→→ Sanctus 2

 ――どう考えても、おかしい。

 自分が戒鎖ウィンデルを外し、意識が呑まれていた時。椅遊は、魔力の衝撃波を放ってきた。
 椅遊はどうやら、ルトオスと同調してしまったらしい。椅遊は誓継者ルースだし、しかも今は抑止力もない。だから今の彼女は、ルトオスとの結び付きが物凄く強い。
 それで椅遊の強い思念こえが、直接ルトオスに届いたのだろう。元々、聖王と魔王は思想の存在だから尚更だ。そしてルトオスが、椅遊に力を貸すようになった。

 しかし、それはおかしい。
 抑止力の有無が関係しているなら、初代誓継者ルースだって同調していてもよさそうだ。だが、記録に残りそうなそんな話は聞いたこともない。
 なぜ?椅遊が、特別なのか?

 ただひたすら、今までのことを思い返して、思い返して、思い返して。
 ……思い出した。


「…………なんで、気付かなかったんだろ」
「え?」


 ぽつりと言った夕鷹の言葉を、そわそわしていた正面の六香が聞き返す。外で戦争が起きていると知らせてから、ずっとこの調子だ。
 場所は変わらず、プロテルシアの医務室。まだ全員がそこにいたが、誰もが緊張した面持ちをしていた。

 夕鷹は顔を上げ、皆に聞こえるように言った。


「椅遊は、特殊なんかじゃない。多分、俺の……バルストのせいで、おかしくなったんだ」


 自分と出会う前までは、椅遊は、普通の誓継者ルースだった。運命がこじれたのは、聖王を宿す存在に邂逅した瞬間からだ。

 ――初めて出会ったのは、真夜中。焦土の真ん中で倒れていた椅遊を、放っておけなくて介抱した。
 そして、椅遊を追って楸が襲撃してきた。その途中で目覚めた椅遊は、魔王を召喚した。
 しかし、誓継者ルースである彼女の近くに、夕鷹バルストがいると感じ取った魔王は、椅遊の命令を無視して暴走した。
 椅遊が召喚したのが魔王だと察した夕鷹が、ほとんど賭けで、拳に聖力をかき集め、魔王の腕を迎え撃って強制的に送還し、なんとかその場は収まった。

 そして次の日。起きた椅遊は、夕鷹に、昨夜のお礼、、、、、をしてきた。
 魔王を召喚し、奪われたはずの記憶を、持ったままで。


「あっ……!そういえば、そーだった……確かにおかしいわね。でも、何で?」
「……多分、ボクと夕鷹で強制的にルトオスを還したからでしょう。記憶を奪う暇もなかったはずですから」
「そん時の召喚で、等価交換が成立しなかっただろ?その時点で、椅遊の召喚は、召喚じゃなくなってたんだ」


 自分の隣に座る不安そうな椅遊を横目で見て問う六香に、彼女の背後に座っている梨音が答えた。それから続けて、夕鷹がはっきりとそう言い切った。


「……次の回、ソリシャ村の……抑止力を奪われた時は、そういう状況ではありませんでしたが」
「うん。あん時、俺は、『片方全開』して聖力で対抗して、六香と梨音を守るので手一杯だったしさ。ルトオスを黙らせるなんて無理だったもんなぁ」
「だから、椅遊は魔王に記憶を取られかけたけど……前回の召喚で、すでに等価交換の法則が崩れてて、椅遊が自分で強く抵抗できた。だから代わりに、魔王は抑止力を奪った……?」
「……恐らく、そういうことでしょう」


 六香の手探りな推測に梨音が頷く。そこまで聞いて、大体、事のあらましを理解した采が、小さく言った。


「そして……今回、椅遊は……契約さえも超越して、魔王と同調した……言ってみれば、空界に下りられない魔王の代理人……だね」
「ますますあの野郎の思うツボじゃねぇか?魔王と結びつきが強くなったってんなら、召喚もあっさりなっちまうんじゃねぇ?」
「あー、確かにそうかもなぁ……うーむ、俺、バルストだけど、バルストじゃないからなぁ……どうなるか予想もできないや」


