→→ Sanctus 8

 時は、昨夜に遡る。





 視界が左右に割れる。開いたドアの向こうに、バルディアの軍服に身を包んだ兵達が部屋の両側に並んでいた。

 五宮玲哉と真正面から対峙するのは、プロテルシアの時以来だ。
 夜のうちにセーシュ砦にやってきた椅遊は、めぼしい物が見当たらない広間にぽつんとあるイスに座る玲哉を、緊張した面持ちで見つめていた。
 何度対面しても、きっとこの恐怖は消えない。椅遊は、体の震えをこらえるので精一杯だった。

 頬杖をついていた玲哉は、体を起こし、ニッコリ笑った。


「やあ、久しぶり、椅遊。来ると思ったよ」
「………………」
「国を案じたイースルシア王がけしかけたのか、それとも自分の意志なのかはともかく……ココまで、どうやって来たの?」


 玲哉がそう問うと、椅遊が何かを言う代わり、彼女の後ろから誰かが現れた。長い栗色の髪を翻すそのスーツの女性を見て、玲哉が少し驚いた顔をした。


「……天乃?」
「久しぶり、玲哉。私が椅遊をココまで連れてきた」


 2週間ほど、自分のところから姿をくらませていた天乃だった。長い髪を軽く払い、天乃は相変わらずの平坦な口調で説明する。
 以前に別れた時と変わりないように見える天乃に、玲哉は不思議そうに聞いた。


「天乃……君は、何がしたいの?いなくなったから、もう俺の手助けはしてくれないと思ってたんだけど」


 ——2週間前、何があったかは不明だが、何かきっかけがあって、天乃は自分のもとから離れたのだろうと玲哉は思っていた。だから、もう自分の前に現れることはないと思っていた。
 なのに……今、彼女は、自分の前に現れた。しかも、自分が望んだように、椅遊を連れて。

 天乃は、ゆっくり首を横に振った。


「貴方の手助けをしたわけじゃない。私は、この子の手助けをしただけ」
「椅遊の?」


 玲哉が椅遊に目を向けると、椅遊はコチラを見つめていた。……確かに、様子を見る限り、嫌々連れて来られたというわけではなさそうだ。
 何より——、その空色の瞳が、前に見た時より、なぜかとても力強く見えた。
 ——知っている。それは、はっきりとした自分の意志を込めた者の目の輝きだ。

 今まで椅遊は、状況に流されるままだった。記憶がないせいで、自我が曖昧だったのもあるかもしれない。常に受け身の、守られてばかりの姫君だった。
 そんな椅遊が、自分の意志で城を飛び出し、自分の意志で玲哉の前に立った。それも、要求に応えたわけではなく、自分の別の意志を持って。
 みんなを守るために。

 その確固たる心が映る目を見て、玲哉は面白そうに笑った。


「はは、なるほどね。ま、とりあえず来てくれたんだし、約束通り、イースルシアから手は引くよ。奥に閉じ込めてる氷室篝も解放して、イースルシアのパセラまで送ろう」
「……!」
「な……中佐!?」


 てっきり、要求を満たしてもイースルシアに攻め込むものだと思っていた兵達が、その玲哉の言葉にざわつく。約束を破ってイースルシアに侵攻しても、バルディアは痛くも痒くもない。そうなったらイースルシアは、すぐさま落ちることになるのだから。
 椅遊もまた、ココに来たことで一応、要求は満たしたことになるが、玲哉が約束が破るかもしれないと恐れていた。しかし、そのあっさりとした一言に、目を見張る。しかも、篝をパセラまで送るという丁重ぶりだ。
 椅遊の驚いた様子を見て、玲哉は完璧な笑顔のまま言う。


「心外だなぁ。俺、約束は守る主義だよ?ほら、前に、采と楸が裏切ろうとしたら、アイツら殺すって言ったよね。けど今、アイツらが俺の邪魔しようとしてるのはわかってるんだ」
「……っ!」
「けど今、はっきりした証拠があるわけじゃないし、俺はアイツらが自分の意志で俺の前に立ちふさがった時に殺そうと思ってさ。ま、イチイチ殺しに行ってる暇がないってのが一番の理由だけど。とにかく、話が逸れたけど、約束は約束だし、もうイースルシアには攻撃しないよ」
「中佐、それはいくらなんでも……!!」
「何か言った?」
「……っ……」


