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homeostasis

75 Noesis05 
たったひとつの探し物

 黒を背景に、ふわりと揺れる金糸。  緩くウェーブのかかった金の長髪の後姿が、黒い世界を見つめていた。  何処までも黒い漆黒の世界に、煌く無数の光。そこから境界を越え、さらに向こうを見つめたまま、右目に蛇、右腕に白鳥、右足に赤毛の獅子という異形の姿をした少女――カノンは、言った。 ≪母様は、来ると思っているの?≫  声は、世界に響くことなく散る。別に声を出さずとも思念だけで会話はできるが、カノンはあえて声に出して問うた。  響くことのなかったその声に、世界に響き渡る声が答える。  ―――当然だ そなたも見ているだろう―――  ―――あの者は すでにそこまで来ている―――  ユグドラシルと同化しているような神は、ここ数日、ここから、エオスのたった一人の人間の動きを見守っていた。その者は今、ざぶ・・ざぶ・・と重い足取りで、暗がりの中、ぼんやりとした白い灯りに照らされながら、進んでいた。  ―――人は 余でさえ たった一人だけでも構わぬ 信用に値する者を求める―――  ―――あの者にとって それがステラだった ならば――― ≪必ず来る……グレイヴ=ジクルドを持って≫  神の言葉の先を継いで、カノンは言った。それから視線を上げ、緑石の円盤の上に座った格好で、黒天に訝しげに問いかける。 ≪でも、ここまで来られるのかしら?ユグドラシルは、私やステラのように、ボルテオースを宿した者じゃないと拒否されるはずでしょう?≫  ―――確かに ここは余の住まう地 ボルテオース以外は認めぬ―――  ―――しかしあの者は 一度死に 蘇生している 今までに先例がない―――  ―――もしかすると……―――  ……その先が、紡がれることはなかった。  死んだように静寂に満たされていたユグドラシルの一端の空間に、バチっと、雷撃に似た山吹色の光が弾けた。単音だったそれは次第に連続して繋がり、バチバチと激しくなっていく。黒い空を侵食するように、それはまばゆい白い光となる。  ―――どうやら 余の予感は的中したようだ―――  神が平坦な声で言うと。  その白き光の奥から、何者かの手が伸ばされた。   //////////////////  思うように前へ進めない。  自分を拒絶するように、引っ切り無しに山吹色の雷が肌を叩く。  近付くほどに強くなる、身を切り刻むような凄まじい痛み。その先は自分の踏み込むべき場所ではないと、体が必死に訴えていた。  だが、それさえも無視して、上がりそうになる声を乱暴に噛み殺し、ノストは片目で、光で真っ白な前を見据えた。  イクスキュリアの宿を飛び出し、ほぼ身一つでやってきた、シャルティア北部に広がるジェダ砂漠。同じような景色が続く金色の砂地を進み、3年前の記憶を頼りに、ヨルムデルという遺跡群に辿り着いた。  3年前は、アルトミセア真言で術式を発動させて、地下へ行った。しかし、当然そんなもの覚えているはずがなく、侵入者を防ぐためのその術式を、グレイヴ=ジクルドで破壊して・・・・侵入し、ウォムストラルの感覚を道しるべに地下へ来た。  ――そして、地底湖に着いた自分は、ユグドラシルとエオスとの境界を破壊した。  ボルテオースを宿した者しか通れぬ門を、破壊した。  気を緩めればすぐに意識が持っていかれそうな中、ノストは、痛みでなかなか前に進まぬ体の代わりに、手を伸ばした。  手応えを求めたわけでもない、その伸ばした指先。  ……コツンと、何かが当たる感覚がした。  壊せ。  それが何なのか、考えるよりも先に。  強い衝動に突き動かされるまま、不意に動きが冴えたノストは体を反転させる。そして、伸ばした手の代わりに、もう片方の手に持っていたグレイヴ=ジクルドを、破壊ロアとともに強く突き出した。  キッィィ―――ィイン  薄氷うすらいを割ったような、かすかな手応え。金属が振動するような、かすかな音。  それが聞こえていることにも気付かず、激痛と負荷に苛まれる重い体で、進む。  もう一歩、踏み込んだ瞬間、真っ白だった視界が真っ黒に切り替わった。  ―――着いたわ ユグドラシルよ  集中が切れると言って黙らせていたウォムストラルが、ようやく口を利く。  真っ黒な背景に、数え切れない光が輝く神界ユグドラシル。