→→ Sanctus 1


「夕日が綺麗だね」


 ――彼に出会ったのは、きっと、神のちょっとしたイタズラだったんだろうと、今でも思う。

 たった一人の弟がいなくなって、精神的に衰弱していた自分の耳に届いた、異界からの声。その声に従うまま契約した、〈フィアベルク〉という名の黒い飛竜。
 地面に足をついているその竜の上に乗ったまま、遥か遠くの水平線で輝く夕日を眺めていた時、不意に、真横から声がした。

 ……まったく気付かなかった人の接近だった。内心では驚くが、顔には出さない。ゆっくりと横を見ると、いつの間にかすぐ隣に、当然のように一人の青年が立っていた。
 〈フィアベルク〉に乗っているから、上から見下ろす形になる。赤い夕日に照らされる髪は、その背景の色に溶け込んでいた。


「夕暮れは、好きだよ。昔、よく見てたから。でも、嫌いだな」
「……矛盾してる」
「はは、そうかもね」
「………………」


 変な人だと思った。何者なのかという疑問の前に、そう思った。
 じっと彼を上から凝視していると、彼は顔を上げてコチラを見上げた。夕日の紅のせいで、一瞬、橙色の瞳だと思った。それでも、その金の輝きだけは、はっきりと見えて。


「その乗ってるのって、魔界の住人ガリアテイルだよね?初めて見たよ」
≪〈フィアベルク〉だぜ≫
「へぇ、喋るんだ。知能はどれくらいあるのかな?言語を解するから、動物以上であることは確かだけど」
≪あァン!? てめェナメてんのかァ?! 動物と比べんじゃねェ!!≫
「……〈フィアベルク〉、還って」


 普段からお喋りだが、自分のことになると途端に口を挟みたがる黒飛竜を、そう言って軽く小突く。すると〈フィアベルク〉の足元に黒い陣が開いて、『彼』は強制的に魔界に還されてしまう。

 〈フィアベルク〉がいなくなった分の高さから下り、青年を見た。彼はくすくすとおかしそうに笑っていた。


「あーあ、還されちゃった」
「……貴方、私に何か用?」
「君と話すことが用だよ」
「………………」
「君、エルフだけど、どうしてこんなところにいるの?さっきの竜で来たんだろうけど」


 ――言っていることはズレているような気がするのに、観察眼は鋭い。まったく相手の気質が掴めない。冷静に相手を分析するはずの自分が、惑わされている?


「……人探し」
「大事な人なの?」
「……弟」
「家族か。そりゃ心配だよね」
「……そうには見えない」
「まぁ、俺は家族がいなくなったことないから。その前にみんな死んだからさ。心配も何もないよね。だから、あんまり『心配』ってわからないな」
「…………そう」


 あっけらかんと悲しい過去を語る青年に、コチラの方が何て言えばいいのか迷ってしまう。


「……寂しい?」


 今、彼は一人なんだろうか。だったら、寂しく思ったりしているのだろうか。
 そう思って。たった一言。聞いた。
 青年は、おかしそうに笑った。


「『寂しい』か。それもよくわかんないな。ただ、俺を残していった奴らが憎いのはわかるけど」
「……!!」
「ま、死んでいった奴らを憎んでも仕方ないからね。世界は、神の夢っていう運命で回ってるらしいよ?」


 ドキリ、と心臓が鳴った。
 最初からずっと変わらない口調が紡いだのは、その笑顔に似つかわしくない、ひどく昏い感情だった。
 ……いや、似つかわしくないというのは間違いだ。今、彼の笑顔を見て、気が付いた。

 ――この青年は、純粋だ。
 感情を知らない、真っ黒、、、な心。それを支配しているのは、神の夢うんめいを――世界を憎んでしまうまでに強烈な、混じり気のない憎悪。
 彼の顔に浮かぶ、優しげな微笑。それは、彼の内に渦巻くドス黒い憎悪が作り上げた、完璧な笑顔だった。





