剣聖の最期
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nostalgia

42Recurrence06 
二人の剣聖

 振り返る必要はなかった。  なぜなら、そのセリフが敵だということを決定付けていたから。今のように、誰なのかわかっているのなら尚更だ。  ヒースは、振り返らなかった。その声の主を理解してすぐ、くるぶしの辺りまでの浅い湖を駆け出し、 「ッッ……!!?」  まるで頭の上に大きな岩が降ってきたような、ひどい頭痛に襲われてガクンと膝をついた。鏡のような水面が乱され、バシャ、と水が跳ねる。  とっさに頭痛だと感じたが、よく気をつけてみると頭痛とはまた違った。頭の中がぐるぐる回っているような、そんな不快な感覚。  ――精神が、重い。四肢に信号を送る神経がすべて錆びついたように、体が動かない。さらに、文字通り、胸が塞がるような息苦しさに冷や汗が浮いた。 「っ……スロウ……てめ……!!」 「グレイヴ=ジクルドは渡しませんよ」  ヒースは、そこで初めて、肩越しにゆっくり背後を振り返った。階段を下りてすぐのところに、この地下の薄暗い闇に溶け込むような黒ずくめのスロウが立っているのが見えた。左手に握られた純白の刀・生闇イロウの切っ先が、こちらを向いていた。  恐らく、ミディアで現れた白い少女の情報をもとに、ここまで来たのだろう。ヒース達は、ノストを除けば、グレイヴ教団に所属しているというだけの、ごく普通の人間だ。が、スロウは一国の参謀。その地位をフルに使えば、基本的に徒歩の自分達に追いつくことなんて容易いだろう。  今頃、後悔した。ミディアを出てから、ある程度は急いで進んだつもりだったが、こうも簡単に追いつかれるとは。何でもっと急がなかったのか。  横を見ると、カルマとノストも同じように膝をついていた。どうやら自分達三人に、同時に発動させているらしい。  普段から勉強なんてしないから、あまり自信はないが――グレイヴ教団第1級封印指定、ラミアスト=レギオルド。その半身の生闇イロウは、精神に強く作用する力を持つが、その力は、対象が多いほど効果が薄くなるはずだ。  つまり――、 「……やはり、三人同時というのはよくありませんね」  スロウが、剣の柄を握り、ゆらりと立ち上がろうとするヒースを見て言った。彼なら立ち上がるだろうと、予測していた上での反応だった。  重い体と頭を、その強い精神力で捻じ伏せながら、ヒースは大剣を抜き、構える。無理をしているというのがよくわかるくらい、近くの白い燐が照らした彼の顔は青白かった。  それは、人並みではない彼の精神が成せる技だった。その証に、カルマとノストは立ち上がることができずにいる。 「いくら生闇イロウの力が3分の1しかかかっていないとしても、精神が重いことには変わりないでしょう。そんな状態で、戦うのですか?貴方にも、負けは目に見えているはず」 「はっ……ゲーム、なんだろ?なら……足掻ける、とこまで……足掻いた方がいい」  荒い息遣いで、ヒースはスロウの言葉に不敵にそう言い放った。とはいえ、自分の調子が最高に良くないのは、自分もわかっている。はたして、何処まで足掻けるか―― 「仕方ありませんね……どうなっても知りませんよ?剣聖ヒース。……いえ……師匠、とお呼びした方がよろしいでしょうか」 「師匠、か……いいぜ……スロウ。最後のっ……稽古だ!!」  右手で漆黒の刀・死光イクウを抜き放つスロウに、ヒースはそう叫び。湖の水面に波紋も立てぬ俊足で跳んだ。対するスロウも、一足でヒースとの間合いを詰め、  そして、  ヒースの強く握られた大剣と、スロウの交差したラミアスト=レギオルドがぶつかり合い、白い燐よりも強い光を放つ火花を散らした。   //////////////////  昔、スロウと一度だけ、戦ったことがある。  その時は、自分が勝った。しかし、楽勝だったわけでもなく、一瞬の隙で勝てたようなものだった。  だが――今。  いくら精神を侵されているとはいえ、あのヒースと渡り合っているスロウは――あの時とは、まるで別人だった。  はたして自分は、今のアイツに勝てるのか――? 「……っ……」  頭が、痛む。湖の中に膝をついて、ヒースとスロウの戦いに見入っていたノストは、その痛みで我に返った。