しかしノストには、自分がその中の、緑石の円盤の上に立っていることも見えていなかった。  当然、ウォムストラルの声も、耳に入っていなかった。  ―――まさか ここまで入ってこられるなんて  ―――おかしいわ ユグドラシルが貴方を 拒絶し切れていない・・・・・・・・・  貫かれるような痛みは止まず、むしろ激しさを増していた。ノストを取り囲む山吹色の雷も、しきりに彼に牙を向く。自分を拒む世界は、その手を緩めなかった。  それでも気を保っているノストの精神力、そしてその異変に、ウォムストラルが驚いて言うと。何処からともなく、笑い声がした。  ―――ユグドラシルとエオスの境界を破壊し この神界と余を繋ぐ術式も破壊したか―――  ―――術式があったら 余の想い1つで そなたをここから弾き出せたが―――  ―――つくづく世界は 思うように回らぬものだな―――  ユグドラシルに響いた、どんな声とも例えられない不思議な声音を聞いて、ノストの意識が外界へと向いた。同時に、コイツが神だと直感する。  集中した意識で、周囲を目だけで見渡す。すると、自分の前に、いつの間にか、緩やかな波を描く長い金髪の後姿があった。 ≪早くステラを探しなさい!! 母様は今、アンタを軽く複写してる!アンタのところに人形の「ステラ」が行った時と同じよ!母様が人型をとったら敵わないわ!≫  金髪の少女――カノンは、人の左手に山吹色の剣を持って、肩越しにノストに叫んだ。見覚えのあるその異形の姿に、ノストは目を見張った。  ―――カノン そなたも余を裏切るか―――  まったくそう見えなかった娘の突然の翻意に、少し驚いたような、残念そうな、そんな神の声が響く。カノンは前を向くと、まっすぐな瞳でそれに答えた。 ≪ステラには、助けてもらったもの。……私はこんな姿だし、生まれてすぐ飛び出したから、母様に嫌われてると思ってた。だから、ユグドラシルに帰るのが怖かった≫  ――自分が生まれたのは、5年前。神が、初代セフィス・アルトミセアを思い描いて構築した。  しかし、始まりの地ナシア=パントを漂う思念が強すぎて、それの影響を受け、自分は異形の姿となった。その姿を嘆き、拒絶されるのを恐れ、自分はユグドラシルを飛び出した。  それから4年、人々に怯えられながら、シャルティア中を歩いた。その途中で、エオスにボルテオースの存在が現れたのを感じた。ステラが目覚めた年だ。  その気配を頼りに辿り着いたのは、小さな村だった。その奥にあった家で眠る少女から、神ほどは強くないが、クロムエラトですべての事情を知った。  ……絶望した。知りたくなかった。自分は、完全にいらなくなったなんて。  実体を持たぬ故に死ぬこともできず、文字通り亡霊のようにさまよい、1年前、オルセスを魂だけの都にして、そこに落ち着いた。それから時が経ち……自分のところに、ステラがやってきた。 ≪……けれど、ユグドラシルに帰ってきて、母様が温かく迎えてくれて、嬉しかった。そのきっかけを作ったのは、ステラよ。あの子は、そんなつもりなかったんでしょうけど……≫  ユグドラシルに帰ってきてから、ずっとステラの動向を見ていたが、どう見ても後まで考えて動くタイプではない。それでも彼女は、不思議と後々感謝されている。自分も含めてだ。  小さく微笑んでから、カノンは剣先を上げた。  こんなにまっすぐになれたのも、きっと妹のおかげだ。 ≪それに、ステラは私の大事な妹よ。例え母様の決めたことでも、ステラを壊すなんてさせない!≫  人形は、もう完成間近だ。それを感じ取ってから、カノンは背後のノストに急かすように言った。 ≪早く探しなさいよ!ステラは今、意識だけになって魂達の中に紛れてる!アンタが想えば、すぐに見つかるわ!ここは、そういう世界よ!≫  ……あの光の中に、ステラが紛れてる?  激痛と疲労とで朦朧とする意識の中、それだけ聞き取ると、ノストは真っ黒い周囲を仰いだ。  まさに星の数だけある光。魂。  あの中に、たった1つ、自分の探しているものがある。  探し出せるわけがないと、いつもなら、そう思っただろう。  ――気が付けば、走り出していた。  カノンに背を向け、緑石の円盤の上を走る。浅く流れる神水が跳ねる。  そして、縁に差し掛かると、迷うことなく跳んだ。  足場から足を離した途端、浮遊感に包まれて、背後の足場も見えなくなった。  