 きっと、二人が似ていると感じたのは、金眼のせいだけじゃない。

 憎悪を還元した、完璧な笑顔。
 悲哀を還元した、綺麗な笑顔。

 ―――笑顔の種類が、とてもよく似ていて、正反対のものだからだ。





  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪





 天乃は、自分が玲哉に対して抱く感情を、冷静に分析している。
 彼の奥を垣間見た時に覚えた、身の毛もよだつ恐怖。その反動で抱いた、刹那的なものであると。

 そうはわかっていても、頭の中にはまだ彼の存在が居座っている。それもすぐ消え去るだろうと思いながら、結局、1年は彼とともにいる。
 だから今、目の前の光景を見て、少しだけ幼稚な感情が湧き上がってくるのは、当然と言えば当然だった。


「がああぁぁああぁあああッッッ!!!!!!」
「れ、玲哉さん!! しっかり……しっかり、して下さいっ!!」


 獣の咆哮のような絶叫。それが、天乃のよく知っている青年の口から発せられていた。
 紫がかった左腕の根元を押さえ、吼えるように声を張り上げる玲哉。それは間違いなく、苦痛の悲鳴だった。
 傍らの未亜が、左腕の根元に触れる玲哉の右腕に抱きつき、その動きを拘束しながら呼びかける。しかし、今の玲哉にはその声は届いていなかった。










 時は、少し遡る。プロテルシアから〈フィアベルク〉で飛び去った二人は、バルディア帝国・首都ビアルドの街中にいた。
 結局、玲哉をしっかり監視していなかったことがバレずに済んだ未亜が、窓から部屋に帰ってきた片腕のない玲哉を見て、まず悲鳴を上げた。

 それから、使い勝手はともかく、体のバランスを取るために義手をつけることになった。しかし、軍部に「義手を作ってくれ」と言ったら、何があったのか追及されてしまう。書類上、玲哉は軍基地で大人しくしていたことになっているので、それはまずい。
 それで、片腕のない体を隠しながら、街に店を探しに駆り出すことになったのだ。軍部の人間に会わないか冷や冷やして、とてもじゃないが生きた心地がしなかった。

 そして今。ようやく見つけ出した店の主は、玲哉を見てこう言った。


  『命の保証はできんぞ』


 この店の義肢は、元の手足と同様に動かせるものだと言う。なんでも、アルテスの魔力を取り入れた特殊な義肢だからだそうだ。その分、値も張るが、その辺は《ザイルハイド》でも軍でも利用すれば済む。
 問題は、玲哉が普通の人、、、、ではないことだった。

 魔力を取り入れたということは、その義肢は魔力を宿す物となる。それを体に取り付けるということは、魔力の量が増えるということだ。しかも、かなりの量らしい。
 元々、大半が魔力でできている普通の人ならば問題ないが、玲哉は、聖魔の割合が逆転した、先天性異常構成症の者――金眼者バルシーラだ。大半が聖力でできている。
 つまり――最悪の場合、割合の均衡が崩れ、肉体が崩壊する。
 すなわち、死。

 しかし――


  『俺は、死ぬつもりなんてないよ』


 そんな現実を突きつけられてなお、玲哉は考える素振りさえ見せず、一点の曇りもなくそう言った。










「あぁあぁぁあああああッッ!!!!!」
「……ま、負けないで……玲哉さん、負けないで下さい……!!」
「嬢ちゃん、コイツの力に負けるなよ!!」


 凄まじい痛みなのだろう。ほぼ本能で、彼は、自分で望んだはずの左腕を引き抜こうとする。耳元の絶叫を聞きながら、未亜は必死に、左腕を外そうとする玲哉の右腕を引き止めていた。
 そんな未亜に、断面で反発しあう左腕と体を、玲哉の後ろから押さえつけている精悍な顔つきの店の主が叫ぶ。一体、この格好になって、何分が過ぎたのだろう。

 理性の吹っ飛んだ玲哉。見てられなかった。
 しかし、彼が望んだことだ。自分は反対したが、彼は引き下がらなかった。
 今も。すぐにでも、すべての元凶であるその左腕を外してあげたい。だがそれは、彼の望みに反する。
 未亜は、玲哉を押さえつけつつ、そんな自分の気持ちも押さえつけていた。



 ふと、少し離れたところで、コチラを見ている天乃が目に入った。
 左腕をなくした玲哉とともに現れた、エルフ族の綺麗な女性。……恋人、なんだろうか。ずっと気になっている。

 彼女は、絶叫する玲哉と押さえつける自分達を、ずっと静かに見つめていた。
 ……あの人には、きっとわかっているんだ。彼の望みを叶えることが大事だって。だから反対もしなかったし、今、動きもしない。
 なら自分も、負けてられない……!!


