→→ Pastoral 10


「……そしてボクは……死んではまた誰かに憑依し、憑依しては死んで……あまりに長すぎる時間の中を、生きてきました。夕鷹と一緒に……」


 ココまで自分の記憶を語ってきた梨音は、過ぎ去った長い長い時間を想うように、ダークブラウンの瞳を静かに伏せた。
 しかし、次の瞬間、その目は見開かれていた。


「かはっ……!!」
「「「!?」」」
「イオンっ!? ちょっと、大丈夫?!」


 突然、胸を押さえて屈み込んだ梨音を見て、それを知らない椅遊、采、楸がぎょっとしたように彼を見た。発作のことを知っていた六香が、思わず立ち上がって叫んでいた。



      カ                  テ
           エ      シ



 ……声がする。コレは魂の声だ。この体の所有者である魂の、声。
 本当なら、返してあげたい。この体を、3年間も自分に体を乗っ取られている、この幼い少年に。
 しかし――、


(ごめん……ボクは、まだ……死ねない……!!)


「………………すみません……話、途中で」


 強くそう想ったら、不思議なことに、圧迫感がゆっくり引いていくのがわかった。こんなこと初めてだったが、とりあえず、前に倒していた体をゆっくり起こし、梨音は長い息を吐き出しながら言った。


「イオン……収まったの?早かったけど……」
「……はい……」


 ホッとしたように聞いてくる六香に、梨音は頷いた。いつもよりは軽かったから、そんなに体に負荷はかからなかった。それから、何が起きたかわからず置いて行かれている三人を見て、言った。


「……それで……さっきの発作が、話の続きなんですが……どうも、ボクの『永遠転生輪廻の環』は……不完全な形で発動していたようです。本来なら、完全に意識を乗っ取るのですが……ボクの場合、時たま意識の主導権を奪われそうになるんです……今みたいに」
「発作……?」
「……そうです。『聖と魔の予言神話ガリカエス』が傷ついて理が崩壊していたので……あの術もある程度、自分で作り直していましたが……さすがにテストはできませんでしたから。……仕方ないですね」


 ベッドの上に腰掛けた六香の言葉に、梨音は小さく頷いてそう言った。
 それから、采を挟んで向こう側のベッドに寝ている夕鷹を見た。相変わらず、静かに瞼を閉ざして眠っている。先ほどの別人のような表情は、微塵もなかった。


「……実は……バルストは、すでに十分すぎるくらい、回復しています……」
「……は?」


 今まで聞いた話を否定するような一言に、楸が変な声を上げた。


「……最初は、回復したら……ソーンを内部から壊させて、解き放つつもりでした。でも、夕鷹は……長い時間を生きるうちに……初めはなかった、自分の記憶を持つようになり、己の人格を作り上げていきました。……つまり……バルストとは、本当にまったくの別人格が、ソーンの表面でできてしまったのです」
「なら……ソーンが壊されてしまったら……夕鷹の人格も、消える」
「「っ……!!」」
「……そうです」


 同じ魔術師だから、すんなり理解できた采がぽつりと言うと、椅遊と六香が同時に息を呑んだ。梨音は静かに頷く。


「……ボクは、呪咒アバルゲを管理してきました。でも、いつの間にか……ボクは、呪咒アバルゲの調節役から、バルストの監視役になっていました」
「………………」
「……ボクが支えるはずだったのに……いつしかボクが、夕鷹の笑顔に支えられて生きていました。……リリアとの約束も果たせずに、ずっと笑えないでいるボクの……」


 途方もない時の流れの中で、たくさんの人々に出会い、そして別れるということを、幾度も繰り返してきた。いろんな話を聞いた。いろんな景色を見た。それらの経験から、夕鷹も何か感じていたのだろう。
 最初の頃は、自分の方がまだ人間らしいと思ったくらいだったが、いつの間にか夕鷹は、まるで別人みたいな笑顔で笑うようになっていた。
 時を重ねるごとに人間らしくなくなっているような気がする自分とは逆に、時を重ねるごとに人間らしくなっていく夕鷹。

