→→ Finale 1

 ―――カン……カン……カン……

 足元から鳴る、鉄の音。素っ気無い鉄製の階段を、一段、一段と下りる度に鳴る乾いた足音。
 ライトを持ってはいるが、階下はその照明では照らせないほど暗い。まるで夜の世界に、どんどんと踏み込んでいるような錯覚を覚える。まだ真昼なのに。



 ――1年の月日が経つのは、陳腐な表現だが、あっという間だった。
 あの日、突如空界に出現した、巨大すぎる銀の〈扉〉。世界中からその〈扉〉は見えたそうだ。もちろん、自分もこの目で見た。
 正体はわからずとも、誰もが未知なるものに恐怖した。最前線の戦場もひどい混乱に陥り、戦争どころではなくなったらしい。
 それをきっかけにしてなのか、フェルベス、イースルシア、バルディアの三国戦争は、ひとまず休戦という形になった。

 善戦していたと思われるバルディア軍は、フェルベス軍の休戦の申し込みを受けた。両者とも、この戦争がただの消耗戦になってきていることに気付いたからだった。――何より、フェルベスを、所詮途上国と舐めていた。
 バルディア軍の戦車や飛空艇などの兵器は、フェルベス軍の目覚ましい発展を遂げた理術でほぼ壊滅した。これから製造を始めても、その頃には、このビアルドにまで勢いに乗ったフェルベス軍が進軍してくるだろう。何より、エネルギー源となるアルテスが足りなかった。

 兵力ではバルディアの方が上だろうが、兵士間の統率がとれていない。バルディアの兵育成は、個々は見事なものだが、協調性は乏しいように思える。隊長の指示以外では動いていないようだ。それを利用して、こちらは隊長兵を真っ先に潰し、統率を崩す。<隻眼の獅子>相手に粘る相手もそういない。そして残りの兵は理術で一掃だ――前線にいた鈴桜烙獅という男が、言っていた言葉らしい。
 勝ち目が薄いとはでは言えないが、もしフェルベスに勝つつもりなら、相応の多大な代償を払うことになる。それこそ、国の総力を上げて。

 あの戦争は、バルディアが一方的に仕掛けたものだ。バルディアが攻撃を止めれば終結する。この消耗戦を続けていれば、いずれ両国とも疲弊して、やがて国内で暴動が起き、他国の領土どころではなくなる。
 ――あの銀の〈扉〉のこともあるが、理由としてはこちらの方が大部分だった。



 休戦の申し込みは、前線にいる人物からだった。フェルベス将軍・昴 祐羽。……本当のところは、鈴桜烙獅が電話で代弁してきたそうだが。
 堅固な警備の中にある屋敷に侵入してきた青年・氷室 奏から、電話を渡されて。自身も、どうするか考えあぐねていたバルディア参謀・雨見紫昏は、兵をいったん引く決断をした。

 ――あれから1年。
 三国とも、未だに戦争の傷が癒えていない。もうしばらく、この束の間の平和は続くだろう。


(……アタシは……何も、変わってないんだな……)


 変わったことと言えば、誕生日が来て18歳になったことと、長かった髪が少し短くなったことくらい。相変わらず情報部にいるし、地位も中尉のまま。

 ふと、階下にぼんやりとほの暗い灯りが見えてきた。そこが階段の終わりだと知る。
 階段を下り切ると、すぐ正面と左右の三方向に、1つずつドアが並んでいた。最低限の電灯だけをつけた夜の道のようなこの場所に、人の気配は皆無だ。
 そのうちの、正面のドア。それの上部に設けられた小さな窓から、部屋の灯りが漏れていた。
 ――話に聞いていた通りだ。まったく物音がしない、その真ん中の部屋のドアノブに手をかけ、押し開いた。

 部屋は、階段と同じような鉄でできていた。空虚な部屋の端には、円柱状のガラス管や機械がいくつも並んでいた。それが、この部屋全体の雷を制御する機械であることを、彼女は知らされていた。
 その分、部屋の真ん中には、物がなかった。あるのは、この空間内ではよく映える、1つの白いベッドで――