 イスから立ち上がる時に聞こえてきた声の方向を見て、玲哉は完璧な笑顔で言った。目を向けられた兵は、不可視の刃を喉元に当てられたような冷ややかなその殺気に言葉を呑む。
 何も喋れなくなった兵士に代わり、別の兵士が、恐る恐る問いかけてきた。


「……総指令である参謀が、イースルシアに攻め込めと指示なさった場合……どうされるおつもりですか?」
「無視するよ。イースルシアへの要求は俺がやったものだし、紫昏に指図される筋合いないね。俺、別にバルディアに仕えてるわけじゃないし」
「で、では我々は……」
「もちろん待機。紫昏に咎められたら、俺に待機してろって言われたって言えばいいよ。破ったら俺が殺すから」


 あっさりと紡がれた言葉に、兵達は一斉に口を閉ざす。戦場で玲哉の力を目の当たりにした彼らは、玲哉が恐ろしくてたまらなかった。
 予想以上に誠実な玲哉の態度に、椅遊が呆然と見つめる前で、玲哉は、ふと気付いたように、椅遊の隣の天乃を見た。


「あっと……そうだ、天乃。悪いけど、今、立ち去ってほしい。そして一晩、ココに近付かないこと」
「……!?」


 思いもしなかった言葉に、言われた天乃ではなく椅遊が目を見開いた。一方、天乃はいつもの静かな表情で、その言葉を冷静に受け止めていた。


「俺は、天乃がよくわからない。前は俺に無条件に従ってくれたけど、今は自分の意志で椅遊の手伝いをしてる。だから、天乃も俺の邪魔をするかもって警戒してね。そしたら俺、やっぱり殺すよ?」
「………………」


 簡単にそう言ってのける玲哉は、その行為がどんな意味を持つのか知らないのだろう。かつての仲間を手にかけるというのが、どれほどに心苦しいのか。それを想像することができない。憎悪しか知らぬ心は、余計なことは考えない。
 天乃は目を伏せ、仕方なさそうに言った。


「……信用が失われたのは、わかってる。……わかった……私は立ち去る」
「俺が気配を察知できる最大範囲、知ってるよね?それ以上、離れなきゃならないんだよ?」
「知ってる。地平線より少し奥の距離まで。そこまで遠いと、私でも見えない」


 ということは、天乃は玲哉を追えなくなる。一晩もその距離を置いていれば、何処に行ったのかもわからない状態になる。完全に天乃の邪魔立てを封じるその指示を、天乃は承服した。

 長い髪の流れる背中がコチラを向き、ヒールが床を叩く音が遠ざかっていく。砦から出て、それから〈フィアベルク〉を喚んだらしく、気配が空中に映る。その気配も、瞬く間に離れていき——、もう少しで範囲外に出る頃に、玲哉は椅遊を見た。


「あ、そうだ。イースルシアには侵攻しないけど、バルディアとイースルシアの国境は、俺らの軍で仕切らせてもらうよ。ってわけで、お前らの仕事は国境を封鎖すること。俺は椅遊を連れてくために抜けるから。帰ってきて命令違反してたら、殺すよ?」


 罰ゲームでも言うような軽い口調で玲哉が言ったそれは、単純明快な一言だったが、彼が言うと完璧な脅し文句だった。恐怖におののく兵達を見渡してから、玲哉は椅遊の方に向かって歩いていく。
 恐怖の根源が、近付いてくる。恐怖と戦いながら、椅遊が警戒した目でそんな玲哉を見ていると、彼は自分の手前で止まった。
 真正面からぶつかった視線と視線が交わり——、そのことにようやく気付いた時、驚きが椅遊の心を支配した。