 ベッドにどっかと座った、この中で一番落ち着きのない楸の言葉を聞いて、夕鷹は困ったように頭を掻いた。楸が落ち着かない理由は、戦争が起きているということ以外に、ずっとタバコを吸っていないからである。


(……こわい)


 それを聞いて、椅遊はうつむいた。よくわからないが、あの白い人と『会って』しまったことで、完全版魔王召喚がより簡単に起こるようになった……かもしれないらしい。
 それは、自分にとっても、世界にとっても、最悪な変化だった。

 考え込む夕鷹の向かいで、同じく楸の言葉を聞いていた六香が、ふと問いかけた。


「ところで『あの野郎』って、玲哉のことよね?それで……今、起きてる戦争って……玲哉の、仕業なの?」
「だろうな。じゃなきゃ、何でバルディア軍に入ったかわかんねぇし」
「……どうも、納得が行きませんね。新参者の玲哉さんに、参謀や司令官などの重要な地位は与えられないでしょう。それなのに、どうして軍を動かせたのか……」


 確かに、楸の言っていることもそうだ。しかし普通に考えれば、身元もわからない新参者の言葉に耳を貸すはずがない。
 怪訝そうな梨音に、この中で一番玲哉を知っている采が言う。


「多分……玲哉お得意の、駆け引き……じゃないかな。玲哉は……人を扇動するの、凄く、上手いから……」
「……そうかもしれませんが、それでも急すぎます。ここ数年、侵略するような気配はまったくなかったのに、いきなりなんて……ボクの判断で言えば、編成などで最低1週間はかかるはずです」
「ふーん……俺、よくわかんないけど、元フィルテリア軍最高指揮官サマが言うんだから、そーなんだろうなぁ」
「……夕鷹、怒るよ?」
「冗談だって」


 さっき、何千年も前の話をしたからか。じとっと軽く睨みつけてきた梨音を、夕鷹は笑ってそう受け流した。

 外から聞こえる、くぐもった轟音。情報がまったくない上に、この建物には窓がないから、何が起きているのかわからず、余計に緊張する。その傾向が強い六香が、落ち着こうと深呼吸をして言った。


「ねぇ、これから」


 その彼女の前に、スタンと誰かが下り立った。


「………………え?」
「へ??」


 六香だけでなく、部屋にいた全員が、自然すぎるまでに自然に現れた人影に、一瞬、唖然とした。それからすぐ、采と楸が真っ先に、続けて夕鷹と梨音が警戒する。


「あー、そんな警戒しないでほしいっす。つっても、まぁ、無理な注文っすかねぇ……」


 しゃがみ込んでいた人物は、ゆっくり立ち上がりながら、なるべく刺激を与えないような悠長な口調でそう言った。
 ――20歳前後に見える若い青年だった。背こそは並だが、瑠璃色の前髪をちょんまげにしていたり、黒瞳は結構大きかったり、どちらかと言うと中性的だ。彼は片手に錆びた金網、もう片方の手にはドライバーを持っており、その手で黒い服のアチコチに付いた埃を払っていた。


「げほげほっ……うわー、やっぱ長年放置されてた施設だから、埃がひどい……コレ、結構気に入ってた服なのに……」
「……えっと……誰かの、知り合い?」
「なわけねぇだろ……」


 夕鷹のふざけてるとしか思えない問いに、楸が面倒臭そうに返した。今、初めて会ったはずなのに、そう感じてしまうくらい、この青年はこの場に馴染んでいた。

 一通り埃を払い終わったらしい青年は、顔を上げてまず笑い、ドライバーを持ったままの手を、挨拶するように上げた。


「や、お取り込み中すみませんっす。けど、決して怪しい者じゃないっすよ」
「天井の換気口から出てきたクセに、よく言うわよ……」


 六香の呆れ声を聞き、天井を見上げてみると、青年の真上に四角い穴があった。その穴と、彼が持っている金網、彼が埃まみれであることの関連性は、それが物語る通りだろう。
 理由はともかく、彼は、天井の換気口の中を這って来たようだ。そして、消音のために、ご丁寧にドライバーで金網のネジを外して下りてきた。
 ――何より、ココにこれだけ人数がいて、誰一人、その頭上の気配に気付けなかった。ただ者じゃない。