 そこに、一人の青年が座っていた。



 ドアが開いた音に反応して、彼はゆっくりと顔を上げた。


「……誰かと思ったら……久しぶりだね……未亜……」
「……はい……お久しぶりです、玲哉さん」


 ストレートな臙脂色の髪、金と銀の双眸。何も変わらぬ五宮玲哉は、見知った相手の顔を見て、微笑んだ。それに対し、部屋の灯りに照らされて姿が露になった相手――芽吹未亜は、小さく頭を下げた。
 1年前、高く2つ結いにしていた紅桃色の髪は、今は下ろされ、背中の辺りで毛先が揺れていた。焦茶の瞳で、彼女は玲哉を見据えて言う。


「今度から……私が、貴方の世話に来ます」
「そっか……それは嬉しいね。未亜なら……俺の話に、付き合ってくれそうだ……」


 そう言って、玲哉は疲れの濃い顔で弱々しく笑った。その痛々しい彼の姿に、未亜は胸が締め付けられるような、どうしようもない悲しみを覚えた。

 ――1年前。玲哉は、自失しているところをバルディア軍に連行された。
 彼を始め、あの場にいた者達は、銀の〈扉〉が光になって消え行くさまをすぐ近くで見ていた。それまで自分を支えてきたものが消え失せ、抜け殻のようになった玲哉は、あれからずっと、こんなふうに空虚だ。
 バルディアは、彼の力を恐れた。いや、力だけじゃなく、こんな事態にまで追い込んだ彼自身に。
 また、自国にいると危ういからと野放しにして、敵に回られたら最悪だ。存在すること自体が、あまりに危険すぎる。殺すべきだと、軍、国の上層部の者達は、口を揃えた。
 それだけならよかった。――だがバルディアは、それよりもずっと卑劣な手段を考えついた。

 玲哉が座っているベッドに未亜が近付くと、玲哉は憔悴した様子で言ってきた。


「未亜……この部屋のこと、聞いた……?」
「……はい……」
「ほんっと……最悪だよね……俺でも、こんなの考え付かないよ……」


 体を襲うだるさ、めまい。1年間で、ある程度慣れてきたので倒れはしないが、それらを感じながら玲哉は嘲笑した。

 バルディア帝国軍基地の中枢エリアに、参謀の許可を得た者だけが入れるドアがある。階にすれば地下5階ほどの地下にある、『動力室』へ繋がるドアだ。
 玲哉が今いるこの部屋は、バルディアの主動力となる電気を蓄積する場所だ。通常は、地表に突き出た避雷針からの雷を蓄える。――が、今、この部屋は大掛かりな改造が成され、外部からだけでなく内部からも雷を吸い上げる、、、、、、、、、、、、

 この部屋全体が、紫電を操る玲哉自身から、強制的に雷を吸収している。自分は放電せずとも、部屋の設備が少しずつ吸っていく。
 血を消費して力を発揮する玲哉にしてみれば、それは、一定量の血を抜かれ続けているのと同じだ。よって、常時ひどい貧血とめまいに襲われ続けていて、まともに動くこともできない。この動力室が、そのまま彼の牢獄となっていた。


「……うえ……いつものことだけど……気持ち悪い……」
「大丈夫ですかっ?」


 玲哉が口を押さえて背中を丸めたのを見て、未亜は反射的にその背を摩ろうとした。指先が背中に触れた瞬間、バチッ!と静電気が走り、はっと思わず手を引く。


「あぁ……俺に、触らない方がいいよ……見えないけど、放電させられてるから……」
「そんな……玲哉さん……」


 以前の、黒い思想に突き動かされていたような、生き生きとした彼の姿は微塵もない。抜け殻のような玲哉を慰めるために、背中を摩ることもできないなんて。思わず泣きそうになって、未亜は必死でこらえた。

 具合が少し安定した玲哉は、そこに突っ立ったままの未亜に……半分は自分に言い聞かせるように、呟き始めた。


「……俺……1年間、ずっと考えてたんだ。俺が……戦争を始めた理由と……神を殺そうとした理由……」


 なぜ、バルディアに戦争を始めさせたのか。魔王召喚が目的なら、夕鷹を殺せばそれでいいはずだった。
 なぜ、神を殺そうと思ったのか。こんな神の夢うんめいの下に生んだ神に、復讐したいと思ったのは確かだ。しかし、前に椅遊に聞かれたように、何か、欠けているような気がして――
 純粋すぎて感情なんてロクに知らない自分なりに、ずっと、考えて。


