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homeostasis

71 Noesis01 
神と子

 ―――予想外のことが起きた―――  黒く、暗く、果てしなく広い空間に、不思議な声音が波紋のように響いていく。  ―――まこと世界とは 思うように回ってくれぬものだな―――  ―――余が創りし園だと言うのに だからこそ いとおしいのだが―――  言葉とは裏腹に、声は到って平坦だ。感情の起伏がひどく乏しい神。そもそも、感情という概念が希薄すぎる存在。  ―――だが このままでは……――― ≪……母様……≫  真っ黒な世界を背景に、淡い緑石が敷きつめられた大きな輪の上に立つ、緩やかなウェーブを描く長い金髪の少女。右目は蛇、右腕は白鳥、右足は赤獅子のパーツを持つ彼女は、静かにその声の主に呟く。  彼女の蛇の右目と山吹色の左目は、星のように輝く無数の光のうち、1つに向けられていた。  その少女の思念を読み取った声が、決意したように言った。  ―――よかろう それしかあるまい―――  ―――我が力は 我が友がなければ ひどく安定を欠いたものとなる―――  ふわりと、少女の前に、淡い白い光が渦を巻き始める。その光の向こうに、ぼんやり人影が見えた。  ―――我が友を グレイヴ=ジクルドを 此処へ―――   //////////////////  ―――ルオフシル 監視者である貴方の役目は どうやらまだ続くようね  白く、明るく、こじんまりとした狭いベッドの上から、揺らめくように響く女性の声音が響いた。  ベッドに置かれた、一本の白銀の剣。その柄の辺りにはまっている透明な石――ウォムストラルが、何処か嘆くように言った。同じ部屋にいたフィレイア=ロルカ=ルオフシルは、そう声をかけられ、「……はい」と小さく返事をする。  国議に来た自分達がイクスキュリアで取った宿屋、その一室。ベッドの上のグレイヴ=ジクルドと向き合うように、イスに座ったフィレイアが問う。 「でも、なぜでしょうか?貴方の再生ラシュファは、促すことのはずです。その状態を反転させるような死者の蘇生は、できないはず……」  ―――そう それは確かよ 私もステラに それは不可能だと言った  ―――実際 貴方達の言う神ですら 私達を以ってしてもできなかったことよ  ―――けれど ステラはそれを可能にしてしまった  フィレイアの問いに答えながらも、ウォムストラルは、いまだにその事実を信じられずにいた。  ――3日ほど前に、宿屋にいたフィレイアを、ルナが訪ねて来た。久しぶりの再会を喜ぶ間もなく、ルナは切羽詰まった様子で、フィレイアとイルミナに助けを求めてきた。  死光にやられたというサリカ、そして、気絶している・・・・・・ノスト。隠れ家に使っていた家が壊され、寝かせるところがない二人をこの宿に運び込んだ。  その後、ルナから事情を聞いた。  グレイヴ=ジクルドが完成したこと。  それを狙ってスロウが襲ってきたこと。  ノストがステラをかばって死んだこと。  それをステラがグレイヴ=ジクルドで蘇生しようとしたこと。  そして、光が消え、気が付いた頃には―――すでにそこに、ステラの姿はなかったこと。  残っていたのは、彼女が着ていた服だけだった。  その代わり、あれだけひどいケガを負っていたはずのノストの体から外傷が消え、その体に、確かな温度を持った血が流れていた。規則正しい息もしている。しかしまだ目覚めておらず、彼はまだ、隣の部屋で眠っている。  ―――貴方の言う通り 私達の力に 状態を逆転させるような力はない  ―――だから恐らく クロムエラトが関係しているのね <叶える想い>とは我ながらよく言ったものだわ  ノストが死んだ時の、ステラの心。絶望、悲哀、恐怖。