「……え……?」
「ん?」
「ひだ、り……め……」
「あぁ、この目?」


 椅遊が呆然と自分の右眼を指しながら言うと、玲哉は椅遊と鏡になるように、白い手袋をした左手で、自分の左眼——銀の瞳を指した。
 と、その動作で、椅遊は完全に思い出し、はっと息を呑んでいた。
 ——左腕。確か玲哉は、『開眼』した夕鷹の放った聖力によって、左腕を消し飛ばされたはず。なのに……今の彼には、左腕がある。


「いろいろ面倒な話だから、ココでは話さないけど……とりあえず、君が思ってることと関係あるよ」
「……うで?」
「うん。まぁ、あとにでも話してあげるよ」


 ココで「腕」の話をするのはまずい。軍部に……特に紫昏に、左腕が義手であるとバレたら厄介だ。そう思って、玲哉は話を進めた。


「それじゃ椅遊、プロテルシアについて来てくれる?」
「………………」
「別に何もしないよ。あ、でも、アッチに着いて、俺が傍から離れる時は拘束させてもらうから」


 話を元に戻した途端、隙を見せんと言わんばかりの目になった椅遊に、玲哉は気を悪くすることもなく笑って言った。


「あぁ、イースルシアの方にも、プロテルシアに椅遊を連れて行ったって知らせないと……じゃないと、夕鷹が来ないもんね。じゃ、要求と同じように使者でこう通達しといて。『王女はプロテルシアに連行した。王女に危害を加えるつもりはない。要求は満たしたから、約束通り、イースルシアからは手を引き、氷室篝も解放する』って」
「プロテルシア……私は存じていないのですが、それで相手方に伝わるのですか?それと、中将を通さなくても良いのですか?」
「うん、アッチ側は知ってるから大丈夫。儀煉のオジサンかぁ……別にいいよ。イースルシアは俺の管轄ってことで。儀煉のオジサン、いじけてるしさ。なんだったら俺が自分で言うから」
「了解しました!」


 玲哉が傍にいた兵士にそう指示し、兵士はびしっと敬礼して了解した。それから、ふと、これからプロテルシアに個人的な用事で行くことも儀煉に言わなければならないことに気付く。が、恐らく儀煉のことだ、玲哉がこの場から消えるということだけで快諾するだろう。
 とりあえず、行く前に儀煉に一言言っておこうと思ってから、玲哉は椅遊に向き直り、笑った。


「ただ国のために、犠牲になりに来たわけじゃないんだろ?」
「……っ!」


 玲哉の鋭い指摘に、椅遊は思わず身を強張らせていた。それが何よりも答えになっていると気付くが、体の緊張は解けない。
 ——玲哉には、バレているらしい。自分が、ただ要求を受けに来たわけじゃないと。
 3つ目の選択肢を、選びに来たことを。


「君が何を考えてるのかは俺にはわからないけど、楽しみにしてるよ」





  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪





 戦争の最前線を通過するということがどれほど無茶苦茶なものか、わかっていたつもりだが、わかっていなかった。

 『拒絶の守護』を展開させたまま、自分が魔導唄グレスノーグを唱える視線の先で、夕鷹が、黒い軍服——数人のフェルベス兵たちの前で、困ったように頭を掻いていた。


「何だ、お前らは!?」
「あ〜、えっと、一応、敵じゃないんだけど……」
「やれ!! こんなところにいる時点で普通じゃない!」
「やっぱ信じてくれないよね……ってことで、ごめんっ!」


 剣を振り上げて突っ込んできた兵の一撃を、左半身を反らしてかわすと同時に、鳩尾に右の拳を叩き込む。そのまま左向きに回りながら、少し手荒になったが脱力した兵を地に放ると、左足を浮かせ、正面に回し蹴りを放つ。
 直後、近付いてきていた別の兵の槍先が、左の踵によって払われた。……が、その頃には、右手の方から、また別の兵士が襲い掛かってきていた。


「ん!?」


 右にいることはわかっていたが、相手の力量を計り間違えたらしい。思ったより早く移動してきていた。
 夕鷹は格闘家だから武器を持っていない。つまり、相手の刃を受け止める防御ができない。頑張っても靴底だ。1対1の戦闘なら著しいハンデには感じないが、この場でそれを痛感した。

