→→ Sanctus 6

 物心ついた頃には、すでに周りは敵ばかりだった。

 死んでしまえ、半端者め。

 何のことかわからなかった。
 しかし幼心にも、ひどく嫌な言葉だと言うことはわかった。
 そう言われて、殴られた。蹴られた。
 ……と言っても、その辺りはぼんやりとしか覚えていない。ただ、いつも全身が痛かったことだけは覚えている。



 その攻撃は次第に、緩やかに確かに、手足から石、石から鉄の塊、鉄の塊から研ぎ澄まされた刃に変わっていった。
 ナイフを振られる頃には、それがどんなものなのか知っていた。殺されると思った。
 寸前に、純粋な疑問が首をもたげた。


 ――殺される?
 なんで?おかしいよ。
 だっておれは、まだお前らを殴ってない、、、、、、 、、、、、、、、、、、





 お前らが死ねよッ――!!!





   純粋で真っ白な頭の中を染め上げたのは、純粋で真っ黒な憎悪、憎悪、憎悪。
 その瞬間、彼の血に宿っていた理の力が覚醒した。落雷のような規模の紫電が、周囲を焼き――
 沈黙したその場所で、彼は声を上げて笑っていた。



 感情ココロを知らずに育った幼子は、憎悪しか知らない。





  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪





 そういえば、初めて紫電を使った時は、落雷のような規模だった。
 あの後は確か、なんだか妙におかしくて大きな声で笑って、それから気絶した。今思うと、アレは貧血だったのか。恐らく、力の加減ができなかったのだろう。

 イースルシア−バルディアの前線を後部から眺めながら、玲哉は、もう色褪せておぼろげなその記憶を思い返していた。
 普段は思い出すことのない記憶だが、今の儀煉の態度は、その過去を連想させる。しかし儀煉の場合、自分がハーフであるについて言っているわけではなく、他国の者であることについて言っている。余所者の自分を認めるのがとにかく嫌なのだろう。


「今のは……理術じゃないな。クランネか……」


 自分の紫電の源である血。前線の方で、大砲の弾を受け止めた巨大な壁を見つめ、玲哉は誰にともなく呟いた。戦車よりも後方にいる玲哉の周りには、誰もいない。

 ――2週間ほど前から、天乃は玲哉の前に現れなくなった。諜報係であり、移動手段を持つ彼女がいなくなったのは少し不便だったが、あまり気に留めていなかった。
 正直、玲哉には、何の見返りも束縛もなしに、天乃が自分に従ってくれる理由がわからなかった。前に一度だけ聞いたことがあったが、「他に行くところもない」と、本当の理由は教えてくれなかった。
 とにかく、つまり彼女は、いつでも玲哉のもとから去ることができたわけだ。そういうことも考えて、玲哉は普段から、あまり天乃に頼りすぎないようにしていた。そのおかげで、大きな問題もなく、なんとか過ごしている。



 不意に、接近してくる気配を感じた。――右横少し手前から。
 前線から距離を置いているはずだが、ココまで届いた、小さく素早い何か。気が付いた時には、すぐ手前にあった。
 しかし、反応できる。2週間で貧血から回復しきった玲哉は、それを体を反らすことで避けた。脇を通り過ぎる一瞬、金と銀の双眸が捉えたのは、


(矢……?)


 怪訝そうに眉をひそめている暇はなかった。その瞬間、突然現れたように感じた気配。


「へぇっ……!」


 いつの間にか眼前に迫っていた、3発の矢。身を逸らそうとするが、恐らく完全には避け切れない。
 しかし玲哉は冷静に、姿の見えないスナイパーに感心しつつ、全身から紫電を発生させる。紫電をまとった玲哉に突っ込んできた矢は、雷の防御壁に破れ、バチィッ!!と思い思いの方向に弾け飛んだ。

 初撃目で気を引き、その隙を突いて本命の二撃目を叩き込む。普通の相手ならば、恐らく今ので致命傷だった。まさかこの距離で攻撃されると思っていなかったのもあるが、現に玲哉は、見事に相手の思惑にハマってしまった。
 矢が放たれてきた方向を見る。前線からは少し離れた場所だ。しかし、それらしい人物は見当たらない。

 矢と言ったら弓矢だが、そんな古典的な武器は、イースルシアでも恐らく使用していないだろう。強いて言うなら、ボウガンだろうか。それでも古典的だが。



 ふと、前線の方から、どよめきが起こった。
 目を向けると、前線後部、玲哉から見て手前の戦車の砲身がへし折れているのが見え、その傍に金色の存在を認めた。


(〈金虎〉ルーディン?へぇ……面白い奴が来たな……)


