→→ Canon 1

 コンコン、とドアがいい音を立てた。


「ん〜……誰?」


 バルディア帝国、軍人養成学校の寮の、玲哉に割り当てられた部屋。何もすることがなく、頭の後ろで手を組んでベッドの上に寝転がっていた玲哉は、天井を見たままだるそうに返事をした。
 どうせまた、紫昏の言付けを預かってきた下級兵士か、食事を持ってきた女性だろうと思って時計を見やる。まだ食事には早い時間だから、多分、今回は前者だ。

 パタン、とドアが閉まる音がした。ドアの方に何気なく目を向けて、玲哉は、そこにいた予想外な人物に「あ」と声を上げ、飛び起きた。
 彼を訪ねてきたのは、肩くらいまであるオリーブ色の髪と、淡色の蒼い瞳の上に赤縁のメガネをかけた人物だった。


「五宮玲哉。貴方に話があります」
「ってことは……決まったんだ」
「……そうです」


 今回は、下級兵士ではなく、紫昏本人だった。玲哉の嬉しそうな声とは反対に、彼は少し苦い表情でそう答えた。


「……正直、自国の者としては、他国の貴方を迎えるのには抵抗があります。しかし、こうなった以上、私は貴方を歓迎しましょう。……バルディア帝国軍中佐、五宮玲哉殿」
「中佐?いきなり?」
「私の判断です。中佐には、副官が付きますから」
「あぁ……それで、俺を監視するってわけ」
「察しが良くて助かります。なので、疑わしい行動は謹んで下さい。ちなみに、その副官を殺そうものなら、中佐の地位を剥奪します」


 またか、と玲哉は呆れたように息を吐いた。玲哉が何かを思った時、紫昏はさらにその先を予想して、一足先にそこに釘を刺して自由を奪っていく。これほど規制が厳しいのは、自分くらいのものだろう。
 玲哉は、また深い溜息を吐きながら面倒臭そうに赤髪を掻いて、紫昏の蒼い瞳を見た。


「……ぶっちゃけ、俺、かなり信用ないでしょ?」
「ええ、気付いてもらえて幸いです」
「何で?」


 やりにくいといったらこの上ない。玲哉が訳を聞くと、紫昏は少し逡巡してから、静かに話し出した。


「……貴方は、強い。すでに、この世の者の限界を超えていると思います。しかし、その強さは、いずれ、貴方自身を含め、すべてを滅ぼしてしまうでしょう。その歯止めも兼ねて、です」
「ふーん……で、結局、あんたは俺が嫌いなの?」
「嫌いです。しかし、我が軍に入る以上、死なれても困ります」
「はは、戦力は削ぎたくないんだ。そういうの、嫌いじゃないよ。第一、俺もそんなもんだしね」
「何の話ですか?」
「フフ、秘密」


 立場は逆だけど。と、玲哉は笑いながら、楸のことを思い出した。
 楸は玲哉を、これ以上はないというくらい、ひどく嫌っている。これは、すでに玲哉も承知していることだ。むしろ、その反応を楽しんでいる。
 しかし、なぜ彼は、そんなに玲哉が嫌いなのか。これは、忠犬の采も知らない。

 飛鳥楸。バルディアで、この名を知らない者はいない。
 今は珍しい生粋の魔族であり、ある町を壊滅させた、帝国の大罪人だと。
 しかし、真実は違う。それを、誰も知らない。――楸と、玲哉以外は。





 おかしくて、仕方なくて。
 みんな、手のひらの上で踊り狂っている。
 あまりに滑稽で、笑いがとまらなくて。


「ねぇ紫昏。世界ってのは、単純で、脆弱で、愚かだと思わない?」





  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪





  『貴方にこの仕事を頼むのには、不安が付きまとうのですが……彼に対して、気を許さないで下さい。何度も言いますが、あの男は、危険です』


 さっきから、昨夜、紫昏に言われた言葉が頭の中でループしていた。
 首都ビアルドにある、お気に入りのアイス屋のカフェテラス。そこの四人用の白いテーブルを一人で陣とって、これまたお気に入りをチョイスしてきたダブルアイスのコーンをぱくつきながら、バルディア帝国軍中尉・芽吹未亜メブキ ミアはいろいろ考えを巡らせていた。


(ってゆーか、危険とか不安とか言うんだったら、アタシにしなきゃよかったのに……あ、もしかして!あえて参謀がアタシを選んだのは、アタシが優秀だから!? アタシってば期待されちゃってる〜!?)


