→→ Sanctus 14

 一瞬、意識が遠のく。かわしたつもりの紫電が掠り、そこから一気に全身を駆け巡る。


「っ……ぉおおああぁああッッ!!!!!」


 それを目と歯を食いしばってなんとか耐えながら。『片方全開』状態の夕鷹は、ソーンが軋む音を無視して奥底から無理やり聖力を引っ張り出し、まとわりつく紫電を消し飛ばした。
 それで一息吐きたいところだが、そんな隙を黙って玲哉が見ているはずがない。霞む目が、紫電を宿した刀を構えて跳んでくる玲哉を捉える。
 夕鷹はさらに後退しながら、左目を片手で押さえ、もう片方の手を差し出した。開放している右眼に力を集中させ、体の奥バルストからかすかに漏れてくる知識を頼りに、急いで術式を構築する。


「!」


 夕鷹の手前に展開した小ぶりな純白の陣を見て、警戒した玲哉が、寸前で切りかかることをやめた。跳んでいた玲哉は、刀で地面を引っ掻いて勢いを殺し、そこに着地、身を翻して紫電だけを放つように刀を振り抜く。
 うねる紫雷が夕鷹に迫るのと、白陣から白き光が漏れるのは同時だった。糸のように玲哉に向かっていくつも伸びた光は、紫電とぶつかって対消滅する。


「へぇ、聖王って、聖術も使えるの?まぁ、使えても不思議じゃないか」


 少し驚いた顔をした玲哉に問われたが、夕鷹にはもう答える気力もなかった。『片方全開』で、壊れかけのソーンを酷使していることが響いて、激しい呼吸が止まらない。
 ちなみに正確に言うならば、聖術という名前ではあるが、『聖と魔の予言神話ガリカエス』に則った術ではないため、一般的な聖術とはまた一線を画する。玲哉に教える義理もないし面倒だし黙っていた。

 自分はバルストではないから、それほど高度な術式は組み上げられない。自分の意識も一応残っていて、かつバルストの意識と融合している『片方全開』の状態で、ようやくこれだ。
 左眼を閉じたまま、肩を上下させる夕鷹は、先ほど着地したところに立っている玲哉を見た。彼もすでに紫電を幾度も使っているから、恐らくその分だけ血を消費しているはずだが、自分に比べれば遥かに余裕がある。


(……やばい……まじで……なんかもう生ける屍って感じだぁ……ああもうめんどくさい……さすが、勘は鋭いなぁ……)


 ――さっきの術式。本当は、第17章『束縛の黒環』のように、あの糸で目の前まで迫った玲哉を捕縛するつもりだった。だが本能なのか、玲哉は直前で退いた。
 第3章『五神聖霊の舞』、第10章『聖帝の咆哮』のような例外もあるが、基本的に、術に変換した聖力には元の性質――高圧力がない。だからさっき、聖力なら一方的に紫電を消し去るところを、糸は紫電と相殺し合った。

 いつでも迎え撃てるように意識を玲哉に集中させる夕鷹の前で、玲哉はこちらをまじまじと見て感嘆した。


「それにしても、もう2、3回は紫電食らってるよね。俺、手加減してるわけじゃないんだけど……普通なら即死だよ?頑丈だね、君の体」
「はぁ、はぁ……そりゃ、ね……」


 なかなか死なないもんだから、過去の死にたいと思っていた自分でも、この体は持て余していた。吐き出すように答えて、夕鷹は小さく苦笑した。

 人型――ソーンは、確かに頑丈にできている。
 ソーンは元々、聖王バルストの隠れ蓑だ。だから、まだ力が回復し切らない時に呆気なく死んだら困るという理由で、外部からの攻撃にはある程度耐え得るように、サレスがそう施したらしい。不死とまでは行かないが。
 それに今は、『片方全開』。あまり多くはないが、普段よりも多くの聖力が供給されてくる。掠り傷くらいならすぐに治る。その代わりに、精神的に負担が重いのだが。