「ぁああぁぁああああっっ!!!!!」


 身の毛もよだつ絶叫を、それでもしっかり聞きながら。未亜は、ぎゅっと、彼の右腕を抱きしめる腕に力を込めた。
 しかし、その途端、玲哉の腕が、今までより強い力で動いた。腕を外へ振り抜き、腕に絡んでいた未亜を乱暴に振り払う。たったそれだけで、未亜は軽々と放り投げられた。


「あうっ……!!」


 ガシャーン!!と、たくさんの工具を蹴散らしながら、未亜は壁に叩きつけられた。一瞬、息が詰まる。寸前でなんとか受身を取ったから直撃は免れたが、未亜は全身を襲う鈍い痛みに咳き込みながらそこに背中を丸め、座り込んでしまった。
 それから、はっと玲哉のことを思い出して、顔を上げた時。――ようやく、玲哉の絶叫が途絶えていることに気が付いた。

 木でできた粗末な机の傍らのイスに座る玲哉は、うつむいて、ただただしきりに肩を大きく上下させていた。荒い息遣いが、ココまではっきり聞こえてくる。浮かんでいた汗の玉が、1つ、また1つと、額から落ちていくのが見えた。


「……れ……玲哉、さん……!!」


 未亜が、全身が訴える痛みを無視して玲哉のもとへ駆け寄ると、彼は緩慢な動きで顔を上げる。憔悴しきった表情で、それでも彼はあの笑顔で笑った。


「……言っただろ?死ぬつもりなんか……ないって……」
「……え……?」


 異質な輝きが、目に付いた。
 コチラを見る双眸。自分の知っている、黒くて強い信念を宿す眼だ。
 だが――この瞳は、何だ?

 ――右眼と同じく、金色であるはずのその左眼。
 銀色、、に染まっていた。
 銀色の左眼。


「玲哉さん……目が……」
「……恐らく、魔力の義肢の影響。銀は、魔王がそうだったように、魔力を象徴する色だから」


 未亜が愕然と呟くと、答えは後ろから返ってきた。未亜が振り返ると、天乃がコツコツと歩み寄ってきていた。
 天乃は、左眼が変色した玲哉を見て、平坦な声で言った。


「さすがに死んだと思った」
「はは……残念でした」
「貴方のしぶとさは知ってる」
「そりゃぁね……死ぬ気ないから」


 疲れの色が濃いが、いつも通りの口調で話す玲哉を、店の主が信じられないといった顔で見ていた。


「……まさか……信じられん……。無謀な奴らはたくさんいたが……生き残った金眼者バルシーラは、お前が初めてだ……なぜだ……?」
「ははっ……何でだろうね」


 ――心当たりはあった。自分は、半分とはいえ、魔族の血を受け継ぐ者だ。
 魔族は、その名の通り、純粋とまではいかないものの、ほぼ魔力で構成されているそうだ。人間の8割に比べれば多い。
 人間と変わらぬクランネと、その魔族の間の子は、単純に考えて、人間より多い魔力を継ぐだろう。そして自分は、その構成比率が反転し――、聖力が多くなった。つまり、義肢の魔力の量が、自分の宿す聖力の量に及ばなかっただけの話だろう。

 玲哉は小さく笑って、くっついたばかりの紫がかった左腕を上げた。それを自分の前で握り締める。自分の意思通りに動くことを確認すると、ゆっくり動き出した。
 イスから腰を上げ、両足でしっかり床を踏みしめて立つ。それから当然のように、横のイスに掛けていたジャケットを羽織った玲哉を見て、未亜が慌てて声をかけた。