「―――俺はきっと……認めてほしかった」


 幼い頃から浴びせられてきた罵声。暴力。
 いつの間にか、自分はいらない存在なのだと、心の奥底にそんな意識を植えつけられていた。


「復讐したいって……そう思ったのは、確かだよ。……けど……それ以上に、俺はきっと……ここにいるって、主張したかったんだ……」


 だから、バルディアに戦争するようにけしかけた。いらない存在なりの、世界を壊す前の足掻きだった。


「俺を……こんな神の夢うんめいの下に生んだ、神を殺したら……もう、俺の存在を……否定する者は、いなくなる。……だから、俺は……」
「………………」
「…………ここに、存在していてもいいって……許してほしかったんだ……」


 掠れるほど小さな声は、周囲の機械達の静かな低音と一緒になって、部屋に染みていく。

 ――知っている。国の上層部たちが、自分を野放しにすることも、かと言って自国に受け入れることも危険だと判断し、ここに押し込んだということを。動力として雷を吸い、ついでに自分を弱らせて檻で大人しくさせて飼い殺すしかないと。
 ……結局、自分は、何処にいても、「存在してはいけない」存在なのだ。


「……玲哉さん……泣いてるんですか……?」
「え……?」


 上から未亜の気遣わしげな声が聞こえて、玲哉は顔を上げた。言われて目元を手の甲で拭ってみると、確かに透明な雫がついた。
 その濡れた甲を、滲む視界で見て、玲哉は呆然と紡ぐ。


「……本当だ……俺……何で泣いてるんだろ……」
「玲哉さん……」
「俺、泣いたの……生まれて初めてだよ……。なんか……胸が苦しい……」


 胸が詰まるように苦しい。これは……何なのだろう。

 胸の辺りの服を掴んで、うつむきかけた玲哉に、今まで立ち尽くしていた未亜が歩み寄った。玲哉が何かと思って顔を上げた瞬間、目の前が真っ暗になって、バチっと静電気の弾ける音がした。なんとなく温かいと思ってから、ようやく、未亜に頭を抱き締められていることに気が付いた。
 ――温かい。そう思った。
 それは、生まれて初めて、玲哉が触れた他人の温もりだった。


「……悲しい時は……泣いても、いいんですよ」


 温かな彼女の腕の中、頭上から、静かに諭される。……その声音が、とても優しくて。





 泣いた。たくさん。泣き疲れるまで。
 子供のように、わんわんと。

 彼女は嫌な顔もせず、ただ優しく頭を撫でてくれていた。
 それは、今まで迷子だった子供が、親に再会して泣きじゃくっている姿とよく似ていて。

 その泣き声は、他の誰にも届かずに、バルディアの地下の暗闇にひっそりと溶けて行った。


 ……………………





  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪





 ――1年前のあの日を、神を信仰するとある一派では、「予定終末の日」と呼ぶらしい。

 あの日現れた銀の〈扉〉が、魔界の門へと続く扉であったことを知る者は少ない。ただ、あの〈扉〉の出現が、三国戦争終結のきっかけになったのは確かだ。そこで、あの〈扉〉は、戦争の止まない世に、神が下そうとした裁きだったのだと言うのだ。
 しかし、その裁きの〈扉〉は、銀の雪となって散った。〈扉〉を見て迅速に手を取り合った三国を見て、まだ価値があると思った寛容な神は、裁きを取りやめになさって下さった。だから、生物すべてが助け合って生きるのが正当なのだ――と、教主はかく語る。



 そんな予定終末の日。世界は終末を迎えずに済んだが、終末を迎えたものもあった。
 二人の守護者――聖王と魔王。
 彼らの存在を忘れかけた空界で、それに気付く者は皆無だった。個々の事情があったとは言え、長きに渡って空界に関わらずにいた二人は、すでに物語の中の存在。その実在を信じ、畏怖する者はいなかった。

 その日を経て、一時的ではあるが平和を取り戻した空。
 フェルベスの首都シーヴァの広場。その隅から青い空を見上げていた依居天乃は、栗色の髪を優しい風にもてあそばれながら、ぽつりと呟いた。


「……魔界の裁人〈フィアベルク〉を召喚する」


 ………………。

 広場を駆け回る子供達と、人々の談笑が穏やかに響く場所。彼女が求めた、あの卑しい声は、その中にはない。
 1年前のあの日、散り行く銀の〈扉〉と同じく、〈フィアベルク〉も銀の光となって消えてしまった。それからと言うもの、〈フィアベルク〉は応答しない。聖魔王が消えたことで、魔王の配下にあった『彼』の存在も掻き消えたのかもしれないと、梨音サレスは言っていた。彼の〈ガルム〉も同様だ。