「まぁでも、何度もやってれば、さすがに死ぬだろっ……!?」
「……!」


 バチッと弾けた紫電。たんっと地を蹴って跳んだ玲哉が、雷をまとう刀を突き出す。
 霞む視界で動きは捉えていたが、軋む体の動きがついていかない。とにかく回避しようと身をよじる。


「ぐあっ……!!」


 胸を狙った切っ先は、夕鷹の肩口に突き立った。文字通り貫かれた夕鷹を、さらに、悲鳴さえ掻き消して紫雷が襲う。
 が、痛みに目を瞑っていた夕鷹は、開放している右目をなんとか開くと、一歩、無理やり前に踏み込んだ。当然、刺さっている刀がさらにめり込み、激痛に意識を持っていかれそうになるが、それを必死で引き止めて。
 信じられない行動に出た自分に驚愕している玲哉の胸倉を、自由な半身の手で掴み、夕鷹はさっきと同じ術式を描いた。玲哉の胸倉を中心に陣が開き、白い糸が彼を拘束しようと絡みついていく。


「くっ……!」


 一時でも身動きがとれなくなれば、大きな隙となる。焦った玲哉は、紫電を思いっきり放電した。その頃には手を離していた夕鷹は、いったん飛び退き、玲哉が柄を握り締めたのか、ついでに刀が抜ける。絡んだ白い糸を紫電で壊した直後の玲哉に再び突っ込んで、頭を狙って横から大きく足を振り抜いた。
 ……手応えがあった。蹴り飛ばされた玲哉は、ザリザリザリっと刀の先で荒地を掻いて減速し、少し離れたところでゆらりと立ち上がった。


「……腕で受けたつもりだったけど……頭にも掠ったな……攻撃モロに受けるなんて、久しぶりだよ」


 白い手袋をした左腕を上げ、玲哉は少し顔をしかめて頭を摩った。
 それから――本当に楽しそうに、笑った。
 あの完璧な笑顔ではない、笑顔で。


「二ノ瀬夕鷹……君、面白いね。俺、今、凄く楽しいよ。うん、楽しい……だよね、これは。こんなこと思ったの初めてだよ」
「っ……どゆこと、それ……?」
「そうだよね。化け物は化け物同士、戦うのが一番いいんだ。その方が楽しいよね」
「いや……俺は楽しくないぞ……」


 突然わけがわからないことを言い出した玲哉を、夕鷹は息苦しいまま訝しげに見る。
 今、彼が浮かべている楽しそうな無邪気な笑顔、さらには「こんなこと思ったの初めて」だなんて、まるで子供みたいじゃないか。


(……いや、待てよ……)


 もしかしてコイツ――子供のまま、、、、、なのか?

 ……と。
 唐突に、二人の間を始点に、紫色の陣が回転しながら出現した。


「っ!?」
「ルトオスの魔術ッ……?!」


 よくわからないが、反射的に二人がそれぞれ後ろへ飛び退くと、彼らの目の前で陣の展開は終わった。静止した陣の外円から紫色の壁が立ち上がり、その壁を下から紫光が駆け抜けたと思ったら、壁と陣はスゥっと消える。
 その壁の向こうには、当然、玲哉がいる。――それに加え、さらに数名の影が増えていた。


「……ここ……は?」
「うぅ、何なのよ〜……」
「どうなってんだ……?」
「玲哉……さん……!?」
「どういうこと……?!」
≪転移の魔術だったんだろォ≫

「…………へ??」


 その影達の姿を見て、夕鷹は肩の痛みも一瞬忘れて、驚きに目を瞬いた。
 その影は、大きいものから小さいものまでさまざまだ。しかも全員顔見知りな上に、今現在プロテルシアにいるはずの者達ばかり。