 未亜は内心のニヤニヤとした得意げな表情を隠しているつもりだが、それは思いっきり顔に出ていた。未亜の気持ちの高揚に比例して、コーンを食べる早さも増していく。一緒に、高くツインテールにした紅桃色の長い髪も調子良く揺れる。
 未亜は、17歳にしてはやや低めの身長だ。それに合うサイズがなくて、今、着ている黒の軍服は若干ぶかぶかしている。
 着せられているといった方がしっくり来るその格好に合わせ、焦茶色の瞳が無邪気に喜ばしげに輝いているのだ。誰が見ても、実年齢相応には見えなかった。

 最後に残ったコーンの尖った先を口に放り込んで、それを味わいながら、未亜は脱線しかけた思考を元に戻した。


(危険な人……かぁ。アタシじゃ、やっぱり相手にならないんだろーな……短気な人だったりしたら、どーしよう?怒らせちゃったら、即行あの世行きじゃんっ!ひゃあぁ〜〜、短気な人じゃありませんよーに!)


 そこそこ、自分には自信がある。……特に、逃げ足の。
 戦えないこともないが、中将の儀煉然ギレン ゼンや少佐の陽城朱羽ヒシロ アゲハなどの上司達にはまるで敵わない。

 そして今回。他国出身で、突然、中佐の地位に任じられた人物。――それだけで、すでにただ者ではない。
 未亜が、まるで誰かを呪っているかの如く、必死な形相で手を組んで神頼みをしていると、


「願い事?」
「ふえっ?」


 誰もいないと思っていた前の方から声をかけられ、目を瞑っていた未亜がびっくりして目を開けた途端、自分の正面に、まるで当然のようにイスに座って頬杖をついている青年が目に飛び込んできた。


(えっ、ウソ……!? 近付いてくる気配とか、全然)


 いきなりの青年の登場に、未亜がうろたえていると、彼は面白そうに笑って言った。


「びっくりした?」
「そ、そりゃもう……!全然、気付きませんでした……!」


 儀煉や朱羽が相手でも、かろうじて気配は掴める。しかし、今は、本当にまったく気付くことができなかった。しかも、自分が目を閉じている間に――神頼みをしていた、あの短い間に。
 そこで未亜は、はっとさっきまで自分が考えていたことを思い出した。


(え……も、もしかして……)


 改めて、目の前の青年を見た。サラサラとした赤い髪に、煌く『金の瞳』。少し先の尖った耳。軍服ではない、黒いジャケット。


「……えっと、もしかして……貴方が、五宮玲哉さん……ですか?」
「あぁ、話は通ってるんだ。うん、そうだよ」


 と、玲哉はあっさり首を縦に振った。それでも未亜は、現実に目を白黒させるだけだった。


「ほ……ホントに玲哉さんですか?冗談じゃないですか?誓えますか?!」
「うん、誓えるね」
「……ホントに、からかってませんか?」
「別に?紫昏もだけどさ、そんなに俺って疑わしいの?」
「そ、そーゆーわけじゃないんですがッ!」


 危険な人物だと聞いていたから、物凄く愛想が悪くて、凶暴な雰囲気の人かと思っていた。しかし、現れた張本人は、その想像とは正反対な、とても優しげな青年。凄まじいギャップに、騙されているんじゃないかと思わずにはいられなかった。
 とりあえず、近寄りがたいオーラを放つ人物ではないことに安心した。肩の力を抜いてから、未亜は自分が名乗っていないことに気付き、慌てて、思わず立ち上がってびっと敬礼をして、


「は、初めまして!アタシ……わ、私は!バルディア帝国軍中尉の芽吹未亜です!今後、中佐の副官として務めさせていただく者です!よろしくお願いしますっ!」


 マジメに決まった……と思ったその矢先、勢いよく深く礼をしたせいで、ゴ ンッ!!と白いテーブルに強く頭をぶつけた。


「……〜〜〜〜っっっ」


 周囲からの、たくさんの視線。未亜は恥ずかしさのあまり、声もあげられぬまま額を押さえてストンとイスに落ち着いた。
 玲哉は、それまでの彼女の動作に反応することもできず、ぶつけたところを押さえている未亜を少しの間、凝視してから、小さく笑い出した。


「大丈夫?」
「だ、だいじょうぶです……慣れっこですから……」


 未亜は痛みの収まってきた患部を摩りながら、そう言った。調子に乗りやすい上に慌てん坊な性格が災いして、こんなことは日常茶飯事だったりする。


「中佐じゃなくて、玲哉でいいよ。俺も、未亜でいい?」
「あ、はい!中佐……じゃなくて、玲哉さん!」


 未亜が訂正して言うと、玲哉は「そうそう」と笑って返した。


(なーんだ参謀、そんなに危険ってわけでもないじゃん)