 とにかく回避。そう思って、片足を上げた格好のままだったが、軸足を無理やり折った。安定が呆気なく崩れるが、それに逆らうことなく夕鷹はどさっとそこに座り込む。
 途端、左側から銃声が鳴ると同時に、鼻先を風が掠め、右側から悲鳴が上がった。振り向くと、さっき襲いかかろうとしていた兵士が、すねを抱えて倒れるのが見えた。


「ったくもー、気配だけじゃなくて、ちゃんと相手の動きも見なさいよっ!」
「おお〜っ、サンキュー六香!さっすが〜!」
「夕鷹!」
「よっし、いつでも来いっ!」


 左の六香の声に、夕鷹はびしっと親指を立てながら起き上がった。と同時に、後方にいた梨音が上げた声に答えると、梨音はその言葉を信じ、夕鷹の様子も見ずに魔導唄グレスノーグを解き放った。


「第5章、『静寂の陣』発動」
「六香、そっから動くなよ!」
「えっ?な、なに?!」


 梨音の足元から円の連なった黒陣が広がり始めるのを見ながら、夕鷹は六香に駆け寄って彼女の腕を掴んだ。何が起きるのかわからずうろたえる六香を無視し、夕鷹は意識の奥、左眼の戒鎖ウィンデルを緩めた。
 『片方開放』。あふれた聖力で、左眼にほのかに光が灯る。
 幻を見せる黒い陣が、足元を通り過ぎていく。その時に襲い掛かってきた、魔術を構成する魔力が予想以上に強くて、うっと夕鷹は思わず右目を瞑った。さすが太古の大賢者、ルトオスほどじゃないがとんでもない魔力だ。


「な、なにこれっ……?!」
「六香、落ち着け!幻覚だって!ちょっと待ってろよ、相殺するから……!!」


 何か幻覚が見えたらしく、銃口を上げかけた六香を制し、夕鷹は大きく息を吸って、緩めている左眼の戒鎖ウィンデル手をかけた、、、、、
 外す。
 『片方全開』。
 その瞬間、夕鷹の左眼の光が増し、夕鷹から濃い聖力が噴き出した。聖王直々の聖力は、周囲の梨音の魔力を喰らうように相殺していき、
 そして止んだ。


「……った〜〜……あー、やっぱ『片方全開』無理っぽい……」


 外してすぐ元に戻した夕鷹は、左眼を押さえてうなった。瞬間的に解除して聖力を体の奥バルストから引き出しただけだから、負荷はそれほどではない。が、やはり『片方全開』が不可能であることを知って、ちょっとだけ落ち込んだ。


「だ、ダイジョブなの?」
「うん、まぁね。けど、ちょっと無理したかなぁ……」


 不安そうに聞いてきた六香に笑いかけて、夕鷹は周囲に目を走らせた。自分達の周囲数メートルだが、梨音の『静寂の陣』によって、すべての兵が眠りについていた。幻覚を見せてから夢に落とす幻術だ。
 しかし、あのまま展開したのでは、夕鷹と六香もその幻術にかかってしまう。『静寂の陣』は魔力で行使する魔術だから、それを夕鷹の聖力で相殺した。夕鷹が触れているものは、聖力の影響を受けない。椅遊の魔王召喚と同じようなものだ。

 兵達が倒れ込んだことで、視野が開けた。突然、眠り込んだ兵達を見て、少し離れたところにいる兵達はコチラを警戒していた。
 その兵の人込みの奥——、何処かで見た色が横切った。


「ッ……!!!」


 信じられない光景に、目が見開かれる。
 一瞬しか、見えなかった。
 しかし、見間違えるはずがない。忘れるはずがない。
 やがて、込み上げたのは、衝動だった。

 ———声より先に、銃が吼えた。


「六香!?」
「六香さんっ?!」


 その方向に立っていた兵達の足に向けて、両手の二丁の銃を発砲するなり、六香は走り出した。撃たれた仲間にどよめき、武器を構え始める兵達の中に、六香は突っ込む。


「邪魔よっ、どいてッ!!! アンタたちに用はないのっ!!」


 立ちはだかる兵を避け、刃をかわし、時には足に発砲して、六香は声の限り叫んだ。
 用があるのは、ただ一人だけ——!


