→→ Octet 3

 一体、一人きりになって、いくつ夜を迎えているのだろう。


「………………」


 明かりが消えた小さな家。耳に痛いほどの静けさの中に溶け込むように、窓際に佇むシルエットがあった。確かに人だったが、あまりに存在感が希薄で、何も考えずに家の中を見たら、その存在に気付けないほどだった。
 窓の向こうでは、止めどなくはらはらと雪が舞っていた。積もった雪が月光の光を反射しているせいで、夜だと言うのに外はぼんやりと明るかった。
 白と黒の世界。

 大陸北東の寒冷国セルシラグを覆う、結界術の粋を集めて作られたケルマネムという巨大結界が張られて、5年は経つ。
 そのケルマネムは、セルシラグの住人――エルフ族のみは、部分解除して通れる作りになっている。それはエルフ語での詠唱によるものだから、他種族は簡単にはマネできない。しかし稀に、エルフ語を知り尽くしたという他種族がいることも否めない。
 その結果、作られた職種が聖域番レスティア。部分解除して入国してきた者がエルフ族であることを、その場へ直行して確認するという仕事を負う。単純ではあるが、もし入国してきたのが他種族であったら、己の力をもって撃退しなければならない。他国と関係をこじらせるのは厄介なので、殺しはしない。



 ――ふと、窓際のシルエットが動いた。窓の外の白を背景に、長い髪の影がふわりと舞う。


「ムロシュサ、オルハ」


 広がる波紋のように、静寂に声が染み渡る。すると唐突に、家の暖炉に勝手に火が灯った。エルフ語で指示を受けた炎の精霊が点火した暖炉に、その人物が近付く。
 エルフ族の女性だった。腰まで届く栗色の長い髪を揺らし、毛皮の服を着た彼女は、暖炉の傍のイスに腰掛ける。落ち着いた常盤色の瞳の奥で、炎が揺れていた。

 彼女――依居天乃は、その聖域番レスティアの一人だ。ケルマネムと一緒に職が作られた時から……5年前から、ずっとだ。
 皆が結界術、精霊使役、武器を使う中、天乃は武器とも呼べぬ黒い針を使っている。初めて見た者には、必ずと言っていいほど「たかが針」と言われるが、的確に急所を狙い撃つ彼女の腕前を見た後は、誰もが顔を青ざめさせる。
 「鷹目」という二つ名で呼ばれたり、何かと頼りにされることも多い。それなりに充実しているように見える。しかし天乃には、たった1つ、憂いがあった。


  『姉さん……ボク、この国を出る』


 ――別人のような態度でそう言って、自分の目の前から去った弟。
 たった一人の肉親がいなくなり、はや2年。ずっとこの家で、一人きりで過ごしてきた。

 元々、自分は冷静な方だったから、弟がいなくなったという事実をすんなり理解した。理解しただけで、その時はどうとも思わなかった。
 しかし、時が経ち、次第に心は蝕まれていた。誰もいない家に一人でいる度に心に響く、物寂しさ。


「………………」


 なぜ今、自分は生きているのか。
 弟を探しにも行かず、目的も持たず、なぜ。










 ―――ハハッ、可哀想になァ!










 ……不意に聞こえてきたのは、響いてきたのは。ひどく楽しげな、卑しい声で笑う声。
 それを耳にしてから、数秒後。今まで緩慢な動作だった天乃は、ただちにざっと周囲に目を走らせた。
 こじんまりとした、最低限の物しかない家の中。玄関の方は炎の光が届き切らなくて薄闇に包まれているが、何も気配はない。わかっていたが、家の中には、自分の他に誰もいない。
 パチパチと、暖炉で薪が燃える音。

 ……先ほどの声は、聞こえ方が妙だった。空気を通じて波として耳に入ったというより……直接、脳に響いたような……


 ―――やっぱ、一人ぼっちは寂しいよなァ。相手がいねェと、戦えねェモンなァ!