銀髪の頭を押さえながらも、二人の稽古・・を見る。  互角のように見えたのは、最初だけだった。また1つ、また1つと、ヒースの青緑のロングコートに切り傷が増えていく。今のところ、大きなケガは受けていないが、ヒースは不利な位置に立たされていた。  まず、不利を決定付けているのは、言うまでもなく生闇イロウの精神浸食。次に――スロウが、双刀使いであること。ヒースの調子が良ければ関係ないのだが、今は、それがかなり響いていた。  ヒースの大剣と、スロウの双刀。これほど相性が悪い組み合わせはないだろう。  ヒースの一撃を、スロウはまず2本の刀で防ぎ、そしてヒースが大剣を動かすより早く、身軽に片方の刀で彼の身を狙う。それをヒースは、コートを裂かれるだけに押さえているという現状だった。少しでも隙ができてしまえば、致命打を受けてしまう。  助けなければ。  どうすればいい?  ロクに動けない自分でもできることは……、 「………………」  首を動かして、背後を見た。  緑の孤島に突き刺さる、グレイヴ=ジクルド。  ―――これしかない。  ちゃぷん、と。重い頭に苛まれながら、湖をゆっくりと掻き分けて進み出す。 「渡すかぁッ!!!」  ヒースと刃を交えた時にそれに気付いたスロウが、ヒースから2歩ほど飛び退き――防御を捨てた。振り下ろされてくる大剣を無視し、死光イクウを一閃する。黒い刀の振られた軌跡に白い光が浮かび、目の前のヒースに直撃した! 「がぁぁああああっっっ!!!!」 「ぐうあぁッ……!!」 「ヒースッ……!!」  それと同時に、ヒースの大剣の切っ先がスロウの肩にもぐり込んだ。が、腕を切断される寸前に、ヒースが死光イクウの攻撃を受け、力が緩和される。ゆらりと、後ろ向きに倒れようとするヒースの耳に、カルマの声が聞こえた。  死光イクウは、痛覚支配という、肉体への強力な攻撃を行う。それがどんな猛者でも、人である以上、その理に逆らうことはできない。――ヒースも、また。 「か……カル、マ……」  仰向けに倒れ込んだ、ヒースの細い声。スロウは思ったより深い肩の傷を押さえて、ジャブジャブと湖に足を踏み入れる。   『絶対絶対っ、スロウより早く、グレイヴ=ジクルドを手に入れて!手に入れて……スロウを、呼び戻してっ!!』  ミディアでの、ルナの泣きそうな顔が蘇った。 (……悪ぃ……ルナ)  お前の期待には……応えられないみたいだ。  アイツを呼び戻すことなんて、できない。  俺は……今、気付いちまった。  アイツは、俺らとは違う次元にいる。俺らが思っている以上に、アイツは力というものに盲目的で。  だが……あの日々が本当だったことは、確かだ。  グレイヴ=ジクルドの存在が、すべてを狂わせた。俺達を、別々にさせた。  ……だから、やっぱり俺はこう思う。  「何も知らない方が幸せだった」って……   『……あぁ、わかってる。それが無理でも、アイツの手には渡さねぇよ。約束する』  だが……自分の言葉には、責任を持つぜ。 「カルマ!! 割れ!ウォムストラルを……割れッ!!!」 「ッ……!!」  天井を見たまま、ヒースが力の限りの声を張り上げた。その大声に背中を押されるように、カルマは重い頭のことなんて忘れ、自分の横を通りすぎるスロウより早く。ベルトに刺さっていた小振りのナイフを、振り返りざま、グレイヴ=ジクルドの柄の部分にあるウォムストラルへと投げつけた。  当たるのかと、投げてから思ったが、一直線に飛んでいったナイフは、グレイヴ=ジクルドにようやく近付いたノストの目の前で、吸い込まれるようにウォムストラルへ突き刺さり、  それは、あまりにも、あっさりと。  断末魔のように、一瞬、虹色の環を描き、綺麗な高い音を奏でて。 「なっ……!」  神の石と称されるウォムストラルは、真っ二つに、割れた。  2つになった透明な石は、的を射たナイフとともに、グレイヴ=ジクルドだったものの下に転がる。歩を進めていたスロウが声を失って、一瞬、進む足を鈍らせた。  ―――そして、  世界が、真っ白に輝き始めた。  ……どれくらい、放心していたのか。  幸いにも状況も、自分と同じく、停止したままだった。  目の前にいたのに、何が起こったのか、わからなかった。  ウォムストラルが割れて、視界が真っ白になった。