 だから、ソーンを――夕鷹を、壊させたくなかった。バルストとの約束を違えていることは、百も承知だ。
 しかし……最後に決めるのは、夕鷹自身だった。


「……バルストは……内側から、ソーンを壊そうとする。でも……戒鎖ウィンデルがある限り、バルストにソーンは壊せません。そして戒鎖ウィンデルは……夕鷹が自分の意志で外さない限り、外れません。……でも……夕鷹は、外してしまった」
「外して、しまった……?」


 六香が訝しげに繰り返すと、梨音は少し考えるように黙り込んでから、違う方向から話を進めた。


「……戒鎖ウィンデルを外すと、夕鷹は、バルストの力を得ることができます。時折……身体能力が極端に上がった時があったでしょう。アレは……片方の《ウィンデル》を外した状態なんです。僕らは……片方の戒鎖ウィンデルを緩めただけの状態を『片方開放』……片方の戒鎖ウィンデルを外した状態を『片方全開』と……程度によってそう呼んでいます」
「あぁ……フィスセリア島のアレか」
「……アレは、『片方全開』……ですね」


 フィスセリア島で、〈金虎〉ルーディンを探してやってきた夕鷹と、采が戦った時。突然、夕鷹の動きが冴えて、采と相打ったのを覚えている。そういえば雰囲気も違った。楸はそれを思い出しながら、納得して頷いた。


「……戒鎖ウィンデルは、1つの鎖で2箇所封じています。それが、両目の金眼なんですが……戒鎖ウィンデルが完全に外れると、元々、バルストの一部であった夕鷹は……バルストの大きな意識に同化します。そして感情部ユタカは……バルストの記憶と思考を外部に伝える役割に戻る。……『夕鷹』という人格は、バルストの大きすぎる意識に呑まれてしまう……と言ってもいいですね。すでに、貴方がたは……見ているはずです」
「もしかして……それが、さっきの別人みたいなヤツ……?」
「……はい。戒鎖ウィンデルを完全に外した状態……『開眼』です」


 さっきのことを思い出したのか、ぞっとした顔で六香に問われ、梨音は首を縦に振った。

 また、バルストはソーンの感覚に鈍い。だから、死にそうな体でも無理に動かそうとする。
 加えて、ソーンの意識の器に入り切らない、バルストの大きすぎる意識はソーンを侵す。それに対し、ソーンは拒絶反応として吐血を起こす。その2つによって、さらにソーンが壊れる確率が上がってしまうのだ。


「……きっと、玲哉さんに、このままじゃ敵わないと思ったんでしょう。夕鷹は戒鎖ウィンデルを外し……そして、バルストを解放した。……今は、ボクが戒鎖ウィンデルを掛け直したので……落ち着いていますが」


 そう推察し、ふと、夕鷹の傍に、彼を心配そうに見つめる椅遊が目に入った。皆がコチラを向いている中、一人だけ、ずっと違う方を見ていた彼女。


「ところで……イオンは、大丈夫なの? ……その……」


 そんな椅遊の近く、夕鷹のベッドに腰掛ける六香が、言いづらそうに気遣わしげな表情で声をかけた。彼女はまだ何も言っていないのに、梨音には不思議と、言わんとしていることがわかった。


「……ボクは……大丈夫ですよ。生き地獄と言っても、これだけ長い時間、生きていれば……忘れたくないものでも、薄れていく。感覚が、麻痺してくる。……時間というのは……つくづく、怖いです。ボクは……喰らってきた命を……忘れちゃいけないのに」
「あっ……!」


 最後、梨音の言葉に重なるように、椅遊の短い声が上がったと思うと、



「―――俺のせいだって、わかってた」



 ……梨音の声を、引き継ぐようなタイミングで滑り込んできた声。それは、六香の背後でした。
 六香はもちろん、椅遊を除いた全員が驚いて振り向くと。菫色の頭が、だるそうに持ち上がった。
 上半身を起こしてから、1つ息を吐くと、虚ろに開いていた金の瞳を閉ざし、瞼の上から瞳に触れた。そして、そこに戒鎖ウィンデルの気配を感じると、ホッとしたように手を下ろす。


「ごめん梨音。手間かけさせた」
「……別に、いいよ。元々、それがボクの役目だから」


 静かに目を開きながら、そこにいるであろう梨音に言った。采のベッドを挟んで向こうの梨音は、そう答える。
 そして、そこでようやく彼は、金の瞳を周囲に向けた。――まず目に入ったのは、イスに座って、空色の瞳を見開いている椅遊。