 青年は、持っていた金網をポイっと捨て、ドライバーをベルトから垂れ下がっている工具類が刺さったポケットに差しながら言う。


「いやぁ、お目当ての集団じゃなかったら面倒っすからね〜。様子見させてもらったっす」
「……ってことは、アンタの用事って、俺達?」
「そっす。つーか、王女サマに」
「椅遊に?」
「その前に……貴方は、何者なの……?」
「あー、それもそっすね」


 皆が椅遊を振り返る中、采が静かに問う。まだ警戒が含まれている彼の気配にも動じず、青年はジャケットのポケットから手帳を2つ取り出し、それを両手に持ってその紋章を見せた。
 片方は、旅の途中で見かけた紋章。もう片方は、夕鷹達に見覚えがありまくる紋章。


「自分の名前は、氷室奏っす。イースルシア王国暗部と、国家組織警護組織リグガースト機動班・追行庇護バルジアーの諜報員っすよ」
「あれ、氷室って……篝サンの家族?」
「あ、そっす」
「ウソっ、追行庇護バルジアー!? ってゆーか、イースルシア人が何でこんなとこに……?!」
「あー、まぁ、自分は隠密行動大得意なんすよ。それだけっすけど。今はそれで納得してほしーっす。つーか、こんなことしてる場合じゃないっすよ!」
「……それが、用事ですか?」
「そっす!」


 梨音が先を促してくれたことで、ようやく本命の話ができると、奏は少しホッとしたようだった。しかしすぐ、表情を引き締め、真剣な声で言った。


「今、起こってる戦争についてなんすけど」


 サラリとした奏の言葉を聞いて、皆が緊張した。
 その話を、彼は自分に持ってきた。椅遊は恐怖さえ覚えながら、次の言葉を待った。


「バルディアがフェルベスに侵攻したんす。当然っすけど、フェルベスは応戦してるっす。前線は、フェルベスとイースルシアが隣接してるバルディア国境付近。あと、まずいことに、イースルシアもほぼ全兵力あげてバルディアに攻撃してるんす」
「……? それは……同盟関係にあるから、当然……だよね?」
「いや……いくらなんでも、全兵力あげてってのはおかしいだろ。大体、バルディアに対して全兵力で戦争仕掛けるなんて捨て身行為だぞ。どういうことだ?」


 奏の説明に変なところを感じず、不思議そうな采に、楸が冷静にそう言う。奏は「そっす、魔族さんの言う通りっす」と頷いた。


「で、何でかってゆーと……そこで王女サマが関わってくるんす」
「わたし……?」


 コチラを見据える黒い瞳を、椅遊が見つめ返す。奏は、少し迷ったような顔をしてから、コホンと咳払いをし、慎重な口調で椅遊に言った。


「……いーっすか。気悪くしないでほしーっす。イースルシアは、バルディアから、こう知らせを受けたんす。『イースルシア王女・朔司椅遊を殺した』と」
『『『……!!?』』』


 ――部屋の空気が、一気に凍りついた。
 誰もが絶句した中、奏の声だけが、無機質な壁に反響する。


「国っつっても、元々、人間でできてるもんす。それでイースルシアは激怒して、勝ち目の薄い戦いを、自分から始めたんすよ」
「…………な……なんでっ!? 誰が!誰がっ、そんなデタラメ……!!」
「五宮玲哉っすよ」
『『『………………』』』


