたが、とんだ妄想だったようだ。この家が特殊なのか、テーブルマナーなんてもはや皆無だ。ノストはもちろん、ラスタまで躊躇なく食器であるはずのナイフを投げるなんて。しかしそれでも、やはり彼らのテーブルマナーは完璧だが。  ノストはヒースを睨みつけたまま、ナイフとフォークを手に取ると、今度はそれを自分の手元の料理に向けた。幼い頃からしつけられているらしく、やはりマナーはちゃんとできている。とりあえずこのご子息が、非常に自分勝手なワガママっ子であることは、よーっくわかった。  ノストが静まったことで、ヒースはやっとスープに手を伸ばした。動くとこぼれるスープは、今までなかなか飲めずにいた。それを一口飲む彼に、煮込んだ肉を新しいナイフで切るラスタが言う。 「不肖の息子がとんだ失礼をしたな。申し訳ない」 「いや、全然気にしてませんけど……息子さん、いくつですか?」 「先月、10になった」 「はー、それでこの動き、あの身のこなしですか」  ふと気になったので聞いてみて、ヒースは正面のノストをまじまじと見て感心した。まだまだ小柄なノストは相変わらず、非友好的な態度のまま睨んでいる。  さっきの銀器カトラリーの射出技術と言い、昼間の奇襲の際の動きと言い、弱冠10歳でここまでとは。将来が楽しみだな、と思った。  が、親のラスタは、本人の前で淡々と言った。 「まだまだだ。少しばかり人より優れている程度で、己の未熟さを理解していない。だから先ほどの、貴公に襲いかかるようなマネをする」 「あぁ……それはちょっと、考え物かもしれませんね。相手の力量を知った上で、挑むか引くかを見極めることも大事ですから」 「その驕りは、いつか己に跳ね返ってくるだろう。ディアノスト、肝に銘じておけ」  そう言われた本人は、聞いているのか聞いていないのか、よくわからなかったが。  フォークの先に刺された魚の蒸し煮を口に運び、ヒースはふと聞いてみた。 「あの、ラスタ様。昼間、屋敷を回ってたら、隣の家の令嬢らしい人が見えたんですけど……あの人、誰か知ってますか?」  あの澄んだ瞳は、冷ややかで虚ろだった。しかし、頭を撫でた途端、感情的な態度になったのが、やけに引っ掛かっていた。  助かったのに怒るし、変なところに座ってるし。とにかく、変な奴だ。  何処かの貴族令嬢であることは間違いないので、実質フェルシエラを仕切っている彼なら、恐らく知っているだろうと思って聞いてみた。すると、上座にいるラスタは、ヒースから視線を外し、ヒースの向かいのアリシアを見た。 「そういうことなら、アリシアの方が詳しいだろう」 「ふふ、そうですわね。ラスタ様は、ご令嬢様たちとはあまり面識がありませんものね。ヒース様、その方の外見の特徴を覚えていらっしゃいます?」  長い金髪が流れる肩を揺らし、口元を隠して笑うアリシアに問われ、ヒースは「あー……」と少し言葉をまとめてから答えた。 「そーですね……ラベンダーの髪で、ちょっとやせすぎのような気もする人でした」 「あぁ、お隣のエルウィヌナーシュ様ですわね」 「……え、エル……?」 「エルウィヌナーシュ様、ですわ」  予想もしなかった、不思議な音の配列の名前に、ぱちくりと瞬きをするヒース。彼の胸中を察したアリシアは、微笑んでもう一度言った。……が、道すら覚えられない自分に、覚えられるわけがない。  いつの間にか完食していたラスタが、紅茶のカップを持ち上げて言った。 「エルウィヌナーシュ=セラエル嬢か。顔は知らないが、混沌神語で<秘める温かな心>という意味を持つ名らしい。父親のセラエル公がそう言っていた」 「はあ……」  ……<秘める温かな心>。冷淡な態度のアイツの何処が?と思ったが、心だけに留めておいた。 「セラエル公爵は、現在のラウマケール第三位の貴族だ。セラエル公ルードジルは、格闘術に秀でた猛者だ。……だが、ただ1つ、問題があってな」 「問題……?」 「セラエル公爵様には、お子様がお一人しかいませんの。そしてその一人が、エルウィヌナーシュ様なのですけれど……」  と、アリシアは残念そうに、少し語尾を濁した。その様子で、その先がなんとなくわかった。 「ヒース様がお察しの通り、彼女は生まれつき、病弱なのです。よくご病気にかかってらっしゃいます……ですから、公の場にはあまり出席なされません。いつも、お屋敷にいらっしゃるそうですわ」 「………………」 「父親とは打って変わって、非常にか弱い方だと聞いている。医者には、もうあまり長くないとも言われているそうだ。……つまり、セラエル公には、跡継ぎがいない。来年の編成時には、退位するつもりだと言っていた」  ――フェルシエラのラウマケールは、3年に一度、編成が行われる。それで順位が変更になったり、あるいは退位したり、あるいは位を頂く。  順位は、実力派の貴族達にはふさわしい、決闘と言う形で決められる。それですべての相手を下した者が、ラウマケール第一位の座に就くのだ。  そしてラスタは、今までに4度の編成を勝ち抜いてきた。それまでは毎回の如く変わっていた第一位が、これほど長い間安定しているのは初めてだと言う。ラスタがいかに凄まじい剣の使い手か、よくわかる話である。 「エルウィヌナーシュ様……きっと、寂しいでしょうね。あまり人前に出ないということだけでなく、自分が必要とされていないような、そんな思いさえ抱いてしまうでしょうに……」 「………………」  頬に手を当てて、悲しげに言うアリシアの声は、すでにヒースの耳には入っていなかった。   『ふーん、そうなの。なら、病も不注意から起きるの?』  人の死が、すべて不注意で起こるものだと言った自分に、彼女は平坦な口調でそう聞いてきた。  気を付けていても病気にかかってしまうだろう彼女は、あの時、何を思っていたのか。   『どうして助けたの?! 死ねたかもしれないのに……!!』  バルコニーから落ちた彼女を助けた自分に、彼女は怒った口調でそう言ってきた。  生きる目的も気力もなくしてしまっただろう彼女は、あの時、何を思っていたのか。 「………………」