「あ……椅遊……久しぶり。無事、だったんだ……」


 彼は元から、このプロテルシアに椅遊を助けに乗り込んだ。ようやく会えた彼女の姿に、夕鷹はのん気な挨拶とともに、ボロボロな姿でホッとしたように微笑んだ。
 ――そこにいたのは、さっきとは違う、いつも通りの夕鷹だった。椅遊はしばしそのままの状態で硬直した後、途端に表情をゆがませたと思うと、ポロポロ涙をこぼし始めた。


「え……? ……あぁ……さっきの?はは……そーだよな……やっぱ、怖い、よな……」


 突然泣き出した椅遊に、夕鷹は理由がわからず目を瞬いてから。すぐに思い当たった理由に、寂しげに微笑った。

 ――バルストと自分は、別人格だと、梨音サレスは言う。
 しかし、バルストの一部である以上、自分はバルストであり、バルストは自分でもある。
 現に、バルストと自分は、記憶を共有している。だから自分は、バルストの記憶も覚えているし、バルストは自分の記憶も覚えている。
 だから、バルストが怖いと言われて、自分が怖くないと言われても……納得できない。

 とにかく、肩を震わせて泣く椅遊をなだめようとして、ほぼ無意識に頭を撫でようと、椅遊の桜色の頭に手を伸ばしたら。触れる寸前で、ブンブン椅遊が首を左右に振った。


「…………った……」
「……?」
「……よか……った……ッ」


 もしかしたら、自分の知っている夕鷹はもういないのかもしれないと思ったら、急に怖くなった。それが今、反動になってあふれてきた。

 何が「よかった」のかわからないまま、呆然と椅遊を見ている夕鷹に、椅遊の隣の六香が、「もー馬鹿ッ!!」と声を上げた。


「ほんっと鈍いんだから!椅遊は、アンタが戻ってこないんじゃないかって心配してたの!でしょ?」
「そう……なの?」
「そーなの!ってゆーか、あ、アタシも同じ心配してたし……とにかく、わかるの!」
「……別に、無理しなくていーよ。怖かっただろ?ごめん」

「―――ふざけないでよッ!!!」


 瞬間、カッと熱が全身を駆け巡ったのがわかった。夕鷹の卑屈な態度が、ひどく不愉快だった。


「何で謝るの?玲哉に勝てそうになかったから、バルストに託すしかなかったんでしょ!? だから、自分で鎖を外したんでしょ!? なのに、何で謝るのよ!!」


 ……違う。
 早口でまくし立てながら、六香は自分の天邪鬼な言葉を嘆いていた。
 怒りたいわけじゃないんだ。自分の行動に自信を持てない夕鷹に腹が立ったのも事実だが、それは、恐怖心の裏返しだとわかってもいた。

 まだ飛び出そうとする言葉を呑み込み、大きく息を吸った。なんとか気持ちを落ち着かせてから、目を丸くしている夕鷹に、六香は再び口を開いた。


「……心配しなくても、誰もアンタを怖がって逃げたりしないわよ。……確かに……あの時は、怖かったけど……それは多分、アタシ達がバルストのことを知らないだけだって、アタシは思う」


 梨音の話を聞く限り、聖魔闘争の引き金を引いたのは、ルトオスだ。バルストは、数多の魂を守るために応戦した。だから悪い存在ではないと、六香は信じることにした。
 呆然と六香を見つめ返す夕鷹の手を、誰かが握った。見ると、まだ頬に涙の跡が残る椅遊が、自分の手を、両手で笑って握り締めていた。自分もそうだと、言わんばかりに。

 ポカンとした顔で二人を見てから。――夕鷹は、静かに微笑んだ。


「……そ、っか…………じゃあ……ただいま」


 いつもの綺麗な笑顔じゃない笑顔を、二人は……梨音ですら、初めて見た。
 苦しみや悲しみを押し殺した反動で綺麗な笑顔とはまったく違う、泣き出しそうな、でも本当に嬉しそうな、夕鷹自身の笑顔だった。





