→→ Octet 2

 握り締めた銃を頭より上へ持ち上げ、すっとそのまま下ろし、標的に向けて構える。
 森の中、ココから見ると米粒にしか見えない、飛び交う薄茶色——木の板。片目を瞑ってそれを狙い、引き金を引いた。
 バァン!という銃声とほとんど同時に、その遠くの板に穴が穿たれた。


「…………っふー……どーぉ!? 当たった〜?!」
「おー、当たってる当たってる〜!」


 銃を下ろした六香が声を張り上げて問うと、それに答える声があった。遠くの方で、木々の枝から枝へと飛び交っていた夕鷹が、比較的近い枝の上から、手に持っていたそれを振って叫んだ。彼が持っているのは、しっかりと弾痕がある板だ。


「……動体視力は、良い方だと思います。視力も良いみたいですし。……ただ、照準を絞り切るまでが少し長いです」
「うーん……そーなのよね。瞬間的に狙いを定めるのが苦手なの」


 「素早く動く小さな標的を撃てるか」という軽いテストをしていた六香は、隣に立つ梨音の評価を聞き、うなりながら銃身の背で頭を掻いた。
 それは自分でもわかっていた。親友なんて、銃口を向けようとしている間に先に照準を決めておいて、それからそこに銃口を向け、一瞬で微妙な誤差を調整して撃つのだ。もはや銃と一体化しているような感覚の鋭さだ。とんでもない。


「……でも、動体視力が良いなら、極めていけばできるようになると思いますよ。あと、自分が動きながら、動く相手を撃つのも。……実戦では、それが当然のようにできなければ意味がありません」
「そーねぇ……」
「……あと、狙撃手は、中距離から遠距離の攻撃が主ですが、場合によっては接近戦もあるので、ある程度、接近戦もできるようになった方がいいです。懐に入られた途端、戦えないなんてことがないように」
「うー……アタシ、体術苦手なのよ〜……」


 これも兄達からよく言われていたことだ。狙撃手は基本的に援護されながら戦うが、援護しきれない時もある。その時、生き残れるようにと。
 体さばきは、とにかく下手だ。体がついていかない。これは単に、自分の体を鍛えていないというのが大きいのだが。それでも、相手の動きはそれなりに見えている。

 猿の如く、枝を飛び移りながらコッチに近付いてくる夕鷹を見たまま、梨音が言う。


「……六香さんは能力が割と高いですし、努力次第でできるようになると思いますよ。幸い、体術は夕鷹が長けてますし」
「んんー?呼んだ?」


 という声とともに、夕鷹が二人の前に着地してきた。すっくと立ち上がると、当然だが六香よりもひょろりと身長が高い。その彼が、片手に板を持ったまま、不思議そうに二人を見つめている。
 さっきの、高速で動いていた板を思い出す。そこまで筋肉質でもないこのおとぼけた感じの青年が、先ほどの速度で飛び回れるほどの能力を持っているのだ。バルディア帝国・王立軍人養成学院・武術の部を首席卒業した武闘派の兄にも匹敵するほどだ。しかも今、まったく疲れた様子はない。


「……夕鷹、アンタ……思ってたより、かなりの手練ね……」
「ん?そう?六香も、レイオーサンほどじゃないかもしんないけど、けっこーいい腕してるよ」
「レイオーサン?」


 初めて聞いた名前を、六香がホルスターに銃を戻しながら聞く。板をどうしようかと一瞥してからポイっと捨てた夕鷹は、ふわぁと大きなあくびをして答えた。


「ホラ、さっき言った追行庇護バルジアーの幹部サンだよ」
「あ〜、凄腕の狙撃手ってゆーね。どんくらいなのか、ちょっと会ってみたいわね」


 夕鷹と梨音から、二人が所属する猟犬ザイルハイド、それを追う追行庇護バルジアー、さらにそれをまとめる警護組織リグガーストについては、一通り説明を受けていた。
 そして、その追行庇護バルジアーには四人の幹部がいて、うち一人の幹部に、二人はマークされているらしい。というのも、元々その幹部の監視区域がこのシーヴァ周辺で、その区域で二人は目立ってしまっているかららしいが。本人達は自覚がないようだが、こんな妙なコンビ、目立たないはずがない。むしろ目立って当然だ。
 その幹部は、六香が言っている通り、凄腕の狙撃手らしい。体術に長けた夕鷹も、あまり彼とは会いたくないようだ。一体、どれほどの人なのだろうと、興味があった。親友よりも技術が上だったりするのだろうか。