「……イウェ……誰?」


 幻聴かと一瞬疑った直後、再び聞こえてきた声。思わずエルフ語を口走ってから、恐らく通じないだろうと読んで標準語に切り換えた。
 標準語は、自分たちエルフ族以外の種族で、共通で使用されている言語だ。基礎は、族長に教わった。聖域番レスティアとして、外部の者が何を話しているか最低限は理解できた方が良いと。そして、仕事として幾度か外部の者と対していくうちに覚えた。ココまで喋ることができるのは自分だけらしいが。

 静かにイスから立ち上がり、天乃が警戒しつつ返答を待つと、ククククと楽しそうな笑い声がした。


 ―――オマエ、自分が壊れかけてるって気付いてないな?

 ―――まァ、自分の状態に気付けねェほど追いつめられないと、魔力としての思念こえは魔界には届かねェからなァ


「……答えて。誰?」


 頭からかぶるタイプの毛皮の下で、天乃は己の武器――黒い針を構える。ココに声の主がいないのはわかっていたが、念のために気を張るのは怠らない。
 自分の問いに答えずに言葉を放つ声に、もう一度問い掛けると、声はようやく答えた。


 ―――ヒャハハッ!聞いて驚け!オレは、魔界の住人ガリアテイルの魔界の裁人〈フィアベルク〉!

 ―――オマエの今にもブッ壊れそうな思念こえが聞こえたモンだから、これァチャンスだと思って答えてやったわけよ


 ……チャンス?
 一体、何の話なのか。そうは思ったが、首をもたげた好奇心をあっさり無視し、天乃は最大の謎を問い掛けた。


「……私に何の用?」


 それが、その「チャンス」とやらにも関係しているだろうから。針を握る手に力を入れたまま、冷静な声で聞くと、声――〈フィアベルク〉は、弾んだ口調で言った。


 ―――なァオマエ、オレと契約する気ねェか?


「……契約?」


 ―――オレら魔界の住人ガリアテイルは、自分じゃ魔界から出れねェんだよ。むかーしむかし、どっかのバカにそうされちまってよォ

 ―――オレは仕組みはよくわかんねェが、とにかく契約すりゃァ、オレはソッチに降りられるようになる

 ―――魔界はタイクツだぜェ。戦う相手もいねェしなァ


 ――魔界の住人ガリアテイル。話には聞いたことがあった。魔界に住まう、強い力を持つ存在達。
 世界を隔てているから、接触がとても難しい。しかし、とある条件が揃えば、彼らに声が届くのだと、そう聞いていた。
 そして……どうやら今、自分は、その条件とやらをクリアしてしまったらしい。その条件は、心が関係しているようだ。

 魔界から出たがっているらしい〈フィアベルク〉に、天乃は毛皮の下で針を構えていた腕を下ろし、問うた。


「……言いたいことはわかった。でも、私に利益はあるの?」


 魔界の住人ガリアテイルとの契約は、ほぼ一方的なものだと聞いたことがある。魔界側は、契約されたことで外へ出る機会を得る。一方、空界側は、《ガリアテイル》の力そのものが利益だが、相手がその気になってくれなければゼロと同じだ。向こうの好きなようにされてもおかしくない。しかし、魔界の住人ガリアテイルは魔界から出ることを望んでいるらしく、割と言うことを聞いてくれるようだが。


 ―――そうだなァ……オレは飛竜だから、遠くに行けるかもナ

 ―――後は、オレがいれば、向かうところ敵ナシかもな!ヒャハハッ!