「れ、玲哉さんっ!? 何処行くつもりですか?! そんな状態じゃっ……!!」


 そのまま歩き出しそうな玲哉の腕を、未亜はとっさに掴む。振り向かされた玲哉は、金と銀の瞳で未亜を見て、少しだけ済まなそうな顔をした。


「そうだ、未亜……乱暴してごめん」
「え……あ、い、いえっ!平気です!」


 さっきのことだ。全然、平気なんてものじゃなかったが、反射的に未亜はそう答えていた。しかし見透かされていたらしく、玲哉は首を横に振る。


「無理しなくていいよ……俺は、紫昏に用があるから」
「雨見参謀に……?どうして……」
「だから君は、もう何もしなくていい」
「……え?」


 玲哉が何を言っているのかわからなかった。未亜が、不思議そうに玲哉を見上げる。
 ――そして、不意に強い衝撃が鳩尾にめり込んだ。


「っ……!? ……ぁ……」


 身を貫かれるような痛みを感じたのは刹那。すぐに四肢から力が抜け、世界は途端に真っ暗になった。










「……珍しい」
「何が?」


 前に倒れかかってきた未亜を抱き留めた玲哉が、天乃の呟きに聞き返した。天乃は、昏倒させた未亜を抱き上げる、気付いていないらしい玲哉に言う。


「というより……貴方が他人を気遣うところ、初めて見た。……これから起こる出来事を、見せたくないから?どうして?」
「……さあ?なんか、俺もよくわからないな。その前に、コレって気遣いなの?」


 キョトンとした目でコチラを見る玲哉。自身ですらも、自分が何のために彼女を昏倒させたのかわかっていないらしい。だが恐らく、自分が推察した通りだろう。
 憎悪しか知らぬはずの彼が、無意識のまま、別の感情に従い行動した。


「………………」


 無言で、目を閉じている未亜を見た。大人になりかけの、まだ幼さが残る顔立ち。
 ――この少女は、玲哉の興味を引く何かを持っている。





  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪





 バルディア帝国参謀・雨見紫昏は、怜悧でいつも落ち着いている。20代後半なので経験豊富とまでは言えないが、その冷静な姿は、軍全体をまとめることに十分すぎるくらい効果があった。
 その紫昏は、赤縁メガネの向こうの淡い蒼色の目を、まっすぐ正面に向けていた。


「……そんな話、誰から聞いたのです?」
「誰にも。……紫昏、今、表情作ってるでしょ?」
「立場上、こういうことが必要になる場合もあるんですよ」


 おかしそうに笑う玲哉に、紫昏は変化のない表情のまま答えた。どうやら紫昏は、「動揺」は表に出さないようにしているらしい。賢明な判断だ。

 ビアルドにある王城に寄り添うように建つ、大きな屋敷がある。そこは代々、帝国参謀の地位にある者が住まう場所だ。その屋敷の応接間で、紫昏は、訪ねてきた玲哉の話を聞いていた。
 この話をした時、いつも流れるようなテンポで答えてくれる紫昏が、一瞬の間を置いた。それは、この話が事実だと言うことを裏付けていた。
 玲哉は、白い手袋に包まれた左手をソファの手すりに置いて言った。銀の左眼のことを聞かれたが、ハーフだからじゃないかとかテキトウに言って流した。


「考えてみればすぐにわかるよ。バルディアは、何も、領土が欲しいからフェルベスを侵略するんじゃない。それだったら、フェルベスよりは軍事力が低いイースルシアを狙うはずだ」
「………………」
「バルディアがフェルベスにこだわるのは、ウィオール鉱山を領土に持ってるからだろ?」
「……その通りです」