 また、空気が沈黙した。――もはや、声を発する者はいなかった。
 衝撃を受ける一行に、奏が静かな声で補足する。


「……モチロン、口実っすよ。今、バルディア内に王女がいるからできることっす。全部、奴が計画したことっす」
「……なるほど。だからバルディアは、こんなに早く侵攻を始めたんですね。今しかない……と」
「そっす。まぁその分、兵力が構成途上みたいっすけど」
「……この話、イースルシアは知らないんですか?」
「なんたって閉鎖国バルディア内でしか知られてないっすからねぇ。自分もなんとか連絡したいって思ってるんすけど、多分、まだ自分達と鈴桜さんとかしか知らないっすよ。電話っつっても、使ってるのは猟犬ザイルハイドだけっすからね、使っちゃうとほどなく五宮玲哉にバレるっす。できれば内密に知らせたいモンすからねぇ。あー、兄貴連絡用にも電話買っときゃよかったなー……」


 瑠璃色の髪を掻いて、奏は参ったように溜息を吐いた。

 電話は、バルディアで発達した連絡手段だ。まだ発展途上なので、かなり高価である。
 それを他国で使っているのは、フェルベスとイースルシアにまたがる猟犬ザイルハイドのみだ。猟犬ザイルハイドの情報交換も電話で行われている。


「でも、バルディアも、椅遊が国内にいるって話、何で信じてくれたんだろ」
「玲哉が、椅遊を追ってる話は……結構、有名みたいだから。……それが、証拠だと思う……」


 首を傾げた夕鷹の疑問に横から答えると、采はもぞもぞ動き出した。ベッドの上から降り、少し離れたところに無造作に置いてあった大鎌に近付く。


「え……!? さいっ……!」
「うん……大丈夫。本調子……じゃ、ないけど……僕ら、そろそろ行くよ」


 驚いた椅遊が思わず立ち上がって声を上げる。大鎌を持った采は、皆を振り返ってそう言った。
 本調子ではないが、そう言った采。ということは、それなりには動けるということだ。勝手に行き先を決められたが、自身もそう思っていたところだったのでまぁいいかと割り切った楸が、采の立ち姿を睨んで言う。


「本当だろうな?どうでもいいが、俺の足だけは引っ張んなよ」
「あれ……それ、僕が言おうと思ったのに……」
「てめぇ1回死んどけよ」


 相変わらずの無自覚で神経を逆撫でする采に、楸は低い声で言う。いつも7割くらい本気で言っている。が、現実的にはいろいろコチラが不利で、采を殺せるはずがなかったりするから、さらに癪だ。


「スパイさん……玲哉が何処にいるか……知ってる?」
「多分、前線にいると思うっすよ。計画の言い出しっぺだし、駆り出されてるみたいっす」


 傍に立て掛けてあった大剣を担ぎ、出発する準備をする楸を見てから、采が奏から玲哉の居場所を聞き出す。そんな二人に、椅遊が慌てて声をかけた。


「どこ……いく、の?」
「とりあえず鬼畜野郎のとこだな。……つっても、すげぇムカつくが、アイツの前に現れたら殺されるからな」
「玲哉を……遠くから様子見……かな。玲哉は……まだ、諦めてないと、思うから……それを、邪魔する」
「……大丈夫……なの?」


 早々に部屋から出て行った楸の後に続く采に、六香が恐る恐る問う。
 当然のように自分達の心配をしてくれる六香に、采は知らぬ間に小さく微笑っていた。しかし振り返らぬまま、六香の問いに、彼女とは正反対に、さらっと答えた。


「なんとかするよ」


 バタン、とドアが閉まる。それを見届けてから、六香はゆっくり夕鷹達を向いた。その顔は、強張ったままだった。
 ――采は、大丈夫だと、希望的観測はしなかった。最大限譲歩して、「なんとかする」。現実はそうなのだとわかっていたが、何処か物寂しい。