「………………」


 ――〈フィアベルク〉の、その後に続いた自信過剰な言葉は、すでに耳に入っていなかった。
 その前……『遠くに行ける』という一言に、天乃はかすかな光を見た気がした。

 遠くに行ってしまった弟。
 別人のようになってしまった弟。
 ――確かめる必要がある。探し出す必要がある。
 遠くへ行って。
 そのためには、素早い足は必要不可欠だ。


「……わかった。契約する」


 そう考えた後の決断は早かった。天乃がすぐにそう言うと、〈フィアベルク〉はおかしそうに笑って、わざとらしく言ってくる。


 ―――ほォオ、目の色が変わったな。ま、オレは戦えりゃいいんだがな。じゃあオマエ、『ナゼ、オレの力を欲する?』


「何処かへ消えたものを取り戻すため」


 〈フィアベルク〉の問いに、天乃は逡巡することなく、きっぱりとその一言を口に出した。
 それは、これまで目標もなく生きてきた自分に、明確な道筋を示すようでもあった。

 天乃が言い切り、口を閉ざした瞬間。
 玄関の方、目の前の床に、幾何学模様の紫黒の陣が回転しながら滑るように広がった。天乃がかすかに驚いた表情をしながら、2歩ほど引く。
 それでもそこを向いたままの視界に、陣から浮き上がるように黒い影が出現するのが映った。長身の自分より、二、三回りくらい大きい。その大きな影の左右に、さらに、鋭い翼のようなシルエットが伸びる。
 やがて、陣が消えていくのに従って、見通せぬ深い黒に覆われていたその体から黒が引いていく。暖炉の炎に照らされて、見えた全体像は……それでも黒い飛竜だった。

 硬そうな長い尻尾と、体の半分以上ありそうな蝙蝠のような黒い双翼。猫背の姿勢で二足で立っており、前に垂れ下がった両腕の先には鋭い爪が光っていた。頭の両脇に角を生やした黒飛竜の鋭い銀瞳が、ギョロリと天乃を向く。


≪おォ、ココが空界か。いよォ、コレで契約完了だぜ。オレを喚ぶ時は、さっきのオマエの答えで認証するからな。忘れんじゃねェぞ。……にしても、狭ェな≫


 胴体だけだったら十分余裕があったが、黒飛竜――〈フィアベルク〉には、大きな翼がある。その翼を家の中で狭苦しそうに畳んだ姿で、〈フィアベルク〉は自分の前に立つ天乃を不思議そうに見下ろした。


≪しっかしオマエ、全然ビックリしねェな。ま、壊れかけてちゃ、イチイチ反応してらんねェかァ≫
「……これでも、驚いてるつもり。見えないだけ」
≪ふーん、まァいいけどよ。オマエ、ナマエは何だ?≫
「……依居、天乃」
≪アマノか。覚えたぜェ≫


 ギラリと、〈フィアベルク〉のアゴの隙間から光を反射して牙が覗いた。笑ったらしい。
 ――魔界の裁人〈フィアベルク〉。魔界の住人ガリアテイル随一の素早い者。
 契約者は、自分だ。

 ……すっと、足が前に出た。〈フィアベルク〉と距離を詰めた天乃は、『彼』を仰いだ。
 変わらぬ冷静な瞳で。――しかし、確かな意志を宿した瞳で。


「〈フィアベルク〉、いきなりだけど、この国から出たい」
≪ヒャハハッ!いいぜ!! 仲良くやろうぜェ、アマノ!!≫


 深夜、死んだように静かな世界に、〈フィアベルク〉の楽しげな声が響き渡り――

 その夜、大きな影が、大きな音を立てて舞い上がり、飛び去っていった。





  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪





 一体、一人きりになって、いくつ夜を迎えていたのだろう。


「………………」


 口からフォークを抜いた飛鳥楸は、地の不機嫌な顔にプラスして物凄く不機嫌な様子で、口に運んだ焼かれた肉を咀嚼する。漆黒の髪と赤い瞳だから、さらに怖く見えた。目付きも悪いし、子供が見れば最悪泣き出しそうだ。
 数週間前から、久しぶりに食事にありついている。それより前は、冤罪でバルディアの牢屋に入れられていた。

 はりつけにされるように両手に手錠をはめられ、薄暗い寒々とした一室で、一体どのくらいの時を過ごしたのか。看守はいたが、食事も出されなかった。出されたところで、拘束されている身には無駄だったろうが。
 その、牢屋に入れられるきっかけになったのが、この目の前にいる青年だ。