「玲哉ッ……!」
「っつーことは、ワープでもして来たのかよ……!」
≪だからそう言ってんだろうがよォ≫
「これが、ルトオスの魔術……」


 そのうちの二人、采と楸が玲哉の姿を捉えて、彼から距離を置いた。彼らの言葉にそう言いながら、〈フィアベルク〉も、呆然とした様子の天乃を乗せて空に舞い上がる。


「う、ウソっ!? ってことは、二人の間に割って入ったってわけ!?」
「……そうみたいですね……」


 残った3つの影のうち、六香が玲哉を見て真っ青な顔をしつつ、夕鷹の方に下がって言い、梨音も六香の隣に並んで頷いた。
 最後の一人、陣の中心に残っていた人物が、こちらを振り返って、泣きそうな顔をした。


「ゆたかっ!!!」
「……え……あ……あれ?椅遊?あれれ?な、なんで?? ってか、この状況ってやばいんじゃ……」


 椅遊は、プロテルシアに捕らわれているはず。それを助けるために、六香と梨音が取引に行ったはずだ。なぜこんなところにいるのか。
 しかもなぜか、前に別れてそれっきりだった采と楸、さらにはさっき玲哉を下ろして飛び去っていった天乃と〈フィアベルク〉の姿もあって、余計にわけがわからない。

 ポカンとしていた夕鷹は、自分をかばうように立つ仲間二人の背に、掠れた声で聞いた。


「ちょ……六香、梨音……コレ、どーゆーこと??」
「詳しい話は、後よ……とにかく今は……アンタが、玲哉に殺されることだけは阻止しなきゃ……」
「……六香さんの言う通り。夕鷹……ボロボロだね……お疲れ様……」


 ……そう言うお前らこそ、ボロボロじゃんか。
 声を出すのもつらいので、肩を上下させる二人を見て、心の中で思った。一体、なぜ二人がこんなに疲労しているのか。――が、それよりもわからないのは、椅遊だ。

 椅遊は、最初と同じ場所……つまり、玲哉と自分との間に立ったままだ。しかも、椅遊もなぜか疲れている様子だ。
 確かに椅遊は、唯一、玲哉に攻撃されない人物だが、なぜ急にこの場にやって来たのか。さっきのルトオスの魔術で、どうやら皆が転移させられて来たらしいことは理解したが、なぜそれが発動させられたのかがわからない。
 発動させたのは、どう考えたって、ルトオスとシンクロしている椅遊しかいない。あれほど、自分と玲哉、そして椅遊が同じ場に揃えば、最悪の事態だと言っていたのに、なぜ――


「ははっ、これはびっくりだね。まさか、椅遊の方からやって来るなんてさ。よくわかんないけど、いらっしゃい」


 夕鷹と同じく、玲哉も、彼女がここに来た理由がわからなかった。何はともあれ、大事なキーパーソンが自分から来てくれたことを歓迎すると、椅遊は玲哉を振り向いた。
 荒い息のまま、夕鷹を背に、玲哉の前に立ち塞がるように、椅遊はすっと両手を広げた。


「はぁ、はぁ……ゆたか……ころさせない……!!」
「椅遊も夕鷹を守るってこと?確かに椅遊を攻撃するわけにはいかないし、盾にはなれるかもしれないけど……それだけだよ?」


 淡々と言う玲哉。彼の言う通り、椅遊は盾にはなれるが、それだけだ。鍛えているわけではない椅遊には、自分の横を一瞬で駆け抜けるだろう脚力を持つ玲哉を止める力も、さらには視る力もない。
 玲哉と同じくそう思った夕鷹が、呆然と椅遊の背中を見ていると、手前の梨音と六香が小声で言ってきた。


「……夕鷹……キミの前に立ったはいいけど……ボクらも、もう限界が近い……だから、早く逃げて」
「お前らは……?」
「ついていくわよ……アタシ達は多分、紫電ですぐ殺されちゃうし……だから、椅遊が囮になってる隙に……」
「ならダメだ」