 〈金虎〉ルーディンは、神獣の中で、唯一、戦闘能力を持つ者。しかしそれと同時に、絶対の未来が視えるため、常に傍観者であったはずだ。そんな『彼』が、奇妙なことにイースルシア軍に手を貸している。
 その理由は何にせよ、ルーディンの出現で戦車を失ったバルディア軍は、一気に苦戦を強いられるだろう。

 バルディアに、興味はない。
 しかし――


「負けるわけには、行かないんだ」


 咆哮した金色の虎を見据え、玲哉は小さく笑うと、悠然と歩き出した。――前線に向かって。
 バチ、と紫電がその周囲で音を立てる。





  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪





 立つ。
 キョロキョロ辺りを見渡しながら歩く。
 やがて、さっきまで座っていたソファに座る。
 そして、数秒もしないうちにまた立ち上がり、歩いて、部屋に飾ってある花に手を伸ばしかけ、ダメだと思ったのか寸前で手を引っ込め、また歩く。


「……六香、落ち着きないなぁ〜」
「う、うるっさいわね!わかってるわよ!」


 同じこの広間で彼女の様子をずっと見ていた夕鷹が苦笑気味に言うと、自覚していた六香は顔を赤くして叫んだ。それから、ソファの背もたれにだら〜っと寄りかかって座る夕鷹をびしっ!と指差し、


「大体っ、何でアンタそんな平然としてるのよ!?」
「俺はほら、大人だから?」
「……っあーもー……!」
「……ゆたか、りっか……」


 余裕が見えるおどけた夕鷹のセリフに、六香は落ち着けない自分にイライラしてきて、夕鷹が悪いわけではないのに、思わずプイっとそっぽを向いた。横長のソファ、真ん中に座る椅遊が、隣に座る夕鷹と立っている六香とを、オロオロした表情で交互に見る。


「まぁ、確かに前線が気になるのはわかるけど、とりあえず今は椅遊の護衛ってことなんだしさ〜。あんま前線のこと気にしすぎて、非常時に椅遊を守り切れなかったってのはダメっしょ?」
「……わかってる……でも、アタシは、アンタみたいに落ち着いてらんないみたい」


 大きく息を吐き出しながら、六香は椅遊の隣に静かに座った。心配そうに覗き込んでくる椅遊に、六香は「ごめん」と困った顔で笑い返した。

 自分達は今、椅遊の護衛を引き続き行っている。バルディアの刺客が追ってこないとは限らないし、しばらくは気を抜かない方がいいだろうということで、椅遊を守る必要が出てきた。
 しかし、国の兵は過半数以上が出払い、残った兵は首都の警備に忙しい。それで、ココまで椅遊を連れてきた夕鷹達に、そのまま任せられたというわけだ。

 前線には、イースルシア兵のほかに、警護組織リグガースト機動班・追行庇護バルジアーも送り込まれたと聞く。イースルシア側の幹部は知らないが、ということは、フェルベス側も追行庇護バルジアーを送り込んだことだろう。
 ――フェルベスの追行庇護バルジアーには、親友の海凪、腐れ縁の鈴桜がいる。気にするなというのは無理な話だった。


「じゃあ六香も、城の中、見学してきたら?」
「そーねぇ……イオン、お城の中を見て回ってるんだっけ。……にしても珍しいわよね〜。いつもなら、護衛を任された以上、椅遊の傍から離れないと思うけど」


 仕事はきっちりやる。そんな梨音が、二人に護衛を任せ、自分は城内の見学に行ってしまった。
 話をすることで少し落ち着けた六香が、純粋に疑問に思ったことを言うと、椅遊を挟んで向こうの夕鷹が、だらっとした格好のまま言った。


「アイツ、なんか今回、珍しく落ち着けてないみたいだしなぁ。落ち着こうとして見学してるみたいだよ」
「……えっ?? イオンが……落ち着けてない?」
「うん。戦争始まってから考え事多くなったし。そーいや、アイツが落ち着けてないの、椅遊に出会って以来だなぁ〜。多分、戦争ってのが響いてるんじゃない?」
「……りおん……」


 かつて戦争ですべてを奪われた者にとって、どれだけその行為が嫌悪すべきものなのか。いつも落ち着いているように見える梨音の内面に触れた気がして、椅遊は悲しげに目を伏せた。
 ふと、六香が、「よしっ!」と声を上げて、勢いよく立ち上がった。そして、コチラを見上げた二人を振り返り、