「……思っていたより、六香さんの狙撃技術が高かったので、いろいろと任せられそうです」


 どんな人なのだろうと六香が想像していると、梨音がそう言ってきた。


「……ただ六香さんは、体術が不得手のようなので、最後尾になります。不得意な面は、ボクらがカバーします。ボクらを避けつつ、後ろから援護して下さい。先頭は当然夕鷹、ボクが中衛に入ります」
「あれ……そーいえば、イオンって戦えるの?なんか全然武器とか持ってないし、鍛えてるようには見えないんだけど……」


 ふと、今更六香がそのことに気付いて問うた。今まで会話してきて、梨音が頭脳明晰であることはわかっていたが、「戦闘」というイメージはまったく想像しなかった。むしろ彼は、「策士」のイメージだ。
 六香が不思議そうに、自分よりも背が低い梨音を見つめると、傍に立つ夕鷹が「あ〜」と声を上げた。


「そっか。俺はもう見慣れてるけど、世間じゃ珍しいんだっけ?」
「……珍しいんじゃなくて、絶えたって言われてるよ。だから、存在するなんて誰も信じてない」


 夕鷹の言葉を訂正してから、梨音は六香を一瞥し、自分の横に手を差し出した。訝しがる六香の目の前で、梨音が言葉を紡いだ。


「第12章、『煌然の軌跡』発動」


 ——瞬間。その指先を起点に白い魔方陣が開いた。そして、そこから数え切れぬ白い光が放たれる。その軌道上にあった、離れた木の幹に白光が当たると、まるで光に切られたかのように、木はゆっくり手前に倒れてきた。ズゥン……と、木が倒れた拍子に吹いた風を受ける三人。
 今、目の前で起こったことを呑み込めず、愕然と目を見開いている六香に、手を下ろした梨音が言った。


「……見ての通り、ボクは魔術師です。と言っても、今の世界にはいろいろと制約があるので、すべての魔術を使えるわけでありませんが……」
「な……な、なに今の!? 魔術?! ホントに!?」
「おお〜、すっげーびっくりしてるなぁ」
「……遥か昔の全盛期に比べたら、かなりの劣化版ですが、とりあえず魔術の形式はとっています」


 とか言う、小難しい梨音の説明は、六香の耳に入っていなかった。梨音がはっとした時には、すでに六香が目の前に詰め寄ってきていて、ガッシ!と自分の両肩を掴んでいた。


「すっごーい!! カッコイイじゃないっ!イオン、アンタサイコー!!」
「……どうも……」


 輝いた瞳でそう言ってくる六香に、何がどう最高なのかわからないまま、梨音は相槌を打った。


「あれ……ところで、アンタ達って、何で猟犬ザイルハイドやってるの?強いみたいだし、仕事ならもっといいのありそうだけど?」


 夕鷹と言い、梨音と言い、二人とも十分に強い。他に仕事はたくさんあるだろう。それなのに、彼らが盗賊組織猟犬ザイルハイドに所属する理由。
 ふと気になって、手を下ろした六香は聞いてみた。すると二人は、お互いに顔を見合わせた。


「うーん……まぁ、暇だから?気楽で気に入ってるしさ〜。仕事とかめんどくさいじゃん?」
「……ボクとしては、自分達は、いろいろと素性が知れたらまずいので……が理由です」
「なるほどね。アタシと似たようなもんか。それなら納得できるわ」
「おーい、俺はマジメに答えたぞ〜?」


 自分の言葉を流されて苦笑する夕鷹を見て、六香は小さく笑った。それから、ぴっと人差し指を立てて言う。


「とにかく、夕鷹が前衛、イオンが中衛、アタシが後衛ねっ。おっけー!」
「……普通は後衛が前衛を援護しますが、今回は後衛の六香さんをボクらが援護する形になります」
「よーするに、六香に敵を近付けさせなきゃいーってことっしょ?ならダイジョブだって」