  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪





 ……とりあえず、申し訳に、コホンと1つ咳払いして。


「……水を差すようで……悪いけど……まだ、何も解決してないよ」
「鬼畜野郎が何処に行ったのかも気になるしな」


 絆を確かめ合ったような三人に、一刻を争う現実に戻ってもらうため、采は控えめに声をかけた。便乗して、楸も言葉をのせる。振り返った三人を見てから、梨音が話を継いだ。


「……そうですね……玲哉さんの目的が、椅遊さん自体を代償にした魔王召喚なら、またボクらの前に現れるはずですが」
「ま、大方、バルディア軍基地にでも戻ったんだろうな。アイツ、バルディアを目くらましに使うつもりみたいだからな」
「……目くらまし?」


 その単語を復唱して、梨音は不思議そうに楸を見た。しかし、すぐ軽く頭を振って、


「……いえ……それは、違いますね。召喚は、始まってしまえば誰にも止められませんから。目くらましと言うより……」
「あぁ?目くらましっつーのは、俺が勝手に考えたもんだが……なんだ、違ぇのか」


 アゴに手を当てて言う梨音に、タバコを吸いたいが椅遊がいるので一応遠慮している楸が、そのせいか苛立った声で言った。その言葉を聞き、采は目を丸くして楸を見て。


「そうだったの……?てっきり……玲哉から、聞いたのかと思ってた。……確かに、言われてみれば……おかしいね。……楸、何度も椅遊の召喚、見てるクセに……考えつかなかったの?」
「……お前、マジで殺すぞ?」


 今、言外に明らかに『馬鹿』の二文字が見えた。が、采は無自覚なので最高にタチが悪い。椅遊がおかしそうにクスクス笑っていたが、全然面白くない。

 まだ考え込んでいる梨音を一瞥してから、六香は夕鷹と采を見て言った。


「確かに、采の言う通りだけど……今は、まだ無理よ。夕鷹の傷がひどいし、それに采、アンタだって……」


 当然のようにそう言った六香を、采が驚いた顔で見た。その驚きように、六香が首を傾げる。采は、少し言葉を選ぶように間を置いてから、信じられないというふうに言った。


「……心配……してくれるの?僕達……仲間でも、ないのに」
「そーだけど、敵でもないでしょ?アンタ達も玲哉が敵なら、とりあえず同志じゃない?なら心配くらいしても、いーんじゃない?椅遊も心配でしょ?」
「うんっ……」
「余計なお節介だ」
「誰もアンタの心配してないわよ。アタシは采と話してるの。頭が固そーなアンタとは話してないわ」


 さっきの陽気な物言いは一体何処へ。途中で割り込んできた楸のくだらなさそうな声に、六香は、采と対する時とは打って変わって、冷ややかにそう返した。ピキッと、楸の顔が凍ったのが見えた。


「……っの女……喧嘩売ってんのか!?」
「売ってないわよ?気のせいじゃない?」
「ああああくそこのアマッ……!!」


 すげええ今頭に来た。限界来た。が、かろうじて残っていた理性で、コイツを殺したら後々不便だろうと判断する。やり場を失った怒りは、ドゴッ!!と、鉄製の壁に穴を空けるほどの力でぶん殴って、なんとか散らせておいた。

 戸惑ったように椅遊と六香を見ていた采は、どうしようか悩んだ後、小さい声で答えた。


「…………えっと……あり、がとう……心配、してくれて。僕は……大丈夫。……多分……」
「た、多分って……でも、ダイジョブなのね。夕鷹は……きゃぁ!?」
「「「っ!?」」」


 苦笑しつつ、夕鷹を振り向いた瞬間、攻撃的なまでの白光が彼の方から発せられた。完全な不意打ちに、六香はモロに目を焼かれてしまう。傍にいた椅遊、楸、采も同じで、顔を背けたが少し遅かった。梨音は気付いていないのか、もしくは何が起こるか知っているからか、見向きもしない。
 その中で、少しだけ皆より距離があった采が、なんとか視力を回復させ、目を細めて夕鷹を見た。

 白い、光の帯が見えた。それが何重にも広がって、たゆたっていたが、急に何かに引っ張られるように動いた。帯は、白光の中、かろうじて見えた夕鷹の影に向かっていき、吸い込まれるように消えていく。伴って、そこを覆う白光も光量を減らしていく。