「じゃあ、アタシも気分転換してくる!」
「おーい、俺だけで守れってゆーのかよ〜」
戒鎖ウィンデル解かないと勝てないよーな相手は玲哉だけでしょ?アンタ、そのままでも結構強いんだから大丈夫よ」
「あれれ……六香、どっか悪いの?それとも、緊張のしすぎ?六香に褒められるなんてなぁ……」
「……ア・ン・タ・ね〜〜……人を何だと思ってんのよ!! ったくもー……とにかく、頼んだからねっ」


 怒った直後に呆れた六香は、溜息を吐いて、ドアのないこの広間から出て行った。
 「いってらっしゃーい」とひらひら手を振って見送った夕鷹は、その背中が見えなくなると、手を下ろして。――それから、隣の椅遊に目をやった。
 この城に来てから毎日ドレスを着ている椅遊の横顔には、不安や緊張が見え隠れしていた。六香に負けず劣らず、彼女も落ち着けていない。

 夕鷹は、視線を高い天井に移した。煌くシャンデリアをぼんやり見上げて、言う。


「……戦争、かぁ……俺もよくわかんないけど……フィルテリア動乱の時、サレスが〈ヘル〉でダグス軍の大部分を殺したって言ってただろ?アレ、きっと、俺とルトオスのせいなんだよなぁ……」
「……え?」


 思いもしなかった言葉だったのか、椅遊が自分の方を向くのが視界の隅で見えた。夕鷹はその格好のまま続ける。


「だってまず、サレスが〈ヘル〉を召喚しちゃった原因は、リリアサンが死んじゃったからだろ?で、そのリリアサンが死んじゃった理由は、サレスが『拒絶の守護』壊されて、反応が鈍かったから。さらに、『拒絶の守護』が壊された理由は、魔戦艦グレシルドの大規模魔術にサレスがびっくりしたから」
「………………」
「で、最後に……聖魔が混合した魔戦艦グレシルドの大規模魔術が展開できた理由は……ちょうどあの時、ルトオスの方が優勢だったから。その影響で、空界の聖魔のバランスが魔の方に傾いてた。そのせいで、普通なら構成すらできない聖魔混合陣が、2つの聖術と1つの魔術でバランスがとれたんだ。……だから、俺らのせいなんだって、ちょっと思う」


 サレスは気にするなと言っていたが、それを知ってしまったら、そんなことできなかった。きっと、バルストは気にしないのだろう。でも、感情部を元にした人格の自分には、できない。
 だからか、肩が重い。サレスが〈ヘル〉で殺した無数の命の重みが、自分にものしかかっているような気がする。名前も顔も知らぬ、無数の人々の命が。


「……それに、普通、〈ヘル〉は召喚できないんだ。ってゆーか、まず〈ヘル〉に思念こえは届かないはずなんだ。聖界の<流れを御する者オーフェラーグ・リデル>と対を成す、命の番人だから。そんな存在、ホイホイ召喚できたら反則じゃん?」
「………………」
「でもサレスは、〈ヘル〉を召喚した。コレも、空界の聖魔のバランスが魔に傾いてたから。コレで魔界に干渉しやすくなってたんだ。だから、〈ヘル〉に思念こえが届いた」


 長い間、ずっと考えていたことをそう言って、夕鷹は、口元に笑みを浮かべた。――それは、自分に向けられた、呆れた笑みだった。
 原因を突き詰めたって仕方ないのは、よくわかってる。もう過ぎてしまったことは、変えられないから。
 でも、だからこそ……


「今度は、そんなことにならないようにしたいんだ。ほら……俺と椅遊の立場って、サレスとリリアサンと同じっしょ?玲哉の計算上だと、俺が死んだら、椅遊は最大出力で魔王を召喚する。そしたら……今度は、人だけじゃなくて、世界も壊れちゃうんだ」
「っ……!」
「そんなことになったら、ヤだから……俺は、意地でも死なないよ。疲れるし痛い思いもするだろーけど、頑張るよ。椅遊も、絶対守るから」


 見ているコッチが安心するような穏やかな笑顔でそう言う夕鷹に、過去の大賢者に例えられた椅遊は、はっと息を呑んだ。
 そうだ。自分が魔王を召喚したら、過去の〈ヘル〉召喚よりも、もっとひどいことになる――。
 梨音の口から惨状は聞いていたから、その惨劇がまた、それも自分の手で引き起こされるのだと思うと……ぞっとした。

 なのに――


「……どうして……」
「ん?」
「どうして……?ゆたか……どうして、わたし、まもるの?」


 こんな、わたしなんか。

 魔王を召喚したら、ひどいことになる。
 それなら、わたしなんて、いないほうがいい。
 わたしがいなくなれば、魔王を召喚するひともいなくなる。
 こわいものなんて、なくなるのに。
 なのに……ゆたかは、わたしをまもるって。

 どうして……?
 ずっと、しりたかった。
 どうして、あなたは、わたしをまもってくれるの――?