「栄養失調は直ってきたかな?」


 にっこりと笑って聞いてくる青年の、臙脂色の髪が揺れる。物凄く気に食わない面が聞いてきたその問いを、楸はいっそ気持ちいいくらい完璧に無視した。

 ――五宮玲哉。この青年を、楸はひどく嫌悪していた。牢の中で、とにかくコイツを恨んだ。
 その玲哉が、数週間前、牢にやって来て言ったのだ。


  『君をそこから出してあげる代わり、君には今後、俺の言いなりになってもらう。ちなみに、破ったら殺すから』


 あの時は意識が混濁していて、何と答えたか覚えていないが、気が付いたら明るい日の下にいた。ということは、不本意にも自分は頷いたらしい。
 牢屋では食事が出されなかったから、楸は身体的にも精神的にも衰弱していた。それでも、なんとか歩くことはできた。後で聞いたが、牢に入っていたのは3ヶ月ほどのようだ。
 そういういきさつがあって、回りに人が増えたが、しかし非常に歓迎しない。というか、誰が好きこのんで男三人で食事しなきゃならないんだ。友人同士ならまだしも、一番嫌っている奴(+おまけ)と。

 その玲哉を睨みつけていたら、彼の金の瞳が横に動いた。


「采、アレ食べたいの?」


 彼が話し掛けたのは、同じテーブルにつく、やっと10代に入った頃の金髪の少年――空良采。
 長い前髪の間から覗く、少年の蒼と翠の双眼は、店の壁に貼られていた小さな張り紙に向いていた。映っているのは、白いクリームの上に、ちょこんと真っ赤なイチゴがのったケーキ。

 問われた采が、地の気弱そうな顔で、物言いたげに玲哉を見る。コーヒーを片手に、玲哉は笑った。


「いいよ、別に」
「……いいの……?」
「うん。あ、そこのお姉さん、あのケーキ1つよろしく」


 驚いた顔で見てくる采に代わり、玲哉はたまたま近くにいて目に入ったウェイトレスに、張り紙を指差してニッコリ笑顔で言う。ウェイトレスの女性は、顔を真っ赤にして、「かっ、かしこまりました!!」と慌てた様子で厨房に飛んでいった。
 玲哉は、上っ面だけは好青年に見える。そして本人も客観的に自覚しているらしく、上手いように活用している。自然体でたらしだ。

 ……とか思っていたら、コーヒーを飲んだ玲哉が、カップを置いてコチラを見た。


「ところで、楸は純血の魔族だよね?」
「……聞くまでもねぇだろ」


 褐色の肌に、尖った耳。魔族を見分ける特徴だ。自分は確かに褐色の肌だし、耳も長く尖っている。一発で識別できるはずだ。
 だからわかっているだろうに、そう聞いてくる玲哉に、楸は馬鹿らしいと思いつつ、低い声で答えた。


「純血の魔族って珍しいよね。というか、魔族自体、珍しいか。身内同士で殺し合いなんて、馬鹿だよね」
「……何で知ってんだよ」


 まるで周知のことを話すように、玲哉はサラリとそう言った。口に物を運んでから、楸は驚きと訝しみの思いで聞いた。

 玲哉の言う通り、魔族は現在、数が減っていて珍しい。そしてそれは、同族同士で、族長の座をめぐって殺し合いをしているからだ。
 通常、族長は、前の族長の子供がなる世襲制……らしい。しかし……一体、どれほど昔の話になるのか。昔、族長の座につくことなく、一族を去った族長の息子がいた。その後、一族の中で、力が強い者が族長になればいいという結論に至り、その時からその殺し合いは続いている。まるで呪いだった。
 だが、それは一族にしか知られていないはずで、ましてや魔族の人口が減っている今、他種族に知られるルートなんてほぼないはずなのだが。

 玲哉は「あぁ、ほら」と、思い出したように髪を耳にかけ、片方の耳を出した。
 その耳は……楸ほど長くはなかったが、先端が尖っていた。そういえば肌の色も、采と比べれば濃いような。