「夕鷹っ、追うよ!!」
「おうっ!援護よろしく!」


 六香らしくもない、突拍子な彼女の行動に反応が遅れていた夕鷹と梨音が、慌てて動き始めた。大体、兵の中に一人で突っ込むなんて無謀すぎる。
 二人が六香を追って動き出すと、六香が発砲したことで警戒していた兵達が、二人に襲い掛かってきた!


「おーいまじかッ!? やばいっしょ!?」
「文句言ってないで働くっ!」


 六香を追えない焦りを隠せぬまま、フェルベス軍の兵を迎え撃つ。





  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪





 考えてみれば、当然だ。
 今、自分達が相手しているのは、フェルベス軍。
 ——なら、アイツがいる!


「はぁ、はぁ……っ!」


 切れた息をしながら、六香は気を張ったまま走っていた。
 激昂しているせいか、いつもよりひどく気配に敏感だ。
 右側から切りかかってきた兵士の攻撃をかわし、振り返りざま足を撃って機動力を断つ。膝から崩れ落ちる兵を尻目に、正面に立ちはだかった兵の脇をくぐり抜け、後ろからふくらはぎを撃ち抜いて。顔を前に向け——見つけた。

 忘れるはずもない、褪せた金髪の後姿。

 両手の銃のトリガーに指をかけて、迷わずにその頭に銃口を向けた。


「動かないでッ!!!」


 ……自分に向けられる殺気だと気付いたのだろう。その金髪の後姿が、静かにコチラを振り返った。
 右眼を覆い隠す、長い前髪。残った左眼の紫瞳が、肩を上下させる六香を捉えた。
 彼が連れていた数人の兵が、六香を見て構える。


「昴将軍、貴方は先をお急ぎ下さい。私どもで片付けますので」
「……いや、待て。お前達が先に行け」
「なっ……しかし」
「命令だ」
「……了解しました……」


 フェルベス皇国軍将軍・昴 祐羽の不可解な命令を、兵達は渋々呑むと、仕方なく昴を置いて先に向かい始めた。それがある程度離れてから、昴は六香に向き直った。
 彼女の赤い瞳には、憎悪や悲哀といった、負の感情が渦巻いていた。——昴は知っている。これは、復讐者の眼だ。

 見たことのある顔。そう思って、少し前にも、別の人物から銃口を向けられたことを思い出す。鈴桜の副官、秦堂海凪。
 その彼女を思い出し、納得した。——この少女も、あの時の。


「……昴 祐羽……アタシは、アンタを絶対許さないっ!! 誰が何て言っても、アタシは許さない!!」


 吼えるように叫ぶ六香を、昴は何も言わずに、その言葉を受け止めるように見据えていた。それがまた、妙に腹立たしくて。

 復讐は復讐の連鎖を生むだとか、そんなのはどうでもいい。
 あの穏やかな生活をブチ壊したのは、彼以外、考えられなくて。
 復讐は忌むべきものだと、理性と良識ではわかっている。
 でも、実際にその原因となった者が目の前に現れると、そんなものは意味を成さなくて。
 ……だけど。

 引き金を、引いた。

 パァンッ!!と、右の銃から放たれた銃弾。それは、昴の顔のすぐ横を通り過ぎていった。
 左頬にそよいだ風。六香から視線を外さず、微動だにしなかった昴は、ただ一言、問いかけた。


「……なぜ外した?」
「………………」


 うつむいていた六香は、答えなかった。その腕は震えてなんておらず、誤って外したわけではないだろう。何より、ココまで一人で来たのだ。銃の扱いが不得手とは思えない。
 ——ぽた、と何かが落ちた。


「…………わかってるんだ……」


 ゆっくり上げられた彼女の頬は、止めどなくあふれる涙で濡れていた。銃口を昴に向けたまま、六香は掠れる声で言う。


「わかってるんだ……アンタを殺したって、何も変わらないって……ただ、アンタっていう犠牲者が増えるだけだって……そしたら、アタシのせいで、たくさんの人が悲しむんだって……」
「………………」
「でも、そしたら……アタシは、どうすればいいのっ?アタシだって、悲しい思い、してるのに……アタシの方が先に、悲しい思い、してるのにっ……!」