「……じゃあ俺らは、どうしよっか」


 夕鷹が、残ったいつものメンバーに、これからのことを持ちかけた。するとすぐさま、椅遊が必死な目で何かを訴えてきた。


「わたし、みせる」
「見せる?何を?」
「わたし、いるって……みんな、の……まえ、で」
「まさか、自分が生きてるってこと、戦場に行って教えるってこと!?」


 いつもすぐ椅遊の言いたいことを理解する六香が、驚愕の表情で椅遊の肩を掴んでそう言った。椅遊は少しびっくりした顔をしてから、すぐ強い意志を宿した瞳で大きく頷いた。


「椅遊、アンタわかってんのっ?! 戦場のド真ん中に行くのよ!! 死んじゃうに決まってるでしょ!? 絶対ダメ!!」


 しかし椅遊は、ブンブンと首を横に振った。キッと六香を睨みつけるまでに強い目で見据え、叫ぶ。


「いく!! わたし、いく!!」
「椅遊っ……!!」


 イースルシアが捨て身行為をするハメになったのは、自分なんだから。
 姿を見せたら、止まってくれるかもしれない。


「……それは、ないでしょうね」
「え……?」


 椅遊の心を読んだように、梨音が呟いた。火を消されたような、ぼんやりとした顔でコチラを見る椅遊に、梨音は説明する。


「……今、貴方が戦場に行って、誤解が解けても、戦争は止まらないでしょう。わざわざ、椅遊さんを殺したという偽情報を流したということは、バルディアは、イースルシアも落とそうと考えているはずです。……だから、バルディアは戦いの手を休めない。そこでイースルシアが戦うのをやめてしまったら、国を落とされてしまいます」
「んんー……あ、わかった。そっかぁ、困ったな……」
「なんとか、できないの……?」


 夕鷹が納得したように、その話を理解した六香が、残念そうにうな垂れる椅遊を一瞥してから問う。梨音は、静かに首を左右に振った。


「……残念ですが、恐らく今、この戦争を止めることは誰にもできません。玲哉さんにそそのかされたバルディアが、欲のまま隣国を襲っているという状況ですから。話し合いでは……解決しません」
「そっすね。そーゆーことなんで自分は、椅遊姫御一行は、一度イースルシアに戻った方がいーと思うんすけど」
「イースルシアに?何で?」


 何処となく悲しげに言った梨音に賛同した奏が、突然そう意見してきた。夕鷹が奏を見て不思議そうにそう繰り返すと、奏は頷いてから言った。


「イースルシアに戻れば、流れた情報が嘘だってことは証明できるっす。そしたら司令官の方で、前線に送る兵力調整したりすると思うっすよ。あ、それから、1つ大事なことを言い忘れてたんすけど」
「大事なこと?」
「王女が死んだって言うのは五宮玲哉が流した偽情報っすけど、参謀は、そのうち本当のことにしようと思ってるみたいっすよ」
「……ッ?!」
「椅遊を殺しに来るってこと!?」


 びくっと身を強張らせた椅遊と同時に、六香が思わず立って大声を上げた。その剣幕にも動じず、奏はなだめるように両手を上げて、「まぁ、余裕ができたらって感じっすけど」と言った。それから、ぴっと自分の真上の換気口を指差して。


「自分は、破棄されたはずのこの施設が最近稼動してるって話を聞いて、もしかしたら王女達かなと思って来たんす。だから、自分と同程度、頭が回る奴は、王女達がココにいることに気付いてるかもしれないっすよ」
「……それに、玲哉さんの目的は、あくまで椅遊さんの召喚の力です。この戦争が玲哉さんの思惑で始まったものなら、そこに必ず椅遊さんを陥れる罠があるはず。とにかく、長居は禁物です」
「……うーん……ま、そーゆーことらしいし、そんじゃ椅遊、六香、梨音。イースルシアに戻るかぁ」


 相変わらずの分析力の梨音と、会って間もないが梨音に引けを取らぬ頭脳を持つらしい奏の二人に言われ、夕鷹は少し困ったように悩んだ後、変わらぬ緊張感のない言葉を口にした。


「『戻るかぁ』って……アンタ、どーやって帰るつもりよ?戦場のド真ん中突っ切るなんてヤだからね!!」
「へ?だって前線は、フェルベスとイースルシアが隣接してるバルディア国境付近なんだろ?なら、そこ避けてフェルベスに入って、んで北上してイースルシアに行けばいーんじゃないの?」