「俺、魔族とクランネの混血だから。子供の頃、殺し合いしてるところ、結構見てたし。俺は生きていくのに精一杯だったから、どうでもよかったけど」
「………………」
「楸も殺し合いしてたの?」
「……してねぇよ」


 自分は、そんな一族から飛び出してきた両親に育てられた。だから、魔族が殺し合いをしている話は聞いたが、自分とは関係ない向こうの話だと思っていた。
 その両親も、自分が幼い頃に同族に見つかり、族長選出という虚飾の大義名分の下、殺された。自分は「子供だから」と、なぜか見逃された。それから、呪われた同族を心の奥で恨みつつ、一人で生きてきた。
 ――といういきさつがあって、殺し合いには参加していないのだが、楸は喋らなかった。大体、なぜこの青年にそんなことを話さなければならないのか。最低限の言葉だけで答え、最後の一欠けらを食べた。

 運ばれてきたケーキが采の前に置かれる。フォークをとる采とは反対に、楸はフォークを皿の上に置いた。
 今は、前のように歩けるようになったし、意識もはっきりしている。衰えていた筋肉も、食事と運動で日に日に戻りつつある。
 その食事は、玲哉が無償で出してくれていた。ペットのような感覚が非常に気に食わなかったが、歩行の筋力が戻った程度の身体状態では、自力で飯にありつけられないだろう。ひとまず、もらえるものはもらっていた、、、、、、


「何処行くの?」


 無言でガタンと席を立ったら、途端に刃のように冷たく鋭くなった玲哉の声がした。見ると、彼は口元に小さく微笑んでいたが、その金の瞳はちっとも笑っていなかった。その横で、フォークを咥えた采もコチラを見ている。
 先ほどまで穏やかだった空気が、ピンと張りつめる。この空気のせいか、店の音が遠のく。背負った大剣の重みが、ずしりと双肩にかかる。


「俺、言ったよね?逆らったら殺すって」
「俺がお前を殺せば問題ねぇだろ」
「ははっ、まぁそうだね。じゃあ、俺を殺す?」


 あくまでも笑みを浮かべたまま話しかけてくる玲哉を、立ち上がった大柄の楸は見下ろして言う。玲哉は機嫌を悪くした様子もなく、楽しげに問いかけた。
 刹那、音もなく、白閃が、玲哉に向かって大きな弧を描く。

 バリィン!! ガシャーン!!と、大きな音が響き渡り、店全体が驚きに静まり返った。


「いいよ、やろう」


 丸テーブルとイスが一刀両断され、食器が砕け散る、その一瞬前。自分の背後で注文を待っていた、少女四人がつくテーブルの上にふわりと舞い降りた玲哉は、驚く彼女らに小さく謝ってから、そう言った。
 それから、飛び退く時に引っ掴んだ、イスに立てかけていた刀を鞘から抜き放った。その行動を見て、ようやく周囲の人々が悲鳴を上げ、対峙する二人と距離を置いた。
 照明を反射する青白い刀身を片手で正面に構え、玲哉は笑った。


「俺、自分がどのくらいなのか知りたかったし。みんな弱すぎて、自分の力量もはかれなかったんだ」
「………………」


 相手は刀。自分は大剣。
 速さでは自分が劣る。しかし、威力なら上だ。

 そう判断するなり、楸は低く跳んだ。リーチは自分の方が長い。玲哉の手前で足をつくと同時に、大剣を大きく横薙ぎする。
 横からくれば、防ぐか退くしかない。玲哉は一歩引き、さらに上半身を後ろに倒して、最低限の動作で避け切った。その右手が、一歩下がった足を軸に、回し蹴りの如く、軽やかで鋭い動きで三日月を描く。
 横に振り抜かれた一閃を、楸は一歩下がって大きく腰を沈めてやり過ごしつつ、剣先で切り上げるように、大剣を左下から逆袈裟懸けに振り上げた。武器がまだ一閃の途中だった玲哉は、今度ばかりは、飛び退いてかわした。
 が、そこからが予想外だった。飛び退いた玲哉は、一瞬で攻撃に転じて再び突っ込んできた。