「……あー……悪ぃ、何か言えばよかったなぁ」
「ま、まったくだわ……びっくりしたわよ!大体、夕鷹は……」


 すっかり光が消えてから、三人の様子にようやく気付いた夕鷹が申し訳なさそうに言った。三人を代表して、まだ少しチカチカする目で六香が夕鷹を振り向き、腰に手を当てて言って――、ふと、その声が途切れた。
 夕鷹は、何ものっていない手のひらを見つめて、少し残念そうに言った。


「ラトナ全部使ってこんなもんか〜……ま、ケガがなくなった分、いっか」


 夕鷹の服は、相変わらずボロボロだ。汚れも血痕もそのままだ。
 しかし――、玲哉の紫電にやられた、右肩のやけどに似たケガが、跡形もなくなっていた。よく見れば、肩の傷だけじゃなく、体のアチコチについていたただれも消えている。


「……夕鷹……アンタ、傷は……?」
「ん?あれ、聞かなかった?俺の体、全部聖力でできてるってさ。だから、体の奥バルストから少し溢れてくる聖力で、俺の傷って勝手に治ったりするんだけど」
「……つまり、聖力さえあれば……治る?」


 素直に驚いた感情を声に乗せて、采は知らぬうちにそう聞いていた。

 今までの話を聞いてよく考えてみれば、ソーンは、太古の最高の魔術。――つまり、夕鷹自体が、太古の魔術師サレスが構築した、最高の術式。
 ――敵わない、と。梨音を盗み見て、采は思った。
 自分は、神創術カルフィレアの理を組み上げるのが精一杯だったのに。この魔術師は……現在と同じ条件下の昔に、聖力のみで、人型を作り上げたというのか。


(……サレス・オーディン……本当に……凄い、人だった……)


 采の質問に、夕鷹は少し困ったような顔で「そーだけど……」と肯定してから、


「うーん……体の傷は真っ先に治るけど、治ってるのは、健康状態……かなぁ。治してるのは、ソーンだから。さっき、ソーン壊れそうになったっしょ?アレ結構やばくて、見えないけど、中の方がひび割れてるんだ。コレ、精神的にちょっとキツイんだよ……で、それをラトナで治そうとしたんだけど……治ったのは、3分の1……かなぁ」
「ラトナって……夕鷹が持ってた、聖力のカタマリってゆー、あの石だっけ?」
「そーそー。緊急事態の時にって、逢花オウカからもらったんだ。……あ、逢花ってのは、ずーっと昔にサレスが憑依してた女の子ね」


 問われる前に、自分の言葉に説明を付け加える夕鷹。――もしかして彼は、サレスが憑依した者達すべての名を憶えているのだろうか。
 その「逢花」という言葉に反応したのか、そうではなかったのか。思案にふけりながらも話を聞いていたらしい器用な梨音が、ふと夕鷹を見て、聞いた。


「……夕鷹、その軋み、どのくらい?」
「治るのは、結構かかるなぁ……ちょっとくらいなら行けるかもしんないけど、調子こいて『片方全開』とかしたら壊れそう」
「……それくらい、バルストの意識の大きさに耐え切れない……ってことか……」


 つまり今、夕鷹は戒鎖ウィンデルを外せない。これは大きなハンデだった。普段の夕鷹が決して弱いという訳ではないが、それでは玲哉には敵わない。だからこそ、彼は戒鎖ウィンデルを外したのだから。

 ――玲哉の考えがわからない。目的はわかったが、バルディア軍部に入って一体どうしようというのか。
 それに、なぜ楸が「目くらまし」という結論に至ったかも気になる。目くらましと言うからには、椅遊の完全版魔王召喚と同等、もしくはそれ以上の大きな出来事でなければならない。
 そんな出来事を、バルディア軍部、、を利用して起こす――。



 ……いつも伏せがちな瞳が、ゆっくりと、見開かれていく。
 梨音はこの時、自分が思っている以上に、ひどく愕然とした顔をしていた。


(…………ま……さか……)










 ―――大地が、轟いた。
 梨音の予感を裏付けるように、遠くから響く轟音。


「なに、この音……?」


 六香が気付いて、外を見ようと窓を探した。しかし、部屋の何処にも窓はない。そういえばこのプロテルシア内で、窓は一度も見かけていない。完全な密閉施設のようだ。

 嫌な予感に弾かれるように、梨音は体を動かそうとした。だが、先ほどの戦闘の傷と発作の疲労とで、飛び起きることができなかった。走るのは……今は、ちょっと無理かもしれない。