 ひらひら手を振りながら軽い口調で答える夕鷹。こんな軽薄そうに見えるのに、しっかりとした実力を持つのだから、人は本当に見かけに寄らない。


「……それを踏まえた上で、今回の作戦をお話しします。と言っても、今までのものと大差ありませんが……」





  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪





 今夜のターゲットの屋敷は、シーヴァ郊外西にあった。ちなみに、六香達が住んでいたのは南の方だ。
 パリンコ侯爵という、西の地域を治めている領主で、横暴で強欲な貴族だと評判らしい。当然だが六香は、かつて、猟犬ザイルハイドだった兄達と親友も標的にした侯爵だということは知るはずがなかった。

 梨音から明るい服の色を指摘され、途中で立ち寄った町で黒いパーカーを買った。それに袖を通した格好の六香は、4つんばいでなぜか狭い空間にいた。
 換気口ダクトの中だった。屋敷には不釣合いな代物があると思ったら、どうやらこの屋敷全体のセキュリティシステムをコントロールするホストコンピュータの換気のためらしい。どんなルートを使ったのかわからないが、機械大国バルディアから仕入れたようだ。確かに機械は非常にデリケートだし、当然と言えば当然だ。が、まさか、本来、人が入るところではないところに入ることになるなんて。
 その中を、ほふく前進で黙々と進んでいく。できるだけ音を立てないように。だから、先を行く梨音に声をかけることもできない。


  『ボクが飛び込んで警官を昏倒させるので、六香さんはダクトの中で待ってて下さい。下りてくると巻き添えになります』


 ダクトに入る前に、梨音に言われた言葉。何の巻き添えになるのかサッパリわからなかったが、彼は魔術という未知の技術で戦うから、何が起こるかわからない。ココは従った方が利口だろう。

 やがて、梨音が不意に止まった。どうやら、このダクトの出口——換気口に着いたらしい。


「『焦せ、紅蓮』——アルト・フレイ」


 と、思ったら、とても小さな囁きが聞こえた。……コレは聞いたことがあった。魔術じゃない。地水火風を操る、絶えた魔術の代わりに生み出された理術だ。
 それを発動させる理導唄アシーノーグが聞こえたかと思うと、ゴゥン!と砲弾がブチ込まれたような音がして、次の瞬間には、目の前から梨音の姿が消えていた。あったのは、梨音が下りたと思われる、金網が無残に焼き切られた換気口。


「第5章、『静寂の陣』発動」


 さらに、下の方から静かな声。六香がその換気口から部屋の中を覗き込むと、真下に着地している梨音を中心に、紫色の陣が回転しながら広がるのを見た。


「うわ、うわああぁ?!」
「な、なんだこれは!?」


 すると、いきなり目の前に下り立った少年を呆然と見ていた警官二人が、同時に虚空を見つめて怯え始めた。かと思うと、突然ドサッとその場に倒れ込む。
 ……やがて、紫陣がフッと消えてから、すっと立ち上がった梨音は、真上の六香に向かって言った。


「……もういいですよ」
「あ、うん……ねぇ、コイツら、どーしたの?」
「……眠っているだけです。幻術なので、しばらくは起きません」


 六香が換気口から飛び降りながら問うと、梨音は二人の警官と、部屋のコンピュータとを見ながら答えた。
 この小さな部屋の奥に鎮座する、屋敷全体のセキュリティシステムを総括するホストコンピュータ。その機械に近付いた梨音の隣に並び、六香も見てみる。モニターには、暗証番号の提示を求めるボックスが映っていた。
 そのコンピュータと、背後にある機械とを見ながら、六香はアゴに手を当てた。


「ふーん……このシステム、旧式ね。アタシがバルディアを出る時には、もう2つくらい新しい型出てたけど、さすがにバルディアが他国に新型売るわけないわよね」
「……六香さんは、バルディアの人でしたね。……もしかして、機械には強いですか?」
「うーん……ちょっと自信ある、ってトコかな。家にもこういうのあって、結構いじって遊んでたから」