 悲しい思いをしてるから、よくわかる。それがどんなにつらいものなのか。
 その思いを、他の誰かにさせることになると考えると、狙えなかった。
 狙えない自分が、ひどく愚かしく思える。だって相手は、兄弟を殺したのに。
 二人が生きていたら、こんな葛藤、なかったのに。

 脳裏に過ぎる二人の兄の顔。


(……春霞兄……冬芽兄……どーして死んじゃったの……?)


 あんなに強かった二人が、死んだなんて信じられない。
 ——だから、か。
 六香は、すぐ傍にまで迫っていた気配に気付けなかった。


「くそっ……!この、女っ……手間とらせやがって……!!」
「っ!? 待てお前!! この娘は……!!」
「え……?」


 背にしていたフェルベス軍の中から現れた、槍を持った男が、大きく槍を振り上げていた。六香にすねを撃たれた男だった。
 昴が制止の声を上げるが、まったく効果はない。何より、将軍である昴に銃口を向けている時点で、六香は、自分が敵であると主張しているようなものだった。
 舌打ちをし、昴が跳ぼうとするが、六香との距離がありすぎた。
 間に合わない——!

 わけがわからないまま、銃を構えたまま。肩越しに振り返った彼女の視界を、白刃が覆い尽くした。





  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪





 離れたところにいた戦車の砲弾を、巨大な土の壁が防ぐのが見えた。一見、脆そうなのに、土の壁は意外な強固さで砲弾の爆発を完全に防ぎ切る。


(……何だ、アレ……理術じゃない)


 いくら理を従える理術であっても、あれほど広範囲の地を従えるのは不可能だ。理術は使うから、よくわかる。
 役目を終え、ボロボロと崩れていく土の壁を見てから、梨音はすぐに目の前に集中した。先陣を切って敵を蹴散らす夕鷹を、魔術で援護する。


「第14章、『冥色の光象』発動」


 梨音の周りに暗い色の光の球が3つ現れたと思うと、その球が暗い光を放った。昼間の曇天の下、その暗い光は周囲を塗り潰すように広がる。
 『冥色の光象』は、一瞬強い光を当てて目くらましをするのとは逆に、暗さで包み込んで目を惑わす。人は、明順応より、暗順応の方が時間がかかる。この暗い光に入った者は、数秒間、視界が利かない。それは残念ながら自分にも言えることだが。
 しかし、夕鷹は違う。『片方開放』で、片目から微量ではあるが聖力を放出している彼には、魔力で作られたこの暗がりは効かない。


「よっ!とりゃ!ごめんっと!敵じゃないって!信じてくれたらっ!こんなことしなくて!済むのになぁ〜っ!」


 皆が何が起こったのかわからず混乱する薄闇の中、夕鷹がそう言いながら、どかどかと相手を昏倒させていくのが見えなくてもわかった。
 自分達に今、襲い掛かってきているのは、あくまでもフェルベス皇国軍だ。一応、夕鷹達はフェルベス側の立場にいるので、彼らに外傷を負わせて戦力を削いでしまったら大変だ。だから、できるだけ軽く気絶させるように頑張っている。


「よっし、梨音っ、あらかた片付いた!」


 暗くて梨音には見えないが……その周辺の兵を次々と倒していった夕鷹が、闇の中を駆け回って兵を相手していたせいで大分離れてしまった場所にいる梨音を振り返って……目を見開いた。
 当然だが、いくら暗順応が遅いと言ったって長いこと暗がりにいれば、次第に目が慣れてくる。薄闇に浮くように煌く左眼が捉えたのは、突っ立っている梨音の真正面から切りかかろうとしている人影。


「梨音っ、下がれッ!!」
「っ?!」


 『冥色の光象』を解除リリースしようとして口を開いた途端、飛ばされた夕鷹の警告。夕鷹なら十分避けられるタイミングだったが、生粋の魔術師である梨音には——遅すぎた。


(くそっ……!)


