→→ Canon 8

 夕鷹と六香は、息を切らせてプロテルシアの通路を走っていた。
 会話はない。お互いの苦しそうな息だけが、二人の間に響く。
 六香よりも、夕鷹の息の方が荒かった。彼は全体的に黒く煤けており、右手で六香の腕を掴んで、左手でジャケットの上から肩を押さえて走っていた。


 二人が、玲哉に遭遇した時―――










 同じ色をした瞳が、交わる。
 温かな光と、冷たい光。


「俺、自分以外の金眼者バルシーラって初めてなんだ。ちょっと嬉しいな」
「あ……うん……」


 臙脂色の髪の青年が、にこやかな笑顔で言ってくる。夕鷹は呆然とした顔で、そう答えた。


「君って、フェルベス出身なんだろ?フェルベスって、金眼者バルシーラ嫌ってるよね?差別されたりして、つらくなかった?」
「うん、まぁ……」
「そーじゃないでしょ、夕鷹っ。い、いきなり出てきて、アンタ誰よ?」


 見知らぬ青年の問いにホイホイ答えている夕鷹に代わり、少し緊張しながら六香が青年に聞いた。青年は「あぁ、ゴメンゴメン」と笑って答える。
 無論、聞かずとも、彼が誰なのか、大体予測はついている。六香は、些細な行動も見逃さないようにと、青年を凝視する。
 そしてその目は、発せられた彼の言葉に見開かれた。


「俺は、五宮玲哉。現猟犬ザイルハイド総帥で、バルディア軍中佐だよ」
「ば……バルディア軍中佐……!?」
「君……真琴六香だっけ?もしかして、バルディア出身?エレベーターのことも知ってたみたいだし」
「そ、そーよ!ってゆーか、どーゆーことよ!中佐は……っ」
「秦堂華世カヨなら解任されたよ」


 玲哉の口から飛び出た名前。……海凪の母だ。
 ライフルの名手で、有能な敏腕家だと聞いていた。海凪がいつも、誇らしげに語っていたのを覚えている。
 その彼女が、解任された……!?


「ウソッ……!? でもっ、雨見参謀はそんな人じゃ……!」
「へぇ、紫昏のことも知ってるんだ。紫昏って、地位が地位で、自分の感情を殺さなきゃならないから可哀想だよね。今、バルディアはフェルベス侵略を企んでるだろ?だからやっぱり、バルディアは戦力がほしくてね。俺が入りたいって言ったら、前向きに検討してくれたよ。それで、秦堂華世を解任せざるを得なくなったわけさ」
「ッ……!!」


 猟犬ザイルハイドだけに留まらず、バルディア軍にまで手を出していた玲哉に、六香は激しい憤りを覚えた。まるで、世界が自分を中心にして回っているような、そんな態度が許せない。――しかし、ホルスターの愛銃に伸びている指先は、小刻みに震えていて。

 もっと実戦経験が浅かったら、気付けなかったかもしれない。
 悠長に話しているように見えて、その立ち振る舞いに、隙なんてカケラもないことが。
 自分なんて、きっと、そんな彼から見れば隙だらけなんだろうと言うことが。
 ――敵わないと、悟ってしまった。


「……あのさ」


 不意に、黙り込んでいた夕鷹が口を開いた。うつむいていた顔を上げ、玲哉の、自分と同じ瞳を見つめる。
 いつもは笑みが浮かんでいる表情が、まるでなかった。感情との関係を完全に絶った顔。顔の筋肉を一切動かさなければ、こうなるのだろうか。


「椅遊が何処にいるか、教えてくれる?」
「ふーん、俺と戦う気はないのか。賢明な判断だね。でも、それは教えてあげれないな」
「じゃあ、自力で探すよ。そこ、退いてほしいんだけど」


 「残念でした」と肩を竦めて夕鷹の反応を窺っていた玲哉の表情が、凍りついた。
 ――今のは、「お前なんて眼中にない」に等しい言葉。
 玲哉の優しげな微笑が消滅し、続いて現れたのは、残酷な冷たい表情。
 パリッ、と何かが弾けるのが聞こえる。