 自分が8歳くらいの頃に亡くなったので、あまりよく覚えていないのだが、両親も軍の人間だったらしい。そのせいなのか、真琴家にもセキュリティシステムを始め、さまざまな機械があった。だから割と、機械を使うことに関しての知識はある方だと思う。
 六香のその答えを聞いて、梨音はコンピュータの画面を見たまま言った。


「……なら、コレ、どうにかできませんか?ボクは、機械が大よそこういうものだという知識しか持っていません。フェルベスには機械があまり流通していないので……セキュリティシステムを備え付けている屋敷には、今までに一度しか当たったことがありません。……その時もパスワードを求められたのですが、悠長に調べている暇がなかったので、仕方なく破壊しました」
「は、破壊って……イオン、アンタ意外と過激ね……」


 やむを得なくなったら強行手段をとるタイプらしい。魔術や理術など、大規模の破壊に向いているものを操っているせいもあるのかもしれないが。

 六香は改めて、目の前の旧式のシステムを見た。モニターには、相変わらず、暗証番号を求めるボックスが浮かんでいる。
 記憶が正しければ、この型は、自分が10歳頃にいじった当時の最新型——つまり、5年ほど前のものだ。あの頃、バルディアで機械を製造していた企業は、3社だけだった。
 六香の家にあったのは、オーブレア社製だった。もしコレが、その企業で造られたものなら……、

 そのモニターから視線を外し、六香は、機械の右下に貼り付けてある銀のプレートに目をやった。
 それから、モニターの横についている、0から9の数字が振られた丸ボタンに両手、、を伸ばした。左手で左上の7、右下の3を、右手でど真ん中の5を、じっくり5秒長押しした。すると、ピーッとコンピュータが電子音を立てて、画面に浮かばせていたボックスを消し、屋敷全体のセキュリティシステムの状況を表示した。


「……! 暗証番号を……パスした?」
「うん、そ。ホラ、ココのプレートに、オーブレア社製って書いてあるでしょ?この会社、バルディアで最初に機械製造を始めたトコなのよね。パスワード式も暗証番号式もあるんだけど、とにかく左上と右下、真ん中を5秒長押しすれば、認証パスできるって結構有名だったの」
「……それは……会社のミスなんですか?それとも……」
「そう、会社がわざとやってたの。創業1年も経たないうちにそれが世間にバレちゃって、今は潰れてるけどね。この会社、実は盗賊組織で、このエセシステムを売りつけた屋敷に、自分達で盗みに入ってたんだって。他の盗賊にもこのこと教えて支援してたらしいから、グルだったってわけ。ま、ちょうど生活が苦しかった時代みたいだし、盗賊達にとっちゃ救世主だったみたい」
「……なるほど。バルディア本国で需要がなくなった物が、今フェルベスに出回ってきているということですね……」


 自宅にあったものと同じマシンなら、使いこなせる。六香はモニターを見ながら数字のボタンを操って、セキュリティシステムオールダウンの命令を出す最終確認ボックスを出す。


「で、どーするの?全部ダウンさせよっか?」
「……そうですね、そうしましょう」


 梨音が同意し、頷いた時。
 突然、目の前が赤くなった。それから、ヴオー、ヴオーという、けたたましい低音が鳴り始める。
 まさかと思って二人が天井を見上げると、自分達が飛び降りてきた換気口の横で、小さな赤いランプが忙しく回っていた。——言うまでもなく、セキュリティシステムが侵入者を捉えた警報だ。

 ばっとコンピュータの画面を見る。そこにも、防犯システムに引っかかったものがあると知らせる警告が出ていた。
 ココに忍び込んで数分経っているから、恐らく自分たちではない。認証パスしたことが引っかかったかと思ったが、それならパスした瞬間に鳴っているはずだろう。
 なら——、


「こ、コレ、夕鷹の仕業じゃないッ?!」
「……みたいです。廊下が騒がしいです」
「あ……そーいやオーブレア社って、小型端末の性能の良さが有名だった……ってことは、みんな何処に夕鷹がいるのかわかってるわよ!」


 慌ててホストコンピュータを操作し、何処で反応があったのか弾き出す。玄関口が下向きになっている図面の右上付近。左下に位置するココからは、やや遠い。
 その画面を隣から一緒に見ていた梨音が、反応のあった右上よりさらに上にある、他の部屋に比べて少し大きな部屋を指差した。