 少しは暗闇に慣れてきた梨音の目も、正面に何かが蠢いたことを映していた。しかし、夕鷹に言われて気付いた時点で、もう遅い。
 過去に比べて、今の自分がすべての面で劣っているのはよくわかっていた。サレスであった時は、もっと軽やかに動いたはずの足が、上手く動かない。


「第15章……!!」


 とっさに『拒絶の守護』を発動させようとするが、間に合わないと悟った。

 ——ヒュオ、と風が梨音の髪を揺らして、耳元で少女の声が聞こえた気がした。



THRusTスラスト >> dRaugHTドラフト#」

「ぬごぉっ!?」



 すぐ目の前で、誰かの悲鳴がした。それから、どさっと、何かが落ちる音。
 片足を大きく引いた格好で、目が利かない闇の中、梨音は呆然とその黒を見つめてから、思い出したように呼吸をし始めた。いつの間にか冷や汗が浮かんでいたことに、今気付く。
 ——何が起きたのかまったく見えなかったが、とにかく、助かったらしい。


「第14章、解除リリース


 『冥色の光象』を解除すると、昏い光が薄れていき、周囲の景色が見えるようになる。辺りには、夕鷹がのしたであろうたくさんの兵達が倒れていた。


「こんなところで会うなんて、おかしなこともあるものね」


 呆然と突っ立ったままだった梨音の横を、誰かが自然な動作で通り過ぎた。反応が遅れてから、その人物を見て、梨音は珍しく、少し驚いたように目を見張った。
 ウェーブのかかった水色の長い髪を翻し、くるりと振り返ったのは、少し年上に見える少女だった。黒いドレスのような服を着た彼女は、桃色の瞳で梨音を見つめ、上品に微笑む。


「ごきげんよう、梨音君。お久しぶりね?」
「……舞歌さん……?」
「あら、覚えていてくれたの?ありがとう……嬉しいわ」


 以前、シーヴァで襲ってきたクランネの少女——逆上舞歌は、そう言って、本当に嬉しそうに笑った。それから、その笑みを妖艶なものに変え、イタズラっぽく梨音に注意する。


「多分、アナタの魔術だと思うけど……いくら仲間が信じられる人だとしても、あんな暗闇の中にいて、周囲の警戒もしないなんて無防備すぎじゃないかしら?中には、わたしみたいに見える人もいるのよ?」
「……やはり、貴方でしたか。すみません、助かりました。……でも、よく暗闇の中の様子がわかりましたね」


 あの時、耳元で聞こえた、呪文を紡ぐ少女の声。何処かで聞いたことのある声だと思っていたら、すぐに舞歌が現れたから、彼女の仕業だろうと見当はついていた。


「だってわたしは、《風》のクランネだもの。そこがどんなに暗くても、明るくても、風がある限り、わたしには景色が見えるわ」


 梨音が純粋に疑問に思ったことを問うと、舞歌は軽く丸めた右手をアゴの辺りに当て、くすくすと笑って答えてくれた。その右手の薬指にはめられている、彼女の媒体——銀の指輪が目についた。
 風——空気の流れ。それが世界に満ちている以上、《風》のクランネである彼女には、眩惑は効かないらしい。


「あれっ、アンタ……シランサン、だよな?」


 倒れている兵達をなるべく踏まないようにしながら駆け寄ってきた夕鷹が、梨音の後ろを見て驚いた顔で言った。まったく気配に気付かなかった梨音が振り返ると、確かにそこに、いつの間にか蒼い髪の青年が立っていた。


「……なぜ、お前達がココにいる?」
「シランサン達こそ、何でココにいんの??」


 その茶の眼を夕鷹に向け、舞歌の兄・逆上詩嵐は、静かな口調で問いかけた。それに対し、夕鷹も詩嵐と舞歌を見比べて、不思議そうに問いかける。
 ——詩嵐と舞歌は、猟犬ザイルハイドであるという理由で、追行庇護バルジアーに捕まった。その後、ほどなく釈放され、グランに帰って二人で仲良く暮らしているとばかり思っていた。それなのに、戦場で再会するなんて。