真っ黒の中、上も下もわからなくなる。落ちているのか、飛んでいるのか。手を伸ばせば掴めてしまう距離に無数の星が輝く空を漂う。  たゆたう自分に、ウォムストラルが優しい声音で囁く。  ―――ノスト 騙されたと思って 思い浮かべて  ―――貴方がここに来た 最大の理由 探しているものを  神界ユグドラシル。人を拒むこの世界に、自分が無理やり侵入してきたその理由。  ……たった1つだけ、探しているものがある。  自分の居場所。  ……いや違う。居場所なんて作ろうと思えば作れる。そんなものじゃない。  もっと、衝動的な理由。  たったひとりに執着する理由。  それは、とても単純で、同時にとても醜悪で。  目を、閉じた。  瞼の裏の暗闇に吸い込まれそうになる意識を、皮肉にも激痛が引き戻す。その激痛で遠のきそうになる意識を、瞼の裏の暗闇にその理由を思い描くことで引き止める。  ――出て来い。  お前だ、勝手に身代わりになった馬鹿一名。  いつまで寝てるつもりだ。  一体いくつあるのか見当もつかない、数ある魂。山吹色の雷に苛まれながら、それらの中を漂っていたノストは、静かに瞼を上げた。  仰向けなのかうつ伏せなのか逆さまなのか、まったく天地がわからない。ただ目の前、手を伸ばせば届く距離に、他のそれと同じ、1つの光があった。  不確かな確信とともに、誘われるように手をすっと差し伸べる。温かくも冷たくもなく、ましてや形らしい形もない魂に触れた。  瞬間。  まるで直接頭の中が大滝に打たれるような、凄まじい不可視の奔流が襲い掛かってきた。  生闇イロウとは比べ物にならないほどの頭痛に、こらえていた声が上がった。それさえ自分の耳には届かなかった。  頭の奥で軋みが上がる。比喩ではなく、このままでは本当に中から壊れてしまう。そう直感した。   『これからも……隣に、いて下さい』  体と頭の容赦ない挟撃にさらされながら、脳裏に、薄暗い中、月明かりに照らされた自分の姿が垣間見えた。  と同時に、理解する。人の頭では持ち切れぬ、とんでもない情報量のこの奔流は、コイツの、ステラ自身の記憶だと。   『人を信じるのは、いけないことなんですか!?』   『そっちが本心ですかッ!?』   『……わたしは…………生きてても……いいん、ですか……?』  自分では忘れかけていた言葉たちが、懐かしむ間もなく自分の中を荒々しく突き抜けていく。  純粋というか天然というか、とにかく甘ちゃんで、すぐに泣き出す泣き虫で。皆に好かれる反面、孤独を恐れる寂しがりで。  暴れ狂う記憶の中では、その時彼女が覚えた感情も伝わってきた。  ルナに認められた時の、身が震えるほどの感動。イソナに【真実】を告げられた時の、世界の終わりのような絶望。その後、自分にあっさりした一言を言われた時の、泣き出しそうな憤怒。   『あぁあぁぁあああああああああッッッッッ!!!!!!』  その時、一際高い声が、頭を貫いた。  脳裏に映ったのは、滲む視界に血まみれで倒れている自分の姿。スロウに殺された時のものだと察した。  体の真ん中に大穴が空いたような、悲哀。絶望。    嘘だ!ノストさんが死んだなんて嘘だ!!    なんで、どうして!どうして私なんかかばったの!?    ノストさんッ……どうしてっ……!!  現実を拒絶する、ステラの心が聞こえた。ひどく痛々しいその嘆き。  なぜ、かばったか?  あの時は、体が動いていた。スロウに刺されてから、自分がステラをかばったことに気付いたほど、無意識のうちに。  その理由は、今はわかる。それは、ここに来た理由と同じだ。  単純で愚かで、物凄い衝動とともにできているそれは――……  ピシッ――  頭の奥から、亀裂が走る音がして。  ざあっと、頭の中が晴れた。頭の中、込み合っていた記憶達が唐突に消え去り、自分の意識だけが残るのを感じた。  力の分量をはかるのに手間取った―――  ―――ロアとラシュファで魂の持つ記憶を退けたわ 今なら行ける  ジクルドとウォムストラルの声は、聞こえていなかった。  頭痛の余韻を残す、軽くなった頭。それが認めたのは、視覚が伝える正面の景色。  いつの間にか、真っ白な世界にいた。何もない白き光。白き闇。  ノストの目が捉えたのは、その世界にたった1つだけあったもの。  地面があるのかわからない世界を、蹴る。足の裏に手応えがあって、彼の体は力強く前へ飛び出した。  