「……夕鷹は、移動している可能性が高いです。そうなると、恐らく今は、この金庫の部屋まで強行突破しているでしょう」
「は、はぁ!? 強行突破って……逆じゃないの?! 普通、慌てて逃げるとこよ!?」
「……夕鷹なら、ヤケになって突っ込んでいると思います。面倒臭がりですから」
「めんどくさがりだったら、むしろ今頃逃げてるんじゃないの?」
「……夕鷹ですから」
「………………」


 ——梨音の印象として、知的で論理的なイメージを受けていた。しかし今、論理的でも何でもない言葉で、梨音は言った。
 それは、いわゆる信頼、心、計算し尽くせない概念が紡ぐ、論理的とは程遠いもの。自分で言うならば、兄達や親友、相手を深く知り合う間柄で発生するもの。

 論理的に考えたら、おかしなところはたくさんあるのに。何と言い返したらいいのかわからなかった。思わず言葉を止めていた六香は、やがて静かに言った。


「……ねぇ、ずっと思ってたんだけど」
「……すみませんが、後にしてもらえませんか?」
「ごめん、今言わせて」


 警備室のドアに向かいかけた梨音の背に、六香ははっきりと言った。そして了承を得る前に、六香は口を開く。


「……どーしてイオン、そんなに夕鷹について知ってるの?」
「………………」


 ——六香の口から発せられた問いに、梨音はぴたりと足を止めていた。

 生まれた時から一緒にいた兄達とは、今日の昼まで……15年間の付き合いだ。朝から晩までほとんど家に一緒にいたし、誰よりもお互いを知っている者同士だ。
 親友だって、物心がつき始めた頃からの付き合いだ。7年ほどになる。隣の家に、親友が引っ越してきたのがきっかけだった。

 一方、梨音は、自分のことを12歳だと言っていた。夕鷹は、梨音と2年前から一緒にいると言っていた。
 ——たった2年で、相手のことを知り尽くせるものなのか。いくら梨音が冷静で分析力に長けるとしても、まだ12歳のはずなのに。

 緊張した面持ちで梨音の後姿を見つめる六香の前で、止まっていた梨音は再び動き出し、ドアのレバーを握った。


「……ボクが、昔から夕鷹と一緒にいたからですよ」
「……え?」


 意味深な言葉を言い捨て、六香の問い返しを拒絶するように、梨音はドアを開いて廊下に飛び出した。廊下の中央線辺りに立った梨音は、廊下の左右の様子を見る。すでに小型端末の情報を元に、夕鷹の方へ全員が向かっているらしく、廊下にはあまり人気はなかった。


「……夕鷹の援護に行きます。途中、警官に遭遇すると思いますが、ボクが障壁を展開するので、相手からの攻撃は気にせず、ボクから離れないようにして後ろから撃って下さい」
「えっ?! ちょ、イオン……!」


 駆け出した小さな背を追い、六香も警備室を飛び出して走り出す。並ぶまま角を曲がった時、前方に走っていく警官達が見えた。


「第15章、『拒絶の守護』発動」


 梨音の短い詠唱とともに、彼の手前から半透明の緑色の光が溢れた。かと思うと、それは六香をも囲い込んで障壁となる。初めて見たからよくわからないが、障壁とか言っていたから、盾のような役割をするものだろう。
 この廊下を駆けて行く数人の警官のうち、一人が、背後の自分達に気付いて声を上げる。


「あーもーっ!」


 振り返る警官達を見て、六香も慌ててホルスターから銃を引き抜き、さっき覚えた違和感を黙らせるように、銃を構えた。





  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪





「…………何よコレ」


 目の前の警官のももを撃ち抜いた六香は、思わず呆れ顔で呟いた。

 ホストコンピュータで見て、瞬間的に覚えていた屋敷の平面図を頼りに、セキュリティシステムが反応した場所——今回の目的の部屋の正面に伸びる廊下に来た。するとその廊下には、これほどの人数で屋敷を張ってたのかと逆に驚くくらいの数の警官が、アチコチで壁に寄りかかっていたり倒れていたりして、のびていた。全員しっかり気絶しているから、さらに驚きだ。
 自然と六香と背中合わせになって、遅れて駆けつけて来た警官達を、『景の不動』の黒い針で影を縫って行動不可にさせた梨音が、溜息混じりに言う。