そんな暗い感情に、一面が塗り潰されていた。  と思ったら、とある可能性に気付いて、それらが希望、期待、勇気など、まっすぐなものに一転した。  どちらの想いも、眩しいくらいに強く輝いていた。その想いの強さが引き起こした、先例のない――神の御業。 「クロムエラト……ステラの力のことですか?」  自分の与えた名に小さく笑うウォムストラルに、その名を初めて聞いたフィレイアが問う。  ―――元々は神の力よ それと同等の力をステラも持っているの だから神も想いだけですべてを行う  ―――けれど神は とても感情の起伏が少ないわ その点 ステラはとても豊か  ―――クロムエラトは想いが源 その強さなら ステラは親である神さえも超越するのね 「神を……越える……」  実感のないその言葉をぽつりと呟いて、フィレイアは、ミディアで初めてステラに会った時のことを思い出した。  彼女の正体を知っていた自分は、彼女を「神子」としか見ていなかった。しかし、一緒に数日過ごして、笑い合ったり話したりした今では、彼女を「神子」と思えない自分がいる。  笑ったり怒ったり、喜んだり悲しんだり。一人の人間の少女と変わらなかった。彼女は、あまりにも人間らしくて。  そんなステラが、神を越える。――なんだか、不思議な響きに聞こえた。  ステラ。  ノストを蘇らせ、消えた彼女。  一体、何処へ行ったのか?  まさか――― 「……あの……ステラは一体、何処に……」  聞くのをためらうように、フィレイアは、ずっと後回しにしてきた疑問を恐る恐る問いかけた。自分で悟っているからこそ、事実を改めて突きつけられるのが、怖かった。  その複雑な心境を読み取ったのか、ウォムストラルは少し考え込むように間を置いてから、別のことを話し始めた。  ―――ステラが消え 入れ代わるようにノストが蘇生した あの場に残っていたのはステラの服だけ  ―――この状況を見る限り 恐らく蘇生には ステラ自身のボルテオースが使われたはずよ  ―――だから…… 「………………」  ――それ以上、ウォムストラルは、何も言わなかった。声の余韻が静かに広まり、無に帰っていく。……フィレイアも、もう何も言わなかった。言えなかった。 「…………では……それでは、神は……一体、どうなさるつもりでしょうか」  ……長い長い、沈黙の後。フィレイアが絞り出すように声を発した。気丈に振舞う小さな聖女の肩は、それでも小刻みに震えていた。  ステラは神子。神がグレイヴ=ジクルドを破壊するために生み出した破壊者だ。しかしステラは、グレイヴ=ジクルドを破壊せずに消えてしまった。目的を果たせなかった神が、このまま黙っているとは思えない。  同じことを考えていたウォムストラルは、困惑したような口調で言った。  ―――わからないわ 「貴方は……神の声を聞けるのではないのですか?」  てっきりそうだと思っていたフィレイアは、少し驚いた顔をした。グレイヴ=ジクルドは、神から何か連絡を受けているものだと思っていたから、予想外の回答に戸惑いが隠せない。  ―――聞けるけれど 私達から話しかけることはできないから 神が話しかけてくるのを待つしかない  ―――それは貴方も同じよ ルオフシル 「……セフィスになる儀式で、ボルテオースを取り入れているから、歴代セフィスは神の声が聞ける……という話ですね。しかし、ボルテオースを取り込むには、ある程度オースに慣れた身でなければ、悪影響を及ぼす可能性がある……と」  先ほどウォムストラルからセフィスのことについて聞いたフィレイアは、再確認するように声に出して言った。第二の神から初めて聞かされた真相に、フィレイアはストンと納得した。 「ですが、私は……神の声を耳にしたことがありません。いえ、一度だけあるのですが……ほとんど覚えていないのです。