白き光の中、手を伸ばして、叫んだ。「未来」とよく似たその名前を。  声は、音は聞こえない。それとも自分に聞こえていないだけなのか。  白き闇の中、おぼろげに見えた、瞼を閉ざした少女。  霞んで見えたり、水面のようにゆらゆら揺れて見えるその姿は、今にも消えてしまいそうで。  一糸まとわぬ彼女の細い腕を、伸ばした彼の大きな手が掴んだ。  ……………………  世界が黒になった。  視界に映るのは、漆黒を背景に煌く白い光達。ユグドラシルに帰って来たと知る。思い出したように山吹色の雷の痛みが帰ってきて、思わず体を折った。  上げたままだった左手に、霞む目を何気なく落とすと、ノストはいつの間にか、その手に、小さな光――魂を掴んでいた。  ――― 一度でも 核の意識体に接触できれば 殻の記憶はもう襲ってこないわ ≪ステラの魂を見つけたなら、早く帰りなさいっ!! ステラの体は、私の体を構築してるボルテオースを使って、ラシュファで再構築すれば問題ないわ!≫  何処からともなく、カノンの悲鳴のような声が聞こえてきた。神の攻撃に必死で対抗してくれているからなのか。  とにかく、彼女の言う通り、『探し物は見つかった』。長居は無用だ。グレイヴ=ジクルドを持ち上げ、来る時同様、境界を壊してこじ開けようとする。  ウォムストラルが戸惑ったように言うのが聞こえた。  ―――カノン それでは貴方が ≪私は意識だけになるけど、むしろ好都合よ。こんな醜い体でも、役に立つなら遠慮なく使って。どっちにしろ、私と違って、ステラは体と意識がセットじゃないと目覚めないんだから、迷う必要はないでしょう?さあ早く!!≫  ―――……わかったわ ノスト そのまま出て  振り下ろす。と同時に、柄付近のウォムストラルが光を放った。  ただでさえボロボロの体に、さらに消滅の力の負荷がのしかかる。ウォムストラルは、それとは別に、ラシュファを発動していた。  無音で裂けた目の前の空間に、左手の煌きをしっかり掴んだまま、ノストは飛び込んだ。彼の持つ魂を、彼方からやってきた山吹色の粒が舞うように取り巻く。  背中にしたユグドラシルから、重々しい響きが追ってきた。  ―――世界の大罪人ステラ 共犯者ディアノストよ―――  ―――あまり余を 侮らぬ方が身のためだぞ―――  その声が遠くなっていき、痛みが引いていくのを感じながら……  ユグドラシルとエオスの接続部。その狭間の真っ白な世界に呑み込まれた。  飛び込んだ瞬間、手応えのなかった左手の魂が、不意に形をとった。  天地がわからない世界、霞んでいく視界の真ん中に、向かい合うように少女の姿が浮かび上がった。  もう、疲れ果てた体は、ロクに動かなかった。手を伸ばすことはできなかった。  それでも、左手に掴んだ、確かなぬくもり――彼女の手を掴む手だけは、緩めずに。  探していた、たったひとりの少女。  安堵とともに、目の前の景色が薄れていく。自分の意識が遠のいているのか、世界が白くなっているのか。それすらもわからなくて。  やがて、何も見えなくなった。   //////////////////  ……………………   //////////////////  ……懐かしい、音を聞いた。  何の音かと思ったら、鳥さん達の可愛い鳴き声で。聞き慣れているはずなのに、なんだかとても懐かしかった。  閉じていた目を開いて、むくりと起き上がる。私はベッドの上に寝ていた。  部屋を見渡すと、最低限の家具が揃った何処かの部屋。宿屋さん……かな?部屋には私以外、誰もいない。  それから窓の外を見ると、太陽はすっかり南中していた。え、うそ……寝すぎた?まさかの正午起き?ノストさん、起こしてくれればいいのに…………って……、 「…………あ……」  ……思い出したくない、赤い記憶がフラッシュバックした。  そうだ。私の目の前で。ノストさんが……  愕然と目を見開いて、震える手で頭を抱えた。その時に触れた腕の感覚がいつもと違うことに気が付いて、見てみると、私はいつもの服じゃなく、なぜか袖のない白いワンピースを着ていた。  ノストさんの体温とか、血とか、何もかもが生々しい記憶として鮮明に残ってる。  あの後……どうなったんだろう?私が、ノストさんを生き返らせようとして。それから……それから、どうなったんだろう。  私……死んだのかな?ううん、そんなことより……ノストさんは……ノストさんは、生き返ったの?  