 黙って玲哉の話を聞いていた正面に座る紫昏が、観念したように硬直させていた身を解し、静かに肯定した。そして、今度は自らそれを話し出す。


「バルディアが大帝国ダグスだった頃、フィルテリア動乱で敗北し、フィルテリアの監視下に置かれたダグスは、かの国にウィオール地方を引き渡すことで独立することができました。しかしそれは、強国ダグスたらしめる大部分の戦力を削ぎ落とす行為でもありました。だからダグスは、皇帝が変わると同時に国名を変更したと……そう言われています」
「そんなに凄い鉱山なの?」
「はい。あの鉱山でしか採れない硬度の高い鉱石もあるそうですから、有無でかなりの差が出るでしょう」
「ふーん……」


 アゴに手を当てて、玲哉は相槌を打つ。ウィオール鉱山がそんなに凄いとは知らなかったが、そこまでは自分も考えついた。しかし、その先のことはわからなかった。


「で……そこから先がわかんないんだよね。紫昏、勝算はあるの?フェルベスが強いってのは聞いたことないけど、そんな鉱山を持ってるんだし、強いんじゃないの?」
「それはないでしょう。フェルベスは、我が国に比べ、圧倒的に技術が遅れています。せっかくのウィオール鉱山も、宝の持ち腐れというわけです。近年のフェルベスの様子を見ても、あの国が強いということはありません」


 近年のフェルベスの様子というのは、フェルベス内にいる密偵達の情報からだろう。その中に、春霞や冬芽、海凪も含まれていたことを、もちろん玲哉は知るはずがなかった。

 なるほど。ウィオール鉱山さえ手に入れられれば、バルディアはさらに強くなる。大陸制覇も夢ではないと。だからこそ、現在、フェルベスにこだわる。
 今までの話を理解した玲哉は、ソファの手すりに肘を突いて頬杖をついた。そして、正面の紫昏を見据え、問うた。


「で、それを、俺には言わなかった……どうして?」
「…………貴方は、とても不安定な、危うい存在です。見ているのは『国』じゃない。『世界』だ。……そんな貴方が、バルディアが戦力拡大のためにフェルベスを侵略すると知ったなら……この私を殺し、バルディアを暴走させてしまうような気がしたのですよ」


 ココまで聞いた玲哉は、その恐れた行動を起こさなかった。自分の杞憂だったに過ぎないと知り、紫昏は肩の力を抜いてそう答えた。
 しかし、まだ安心するのは早い。バルディアがフェルベスを侵略する理由を知った玲哉が、どんな言動をするかを注視する。

 ――玲哉は、笑った。


「ははっ、なるほどね……バルディアを暴走させる、か。それも面白かったかもね」
「……面白い?」
「でも、ずっとコッチの方向で進めてきたし、今更変えられないし」
「何を言って……」
「紫昏。フェルベスに侵攻しよう」
「―――……な」


 あまりにも、あっさりとした言葉。会話の中で流れるように発せられた言葉を構成する音の配列を、紫昏は疑った。
 さっきの作られた無表情は何処へ、愕然と目を見開く紫昏を正面から見て、玲哉はあの完璧な笑顔で言った。


「計画途中の侵攻を、今するんだ。早くしないとルセイン要塞の件も忘れられちゃうし、今、侵攻すれば、イースルシアもきっと必死で乗ってくるよ」
「……フェルベスとの、同盟関係?そんなものでは……」
「違うよ。そんなの、ただの建前だろ?確かに援助はするだろうけど、兵も物資も出し惜しみするだろうね。他国のために、そこまでする義理もないだろうし」


 国なんて、所詮人間の集合体だ。そして、その頂点に君臨する者もまた、ただの人間だ。
 同盟国が侵略され、同盟に則って参戦する。しかしそれは、条約に縛られた約束でしかない。理屈で人は動かない。だからやはり、戦力をすべては出さないだろう。
 しかも相手は、この大国バルディアなのだから。勝ち目が薄い他国の戦いに投じる戦力など、何処の国も持ち合わせていない。

 つまり――他人事じゃないと、そう思わせればいい。


「紫昏、知らないだろうけど、イースルシアの希望……王女の朔司椅遊が、今、バルディア国内にいるんだ」
「……なるほど。大よそ、予測は付きました」
「あれ……あっさり信じてくれるの?国内に椅遊がいるっていう、証拠もないのに?」