「……これは予想外でしたね。ボク達の次の候補がココしか残っていないというのは、あちら側も気付いていたはずなので、警備は相当厚いだろうと思っていましたが、予想以上です」
「って、驚くトコ違うでしょ?! コレ全部、夕鷹一人でのしたってこと!?」
「……そうですよ、もちろん」


 信じられないという顔で言う六香とは反対に、梨音は到って平静に言う。ということは、本当に夕鷹はこれくらいの実力を持っているのだろう。全っ然そう見えないが。その事実と、普段のギャップとの正反対なものが相まって、六香は混乱してきた。


「で……」


 その混乱を落ち着けるように、六香は一度目を閉じてから、この廊下が伸びている部屋——金庫がある、自分達の最終目的の部屋の扉を見た。
 その部屋から、まだ距離のあるココにまで届く、物凄い数の銃声が響いていた。考えるまでもなく、そこに夕鷹がいるのだろう。が、いくらこの数の警官を倒した夕鷹でも、部屋の中で包囲されて狙撃されたら……!


「ちょっとやばいんじゃないの!?」
「……六香さん、先に行って下さい。また増援が来たみたいです」
「う……うん!わかった!」


 肩越しに背後を一瞥すると、確かに数人の警官がまたやって来ていた。梨音が迎え撃つ準備をするのを尻目に、駆け出す。
 一人で行くのは、非常に心許ない上に緊張したが、梨音に狙撃技術を褒められたことを思い出し、六香は、前に踏み出した。



 大丈夫。
 扉を開けて、少し時間はかかるけど照準を絞って、撃てばいい。
 自分を信じて。
 そしたら、きっと一人でもできるから。
 甘えん坊な自分と別れるんでしょ、アタシ!



 たくさんの警官が倒れている廊下を、その扉を目指して走る。そして、そのドアレバーを握った頃には、もうほとんど銃声が響いていないことに気が付いた。
 ——すでに捕らえられてしまった?それとも、まさか……
 脳裏を掠めた嫌な予感。中を見るのが怖かった。しかし、くじけそうになる心を奮い立たせ、六香はレバーを静かに手前に引いた。

 扉の向こうに見えた部屋の中は……廊下と同じような有様だった。立っている者もいるが、ほとんどの警官が昏倒させられて床に倒れていた。


「…………っはぁああ……」


 それを見て、一気に肩から力が抜けていった。盛大に息を吐き出してから、六香は改めて部屋の中を見た。
 真正面に鎮座する、ドデカイ黒塗りの金庫。それを背景に、二人の人物が戦っていた。

 一人は、夕鷹。廊下も含め、この数の警官を一人で全部のしていった、格闘家という名前が非常に似合わないとんでもない格闘家。——その夕鷹が、なぜか慌てた表情で床を転がっていた。


「わわわッ!?」


 うつ伏せから慌てて立ち上がった夕鷹が飛び退いた跡をなぞるように、連続して銃弾が弾ける。自分では追えないだろう夕鷹の動きを的確に追うその照準の軌跡に、六香は息を呑んだ。
 夕鷹から離れたところで、そこから動くことなく、片手で拳銃の引き金を引く人物がいた。1つに結わえられた藍色の髪を持つ、20代後半くらいの男。緋色の瞳はしっかり夕鷹を見据えている。

 やがて、カチッと言う弾切れの音が、耳に届いた。その音にはっとした六香は、自分が男の鮮やかな銃の扱いに見惚れていたということに気が付いた。


「ちっ……!」
「ラッキー弾切れっ!」


 距離を開かされていた夕鷹がチャンスを言わんばかりに跳躍し、男は急いで、薄茶色のロングコートのポケットから銃弾のストックを取り出す。が、ストックを取り付けようとした男の手を、至近距離にまで迫った夕鷹が下から蹴り上げ、銃もろとも弾き上げた。
 手ぶらになった、六香から見て手前の手を、男はポケットに突っ込んだ。


(……もしかして)


 その動作に、何処となく既視感を覚えた。何処かで見た動作。直感を信じるまま、六香が銃を構えると、彼女の見る先で男の手が引き抜かれる。その手に握られていたのは——予想通り、もう一丁の拳銃。
 それが夕鷹に向けられるまでの動き。それをじっくり観察し、時間をかけつつも、正確に照準を絞っていく。
 男の銃口が、完全に夕鷹に狙いを定める直前。男の手のすぐ上辺りを狙って、六香はトリガーを引いた。

 パンッ!!