白い燐の量が増えたのだ。それはもう、その辺の照明よりも強い光。しかし不思議と、目に突き刺さるような不快な光ではなかった。  その光を放つものが何なのか、ノストはすぐに理解できなかった。  ―――ウォムストラルは 実体を持たないジクルドの 実体を『維持』する石  あの女性の声が、広がって水面に溶けていく波紋のように、静かに染み渡る。  ―――ジクルドだけが消える それもいいかもしれないわね  ―――貴方達がその道を選ぶなら 私達は従うだけ  ジクルドだけが……消える?  その言葉を聞いて、はっと、初めて気が付いた。  ジクルドの白銀の刃。それが、すっかり失われていることに。  光を放ちながら、ジクルドが、切っ先から消えていっているということに。 「まずい……!!」 「っ……!!」  我に返ったスロウが、焦った声を上げた。ぱしゃんと水を蹴る音。背後を一瞥すると、スロウが手を伸ばして駆け寄ってくるのが見えた。  それを見て、ほとんど反射的に、ノストも手を伸ばした。その手が、スロウの手と並列し。  きっと、ほんの1ミリくらいの差だったに違いない。  柄しか残っていないジクルドに、ノストの指先が、触れた、  ……刹那。  承認した―――  重々しい、厳格のある男の声が響いて。  ポッカリ無くなっていたジクルドの白銀の刃が、今までの様子を逆再生するように。みるみる再構築されていく――! 「渡せッ!」 「っ!」  その様子を呆然と見つめるノストの手から、死光イクウを手放したスロウが、構築途上のジクルドを奪い取った。しかし、はっとしたノストが動く必要はなかった。  ノストの手から離れたジクルドは、スロウを拒絶するかのように、その手からフッと姿を消し。今度は切っ先までしっかり構築された形で、再びノストの右手に現れた。  何もなくなった右手を、目を見開いて見つめたスロウとは反対に、ノストはすべてを理解するより、前に踏み出した。  両断せよ 貴様の信念を持って―――  何処からともなくかかる、男の声に押されるように。  舞うように掲げられた白銀の剣が、暗い天井を彩るように浮かび――踏み込みと同時に、振り下ろされる。  その一閃は、反応が遅れて、今更飛び退こうとしながら生闇イロウを持ち上げようとするスロウの左肩から左胸を抜けた。 「がぁあああ……ッ!!?」  不思議なことに、肉を断ったような感触は、なかった。  後ろに跳んだスロウの後を追うように、ボタボタと血が舞う。ばしゃんと湖に膝から崩れ落ちたスロウが、胸を押さえて咳き込むと、口からも血が吐き出された。流れ落ちた血が、だらだらと湖の神水を汚していく。  ――恐ろしいまでの切れ味だった。肉を肉とも思わせないような、何の抵抗もない一振り。振り下ろしたノストでさえ、驚愕してしまっているくらいだ。それなのに、ジクルドの刃は一滴の血もつかぬまま、白銀の輝きを保っていた。  腹までは、到達しなかった。幸か不幸か、遅ればせながら飛び退いたことが、それ以上の損害を防いでいた。腹に到達する寸前で、ジクルドの刃がスロウの体から抜けたのだ。  口の端に滲んだ血を拭う余裕もないのか、見たことがないくらい険しくつらい表情をしたスロウが、くっと唇を噛んでから、微動したと思ったら。左手の白い生闇イロウを両手で持ち直しながら、湖の水面を波立て、一瞬呆けていたノストに切りかかってきた。  直前で気付いたノストが、ジクルドでその一撃を防ぐが……明らかに、威力が落ちていた。わざわざ力を入れるまでもなく防げてしまう。  それは、スロウもわかっていたはずだ。だからこそ、おかしい。  あの計算高いスロウが、無駄な行動をするはずがない。自分のように、感情で動く男ではないのだ。第一、スロウには感情らしい感情がない。もしかしたら自分以上かもしれないくらい、冷め切っているのだ。  ノストがそんな疑問を持った直後。スロウが目の前で、すっと腰を落とした。 「!?」  スロウの突拍子な行動についていけず、ノストが遅れて視点を下げると、彼はノストの足元に転がっていた黒い死光イクウと、何か手のひらより小さなものを拾い、すぐさま後退した。  その際に傷が痛んだのか、少し離れた水に浸る場所で、左胸を強く押さえて肩で息をするスロウは――不意に、勝ったような笑みを浮かべた。 