 ――唐突な別れだった。何だかんだ言って、最後まで自分と一緒にいてくれた黒き飛竜。感謝の言葉も別れの言葉も言っていない。
 だからか、『彼』が消えたと思えていない自分がいる。まだ、魔王が消えた魔界にいるような気がして、ふとした時に呼んでいるが……やはり、返答はない。

 ……いなくなった相棒は、契約の時に聞いてきた。
 『なぜ、オレの力を欲する?』と。
 召喚時にも問われる、あの言葉。対して自分は、何度も同じ返答をしてきた。
 『何処かへ消えたものを取り戻すため』。
 ――今思えば、願掛けに似ている。あんな卑しい声で笑う黒飛竜だ、ご利益なんて全然なさそうなのに……それは形となった。

 相棒の消失と引き換えに、自分が探していたものは、帰ってきた。


「姉さんっ!」


 天乃が溜息を吐いた時、そんな声がして、誰かが駆け寄ってきた。常盤色の双眸を向けると、ショルダーバッグをかけた萌黄色の髪の少年が、それぞれの手にペットボトルのお茶を1つずつ持って、笑顔で、、、立っていた。
 そのうちの片方を、少年は天乃に差し出す。


「はいコレ。夢茶」
「……梨音、君が買いたかったというのは、これ?」
「うん。六香さんが好きだったんだ。だから、ちょっと飲んでみたくて」
「そう……ありがとう」


 弟・依居梨音から夢茶を受け取って、天乃は彼の顔を見つめた。梨音はダークブラウンの瞳を瞬いて、首を傾げる。
 1年前、梨音が、フェルベスを回りたいと言い出した。それからと言うもの、二人で一緒にフェルベスのあちこちを回っている。〈フィアベルク〉がいないから、当然歩いての旅だ。


  『……貴方の弟の梨音は、ボクの中にいます』


 ――あの後、サレスと名乗る「梨音」に打ち明けられた事実。自分の感覚が嘘ではなかったことを知り、天乃は納得すると同時に、困惑した。
 その彼女に、「梨音」は――小さく微笑んで言った。


  『……ボクが術を解除リリースすれば、この子は元に戻ります。ボクは……長く生きすぎました。役目も終えたことですし……そろそろ、自分の輪廻に戻ろうと思います』


 役目と言うのは、夕鷹の呪咒アバルゲを管理するということだろう。しかし、その本人がいなくなった今、「梨音」はすることがない。
 だが、「梨音」は当然、夕鷹が帰ってくるのを信じて……いや、確信しているはずだった。夕鷹を待たなくていいのかと聞いたら、彼は困ったように笑った。


  『……夕鷹は、絶対帰ってきますよ。だからこそ……その前に去ります。名残惜しくなってしまいそうなので』


「―――サレスさんのこと、嫌いにならないでね」


 不意に、現実の梨音が言い放った一言に、少しだけドキっとした。それで我に返ると、目の前で梨音が笑っていた。


「……って言うボクも、1年前までは、好きになれなかったんだけどさ。サレスさん、凄くネガティブで冷めてる人で、こんな人に意識を乗っ取られたなんて最悪!って思ったよ」
「………………」
「でも、1年前の戦争の時、なんか急に一生懸命になって。ボクが、意識を返してって言ったら、まだ死ねない!って強い想いで返されたんだ。それから、なんとなく好きになれたよ」
「……そう……」
「サレスさん、ボクの体を借りて、前向きになれたんだったら嬉しいなぁ」


 3年も自分の体の主導権を握っていたサレスのことを、梨音は嬉しそうに話す。自分がサレスに抱いている感情は複雑だが、その笑顔を見ていると、次第に自分も、彼のことを好きになれそうな気がした。

 第1章『永遠転生輪廻の環』を解除リリースした彼は今、一体どうしているのだろう。
 他の魂と同じように、<流れを御する者オーフェラーグ・リデル>の下、聖界で次の生を待っているのだろうか。それとも、輪廻を乱したとして〈ヘル〉に捕らえられ、魔界にいるのだろうか。他とはまったく異なる道を歩んできた彼を、何が待っているのか、自分達には想像ができない。
 聖王、魔王が消えても、聖界、魔界の存在は変わらない。聖界は相変わらず無数の魂がいる世界だし、魔界は相変わらず魔物達がいる世界だ。それぞれ一人ずつ、住人が減っただけで。