 呆れ果てた態度で聞いてきた六香に、夕鷹は逆に不思議そうにそう言った。夕鷹の言うルートを想像した奏が、頷いて肯定した。


「そっすね、それが妥当だと思うっす。始まったばっかっすから、離れた国境なら、まだ軍隊も行ってないと思うっすよ」
「……このままバルディアを北上してから、イースルシアに入るなんてって言ったら、置いてこうかと思ったよ」
「おーいおい、俺にだって、敵国歩くより同盟国通った方いいってくらいわかってるぞ〜」


 梨音の冷ややかな冗談に、夕鷹は苦笑する。外では戦争が起きているというのに、この二人だけは相変わらずだ。そのことに、六香は少し安心した。


「あ、でも、知ってると思うっすけど、バルディアの国境はすべて15章の護りゲイルアークっつー壁の形した要塞で閉じられてるっす。そこ通る時だけは注意が必要っすね。普段からほとんど通してくれないんすけど、多分、今は完全に閉じられてると思うっす。結構、警備厚いんすけど、まぁ自分はくぐり抜けてきたし、なんとか通れると思うっすよ」
「ど、どんな理屈よ……まぁでも、アタシ達もだてに盗賊やってきたわけじゃないしねっ」
「じゃ、猟犬ザイルハイドの皆さんのご活躍に期待して、そんじゃ、自分はコレで〜」


 四人に注意を言うなり、奏はそう言って部屋から出ようとした。突然の別れの挨拶に、少し反応が遅れてから梨音がその背に声をかけた。


「……何処行くんですか?」
「ん〜、ちょいとバルディア軍部にもぐってくるっす。さっきのお二人さんとも会うかもしれない方面っすね」
「それ、見つかったらやばいっしょ?ダイジョブなの?」
「まぁ、『なんとかする』っすよ。姫様御一行は、さっさとイースルシアに帰るんすよ〜」


 歩みを止めないまま奏は答え、ひらひらと手を振ってドアの向こうに消えた。
 ――その消えた背中を、椅遊は不安そうな顔で見つめていた。


「………………」
「ダイジョブだよ、椅遊。もしバレても、アタシ達がなんとかするから」


 それから、自分が狙われているという不安と、皆に対する申し訳なさでうつむいた椅遊に、六香が笑って言った。
 その言葉を聞いた途端。椅遊は急に泣きそうな顔になって、縋るようにガシッと六香の腕を掴んだ。


「やだッ……!!」
「えっ?!」
「いや、なんでっ……そ、な……!!」
「な、なにっ?ごめんわかんない……!」


 ――そんなこと、いわないで。
 なんで、どうしてみんな……


  『なんとかする』


 「だいじょうぶ」って、いってくれないの……!!



「大丈夫だよ」



 ――欲していた言葉が。はっきりとした力強い声で、耳朶に触れた。聞こえた言葉に、椅遊が呆然と顔を上げる。
 夕鷹が、笑っていた。あの綺麗な笑顔で。
 初めて見た時、悲しいと感じた笑顔。それが、今は――温かな、優しい笑顔になっていた。
 きっと、悲しみを押し込めた笑顔じゃない、彼自身の笑顔。
 六香が理解できなかった自分の言葉を、夕鷹がしっかり受け取っていた。


「大丈夫だよ。俺が、椅遊だけじゃない、みんなを守るから」
「……ゆ、たか……」
「……バカ、アンタだけで守り切れるわけがないでしょ!」


 泣きそうな顔の椅遊に夕鷹が言った言葉を、真横から否定したのは六香だった。二人が六香を振り向くと、彼女は腰に手を当て、怒ったような表情で言う。


「夕鷹、アンタ、一人で三人も守れると思ってんの!? 何処のヒーローのつもり?バカもほどほどにしなさいよ!だから、アタシもみんなを守る。精一杯、やれることはするわ!」
「りっか……」
「ごめん椅遊。アタシ、不安にさせるようなこと言っちゃって。でも、もう、『ダイジョブ』だから!」
「……うん!」


 笑顔の六香が力強く言ったその言葉に、椅遊はようやく笑顔になった。


「……どうでしょうね。バルディアは軍事国家ですし、兵の養成にも抜かりはないでしょう。少数なら大したことはありませんが、大人数だと追いつめられてしまうかもしれません」
「え……ちょっとイオンっ!」