しかしあれは、グレイヴ=ジクルドに関して尋ねた時でしたから……あの剣を壊すことを願われる神にとっては、やむを得ずご返答なさったのかもしれません」  神の声を聴けぬ聖女。そう言われ続けて、もう8年になる。聖女の立場に立つ自分の最大のコンプレックスだ。少し寂しげな表情をしたフィレイアは、瞳を閉じてそう言った。  ――3年前。ヒース達から、神がグレイヴ=ジクルドを壊すために、神子ステラを生み出したことを聞かされた。自分の代で、ようやく神が剣を壊すために行動を起こせたのだと悟った。  小さな破壊者はまだ目覚めていなかったから、ヒース達がまずはグレイヴ=ジクルドを探すことになった。そのために、一緒に立ち会っていたカルマとルナ、それからサリカ、イルミナ、スロウに手伝ってほしいと声をかけた。サリカとイルミナは快く応じてくれた。――が、スロウだけは違った。   『剣が泣くと思いませんか?』  グレイヴ=ジクルドは、破壊と再生を司る神の剣だ。オースでつくられたアルカよりも、もっと源泉の存在。  強大な力を持っているであろうその剣を壊すことに、スロウは反対した。そして自分達は、別々の道を行き始めた。  その後、グレイヴ=ジクルドの居場所を知るには、神に聞くことが一番だと思った自分は、ただひたすら祈った。  気が付いたら倒れていて、ただ頭に残っていたのは、「ヨルムデル」「地底」「大きな鏡に囲まれた緑の孤島」「アルトミセアの真言」というキーワードだけだった。  記憶が飛ぶほど一心不乱に祈り、ようやく声が聞こえた自分。しかし、歴代聖女は完全に啓示の形で聞いていたという。  先代までは下っていたという神の声が、自分には――聞こえない。 「……なぜでしょうか?なぜ私には……神は御声を下さらないのでしょうか?私は……私には……欠けているものが、あるのでしょうか……」  自分のような先例はいない。一体、何が欠けているというのか。  不安げな声で問いかけるフィレイアに、ウォムストラルは申し訳なさそうに答える。  ―――ごめんなさい それもわからないわ  ―――けれど 何かが欠けているというのは有り得ないはずよ  ―――神が貴方に声をかけないだけだと思うのだけど ジクルド 貴方は何か知ってる?  ウォムストラルが、今や一体となった片割れに問うと、ひどく無口なジクルドが思い出したように返答する。  一切存ぜぬ 「    」の思考は 完全に理解不能だ―――  ―――それもそうね なぜ「    」は……  創生神語で紡がれる神の名は、フィレイアの耳には聞こえない。神の補佐役であり、同等の存在でもあるグレイヴ=ジクルドでも、その理由は知らないようだった。二人でさえも理解しきれないという神。だからこそ、超越者――「神」なのかもしれない。  ……コンコン、とドアがノックされた。 「はい、どうぞ」  サリカは動けないし、ノストは寝ている。だからこの部屋を訪れるのは、ルナか、兄のイルミナだけだ。  フィレイアの返事に応じて開かれたドアの向こうに立っていたのは、兄イルミナ=ロルカだった。珍しくゲブラーの神官服と上着を着ているが、普段のコック姿が目に焼き付いているからか、妙にちぐはぐな印象を受ける。このイクスキュリアには国議のために訪れていたのだから、正装なのは当然なのだが。  イルミナは、ベッドの上のグレイヴ=ジクルドとフィレイアを見比べて聞いた。 「フィレイア、今、時間空いてるかい?」 「うん、大丈夫だよ。どうしたの?」 「いや、フィレイアにお客さんが来ててさ……」 「お客様?どなたなの?」 「うん、まぁ……とりあえず、彼の話を聞いてもらうと助かるんだけど……」 「……?」  やけに歯切れが悪い。イルミナは頭を掻きながら、何処か困ったような困惑したような表情で横を見ると、すっとドアの前から退いた。それと入れ代わるように、廊下に控えていたらしい人物がそこに姿を現した。 