もしそうだったら、きっと私に科された代償は大きい。実際、ノストさんが生き返ったかどうかはわかんないけど……もしそうなら、じゃあ、ここは天国?着てる服もそれっぽいし……。  ……ふっと、小さく笑みが漏れた。いつの間にか、震えも止まっていた。  わかってる。天国なんてない。この世界は、ユグドラシルとエオスで成っているって。だから、死んだらユグドラシルへ向かうはず。あれ……でも私、人間じゃないし、もしかして当てはまらないかな?  とにかく、ここは天国じゃない。なら……これは、天国の夢?  ……まぁいっか。どっちでも。どっちにしろ、私はきっと、生きていない。  元より、そのつもりだったから。ノストさんが生き返るなら、どうなってもいいやって。  心残りなのは、ノストさんがちゃんと生き返ったのか知らないことくらい。何処かでわかればいいんだけどな。  ぎしっと、ベッドから降りる。裸足のまま、床に両足でしっかり立つ。  ぺたぺた歩いて、窓に近寄ってみると、視点が高かった。この部屋、2階……にあるみたい。  下の方に、広い庭園が広がっている景色が見えた。色とりどりの花が咲き誇る、見覚えある庭。真ん中にある、人型の像。  ……ここは……ミディア?やけにリアルな夢だ……なら、誰かいるかな……夢だから、あんまり期待できないけど。  部屋から出ようと思って、窓から離れてドアに近付いた。裸の足が気になったけど、履く物が見当たらないから、そのまま向かう。うーん、何処かで履く物調達しよう。  ドアレバーを回して、引いたら……向こうは赤紫色に染まっていた。  夢の果て。この夢……この部屋しかないんだ。理由もなくそう思って、何気なく視線を上げた。  目が、合った。  吸い込まれそうな、深い蒼。 「……………………え……?」  ……その2つの蒼が、一体何なのか、わかっているのに理解するのに時間がかかった。  光を宿した、命の通う暗めの蒼の双眸。その光から、私は目が離せなかった。  ドアの向こうに、少しだけ驚いた顔をした人が立っていた。そして私は、きっとそれよりも、もっと驚いた顔をしていた。  夢の果てだと思った赤紫色は、彼が着る服の色だった。私にとって彼は黒のイメージだったけど、その色はよく彼に似合っていて。  相変わらずサラサラツヤツヤな銀髪は、後ろが短くなっていたけど、見間違えるはずがない。  でも、なんで?  私と彼が、どうして同じところにいられるの?  さっきまで諦観していた頭が、思いがけない奇跡に出会って、途端に混乱し始めて。  喉が震える。  なんで?どうして?  ……ああそっか。夢か。天国の、優しい夢。その中なら、有り得ても不思議じゃないよね。  そう考え付いて、いくらか落ち着いてきて、それでも胸が熱くなって。……嬉しくて。  泣き出しそうになるのをこらえて、震える掠れ声で、呼んだ。 「ノスト、さんっ……」  ……もう、会えないと思ってたから。  たとえ夢でも、会えてよかった。  こらえていたはずなのに、目が涙で滲む。ノストさんの顔が見えなくなっていく。こうしている間にも、夢から覚めてしまうかもしれないのに。  邪魔な涙を拭おうと思ったら、滲んで色しかわからなくなった視界で、紫色と銀色が動くのが見えた。  足の裏が浮いて、顔面に何か当たる感覚と同時に、体が温かいものに包まれる感覚がした。 「え……?」  ……容赦ない強い力。抱きしめられたってわかったから、わけわかんなくて。 「痛っ……」  呆然としてから、その腕の力ですぐに体が痛くなって、思わず声を上げたら、力が少し緩んだ。  私の方に倒れかかるような体勢でいるノストさんの頭が、私の頭の少し上、すぐ横にある。そんな至近距離で、声が響いた。 「…………勝手に動くな、馬鹿が」  いつもの毒舌が、何処となく安心したように、耳元で囁くように聞こえた。  一番傍で、一番よく聞いた、一番大事な人の声。 「……ふっ……」  喉が詰まって、声が出ない。  言い返さなきゃ。また馬鹿って言われてる。言い返したい。  けど、言い返す言葉は見つからなくて。代わりに、堰を切ったように涙が溢れてきて。  彼にしがみつくようにして泣いた。触れる彼の体は、あたたかかった。 「ひ、っく……は、い……はいっ……ノストさん……ノストさんっ……」  これが天国の夢なら、それでもいい。  もう、覚めないでいい……