「きゃぁあーーッッ!!! ど、泥棒よ!誰か捕まえてー!!」


 唐突に、広場から伸びる大通りの方から、甲高いおばさんの悲鳴がした。二人を含めた広場にいる人々がそっちを見ると、袋を脇に抱えていたり、肩に担いでいたり、さまざまな数人の男達が駆けてくるのが見えた。
 とっさに、近くにいた別の男性が盗人達を捕まえようとするが、そのうちの一人が懐からナイフを取り出してそれを牽制した。その刃を見て人々が身を強張らせ、和やかだった広場の空気が緊張する。


「……店の商品を強奪してきたみたい」
「そうだね。……姉さん、手出して」
「……?」


 その緊迫した雰囲気にも怯えることなく、梨音はカバンに夢茶を突っ込みながら、背の高い姉を見上げて言った。天乃が訝しげに、言われるまま空いている手を出すと、梨音はそこに左手を置いて呟いた。


「第16章、『景の不動』発動」
「……!?」


 彼が紡いだ、予想を反した詞。驚く天乃の右手の指の又に、何処からともなく現れた黒い針が計4本、にゅっと伸びる。それから梨音は、同じ針を握った右手を構え、前を見据え。


「姉さんっ、フォローよろしくっ!」


 一方的にそう言うなり、前に大きく踏み込んで勢いをつけて、その黒い針4本を、男達の影に向かって投擲した。標的は、走っている相手の影だ。ざっと見たところ、六人はいる男達のうち、2本は影を縫い、残り2本は外れる。
 梨音が逃がしてしまうと焦った直後に、時差で放たれた天乃の針4本が、残りの男達の影をすべて射止めた。急に動かなくなった体に、男達が慌てた声で会話する。その間に、街の警護組織リグガーストが騒ぎを聞きつけてやって来た。


「第16章、解除リリース


 警護組織リグガーストが男達に手錠をはめた頃を見計らって、梨音は『景の不動』を解除リリースした。連行されていく男達の背中を見送りながら、梨音はうなって腕を組んだ。


「うーん……2本、外しちゃったかぁ……やっぱり難しいなぁ……」
「梨音……今のは……」
「びっくりした?」


 納得行かなさそうに呟く梨音に、さっきのことを天乃が呆然と問いかけると、彼は得意げに笑って振り返った。それから、つん、と自分の頭を指差して、


「サレスさんの知識が、ちょっと残ってるみたいなんだ。まともに使えるようになったの最近だし、まだ簡単なのしか使えないけど……サレスさんみたいに、上位の術も使えるようになったらいいなぁ。あ、でもボクは実戦経験がないから、まずはそっちかな〜」


 「判断するのって難しいね」と、梨音は苦笑して、そのまま頭を掻いた。
 4年前まで、何も戦う術を持っていなかった少年。それが、大賢者の残滓を受け継いで、魔術という力を手にした今、一人前の魔術師の顔をしていた。

 ――過去の遺産は、現在に継がれ、未来に活かされていく。良くも悪くも、すべては不可逆を行く。今はいない聖魔の導きによって。


「……なんか、サレスさんがボクの中で生きてるって感じがして、嬉しいな」


 そう言って、梨音は微笑んだ。
 サレスが笑えなかった分を補うように、たくさん――





  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪





「見つけたわよッ!!」


 廊下に踊り出ると同時に、真琴六香は銃の引き金を引いた。パァン!という銃声のすぐ後、カァンっと無機質なものにそれが跳ね返る音。
 まだ昼間の白い太陽が照らす長い廊下で、彼女の赤い瞳が見据えていたのは、そこに立つ大柄な男だった。大剣を盾にして銃弾を防いだ魔族の男は、面倒臭そうに漆黒の髪を掻いて溜息を吐く。


「まぁったてめぇらかよ……」
「そりゃあ追行庇護バルジアーだし、アンタたち猟犬ザイルハイドを追うのは当然でしょ。面倒なら、猟犬ザイルハイドなんて辞めればいーじゃないの」
追行庇護バルジアーだの軍だのはやってられるかよ。あの規律をどーにかしてくれんなら別だがな」