 そのまっすぐな意志を反映したように。
 銃弾は絞られた的に着弾し、その勢いをもって、男の手から銃を弾き飛ばした。


「「!?」」
「なーにやってんのよ!盗るの無理そーなら、とっとと逃げるんでしょ!」
「おお〜っ!サンキュー!」


 突然の第三者の乱入で、何が起きたのかわからなかったらしく、驚く両者。その一方の夕鷹に、六香は笑って、自然とそう声をかけていた。夕鷹は感嘆の声を上げる。
 ふと、今まで男と夕鷹の二人しか見えていなかったが、金庫の横辺りにもう一人、誰かがいることに気が付いた。同い年くらいの、亜麻色のショートカットの少女。
 その彼女の青い瞳と、六香の赤い瞳がバッチリ合って。——二人同時に、驚いた顔をした。


「海凪ッ?!」「六香っ!?」
「何?」
「へ??」


 互いに名前を呼び合った少女——秦堂海凪と、六香の声に、向かい合うように立っていた男と夕鷹も驚いた。
 目を大きく見開いた二人は、忙しく目を瞬かせて問い合う。


「な、何で六香がココに?」
「それはコッチのセリフよ!な、何で?何で海凪がいるの??」


 わけがわからず動揺する二人。なぜ、今日、別れたばかりの親友が、こんな場所に?二人ともが、同じ想いを抱いていた。
 その海凪は、この大人数の警官が張っていた部屋にいた。しかも銃を構えて、鈴桜の傍に立っている。ということは——、

 ……と、後ろで、小さな足音がした。瞬間、六香の目は、自分の横から何かが飛んでいったのを捉えた。それは男と海凪、二人の影がある部分に突き立つ。
 突き刺さったそれは、黒い針だった。先ほどから、梨音が幾度か使っている魔術、『景の不動』。ということは、増援は一掃し終え、追いついてきたらしい。


「……夕鷹、時間かかりすぎ」
「おっ、梨音!ちょうどいーや、鍵は?」


 予想通り、自分の横に、エルフ族の少年が進み出てきた。その彼に影を縫い止められ、身動きをとれずにいる男と海凪の向かいに対峙したままだった夕鷹が、大きく手を上げて問う。事がこじれたのは自分のせいだと言うのに、その悪びれるなど微塵もない態度に、梨音は束の間の沈黙を挟んでから、呆れたように目を伏せて言った。


「……夕鷹、時間かかりそうだったら引いてって言ったよね?」
「いやぁ〜、ちょっとレイオーサンは予想外でさ〜」
「……だから言ったのに……ほら」
「さんきゅ〜」


 そう言って梨音が手を軽く振ると、その手から何かの鍵が、黒い針と同様に放たれる。夕鷹はそれを瞬間的に見切り、人差し指と中指で挟んでキャッチした。


「……イオン、いつの間に鍵、手に入れたの?」
「……さっきの増援の一人が、どうやらこの屋敷の警備員のチーフだったみたいで、持ってました」


 近くに立つ六香の質問に、梨音は振り返らずに答えると、同じ体勢のままの男を見て言った。


「……やはり、張ってましたね。鈴桜さん」
「……ということは、お前はわかっていたんだな」
「……はい。でも夕鷹が聞かなかったので」


 その会話を聞いて、なんとなく男の正体に予測がついていた六香は確信した。
 藍色の髪の男——鈴桜烙獅。二人が言っていた、追行庇護バルジアー幹部の凄腕の狙撃手だ。思わず見惚れてしまったさっきの銃撃は、確かに凄まじかった。きっと親友よりも上手だ。
 その男とともにいる、親友——秦堂海凪。