「っ!?」


 速い。
 まっすぐ腹を狙って突き出された切っ先を、大きく半身を引いてかわそうとするが、掠った。左脇腹に熱が走り、楸は顔をしかめながら、右側で浮いていた大剣を無理やり横に振るった。
 左半身を下げた格好、重心は右足。そんな状態での剣閃が、どれだけ粗雑かは想像にかたくなかった。とにかく玲哉の追撃を封じようと、ヤケだった。
 その攻撃は、狙い通り行った。まだ足をついていなかった玲哉は、否応無しに刀で受けることになる。刃を受けようと刀を構えた瞬間、幸か不幸か、彼の足が床につき、刹那、衝撃とともに大剣がぶつかった!

 ギッィイ……ィインッ!!

 大剣と刀。力の押し合いでは、どちらが優勢かは明らかだ。
 大剣の衝撃に、刀が大きく振動して耐えようとするが、玲哉の方が耐え切れなかった。足をついていた分、まともに体に衝撃を受け、右腕を中心に全身が痺れる。その緩んだ手が握る刀を、余剰の衝撃が跳ね飛ばした。


「おい、ちょっ……!」


 横長の弧を描き、刀は、店の窓際に座っていた男性客に飛んでいく。男性客がぎょっと表情を強張らせた直後、その間にザッと黒い影が割り込み、ギンッ!と硬い音がした。
 割り込んだ黒い影は、フォークを咥えた采だった。いつの間にか漆黒の大鎌を手にして、飛んで来た刀を叩き落とした彼は、しゃがみ込んで、鎌を持つ手でそれを拾う。もう片方の手には、ずっと持っていたのか、食べかけのケーキがのった皿があった。

 得物を失った玲哉が、大きく楸から距離を置いているのを見て。抜き身の刀を床に突き刺し、大鎌を肩に立てかけて、咥えていたフォークを右手で持った采は、仕方なさそうに楸に言った。


「……楸……だっけ。それ以上は……やめた方が、いいよ。死ぬかも……」
「あぁ??」


 采に声をかけられたのは初めてだった。玲哉の腰巾着で、あまり喋らないクソガキだと思っていたから、楸は少し驚いて目だけで采を見た。
 その窮屈そうな状態で、器用に切り分けたケーキを刺したフォークで、二人の間を差し、采は言う。


「それ……玲哉の得意な、間合い。……そういえば、楸……玲哉の力、見たこと、ないんだもんね……」
「はぁ?」


 楸が警戒しない理由が思い当たり、一人で納得してケーキを食べる采。わけがわからずにいる楸に、正面から、玲哉の小さな笑い声がした。


「ふふ、そういうこと。まさか楸、俺が剣士だとは思ってないだろ?」
「………………」


 玲哉の楽しげな声を聞きながら、彼に目線を戻し、楸は考える。言われてみれば……玲哉の構え、剣閃は、確かに鋭く、並大抵の相手では太刀打ちできないが、何処か荒削りなところがある。彼よりも剣で上手の奴は、他にもいるだろう。
 剣士ではない?ならコイツ、何を武器にする?
 一足跳べば、すぐ自分の攻撃範囲に入りそうな距離を置いて、前に立つ玲哉を見る。ジャケットのポケットに手を突っ込んで、不敵な表情で悠然と立っている。
 ――今のこの距離。玲哉の得意な間合いだと、采は言った。まるで丸腰の玲哉が、まだ戦えるかのように。

 未知の自分の力に警戒している楸に、玲哉は笑って言う。


「忠告は聞いとくもんだよ。どうする?まだ戦う?もし今、突っ込んできたら、俺、本気出すから。本当に手加減できないから、直撃すれば死ぬよ?」
「………………」


 大剣を構えた状態で、玲哉を睨みつける。
 見たところ、武器は持っていない。隠している様子もない。ただポケットに手を入れて、立っているだけ。その警戒のなさが、むしろ不気味に見えた。
 となれば――、

 楸が動いた。
 右手に持っていた大剣を、左手に持ち替え。すっと腰を落としたかと思うと、足元に転がっていた食器のナイフを拾い上げ、ダーツのように玲哉に向けて放った。
 遠ざかるナイフ越しに、少しだけ驚いた顔をした玲哉が見えた瞬間。

 バチンッ!!!