 人当たり柔らかな玲哉は、紫昏の話していた玲哉像には当てはまらなかった。未亜は、変なの……と思いながら、気になっていたことを聞こうとした。


「そーいえば、玲哉さんは、イースルシア出身って聞いてるんですけど」
「うん、亡命してきたクランネと、イースルシアに住んでた魔族の混血だよ」
「あ、だから耳がちょっと尖ってるんですね!」
「そうそう」


 ポンと手を打って納得する未亜に、玲哉は笑って頷いた。


「今、魔族はほとんどいないから、純血の魔族は俺達の中でも珍しい方なんだよ」
「あ、ソレ、ずっと気になってたんですけど、何で魔族って減ってるんですか?」


 これは、公でも謎に包まれたままだ。それは、魔族がめっきり姿を見せなくなったからだが。
 これはチャンス!と未亜が期待しながら聞くと、玲哉は心当たりがあるらしく、「あぁ……」と言った。


「なんか結構昔から、魔族同士の殺し合いは、お決まりっていうか、当然って感じらしいね。理由はよくわかんないけど。でも魔族って戦闘能力高いから、自分が一番強いって考えの奴が多いし、まぁそうなっても仕方なかったと思うよ」
「へ!? ど、同族で殺し合い!?」
「うん」


 『殺し合い』という言葉にも動じず、玲哉はただ頷いた。その冷静さに未亜は妙な不安を感じて、


「……も、もしかして、もしかしてなんですけど……玲哉さんも、参加……してたりしますか?」


 怖々、聞いてみた。
 ――紫昏が言っていた、『危険』というのは、こういう意味だったのか?
 その危険な人物の副官に任命された自分の使命は、この男の監視。怖くても、それを確認しなければならない。

 傍目から見てもわかるくらい脅えた様子で聞いた未亜とは対照的に、玲哉はあっさりと答えてくれた。


「してないよ」
「で、ですよね〜」
「興味はあるけどね」
「そーですかぁ、安心しました…………って、え??」


 思わず聞き流してしまった言葉を振り返り、未亜は玲哉を見た。驚いて自分を見た未亜に、玲哉は笑いかけ、


「強い奴がいたらいいな、って話」
「……そ、そーですか……」


 とりあえず、本当のことを言った。魔族に楸くらい強い人物がいたら、もっと楽なのになぁ、というのが本心である。
 しかし未亜は、なんだか玲哉に上手く丸め込まれたような感じがして、半信半疑で相槌を打った。

 楸は、采よりは下回る。だがそれは、采特有の小柄な体格と身軽さが影響しているからで、それを除けば恐らく同じくらいだろう。
 その采のアドバンテージをなんとかカバーすれば、楸も今の采と変わらぬ実力者になるだろう。当の本人は、「めんどい」と言って何もしようとしないが。

 そこで、未亜が「あ!」と何かに気付いて両手を打った。


「話、反れちゃったんですけど……最初に聞きたかったことは、魔族の話じゃなくて!」
「何?」
「玲哉さんは、イースルシア出身ですよね?何で、コッチの軍に入ろうと思ったんですか?」


 ……瞬間。
 未亜は、うっと言葉を詰まらせ、聞いたことを後悔した。

 ――今まで友好的だった、玲哉の周囲の空気が豹変した。
 優しげな微笑は、変わらない。しかし今は、その笑顔が背筋の凍るような、酷薄な笑みに見えて。
 その瞳の奥。
 黒い思想の渦巻く中心から、未亜は目が離せなかった。


「気になる?」


 さっきまでは普通に耳に入ってきていたこの声さえも、今は雪風のように冷たい。目に映る世界までもが、暗く堕ちていくような錯覚を覚える。
 まるで心臓を直接握られているような、本能的に感じる危険。動けなかった。ひやりと、嫌な汗がこめかみを滑り落ちた。


「でも教えてあげない」


 硬直している未亜に、玲哉は返事も聞かず、一方的にこの話を完結させた。すると、その気配は霧散し、さっきと同じ笑顔が覗く。


「っ……は、はい……」


 見えない束縛から解放された未亜は、生き返ったようにそう答えた。今更早くなってきた鼓動と小さな震えを押し隠そうと、ぎゅっと自分を抱き締めた。


(い、今の……何……!?)


 まるで、別人が現れたような豹変ぶり。安心して気を抜いていたから、尚更、精神へのダメージが大きかった。
 あれが、彼の本当の顔だというのか?
 紫昏にしつこく念を押されたわけが、ようやくわかった。――この男は、野放しにしていたら危険だ。


「ま、とりあえず、これからよろしく、未亜」
「よ……よろしくお願いします……」


 と、玲哉は、最初のような、にこやかな顔で手を差し出してくる。未亜は、彼の思惑に乗せられないように気をつけようと内心で固く誓い、警戒しながらその手を取った。





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