「……いい、だろう……ディアノ、スト……それは、お前に……くれてやる……」 「「……?!」」 「だが……それを持つ、限り……お前は、私に……追われ続ける」  驚いたノストとカルマの見る先で、スロウは死光を鞘に収め、そして、右手に握っていたものを、摘んで掲げてみせた。  虹色の輝く環を湛える、半月の透明なそれは――、 「ウォム、ストラル……!? スロウ……お前……!!」 「これが、私の手元に、ある以上……グレイヴ=ジクルドが、再び現れることは……ない。現れなければ……破壊も、できない」  おかしそうに、疲れ切った顔で笑ってスロウは身を返し、天井を向いて倒れているヒースの横を通りすぎた。 「ゲームは、まだ、続くようですよ……ヒース」  そしてスロウが、絶え絶えにアルトミセア真言を紡ぐと、元から薄闇に馴染んでいた黒い背中が透けていき――消えた。  すると、世界の一部であることは確かなのに、世界から隔離されたこの異質な空間から術者がいなくなったからか、精神の重みが引いていった。カルマがそれに気付いたのは、背後でノストの水を蹴る音がしてからだった。 「ヒース……!」 「ヒース!!」  まだはっきりしない頭のまま、カルマは、すでに駆け寄っていたノストの反対側で、ヒースの横に膝をつき――ぎょっとした。  まるで、火でも当てられたような状態だった。溶けた服の下から、ヒースの首から腹にかけて、まるでヤケドを負ったように、赤くただれた皮膚が覗いていた。  生闇イロウが全身の神経を支配するように、死光イクウは全身の痛覚を支配する。そう見ると同等のように見えるが、生闇イロウはまた生温い方だ。  限度が決まっている生闇イロウと違い、死光イクウは、己の与えたケガの程度が大きければ大きいほど、広い範囲の痛覚を強く支配する。つまり、死光イクウの攻撃が指先だけに掠れば、肘から先が痛む程度。片腕にモロに食らえば、半身が痛む程度。  今のように、上半身に直撃を受けた場合は――ほとんど、全身の痛覚を支配しているはず。体のあちこちから貫かれるような強烈な痛みが、全身を襲っているはずだった。  静かに目を閉じた、恐ろしいくらい白いヒースの顔に、カルマがまさかと言葉を失った時。 「………………、……」 「「……!」」  本当に、小さな動きだった。  小さく、ゆっくりと、ヒースの口が動いたのを見て、カルマとノストが目を見開いた。  まだ、生きている――! 「……ノ、スト……」  カルマが、何かを喋っているヒースの口元に耳を近付けると、本当にか細い声でそう言っていた。一度、頭を上げたカルマに返事するように目で促され、ノストは口を開いた。 「……何、だ」  動揺が、抑え切れていなかった。目の前を現実と思えないまま、そう言うと、カルマが声を聞くために再び頭を下げる。 「『これからは……お前が、剣聖だ』?」 「……!!」  ヒースの声を聞き取ったカルマの言葉に、ノストは、突き刺さるような衝撃を受けた。  剣聖と呼ばれた男が、その名を弟子に譲る。今更ながら、これが現実であることを理解してしまった。 (……勝手で……悪ぃ)  ぼんやりとした意識の中、ノストにそう告げたヒースは、内心で自嘲した。  なんと自分勝手なんだろうか。剣聖の名は、その時の剣聖の剣を越えた者に与えられ、受け継がれていくもの。それを、勝手に弟子に背負わせてしまうなんて。  グレイヴ=ジクルドが神剣なら、ジクルドは聖剣だ。聖剣の契約者になったお前には、ちょうどいい名だろ?  驚愕したままのノストを心で小さく笑い、ヒースは今度は友を呼んだ。 「カル……マ……」 「あぁ……何だ?」  耳を近付けているカルマが、すぐに返答する。その声さえも遠くて、ヒースは寂しさを覚えた。  お前になら、任せられる  スロウが言ったように、ゲームはまだ終わっちゃいない  だから、お前が導いてくれ  ジクルドを手にしたノストと、祝福されたあの子・・・を  やはり、これも自分勝手かもしれないが。  残りのウォムストラルを、ステラに渡してくれ――― 「…………あぁ、わかった。絶対に……絶対に、渡すから」  低く、何かを強く押し殺したような、カルマの声。  その言葉を聞いて、ヒースは安心したように、薄く開いていた瞼を、ゆっくりと下ろし――  そして、そのまま目覚めることはなかった。