 眩い閃光がフラッシュした。何が起きるか見逃すまいと凝視していたから、反応がやや遅れた。
 とっさに目を細めたことで、目がモロに焼けることは防ぐ。少しくらんだ視界で、ナイフの影がその光に弾き返されたのがかろうじて見えた。


「ははっ、なるほどね。テキトウなもので能力チェックか。それは予想してなかったよ」


 回復してきた視力で、玲哉を改めて見て、楸は目を疑った。
 玲哉自身は、さっきと同じ体勢のまま、変わりはない。変わったのは、彼の周囲の状態だった。
 弾ける光。彼の回りを、バチバチと紫の光が取り巻いていた。
 ――紫電。紫色の雷。


  『俺、魔族とクランネの混血だから』


 先ほどの玲哉の言葉が思い返された。
 クランネは、地水火風の理を操る種族。魔族なんてもってのほかで、そんな能力などない。思い返してみても、雷を操る種族などいない。ハーフだからこそ成り得た力だと言うのか。

 ……さっきのナイフは、何処に行ったのか。目だけを走らせて探すと、それは自分の横の床に深々と突き刺さっていた。銀だったはずのそれは、雷撃によって真っ黒くすすけていた。
 ココまで黒くなるということは、あの紫電、とんでもないエネルギーだ。生物がそんなものまともに食らったら、間違いなく即死。……ひやりと、冷たいものが背中を這った。
 そんなものを、剣では自分より少し上くらいの玲哉が、手足のように操るのだ。それこそ、雷神のように。――差は、歴然だ。

 …………人か、コイツ?


「………………」
「まぁ、そういうこと。じゃ、行こうか」


 自分でも認めたくないことに、体が動かない。ナイフを放った時のまま、しゃがみ込んでいる楸の横を、紫電を収めた玲哉が通り過ぎた。
 破損した物の賠償について、レジで話をしに行く彼の後に、ケーキを完食した采が続く。レジ係の女性は怯えながら、ただ玲哉に問われたことに答えている。店の中は、その会話以外、聞こえる音はない。


「じゃ、楸、俺たち先に行くよ?ついてこなかったら、探すから」


 まだそこに屈んだままの黒い大きな背中に、賠償金を払い終わった玲哉は言った。そして楸の返答を待たずに、采とともに店を出て行く。
 店にいる人々が残った楸に視線を集めたが、本人はそのことにも気付けないでいた。

 ――ついてこなかったら、探す。
 探して、殺す。


「…………くそッ!!!」


 ドゴッ!!と、何も持っていない右手を床に叩きつけた。尋常でない力に木の床に穴が空き、近くにいた客が短い悲鳴を上げる。
 最高に悪い目付きで前を睨みつけてから、楸はすっと立ち上がり、大剣をがしゃんと収めると、ずかずか店を出た。遠く離れて、ココからは小さく見える2つの背中を目印に、街中を歩いていく。
 あんな奴の言いなりになっていることほど腹立たしいことはない。だが、あんな奴に逆らって瞬殺されるほど馬鹿らしいこともない。


(アイツいつか絶対ェ殺す!ブッ殺す……!!)


 ココまでひどい憎悪を抱いたのは初めてだった。臙脂色の後ろ頭を、ありったけのドス黒い憤怒、嫌悪を込めてめつけると、視線に気付いたのか、くるりとその頭がコチラを振り返った。
 玲哉がいつも浮かべている、優しげでいて、不敵な笑み。無駄だと、嘲笑われているような気がした。
 自分でも察していたそれを否定するように、楸は遠くのその顔を睨みつけた。






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