 暗い赤の目を細めて言う飛鳥楸の言葉を聞いて、銃口を向けたままの六香の横に、誰かが進み出てきた。サラサラしたセルリアンブルーの頭の青年は、紫の眼で見て、同い年の楸に笑顔で言う。


「じゃあ楸君、追行庇護バルジアーに来ない?規律らしい規律はないよ?僕らがいい例だしね〜」
「って冬芽兄、何勧誘してんのよ!?」
「さらに言うと、幹部は軍の中隊長くらいの権力があるから、幹部になれば、なななんとっ!好き放題できちゃうよ♪ あ、やることはやるけど」


 六香の驚いた声も聞こえていないフリで、彼女の兄・真琴冬芽は少々オーバーに語る。彼の言う通り、実際、追行庇護バルジアーには規律はないようなものだ。働いた分だけ報酬が来る単純なシステムなので、そのようなところにはこだわらない。
 楽しそうに喋る、冬芽の上手い宣伝文句に、楸は少し考えるような間を置いた。が、すぐそれをやめ、溜息混じりに返答する。


「……どうだかな。大体、国家ぐるみの組織っつーのが気に食わねぇ」
「あっはは!そっか〜、そりゃ残念だ〜♪」


 拒否を表す楸の返答に、冬芽はむしろ嬉しそうに笑った。誘ったのは向こうなのに、断られて嬉しがる冬芽。楸が怪訝そうにすると、真後ろ下方から声がした。


「僕ら、猟犬ザイルハイドがいてくれれば……追行庇護バルジアーも、やることあるから……助かるんだよ」
「あぁ……それもそうか」
「それから……挟まれたよ……」
「はぁ……?まったかよ……」


 弱々しい小さな声が知らせたことを聞いて、楸は後ろを一瞥してみた。確かに、自分達が走ってきた背後の道に、いつの間にか、ハルバードを持った緑青の髪の青年がいる。

 楸と背中合わせに立つ、金髪の少年――空良采を見て、青年は、つい呆れた口調で言った。


「まぁ、そういうことだが……お前ら、せめて夜に来いよ……何つーか、礼儀として」
「……楸……夜に来るのが……礼儀、なの……?」
「知るか。むしろ礼儀って何だよ」
「前言撤回。今すげぇ共感した」
「こら春霞兄っ!そーゆーこと言わないの!!」


 青年がほぼ本気で頷いた途端、采と楸を挟んで向こうから、すぐさま六香の声が飛んできた。彼女のもう一人の兄・真琴春霞は、海色の眼を伏せて「わーってるよ……」と溜息を吐いた。もはやどっちが年上だかわからない。

 イースルシア王国。猟犬ザイルハイド本部がある首都パセラの郊外にて、真っ昼間から堂々と屋敷に侵入……いや、強行突破してきた采と楸の二人。ちなみに警備兵は、出会った順にどかどか昏倒させて全滅中。
 ――猟犬ザイルハイドは、今も変わらず存続している。現総帥も、玲哉のままだ。その玲哉がバルディアに捕まっているということは、バルディア国内を含めても、ごく一部の者しか知らない。こうして彼の存在は、静かに闇に葬られていくのだろう。

 あの後、とりあえず、生計を立てるには金が必要だという結論に至った楸は、迷わず猟犬ザイルハイドになった。……というより、それに似た盗賊になった。
 もちろん一人で行くつもりだったが、采が勝手についてきた。いくら相当な実力を持つとは言え、年齢も外見もやはり子供だ。世間を一人で渡るのは難しいだろうと判断した采は、ちょうどよかったので、自分と同じ根無し草の楸についてきたわけだ。
 楸も、最初こそはどうだこうだ言っていたが、采の強さはよく知っているし、結局こうなっている。何だかんだ言って、それなりに信頼はしているようだ。



 国家組織警護組織リグガースト機動班・追行庇護バルジアー・イースルシア幹部とその補佐官。その肩書きが示す通り、実力はお墨付きだ。
 そして、彼らの妹。これと言った肩書きこそはないが、何度か戦ったことがあるから、彼女の腕は知っている。なかなかに厄介な連中に、采と楸の二人は挟み撃ちにされている。
 ……そんな状況下で、ふと、采が思いついたように顔を上げ、背後の楸に言った。