「六香、ズラかるぞ!」
「えっ?! あ、う、うん!」


 考え事をしていたら、軽く肩を叩かれて我に返った。声をかけてきたのが夕鷹だと知り、彼が金の音が鳴る袋を背負っているのと、言われたこととを反芻して、ようやく逃走するという状況だと理解する。
 自分の横を通り過ぎていった夕鷹と、すでにいない梨音を追おうと、条件反射的にくるりと背を向けてから。ふと思い立って、もう一度だけ、振り返った。
 影を縫いとめられたまま、立ち尽くしている海凪。だんだんと状況を理解してきた六香は、彼女に——笑った。


「じゃ、海凪!またね!」


 明るい笑顔で軽く手を振ると、六香は、ついていくと決めた二人を追いかけた。





  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪





「さっきの、知り合い?」


 暗い空の下、パリンコ侯爵の屋敷を脱出し、悠長に歩いて立ち去る三人。ジャラジャラ金貨の音を奏でながら、六香と梨音に挟まれて歩く夕鷹が、隣の六香に聞いた。


「親友。アタシよりもずっと優秀な、ね」
「……そのようですね。立場的に、鈴桜さんの補佐官になったと読んで間違いないでしょう」
「あー、そーいや、あの中じゃ、結構いい腕してたな〜……はぁ、また追ってくる人が増えるなぁ……めんどくさい」


 月明かりに照らされながら、げそーっとした顔をして、夕鷹は溜息を吐いた。それは暗に親友が褒められているような気がして、なんとなく誇らしい気持ちになる。
 屋敷内で出会った親友の驚いた顔を思い出し、六香は小さく微笑んだ。

 六香も、恐らく海凪も、状況を呑み込んだ。
 六香は、猟犬ザイルハイド側にいるということ。そして海凪は、追行庇護バルジアー側にいるということ。
 対極を成す、2つの組織。

 まさか、こんなに早く、別れた親友に会えるとは思わなかった。それは海凪も同じ想いだろう。
 しかし、また別れてしまった。再会できた親友と、別れてしまった。
 だが、猟犬ザイルハイド追行庇護バルジアー。この2つの組織は、嫌でも関わり合う関係にある。


 だから——何度別れても、また、会える。


「ね、アタシ、役に立ってた?なんとかなりそうっ?」


 それから六香は、二人の前に踊り出て、後ろ歩きをしながらわくわくした顔で聞いてみた。期待した表情で評価を聞いてきた彼女に、夕鷹と梨音が、それぞれ口を開く。


「うんうん、マジ助かった!レイオーサンの銃を弾くなんてやるなぁ〜!」
「……狙撃技術はもとより、機械のことでも助けられましたし、かなりスムーズに動けたと思います。……夕鷹が台無しにしましたが」


 今回の全体の流れを思い返して言った梨音が、最後の言葉をジロリと夕鷹を見て言うと、本人は不思議そうに首を傾げて。


「んんー?そーなの?」
「……防犯システムに引っかかったことにも気付いてないんだ。あんなに警報鳴ってたのに」
「あぁ、アレか。アレって何なの?」
「そーね、ズバリ『侵入者有り!』ね」
「おお!? マジで?! すげぇ!知らなかった!」
「感動して言わない!」


 まったく反省する様子もなく、いたく感動して声を上げる夕鷹に、六香はぴしゃりと言った。どうやら彼は、梨音と比べて機械にはかなり疎いらしく、忍び込んでも「人が見ていなければバレない」と思っているようだ。
 前に向き直り、歩きながら、星が瞬く空を見上げて、気持ちよさそうにうーんと伸びをした六香は、「よっし!」と、ぱしんっと両手で頬を挟んだ。


「この調子で銃も練習して上達しなきゃねっ!ってことで今後ともよろしく、二人とも!」
「おうっ、よろしく六香!」
「……ついて来るなと言っても、ついて来る気がしますしね……いいんじゃないですか」


 振り返って片手を上げて言う六香に、夕鷹は応えるように手を上げ、梨音は投げやり気味に了承した。それを見てくすりと笑ってから、六香は再び前に向いた。
 東の暁の空は、いつもより眩しく見えた。






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