 その雰囲気に水を差すようにそう言う梨音を、六香が思わず咎める陰で、椅遊が少し寂しそうな顔をする。現実主義な彼には重大なことかもしれないが、どうして今言うのか。
 そんな椅遊の様子を見てから、梨音は何処か寂しげに目を伏せた。


「……過去に仲間を守り切れなかった者が、貴方達を守るなんて言えません。それに僕は、魔術の物珍しさで足止めすることや、皆さんの援護くらいしかできない。今の僕の魔術では、それが限度です。……すみませんが、僕には……希望的観測はできません」
「………………」
「……失った仲間は、帰ってきません。僕は、貴方達を失いたくない。……だから……まぁ……大丈夫、でしょう」
「…………え?」


 次々に突きつけられる現実に、どんどんとうな垂れていく椅遊の顔が、ばっと持ち上がった。珍しく自信なさげな声を出した梨音のダークブラウンの瞳を見ると、彼は何処か少し困った顔をした。


「……大丈夫、というか……大切な仲間だから、僕も、全力で貴方達を守ります。この命……いえ、この魂を賭けてもいい。今度は、必ず」
「りおん……」


 はっきりと言い切った梨音を見て、椅遊ははにかんだ笑顔を浮かべた。
 自分のワガママが、あの梨音にこんなことを言わせたなんて思うと、少し恥ずかしい。でも、とても嬉しかった。

 その横から、「ちょーっと待った」と夕鷹の声が割り込んだ。


「梨音にしちゃいい返事だけど、それはだめだなぁ」
「魂を賭けるなんて、勝手なこと言わないでよねっ!」


 夕鷹の言葉の先を、同じ考えだった六香が継いだ。少し驚いた顔をした梨音に、二人が勝ち誇ったように笑顔を見せると、梨音も頬を緩めた。それを見て、椅遊も嬉しそうに笑った。

 夕鷹が手の甲を上にして手を差し出すと、六香がその上に、続いて梨音が手を重ねた。
 三人が何しているのかわからず、不思議そうな椅遊に、夕鷹が「ほら、椅遊も」と言う。椅遊は三人の顔を順に見てから、彼らの真似をして、一番上に手を重ねた。


「全部終わった時、みんな揃ってなきゃ意味ないだろ?」
「うんっ」
「……四人とも生きて、初めて終わるんですね」
「采と楸もよっ。みんな、死んだら許さないんだから!」
「あはは、死んじゃったら、許されなくても、自分はわかんないよなぁ」
「こら夕鷹!!」
「冗談冗談〜」


 この空気の中、平然とそんなことを言う夕鷹に、六香がもう片方の拳を握って殴る体勢を取って見せた。夕鷹はそれも笑って受け流す。


「そんじゃ、いっちょ頑張りますか!みんなでみんなを守るっ!玲哉の思い通りにはさせないぞ〜!!」
「おー……な、なんか締まらないわねアンタ……」
「……六香さん……夕鷹ですから……」
「おいおーい、ひどいなお前ら〜」


 思わず嘆息する二人に、一応マジメに言っているが、間抜けにしか聞こえないと自覚している夕鷹は苦笑いした。


「……短い言葉で、短く言ってみたらどう?」
「んー、そう?じゃ、気を取り直して……行くぞッ!!」
「「「おーッ!!!」」」
「お〜……?」


 梨音にアドバイスされた掛け声に引っ張られ、ようやく声が上がり、三人が手を押す。ただ一人、首を傾げながらキョトンとした様子で遅れて言った椅遊に、夕鷹と六香がおかしそうに微笑んだ。目を瞬いてから、椅遊も微笑った。
 1つの決意を、胸に秘めて。


 ――わたしも。
 わたしも、まもられてばかりなんて、いやだ。
 わたしも、みんなをまもりたい。
 でも……わたし、どうすればいいんだろう。

 さがさなきゃ。
 わたしにも、できること。






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