 疑われることを覚悟して言ったのに、疑いもせずそう言った紫昏。玲哉が逆に意外そうに問い掛けると、紫昏は小さく微笑んで、その訳を教えてくれた。


「他国での貴方の行動も、大体は知っていますから」
「って言うと?」
「フェルベスとイースルシアにまたがる盗賊組織猟犬ザイルハイドの前総帥を殺し、総帥になった男。そしてその情報網を使って、イースルシア王女・朔司椅遊を追わせている……標的の居場所は、常に把握しておくものですからね」
「あぁ、なるほどね。そういや、俺からは総帥だって言ってなかったっけ。言ったところで信じなかったと思うけど」
「でしょうね」


 そう言って、お互いに笑い合った。玲哉はあの完璧な笑顔で。紫昏は読めない柔和な微笑で。
 互いに、毛ほども信用していない会話。両者同時に、嫌な会話だと心の内で思った。


「話、戻すよ。まぁ、わかってるだろうけど……まずは、それを利用すればいい」


 そうして玲哉は、誰もが恐怖を抱く、憎悪が源となった黒い思想の渦巻く金と銀の双眸を細めた。





  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪





 使い慣れた愛銃に、1つ1つ、弾を装填していく。
 小さい頃から銃と一緒に育ってきたからか、不思議と、この装填している時が一番落ち着く。我ながら花も色気もない。戦場ではこんな悠長なことしていられないが。
 最後の1つを入れ、軽く振って弾倉を閉じると、その音と、部屋のドアが開く音が重なった。

 顔を上げると、ドアのところに鈴桜が立っていた。海凪は、笑って挨拶した。


「おはよーございます、鈴桜さん。…………なんですかその世界が滅亡しそうな顔」
「……いや……」


 ……それほど凄い顔をしていたらしい。鈴桜は少し落ち着いてから、もう一度、目の前の光景を見た。

 ココは、フェルベスのシーヴァにある警護組織リグガースト本部、追行庇護バルジアー幹部の自分に与えられた執務室だ。正面に自分の机、その隣に、自分の机を向いて置かれた補佐官の海凪の机がある。
 その机に行儀悪くどんっと足を乗せ、銃のトリガーの後ろに指を引っかけ、くるくる銃を回して遊びながら座る海凪の姿。
 というか今何時だ。海凪の背後の壁にある時計を見ると、朝7時頃。

 ――何と言うか、これは……異常事態だ。


「……珍しい、な……お前がそこに座ってるなんて」
「あー……そーですね」
「しかも、いつも遅刻してくるクセに、今日はやたら早い……どうかしたのか?」
「う〜ん……」


 鈴桜に本気で怪訝そうに聞かれていることに気付かないまま、海凪は腕を組み、天井を見上げてうなった。


「なんか、落ち着かなくて。戦争になるんだって思ったら……胸騒ぎってヤツですかね?」
「………………」


 何処となく不安そうな顔で上を見る海凪の言葉を聞いて、鈴桜は無言で足を踏み出した。部屋の隅にあるコーヒーの入ったポットを手に取り、白いカップに注いでいく。
 2つのカップにコーヒーを注ぎ、片方を、天井を見上げて呆けている海凪の前に置いてやると、海凪は足を下ろし、「ありがとうございますー……」と、カップを手に取った。それを見てから、鈴桜は海凪の机に寄りかかり、自分の分のコーヒーを味わう。

 朝という時間もあって、静かな部屋。街は少しずつ起き始めてきたが、昼間の喧騒はまだ遠い。
 バルディアが攻めてくるだなんて、考えられないくらいに。


「……鈴桜さん。ホントに、バルディアは攻めてくると思いますか?」


 不意に、海凪がぽつりと言った。何気なく海凪のカップを見ると、コーヒーはまったく減っていなかった。
 鈴桜は、その問いに答えようと、口を開いた。


「……ん?」


 ふと、小さな振動を感じ取った。コートの内ポケットに入っていた無線電話だった。
 何事かと顔を向ける海凪に、「悪い」と一言謝りながらカップを置き、鈴桜は急かすように振動し続ける電話に出た。