「………………」


 コチラを見つめて、泣きそうな顔が紡いた言葉を、静かに聞いて。夕鷹は、ゆっくり背もたれから起き上がった。――その口元には、柔らかな微笑が浮かんでいた。

 ――それは、彼女に出会って間もない頃、フルーラに聞かれた問いと同じだった。
 あの時は、テキトウにはぐらかした。……でも、今なら、ちゃんと言える。
 迷いなく、口を開いた。


「ほっとけなかったんだよ」


 それは、単に同情や不憫な気持ちからではなくて。


「イースルシアの王家に魔王を召喚する力があるってのは、椅遊達に会って初めて知ったんだ。それ聞いて……なんか、ほっとけなかったんだ」
「………………」
「俺はバルストだけど、厳密には別人格で、バルストみたいな力はない。で、椅遊はルトオスの力を召喚するけど、別に椅遊自身が力を持ってるわけじゃない。だから……なんか、俺と似てるような気がしてさ。とにかく、他人って思えなかったんだ」


 身勝手な共感シンパシーだと、今でも思う。でもそれは、自分にとって、とても強い衝撃だった。

 ――自分は、自分が嫌いだった。
 バルストのために生かされているような器の自分が、嫌だった。
 バルストと切り離されたいと、何度思ったか。
 自分もバルストの一部であるという、ややこしい事実さえなければ、心からそう思っていたのに。
 バルスト本人ではないが、バルストの一部である。
 そんな宙ぶらりんな自分の存在が、ひどく憎かった。

 対して、自分と似ていると思った椅遊とルトオスは、まったく異なる存在だった。
 こんな力を持つ自分が嫌いだとか、同じ想いはしてほしくなかった。
 だから、切り離されるべきだと、いや、そうなってほしいと、そう思って。
 叶わぬ自分の願いを、代わりに果たしてほしいと……そう思って。


「アイツに人生狂わされてる椅遊を、助けてあげたかったんだ。俺はこれでもバルストだから、頑張ればなんとか対抗できるかもって思って」
「……ゆたか……」
「ま、アイツを追い返すことはできても、椅遊との契約?を消すのはできなかったんだけど……むしろ深まっちゃったみたいだしなぁ。その契約、思ってたよりめんどくさかったみたい」


 苦笑する夕鷹。その残念そうな笑顔に、椅遊はブンブン首を横に振った。
 不思議そうな顔になった夕鷹の金の瞳をまっすぐ見据えて、椅遊は、大きく息を吸った。


「……あり、がとう……」


 ずっとずっと、ココに来るまで、たくさん助けてもらってきていて。
 でも、しっかりお礼を言ったことはなかった気がする。
 その分も、ありったけ込めて。


「ありがとう……ゆたか……」


 魔王を召喚してしまう自分を守ってくれて、ありがとう。
 魔王と切り離そうとしてくれて、ありがとう。
 一緒にいてくれて、ありがとう。

 わたしは―――――………


「た、大変だ!」
「急いで総司令官に伝えろ!」
「陛下にもだ!」

「……何だぁ?」


 不意に、今まで優雅な静けさに満ちていた城内に、騒がしい物音、声が聞こえてきた。この広間と廊下の間を仕切るものはない。この広間の前の廊下に目を向けると、バタバタと慌ただしく人々が行き過ぎていく。
 聞かずとも、何か良くないことが起きたのだとわかった。あまり聞きたくないと思う気持ちを押さえ込んで、夕鷹は立ち上がると、不安げな顔をした椅遊を手で制して、廊下の方に出た。
 ほとんどすべて繋がっている城の廊下は、遠くの喧騒などがかすかに反響してきていて、妙な空気だった。と、そこに、左の方からちょうど誰かが走ってきた。


「あ、おにーさん、悪いけどちょっといい?」
「んん!? あ、お前、姫様の護衛の……」


 急いでいる様子の軍服を着た若い男性に、悪いと思いつつ、夕鷹は声をかけた。足を止めてくれた男性は、夕鷹の顔を見て、そう呟く。どうやら一応、護衛ということで情報が行っているらしい。


「騒がしいけど、何かあったの?」
「何かどころじゃねーよ!! やべーんだ!! ―――――!!」


 ――その男性が口にした言葉は、ひどく現実味を欠いていた。
 しかし、その瞬間、確かに世界が硬直した。



 気が付けば、男性は目の前から立ち去っていた。
 長い、長い時間差があってから。夕鷹は愕然と、聞いた言葉を繰り返した。



「―――前線のイースルシア軍が、壊滅した……?」






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