 詩嵐の隣に並んだ舞歌が、夕鷹の問いに答えてくれた。


「わたしとお兄様、今、フェルベス側の追行庇護バルジアーに所属しているの。あの鈴桜刑事の下に配属されているのよ」
「…………へ?ウソ?? マジ?」
「……本当……ですか?」


 驚いてしつこく確認をとる夕鷹と、目を見張って慎重に問う梨音に、舞歌は「本当よ」と笑った。
 猟犬ザイルハイドであった彼らが追行庇護バルジアーに所属したということは、追いかけられる側から、追いかける側に転換したということだ。しかも、自分達を捕まえた鈴桜の下にいるという。……人生はわからないものだ。


「次の目標は、お兄様と一緒にフェルベス幹部になることなのよ。もちろん、わたしが補佐官、お兄様が幹部ね。鈴桜刑事には現役でいてほしいから、もう一人の年配の幹部を越してみせるわ」


 目標を生き生きと語る舞歌の表情は、眩しいほどに輝いていた。出会った頃、復讐に燃えていた彼女が、明るい光の下で前向きに歩んでいる。その変化に、梨音はほっとした。
 その舞歌の言葉に、今まで黙っていた詩嵐が訂正を加えるように言う。


「舞歌、俺は幹部になる気は……」
「だから、書類などの面倒な仕事は、わたしが引き受けるから大丈夫って言ってるでしょう?お兄様は何の心配もせずに、猟犬ザイルハイドを追いかけて捕まえていればいいの。わたしもついていくけれど」
「だが、俺はそこまで強いわけじゃ……」
「鈴桜刑事も、わたし達なら十分なれるって言ってくれたのよ。刑事のお墨付きなのよ?」
「……それは、そうだが……俺には人を率いるなんてできない」
「それは、これから覚えていけばいいでしょう?」


 今の会話から、二人が鈴桜を信頼していることが窺えた。舞歌は幹部になる気満々のようだが、詩嵐は若干気の迷いがあるらしい。


「……それで、お前達は、なぜココにいる?なぜ、フェルベス兵をのしている?殺していないところを見て、敵ではないと判断したが」


 自分達がココにいる理由を語り終えた詩嵐が、夕鷹と梨音を見て言った。彼の冷静な判断の仕方に感謝しながら、夕鷹は「そーなんだよ〜」と溜息を吐いた。


「なんか俺達、勘違いされちゃってるみたいでさ」
「何の身分証明もつけてないんだから、疑われて当然でしょう?」


 不思議そうな夕鷹に、舞歌が呆れたように言った。言われてみれば、二人は腕に、よく目立つ緑色の腕章をしている。


「椅遊を助けに行くために、前線を通りたいんだ」
「バルディアに抜けるためか。前線を通るとは、無茶をする」
「……それ以外、道がなかったので」
「だろうな」


 どうやら、椅遊がバルディアに行った——イースルシアが要求を呑んだという話は、彼らも知っているらしい。さすが追行庇護バルジアー、情報が早い。
 くるりと詩嵐が背を向け、二人に言い放つ。


「なら、前線まで送ってやろう。身分証明のある俺達といれば、恐らくもうフェルベス兵には攻撃されないだろう」
「まじでっ?サンキュー、シランサン!助かる〜!でも先に、六香探してもいい?はぐれちゃってさ」
「ココではぐれたの!?」
「そうなんです……すみません、協力してもらえますか?」
「頼むっ!」


 戦場ではぐれたと聞いて驚く舞歌と詩嵐に、梨音が少し切羽詰まった口調で言うと、夕鷹もパンっと両手を合わせて頭を下げた。
 六香が心配だった。二人でいても危なかったのに、一人はもっと危険だ。早く探し出さなければ——


「ええ、もちろん!」
「あぁ。仲間は失うのはつらいからな」


 舞歌は微笑んで、詩嵐は振り返らずに。未来の追行庇護バルジアー幹部と補佐官は、当然のように頷いてくれた。






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