「どう……」
『たっ、大変っすよ鈴桜サン!!!』
「っ……」


 出た瞬間、鼓膜をビリビリ震わせた大音声に、思わず電話を離していた。耳を押さえ、もう反対の耳に慎重に電話を当てる。


「……どうした、奏」
『どーしたもこーしたもないっすよ!一大事です!! なんか参謀が……』
「報告は結果から」
『は、はい!えっと、結果だから……そうだ、フェルベス侵攻の予定が早まったんすよ!!』
「だから…………何?」


 物凄く慌てているらしい奏をなだめるので大変で、危うく聞き逃すところだった。鈴桜の顔に一気に緊張が走る。
 奏の声は、動揺も露な口調で、しかし淡々と重要なことを語っていく。


『最初は、飛空艇の製作状況を見ての予定だったんすけど、昨日突然、早くて明後日、つまり明日にはって……』
「明日!? 何でだ?!」
『昨日、五宮玲哉が帝国参謀に変な計画持ちかけたんすよ!今しかないって!それからっ、フェルベスだけじゃなく、イースルシアも本気で戦うことになりそーっす!! だから、兄貴への連絡も頼みたいんすけど……』
「わかった。後で詳しく聞かせてくれ。まず昴に連絡する」


 一方的にそう言い、鈴桜は電話を切った。と言っても、イースルシア王国将軍の篝への連絡はどうしても遅れてしまう。イースルシアに使者を送るしかないからだ。
 ひとまず、誰か部下に、篝への連絡を頼まなくては。そう思いながら、何気なく隣を見ると、内容を察した海凪がコチラを見ていた。


「……明日、なんですか?」
「……早くてな。そうなった場合、俺達も、フェルベス側の警護組織リグガーストとして参戦することになる」
「ですよねぇ……」


 何処か不安げな海凪の問いに、鈴桜が静かな声で答えると、彼女は小さく吐息して思いつめたように手の内のカップを見た。
 ――バルディアは、海凪の故国だ。しかし今、彼女は警護組織リグガーストの一員。だから、戦うことになるのだ。自分の国と、家族と、知り合いと。


「身内と戦うのがつらいんなら、お前は出るな」


 迷いがある者を戦場に連れて行っては、本人がつらい上、はっきり言って足手まといだ。鈴桜は、きっぱりと切り捨てるように言う。


「……まさか」


 それに対し、海凪は掠れるほど小さな声で言うと、突然、カップを仰いでコーヒーを一気に飲み干した。そして、「にっが……」と顔をしかめてから、訝しげな鈴桜に向かって不敵に笑って見せた。


「ダイジョブですよ、あたしなら。あたしは、フェルベスが好きですから。例え故国だとしても、フェルベスを潰すってんなら、あたしは戦います。そう、決めました」
「……そうか。なら、大丈夫だな」
「はい」


 決意を固めた海凪の、力強い返事。それを聞いてから、鈴桜はその体勢ののまま、正面の壁に向かって言った。


「さて……立ち聞きとは趣味が悪いな」
「……あら、気付かれていたなんて」


 予想通り、海凪とは別の少女の声がして、部屋のドアがゆっくり開いた。見ると、上品な立ち振る舞いをする少女がいた。その後ろには、背の高い青年も立っている。
 コーヒーカップを机に置いた鈴桜は、上品な口調で喋る少女に言った。


「俺に気取られないようになるには、まだまだ修行が足りないな」
「悔しいけれど、そのようね……」
「そっちの方は、さすがに気配は掴めないが、いるだろうと思ったよ」


 無言で立ち尽くす後ろの青年にそう言ってから、鈴桜は寄りかからせていた体を起こし、二人を振り向いた。


「お前達は他国の出身だが、ココに所属する以上、お前達も参戦することになるぞ」
「……あぁ。ココに所属している以上、この国を潰させるわけには行かない」
「そうね、バルディアなんかに倒されるわけに行かないわ」


 青年がはっきりとした声で言うと、少女も同じ思いでそう言って、クスクスと妖艶に笑った。






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