 六香の言葉を最後まで聞かないうちに、夕鷹はそれをあっさり却下した。そのバッサリとした口調に、二人が肩越しに夕鷹を見ると、彼は肩口の傷を押さえた格好で、真剣な顔で椅遊の背を見つめていた。


「……約束……した、じゃん。みんなで、みんなを守る……それから……全部、終わった時……みんな、揃ってなきゃ……意味ないって……」
「………………」
「椅遊も、いなきゃ……終わらないんだぞ?」
「……そう、だけど……夕鷹、わかってる?椅遊だって……アンタを守りたいのよ?アンタ……それを踏み躙る気……?!」
「……ボクらだって……椅遊さんも、連れて逃げたいけど……それができないから、こうなってるんだ……」


 超越した力を持つ玲哉には、自分達は敵わない。だからこそ椅遊は、自分が盾になって、その間に夕鷹を逃がしてもらおうとした。あの魔術が発動した後、ぼんやりとした意識の中、二人はそう願う椅遊の声を聞いた。
 自分はまた捕まる代わりに、二人に夕鷹を逃がしてもらって、それ以降関わらない。――それが、椅遊が選んだ選択だった。
 他に夕鷹を助け出すための代替案もなく、二人は椅遊の意志を尊重して、それを手伝うことにした。

 表情をゆがめたそんな二人に、夕鷹はふっと小さく笑った。


「……そっか……なら……俺が椅遊連れて逃げれば、問題ないよな……っ!?」
「なっ……?!」
「夕鷹……!?」


 どんっと二人を押し退けて、夕鷹は跳躍した。疲れ切っていて反応できなかった二人は、呆気なく左右に突き飛ばされる。
 背後からの二人の声を聞いて、椅遊が振り返る。その彼女を見つめて、夕鷹はありったけの声量で叫んだ。


「ルトオスッ!!! 聞こえてんだろっ!手伝え!!」


 ―――――貴様に指図を受ける筋合いはないのだがな。まぁいいだろう


 恐らく夕鷹には聞こえていないだろう、ルトオスの声が、椅遊の耳元でした途端。
 体の奥から何かが湧き上がってくる感覚。魔力が勝手にルトオスから引き出されている。――いや、ルトオスが勝手に魔力を自分に送り込んでいる。
 椅遊から溢れ出た魔力が、玲哉の方に壁のように展開する。その壁は、いつの間にか迫ってきていた玲哉の紫電を阻み、消滅させていく。

 椅遊が呆然としていたら、ガッと手を掴まれた。はっと振り向くと、遠くから見ただけではわかり切らなかった、傷だらけの夕鷹だった。


「ゆたかっ……!」
「椅遊、走れるか!?」
「う、うん!」


 大丈夫かと椅遊が聞く前に、夕鷹にぐっと引っ張られながら、強い口調で聞かれた。とっさにそう返事をして走り出そうとしたら、ガシっと、もう片方の手が掴まれた。
 驚いた顔の夕鷹が自分を見るのを見てから、椅遊も振り返ると、魔力の壁から生えている紫色の手が、椅遊の手を掴んでいた。


「ルトオス……?!」


 ―――――余ではない。術式や魔力はともかく、物を顕現させるのは不可能だ。これは……


 椅遊が思わず口走った名の者が、平坦な声で、しかし何処か疑問そうな声で返す。

 ……魔力の壁が、静かに散っていく。紫の手は――壁の向こうから伸びていた。
 袖は魔力に消されたのか、紫色の左腕が露出した状態で、玲哉は笑った。


「まさか、こんな形で役に立つなんてね。感謝すべきかな?」
「生粋な魔力の……義手……?!」
「ご名答」


 聖魔力ともども、純粋な同属性のものには、その性質は影響しない。
 驚愕する夕鷹の前で、もう片手に持つ刀を構え、玲哉は跳んだ。はっとして、夕鷹がとっさに椅遊から手を離して距離を置こうとするが、体がついていかない――!