「……あぁ、今、何も持ってないんだった。素の方だと、手加減できないんだ」


 パリパリ、バチバチと、次第に音が増えてくる。
 口調だけはそのままに、氷のような目をした玲哉は、夕鷹を見据える。


「言い方には気を付けなよ? ……手遅れだけど」


 付け加えるように玲哉がそう囁いた直後、弾けるように玲哉の体から大量の紫電が発生し、彼を取り巻いた。
 そして、人差し指を向けた。夕鷹――いや、六香に。


「君には、まだ生きていてもらわないと困るんだ、二ノ瀬夕鷹」


 その直後、玲哉が放った雷撃が六香に牙を剥き――夕鷹がそれをかばって逃走し、今に至る。





  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪





 玲哉が追ってきているのかと聞かれれば、微妙なところだった。ただ、彼から少しでも離れたかった。
 玲哉の紫電のせいなのか、蛍光灯がまばゆいばかりに光っていて、さっきまで薄暗かった、自動ドアに溢れた通路を煌々と照らしていた。

 顔が見えないからか、言葉がないからか。
 走る度に毛先が揺れる、夕鷹の菫色の頭。六香は、ひどく不安だった。
 何が不安なのかと聞かれると、言葉に詰まる。夕鷹の傷が心配なのか、それとも、普段は見ない夕鷹の無表情を見てしまったからなのか。とにかく、心が落ち着かなかった。


「はぁ……っ、そろそろ、いーかな……」
「ゆ、夕鷹っ……!ダイジョブ!?」


 大きく息を吐き出して、夕鷹は通路の角を曲がって速度を落とし、唐突に言葉を発した。そのまま壁にもたれかかり、ずるずるとそこに座り込む。
 六香が傍にしゃがみ込み、夕鷹のジャケットをはいで傷口の様子を見ると、肩のところがやけどをしたみたいに赤く腫れ上がっていた。外見はそれほど大きい傷ではないが、全身に電流が走ったのか、夕鷹はぐったりとしていて力ない。


「か、雷だから、コレ、やけどの分類よね……!? 何か、冷やすものっ……!!」


 六香はパニックに陥りながら、そう思って通路の先に目をやるが、この鉄の建物の何処にそんなものがあるのかなんて、見当がつくはずがなく。
 探しに行くしかないと思った。しかし、いつ玲哉が来るかもわからないのに、こんなところに夕鷹を放置していくわけにもいかない。


(お、落ち着けアタシ。…………よし。とりあえず、そこのドアに避難よ!玲哉だって、イチイチ全部の部屋探すわけないし!それからアタシが、冷やすもの探しに行けば……っ!!)


 周囲を見た際に、自分の背後に自動ドアがあることに気付いた。それを見ながら頭の中で状況と心を整理して、六香は、立ち上がるのもつらいであろう夕鷹に、自分の肩を貸そうとした。















 『走るんだっ!! ずっと、ずっと遠くに!』

 『い、嫌ぁッ!兄達も……!!』

 『早くしろッ、このボケ!! お前なんか大っ嫌いだ!!』

 『……っ!!』





 『アタシの……せい……?』















(……え)


 ――今、脳裏にフラッシュバックしたのは。

 忘れかけていた記憶。一瞬だけなのに、ひどく目に焼きついて。
 さっきの、揺れる菫色の髪。背中。
 顔が見えない状況。


(……あの日と、同じ……)


 兄達の後姿を、見ていただけで。


(アタシの……せいだ……)


 今も、夕鷹の後姿を、見ていただけで。
 いつも、かばわれる側で。
 アタシは、何もできていない。

 ―――自分のせいで、大切な人達が傷つくなんていうのは、もう嫌。


(なら……)


 六香は、静かに右のホルスターから銃を抜いた。ずっと使ってきた愛銃は、吸いつくように自分の手の内に収まる。
 そのまま、自分の右耳の辺りまで持ち上げる。――銃口が向いているのは、自分の蜜柑色の頭。

 さっき、玲哉と対峙した時は、彼の圧倒的な強さに怯えて、銃すら抜けなかった。
 それなのに今は、その怯えすらなく、あっさり銃を抜いた。すっと目を閉じて、暗闇に意識を沈める。
 不思議と、怖くなかった。自分の行く先を、あまり想像していないからかもしれない。ただ、迷惑をかけずに済むということだけで、何処か安心しているような気がする。

 きゅっと、トリガーにかけた人差し指に、力を込める。

 痛みだけが残って、自分は消えるんだと思った。










  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪










 ―――感じたのは、痛みじゃなかった。

 手首を乱暴に掴まれた感覚。その拍子に照準がズレて、銃声とともに放たれた弾は六香のすぐ頭の上を通過して、天井に小さな穴を掘った。
 掴まれた時に目を開いた六香が、驚いた顔で夕鷹を見るより先に、彼は掴んだ六香の手首にさらに力を込めた。手加減する余裕もないのか、遠慮ない握力に、六香は痛みに表情を歪めて銃を落としてしまう。