「―――貴方は……!!」 「……お久しぶりです、フィレイア様」  その見知った人物の登場に、フィレイアの目が見開かれた。   ////////////////// 「っっはぁぁああああ~~~……」  盛大な溜息を吐き出し、ルナ=ベルシア=ゾークは、顔を横にしてテーブルの上に寝そべった。90度傾いた視界には、ベッドの上で体を起こしたサリカ=エンディルが映っている。  3日経って、死光の攻撃から回復してきたサリカが、最近の事件などの情報がまとめてある雑誌に視線を落としたまま笑った。 「随分デカイ溜息だなぁ。幸せが100個分は逃げたかな?」 「別にいいよぉ……逃げた分、全部また捕まえるからぁ……」 「凄いこと言ってるよ、コイツは……それで、何に悩んでるんだ?」  投げやりな口調でトンでもないことを言っているルナにサリカは苦笑し、彼女を見てその溜息の理由を尋ねた。ルナは、さっきよりは幾分か小さいが、また溜息を吐き、寝そべった格好で答える。 「なんか、わけわかんなくて頭パンクしそう……何でこうなってるんだっけ?」 「スロウが奇襲してきて、それをなんとかしようとしたら、ノストが死んだ。それをステラが蘇生させたらしくて、ノストは生きていて、代わりにステラが消えた……ってことだろ?」 「そうなんだけど、だっておかしいじゃない?ステラ、そんな力あったっけ?グレイヴ=ジクルドもあったっけ?というか、ステラが消えちゃったら、グレイヴ=ジクルドはどうするの?諦めるの?またナシア=パントに行くべきなの?とかとか……あ~~っ、もー……頭ん中、ぐっちゃぐちゃ!」  頭を抱える、具合悪そうなルナの顔を見て、サリカは小さく笑った。ルナは普段は聡いが、一挙に問題が降りかかると、なぜか途端に処理速度が落ちる。要するに、1つのことにしか集中できないのだ。  ……むくりと上半身を起こしたルナは、さっきまで顔を向けていた、サリカのベッドがある壁と正反対の壁を振り返った。そちらにもベッドがあり、そこには、いまだ目覚めぬ銀髪の青年が寝かされていた。  血色のいい肌。さすがに服は血がこびりついていたり、破けていたりしているが、あのひどい傷はすっかりなくなっていた。跡形さえも。 「……ノスト、1回、確かに死んだんだ。私、精神侵食を受けながら、見てた……ステラが、本当に絶望したような悲鳴上げてて……」  今、思い出しても、心が締め上げられるような悲痛な叫び。――声をかけられなかった。ただ、その悲鳴を聞いていることしかできなかった。  恐らく、その悲鳴を聞いただけでも、わかった。ノストが、死んでしまったと。 「……でも……ノストは、生き返った。……こんなことって……あっていいの?」 「……さぁね……ただ、とんでもないことが起きたってことは……わかりすぎるほどに、わかってる」  ――それなら、死んだ両親は。死んだ親友は。  複雑な思いでノストを見つめる、戸惑うルナの瞳。その瞳を瞼の裏に隠すと、ルナはイスから立ち上がった。うーんと伸びて、吹っ切れたように言い放つ。 「やーめたっ。考えるの疲れるし、隣のフィアの部屋に遊びに行こっと」 「はは、まぁ、今はわからないことが多すぎるし、いいんじゃない?」 「じゃ、ノスト看ててね」 「私も一応、ケガ人なんだけどねぇ」 「もー平気でしょ」  ひらひら手を振って部屋を出て行く、ケガ人に世話を頼んでいくルナに笑う。確かに動けないこともないが、3年前はしばらく安静にしていろと医者に言われていたので、もうしばらく静かにしているつもりだ。  ドアが閉まるのを見届けてから、サリカは、壁際のベッドの上のノストを見た。それとほぼ同時に、その閉ざされた瞼がわずかに震えたのが見えた。 「おや……おはよう。どうだい?死から目覚めた気分は」  ゆっくり瞼が上げられるその横顔に、サリカは少し皮肉げに言って、笑った。