「なかなか死なないみたいだけど」


 どん、と刀が胸に突き立つのを感じた。
 すぐ横の椅遊が、愕然と空色の瞳を見開いているのが見えた。
 声もなく、呆然と夕鷹が玲哉を見返した直後――


「これならどうかな……!?」


 太陽を直視したかのような、まばゆいばかりの紫電が、彼から放出された。
 恐らく、最大の出力。玲哉の腕を通り、さらに夕鷹の胸を貫く刀を通じて、体を、ソーンを、内部から紫電が食らい尽くさんばかりに荒れ狂う。


「がぁぁぁああああぁあああッッッ!!!!?!」
「夕鷹っ……!!」
「夕鷹!!」
「……ゆ……ゆたかッ!! いやあぁ!! やめてぇええっっ!!!!」


 放心状態にあった椅遊の泣きそうな声とともに、彼女の体から魔力が膨れ上がり、目の前の玲哉に向かって牙を剥く。それを予測していた玲哉は、刀から手を離して飛び退き、左腕の義手を盾にしながら魔力を凌ぎ切った。


(…………やっばいなぁ……すげぇ効いた、今の……)


 紫電から開放された夕鷹は、ふらっと後ろに倒れかかった。何かに引っ張られた気がするが、引っかかったものもろとも背中から倒れる。
 朦朧とした意識の中、薄く目を開いてみた。おぼろげな視界に、桜色の影が見えた。
 何かを言っているようだが、音が聞こえてこない。――聞こえるのは、内からする、バルストの声と、ソーンに入るヒビの音。


(壊れる、な……ってことは俺、死んじゃうのか……まずいよなぁ、椅遊の召喚が起きちゃうだろーし……)


 とは思うのだが、自分の体は、確実に壊れていく。言うことを利かなくなっていく。自分でよくわかる。
 ソーンの表面にできた自分という人格が崩れていると、急激に薄れていく意識が物語っていた。

 サレスが構築した術式・ソーン。彼が何ヶ月も入り浸って作り上げたものだ。……それが、壊れていく。
 ――何でもそうだ。作るのは難しいのに、壊すのはこんなにも簡単だ。
 俺と言う人格だって、できたのは奇跡っていう偶然だったのに、壊れる時はこんなにも呆気ない。
 その代わりに、封印されていたバルストが解放される。


 所詮貴様は、我の一部に過ぎないということだ―――――


 ……知ってるよ。
 そんなの……知ってるよ……



 知りたくなかった……

 生まれた時から知ってたけど、知りたくなかった……



 俺は、みんなと笑っていられれば、それでいいのに。
 そんな当たり前のことも、許されないんだな……


 我ら守護者には、感情はない。故に、そのようなことは不必要だ―――――


 ……そーいや、お前とまともに話したの、初めてだな。
 頑固な奴だなぁ……お前だって、それなりに感情はあるっしょ……?ってか、それが俺なんだっけ……
 あぁ……そろそろ、やばいなぁ……



 とりあえず、俺が経験したこの何千年の記憶から……
 お前が良い奴に成長してくれることを祈るよ。健闘を祈る。


 くだらないな―――――


 …………はは……そうかな……


 ……………………





  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪





「ゆたかっ!! ゆたかぁッ!!!」
「夕鷹っ、しっかり!!」
「死んじゃダメ夕鷹!!」


 夕鷹が倒れた直後、椅遊は、薄目を開く夕鷹の傍で、顔を覗き込みながら叫んでいた。傍に梨音と六香も駆け寄ってきて、三人が夕鷹に呼びかける。
 空ろな瞳孔は、何も捉えていなかった。それでも彼は、かすかに呼吸をしていた。


「イオン、どーにかならない!? ソーン作ったのアンタなんでしょっ!?」
「すみません、今のボクでは……それに何より、材料となる聖力は掻き集めないといけないので、時間がありません……!」
「ゆたか!! おきて!! おきてっ……」