「……起きて、よかった」


 ガシャン、と銃が落ちる音がしてから、夕鷹はぽつりと言って手を離した。それから、突然の出来事に呆然としている六香に向かって、弱々しい声で言う。


「何、やってんの……六香……」
「……ぁ……」
「六香の、せいじゃないよ……」
「で……でも、夕鷹……アタシ、何も……何もできなくて……足手まといに、なって……ばっかでっ……」


 ……悔しくて。
 ココに来るまでに、自分が役に立ったことなんてあっただろうか?
 椅遊よりも、そこそこ役に立つ自信があった。しかし実際、何の役にも立ってなくて、むしろ、詠唱し始めただけで恐れられる椅遊の方が役に立っている気さえして。
 何度も何度も、泣いちゃダメだって誓ってたのに、どうしてこう自分は涙もろいんだろう。


「……足手まとい、なんかじゃないよ。何か、できるとか……できないとか……そんなの、どうでもいーんだよ……。六香は……俺の、大切な仲間だから。椅遊も……梨音も。なくしたく、ないって……思うの、当然だろ?だから……生きてて、ほしいんだ」


 うつむいてぽたぽた涙を落とす六香に、夕鷹は小さく微笑んで言った。六香は涙を手で拭いながら、顔を上げた。
 煤にまみれていても、彼の微笑はやっぱり綺麗で。この優しいその笑顔に、一体幾度、救われたことか。


「う〜、夕鷹のバカぁ〜!アタシ、ホントはっ……泣いちゃダメなんだから〜!」
「あ……そーだったの?でも……泣き出したの、六香じゃん……」
「だって……夕鷹が、感動するコト……言うから!」
「うーん……でも、感動した時くらい……泣いちゃえよ」
「うん……うんっ!」


 しゃっくり混じりにそう言うと、夕鷹はそう提案してきた。涙を拭い切れなかった六香は、泣きながら二度頷いた。
 いつもの明るさを取り戻した六香を見て夕鷹は安心して、壁に手をつきながらゆっくり立ち上がった。いきなり動き出した夕鷹に、思わず六香が伸ばしかけた手を、夕鷹は彼女の瞳を真正面から見ることで制した。


「ココに、ずっといたら……アイツが……」


 と、そこで、夕鷹は不意に表情を曇らせた。アゴに手を当て、少し考えてから。


「…………えっと……名前、なんだっけ?」
「五宮玲哉よっ!もー、嫌でも聞いてる名前でしょ!? 覚えてないの?!」
「うん、覚えてない……嫌な奴は、名前、覚えないから」
「聞いてないわよ……ってゆーかまさか、ソレ自慢のつもり!?」
「あれ、コレ自慢なんだけどなぁ……違うの?」
「全然違う!むしろ、ただの得意技よ!」


 苦しそうにしているのに、口はいつも通りだった。ついつい六香もいつも通りに言い返す。
 そのおかげで、少し緊張が解けた。夕鷹はそこに寄りかかって少し休んでから、壁を這うようにして曲がり角から通路を覗いた。明るくなって見やすくなった通路に、人影はない。


「六香は……先に、椅遊を探してて。俺は……アイツ……玲哉を、足止めしてるから。その間に……頼んだ。あんまり、長く……止められないかもしんないけど……」
「な、何言ってんの!? 大体夕鷹、アンタ、さっきの傷がっ……!」
「大丈夫だって……すぐ、動ける程度には、なるよ……」


 顔を正面に戻し、夕鷹はジャケットの上から傷を押さえて言った。そのセリフから、六香はふと、この間のことを連想した。

 フェルベスのシーヴァから、イースルシアのパセラへ向かう途中の村。青柳の家に泊まった夜。月下で見た、ほとんど治癒した傷跡。


「そ……そんなこと言わないでよッ!! それじゃ、夕鷹がっ、まるで……まるで……っ」
「人間じゃないみたい?」
「……っ……!!」


 その予感に怯えて躊躇した六香の言葉の先を、夕鷹が読んでそう続けた。
 口にすることさえためらった、その言葉。そう思った自分を認めるのが怖くて、六香は頷けなかった。


「あはは……六香、びっくりしすぎ。……今、初めて思ったことじゃないんだろ……?」


 ――彼の、言う通りだった。
 ずっと、思っていた。でも、ずっと否定し続けていた。……そんな気がする。

 夕鷹は笑ってから、曲がり角にもう一度、目を向けた。
 そして、その時――その横顔から、笑顔が消え失せた。


「椅遊、探し……任せた。傷も大丈夫だし……簡単には死なないよ。―――俺は、人間じゃないから」


 そう言い捨てるなり、夕鷹は六香の声を聞く前に角から飛び出し、来た道を疾走して戻り始めた。





  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪





  『簡単には死なないよ』


(―――どうして)


  『俺は、人間じゃないから』


(どうして……否定しないの……?)