「梨音?」
「夕鷹っ……!嫌な予感がする、高いところから、様子を見てきて……!!」
「おう、わかった!」


 よくわからなかったが、蒼白な梨音の様子を見れば、ただごとじゃないとすぐ知れた。長年ともにいる親友の頼みに、傷を完全に治した夕鷹はベッドの上から飛び降りて、屋上へと駆け出した。


「……って、屋上何処だ〜!?」


 威勢良く飛び出してきたはいいが、しばらく廊下を走ってから、ようやくそれに気付く。そのせいで、自然と足が止まってしまう。
 急がなければいけない気がした。気持ちだけが逸る。何処かに地図でも描いてないだろうか。地図があっても見方がわからない可能性大だが。


「おい紫頭ッ!! 早くしやがれ!!」
「へ?! あ、ああおう!?」


 すると突然、背後から楸の声が、鉄の廊下を反響して聞こえてきた。びっくりして振り返り、楸の姿が見ると、彼は荒っぽい動作で自分の隣を指差した。よくわからないが、「来い」と言われているらしい。
 指示されるまま、楸のところへ駆け寄ると、チーンと横の壁の方から高い音がした。何?と見てみると、そこの壁が左右に綺麗に割れた。向こう側は、縦の長方形にくぼんでいる。そこに楸は入り、壁を人差し指で押す。


「……何やってんの?」
「……お前、エレベーター知らねぇのかよ……いーからとっとと乗れ!」
「??」


 首を傾げながら、楸がいる、くぼんだところに夕鷹も入る。中に入って見てみると、楸が押していたのは何かのボタンだった。楸がボタンから指を離すと、左右に割れたはずの扉が再び閉じようとする!


「ぇええ!?? 閉じ込められる〜!!」
「だああめんどくせぇ奴だな!! 大人しくしてろ!屋上行くんだろ!!」


 慌てて外に出ようとしたら、楸に阻止された。襟首を引っ掴まれて後ろに投げられ、床にどさっと座り込む。夕鷹の目の前で、ドアは無情にも閉じた。それを見届けると、体がぐんっと持ち上がるような感覚がする。


「……コレ、屋上行くの?」
「っつってんだろ」


 立ち上がりながら聞くと、楸はぶっきらぼうにそう返した。自分より少し高い大柄な楸を、夕鷹が驚いたように見ていると、視線に気付いた楸が横目で見てきた。


「ジロジロ見てんじゃねぇよ」
「えっと……楸、だっけ?アンタも様子見?」
「別に見なくても、大体想像はついてるがな」
「……ははーん。ってことは、別に見なくてもよかったわけ?」
「まぁな」
「ははっ、なのに来たんだ、そっか〜。アンタ、けっこーいい奴だなぁ」
「はぁ?つーか馴れ馴れしく触んな!」


 意味がわからなさそうな楸の肩を、夕鷹はポンポン叩きながら笑った。すぐにその手は煩わしげに払われたが、夕鷹は意味ありげな笑みを浮かべたままだった。










 チーンとまたあの音がして、ドアが開く。その途端、滑り込んできたのは風だった。ココは紛れもなく外だ。
 ドアが開くと同時に駆け出していた二人の目に、正面の荒野の地平線が映った。――そして、そこに見えた影に、夕鷹は目を疑った。


「……マジでやってんのかよ、あの野郎……」


 隣から低い楸の声が聞こえ、彼の手すりを掴む片手に力が入ったのが視界の隅で見えた。しかしそれだけで、夕鷹は何も言えなかった。

 地平線の彼方を覆う、黒いもの。それは、蠢く無数の人影だった。
 それから、その中に混じって見える、人影よりも大きな山のような影。もう1つ、一見、鳥のようにも見えるが、距離を考えると、実際は人よりずっと大きいだろう飛ぶ影。
 地面を震わせる音は、それらが弾を放つ度に響き渡っていた。

 コレは――
 この光景は……、


「……戦、争……してる……?」





 ―――かくして、歴史は繰り返される。






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