「そうだ、楸……ここから出たら……椅遊に、会いに行こう」
「はぁ?? つーかお前、空気読めよ……門前払いされるに決まってんだろ。相手は王女だぞ」
「大丈夫だよ……いつもみたいに入れば」
「それじゃ侵入者だろうが!? お前、国1個、敵に回すぞ……」
「じゃあ……その時は、応戦しようね。もちろん……楸も道連れだよ……ふふ」
「『ふふ』じゃねぇよ……付き合ってられっか」
「……アンタ達、国家組織アタシたちの前でなんてこと言ってんのよ……」


 とんでもないことを公然と話す二人の会話を聞いて、六香は思わず溜息を吐いた。相変わらず、この二人は傍若無人だ。

 六香は今、二人と対極の立場、追行庇護バルジアーにいる。二人の兄達が所属している、イースルシア側の勢力だ。そんなわけで、イースルシアを中心に荒らしているこの二人とは、顔を合わせる機会が多い。
 こちらは、イースルシア幹部の春霞、補佐官の冬芽、そして自分。采と楸が強いことは知っているが、こっちだって負けていない。いつも五分五分の戦いをするが、最後は采の神創術カルフィレアで上手いこと攪乱させられ、今1つ捕縛まで届かない。なんだか、過去の自分たち三人と、鈴桜と海凪二人の状況にそっくりだと思って、つい笑ってしまう。


「言っとくけど、椅遊には割と簡単に会えるわよ。武装解除すれば、城の中には入れるしね」
「ホントっ……?」
「大丈夫かよ、それ……」


 六香の情報に、嬉しそうにばっと振り返って問う采と、逆に心配して嘆息する楸。武装解除されても、強い者は腕1つでも強い。それを考慮しているのだろうか。
 「それならダイジョブよ」と、楸が言っていることを読んだ六香が言った。


「椅遊の傍には、いっつも篝将軍がいるから。アタシ結構行ってるし、ホントよ」
「篝将軍は強いからね〜。春霞といい勝負じゃない?」
「んなわけねーだろ。将軍っつーからには、もっと上だろ」


 六香の隣の冬芽が、向こう側の春霞に、篝の話を振った。自分ではそこまでだと思っていない春霞は、くだらなさそうに切り捨てる。いつか手合わせしてみたいものだが、お相手は将軍様だし、自分と違ってお忙しいだろう。そのうち城に行ってみよう。
 ……とか考えているんだろうなと思って、冬芽は笑った。もう24年の付き合いだし、春霞の単純な性格はよく知っている。もちろん褒めているつもり。

 それから冬芽は、ボウガンにつがえられている矢先を楸に向けた。


「ま、椅遊姫様に会いに行くのもいいけど、その前に、僕らから逃げ切ることだね〜」
「うん……いつもみたいに……逃げさせてもらうよ」
「毎度ながら腹立つガキだな……とにかくかかって来い。バトるぞ」
「この戦闘馬鹿が……澄ました顔してるクセによ」


 采が当然のように言った言葉に、春霞は肩で息を吐いてから身構える。この1年で、クールな顔をしている春霞が戦闘マニアであることは知っていた楸が、人のことは言えないがそう言う。
 やる気満々な空気の中、一人だけ出遅れた六香が、「ったくも〜……」と嘆息した。


「ほんっと……兄達も、アンタらも……みんな戦うの好きでしょ?」
「おう」「まぁな」「うん」「そーだね」


 熱中すると、戦う趣旨がズレてくる傾向がある四人に、六香が仕方なさそうに言ったら、一斉に返答があった。逡巡する間もないその返事に、また呆れてしまう。
 真昼の貴族邸の廊下、略奪者二人を挟み込んだ状況。それだけ見るならこちらが有利だが、全員の力量を計算に入れればまた話は別だ。
 六香と冬芽は中距離戦に特化していて接近戦には弱いし、春霞は接戦タイプだが中遠距離攻撃は苦手だ。逆に、楸は接近戦が主な代わりに中遠距離には弱く、采はどちらにも対応できるが神創術カルフィレアの成功確率も影響する。結末は誰にもわからない。
 戦闘の気配が漂い始めると、途端にこの場の空気が張りつめていく。昼だと言うのに、夜のような静けさだった。

 采が鎌を、楸が大剣を、春霞がハルバードを、冬芽がボウガンを。
 そして六香が、二丁の銃を構え―――


 バァンッ!!


 その銃口から放たれた銃声とともに、全員が床を蹴った。






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