 一瞬でいなくなった夕鷹がさっきまでいた壁を見つめたまま、六香はそんな思いでいっぱいになった。

 拒まれるとか、嫌われるとか。一切、考えなかったのだろうか。
 そんな簡単に、「自分」を否定して。


(怖く、なかったの……?)


 否定されたら、自分も笑って水に流したのに。
 ――肯定されたら、どうすればいいのかわからない。


「……最悪だ。女かよ」


 そんなことを考えていたから、気付かなかった。


「つーかお前、この距離で気付かねぇってのも、どうかと思うぞ」
「っ……!!」


 不機嫌な男の声が、ほとんど真後ろから聞こえた。六香はばっと身を翻しざま、残っていた左の銃をホルスターから引き抜いて、銃を片手で構えつつ、その動作だけで開けれるだけの距離を置く。
 漆黒の髪と、赤い瞳の男。背負った大剣の柄が、背後から覗いている。フィスセリア島でも会った魔族――飛鳥 楸。

 銃口は、狙った通り、完璧に楸の眉間を向いていた。しかし、それは楸が微動だにしなかったからで、彼が何か行動を起こしていたら、こういう状態になっていたのは恐らく自分だっただろうと内心で思う。


「まぁ、あの紫はアイツ担当だろうし、ガキは冷血女担当だろうし……結局、残ってるのはコイツだけか。やりづらい上にかったりーな……」
「あ……アンタっ、一番最初に襲ってきた……楸……とか言ったわよね?」
「あぁ? ……ぁあ……そういや名乗ったな。よく覚えてんな……」


 六香は、一度会った相手の名前、容貌、武器などの情報は、しっかり覚えている。これでも、一応密偵だった者だ。
 それに対して、楸はほとんど夕鷹達の名前を覚えておらず、覚えているのは印象に残った特徴くらいだ。梨音の名前だけは、天乃と同じなので少し覚えているが。
 彼にとって、相手の名前なんてどうでもいいものであって、つまり、くだらないものに分類されるわけだ。だから、どさくさに紛れて名乗った……というか、名乗らされた自分の名前を律儀に覚えていた六香は、逆の意味で楸を感心させた。

 楸は、突きつけられている銃を上目遣いに一瞥した。


「一発でココに銃口向けれるだけの腕があるなら、まぁ大丈夫か……」


 この男なら、銃口を向けられるより先に動くことができただろう。それをあえてしなかったのは、どうやらコチラの技量をはかるためだったようだ。
 楸は、おもむろに大剣の柄に手を伸ばした。自分のその動作に六香が動揺する様子が、空気を伝ってきた。

 ――銃口は向けた。しかし自分に、引き金を引く勇気なんてあるわけなかった。
 今更、それに気付いて戸惑う六香の目の前で、楸は柄に手をかけて――出し抜けに、目を閉じた。

 視覚が遮断され、自然と意識が外界に向く。目を閉じた自分を六香が訝しがるのが、気配でわかった。
 柄を握る手に力を込める。

 ピンと張りつめた、一瞬の静寂。


「!! くっ……!?」


 その緊張感で、危機を察した。銃口を向けている方が優位というレベルじゃない。全身が訴える危機感から、六香がほぼ無意識に後ろに飛び退いて。


「居合い」


 鏡のように静かな水面を揺らした、一言のすぐ後。
 大剣の鈍い光が唸り、一瞬で、目の前の空間を一刀両断した。剣先が鼻の頭を掠め、裂かれた空気がわずかに六香の髪に触れた。余剰の力は床に叩きつけられ、そこは簡単にへこむ。その近くに落ちていたもう一丁の銃が物凄い勢いで吹き飛ばされて、六香の足元にまで滑ってきた。
 ――コレが自分だったら、即、あの世行きだったに違いない。そう思うと、どっと冷や汗が噴き出した。


「……かろうじて避けたな。ならまぁ、戦っても大丈夫か……言っとくが、俺は冗談抜きで手加減できねぇからな」


 くぼんだ床から大剣を持ち上げ、楸はそれを肩に担いで、向かいの壁に背中でへばりついている六香に言った。
 しかし、その言葉は彼女には届いていなかった。六香の意識はすべて、へこんだ鉄の床に注がれていた。


(こ……こんな奴に……勝てるの……っ?)


 へたりこんでしまいそうになる体を壁に預けている六香の耳の奥で、鼓動が早鐘のように鳴り響く。





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