 会話する二人をよそに、夕鷹に呼びかけ続けていた椅遊は、彼の瞼が、すっと静かに閉ざされるのを見た。
 ――瞬間。

 パンッと、光が弾けた。


「…………え……?」





















 まるで、風船が割れるように。目の前で、夕鷹の体が、細かな光の粒になって弾けた。
 舞い散る煌く白い光。彼の体を構成していた聖力の残滓なのだろうと、頭でぼんやり理解した。

 夕鷹が消えた、その代わりに。
 さっきまで彼がいたそこにあったのは、手のひら大の小さな、真っ白な光球。



 ――ずぐん、と身の奥で何がが疼いた。
 急激な寒気。


「……あ……あぁ……」


 胸の奥が寒い。大切な何かが抜け落ちたように、冷たい風が吹き抜ける。
 体を抱く。震えてる。震えるほど寒い。すべてが真っ黒く見えてくるほどに、寒くて――
 ……この感情の名前は?


 ―――――絶望、だろう


 目の前で消えてしまった人の声で、違う誰かが言う。
 絶望?
 わたしの希望?
 ……消えてしまったの?


「ああ、ぁああっ……」


 誰かが近くで叫んでいる。呼ばれてる。
 聞こえない。聞こえない――
 もう、何も……










「あぁぁああああぁあぁああああぁあああっっっっっ――――――――――!!!!!!!!!!」










 もう何も聞こえない――!!



 身を抱いてうな垂れた椅遊を中心に、あの銀色の召喚陣が展開していく。
 刹那にその場を駆け抜け、遠く、遠く……世界全体を覆ってしまいそうなほど、遠くまで、展開していく。


 ―――――呼ばれた以上は向かう

 ―――――誓継者ルース椅遊よ、貴様の望んだ未来はこんなものか


「……止められなかった……守れなかった……ボクは……」
「あ、アタシ……アタシはっ……!どうして……?どーしてこうなっちゃうのよぉ!!」

「お、おいやべーぞ!!」
「……もう、どうしようもないよ……椅遊を気絶させても、召喚は続く……」
「空界は……滅ぶ……」

「はははははははははっ!!!! 神なんか死ねばいい!! 世界もろとも死んじゃえよ――ッ!!!」


 曇った天上で、絶叫する椅遊の真上で。天に描かれた大きな銀色の陣から、巨大な銀の扉が下りてくる。
 魔界の門。魔王ルトオスがいる世界と、この空界とを繋ぐ回廊へ続く門。
 扉は重低音を響かせ、開いていく。真っ黒なその向こう側から現れたのは……以前も見た、大きな紫色の手。魔力で顕現させられた手。


 ―――――命の召喚では、先に対価をもらう

 ―――――それを糧に、余は力を振るう


 その手を、声を嗄らした椅遊は抜け殻のように、ぼんやりと見上げた。
 ……わたしは、アレに捕まって、死ぬ。
 みんなも、イースルシアも、世界も……死ぬ。
 みんなみんな、死ぬ。

 ―――わたしは……何も、守れなかった……

 ポロポロと、涙がこぼれる。自分が泣いていることも知らずに、椅遊は呆けたように手を見上げていた。
 高速で伸びてくる紫の手。それが視界を覆い尽くし、椅遊の眼前が紫色に染まった。















 ――その紫を、横から白い光が裂いた。


 ―――――バルスト……?!


 紫手と椅遊の間に割って入った、純白の光。動揺したルトオスの声。
 魔手はそのまま、純粋なる聖力そのものと椅遊とを一緒に引っ掴んだ。


「椅遊っ!!」
「椅遊さんッ!!」


 そして、ぐんっとその腕が引かれ。
 椅遊とバルストは、魔界の門の向こうへと引きずり込まれていった。


 ……………………






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